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本当の宝物

作者: 堀川 忍

 私が最初にこの作品を書きたいと思ったのは、十年以上も前のことだ。NHKのドキュメンタリー番組で「スペシャルオリンピック」のことが放送されていたのを偶然観たからだ。それは、知的にハンディを抱えた人たちのためのスポーツの祭典だった。スペシャルオリンピックでは、勝者にも敗者にもメダルが授与される。参加した人すべてが賞賛される‥そんな素晴らしい番組を観た私は、パソコンに「本当の宝物」という題を打ち込み、大まかなプロットも考え、それをメモした。‥だが、私には当時もっと重要な「書きたい世界」があったので、この作品はいつの間にかハードディスクの片隅に置き去りにされてしまっていたのだ。教師という仕事をしながら、音楽や小説を創作していた私にとっては、ある意味仕方のない選択だったのかもしれない。


 徒に月日が流れ、私は五年前に脳内出血のために右半身に少し麻痺を抱えることになってしまった。それでもたくさんの人たちの支えでなんとか仕事を続けてきたのだが、「定年まで後一年」になった今年、様々な事情で仕事を休職することになった。‥私は三月末から四月当初かなり激しい鬱状態になり、「自分には、最早存在意義がないのでは?」とまで思うようになってしまった。そんな私を救ってくれたのが長年一緒に音楽をやってきた仲間からの優しい励ましの言葉だった。「今まで精一杯頑張ってきたのだから少し休むべきなのかもしれないな‥」と思った。

 私は、それまでの仕事を含めた多くの活動の中で集めた様々なアイテムが一気に「自分には、もう必要ない物だ」と考え、玩具箱のように物が散乱していた自分の部屋を四月から片付け始めた。たくさんの「無意味な物」をゴミ袋に入れ、処分した。「今頃学校では何をしているだろう?」という羨望の気持ちがなかったわけではないが、それは考えれば考えるだけ「無駄だ」と思っていた。四月七日の始業式の日は、それでも少しセンチメンタルな気持ちになってしまい、珍しく酒を飲んでその日をやり過ごすことにした。

 次の日が土曜日ということもあって、私は四月八日の朝、いつもより遅く目覚め、朝食を摂りながら何気なくラジオをつけた。既に朝の九時を過ぎていたので、毎週楽しみにしていた「ラジオ文芸館」は終わっていたのだけれど‥聞きたい番組ではなかったけれど、三月の「東日本大震災」に関する再放送番組が流れていた。番組終了間際にアナウンサーが大船渡市出身のシンガーソングライターの「はまもりえいこ」というアーティストのことを語り始めた。彼女は東京で銀行勤務だったが、震災を経験して「壊された故郷」を思って作ったという「国道45号線」という曲を発表し、現在岩手県で活動している‥などと、その経歴を語り、番組の最後に「キセキ」という歌を流したのだった。‥私は、その歌を聞いた時、感動以上の衝撃を受けてしまい、しばらくの間その場から動くことさえできずにいた。

「貴方に出会えたことにも何か意味がある‥」

 そう歌いかける言葉が、私の胸を撃ち抜いた。すぐにパソコンを開いて「はまもりえいこ」と検索して濱守栄子にヒットした。動画配信サービスで「キセキ」を何度も再生し、録音して何度も聴いた。

「私たちは皆同じ、生きている。それだけで奇跡‥」

「明日もし、目の前の光を失ったとしても、この心はずっとうごくでしょう‥」

「君がもし苦しくて笑顔を作れない時は、君の傍で代わりに笑うよ‥」

 歌詞の一つずつが胸に響いた。病気の後遺症のせいで、以前のように歩くことが不可能になり「走れない、跳べない自分は教師としての資格を失ってしまった」‥そう思い込んでいた私は‥彼女の歌に「再び生きなさい!」と言われているような気がした。後で知ったのだが彼女が「キセキ」を創ろう思ったのは、大船渡市の福祉施設「吉浜荘」という場所で歌った時に「当たり前の世界ではない状況を見て、形にしたかった」ということらしい。

「確かに私は走れないし、自転車にもバイクにも乗れない。‥でも、ゆっくりで良ければ自分の足で歩くことができる。‥できないことを数えるのではなくて、自分にもできること‥自分にしかできないことを頑張ればいいんだ!」

 私の生活‥生き方を変えてくれたこの「キセキ」という歌‥そう言えば以前どこかで書きたいと思った、そんな世界があったっけ‥。私はそうやってこの作品のモチーフがそのまま歌詞に重なるような気がして、約十日ほどで作品化することができた。ある意味、自分を再生させてくれた小説と言っても過言ではない。

 以上のような理由で、私はこの作品を濱守栄子さんに捧げたいと思っている。



2017・5・1(MON)22:46

堀川 忍


 この街では真冬でも雪が降るようなことは。ほとんどなかった。‥それなのに今年の冬は寒暖差が厳しくて、朝目覚めたら白く薄っすらと夜中の雪が残っていることもあった。僕は目覚めた時から「雪か‥」と呟いた。自宅の側の国道の車の音がほとんどなく、静かだったからだ。

暖房器具のない部屋は凍り付いたように、寒く冷たかった。それなのに目覚まし時計は機械的な音を立てて僕に目覚めを強要するのだった。僕は布団から手を伸ばして目覚ましを切った。目覚めてはいたが、起き上がるにはかなりの決意と勇気がいった。実家なら母親が朝食の準備とともに目覚めを促してくれるのだが、就職してから一人暮らしを始めていたので、このまま眠っているという誘惑が布団の中の僕に囁きかける。

「どうせ仕事と言っても、僕が行っても行かなくても特別大きな支障はないんだし‥」

 ‥でも、僕はまるで時計仕掛けの人形のように機械的に布団から出て朝の準備を始めた。それが僕の日常であり、仕事だったからだ。眠気は確かに残っていた。昨夜少し遅くまでドキュメンタリーのテレビ番組を観ていたせいだろう。一人暮らしを始めて一番困るのは時間にルーズになってしまうことだった。テレビを観ていると観ている人の興味をそそるような番組が永遠に続くのだ。だから毎晩深夜まで僕は眠れなくなってしまう。実家なら母親が「そろそろ寝ないと‥明日も仕事なんでしょう?」と声をかけ、僕を日常生活に戻してくれるのだが、一人暮らしというのは、それが宿命であるかのように、「自由」である分だけ自己管理が重要になってくるのだ。

 僕は出かける準備を終えて、部屋を出て鍵をかけた。また「日常生活」が始まろうとしていた。階段を降りて自転車置き場の所まで来て「今日は燃えるゴミを出す日だ」ということに気づいたが、まぁ帰って近くのコンビニで出しちゃえばいいやと思い、自転車に乗って職場へ向かうことにした。職場と言っても自転車で二十分の所にある。僕が住んでいる市のY駅前の市役所の支所だ。住民票や印鑑証明などを求めに応じて市のサーバーに接続して発行する‥なんとも退屈な仕事だ。複雑な手続きやクレームに対しては「ここは、支所なので、本庁へ行ってください」とマニュアルのような返事をすればいい。こんないい加減な仕事をしていながら、身分は公務員なのだから、市民から「税金泥棒!」と罵られても仕方ない。年度末の転居が多いシーズンでも、残業などはほとんどない。出世を諦めた支所長と僕、それに嘱託のオバサンが数人‥時々本庁から「巡回」という名目で同僚が二、三人やって来るが、本庁でハタラキバチのように働く彼らにとっても一種の息抜きの時間みたいらしい。

