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9話 司書

9


「それではわが主のもとに案内しましょう。メリッサが、すべての謎を教えてくれるでしょうから。さあ、この本も、お持ちください」


 どこからともなく現れたのは白い本だ。

 床に落ちかけたそれを慌てて掴む。そのとき突然に文字の雨がとまった。本棚の陰に椅子が見えた。そのそばには大量の本の山が積まれている。

 

 女性が椅子に座っていた。一冊の本を持ち、頁をぺらぺらとめくっている。

 異様な雰囲気をまとっていた。鋭いその目つきは刃物のようで、腰まで伸びる髪は灰色だ。魔術師服を身に着けているが、見慣れたものとは違う古風なデザインだった。ちょっと長い爪には銀色の飾りが光っている。


「こっちにこい」


 本を読みながら彼女が言う。その偉そうな態度から察する。

 こいつが司書メリッサだ。


「毛玉の守護者よ」


 メリッサが顔をあげた。その鋭い眼光はおれの心臓を縮ませた。

 ふとチャパーの姿がないことに気づく。それだけじゃない、使徒の姿もない。


「我がしもべから聞いただろう? 世界とは物語であり、すべての生きとし生けるものは言葉である。領域はひとつの章に過ぎず、世界の彩りは文脈的揺らぎでしかない。言葉がひとつ変われば文の意味が変わる。文の意味が変われば章の構成が変わる。章の構成が変われば物語が破たんする。すべてはつながっているのだ」


 それがどうしたっていうんだ。アマネを連れ去ったことと、なにか関係あるのかよ。


「ジュジュ、フィー。ふたりの物語は踏みにじられたのだ、【塔の麓のハルモニア】のクズどもに」


 メリッサは本を閉じる。その瞬間におれが持っていた白と黒の本がふわりと浮かぶ。


「命の限界をこえた物語を孕む本。命ではありえない純白を孕む本。これらは忌むべきものであり、白い魔術師もまた忌むべきものなのだ」


 忌むべきもの。

 白と黒、その本の示す異常さ。

 黒い本に記される物語の量は、ひとりの女の子が抱えきれるはずのない莫大なものだ。

 白い本は純白だ。

 それはありえないことで、生きていればなにかしらの物語がそこに刻まれるはずだ。


「ジュジュ、フィー。彼女らだけではないのだよ。白の魔術師は、数多の命を侮辱している。あの小娘はひとりではないのだ。どういうことなのかわかるか、犬よ」


 誰が犬畜生だ。そんなふうにツッコもうとしたが、耳と尻尾の存在を思いだして口を閉じる。メリッサが黒と白の本を叩いた。立ち並ぶ本棚の陰から、たくさんの人影が現れた。人間王蟲獣人竜人……彼らが虚ろな表情でおれを囲む。その人数は数えきれない。


 甘い香りが鼻をくすぐり、そこで気づく。こいつら、魂だ。肉体を持たない死者なんだ。


「彼らはみな死んでいる。だが、その魂と物語はまだ生きている」


 死者の群れからふたりの女性が歩みでる。ルビー色の瞳の女性と、サファイア色の瞳の女性……ジュジュと、フィーだ。


 ふたりとも死んだ。

 ジュジュは不運に巻きこまれ、フィーは復讐の果てに殺された。


「彼女らは……いや、ここにいるものたちすべて、円環の理から外れているのだ。そしてとある檻に閉じこめられている。その檻とはなんだと思う、毛玉よ」


 ジュジとフィーに見つめられた。

 

