第一話『朝』
四月十日(水)藍巾学院始業式
神代一騎は拘束されていた。
しかも、コレが朝の登校風景に織り交ぜられているのだから、性質が悪い。
藍巾学院の校門付近。登校してきた生徒達は一様に足を止めて、何事かとこちらを覗き込んで来る。
「朝の登校往来の中……何のつもりですかねコンチクショウ」
公道からも丸見えなこの場所で、神代は縄に縛られ正座をして衆人環視の中、国家が代表する上の方々を警護しているような、黒いスーツに身を包んだ方々には極力目をくれずに、その中心にいる人物に声を掛けた。
「何のつもりだなんて、随分なご挨拶ね?朝の挨拶すら言えないのかしら……この猿は」
夕陽を連想させる紅い髪。瞳は見られている人間が写りこんでしまうほどに大きな青い瞳だが、今は不満そうに片目を吊り上げており、本来は童顔染みた美しいその顔は普段のギャップと相まって結構な怖さがある。
周りに集まる女生徒に漏れず、藍巾学院の制服に身を包んだ幼馴染は、通年馬鹿にしてくる時以上のキツイ口調で、言葉を返してきた。猿って。流石にそこまで言われたことない……よ…な?やべぇ、自信ない。
「……こんな状態にしておいて、何を言っとるんだお前は」
今朝、進級前の騒動で校内を騒がせた奈那美は、国家の判断によりその身柄を保護されていたのだが、三週間ぶりに会うなりどこからともなく現れたスーツの方々に合図を送り、神代は驚く間もなく締め上げられて、今現在こうしている。
「こんな事される覚えは無いぞ?せめて理由を言え、理由を」
「まあ……わかんないでしょうね。分かっていたらそんな口挟んでられないだろうし」
奈那美は制服のスカートに手を伸ばし、ポケットから四つ折りに畳まれた紙を取り出すと、それを神代の前に広げた。そして何も言わずに、顎で催促してくる。
「何だよ……『犯罪決行暫定書』?」
犯罪とは、また物騒な単語が出てきた。それにしても暫定?
「これ、今年の春から採用されたモノなの。私が視たもので犯罪行為を行う事になる人間に対して、一定の制限を設ける制度。今朝、ニュースにも流れたわ」
視た、とは恐らく未来の事だろう。
幼少時から奈那美は、普通の人間とは違っていた。生まれながらにして、彼女は『ラプラスの悪魔』の定義を備えていた。しかし万能たるその力にも制約があり、無意識に行ってしまうその計算は、脳に掛かってしまう負荷が大きい為、人一人分の物しか見ることが出来ない。しかも直接自身が触れた人間のみだ。
とは言うものの、一人を見るのには未来過去に限らず、時間の制約は無いらしく、老いた先から誕生以前まで遡る事が可能らしい。
難しい単語の連続に、文字崩壊を起こしそうになりながら、それでもなんとか下の方まで読み取った所で、神代は固まった。
―被告(予定)の所に、自分の名前があったのだ。
「は………何だよ、これ!?」
「見てわかるでしょ?アンタの名前……犯罪者予備軍てこと」
その目からは、感情が読み取れなかったが、奈那美の表情を見れば冗談でない事くらいは伝わって来た。それでも、納得出来るものではなく、心の中でそれを否定し続ける。
(…嘘だろ?いや、でも奈那美の奴がこの場で嘘を言う必要があるのか?)