「ここは、いつ来ても穏やかでいいよなぁ‥」

 そんなことを言う彼らの口ぶりには、明らかに出世とは縁のない僕たちへの見下す気持ちが分かったのだけれど、僕は何とも思わない。何故ならかつての僕がそうだったからだ。市に公務員として採用された僕は「市民のために仕事がしたい。出世もしたい!」と意気揚々と働いていたのだが、勤めるうちに段々内部のドロドロした派閥や人間関係に嫌気がさしてきて、出世街道から脱落して今のような支所や公民館などを転々と異動し、それでも正規の職員という身分だけは守りながら仕事を続けるようになったのだ。そのうちに、合コンか何かで適当に知り合った女性と適当に付き会って、適当に結婚して適当な家庭を持って適当に死んでいく‥それが僕の人生だと思っていたし、それ以上でもそれ以下でもない‥そんな日々の連続が自分の日常だと思っていた。今の支所に異動になってから五年になる‥


 僕がそんなことを考えながら自転車を走らせていると、通勤コースで最大の難所である橋の手前までやって来た。橋がかかる川自体は、数メートルもない幅の狭いものなんだが、いわゆる「天井川」という形になっていて、長年の歳月によって土手部分が周辺の土地よりも高くなっているんだ。だから川を渡る橋も山のように登り坂になっていて川を渡ると下り坂になっている。だから、往復する場合まず登り坂に備えてペダルを強くこがなければいけないのだ。これがかなり疲れるというか、負担になっていくのだ。「そんなにしんどいんやったら、電動アシストにしたらええやん!」と嘱託のオバチャンたちは笑うが、僕は今の自転車を手放す気にはなれなかった。どう見ても古いタイプの自転車だったのだけれど、僕が初めての給料で買った物だからだ。

 今朝もえっちらおっちら坂道を登っていると、土手の上の遊歩道に一組の親子がキャッチボールしているのが見えたのだ。「えっ?‥こんな日にもやってんの?」と少し驚いた。その親子には見覚えがあった。川の上には車やバイクの通行を禁止した歩行者のための遊歩道が続いていて、犬の散歩やジョギングする人たちに混じって、何年か前からキャッチボールをしている少年とその父親らしき二人を僕は毎朝橋の坂を登りきった所で微笑ましく見ていたのだ。少しぐらいの雨ならキャッチボールを続ける親子‥もちろん名前も住んでいる場所も知らなかったけれど、僕はある意味で尊敬と親しみの思いを持って眺めていた。どちらが練習をやろうと言っているのかは、分からないけど練習に付き合う方もどちらもかなりの根性がなければ続かないものだ。でも、まさか今朝のような状況でもやっているとは思わなかった。だって、その日の朝の最低気温は氷点下だったし、明け方までの雪もまだ少し残っていた。車道も遊歩道も朝日を浴びて溶けた雪でぬかるんでいて、コンディションは最悪だったのだ。しかも季節風が少し強くて、他に人影は(当然だと思うが)見当たらなかった。僕は自転車を止めてハンドルを握ったまま、しばらくその親子を見ていた。橋の上は風が強かったけれど、こんなに悪いコンディションの中でも続けられる「心の強さ」に感動したのかもしれない。

 その親子はいつも同じ場所でキャッチボールをしていた。父親と思われる年配の男性が橋の道路に近い所にかがみこんで背中を向けてキャッチャー役をして、息子と思われる十代半ばの少年が川の上流から父親にボールを投げ込んでいる。父親は少年が投げてきたボールをキャッチすると、少年の方へ投げ返す。それは、どこにでもあるような親子の風景だった。‥ただ、普通の風景と違っているように見えるのは、それがほとんど同じ場所で毎日同じ時間帯に、行われていたということだった。父親はいつも背中を向けているので、その表情は分からなかったが、少年はいつも真剣な眼差しで父親のミットに集中してワインドアップスタイルでボールを投げ込んでいた。服装は季節ごとに変わっていたが、普段着の父親と違って少年は決まって青系色のジャージスタイルだ。

「いつかは、少年も成長して、やめてしまうんだろうな‥」

 そう思っていたけれど、少なくとも僕が今の通勤コースを行くようになって五年間、ほとんど毎日同じ風景を眺めながら通り過ぎて行ったのだ。まるで哲学者のカントのように、規則的で決まった時間に‥

「そろそろ時間よ?」

 それは、二人のキャッチボールの終わりを告げる、母親らしき女性の声だった。これも、毎日決まった時間に現れて二人の練習をやめさせる学校のチャイムのようなものだった。母親は、自転車ママチャリで遊歩道の二人を呼びに来たらしい。女性の声を合図に二人はグローブとボールを片づけて、父親は停めていた自分の自転車に乗り妻と並走して川上の方へ行く。少年は駆け足で二台の自転車を追いかける。こうして一つの「家族」の日常が始まっていくのだ。「その声」は、同時に僕の出勤を促すものでもあった。走り去って行く親子を見送り、僕は支所に出勤すれば遅刻せずに間に合う。毎朝の「いつもの日常」の始まりだった‥


 僕は「キャッチボール親子」に対しては、基本的に無関係でいようと思っていた。多分市民なのだから、市の職員という立場上「無関係」という言葉が適切でないとしたら、積極的に関係を持とうとは思っていなかった。自分が深く関わることが、邪魔臭いって言うか、面倒なことになると嫌だなと思っていた。「毎朝早くから川沿いの遊歩道でキャッチボールをしている親子がいる」‥それは風景であって、自分には直接関係のない「景色の一部」なんだ。午前中の業務を終えて、朝のうちに支所の近くのコンビニで買ったサンドイッチを食べながら、そんなことを考えていると、毎日手作りのお弁当を持ってくる棚田さんという名前の嘱託のオバサンが珍しく僕に声をかけてきた。

「石丸さんは、いっつもお昼はコンビニのサンドイッチやけど、そんなんじゃアカンと思うでぇ‥」

 棚田さんは僕が食べていたサンドイッチを見ながら言った。普段は物静かで、滅多に話しかけてこないので、驚いて周りを見た。支所の会議室兼休憩室でお昼を食べているのは、僕と棚田さんの二人だけなのに気づいた。珍しく神谷課長が「お昼をご馳走する!」と職場の仲間を誘ったので、朝のうちに昼食を用意していた僕たち以外の職員はみんな外へ出てしまっていたのだ。僕が恥ずかしそうに缶コーヒーを飲もうとしていると、棚田さんがお弁当箱を持ったまま隣に来て微笑んだ。

「こんなんしかあれへんけど、良かったら食べてみぃへん?」

「あっ、でも‥いいんですか?」

「毎朝、息子のんを作った残りやから、遠慮せんかてええよ?」

「それじゃぁ‥」

 僕は棚田さんのお弁当箱をのぞき込んで、美味しそうなタコさんウィンナーを一つ摘まんで口に入れた。‥懐かしい母の香りがした。棚田さんが「もっと遠慮せんときぃ」と言うので、ブリの煮付けを一口入れた。これも懐かしい味付けだった。不意に故郷に残っている母を思い出した。そんな僕を見て棚田さんが嬉しそうに言ってくれた。

「明日から、少しやけど石丸さんのお弁当作ってきてあげるわ!」

「そんなぁ‥悪いですから、気にしないでください」

「毎朝、息子のん作ってるから、ついでやん。気にせんとってぇ‥なぁ?」

「息子さんって、まだ学生か何か‥?」

「去年の春に大学卒業してん。ずっと野球バカで、高校の時はH高で甲子園にも出場してん。そやからホンマは中学校の体育の先生になるはずやってんけど、特別支援学校っちゅうんかぁ?‥K市の学校に採用されて、毎日クタクタに疲れて帰ってくるさかいなぁ‥給食だけでは足れへんみたいやから、作ってやってんねん‥ホンマ親バカやねぇ」

「特別支援学校って、障害児が通っている学校ですか?」

「最初は毎日『わけが分からへんわぁ』言うてたわ。最近はだいぶ慣れてきたみたいやけどなぁ‥」

「大変なお仕事をなさっているんですね?‥僕なんか絶対に無理でしょうね」

「そんなことあらへん。石丸さんは、真面目に仕事してはるやんかぁ!」

「僕なんか‥目の前のノルマをこなしているだけの『税金泥棒』ですよ」

「確かにノルマをこなしているだけかも知れへんけど、石丸さんは、そのことに気づいているだけでもマシやと思うわ‥それにも気づかんと出世することばっかり考えている本庁の連中よりかは、人間的や思うでぇ」