 宝石色の瞳……まさか。


 ここにいる魂を閉じこめる檻、そいつは――。


 わかったよ、そういうことだったんだな、ご主人。


 アマネの黒の本、そしてここにいる魂たちを捕らえる檻、物語を司るメリッサがアマネを狙う理由。


「黒の本にある物語はアマネのものじゃない。だからアマネは世界を旅してる。そりゃそうだ、この本に刻まれてるのは、彼女の物語じゃなくて……」


言葉をとめ、ぐるりと魂たちを見渡して、


「ここにいるジュジュやフィー、すべての死者の物語だ。アマネの正体は……たくさんの魂と物語を寄せ集めてつくられた、継ぎ接ぎの魔術師なんだ」


 アマネの魂は無数の魂の集合体だ。黒い本に記されている物語は、アマネの礎となった死者たちのものだ。アマネはテンスイノ世界と同じ、数多の物語の継ぎ接ぎだ。


「アマネの本が二冊あるのは、そこに関係しているのか」


 呟くとメリッサがうなずき、


「小娘の魂はふたつある。ひとつは集合体としての魂、そしてもうひとつはその集合体をおおう、アマネ・ツインという名の器としての魂だ」


 と答える。魂の塊は黒い本となり、アマネの魂は白き本に。でも、どうしてだ。死した魂は円環に従って世界を循環するはずだ。ここにいる死者たちは円環の理によって、生まれ変わっていてもおかしくない。どうして、そいつらがアマネの体に……。


 ジュジュがおれに顔を近づけ、


「あたしたちが死したとき、魂は冥府に落ちるの」


 フィーは尻尾を撫でて、


「冥府に落ちたとき、わたしとジュジュ、他のみんなの魂が冥府よりすくいあげられた」


 そして次に口を開いたのはメリッサだ。


「死霊術と呼ばれる禁忌の魔導技術によって、彼らは円環から切り離されてしまったのだ」


 ジュジュがフィーの手を握り、


「その技術によってあたしたちの魂が改変されたの」


「改変の果てに、魂の集合体がつくりあげられた」


 フィーが言葉を継ぐ。メリッサが笑った。


「死者の魂は冥府より引きあげられ、集合体として再構築された。そして小娘の体に押し込まれ、アマネという魂の檻に閉じこめられた。集合体となった魂たちは、円環には戻れない。アマネという檻があるからな。小娘は狭間と同じなのだよ。犬よ、そんな哀れな魂たちを円環に還すにはどうすればいい?」


 んなことわかるか。


 佇む死者たちの姿が煙のように消え、紫色の光がメリッサのかたわらに集まった。光のなかからアマネがふわりと落ちてきた。


 倒れそうになったアマネをメリッサの腕が抱く。アマネは人形のように脱力していてぴくりともしない。


「彼女になにをした⁉」


「なにもしていない。おまえがこの小娘をさばくのだよ、毛玉。おまえの仕事は魂を円環へと還すことだ」


「なんでだよ⁉ なんでおれがアマネを殺さなくちゃいけないんだ⁉ おれは、彼女と、旅を……」


「殺せないのか、毛玉。おまえの主はこの娘ではない。おまえの仕えるべき相手は誰だ? おまえのほんとうの宿命とはなんだ? 魂の救済が、おまえの使命であるはずだ。手の平を見ろ」


 言われるがままに視線を落とす。手の平にあったのは消えていたはずの骨の印だ。


「【柔らかい骨】だ。それは死者に刻まれる冥府の象徴だ」


 目眩がした。


 死者に刻まれる印がなんでこの手の平に?


「死者は死者でも意味が異なる。この場合の死者とは【終着の園】、冥府の主に使える闇の聖母の子どもであることを示しているのだ。その右手で折れた剣をつかめ。円環より切り離された魂を救うのが、おまえの役目だ。おまえは狭間を切り裂いてきた。円環の守りとして、戦いつづけてきた」


 からん、と音がした。どこからともなく落ちてきたのは、例の折れた剣だった。


「それを取れ。さあ、やれ」


 メリッサの言葉におれの体は動きだす。やめろ、剣をとるな。自分に言い聞かせるが、動きはとまらない。まるで見えない糸で操られているようだ。


 おれの宿命ってなんだよ。円環を守ること? 

