第三話『気休めの来客』
寮住まいだったのは、良かったと思う。
学園進学の際に決めていた一人暮らしの為に、この部屋にもちろん神代以外の人間は住んでいなかった。
「……本当、どうしろっていうんだよ」
帰ってくる時、どういう道程を通ってきた来たのか覚えていない。何かにぶつかったような気もしたが、脇目を振るう余裕なんて無かった。神代は家に着くなり、こうしてポケットの中で折れ曲がってしまったこの書類を机に置いたまま、その場から動くことなく漏らす。
いつの間にか、あれだけ鬱陶しいくらいに照りだされていた夕陽は姿を隠し、小さな豆電球みたいな星空が見えていた。
神代は立ち上がると、電灯付けて自分の運命を壊した一つの原因である書類を再び睨んだ。
そんな状況でも、分かった事があった。
「犯行未遂の時効……」
頭の痛くなるような文章の羅列を、目を皿にするように熟読して得たものを読み上げる。
要点だけ言ってしまえば、
―必ず起こりうる事態と想定していても、時間においては正確じゃないかもしれないので、犯行を予告をした人間は、予告した時間の誤差を最長二十分まで延長することが出来る。もし、その時間を過ぎた場合は、犯罪証明にはならず、その事件は起こりえなかった事件として、時効となる。
「誤差の時間は………書いてない、な」
空欄の部分を見ながら呟く神代だが、そこが記入ミスで無い事は長年の付き合いで予想できた。自身の視たものが違えるはずが無いと、暗に示唆しているのだろう。
(……裏を返せば、奈那美は俺が犯罪をしないように、こうして俺の行動を抑制して時効を待とうとしてるってこと、か)
それでもやり方は強引だと思うが。
(奈那美なりの不器用な思いやり……そう思えば、気分もいくらかマシにはなるか)
落ち込んだ気分を少し和らげ始めた所で、玄関のチャイムがなり、この時間に来訪者の予定が無い神代は首を捻りながら玄関の戸を開きに行った。
「夜分遅くに失礼するよ……神代一騎君」
黒のスーツに威厳のある態度。
何を思っているのか、見透かすことが出来ない瞳。
―飯塚真二。
総理の万能秘書と名高い彼は、顔を見るなりそう言った。
「―失礼」
そう言った飯塚が玄関先から、居間へやってくると畳へ腰を下ろした。
「……何の用だ」
今朝の事態にこの男も居た。そういう経緯があるからこそ部屋に入れたのだが、底が知れない彼の動きが不快に感じ、棘のある口調になってしまう。そこに気分を害した風も無く、飯塚は手で座るように合図する。俺の家だけど。
立ったままで見下ろしていた神代が、座るのを確認すると飯塚は話し始めた。
「答えを求めるのなら、本題から話すとしよう―――君は命を狙われている」
「……は?」
予想外の口火に、素っ頓狂な言葉が出てしまう。幼馴染を殺すと言われた次は、今度は命を狙われるって、なんとも馬鹿げた話だろう。予想外にも程がある。
そんな反応を他所に、飯塚は淡々と続けた。
「正確には、政府に狙われる事になる。もちろん君だけではない……家族、親族、友人一部を除いた関係者全てな」
「ちょ、ちょっと待てよッ!何だそれ……冗談で言ってるなら笑えないぞ!俺だけならまだしも他の連中が―」
殺される理由が見当たらない。自分一人さえそんな理由が無いのに、この男は何を言っているのだろう?動揺する神代の言葉を、飯塚が真実を告げるように、ともすれば馬鹿にするように遮った。
「……単純な話だ。相川奈那美君の事情を知る人間が居ては、都合が悪いのだよ。政府にとってはね。相川君の能力は前例が無い物だ。その事実は今は一部の人間しか知らない機密事項……他国が知れば、何が何でもその身柄を要求してくる。下手をすれば、戦争……それこそ第三次世界大戦が起きるかも知れない」
「そんな……馬鹿な、話…」
考えた事は無かった。
そもそも、今朝のことが無ければ日常というのは普通に続くと思っていたし、当たり前になっていた奈那美の能力は、電気がどの様にして働いているのか、それくらいの疑問でしかなかった。
「無いとは言い切れないだろう?だからこそ、政府の人間は関係者一同の監視を行っていた。相川君が自らの能力を告白してから一ヶ月ずっとだ………しかし、予定が変わった」
飯塚は神代をジッと見た。
「……俺、か?」
「そう。相川君は、『君が自分を殺すという未来』を見てしまった。だから政府は手早く手を打つことを決めた」
「俺、の……所為、で…?」
目の前が歪む、今日あった事を脳が否定しようとしているのか、思考はなにも考えられなかった。ただあるのは、これが真実であって欲しくないという願いに近い後悔だけだった。
「気に病むな。と言っても無駄だろうな」
神代に声を掛けるでもなく、飯塚は呟く。
「何で……それを、俺に教えた?」
悲痛な声で尋ねた言葉には、『お前も政府の人間だろ?』という意味も含まれていた。
「国民を代表する民に不利を与えるべきではない―それが私の信条でな」
押し黙った神代の目を見た飯塚は、躊躇うように言う。
「疑いたいのもわかる……だが、実際に起こることだ。彼女も知っている」
「奈那、美が……?そんな、馬鹿な事あるわけないだろ!」
「彼女の事は、君が一番詳しいだろう?それに、家族一つと国民全部の命……考えるまでも無いとは思うが」
そういう奴ではない。言い切りたくても、否定をすることが出来なかった。他人より自分を犠牲にすることをよしとする人間……もしかしたら―そう思ってしまう。
「止める……それを止める方法は無い、のか?」
「方法はある」
期待しないように言った一言。受けようの無いそれをしかし、飯塚は期待を与える言葉で受けた。神代は期待をするように飯塚を見上げた。
「――――――彼女を殺せ。そうすれば君達が秘密を漏らしても問題は無くなる」
神代は目の前のものを信じられないような目つきで見るが、飯塚は構わず続けた。
「政府の危惧する所は『ラプラスの悪魔に関する情報の漏洩』だ。本人が居なくなれば、その秘匿性は薄れる……安心しろ。後の処理は私が何とかする」
「お前……ッ!!」
神代は立ち上り机を跨ぐと平然と言ってのけた飯塚に詰め寄り、襟元を掴んで持ち上げると拳を掲げた。
「なら、他にどういう方法がある?殴りたければ殴るといい……君達が殺されるのは、変わらないぞ。三日後……予告の時間が過ぎた十分後に決行される。政府は今回の殺人が起きないものと思っている。なにせ『ラプラスの悪魔』が、自分自身で未来を変えるのだからな」
―ダンッ!