「‥そうかなぁ?」

「もっと自分に自信持って生きやなあかんと思うよ?」

「はぁ‥」

 僕たちが休憩室で話していると、いつの間にか休憩時間が終わりかけていたらしく、神谷課長を先頭に職場の仲間が戻って来たみたいだった。そうして受付を待っていた人たちの申請書類をチェックして、交付する業務が再開されて、退屈な午後の仕事が始まった。


 定時に業務が終わり、受付のカーテンを閉ざして、僕たちはそれぞれに帰路へついた。歩いてY駅へ向かう人や僕のように自転車だったり、原付のミニバイクでそれぞれの自宅へ向かうのだ。‥こうして、僕の一日が終わる。僕はいつもの通勤コースを逆方向へ向かってペダルをこぐ。特別な用事もなかったので、僕はそのまま車道の左端をゆっくりと自転車を走らせていた。冬の間は五時になるともう日が沈み辺りは暗くなりつつあった。車の数も多くなり、歩道を行く部活帰りの中学生にも気を配らなければいので、帰り道はいつも朝よりも疲れる。‥その上、今日は大型の車両が多い。「バイパスで事故でもあったのかな?」僕は普段よりも慎重に自転車を走らせていた。その時、僕の右横を見なれない変わったバスが追い抜いて行くのが分かった。それは、路線バスでも、観光バスでもない、スクールバスだった。今まで一度も見たことのないオレンジ色のスクールバスだった。「どこかの幼稚園かな?」と思って、校名を見た。

「K特別支援学校‥?」

 僕は、それが昼間話した棚田さんの息子さんが勤めている学校のスクールバスだということに気づいて、確かめるように眺めた。生徒はもう送り届けた後と見えて、中には運転手と若い女性のスタッフらしい人だけしか乗っていなかった。不意に僕は、ノロノロ走るそのバス追いつきたくなって、自転車のスピードを上げて追いつきバスと並走した。もう生徒を降ろしたのだから、仕事も終わって、後は帰るだけだから「今日もご苦労さまでした」と心の中で言いながら車内を見た。すると驚いたことに、車内の二人は元気で楽しそうに喋っていたのだ。運転手も、真ん中の座席に座っていた二十代後半の女性も‥特に女性は身ぶり手ぶりを交えながら慎重にハンドルを握っている運転手に話しかけていた。美人‥とは、言えないけれど、笑顔が可愛い人だった。

「どうして?‥疲れきっているはずなのに?」

 僕は棚田さんの言葉を思い出していた。「毎日クタクタに疲れて帰ってくるさかいなぁ‥」‥それなのに、その女性は楽しくて仕方がないとでも言いたげな明るい笑顔なのだ。僕が中を見ているのに気づいたのか、その女性と目が合ってしまった。思わず頭を下げてお辞儀をした僕に女性がニコッと微笑んだ。

「オツカレサマデシタ‥!」

 もちろん、窓は閉ざされていたので声は聞こえなかったけれど、口の動きで女性が言った言葉は理解できた。僕は照れ臭かったけれど、左手を上げて軽く手を振った。女性も手を振って返してくれた。「バイバイ!」と‥

「なんだ?」

 僕は、不思議な気分になってしまった。特別支援学校というものが、どういう形態をしているのか何も知らなかった。いわゆる「障害児」のための学校なのだから、普通の学校よりもデリケートでハードなのだろうな‥ぐらいにしか想像できなかった。それなのに、バスの中の女性は明るく笑顔を僕にくれた。「仕事」なのだから、大変で疲れるものだ。まして身体や心にハンディを持った子どもたちを相手にするのだから、棚田さんの息子さんじゃなくても、「わけが分からへんわぁ!」と思うのが当然だと思っていた。それなのに‥

「明日、もう一度棚田さんに聞いてみようかぁ?」

 僕は先に走り去ったバスを見送りながら、「自分にとっては、たいした意味のないことなんだ」とその時は思っていたのだけれど‥


 次の朝、いつものように川沿いの「キャッチボール親子」を見送ってから、職場の支所に着くと僕の座るカウンターの席に可愛いランチボックスが置かれていた。ふり向くと後ろでパソコンと格闘(?)していた棚田さんがチラッと顔を上げて微笑んでくれた。僕は小さく頭を下げて笑った。「今日のお弁当は何かな?」と想像しているだけで、いつもより楽しい気分で仕事をすることができた。楽しい気分で仕事をしていると、時間がいつもより早く流れるようで、気づいたらお昼の休憩時間になった。棚田さんたちは、いつものように会議室兼休憩室で他の女性職員と一緒にお弁当や買ってきたランチなどを食べていた。僕もいつものように女性たちとは少し離れた窓際の椅子に座って「お弁当!」の包みを開けて食べ始めた。中には肉や野菜など栄養のバランスが取れたオカズと可愛いお握りが入っていた。窓の外では、Y駅に向かって行く人の流れと寒々とした冬の景色が広がっていた。お弁当は、「ついで」とは思えないぐらいに美味しかった。‥でも、棚田さんは、いつものように女性職員の会話に参加していて、僕のことなどには気にもとめていないように大きな声で笑っていた。手造りのお弁当を食べ終えた僕はすぐにお礼を言いたかったけれど、会話の中に入っていく勇気がなかった。「お礼は後で返す時に言えばいいか‥」とお弁当箱を丁寧に流し場で洗った。僕が夢中になって洗っていると不意に声がかけられた。驚いて振り返ると、自分のお弁当箱を持って立っている棚田さんがいた。

「どうやった。美味しかったぁ?」

「あっ、はい。とっても美味しかったです!」

 頭を下げてお礼を言うと、棚田さんは少し恥ずかしそうに「そんなに気にせんかてええよ」と僕から空のお弁当箱を受け取った。僕は、思い切って棚田さんに話しかけてみた。

「あの‥帰りに少しお話ししたいことがあるんですが‥いいですか?」

「ええけど‥なんか相談ごと?」

「‥って言うか、息子さんの仕事について、お聞きしたいことがあるんです」

「雅和のこと?‥」

「はい。‥実は昨日の帰りに偶然K特別支援学校のバスを見まして‥」

 棚田さんは、一瞬意味が分からないような顔をしたが、すぐに「ええよ。そしたら、帰りに『トランプ』で待ってるわ」と笑って、戻って行った。僕は自分が何を棚田さんに聞きたいのか、うまく話せる自信などなかったのだけれど、棚田さんの笑顔を見ていると話してみたくなったのだ。午後の仕事が終わって、後片付けを済ませて、Y駅と支所の中ほどにある『トランプ』という喫茶店のドアを開けると、夕方のせいか意外に混雑していた。すると窓際の席に座ってミックスジュースを飲んでいた棚田さんが手を振って「石丸さん、こっちよ」と合図を送ってくれた。僕は向かいの席に座り珈琲を注文した。

「すみません。お忙しいだろうに‥」

「かまへんよ。ダンナも息子も帰ってくるんいっつも遅いから‥」

 僕は早速、昨夕の帰り道での光景の様子を話してから、息子の雅和さんが言っていた「わけが分からへんわぁ!」とのギャップについて質問した。すると、棚田さんが笑いながら話してくれた。

「あぁ‥あれは、夏休みまでのことで、今は楽しいみたいやわ。疲れるのは同じみたいなんやねんけどねぇ‥」

「疲れるけど、楽しい‥?」

「今度の土曜日に一般公開の授業参観日があるから行ってみぃへん?」

「僕みたいな部外者が勝手に行ってもいいんですか?」

「オープンスクールみたいなもんやから、かまへんと思うでぇ。『百聞は一見に如かず』って言うやん?‥それに、紹介したい人もいるしぃ」

「はぁ‥?」


 次の土曜日、珍しく早起きして出かける準備をして、自転車置き場に行って少し迷ったけれど、自転車でマンションを出た。行き先が大阪や神戸だったらバスと電車を使っただろうけれど、一時間ぐらいで行ける所なら僕は自転車に乗って出かけることにしていた。車やバイクの免許も持ってはいたが、維持費を考えると自転車の方が楽だし体のためにもいいと思ったからだ。

 K市にある県立特別支援学校までは、一時間もかからないだろう。僕は、そんなに興味があったわけではなかのだけれど、成り行きというか、棚田さんから「私も行くさかい、一緒に行ってみいへん?」と誘われてしまったからだ。大学を卒業して以来「学校」と名のつく場所には行ったことがない。そもそも僕には「学校」という場所が好きになれなかった。‥別に不登校やイジメを受けた経験もないのだけれど、何故か好きになれなかった。僕は自転車を走らせながら、自分が何故学校を好きになれなかったのか、理由を考えてみた。改めて考えると意外に理由というものが見当たらない。小中高大‥学校という場所は就職するための準備の場所でしかなかったからだろうか‥?