 

 違うね、おれはただ旅をしたいだけなんだ。

 アマネと一緒に、このクソ広い世界を気ままにぶらぶらと――。


「さあ、檻を破壊するのだ!」


 メリッサがアマネを押しだす。

 おれの腕は勝手に剣をふりあげた。折れた剣の刃が狙うのはアマネの首筋だ。やめろ。冷や汗が噴き出る。

 やめろ、やめてくれ、なんでおれがアマネを殺さなくちゃいけないんだ。

 おれは君と旅をしたい、それだけなんだ。


 腕が動く。

 刃が振り下ろされる。


 メリッサが冷たくほほ笑んだ。


「やめろぉぉぉ!」


 叫ぶが剣はとまらない。そして刃は無情にもアマネへと――。


「ちょっとー、それって汚くないですかー」


 呑気な声が耳をうがつ。腕の感覚が急速に回復した。停止したおれの手から、折れた剣が滑り落ち床にぶつかる。

 

 おれとアマネの間に割って入ったのは、チャパーだった。


 メリッサの表情がゆがんだ。


「チャパー、おまえ……」


「お、犬っころゥー!」


 とか言いながらチャパーがおれのみぞおちを殴った。いきなりの衝撃で「ウゲッ」と声が漏れる。普通によろめいたおれの体から、黒い砂みたいなものが吹っ飛んだ。それは文字だった。


「ゲホッ、ゲホッ! ちょ、ちょっと待てよ、これはいったい……」


 宙を舞った細かな文字は、メリッサの口へ飛び込んでいく。


「メリッサの言葉ですよー。犬っころ、操られかけてたんですー」


 おれを操ってたのか。そうやってアマネを殺させようとしたのか。頭がカッと熱くなり、尻尾の毛が逆立つ。


「チャパー、どこにでも現れるクソガキめ」


「メリッサ、引きこもりの淫売めー」


 チャパーとメリッサが睨みあう。


「どうして自分でアマネさんを屠らないんですかー? まさかだけどゼンジさんを奪おうと思ってませんかー?」


 メリッサが唇を噛んだ。おれを奪う?


「メリッサ、あなたは物語に貪欲すぎますー。ゼンジさんの物語は図書に並ぶことのない物語なのですー。で、あなたはそれを読んでみたくてしょーがないー。だから言葉でゼンジさんを絡めとろうとしたー。魂を屈服させるために、アマネさんを殺させようとしたー。まったく、クソ野郎ですねー」


 クックッとメリッサが笑う。そしてアマネの肩を抱き、自分に引きよせる。


「そうだ、その通りだ。それでは別の方法で毛玉の物語をいただくとしよう」


 やんでいた文字の雨が再び落ちてきた。並び立つ本棚の陰からひとつ目の文字使徒がにゅっと顔をだす。おれたちの頭上で紙の蝶が渦をまく。かさかさとした紙擦れの音が耳をくすぐった。

 メリッサが不敵に笑うのと同時に、チャパーも不敵に笑った。


「あははー、そうやって傲慢だから嫌われてるんですよー。あなたの天敵連れてきちゃいましたよー」


 天敵。

 

 司書メリッサに敵なんているのか。メリッサの笑顔が僅かにゆがんだ。


 生ぬるい風が吹き抜けた。降り注ぐ文字の雨と紙の蝶がもみくちゃにされる。なんだか懐かしい匂いがする。自然と尻尾がぱたぱた動いてしまう。


「ゼンジィィィィ!」


 嬉しそうな声と一緒に衝撃が脇腹に衝突した。ふっとびそうになったがどうにかふんばる。おれの脇腹にめりこんでいたのは、例の三つ編みちんちくりんだった。その小っちゃな手にわしゃわしゃと撫でまわされる。


「元気か? そうだな、元気そうだな! おお、耳と尻尾がぁ! 少しだけ物語を取りもどしたのか⁉」


 目をキラキラさせたちんちくりんが、おれの尻尾をつかみ、ぶんぶんと振り回した。


「メメント・モリ」


 憎らしげに呟いたのはメリッサだ。ちんちくりんはおれの尻尾を放し、司書にゆったりと近づいていく。ちんちくりんは背伸びをし、メリッサは膝をまげる。そしてふたりはごつんとおでこをぶつけあい、