握っていた拳を飯塚の右頬に殴り入れると、ぶつかった机が壁に衝突し大きな音をたて、三畳半の狭い居間に響き渡った。
「……そうやって、平然と言いやがるのかよ……奈那美を殺す?殺さなければ、俺達が死ぬ?誰かが犠牲になって、平和を維持しているように見せるお前のやり方は………気に入らねぇんだよッ!」
口が切れたのか飯塚は口の端に付いた血を拭う。
「……詭弁だな。だがどれだけ言い繕った所で、『君が彼女を殺す』か『君達が殺されるか』そのどちらかの結末しかない事実が、変わる訳ではあるまい」
神代が尚も噛み付こうとした時、聞き慣れた電子音が聞こえた。音の出所を探ると机の上から落ちたのか、ディスプレイを下にした携帯電話が机の直ぐ下に転がっていた。無視しようとしていた神代だったが、飯塚が出るように目配せしてきた。
乱暴に持ち上げると相手も確認せずに電話に出た。
「もしもし…」
不機嫌さを露わにしながら電話に出た神代は、相手の声を聞いて息を呑んだ。一ヶ月前に姿を消して、あまつさえ今の状況を作り出したともいえる元凶、奈那美からの電話だった。
飯塚は話し声の聞こえない位置にこそ居るが、神代の表情を一瞬も見逃さないと言った感じで視線を向けてくる。何となくその視線に居心地が悪くなった神代は、背を向けて窓の方を向く間も奈那美はずっと喋り続けている。
頷くこともせず、初めの一言しか話さなかった神代は、相槌も挟まなかった。それでも彼女はつらつらと用件だけを言ってのけ、一連の話を終えた所を見計らった神代は一言応える。
「……そうかよ」
電話越しの相手が動揺したのが分かった。
「時効の時間……十八時三十分。書類に書いたら変更は利かないからな……一分のズレも無しだ、忘れんな」
それだけ確認すると、神代は電話を切った、つかさず飯塚が尋ねてくる。
「電話の相手は誰だ」
「……答える義理はないだろ」
「忘れたのか?君は管理される立場にあるのだ……制限項目を忘れた訳ではあるまい?」
飯塚の咎めるような口調に、神代は嘆息するように答えた。家族を含む親類への接点の禁止を迫っているのだろう。
「……奈那美だ」
「該当者との接点は控えて貰いたい。政府の他連中から余計な詮索を生むだけだからな……内容は?時効と聞こえたが」
恐らく余計なことをすれば、他の親族が傷つく可能性を示唆しているのだろう。神代は舌打ちした。
「……アイツのお遊びだ。『自分が視たものが間違いな筈がない。時刻や場所も確実。それでも自分が間違っているというのなら、その状況を再現しよう。その上で君が事を起こさなければ良いだけ。時刻の修正は二十分……その間に何も無ければ自分の負け。自分の予告が嘘だと言うならそれで証明しろ』アイツは確信を否定されんのが嫌で、自分を使って認めさせたいと言ってきやがった」
「実に彼女らしいな」
会って間もない人間でもそう思わせてしまう実行力は、羨ましくもあり、鬱陶しくもある。
「で、君はどうする?彼女は君を馬鹿にしている……同じ事を確実にすると。それでありながら、彼女は君達が殺されることを知っているのだ。それでもこんなゲームを持ち込む彼女に対し……君が取る行動を教えてくれないか?」
確信。
返ってくる言葉が予想通りと言う様に、それでも敢えて飯塚は尋ねた。
「―――俺は奈那美を殺す。アイツが俺らの不幸を知って、何もしないのならそれは加担してるのと同じだからな」
『狼少年』は再び嘘を吐く。
一度目は、彼女の真実を否定する為に。
そして今度は、
―自らが行動する最善の行動をする為に。
携帯電話から響いてくる音を聞いていた奈那美は、右手に持っていた携帯電話を机の上に静かに置くと、背中からベッドに倒れこんで仰向けになった。綺麗に整頓された自らの私室に視線を動かし、やがて天井に目を向けると溜息を漏らす。
「一騎……殆ど口、開いてくれなかった」
最初の受話の時以外で神代が言葉を発したのは、たった一つの了承と一方的な予告のみだった。奈那美が話していた時は、一度たりとも声を出していない。
(……私は一騎を裏切ったんだから、当たり前か)
神代は用件を伝えた瞬間に、奈那美の返事を待たず電話を切った。それの意味するところは彼女自身にも判っている。
奈那美は咄嗟に右腕を目の上に置く。そうしなければ、後悔で押し潰されそうになったのだろう。
「それでも……最後までやるんだ。私が始めた事だから」
そう口にして心に戒めた奈那美は、
塞ぎこんでいた自分の気持ちに整理を付けて、
机に置いていた携帯電話を手に取ってダイヤルを呼び出した。。