「違うな。‥そうだ『校則』があったからだ。多分‥」

 小学校でも「○○小の約束」があったし、中学や高校では純粋に「校則」が決められていて、まるで法律のように支配されて育ってきた。別にそれに反発して問題行動をしたわけではなかったけれど、どうも「約束」とか「規則」というものに縛られた生活が苦手だった。髪の長さや服装、持ち物にまで決まりを作る意味が分からなかったからだ。「小学生らしさ」や「中学生らしさ」なんて「‥らしさ」で子どもを縛るものだから、大学に行くと、余りにも「自由」過ぎて「何をどうしていいのか分からない」‥だからバカな学生が非常識な行動をするのだ。「校則(決まり)」と「○○らしさ」が子どもたちから「自分で考えて行動する力」を奪う。勉強も授業で「教わる」ものであって、常に受け身だった。人として「覚えておかなければいけないこと」は、教わるしかないとは思う。でも最低限の「常識」だけを教えてもらって、後は自分が本当にやりたいことを追究すればいいはずなのに、そうなっていない学校‥だから僕は学校というものが好きになれなかったような気がする。大学に入るための高校や中学校、小学校‥本当に意味があったんだろうか?

 そんなことを考えながら川沿いの道路を走っていると、K特別支援学校が見える所まで来ていた。僕は一瞬「このまま引き返そうか?」と思ったけれど、棚田さんの笑顔と同時にスクールバスの女性の笑顔が思い出されたので学校の校門の前まで来てしまった。「‥どうせ、ここも学校なんだから、多分同じなんだろうな」と思いながら、何故かロックされていた門の簡単なロックを開けて中に入ってしまった。


 K特別支援学校は、確か今日が公開授業参観になっているはずなのに、何故か門にロックされていた。後で理由は分かった。自分で判断が難しい生徒が飛び出すのを防止するためらしかった。「飛び出すのがダメなら、飛び出さないように教えればいいのに‥」と思ったけれど、中に入って数分もしないうちに「なるほどな‥」と意味が分かった。学校の入り口でパンフレットが置いてあったので、それを見ると特別支援学校というものにも様々な障害による種類があって、視覚障害や聴覚障害、肢体不自由や知的障害など‥その子に応じた特別な配慮がなされていて、それに特化した専門的な教育がなされているらしい。「本校では知的、情緒(自閉症)児を対象としており‥」と後は眠くなりそうなことが書かれていたので、読むのをやめて校内を散歩するように歩いてみた。公開授業は、既に始まっているらしい。多くの参観者はそれぞれの教室の中にいるらしく、廊下には人の気配も少なかった。

 僕が校舎の廊下を歩いていると、突然教室から飛び出してくる十歳ぐらいの女の子が走って来た。ビックリして見ていると女の子は僕が手に持っていた学校のパンフレットが気になったらしく、目の前で立ち止まってパンフレットを捕ろうとした。別に必要なものでは、なかったけれど僕が困惑していると教室から少女を追いかけて来た男性が少し怖い顔をして少女に「ケーちゃん、ダメでしょう?」と半ば強引に手を引いて嫌がる女の子を教室に戻しつつ僕の方に顔を向けて「すみませんでした」と謝罪した。僕は「別に‥いいんですよ」と微笑んだ。廊下に一人残された僕は「やっぱりな‥」と思った。「やっぱりここは学校なんだな」という気持ちになった。あの女の子は、きっと教室で注意されるか叱られるんだろう‥公開授業なんだからあからさまに怒られるようなことがないとしても‥別の教室の中を観てみると数人の児童が真面目にパズルのような教材に取り組んでいた。さっきの女の子のように勝手な行動をすることもなく、「見て下さい。ちゃんと授業をしているでしょう?」とでも言いたげな教師の顔が自慢げに微笑んでいた。少しうんざりした気分で二階に上がることにした。パンフレットによると一階は職員室や保健室と初等部、二階には、中等部と高等部、それに作業室や遊戯室などがあるらしかった。僕は昨日棚田さんから聞いていた中等部Aにいる筈の雅和さんの教室を探して歩いていると、「作業室」と表示された教室から何だか分からない織物の束を両手で抱えた女性教師らしき人が出てきたので「この人に訊いてみよう」と思って、近づこうとしたら窓の外を見た女性が抱えていた織物の束を僕に渡して叫んだのだ。

「これ、お願いっ!」

 そう言うと、走り出して階段を降りて行ったのだ。たくさんの織物の束を渡された僕は「なんだ?」と思って、彼女が見た窓の外を見て驚いた。校舎の隣に設置されていたプールの中にどうやって入ったのか分からないが、初等部と思われる男の子が水面を眺めて今にも入水しそうだったのだ。今は冬だから水面は緑色に変色していた。もし男の子が落ちてしまったら、命に関わる事故になるだろうということは、素人の僕にでも分かった。どうやら男の子は風に吹き飛ばされた風船を取ろうとして、担任の目をすり抜けてプールに入り込んでしまったらしい。異常に気づいたのか、静かだった一階が急にざわつき始めた。何人かの職員が気づいてプールへ駆け寄ったが、入口の金網のドアは閉ざされていたので外から声をかけるだけだった。‥でも、男の子には「その声」は、まったく届いていなかったようだった。男の子は夢中で風船に手を伸ばしていたけれど‥

“ドボン!”

「きゃーっ!」

多分母親だろう女性の悲鳴を無視するように、さっきの女性が駆けつけ、そのまま金網を上ってプールサイドに跳び降りて、近くにあったバケツに水を汲んで頭から全身に水をかけ、ジャージを着たままプールに飛び込んだのだ。女性は誤って落ちて溺れそうな男の子の所まで泳いで、背後から男の子を抱えてそのまま泳いでプールサイドにまで助けたのだ。やがて鍵を持った教頭らしき職員がドアを開け、バスタオルを女性に渡した。女性は自分の身体よりもバスタオルで男の子を包み込んで抱き上げ、そのまま校舎の方へ歩いて行ったのだ。僕はその一部始終を二階の窓辺で見ていることしかできなかった。

僕が階段を降りて預かった織物の束を返そうと行くと、騒ぎに駆けつけた職員たちに混ざって、ちょうどその女性が保健室に男の子を運んで出てきたところだった。女性は僕が抱えていた織物の束を見て気づいたらしく、軽く微笑んで隣にいた若い男性教師らしき人に声をかけてくれた。

「マサさん。荷物をこちらの方に預かってもらっていたから、受け取ってあげてくれない?‥貴方それ、何に使ってもいいからさ‥」

「はい!」

 マサさんと言われた男性は、僕に頭を下げて「ご迷惑をおかけしました」と受け取り、微笑んだ。僕は瞬間的に「貴方は‥もしかして、棚田さんですか?」と声をかけてしまった。笑顔が同僚の棚田さんに似ていたからだ。

