朝の階段
まだ人気がない、朝の学校を歩くのが好きだった。
澄んだ空気に、青く見える景色。少しひんやりとしているのもよかった。
長く続く廊下を眺るのに一番良いのが階段の近く。手すりにもたれてぼんやりとする。
そのうちに人が増えてきて、騒がしくなるのもよかった。
階段を上ってきた友達と挨拶をしたり雑談しながら、人の流れを見ていた。
こうして皆が登校してくるのを見ていると、人が途切れる瞬間があるのに気づく。
誰も階段を上ってこない、静かな時間。
廊下の先にある教室の話し声が届くほど、ひっそりとすることがある。
階段の手すりにもたれたまま、僕は動かない。
ゆっくりと誰かが階段を上ってくる音がした。
軽い音だから、女子だろう。それも、大人しめの子だ。足音まで控えめにしているから、多分あっているはず。
こんな感じで、足音でどんな人が来たかを考えるのも楽しかった。
すっと姿を現したのは、予想通りの女子だった。大人しめの子。
同じクラスの子だった。
挨拶くらいはしようと思ったが、本人は俯いていてこちらを見ない。
元気が無いのか、手すりに縋るように上ってくる。
声をかけづらい雰囲気で、彼女が上ってくるのを手すりにもたれながら待っていた。
彼女はこのとき、僕の存在に気づいていなかった。
別のことで頭がいっぱいで、周りに目がいっていなかったのだと後でわかった。
彼女の手は手すりを掴んでいて、その手がだんだんと僕の方に近づいてくる。
白くて小さな手だと見つめていると、もうほんの少しで触れるほどの距離になっていた。
俯いたままの彼女は手を伸ばし、とうとう僕の手に触れた。
その瞬間、彼女は飛び上がった。
まるで熱いものに触れたかのように。
その反応に思わず笑いそうになって、彼女を見ると、怯えたような表情をしていた。
心の底から恐ろしいものを目の前にしたような、そんな顔だった。
笑いはすっと消えた。
そんなビビらなくても
確か、そんなことを口にした。何だか白けた気分になっていたのだ。
朝の良い気分がどこかに消えてしまっていた。
彼女は僕の言葉に肩を震わすと、僕から十分距離をとって、教室へと小走りで向かった。
その背中を見て、変な奴だと思った。
後から聞いた話。彼女に関する噂。
彼女は電車通学していたのだが、どうやらそこで嫌な目にあってしまったらしい。
僕の手にほんの少し触れただけで、心底怯えるような。
そして、そのことを、彼女は笑いながら友達に語ったのだという。
今日こんなことがあったの。電車の中でね……
なんて、元気よく話す彼女が想像できて、その話を聞いて面白おかしく広める女子が想像できて、僕は苦い気持ちになった。