第1話
そいつは俺の日常に突然舞い降りてきた。
ふわふわと羽のように軽やかに。
ひらひらと花びらのように鮮やかに。
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俺は順風満帆な高校生活を送っていた。
勉強に関しては、特別頑張らずとも50位以内に入っていたし、特に誰とも衝突せずに、浅く広く心地良い人間関係を築き上げている。体育は球技が苦手だが、ただ走ったりするだけなら、そこそこなので、こちらもまあ良しとしておく。
彼女は……いないけど、今年は頑張りたい。
そんな高校生活2年目の学校生活が始まってから早1週間。俺の所属するA組では、ちょっとしたイベントが始まっていた。
「えーっと、神奈川の方から転校して来ました。天川柊です!よろしくお願いします!」
溌剌とした自己紹介に合わせるように、賑やかな拍手が起こる。俺もそこに混じっていた。
教壇の隣に立ち、笑顔を浮かべる少女。彼女は間違いなく美少女の部類に入る。
一番後ろの席にいる自分からでもわかる整った顔立ち。ぱっちりと大きな目は、クラスの全員に向け、好意的な眼差しを送っているようで、どこか人懐っこそうな雰囲気だ。
そして何より特徴的なのは、やや赤みがかった髪。
左右の編み込みが、彼女の動きに合わせ、ぴょこぴょこ可愛らしく跳ねていた。
短めのスカートから伸びる白く細い脚も瑞々しく、その健康的な雰囲気に華を添えていた。
新学期早々、美少女の転入なんてイベントが現実に起こるなんて思ってもみなかった。
他のクラスメート同様、俺も彼女から目を離せずにいた。
あれ?こ、この胸の高鳴りは……。
そこで彼女が口を開いた。
「あの、皆さんに言っておくことがあります!」
何だろう、という沈黙が教室内に広がる。
「ボクはこう見えて男の子ですので、そこはご了承ください。アハッ♪」
『え?』
クラス全員の、何を言われたかわからないような反応。
すぅーっと何かが引いていくような空気。
そして、ざわざわと沸いてくる大量の疑問符。
平然としているのは、衝撃の事実を告げた本人と担任の遠山先生だけだ。
「……マジか」
希望に満ちあふれた新学期早々から、俺は早くも失恋してしまった。いや、失恋ってほどでもないんだけどね?
教室内のざわめきをものともしない遠山先生は、熊のような体をのそりと動かし、教室内を見渡した。
「え~、じゃあ、日野の隣が空いてるからそこへ」
「は~い♪」
元気よく返事した彼女は、編み込んだ長い髪を揺らしながら、俺の隣の席に座った。その際に甘い香りが漂ってきたけど、気にしないことにする。
とは言いつつ、横目で盗み見ると、目が合ってしまった。
体に緊張が走ったが、ニッコリ笑顔を向けられ、ついほっとしてしまう。
「よろしくね、日野君♪」
「え?ああ」
あれ?何で俺の名前知ってんだろ?……ま、いっか。
「……久しぶり」
「ん?」
「何でもないよ♪」
向けられた無邪気すぎる笑顔に、何も言えなくなる。
これが、俺の騒がしい日常の幕開けとなった。
*******
「ねえ、日野君。教科書見せてくれない?」
「え?ああ、いいけど」
「アハハ、まだ教科書揃えてなくて……ゴメンね?」
「そ、そっか」
そんなことあるんだ、と思いながら予習をしていると、机にガコッと震動がきた。
見てみると、彼女……いや、彼か……それも違和感が……と、とにかく天川の机が、俺の机にぴったりとくっつけられていた。
「じゃあ、お願いしま~す」
「あ、ああ……てか、もうくっつけるの?」
「いいじゃん、いいじゃん♪お話しよ♪」
うわ……なんかめっちゃいい匂いする……。
つーか、なんでこんな綺麗な顔してんだよ、コイツ。男だろ?