「そうですけど‥あっ、もしかして貴方が石丸さんですか?」

「はい。お母様に誘われてのこのこやって来ました」

「なぁんだ。マサさんの知り合いだったの?‥あれっ、確か貴方はあの時の‥?」

 女性はびしょ濡れのジャージ姿のまま僕を見た。僕は一瞬戸惑ったけれど、その女性がスクールバスで僕に笑顔をくれた人だと気がついた。「オツカレサマデシタ‥!」の言葉を思い出して笑うと、彼女は少し恥ずかしそうに笑顔で「こんな格好じゃ、恥ずかしいから着替えてきます。‥また後で」と更衣室の方へ向かって行った。

「山口先生が恥じらうなんて珍しいなぁ‥」

 棚田雅和さんが不思議そうに山口先生と言った女性を見送りながら僕の顔を改めて見て「母がいつもお世話になっています!」とまた頭を下げた。それから受け取った織物の束を抱えたまま、「‥あのぅ、すみません。次の授業があるので‥」と小走りに去って行った。それから何事もなかったかのように、次の授業が始まった。K特別支援学校には、チャイムというものが鳴らないらしい。再び手ぶらになった僕は、とりあえず棚田雅和さんの授業を観るために来たのだという本来の目的を果たすために再び階段へ向かった。

 中等部Aの教室は二階の奥の方にあった。僕はその教室でも驚きの再会があったので、「これは奇跡かぁ?」と思った。何故なら担任は当然のことながら、棚田さんの息子の雅和さんだったのだが、授業を受けている生徒の中に僕のよく知っている彼‥川沿いの遊歩道で毎朝キャッチボールをしていた少年だったからだ。

「えっ?‥彼はここの生徒だったの?」

 少し変わってはいたけれど、どこにでもいる普通の野球少年だと思っていたので、彼が何らかの障害を抱えていたんだということが驚きだった。そう思いながら教室の中にいる参観者を見てみると、多分あの父親らしき男性の隣に隠れるように母親が立っていた。父親は鋭い視線を少年に向けていた。担任の雅和さんは、僕を含めた参観者の方は見ないで四人の生徒に笑顔で話しかけた。

「今から授業を始めたいんだけど、実は先生が事前に用意していた写真を使って授業をするつもりでいたんですが、さっき廊下で会った先生のお母さんと同じ仕事をしている石丸さんという、そこの男の人からもらったさをり織があるんですが‥」

 雅和さんが、急に僕へ右手を差し出して微笑んだので、生徒たちや他の参観者が一斉に僕を見た。戸口に立っていた僕は照れ笑いしながら頭を下げた。僕はただ山口という女性教師から預かっただけなのに、彼は構わず続けた。

「写真とこっちと、どっちがいいですか?」

 生徒たちが皆「さをり織」の方がいいと選んだので、雅和さんは「それじゃぁ仕方ないなぁ」と一人ずつに織物を配った。生徒たちは自分が好きなものを受け取って嬉しそうにしていると、前に戻った雅和さんは提案した。

「今みんなが持っている織物を使って、好きにしていいから何かに変身させて発表会をしてみませんか?」

 みんなは、喜んで賛同して、夢中になって何かを作り始めた。生徒たちの瞳の輝きが、一階の初等部にいた子どもたちと全然違っているのが不思議だった。

そう思って雅和さんを見たら少し困ったような顔をしていたので、彼の視線の先に例のキャッチボールの少年だけが、固まって動かなくなった玩具のように、じっと織物を見つめていた。「焦るだろうなぁ」と思って雅和さんを見てみると、早速固まった少年の傍に行って、机の横に立って声をかけた。

「守君、どうしたの?‥やりたくないんですか?」

 他の生徒がマフラーや帽子、ドレスみたいなものに変身させて浮かれているのに、守君と呼ばれた少年は相変わらず動こうとはしなかった。焦った雅和さんが「織物は嫌いかな?」と取り上げようとした時、小さく呟く声がした。

「違うの。マサさん、待っててあげて‥」

 いつの間にか、着替えを済ませて様子を見に来ていた山口先生が隣にいた。守君は、織物を取り上げようとした雅和さんに対して初めて抵抗した。奪い返すと、それをクシャクシャと小さく丸め始めた。そして机からセロテープを出して丸まった織物にテープを張り付けていったのだ。「ボール?」と思った。

 驚いて立ち上がった雅和さんを無視して守君はキョロキョロと誰かを探すような素振りだった。そして、教室の後ろにいた父親を見つけると、その「ボール」を思い切り投げたのだ。父親は黙ってそれをキャッチした。

「ストラ~イク!」

 まだ髪が濡れたままの山口先生の叫ぶ声が中等部Aの教室に大きく響いた。


「あの時‥何故プールに飛び込んだんですか?」

「ケンちゃんを助けられるのは、私しかいないと思ったからよ」

「真冬のプールに飛び込むなんて‥心臓麻痺で死んでたかもしれませんよ?」

「他の人なら‥その可能性があるけど、私は寒中水泳っていうか、空手を習っていて、寒稽古で真冬でも海に入ってやってるの。‥それに、飛び込む前にまずバケツで全身に水をかけて、身体を水温に慣れさせたわ。貴方も見てたでしょう?‥それに‥」

「‥それに?」

「それが、私の仕事だから‥かな。私たちは保護者から大切な命を預かっているのよ。死んでも構わない命なんて一つもないわ!」

 公開参観授業が午前中で終わって、僕は「山口香里」と名乗ったあの女性教師に誘われ、校舎の屋上で話すことにした。山口さんが何故フリーなのか、尋ねたら「生徒がインフルエンザでダウンしちゃって学級閉鎖ってわけ」と説明してくれた。僕が二人きりなのを気にしているのを察したらしく「マサさんにも声をかけているから‥」と言い、昼食も一緒に食べるように言ってくれた。午後からは体育館で講演会が予定されていた筈なのだが‥

「あぁ、あれね‥興味がないわけじゃぁないんだけど、聞くべきなのは、私たちじゃなくて医療機関の人たちだと思うのよね。‥だから参加しないつもりなの」

「そんなことしてもいいんですかぁ?」

「そりゃ、きっと怒られるでしょうけれど、そんなこと別に気にしてないわ」

「僕は部外者なので、どうでもいいんですが‥」

「それよりさぁ‥今日のマサさんの授業を観て貴方はどう思った?」

「どう‥って言われても、僕は専門外だし。‥それより、どうして、あんなこと言ったんですか?」

「あんなこと‥?」

「違うの。マサさん、待っててあげてって‥」

「‥あぁ、彼さぁ、絶対に素晴らしい教師になれると思うの。だから、つい応援したくなっちゃうのよねぇ。‥あの時、守君は動かなかったんじゃなくて、きっと考えていたんだと思うのよ。先生の与えた課題に対して真剣に‥」

