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神のみぞ知る先の世  作者: 握り飯太郎
2/19

出会い

「天子、あんたは天からようやく授かる事が出来た子だよ」


 まるで絵巻物のように……シュルシュルと懐紙をすり合わせるような音を立て、右から左へと今までの懐かしい思い出が流れて行く。そして天子を中心として周りの景色が構成されて端から色付き始めた。


(ああ、きっとこれは夢ね)


 風が吹くと少しの肌寒さはあるが陽射しの強い季節、新緑の木々が生い茂る初夏の日。


 まだ私が守られていた時の記憶。

 あの人達がいなければまともに乳を飲む事も、自分の排泄物さえ処理出来ない時の記憶。

 世界に沢山の色が溢れすぎて目がチカチカと眩しくて、全てが私にとっての始めての経験。泣いて呼べばあの人達は私の元に来て優しく抱き上げてくれる。

 何時も傍には温もりがあった時。


(温かい……この世が温もりで出来ていると信じていた時ね。ああ、でもそれ以上は駄目。せっかくいい心地なのにそれ以上は進んではいけない)


 あの人達が天から私を授かったのではない。


 耳心地の良い子守歌も、頭をまるで壊れ物に触るように恐る恐る撫でる、そんなゴツゴツとした骨張った手も。


 これを糧にこれからを生きよと私が天から授かったに違いない。


「天子、後ろを振り向くなよ。手で目を覆ってもう良いと言われるまで開けてはいけないんだ」


 私が十四回目の秋を迎えるその時。

 父ちゃんと呼んでいたその人に、手を引かれて山の奥深くに連れて行かれるとこの言葉を言われた。

 その時、おつむが能天気な私は名前を呼ばれて顔を上げた先に、その人によって摘まれたススキが眼前に広がっているに違いない……そう思って疑う事なく律儀にずっと目を手で覆ってしゃがみこんだ。


「えへへへへ、父ちゃん! もーいいか~い?」


 どれだけ呼んでも、私はもう良いと言われる事は二度となかった。



「……あ……」


 狭い箱庭から掬い上げられるように、フワリと意識が浮いて行くのを感じると、重い瞼を薄っすらと開く。


 天子は目を閉じれば行く事の出来る、心も身体も軽い世界から、重みのある世界へ連れ戻された。


「おっ……丁度いい時に起きたのう。腹の虫に起こされでもしたか? 深く寝入っていたのに」


 仰向けの状態で目に飛び込んで来たのは、凹凸の激しい岩や土が固まった天井だった。自分が寝ている所は洞窟の内のようで光が少なく、意識をして見なくては指先が闇に溶け込み見えなくなってしまう、そんな暗さの中でパチパチと火が爆ぜる音が傍から聞こえた。

 天子は不明確な意識で首を動かして声の主を見る。


 そこには先程は全裸で出会った男が自身の腰を降ろすには丁度いい大きさの岩に座って、火に折った枯れ枝を放っていた。

 最初に出会った時と違い今は深緋こきあけ色の着物を羽織り、裾から燃えるように黒い染料で染められた白い袴を履いて、下腹部辺りで紐をきつく巻き十文字の型を作っている。


「なんだか印象が違うのねぇ……その格好ならさっきだってあんな風に騒いだりしなかったのに……」


「洗濯中って言うとったじゃろ? 言いながら着崩れしてるか確認するなするな」


 長く伸びきった髭でニッコリ口角が上がってるのかは分からないが、白い歯を見せて男は目を細めた。


「さっきは脅かして悪かったな。女子おなごと話すなんて久し振りだったからついはしゃいでしもうた」


「あら私は二十五よ、もう言ってる間に六になるかしら。はしゃいでくれるなんて嬉しいわねぇ」


「おお! ほうか、儂は二十九じゃ。もっと歳が離れてると思うとったが意外と近いな! はっはっは!」


 男は笑いながら天子と対極に当たる火の裏手側へ回ると、枝が尾から刺され口まで貫通している焼き魚を二匹持って天子の隣に腰を降ろす。


「ほれ。腹が減ってるだろう、特別にデカイ方をやる」


「……二匹しかないじゃない、私なんかにあげて、あなたは腹が膨れるの? どう見たって、足りないじゃない。気を失った事は私が勘違いした挙句に招いた事だから受け取れないわ」


