ザ・姑息な策略 by お姫さま
よろしくお願いします。
「決心してくれて嬉しいわ。誰よりも透を大切にするから、あなたも私を目一杯愛してね」
「うん、もちろんだよ。やっぱり俺のご主人さまは由香利なんだ。殴られたって蹴られたって全然頭に来ないもん。お姫さまの命令に従うことが俺の天啓だって悟ったよ」
オーホッホ!私の従順な忠犬よ。やっと本来の飼い主の下に戻ったわね。しかしお前、根っからの奴隷体質だな。お陰で飼育用に駅前のタワーマンション買っちゃったじゃない。まあ、売れっ子女優の私だから可能なことだったけど、大きな買い物には違いなかったからね。こいつにそれだけの価値が有るのかわからないけど、可能性に賭けてみたってわけ。
今頃亜矢子姉さんは泡吹いて倒れてるか発狂してるはずだわ。どうせお義姉ちゃんに泣きついてるくらいがオチよ。でも、もう手遅れよ。透は私の手中に納まったんだからね。離婚届とか私との婚姻届けはあとでいいの。バカ犬の気持ちさえ手に入れればこっちのもんよ。ザマーミロだァ!年上のエロババアめェ!泥棒猫のくせに長い間私を苦しめやがって。
さあ、ドンペリで乾杯だァ!もちろん透には飲ませてやらないけどな。あいつには睡眠導入剤入りのミネラルウォーターで充分だ。元来、気の小さい奴だから、ヤるより一緒に朝まで過ごしたという既成事実が先決だ。それが必ず後々効いて来る。気が変わって真夜中に出て行かれても困るからな。
私も明日の午後には東京へ向かわなくてはならない。透にはここから会社へ通わせてやろう。ただし、居場所はお兄ちゃんにも言ってはならない!ビジネスホテルから通勤してると伝えさせるだけだ。まだ、今は地固めの時期だ。手の内はギリギリまで晒さない。このミッションは失敗が許されない一度限りのものだ。相棒が透なのは限りなく心許ないけど。
フッフッフ、思わず笑いがこみ上げて来るぜ。まさか透の家出が計画的だったとは、背後で私がコントロールしてるとは、コナンでも突き止められないだろうな。亜矢子姉さんのオツムじゃ到底無理ってものよォ!オーホッホッホ!
透を手招きしてキスしてやった。舌を絡めるディープなやつだ。いけない!私が溶けそうになってどうする。このバカ犬をメロメロにしてから厳しく躾け直してやるのだ。アメとムチをうまく使い分けて。
「由香利ィ!やっと俺たちは真実の愛に辿り着いたね。ホント長い回り道だったけど、生きてたからこそ戻って来れたんだ。何度も鬼嫁に殺されそうになっても、お姫さまのため必死に耐えてたんだよ」
相変わらず調子のいい奴だ。お前だって私を裏切ったことが有るくせに。まあ、それも私の人生の些細な試練だろう。この類を見ない美貌のせいで、嫉妬やお門違いの八つ当たりなんて日常茶飯事だったもの。
思えばいつも人間の醜い部分を見て来た気がするわ。それでも私はお姫さまらしく、反面教師として捉え真っ直ぐに成長して来たの。そう、行く手を阻むものを蹴散らして、踏みにじって、ギタギタのボロボロで二度と逆らえない状態にしながらここまで歩んで来たのだから。今では誰も文句など言わなくってよ。
いつか亜矢子姉さんともタイマン張ることになるだろう。その時に備えて蹴りを磨いておかなければ。秘密のトレーニングルームにぶら下がってるサンドバッグ目掛け、今夜も強烈な回し蹴りの鍛錬にいそしむ私だった。
ほど良く掻いた汗を洗い流しバスルームから戻ると、既に透は寝室へ移動しベッドの中で眠ってしまっていた。通った鼻筋と長めのまつ毛が愛おしい。付き合ってた頃より幾分男っぽくなったけど、ベビーフェイスには変わりない。私はこの顔立ちが好きだ。
グーグーいびきがうるさいのはご愛敬で、こいつなりに疲れてるんだと思われる。そりゃあんな鬼嫁と暮らしてるんだから無理はない。
これから暫くは平穏な日々を過ごさせて、落ち着いたらこき使ってあげるからね。きっと透は涙を流して喜ぶに違いないから。人の役に立つって嬉しいな。それが最愛の男なら最高ってもんよッ!