「僕には、良く分からないけど、なんとなく僕も同じようなこと思ってました。雅和さん焦らないでって、思ってました」

「やっぱりぃ?‥貴方も私やマサさんと同じタイプの人なのね?」

「同じタイプ?」

「人間って二通りだと私は思っているの。『気づかないタイプ』それと、『気づけるタイプ』の二つのタイプに分けることができると思わない?」

「僕が気づけるタイプだと、思うんですか、貴方は‥?」

「ええ」

「嬉しいですが、それは、多分貴方の買い被りですよ。第一貴方は僕のことを何も知らないでしょう?」

「‥確かに私は貴方の何も知らないわ。でも、偶然貴方をスクールバスの中で見かけた時に感じたのよ。貴方はマサさんと同じ目をしてたわ」

「同じ目‥ですかぁ?」

 その時、「バスを間違えて迷子になっていた!」棚田さんと、授業の片付けと子どもを送り出していた雅和さん親子が屋上にやって来た。「やっぱりここでしたかぁ!」

それで、僕たちは四人でお昼ご飯の「棚田さん弁当」を食べた。棚田さんは、僕の分も山口さんの分も作っていた。

「どうして四人分作ったんですか?」

「きっと山口先生ともご一緒するだろうって思ったからよ?」

「女の勘を甘く見ない方がいいわよ。ねぇ、笑子さん?」

「エミコさん?」

「あら、貴方は自分の同僚の名前も知らなかったの?」

「男なんて、そんなもんよ。香里さん」

「あっ、それより山口先生。校長先生が探していらっしゃいましたよ?」

「いいのよ。どうせお説教か、ケンちゃんママからのお礼だろうから‥」

「お礼なら分かるけど、お説教ですか?」

「ケンちゃんの担任にしてみれば面目丸潰れでしょう?」

「なるほど‥」

「山口先生は、午後からの講演会は、やっぱりパスされるんですかぁ?」

「うん。‥それよりマサさん。前から言ってるけど、私のことを『先生』って呼ぶのをやめてくれない?」

「はい‥でも、みんなが言っているから‥」

「みんな?‥みんなって誰?‥『自分は偉い』って勘違いしている、あんな人たちみたいに貴方もなりたいわけ?」

「そんなことありません。でも‥」

「子どもたちの前では、ともかく‥私たちは同じ職場で働く仲間でしょう?」

「でも、『先生』がダメなら、せめて『師匠』と呼ばせて下さい!」

「師匠?‥なんか落語家みたいねぇ‥でも、師匠なら案外‥例えば、優司さんなのかかもしれないわよ?」

「ええっ?」

 山口さんが僕の顔をチラッと見て笑ったので、僕の方が驚いて声を出してしまった。棚田さん親子も驚いたように僕を見た。

「僕なんか、何も知らないただの市の職員ですよ。専門的な知識も技術もありませんよ!」

「優司さんなら、どうしたと思うの?‥今日のマサさんの授業を見て‥」

「僕なら‥ですかぁ?」

「うん。貴方がもしマサさんの立場だったら、あの時どうしていたか‥想像してみて?」

「そうですねぇ‥?」

 急に話しを振られたので、僕はしばらく考えてみた。「自分ならどうしていたか?」‥僕は守君の毎朝のキャッチボールの風景と棚田さんのお母さん‥笑子さんとの話を思い出しながら、青空に笑う守君の笑顔を思いながらゆっくり話し始めた。

「僕は教師でもないただの部外者です。それに僕は『学校』というものが本来嫌いだったので、本末転倒で無茶苦茶なこと言うかもしれないけど‥」

 そんな僕の話しを雅和さんは真面目な顔で聞いてくれた。山口さんも面白そうな顔で聞いてくれた。

「雅和さんは、確か甲子園に出場した経験があるらしいですね?」

「はい。H高の野球部で、控えのキャッチャーでしたが、一応ベンチには入れてもらいました。レギュラーの正捕手がホームでのクロスプレーで怪我をしたので、負けた試合の最終回にだけ出場させてもらいました」

「そのことを守君は、知っていますか?」

「いいえ。彼は人と話すことが苦手なので‥僕なんかの話しを聞いてもくれませんから‥」

「守君もかつての貴方と同じように毎朝、お父さんと川の土手の遊歩道でキャッチボールをしているのをご存知でしたか?」

「守君が毎朝‥お父さんと?」

「あの時、あの授業で貴方は『今みんなが持っている織物を使って、好きにしていいから何かに変身させて発表会をしてみませんか?』って言いましたよね?」

「はい‥」

 雅和さんの顔がだんだん真剣になってきた。同時に山口さんも‥

「織物をボールに変身させた守君は、本当はお父さんを探していたんじゃなくて、自分の投げるボールを受けてくれるキャッチャーを探していたんじゃないんでしょうか?」

「あぁ‥」

  雅和さんは、声をもらし空を見上げた。隣で僕の話しを聞いていた山口さんが雅和さんの肩を叩いて「ほら、優司さんは、立派な貴方の『師匠』じゃないの!」と笑った。

「障害児教育ってさぁ、専門的な技術や知識が問題なんじゃなくて、相手の心に寄り添う気持ちが大切なのよ。今優司さんの話したことを肝に銘じてやればいいのよ」

「僕は‥間違っていました。この学校に配属が決まった時に、自分の野球人生は終わったんだと勝手に思い込んでいただけなんですね?」

「そうよ。私は今まで貴方に、そのことに気づいて欲しかったのよ。貴方の人生はまだ始まったばかりなんだから、つまらない科学的なデータを羅列するような講演会よりも、素敵なことに気づかさせてくれただけ、意味があると思わない?」

 大きく頷いた雅和さんの瞳が輝いているのを確かめるように山口さんは微笑んだ。それから今度は僕に話しかけた。

「優司さん。無茶振りしちゃって、ごめんなさい。でも、私がマサさんに伝えたかったことを教えてあげてくれて、本当にありがとうございました!」


 僕たちはその後、晴れた屋上で他愛のない談笑していた。別れ際にお互いの携帯電話の番号とメールアドレスを交換してから、K特別支援学校を後にした。僕が自転車を押して校門を出ようとした時の山口さんの言葉を忘れなかった。

「‥貴方とは、長い付き合いになりそうね?」

 その日の夜に雅和さんから電話が入った。今日のお礼の後で、彼が相談してきた。

「僕は、来週から守君とキャッチボールをしようと思うんですが、きっかけが難しくて‥」

「まず、甲子園の土を見せて触らせてあげればいいんじゃないかな。野球少年にとって『甲子園の土』は、それこそ憧れだから‥」

「さすが師匠だ。それ、いただきます!」

「おい。僕はまだ君の師匠なんかじゃないよ?」

 大笑いして、電話を切った。しばらくして香里さんからメールが届いた。

「今日は、本当にありがとうございました。貴方にどうしても聞いて欲しい歌があったので、ファイルを添付しておきます」

 添付されたファイルには濱守栄子という岩手県出身のシンガーソングライターの「キセキ」という曲が入っていた。パソコンで歌手を検索すると可愛い女性の写真が映っていた。どこか、香里さんを思い出させるような優しい瞳だった。

「当たり前だと思っていたことが、本当は奇跡だったんだよ‥?」

 そんな内容の歌詞を聞いていると、なんとなく今まで「退屈だな」と思い込んでいた自分の心が洗われるような気がした。つまらない「日常生活」の大切さを教えてくれているような気がした。

 次の週から、僕の生活は少しずつ変わっていったような気がした。具体的に「何がどう変わったのか」を説明するのは、難しいんだけれど‥

「なんか石丸さん、変わったねぇ‥?」

 職場の仲間から言われるたびに、「そうなのかなぁ?」と思うのだ。言われてみれば、確かに仲間の雑談にも加わるようになったし、以前よりも少しだけ明るくなったような気がする。棚田さんとも隠れて話すようなこともなくなった。寧ろ笑子さんが「石丸さんはウチの息子の師匠になってくれてん!」と職場で宣伝してくれたからかもしれない。

 毎朝の「キャッチボール親子」に対しても、「小林さん親子」として、自分から挨拶するようになった。‥もちろん、守君は僕のことなどを相手にしようとはしなかった。でも、母親の沙絵さんとは自分のことを話してからは、いつも挨拶するようになっていた。父親の健司さんとは、軽く会釈する程度だったんだけれど‥僕は、それが問題ではないと思っていた。「心を開いて相手に寄り添えば、時間がかかっても必ず伝わる筈よ」という香里さんからのメールが僕を後押ししてくれたのかもしれない。

 ‥でも、だからと言って僕の生活が一変するようなことはなかった。支所での僕の仕事ぶりは、相変わらず平凡な公務員としてのノルマを果たしていくだけの日々を変化させるようなことはなかったからだ。


 そんな僕を大きく変えたのは、それから数週間経った二月の下旬のことだった。僕の自宅に届いた一通の手紙が僕の心に響いたのだ。差出人の「小林沙絵」という文字を見た時に、僕はそれが「誰だ?」と思った。‥それが、あの守君の母親からだったと読んで理解した。    

