神判
殺風景な部屋の中央にあるソファで眠る一人の女性
彼女が重い瞼を開けると、視界に入ったのは白髪の少年だった。髪だけでなく、その肌も透き通るように白い。少年は無邪気に彼女の周りを、ただただ走り回っている。
「君はだれ? ここはどこ?」
女性は重い体を起こし、少年に聞く。少年は彼女に気づき、大きな瞳を輝かせる。
「お姉さん起きたんだね。そして、ありきたりな言葉をありがとう!」
「ありきたり?」
女性は少年の言葉にはどこか違和感があった。まるで自分以外に何人もの人から同じ状況で同じ言葉を聞かされてきたかのような。
「当たり。そう、僕はお姉さん以外にもここに来たたっくさんの人達からその言葉を聞いてきたんだ」
「え、なんで私の考えたことが……?」
少年はふふふといたずらに笑い、先程とは雰囲気ががらりと変わる。色で例えるなら白が黒に染まったような……。
「だって僕、悪魔だもん。人間の考えることなんてわかって当然じゃない? 立花実沙紀さん」
女性は少年の口にした名前を聞いて驚いていた。なぜならその名前は紛れもなく彼女の名前だったからである。
「なんで、私の名前を……?」
「やっぱりここに来た人は質問しかしない。お姉さんも普通だねー。僕、つまんないじゃん」
少年の顔は笑っているがその瞳は笑っておらず、氷のような冷たさを感じていた。
「ふふ、お姉さんのこと他にも知ってるよ? 立花実沙紀、年は二十五歳で公務員。勤め先は○○市の市役所で出身もそこかー。高校時代から付き合っている彼氏がいるんだね。すごいや」
先程と同じ無邪気な笑みを浮かべながら、実沙紀の個人情報をつらつらと話し始める。実沙紀の身体は得体のしれない恐怖に強ばっていった。
「怖いでしょ? こんな年端のいかない僕みたいな子供が、なんでこんなにお姉さんに詳しいのか」
「君は、何者なの?」
「もう、話聞いてなかったの? 僕は悪魔だってば」
少年の言葉に、実沙紀は信じられないといった表情を浮かべる。そんな実沙紀をさらに追い詰めるように、少年はもっと残酷なことを彼女に告げる。
「お姉さん、知ってる? お姉さんは死んだの」
「え? ど、そういうこと? 私が死んだ……?」
少年の突然の告白に、実沙紀は自身の血の気が引いていくのを感じた。
「お姉さんは覚えていないかもだけど、お姉さんの身体は覚えているんじゃないかな?」
実沙紀は自身の胸に手を当てる。少年の言葉でその手が震えていたことがわかった。実沙紀に死んだときの記憶はない。しかし、実沙紀の身体は確かに覚えていたのだ。
「ほらね、身体は正直だよ?」
少年は実沙紀の震える手を、その真っ白な小さな手で包み込む。すると、実沙紀の手の震えはピタリと止まった。
「私、どうして死んだの?」
「聞いて後悔しない?」
少し意地悪な表情を浮かべて少年は実沙紀に問う。
「しない。知らない方が、嫌。きちんと受け止めたいもの」
実沙紀の瞳に迷いも恐怖も無かった。それはまるで勇者が魔王との決戦に挑む前のそれに等しい。
「へー、何のためらいもなく自分の死因を聞きたがったのはお姉さんが初めてかな。大概恐怖で発狂したり、信じられなくて泣き喚いたり、あと僕に殴り掛かってきた人もいたかな? まあ、全部片付けちゃったんだけどね☆」
首を傾げながらにこやかに笑うその姿は、年相応の少年そのものである。しかし、その口が話す内容はそれとかみ合っていない。
「いいわ。話して」
「オッケー。でもその前にお姉さんに質問がありまーす。お姉さんは生きて来て死ぬまでに何回罪を犯したでしょうか? 簡単だよー? ふふふ」
少年の突然の質問に、実沙紀は困惑する。
「え? 罪? 何のこと?」
彼女の様子から、その言葉に嘘偽りはないと思われる。しかし、少年は何かを知っているようで口角を上げ、ふふふと笑い続けていた。
「嘘はいけないなー。お姉さんは大事な人を手に入れるために何をしたの? ねえ?」
「あ……」
実沙紀は何かを思い出したのか、口元を手で覆う。その顔は青ざめていた。
