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文字喰い虫



「文字を食べてしまう虫が居る。それには気をつけなさい」



それが、祖父の最後の言葉。


祖父が生きていたのは私が5歳の時までだったけど、それでも祖父の言葉は殆ど覚えているくらい好きで、祖父が話してくれる不思議体験を聞きたくて、私は駅三つ離れた祖父の家まで毎日通っては話してとせがんで、夜遅くになっても話しの終わりを聞くまで帰らないと泣き、その度に母を怒らせたものだ。


最後に聞いた話は祖父が家の布団で臥せっている時だった。

結局、話は最後まで聞けず、私はお葬式で「もっとお話ししたかったの、帰ってきて、燃やさないで、お願い止めて!おじいちゃーん!!」と大きな口を開けて声を上げてわんわんと泣きじゃくった。ただ、この日だけはどんなに泣いても母は怒らず、私が泣き止むまで傍で付き添ってくれたのを覚えてる。



あれから13年。


テストとか受験が苦手で、私は事あるごとに市民図書館に足を運んでいた。


今日は朝食のときに見ていたテレビで受験生が失踪する事件がニュースで放送され、一体私の何がそう思わせるというのか、母は億劫な吐息を漏らし「受験戦争から逃げてどうするんだかねぇ、まっ!うちにも逃げ出しそうな17か18の受験生が居ますけどー?」なんて嫌味たっぷりに言われ、朝食も殆ど摂らずに家を飛び出して学校に行き、自由時間ばっかりな中身の無い――中身が無いのも私が寝ていたせいだけど――授業を軽く流して直ぐに訪れた放課後、帰るのも気が乗らず市民図書館に立ち寄った。


ここの図書館は利用者が少ない。

外観は最近改築されたというのにそれでも隠し切れないくらい古くて大雨が降ったらそれだけで潰れそう。自動ドアは曇っていて古びているし、館内は昼間でも暗い。まるで人間の億劫とか憂鬱とかそういった重苦しい感情がこびりついてしまったかのようだ。それに、天井まで届く本棚が陳列してある場所は未だに黒ずんだ木製の床のままで、重厚感のある本棚は日焼けなのか手垢なのかでまばらに汚れている。

置いてある本も酷い古書ばかりだ。マンガコーナーもないし、子供向けの絵本も無い。強いて言うなら、新聞は全て揃っていて古いものから今日に至るまで保管されている。尤も、数少ない利用者の殆どは今日の新聞だけ読んで出て行くから、それは出入り口に固めて吊り下げられている。


だから、本棚が並ぶ場所は人も居なくて静かで、私は好きだ。



背表紙を見てもピンとも来ない分厚い本を手にとり、そのままぱらぱらと中身を読んでいく。

この図書館のいい所は、見かけに反してとても空気が良く、本のインクの匂いや紙の似合いがふんわりと香るところ。いらいらくさくさしていた気持ちが落ち着いていくし。詩集や小説を読むとその間だけは自由になれる。



「あれ?」



数ページめくって異変に気付いた。



「文字が無い」



それはささやかな脱字かとも思われる程度だが、脱字にしてははっきりと一文字分の空白が空いており、それがページを変えてところどころに見られた。


もしかして文字喰い虫だったりして。そう思うと私の心は止まらず、次々に本を開いては字が無くなった本を夢中で探した。

幸いにして利用者が少ない館内だ。何冊も見ては戻していく高校生が居ても注意はされない。



そして、とうとう見つけてしまった。

その本を勢い良く閉じると、すぐさま貸し出しの手続きをして、本を抱え走って家まで帰る。


無我夢中でドアを開けば、遅かったじゃないという母親の声を無視して部屋に駆け込み、ドアを閉め乱れた呼吸も整えずに腕に抱えた本をちらりと見下ろし、カバンを置いて恐る恐る本開いてみる。



居た。“は”という文字を食べている。形は形容しにくい。強いて言うなら印刷時の汚れのようで、三次元と二次元の丁度中間でうごめいている。


私はそれを確認してすぐさま辺りを勢い良く見回して散らかった机に置き、クローゼットの奥に仕舞い込んだ熱帯魚を飼う用の水槽を取り出しては、日当たりの悪い場所にどかりと置いて急いで机に戻った。

大丈夫、虫は次の文字を食べているがまだこの本に居る。



慎重に、慎重にと言い聞かせて、私は教科書を破いて虫の近くにそっと置き、虫が教科書に移るまで慎重に待ち続け、約30分も掛けて移動するそれを固唾を呑んで見守っていた。


教科書のページごと水槽に移して蓋をするまでの間、私の心臓は早鐘を打っていて吐きそうなくらい興奮していた。これが、祖父が話していた虫なのだ。そう思うと、やったー!捕まえたー!と大きな声で叫びたくなる。

その気持ちごと水槽に蓋をした。



「あきー!ご飯よー?」


「すぐ行くー!」



母の声でハッと顔を上げて急いで返事をする。もし見つかって取りあげられたら一大事だ。


急いで部屋から飛び出し階段を転がり落ちて「えっ!やだ、大丈夫!?」と目を見開く母と「ははは、元気だな」と笑う父に曖昧な返事をして食卓に着くと、早く部屋に帰りたい一心で母を急かしたものの、待っていられなくなって自分でご飯を茶碗によそって味噌汁も注いで配膳した。


珍しい事だったから父も母もそうとう面食らった顔をしていたがこちらはそれどころではない。


自分の部屋に、祖父との思い出があるのだ。それはまるで、金銀財宝が隠されたの宝箱か、はたまた徳川の埋蔵金を部屋に隠しているかのような心の逸り。ご飯をかきこむ手にも力がはいる。



食事を大急ぎで終えた私は、今日は勉強に集中したいからどうかどうか本当にどうか邪魔しないで欲しいと両親に頼んで、お菓子とかジュースを持ってこられると困るので先にそれらを持って部屋に駆け戻った。

部屋に置いてある水槽を一目散に見に行くと中にはまだちゃんと“は”を食べている虫がいた。




「本当に食べてる……」




これくらいしか言葉が出なかった。

あの日の祖父の声が頭の中で聞こえたが、何に気をつければいいのか全く教えてもらえなかったこともあって私は随分油断していた。


文字喰い虫という名前から察するに文字を糧として生きている虫なのだろう。まだ“は”を食べている虫のことを見ればそうだとしか思えなかった。

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