手紙にはまずお礼から始まっていた。『担任の棚田先生が、参観日以降急に変わられ、守も非常に安定してきたので、理由を尋ねたら貴方様からのアドバイスのお陰だと言われ、感動してお手紙させていただきました‥』と書かれていた。『守は、四年生の夏まで普通校に通う普通の野球少年でした。‥ですが、夏休みになったある日、突然高い熱を出して寝込んでしまいました。後で分かったことなのですが、あの子はウィルス性の気管支炎を起こし、それが原因で髄膜炎になってしまったのです。私も父親も判断を誤り「ただの風邪だろう」と思い、解熱剤で熱を下げてしまっていたのです。「喉が渇いたよ‥」それが守の最後の言葉になったんです。半年間生死を彷徨った後でなんとか退院することができました。奇跡的に守の命は取り留めましたが、「知的障害」という後遺症を残して、現在のK特別支援学校に転入することになりました。私たち夫婦は後悔と申し訳なさから、守のために生きていく決意をしました。幸い「知的な障害」は、背負いましたが、運動機能は残されていましたので、息子が好きだった野球のキャッチボールの相手を毎朝決まった時間に父親と一緒にすることになりました。守は、父親とのキャッチボールを続けることで、自分の存在を証明しようとでもするかのように、どんな悪天候の日でも河原の「あの場所」へ行こうとしていました。もう五年以上それは、続いています。そんな私たち親子の姿を貴方様がずっと見守ってくださり、棚田先生に素晴らしいご助言をしていただいたことに心よりお礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。小林守の母、沙絵‥』

長い手紙を読み終えた僕は、しばらくの間動けなかった。僕が何気なく雅和さんに言った一言が守君ばかりか、彼のご両親にまで大きく響いていたなんて‥

僕は、手紙を持ったまま「何かしなければ‥」という思いで香里さんに電話をした。僕の話しを黙って聞いていた香里さんは、言った。

「貴方を無理やり『ゲーム』に参加させてしまったのは、私かもしれないから、それは謝ります。‥でも、貴方が守君の投げようとしているボールに対して、どうするのかは私が決めることじゃないわ。決めるのは、貴方自身だから‥」

「僕自身?」

「私は、貴方を信じているわ。貴方なら、きっと素敵なボールの受け方をしてくれるって‥」

「僕は、どんな答えを出せばいいと思う?」

「それは‥きっと貴方自身の中にあると思うわ」

 相変わらず禅問答のような言い方しかしない香里さんに、少し閉口したけど、僕は雅和さんに続けて電話した。彼に手紙のことを話すと「やっぱり手紙が来ましたかぁ、なんか師匠まで巻き込んだみたいで、スミマセン」と軽快な答えが返ってきた。

「それで、‥守君はどんな感じなんだい?」

「ええ。お陰さまでいい感じです。‥ただ」

「ただ?‥ただ、なんだい?」

「なんて言えばいいのか分からないんですが、イマイチ僕を本当の担任として認めてもらってないような気がするんです‥」

「それは辛いね‥」

「なんかいい方法ないっすかぁ?」

 雅和さんは、いつも僕にボールを投げて来る。僕は「自分で考えろ!」と答えようとしたけれど寸前に、今日の午後職場に来ていた本庁の職員が話していたことを思い出して雅和さんにある提案をしてみた。

「今度の日曜日って、忙しいかい?」

「日曜日ですかぁ?‥日曜は、多分大丈夫です」

「それじゃぁ、まだ確定はしてないけど、小林さん一家にも予定ないか聞いておいてくれないかい?‥後、ついでに山口さんにも‥」

「何かやるんですか?‥バーベキューとか?」

「バ~カ。そんなんじゃないよ。‥でも、野球の用意だけはしておくんだね」

「えっ?‥日曜に野球の練習ですかぁ?」

「違うよ。詳しいことが決まったら、また連絡するから‥」

 僕は、自分がどんどん雅和さんに巻き込まれていくような気がしたんだけれど、決して不愉快ではないと思った。そして、その提案が思いもかけない結果を招くチャンスになったのだ。ほんの軽い気持ちで言ったことなのに‥

 次の日、僕は昼休みに本庁へ電話をかけた。相手は昨日うちの支所に来ていた知り合いだった。確か昨日話していたことが思い出されたからだ。

「‥なぁんだ、石丸かぁ。どうしたんだい?」

 本庁の連中は、相変わらず僕たち支所の派遣職員をバカにしたような声で応えた。だけど、今日の僕はそんなことをかまわないで本題に入った。

「昨日さぁ、うちに来て言ってたよなぁ。『日曜の試合のバッテリーが二人ともインフルエンザで困っているんだ』って‥?」

「あぁ、言ったよ。本当に困ってんだ。お前代わりに出てくれるの?」

「僕じゃないよ。‥そのチームって何か出場資格っていうか決まりがあるの?」

「決まり‥?」

「年齢制限とか、プロはダメとか‥」

「十五歳以上の市民なら、特に制約はないけど‥」

「それじゃぁ、K市の特別支援学校の生徒で中等部三年の生徒と先生でも、うちの市民なら構わないんだな?」

「そりゃぁ、構わないけど、‥障害児かぁ?」

「そうだけど、うちの市民で野球も上手い。キャッチャーは元甲子園経験者なんだ」

「‥でも、障害児なんだろう?」

「あのさ‥今、お前が言ったことをそのまま市長に告げ口してもいいかい?」

「わ、分かった‥分かったよ。詳しいことは後でメールを送るから、市長にだけは黙っていてくれよ!」

「冗談さ。それより、特別支援学校の生徒が野球にチャレンジするなんて、市長に話したら寧ろイメージアップになると思うよ」

「‥なるほど、リスクをチャンスに変えるのかぁ」

「教育熱心な市長だから、きっと面白いことになるかもな‥」


 その日から、急に僕は多忙になった。守君を草野球とは言え、試合に出させようという計画の準備をするためだった。まず棚田笑子さんに計画を話して、協力を求めた。僕が説明すると、笑子さんは「全面協力しますぅ!」と言ってくれた。話しを聞いていた職場の仲間も興味を持ってくれて、「なんか、よう分からへんけど、お祭りみたいで面白そうやねぇ!」と賛同してくれた。「私らも応援に行ってもいい?」と言ってくれる人もいた。僕は「どうせなら、イベントにしちゃおう!」と思っていたので、昨夜のうちに作っておいた企画書を手直しして、午後から休みを取ってK特別支援学校に行き、まず雅和さんと香里さんに見せ、了解を得た後、学校長に趣旨を説明して賛同を得ることにした。だが‥

「休日に個人的に出場するなら、構いませんが、学校としては責任が持てません‥」

 校長が渋ったのだ。確かに校長先生の言うことも分かる。「もしかして、試合で守君が怪我をしたり、誰かに怪我をさせてしまったとしたら、大変なことになってしまう‥」僕が答えに戸惑っていると、香里さんがバンッ!‥と部屋の机を叩いて叫ぶように言った。

「責任、責任って、そんなことばかり言っていたら、何も始まらないじゃないですか!‥学校に責任なんか取ってもらうつもりは、ありませんよ。責任なら、私が取ります!」

 香里さんが怖い顔で校長を睨んだので、校長は「分かりました‥」と承諾してくれた。後で、その時のことを彼女に訊いたら「失敗を恐れて何もしないよりも、失敗しても次のやり方を考えた方が素敵だと思ったからよ」と笑った。それから真面目にこう付け加えた。

「貴方がやろうとしていることは、確かに無謀で無茶な試みかもしれないわ。‥でも、結果なんて問題ないんじゃない?‥後は、貴方が投げたボールをマサさんがどう受け取るかだと思うの。しっかりと見守ってあげましょうよ‥ね?」

