思い出話
「この子は、とても一生懸命な子でした」
写真の子どもをなぞりながら、彼女は柔らかく微笑む。
昔を思い出しているのだろうか。宙を見つめていた。
「一生懸命で、完璧主義というか、何でしょうね。自分がこうと決めたことをやり遂げようとする子で、もし自分の目標と少しでも違う結果が出ると、癇癪を起こすような子。よく泣いていましたし、よく部屋に閉じこもっていました」
小さな子どもが涙を浮かべながら努力する光景を想像してみた。上手くいかなくて、拗ねて部屋の中で一人しゃがみこむ姿。
多分、その時彼女は部屋の前で優しく語りかけていたのだろう。扱いにくい子どもに。
「私にはよくわからない基準が、この子には確かにありました。それが達成されると、とても嬉しそうでした」
きっと、困った子だと言いながらこの子どもを温かく包んでいたのだろう。
写真には笑顔が下手な普通の子どもが写っていた。
「この子と過ごすうちにわかりました。この子はとても愛情に溢れていました。好きなものを好きと口にすることはありませんでしたが、行動で示そうとしていました」
口にして、自分の言葉で伝えることは大事だ。何かを伝えるには言葉にするのが一番なのだ。まっすぐ届けるためには、口にしなくてはいけない。
でも、言葉にしなくても伝わることもある。それに言葉だけが伝える手段でもない。
「この子が一生懸命だったのは、好きだったからです。全部大好きだったから。でも、この子、気がついていなかったんです。私が言って、初めて気がついたみたいなんです」
あの時の驚いた表情、とてもおかしかったと彼女は声を出して笑った。
この子どもは言葉よりも行動が先になる子だったのだろうか。自分の行動の意味を知らないというのは、何とも子どもらしいことだ。
「この子、本当に気がついてなかったんです。無自覚で、自分が好きなものを好きと伝えようと、つまりは自分を表現しようとしていたんです」
何が好きなのか。それを知るのは、その人間がどんな人物かを知るのに一番手っ取り早い方法だ。
自分が好きなものを知ってもらうのは、自分のことを知ってもらうことと同じ。
この子どもは、そうしてきた。
「きっと、この子は上手く自分を表現することができなかったんです。言葉や口では。だから、行動で示したり、すごく長い時間をかけて言葉を考えたり、自分と向き合ったりしていたんです。回りくどく思われるかもしれませんけど、この子はその方法があっていたんです」
そこまで言い切って、彼女は口を閉じた。ただ写真の子どもを見つめている。彼女の表情からは何も読み取れなかった。
「この子どもは今、どうしているのでしょうね」
僕の呟きに、彼女はしばらくの間考え込んでいた。
写真を眺めたり宙を見たりして、ゆっくりと慎重に口を開いた。
「この子と過ごしたのはもう何年も前のことです。もう大人になっているでしょうね」
「そうですね」
写真の中の子どもを眺めて、どんな大人になっているか、想像してみた。
彼女の言う通りのままなら、一生懸命で自分なりのこだわりのある大人。
今も、言葉よりも行動が先になる人なのだろうか。
「今も変わらずに好きなものがあればと、思います」
彼女はまた柔らかく微笑んで、写真の子どもの幸せを願った。