翌朝、透は早起きして居候らしくトーストとコーヒー、スクランブルエッグの朝食を用意した。まあ、奴にはこの程度でも限界なのだろう。私は午後から東京に向かうので、ニュースを見ながらまったりと朝食を取った。
洗い物の後片付けは私がしといてやるやさしさだ。タワーマンションの二十階に在る部屋から透がビジネスバッグを抱えて「行ってきます」と出て行く。玄関先で見送る私は奥さま気分で心地良い。
さてと……、寝室に戻って片隅に置いてある透の着替えが入ったスポーツバッグを一瞥した。そのままキングサイズのベッドで羽毛布団の匂いを嗅いでみる。透がいつもつけているタクティクスのシャワーコロンの香りがした。透、大好きッ!早く抱かれたいよォ!私は布団とジャレ合ってベッドの上を転げまわった。
でもあいつ、ホントにうまくやれるんだろうな?どうせ出社したらお兄ちゃんに捕まって尋問されるに決まってる。まあ、お兄ちゃんくらいうまくいなせるかも知れないけど、絹江義姉さんが出張って来るとマズイよなあ。まあ、営業所が違うから直ぐには来れないか。とにかく、シラを切り通せばいいんだから何とかなるだろう。週末までは一人で太刀打ちしてもらわなくちゃならないんだし。
一応、メールで毎日報告して来いと透には言ってある。必要ならば通話も構わない。今週の仕事はゴールデンタイムのドラマロケで、撮影は深夜に及ぶこともある。電話に出られなければ真夜中でもお返しコールして指示を与えてやるよ。放置して後悔するのだけはイヤだからな。
月曜の夕方、私は会社が年間契約している品川の一流ホテルの一室に居た。所属会社の「オフィス・カムレイド」はこの有名ホテルの七階に在るツインルームを一年中三部屋リザーブしてある。東京には賃貸の小さな事務所を構えているだけなので、出張社員や所属俳優の撮影のためにいつも誰かが使っている。
あぶれた場合は他のホテルを手配するのだが、もちろん私の優先順位は高い。智美社長と亜矢子姉さんの次ってとこで三番手だ。つまり、いつだってこのホテルを使えるってわけなの。プライオリティが姉さんより後ろってのがムカつくけど、先輩だからしょうがない。
今日は亜矢子姉さんも同宿している。そしてお互いのマネージャーが二人で空いているツインルームを使うとのことだ。ちょっと気分悪いけど、姉さんの様子を伺えるのは好都合とも言えるな。
久し振りの同宿だから夕食を共にしようとマネージャーを通してコンタクトを取ってもらったら、姉さんは喜んでとの返事だった。よしッ!ホテル内のレストランでフレンチディナーも予約済みとのことだ。
マネージャーの柴田さん、ホントに間に合うキャリアウーマンだ。気難しいので定評のある私専属だけあるわね。何たってお姫さまの私は、亜矢子姉さんみたいに気遣いするキャラじゃないから。これでも、ちゃんと自覚してるのよ。我がままが許される特別な立場だって自覚をね。
午後6時になってレストランのテーブルに着くと、直ぐに透の若奥さまがいらっしゃった。お互いのマネージャーはもちろん同席しない。二人でもっと安い物を食べてるはずだ。
向かいの席に着くなり姉さんはフーウと溜め息をついて物憂げな表情を見せている。そりゃそうだ。これは相当効いてるな。あなたの飼い犬は私の手中に有るのよッ!オーホッホ!思わず自慢気にゲロしそうになり口元に手を当てる。危ないところだったぜ。
「亜矢子姉さん、何か元気ないですね。おいしいフレンチでも頂いて気を持ち直して下さいよ。お互い明日からロケが始まるのに、何か心配事でも有るんですか?」
「由香利ちゃん、心配してくれてありがとう。大したことじゃないの。ちょっと透がね、透が家を出ちゃったの……」