実沙紀の様子に満足したであろう少年は、黙る彼女の代わりに話し出した。
「思い出した? お姉さんは高校時代、大好きな大好きな康太さんを手に入れるために当時康太さんと付き合っていた彼女である親友から……」
「言わないで!」
彼女の悲痛の叫びが何もない部屋で反響する。しかし、少年は彼女の叫びなどお構いなしに言葉を続ける。
「……お姉さんは親友から彼氏を奪っちゃったんだよねー♪ ほんと人間って自分の欲望に正直だ。ふふふ」
少年の言葉に、実沙紀はごめんなさいと何度もつぶやきながらその場に座りこんでしまう。少年はその様子を楽しそうに見つめている。
「なんで謝るの? 人間なんだから仕方ないよ。誰だって自分が一番可愛いんだもん。他人を差し置いてでも自分の欲しいものを手に入れる。うん、とっても人間味溢れているね、お姉さん」
「ち、ちがっ……」
少年は、涙が伝う実沙紀の頬を手でそっと包み込み、涙を拭ってやる。実沙紀は少年の瞳から目を逸らし、少年の言葉を否定しようとする。しかしその言葉は少年により、一瞬で消されてしまう。
「違わないでしょ? 康太さんが好き、康太さんを愛している、康太さんに自分だけを見てもらいたい 康太さんを自分の物にしたい……だから、奪った。そうでしょう、お姉さん」
実沙紀は少年の言葉を否定せず、ただただ泣き続ける。何も言葉が出なくなってしまったようだ。
「ふふ、ごめんなさいってさ、後悔するくらいなら最初からやらなきゃいいのにね。ここに来た者のほとんどが自分の罪を自覚していない。こうやって僕が教えてあげれば最初は怒るか、驚く。そのあと正論を並び立てれば後悔か懺悔の言葉をつらつらと……。人間ってほんと馬鹿ばっかり。でも悪魔の僕はそこが好き! 取り入りやすいから」
少年の言葉に実沙紀は何も言わない。いや、言えなかった。事実、実沙紀もその人間の一人なのだから。
「じゃあ、お姉さんがなんで死んだか教えようか。お姉さんはね、その親友に刺されて亡くなったんだよ。何度も何度もここを刺されてね」
少年が指差すのは実沙紀の胸、心臓の部分だった。少年の言葉に実沙紀は何かに気づく。
「思い出した。そうだ、私仕事から家に帰ってきたところを待ち伏せていた梨花に刺されたんだ……」
「ようやく思い出した? 勿体無いねー、結婚を控えていたのに」
実沙紀はうつむき、康太さんに会いたいとつぶやく。そんな彼女に少年は囁く。
「もし、生き返れるとしたら? お姉さんはどうする?」
少年の言葉に実沙紀は目を見開く。
「……出来るの?」
少年は無邪気な笑みを浮かべながら答える。
「うん、僕悪魔だもん。その代わり、代償を払ってもらうけど」
「代償?」
「そう、代償。僕が欲しいのは梨花……お姉さんの親友だった人の命だよ」
「え……?」
実沙紀を殺した張本人である梨花の命と引き換えに、実沙紀自身が生き返ることが出来る。実沙紀にとっては願ってもない話である。梨花の命を悪魔に売ることで自分は助かり、会いたい者のところへ帰れるのだから。
「康太のところへ戻れるの?」
「うん、大好きな康太さんのところにね」
少年の言葉に、彼女はそうと答えてから何も口にしなくなった。そんな彼女に首を傾げる少年。
「どうしたの? お姉さんがそうしたいのなら僕は喜んで手伝うよ。梨花さんの死因はなにがいい? 焼死、溺死、事故死、圧死……僕のおすすめはお姉さんを殺したことへの罪悪感で自殺かな☆ 電車辺りがベスト! 顔も身体もぐちゃぐちゃになってお姉さんの気分はすっきりすること間違いなし! ふふふ」
少年は可愛い顔で恐ろしいことを口走る。そんな少年に同調することなく、実沙紀は自身の涙を拭って立ち上がる。
「どうしたの? お姉さん。決心はついたかな? じゃあ、さっそく……」
「やめて」
「え? やめて?」
少年は信じられないものでも見るように驚いた表情で実沙紀を見る。
「やめてって言ったの」
「なんで? 止めたらお姉さんは生き返られないし、康太さんに会うことも……」
「それでいいから」