天川の顔は、ぶっちゃけ美少女だ。
その辺の芸能人より可愛いと思える。
長い睫毛も、すっとした鼻の形も、柔らかそうな頬も、小ぶりな薄紅色の唇も……いかん。ずっと見てたらヘンな気分になりそうだ。
ちなみに、他のクラスメートはまだ天川との距離感を測りかねているのか、遠巻きにこちらをチラ見しているだけだ。なんてこったい。
天川本人もそんな空気を感じているのか、小さい笑みを零した。
俺も、周りの視線から逃れるように、教科書に視線を落とし、予習を……
「……まるで二人っきりみたいだね」
「っ!」
いきなり、甘やかな声が耳朶を舐め上げ、体がビクンと跳ね上がる。
ばっと顔を向けると、小悪魔めいた笑顔がそこにあった。
「なっ……お、お前……今……」
「ん~、なぁに?」
あっけらかんととした表情に、何も言えなくなってしまう。
自分の顔が赤くなるのを感じた。
い、いや、これは気のせいだ!
「ねえ、日野君は彼女とかいるの?」
「そ、それ……初対面で聞くことなのか?」
「そっかぁ、いないんだ」
「いや、まだ何も言ってないんだけど……」
「キミの反応を見れば、一目瞭然かな」
「……う、うるさいな」
「ねぇねぇ」
「?」
「何なら、ボクが立候補してあげよっか?」
「な、何言ってんだよ!」
「どうしたの?」
「いや、お前、男だろ」
「でもこんなに可愛いよ?あっチャイム鳴っちゃった」
何だ、こいつ……リアクションに困る。
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「なあ……」
「ん?なぁに?」
「こっちに寄りすぎじゃないか?」
「だって教科書見えないじゃん」
「そんなはずは……」
授業が始まってからというもの、天川が机だけでなく、体もぴったりとくっつけてきて……集中できない!
甘い香りが鼻腔をくすぐるだけでなく、天川の肩の感触が制服越しに伝わってくる。普段触れ合う(変な意味じゃない)男子より柔らかく、女子……は比較対象がないからわからん。とにかく、なんか、微妙に柔らかい。
「あれ?もしかして……照れてる?」
「っ!んなわけあるか!」
「日野、うるさいぞ」
「す、すいません……」
ああもう!何なんだよ、コイツは!
授業が終わったらガツンと……
横を向くと、天川は
「あ、ゴメン……迷惑だった、よね?」
……ま、まあ、転校初日だし?広い心で多めに見よう。
別に可愛いからとかじゃない。
「まあ、別にいいけど」
「ふふっ、優しいね」
にぱっと笑顔を見せた天川は、またぴったり肩をくっつけてきた。
……コイツ、反省してねえな。
その日の授業は、全く集中できなかった。
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「はあ……どっと疲れたな」
なんか肩にはやわい感触が残ってるし、鼻には甘い香りが残ってるし、もう散々だ。ここだけ切り取ると贅沢者に思えるけど。
幸いなのが、クラスの皆からは気づかれなかったことだ。あれでからかわれたら、俺の精神力は保たなかっただろう。
そこで、誰かが走ってくる音が聞こえた。まさか……。
おそるおそる目を向けると……やっぱり……
「ひっのく~ん、一緒に帰ろ♪」
「遠慮させていただきます」
「え~っ!何で!?」
「今日はお前のせいで疲れたんだよ。帰りくらい一人にしてくれ」
「冷たいなぁ、日野君のいけず~!」
「じゃあな」
「あ、そうだ!キャンディあげるよ。甘い物好きでしょ?」
「……よくわかったな」
「ボクの勘はよく当たるんだよ」
スカートのポケットに手を突っ込んだ天川は、「あれ?」と言いたげな表情になる。
俺はその先の展開がすぐに予想がつき、溜息混じりに歩き出す。
「あ~、キャンディがないや……仕方ないなぁ、こっち向いて?」
いきなり、強めに腕を引かれた。
「は?……っ!」
次の瞬間、俺の体は電流が走ったような衝撃を覚え、動けなくなってしまった。
「……ん」
「~~!?」
俺は天川にキスをされていて、彼女の生温い舌から、キャンディを口の中にドロリと流し込まれていた。