「‥そうですよね。僕は校長先生から『責任』という言葉を聞いて一瞬迷いましたが‥」

「障害者だから無理、女には不可能‥そんなふうに、『できない言い訳』ばかり数えていたって何も始まらないわ。『できたらいいな。できるかもしれない』‥そうやって可能性を探しながら生きて行く方が楽しいじゃない。私が貴方に贈った『キセキ』っていう歌が、そう教えてくれたわ。だから、貴方のアイデアを応援したくなったのよ?」

「だからって、『責任なら、私が取ります!』にはビックリしました」

「あぁ、あれは‥つい、流れに乗ってしまって‥」

 そう言いながら俯いた香里さんが「可愛いな」と思った。


 たかが、草野球の試合に出場するだけなのに、やらなければいけないことがたくさんあった。まず、小林さんの家庭に伺ってご両親の了解をもらわなければいけなかった。それは、直接雅和さんが家庭訪問をしてすぐに「OK」を貰った。それから、万が一の怪我などに備えるための保険にも加入しておかなければいけない。それは、本庁の仲間が手続してくれた。守君に、当日試合をする会場の事前の下見は香里さんがやってくれた。試合の後のご飯などの準備は、笑子さんを中心にして支所の女性職員たちが引き受けてくれた。それなのに、言い出しっぺの僕には特にすることがなかった。「僕にしかできないことって何だろう?」僕は前の日の夜に布団の中で考えてみた。そして、あることを思いついて、布団から出て着替えて近くのコンビニへ向かって買い物に行った。それから‥

 試合当日の天気は快晴だった。会場の河川敷公園には、僕の想像を遥かに超えた応援団が来てくれていた。僕が自転車を所定の位置に停めると真新しいユニホームに着替えた雅和さんが駆け寄ってきた。

「優司師匠、遅いっすよ~!」

「すまん、すまん。昨夜ちょっと久しぶりに工作をしていたんで寝過ごしちゃった」

「工作ぅ?‥しょうがないなぁ‥」

 僕が照れて笑っていると、向こうから雅和さんを呼ぶ声がした。ピッチャーのウォーミングアップをするためだ。草野球の試合と言っても地区大会の決勝戦だったので、会場にはたくさんの応援団や見物客が来ていた。話しを聞きつけた市長まで顔を見せていた。守君のご両親が心配そうに見ていた。肝心の守君はいつもと変わらない顔をしていたけど、心の中までは、分からなかった。


 試合開始時刻になったので、審判が出てきて両チームが整列して、礼をして主審が「プレーボール!」と大きな声で開始を告げた。相手のチームの誰かが守君のことを知っていたらしく「相手は障害者のピッチャーだ!」と軽蔑するような野次を投げてきた。けれど、いざ試合が始まってみると守君の剛速球を打てる打者は一人もいなかった。八回裏まで、誰一人として、守君の投げたボールにかすることもできず、三振が続いていた。

「もしかして‥完全試合?」

 僕がスコアを見ながら呟くと香里さんが「シッ!」と言った。「守君はともかく、マサさんに気づかれちゃうわ」と香里さんが耳元で囁いた。確かに‥マサさんにしてみれば、自分の出た試合で受けるピッチャーがパーフェクト試合を達成するかもしれない‥しかも、それが自分の教え子だとすると、当然緊張するものだ。知らない方がいいに決まっている。

 試合は九回表に得点した我がチームが俄然有利の筈だった。こちらの攻めが終わって守備に着こうとした時、誰かが思わず口にした言葉で雅和さんの顔色が変わった。

「守備ったって、ボールが一度も飛んで来ないんだぜ~勝ったも同じさ‥」

「えっ?」

 雅和さんが僕の顔を見た。彼はすぐに顔面蒼白になった。僕は、彼に近づいた。

「自分を信じるんだ。そして、守君を信じてあげるんだ。‥それが、君の仕事だ」

「はい‥」

 だが、雅和さんは、明らかに動揺していた。最初の打者は三振に打ち取った。だが、雅和さんの返球には力が入ってなかった。「後二人‥」と僕は心の中で祈った。だが、僕以上に雅和さんがそう思っていた筈だ。二人目の打者に対する三球目‥

「うぉ~!」

 なんと、甲子園経験者であった筈の雅和さんがまさかのパスボールで打者は、振り逃げでファーストへ到達してしまったのだ。相手チームは大いに盛り上がった。僕は、右手を上げて主審に「タイム!」と言い、雅和さんの傍に駆け寄った。

「すみません‥つい、緊張しちゃって‥」

「勝ち負けや、記録のために試合をしているのか?」

「ええっ?」

「雅和!‥守君の担任は誰なんだ?‥彼の投げた球を正面から受け止めるのがお前の仕事じゃないのか?‥それとも、お父さんに代わってもらうか?‥今ここで、自分で決めろ!」

「‥僕に、僕に受け取らせてください!‥僕に‥」

 僕は、雅和さんの肩をポンと叩いて試合を再開してもらった。そうだ。「結果なんて問題なんじゃぁないんだ!」僕は食い入るように試合を観ていた。隣に座っていた香里さんが僕の手を強く握っていた。だが雅和さんの涙を見た守君の方が敏感に何か感じたようだった。次の打者への一球目は、それまでの力のある速球とは、明らかに違っていた。打者はそれを見逃さなかった。

“カッキ~ン!”

 打球はピッチャーの胸元を目掛けてライナー性に飛んだ。「危ないっ!」僕は思わず叫んでしまった。普通のピッチャーならボールを避けて逃げ、打球はセンター前に抜けていくだろう…だがもし、打球が守君の身体に直撃したとしたら‥

 だが、次の瞬間球場にいた誰もが想像していなかった光景を目撃させられたのだ。守君は、自分に向かって飛んできた打球を身体全体で受け止めてしまったのだ。そして、普通ならノーバウンドで捕球したのだから、ファーストへ投げればゲームセットになる筈なのに、彼は受け取った打球をそのままキャッチャーである雅和さんに向かって、あの剛速球で投げ返したのだ。唖然と見ていた僕たちを無視するように、雅和さんは正確にファーストへ投げて、飛び出していたランナーは一塁ベースに戻れなかった。

「アウト~!‥ゲームセット!」

 次打席にいた選手も、相手チームの全員が、いや、その試合を観戦していた全員が素晴らしいバッテリーに惜しみない賞賛の拍手と歓声を贈ってくれた。


 野球の試合の後、河原でみんなバーベキューをして食べた。チームの全員から感謝の言葉をもらったけれど、本当は僕の方がみんなに感謝したいぐらいだった。僕は鞄の中から昨夜自分で作った手製の金メダルを出して、守君の首にかけてあげた。試合の後、勝っても負けても守君の首にかけてあげようと思って自分で色紙と厚紙で作ったものだ。彼はそのメダルを嬉しそうにみんなに見せた後で、はずしてお父さんの健治さんにかけようとした。だが、健治さんは、嬉しそうに頷いてから「渡す相手が違うだろう?」と言った。すると守君は「分かった!」と言うように雅和さんの所へ行き彼の首にそのメダルをかけたのだ。ずっと泣いていた雅和さんの肩をポンと叩いて僕は言った。

「これで、やっと君も守君の担任として本当に認めてもらえたようだね?」

「はい!‥本当に、ありがとうございます!」

 暖かい拍手がいつまでも続いていた。いつまでもいつまでも、僕たちの心に響いていた。


 ‥あれから、三年の月日が流れた。僕は相変わらず毎朝、自転車に乗ってY駅近くの市役所支所へ通勤していた。‥でも、少しだけ変化していることがある。僕の部屋の窓辺に、あの試合の後、選手や応援で参加しに来ていた全員で撮影した記念写真が飾られていたことだ。それと‥ついでに、その写真の隣にもう一枚寄り添うように写真が飾られている。僕と香里さんがグラム島で正装して、美しい海を背景に二人並んで写した笑顔の写真だ‥



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