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神のみぞ知る先の世  作者: 握り飯太郎
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天子


 天に頭頂を向けて地から伸びたつ草原を、足で掻き分け歩を進め……川に出ればそれに沿い、より上流を目指す。

 脚が棒のように感じれば顎を上げ腹いっぱい息を吸うといい。

 冷たく凛とした空気が鼻から入り腹中で渦を巻くように動くのを感じると、ブルブルと背中が震える。

 そして底に溜まった良くない物をすくい取り、そして息を吐くと冷たい空気と共にそれも吐き出されて気分も清々しく変わるものだ。


「頑張らなきゃ、この世に味方は神様と自分しかいないのだもの……」


 痩せた四肢を端切れを集めて塗った簡易な着物から覗かせ、乾燥して切れてしまった唇をペロリと舐めながら、風呂敷包みの荷を背負い一人の女は歩いている。


 歳は二十半ば頃。


 丸い茶色の目に筋が薄っすら通って先が丸い鼻、よくこの女は狸面と言われていた。

 そんな女が思う自分唯一の褒めるべき外見の特徴が、手櫛のみでサラサラ纏まる己の髪の毛のみ。

 それでも全く褒める所がないよりかはマシなのだろうと女は思っていた。


 女の名前は天子てんこ、苗字はない。

 いや、前はあったが苗字の持ち主である父母から捨てられてしまったので残ったのは身一つと名前だけだったのだ。


(捨てられた私がいつまでもあの人達の苗字を名乗るのはおかしいじゃない。だってもう親子ではなくなってしまったんだもの。申し訳ないじゃない)


 神が自分へ、『もういい』と言い渡すまで生きねばならない。

 ならば、その時を迎える場所は美しい場所がいい。

 仕事がクビになりまた食い扶持を探さねばならない時に、そう決心をしてここまで来ていた。


「お腹が空いたわ……夜になったら獣が出る。それまでに寝ぐらだけでも見つけておかないと」


 天子がよろよろとしゃがみ込むと腹部に手を置きため息をついた。持って来た僅かな食料を小分けにして食べ続けていたが、それももうない。手元にあるのは最低限の調理器具と着替えのみ。日が落ちると野生動物がより活発になるし、なにより危ない。丁度真上で輝く太陽が私を残して消える前にあらゆる事を考えなくてはならない。

 以前本当に食うに困った時は草の根を煮て食べた事もあるが、それは本当に困った時まで取っておきたい。進んでやりたい行為ではなかった。


(そうだわ、この澄み切った清流に魚がいるんじゃないかしら。それに喉が乾いた……水を飲むだけでもとりあえずは腹が膨れるわね……)


 天子が川辺でしゃがむと川に手をつける、冷たく気持ち良い水中で両手を洗っていると、先程まで冷たかった川の水が何故だか少し暖かくなった。


「……?」


 天子が不思議に思い辺りを見渡す、自分の隣には大岩があった。

 川辺の付近は草木も少なく砂利道が川に沿っている中自分の身の丈よりも、大熊もすっぽり隠せるような大岩が1つ川に面して存在している。


 ダイダラボッチの悪戯で置かれた岩のようだ。


 大岩をぐるりと周り向こう側を確かめると男が立っていた。


 肩甲骨まで伸びている髪は癖毛なのか一本一本太い剛毛で外に向けて跳ねており、紐で硬く結ばれていた。

 まず、麓の村を過ぎてこの山に入ってしまえば歩いて五日は人里に入れない、そんな山道に人がいる事自体が驚きだ。

 だがそれ以上に驚くべき所は……



 その男は全裸だった。



「ひぇええええ!!」


 二十数年生きて初めて目の当たりにする男の身体。

 天子はその男の後方の死角から覗いていたが、それでも分かる肉体美。

 背中の肩甲骨辺りの筋肉は盛り上がっており、縦に筋が幾つも入り腰に視線を下げると肩幅よりキュッと絞ったように引き締まっている。

 天子は臀部を見る前に自分の手で目を覆った。

 天子の悲鳴に反応したのか男が振り向いた。

 年齢までは分からない。その男はまるで山に篭って数年過ごしたか問いたい位、口周りの髭が伸びきっており仙人のようだ。

 だが見た限り天子が物語で見聞きしたような仙人と違って高齢ではないようだった。


「ん? おお、すまんすまん。まさか人がいるとは思わんかったわい!」


 男はなんの動揺もしない。まるで曲がり角で軽くぶつかったかのように軽く謝る様に、天子は己の裸を見られる事がそんな程度で済む物なのかと心の底から叫びたくなった。


「な、なんで何も着ていないのっ、わわわわ私ですら一応は布を羽織っているのに」


「いやぁ! 着物は洗って乾かしてる最中でな、こんな山ん中じゃ大丈夫だろうと思うとったらこうなった訳よう!」


 流石に天子の存在を認識した今なら、一番見てはいけない所は隠しただろうと手をズラして改めて顔を見ようとするが、男は股間を隠さず腰に手を当て仁王立ちで笑っていた。


「隠してちょーだい!!」


「儂のはデカイだろう、隠してしまうのも勿体無 い! だっはっは!」


「私はこんなでも生娘よ! 男の股間がそうなってそんな風にブラブラしてるなんて初めて見たの! お願い隠して泣きそうよ!」


 それを聞くや男は慌てて片手で股間を隠すと取り乱す天子をなだめようと近寄る。

 だが恐怖を見出すのはその行為だけでも充分だった。


 全裸の男が近づいて来る。

 ここは山の奥深く、何があっても誰も気付かない。


「いやぁぁぁぁぁぁ!」


 天子が身を翻して駆け出そうとするが脚がもつれて顔面から転んでしまった。

 容量の悪さなのか、日頃の彼女は失敗してはならない所で期待を裏切らない。

 今回もまさにその通りだった。


「儂は熊か! 別にお前に危害は加えんから、逃げるな良い子だから! 取って食うように見えんじゃろ!?」


(食われる! 色んな意味で取って食われる!)


「あぁぁぁ! いくら山に一人だからと言って、こ……こんな小汚い女で手打ちにするのはやめてお願い! 麓にはもっと綺麗な若い女の子が綺麗なおべべを着ているからぁぁ!」


「だから違うと言ってるじゃろう! そんなに言うなら期待通りにしてやろうかぁぁ!」


 逞しい両腕を広げワッと脅かした瞬間、天子は白目を剥き倒れてしまった。

 生まれたままの姿の男は口をあんぐり開けた。そして死体のように横たわる天子を見下ろし、頭をボリボリとかきながらも小声で呟く。


「やっ……やってしもーた……」




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