少年の言葉を遮って答える実沙紀の目には、迷いなどなかった。
「なんで? お姉さんを殺したんだよ? 恨んでないの?」
「恨んでいないと言えば嘘になるけど……自分で壊したとはいえ、梨花は親友だった。それに私は誰かの命を奪ってまで生きたいとは思わない。綺麗事だと思うけど……」
「ありゃ、ここは今まで来た人とちょっと違うな。お姉さんは罪を犯したけど心の奥底までは黒に染まってないみたい。つまんないのー」
実沙紀の言葉に不満そうな表情の少年。すると、何かを思い出したのかポケットからチョークを取り出し、何かを描きはじめる。
「何してるの?」
「え? お姉さんが黒く染まってくれないからせめて絶望させてあげようと思ってね。さ、このテレビを見て」
「え、これって……康太?」
少年がチョークで描いた少し歪なテレビに映るのは、実沙紀が愛する康太だった。
「なんで、康太がここに……」
康太の姿に驚く実沙紀。そんな彼女に少年は衝撃の事実を突きつける。
「答えは簡単でしょ。この人も死んだからだよ、お姉さん」
「……まさか!」
実沙紀は少年の言葉に何か気づいたようで、青ざめた表情を見せる。
「ふふ、お姉さんは察しがよくて助かるなー。康太さんは死んだんだよ。お姉さんと同じで、梨花さんに刺されてさ」
「……康太まで殺していたなんて」
モニターの映像に映る康太の様子を心配そうに見つめる実沙紀。彼女はモニターには映っているはずのない者が映っていることに気づく。
「なんで……? なんで、君が映っているの?」
実沙紀が驚くのも無理はない。モニターに映っているのは、今実沙紀の目の前にいる少年の姿だったのだから。
「ふふふ、僕は悪魔だからね。あれはただの僕の分身で、本物はちゃんとお姉さんの目の前にいるよ。あっちの僕は今頃、お姉さんにした質問と同じ質問をしているところかな? 梨花さんの魂を捧げる代わりに、実沙紀さんの元へ生き返りますか? ってね☆ ま、お姉さんの時と違って生きることを選んだら康太さんの魂を頂くけどね」
少年の言葉に実沙紀は思わず目を見開く。そしてモニターに映る康太に向かって叫んだ。
「康太! やめて! 生きることを選ばないで! 私は死んでいるから……ここにいるから!!」
実沙紀は必死にモニターに向かって叫び、その手を打ち付ける。そんな実沙紀の様子を楽しそうに見ている少年。
モニターの中の康太が下した答えとは――――
「俺は……梨花の魂を捧げて、実沙紀の元へ帰ります」
康太の答えを聞き、モニターにもたれ掛るように泣き崩れる実沙紀。少年は実沙紀に近づいて言う。
「康太さんのお姉さんに対する愛は、本物だってことが証明されたね。最悪な形で」
「康太……こう、た……」
少年は泣き崩れる実沙紀などお構いなしに話を続ける。
「康太さん、あの扉に入って行っちゃった。あの扉に入ったらもう出てくることは出来ないねーふふ」
少年の言葉を聞いて、実沙紀は涙を拭いて立ち上がる。そして少年の肩を掴み、問う。
「ねえ……あの人を、康太を止めに行きたい。そのためならこの魂あなたにあげる。だから、お願い!」
少年は実沙紀の真剣な眼差しに一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに口角を上げる。
「いいよ。僕お姉さんのこと気に入っちゃったから。お姉さんの魂、食べてあげる……」
少年がそう言うと、その後ろから真っ白い扉が現れた。
「さあ、御入場ください。この扉はお姉さんの願いを叶えてくれる」
少年は扉を開こうと手をかける。しかし、実沙紀はその行動に疑問を持ち、少年に言った。
「私の魂はいいの?」
少年はふふと笑い、扉を開けて実沙紀の背中を押す。
「どうして……?」
実沙紀は扉の向こうへ吸い込まれて行く最中、後ろを振り返る。閉まり行く扉の隙間から、少年が優しい笑みを浮かべて実沙紀に手を振っていた。そして、その背中には少年の髪と同じくらい真っ白な翼が生えていたことを、実沙紀は見逃さなかった。
「君は――」