アッサリ告げやがった。まさか、私が糸を引いてるのがバレてるんじゃないだろうな?いや、そんなはずはない。バレてたらこんな落ち込んだ仕草はスッ飛ばして、私の胸倉を掴んでるだろうから。
「ええっ!?そうなんですか?お二人仲良く暮らしてるとばかり思ってたのに。私にとって理想的夫婦像でしたからビックリしましたよ」
シレッと通せる私はやっぱり大女優だ。本当は悪役キャラだってお手のものよ。まあ、美貌が邪魔をしてヒロイン役しかオファーが来ないけどね。
「何かわかったら時間に構わず連絡してね。一応、絹ちゃんを通じて勝利君にはお願いしてあるんだけど」
チッ!やっぱりバカ兄貴を使うのか。まあ、想定の範囲内だから良しとしよう。あいつらは親友だけど、お互いバカだから何とかなるさ。
「もちろんです。姉さんは私の大恩人ですから。念のため、私からもお兄ちゃんに連絡入れておきますよ。しっかりミッションを果たせってね」
完璧だ!姉さんの頼んだ相手がバカ兄貴だなんて楽勝の展開じゃないか。状況を把握しながら、そつなく計画を進めて行くだけだ。もう、二度と透を返してあげないからね!
ディナーが始まって一時間が過ぎた頃、モエ・エ・シャンドンのシャンパングラスを傾けていたらスマホが振動した。透からのメールに違いない。シャトーの赤ワインが入ったグラス片手に姉さんはピクッと反応した。
もちろん私は素知らぬ顔で「ちょっとお手洗いに行って来ます」と席を外した。狭い個室に入って便座の蓋に腰掛ける。メールは予想通り透からだった。
『こんばんは。今日の昼休み、談話室で勝に訊かれたよ。「お前、今日は何処からのご出勤?」ってね。「ビジネスホテルからだよ」とだけ返した。「何処の?」って食い下がるので「駅前。それ以上は訊くな」と言っておいた。そしたら近くに居た同期の恭ちゃんが割って入って来て「もしかして別居中?私のせいなの?責任取らなくちゃいけないのかな?」と言われた。ビックリしたけど「恭ちゃんは関係無いよ」と返しておきました』
何だこれは?恭ちゃんって誰よ!?しっかし、頭の悪そうなメールだなあ。イマイチ状況が掴めないじゃん。しょうがないからお兄ちゃんに電話して探りを入れてみるか。想定外の人物に乱入されて計画が潰されたらたまったもんじゃないよ。何たって私は透の元カノなんだから。泥棒猫にカッさらわれたままじゃヒロイン成立しないじゃない!
席に戻ったら姉さんにジッと睨まれた。私は全然ポーカーフェイスだ。視線くらい意に介さなくってよ。プレッシャーに強いお姫さまだからねッ!
「亜矢子姉さん、元気出してとは言わないけど、明日からのドラマ撮影頑張って下さいね」
「ありがとう。由香利ちゃんのようにヒロインじゃないから大丈夫よ。あなたの方こそ上手くやってね」
当たり前だァ!透を手に入れて私は絶好調だぞォ!こんなに気力を充実させて挑むスタジオロケは初めてのことなんだからね。そう、今こそ私は恋するお姫さまなのよ!オーホッホッホッ!
フレンチディナーを終えて小奇麗なツインルームに戻った。一人で使うから広さは充分だ。私はいつも並んでいるシングルベッドを寄せてもらってダブルサイズで使っている。転げまわるのに適しているからだ。そして私は妄想に耽る。
(「由香利、愛してるよ。もう、お前としか暮らせないんだ」「しょうがないわね。透で我慢してあげるわ。精々私を大切になさいね」コクンと頷く飼い犬の頭を撫でキスをする。透は強く私を抱きしめ、永遠の奴隷契約を誓うのだ!)
うん、最高である!思わずキャッと叫んでベッド上でドタンバタンと悶え狂う。
あっ、そうだ。バカ兄貴に電話して、より正確に状況を把握しなければ。せっかく私からコールしてやったのに、プープーと話中の間延びした音が聞こえて来た……。
読んで下さりありがとうございます。