「司書メリッサ。おまえ、相変わらずに領域に引きこもっているのか?」


「そういうきさまも、相変わらずだ。ちんちくりんの高飛車め」


 ふたりを中心にして威圧感が漂う。気圧されて耳と尻尾の毛が逆立ってしまった。


「なにをしにきた、ちびっ子」


「なにをしにきた、だと? ふふん、笑わせてくれる。ゼンジを取り返しにきたんだ」


 メリッサが舌打ちをする。腕をさっと振った瞬間に文字の使徒たちの姿が消えた。


「メメント、貴様とやりあうのは面倒だ。連れていけ」


 するとメメントはにやりと笑い、


「それと、この小娘もつれていかせてもらうぞ」


 人形のようになっているアマネの腕をグイと引く。メリッサは「なッ!」とうめき、メメントのおでこを指でバチンと弾く。メメントはおでこを押さえ、「むぅ、痛くなんてないぞ!」と口をへの字に曲げる。


「メメント、こいつの存在は物語に対する禁忌だ。わたしは物語を管理する立場にある。今回の一件は司書としての……」


「管轄違いだ、メリッサ。おまえは物語でわたしは魂だ。【死霊術】とは魂を改変することにより、物語を変える技術だ。この問題を解決すべきなのは、わたしと【一億の猿】だ。なあ、そうだろう、チャパー」


 いきなり話をふられたチャパーはめんどくさそうに「あーい」と答えた。するとメリッサが顔を赤くして本を投げた。

 分厚い書物を腹にもらったチャパーは「ぎゃあー」とひっくり返る。メリッサがアマネの腕をつかむ。メメントはその反対の腕を放さない。まるでふたりの駄々っ子に挟まれるお人形のように、虚ろな目をしたアマネの体が左右に揺れる。

 ふたりの間に飛び込んでアマネを救いだしたいが、下手なことをするととんでもないことになりそうだ。だから動くことができなかった。


「泳がせるという選択肢はないのか、メリッサ」


 とメメントが言った。メリッサがアマネから手を放し、メメントもアマネから手を放す。引っ張り合いから解放されたアマネは、ぺたりと床に座りこんだ。すかさず駆け寄り、その顔を覗きこむ。意識がないのだろう、体をゆすっても反応しない。


「泳がせる?」


「そうだ。この魔術師をここで屠ることは可能だが、第二、第三の肉人形がでてくるかもしれない。ならばこいつを作った連中の思惑を知ってから対処したほうが、かしこい。そういうものだろう?」


 メリッサは腕を組み、紙の蝶を引きつれてその場を行ったりきたりする。

 しばらくしてから舌打ちとともに眉間に皺をよせ――。


「連れていけ、好きにしろ、メメント!」


 と大声をだした。


「ただしその小娘の監視はつづける。いずれその小娘には消えてもらうからな」


 メリッサは不機嫌そうにどさりと椅子に腰をおろした。


「さあ、その小娘をどこへでも担いでいけ。みんな消えてしまえ」


 文字の雨が強くなった。黒いもやがメリッサを覆い隠す。彼女がゆっくりと消えていく。

 メメントがおれのそばにやってくる。平手でアマネの頬をぺちぺちと叩いてから、


「まったく、難儀なものだよ。ゼンジ、おまえはとんでもないものになついてしまったな」


「おれは……」


「なにもいうな。今はこの可哀想な魔術師に仕えなさい。いずれその可愛い耳と尻尾みたいに、すべて思いだせるだろうから」


 メメントは背伸びをしておれの頭をくしゃっと撫でた。それからくるりと背を向けて、


「それではな、ゼンジ。わたしは色々と野暮用があるんだ。なにかあったらそこのチャパーを使いなさい」


「えー、ぼくっすかー?」


 チャパーがブーと唇を鳴らす。


「おまえはわたしに三千の借りがあるだろう?」


「あーい。この身砕けようともあなたに尽くしますー」


 うんざりしたように肩をすぼめた。


「それじゃあね、ゼンジ」とメメントが囁く。すると紫色の光がその体をつつみこんだ。メメントがはかなく消えていく。きっと世界最下層領域へと還るのだ。そうだ、思いだした。


「待って、母さん……!」


 その瞬間に光が弾けた。閃光がおれとアマネとチャパーを呑みこんで――。


 そして感覚がぷっつりと途切れた。


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