実沙紀が少年の正体に気づいた頃には眩い光に包まれ、少年の姿はすっかり見えなくなっていた。
光が消え、優しい風が実沙紀の頬を撫でる。実沙紀はゆっくりと瞼を開けると、彼女の視界は色とりどりの花と青い空で埋め尽くされた。
「綺麗……」
実沙紀が突然の出来事に驚いていると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。その声の主とは―――
「実沙紀!」
「こ、康太!」
実沙紀の最愛の人、康太だった。実沙紀は嬉しさのあまり、彼に抱き着く。
「でも、なんで? 康太は魂を……」
「食べられることはなかったんだよ。白い少年が、今回は実沙紀への深い愛情に免じてここに連れてきてくれたんだ」
実沙紀は少年が康太の魂を救ってくれたのだということに安堵した。
「それにしても、ここは……?」
実沙紀の問いに康太が答える。
「ここは救済された魂が行き着く所と言っていた。なあ実沙紀、ここで幸せに暮らそう? 愛している」
「康太……私も愛してる」
実沙紀は思った。
少年は悪魔などではなかった。あの少年は―――
「天使、だったんだね」
実沙紀の呟きは、草原を駆け抜ける風に乗って少年の耳に届いただろう。
∞∞∞
「届いたよ。おねーさん」
ふふっと笑いながら実沙紀と康太の様子を覗いている少年。すると、実沙紀が先程まで横たわっていたソファに座る人影が少年に話しかける。
「あの人間がそんなに気に入ったかい?」
「うん。あんなに純粋に愛している人達なんてあんまり見ないよ。神様」
人影の正体は世界の創造主であり、少年の主人である神様だったのだ。神様は少年と実沙紀達のやり取りをずっと見ていたようである。その時の事を思い出したのか、神様は口元を手で覆い、笑う。
「お前が悪魔、なんてな。先程のやり取りを見ていると、中身はそうかも知れないないなと思ってしまったよ。ふふ」
神様があまりにも笑うため、少年は不貞腐れてしまった。
「もう、笑わないでよー! 彼らの魂を救済するためには、お互いの愛を試す必要があったんだもん。仕方ないじゃない」
「あー、すまんすまん。ふふ」
少年は先程まで頬を膨らませていたが、しだいに真顔になる。神様が疑問に思い、どうしたのかと尋ねる。
「ん? いや……僕悪魔って見たことないけど、神様は悪魔も創ったの?」
少年の問いに神様は一瞬目を見開いたが、すぐに真面目な顔で少年に答える。
「悪魔なんてこの世にはいない。いるとした罪悪感のある者の心が作り出した幻だ。どんな悪人にも心のどこかで後悔の思いはあるものだからね。それに、罪を犯していない人間なんていない。人は生きるために、多くの命を奪って生きているからね」
少年は神様の言葉に疑問を抱く。
「え? この間ここに来た生まれる前に死んだ子供は罪を犯していないと思うけど……」
少年の言い分ももっともである。生を受ける前に死んだ赤子の魂に罪が無いのでは、という少年の考えに頷く者も多いことだろう。しかし、その考えに神様は首を振る。
「そういう子供は親よりも先に死んでしまったという罪になるんだよ。本人の罪の意識は関係なく、ね」
少年は一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、それを隠すように満面の笑みで神様に言う。
「そうなんだー僕、これでまた一つ賢くなった」
「ふふ、そうだね」
そう言って神様は少年の頭を優しく撫でる。少年にはその瞳がどこか悲しそうに見えた。少年はそのことをあえて神様にふれることなく、自身の中に飲み込む。
「では次の神判を始めようか?」
「はい、神様!」
今日もどこかで神の神判は下されている。それに正解があるかはわからないままだ。しかし、わかることが一つだけあるとするならば、神様は人間を『愛している』ということである。
終わり
私の小説を読んでいただきありがとうございました。
皆様の意見を今後の参考にしていきたいと考えておりますので、感想のほどいただけたらありがたいです。