万引き。窃盗。銀行強盗。
それらが直ぐに自分に結び付かず、混乱する中、言葉を発さずに居た神代の耳に、今一番聞きたくない言葉が響いた。
「―――一騎はね……人を殺すの。それも、たった一人の幼馴染を」
その言葉を聞いて、全身が脱力をするのを感じる。
「俺が……奈那美を……………………………殺す?」
口にしても実感できる物ではなかった。きっと冗談を言っているのだろう、そう期待をしていた自分に突きつけられた最後通告に思えた。人を殺すなんて言葉を多くの人間の前で法螺吹けるなら、ソイツは欲望に忠実な詐欺師か、誰にも信用されなくなった狼少年くらいだろう。
緊張で喉が渇いてきた。
唾を飲み込もうとしても、その一挙一動に注目されてる気がして唾を飲み込むのが辛い。突き刺さるような息苦しさを否定したくて、横目で周囲を見た。
周りの生徒もその一言を聞いて、神代に視線を向けてこんな事態になってしまった神代に同情している生徒は……僅かに居た。数えて指を折る程度に収まる数だけ。気のせいなんて事は事は無かった。それでも全員じゃないだけマシか。
「―そう。これから三日後の午後十八時十一分、私はアンタに殺されるの。だけど、ここで『アンタを拘束する』という現代を変えれば、その可能性は完全に潰える」
「……散々言うのは良いけどよ。俺がお前を殺る理由も無いのに、そんな事する奴だと思ってるのか?」
「さあ?私はアンタ自身じゃないし、動機なんか知るわけ無いじゃない。私に言えるのは、アンタは間違いなく私を殺しに来るの……間違いなんか何一つ無い。何回言っても分からない?『私は自分が視たもの以外は信用しない』。今まで何度も聞いたよね?例えどんなに親しい家族だろうと、幾つの夜を過ごした恋人だろうと、下らない語りを続けられた親友だろうとそれは変わらない」
断定する口調には、自己が視る世界への絶対の自信と改変を望む意思が感じ取れた。
そしてそれは、一つの意味を示していた。
彼女は自分の事を、
一番長い時間を共有した幼馴染を、
性別の垣根さえ越えた親友を前に彼女は言った。
「――――――私はアンタを信用してない」
―ああ、そうか。
コイツはこういう奴だった。
いつだって自分が正しいと思うことだけやってきて、
終業式の件だって誰に相談せずに勝手に決めて実行した。
前日に家族に相談もせず、俺には最後の挨拶すら無しに行ってしまった勝手な奴だ。
なら―俺だって吹っ切ってやる。
「………信用してない?自惚れんな。俺だって、お前の事を信じちゃいねぇよ」
多分、今まで生きてきた中で一番嫌なものを見るような表情をしていただろう。その一言を聞いた彼女の表情は無表情だったが、ほんの一瞬だけ、痛みを堪える素振りを見せていた。けれども止めようの無い感情は、奈那美と神代の全てを否定する為に言葉となって流れ出る。
「『ラプラスの悪魔』なんてご大層な事だな。未来も過去も見える?そんな法螺を吹いてるのはどこの人間だ?持て囃されるのが嬉しくて、皆の前で更に嘘付いて今度は国のお宝扱い。正に悪魔だよ、お前」
「私は嘘なんか吐いてないッ!」
語りだした神代に呆気に取られていたのも束の間、不本意な物言いに奈那美は叫んだ。
「何を根拠に?」
「アンタなら知ってるでしょ!将来起きることや、過去に起きたこと、時間だって正確に言えるわよ!全部が全部的中してるのを数え切れないほど……アンタは隣で見て来たでしょ!」
「それこそ嘘だな」
「……ッ!」
「そんな記憶は一切無い。そうやって、お前はこの場に居る人間全員に、それが真実だと思い込ませようとする。知らない人間からしたら、俺が頷くだけで今の言葉は他の人間にとっては真実になる……大衆を騙す方法って知ってるか?」
神代の言葉に周りを囲む生徒がざわつき始める。
「一人を騙すんだとさ。それも徹底的に……この場合は俺だな。宣伝販売なんかにも用いられてるだろ、八百長ってさ。一人がこの商品が世の中で一番素晴らしいと絶賛すると、初めは胡散臭そうにしていた他の客も釣られてそう思う……それを実行するお前は、一級品の詐欺師だな」
「違う!私はそんなつもりなんかじゃ―」
奈那美に向いていた信頼の一部が、少しの揺らぎを見せ始め、生徒の間のざわめきも刻一刻と刻むたびに大きくなっていき、伝染していく。
「俺はお前に騙されねぇ」
コイツの事を今は信じたくないし、信じたとしたらそこで人生終了だ。だから―
「今度はどんな嘘を吐くんだよ……なあ、『狼少年』?」
俺は嘘を吐く。彼女の知っている事を否定する。
遠くから予鈴が聞こえる。
今日からようやく二年の春。
そして、
その日から俺は、
『狼少年』になった。