「……なあ、お嬢ちゃん」


 男は天子の頬に手を添えた。

 手の平の分厚い皮、関節の太さや天子よりも暖かな体温が頬から伝わり、天子は息を飲んで目を見開いた。

 女の手と違う。自分も働く上で皿を洗ったりと水仕事をしてきた……軟膏を塗っていない手は皮が分厚く、そしてひび割れがある。だがそれとはまた違う大きな手で顔を触られている。


「儂は二人で飯を食いたいんだ。腹が満たされなくてもまた違うもんが満たされる」


 男は親指で天子の目元を拭うようになぞった。


「あんたも心も腹も減ってるから悪い夢を見る。どっちかを満たしてやれば、きっと今よりはマシになるぞ。いや、そうするんだ」


 口元は仙人のように髭が伸びて、着物を着ても山に住む獣のように見える。そんな男は凛々しい眉を下げて目を細めた。


「ありがとう、でも悪い夢じゃないわ。……そうね、宝物のような夢よ。でも大切だけれど、あまり見たくはないわ。自分がどんどん弱くなってしまうから。……きっと山奥だから見てしまったのね」


 天子は素直に渡された二匹の内の大きな方を手に持つと、ゆっくり味わうようにその命を噛み締めた。

 パリパリに焼けた皮からは芳ばしい匂いが口から鼻腔へ立ち込め、ジワリと溢れ出る脂に肉は先程まで川で元気に泳いでいた為か、今まで食べた物の中で郡を抜いて美味だった。


「後で、爪のお手入れをするわ。あなた爪が伸びてて獣みたいだから、身綺麗にさせて。せめて何かしないと、何かを得るなら相応の物を返さなくちゃ」


 男は小さな魚をあっという間に平らげたようで、髭には魚の脂がついて火に照らされて光沢を放っていた。


「義理堅いと言うか、ははは。儂はこのままでも不自由ないが、世話を焼かれるのは好きだ。あんたに甘えよう」


「ええ、私も世話を焼くのは好きよ。誰かと関わり合いになれるから」


 そして天子は持って来た風呂敷から爪切りを出すと、男の手を取りゆっくりと指の形に沿って切って行く。

 火から照らされる二人の影は重なり、一つになっていた。


「ありがとう……えっと、儂はあんたを何と呼ぶべきか?」


「あら?  そういえばお互い名前さえも知らなかったのね。私は天子、天ぷらの天に子どもの子よ」


「美味そうな名前じゃのう! 阿保な儂でも字が覚えられそうだ。天子天子天子天ぷら……じゃなかった天子」


「あははは! あなたの口、天ぷらを食べたみたいにテカテカしてるわよ」


「髭がな!  髭がどうしてもついてしまうわい!  寝る時とかあったかいからほっといたが、でも髭を剃ると儂はここいらじゃ一番男前だぞ。ほれ、山には儂しか人間の男がおらんから」


男は天子に見せるように髭を引っ張り、口を窄めたような表情を作る。すると天子は思わず吹き出し腹を抱えて笑った。


「じゃあ私もここいらじゃ一番の美女ね! 私しか人間の女子はいないもの!」


「全くだ! だっはっは!」


「あなたの名前を聞いてもいい? 多分、今日の出会いはずっと覚えていると思うから」


「儂か? 儂は……小林優一。小さい林、優しいに一つで小林優一と書くんじゃ。この名前はあんまり好きじゃない、優とでも呼んでくれ」



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