6話 物語の語り直し
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おれを乗せた脱出艇がガルシアの都に降り立つ。
ガルシアの都は二段重ね構造だ。針のような建造物の間に、浮遊機構を備えた建物が浮いている。空中通路が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
都の発着場は脱出艇でひしめきあっていた。医療船団から派遣された小型医療艇がちらほらと停まっている。医者と思しき獣人や王蟲が、せかせかと動きまわっていた。
脱出艇から飛び降りる。結局、アマネとはぐれたまんまか。思わずうなだれた。飼い主を失った犬の気持ちがわかる。主は今ごろおれを忘れて新しい犬でも見つけて撫でているに違いない。おれは犬畜生じゃないが、なんだか妙にかなしくなってきた。とぼとぼ歩いていると、鼻が妙な匂いをつかまえた。
甘く、澄んだ上品な香り……こいつは魂の匂いだ。でもおかしい。匂いの濃さが違う。まるで何人分もの魂が凝縮されているかのような……。匂いは発着場を転々としている。おれは犬じゃないが犬のように鼻を利かせながら追いかけた。
脱出艇の間を抜け、医療艇のそばを通り、また脱出艇の間へ。同じところを何度も巡り、思い出したように別の方向に向かって、いきなり直角に曲がった。
どうやらこの匂いの主は、探し物をしているらしい。汗の匂いもする。焦りながら捜索しているみたいだ。しばらく追いかけて、ようやく匂いの主の背中に追いついた。
おれは思わず目を丸くしてしまった。匂いの主は純白の魔術師だった。アマネだ。怪我をしたのか、びっこを引いて歩いている。そばにいるチャパーはあきれ顔だった。
「だーかーらー、諦めましょー」
「うるさい!」
アマネが足をとめてチャパーを睨んだ。まだ、おれの存在には気づいていない。
「見たって言ってるじゃないですかー。犬っころ、竜と一緒に外に飛びだしたんですよー。あいつがここにいる可能性は、限りなく低いわけでー」
「うるさい!」
「とにかくー、少し休んだらどうですかねー。怪我もしてるしー。その足、ねん挫ですよねー。冷やして固定しないと悪化しますよー」
「うるさい!」
またアマネが怒鳴る。まわりの視線が彼女に集まった。
「あーもー、殴りますよー。次『うるさい』って言ったら、拳で殴打しますからねー」
「黙れ、クソガキ!」
「うわ、今の酷いですねー。諦めましょーって」
とうとうアマネの足がとまった。
呆けたように空を見あげ、崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。アマネはなにを探してるんだ。ねん挫した足を引きずって、汗まみれになってまで。おれは音もなく物陰からでる。しゃがむ彼女の背中に近づく。汗くさい。湿った肩をぽんぽんと叩き、
「なにをお探しですか、魔術師さん」
と言ってみる。
アマネの背中がびくんと動いた。ゆっくりと振り返った彼女のオッドアイが揺れる。
「わんちゃん……?」
確かめるような言葉。おれはうなずいてみる。するとアマネは急に顔を真っ赤にして立ちあがった。そのまま詰め寄られ、思わず後ずさる。宝石色のオッドアイはなんとなく涙ぐんでいる。
「この、駄目犬、わんちゃんなんて……!」
そこまで怒鳴ったところで、アマネの口がぱたりと閉じた。なんだよ怒るなら最後まで怒ってくれよ。そんなふうに思ったとき、彼女の視線に気づく。
おれの耳と尻を交互に見ている――。どうしたっていうんだよ。なんとなく耳と尻に手をやる。やたらとふわふわした感触に当たった。おれは戦慄した。耳はモコモコの獣耳に、お尻からはふわっふわの尻尾が生えていた。
「え? え? ええ? ええええ? ええーッ⁉」
耳と尻尾を掴み、おれは喚きながらその場をぐるぐるぐるぐると回った。
「みッ、みみが! ししししし、尻尾が⁉ ちょっと待った、こりゃ、どーいうことだよぉぉ⁉」
叫んだ瞬間にあらゆる視線がおれに集まった。チャパーはケタケタと笑い、地面を転げまわる。アマネは、そんなおれをじいっと見つめているだけだった。
◆
紙の螺旋の発着場の近くには、宿泊施設が多く並んでいる。おれたちはそのなかの一つに入って部屋を借りた。ソファーに座ったアマネの足に包帯を巻く。ねん挫したのに歩きまわったせいで、パンパンに腫れ上がっていた。そんなおれとご主人を見ているチャパーは、ずっとニヤニヤしていた。
「なにをお探しですか、魔術師さん」
チャパーがおれの台詞をいやらしく真似る。このクソガキめ、何十回言えば満足するんだ。おれは危うく歯を立てて唸りそうになった。
「本当にクサい台詞ですねー。それでもって登場タイミングまでクサいだなんて、本当に笑えませんよー。まさかですけどー、探しまわるアマネさんの後ろをつけてたんですかー?」
殺意に似た威圧を感じた。アマネだ。彼女をできるだけ見ないようにして、包帯を巻き終わらせる。キュッと結び目をつくって靴を履かせた。
「あの、アマネさん……?」
恐る恐る伺ったアマネの表情は冷たい。まるで見知らぬ捨て犬を見るかのような視線に、思わず尻尾がしなびてしまった。
「あの、なんで喋らないんだよ」
無視された。おれは諦めずに、
「ちょっと、アマネさん? どうして、質問を……」
冷たい視線が今度は鋭さを伴った。おれは思わず耳をぱたぱたさせてしまった。
「……悔しいからだ」
「く、悔しい?」
アマネがうなずいた。
「わんちゃんが想像よりもぴんぴんしていて悔しい。これは飼い主に対する裏切りだよ」
「裏切りって……っていうか、君はおれがどうなってると想像してたんだよ」
「満身創痍になってると思ってた。腕がなくなってたり、足が変な方向に曲がっていたり、致命傷で血まみれ半死ゾンビになってたり……サイアク、挽肉になっていてもおかしくないって思ってた。それなのに……今のわんちゃんを見てごらん」
おれは腕を広げて自分の体を見た。完璧な五体満足だ。掠り傷ひとつない。
「ぴんぴんしてる」
アマネがこれ見よがしにため息をはく。
「心配して損したよ……。ねん挫した足を引きずって、汗まみれになりながら探したわたしの努力は水のアワアワ」
「……つまり、努力が報われなかったから、ブスッとしていると?」
ぷいとそっぽを向かれた。自己中ここに極まれり。
「機嫌をなおすつもりは?」
「なきにしもあらず」
ぴしゃりと言われた。なんてわがままな魔術師だ。文句を呑み込んで、「これからの予定は?」と訊く。アマネはツンとしたまま、
「とりあえず、紙の螺旋ガルシアの都を巡るつもり」
「ええと、おれもそれに……ついていっても……?」
絨毯に腰をおろし、上目でアマネを見ながら訊いてみる。これじゃあ、本当にペットみたいだ。
「犬は主に連れ添うもの。主人の機嫌が悪ければ、黙って一緒に歩きなさい」
アマネは立ちあがる。ひょこひょこと足を気遣い歩き、寝室へと消えてしまった。なんて傲慢な飼い主だ。機嫌が悪くておれを邪険にするくせに、ついてこいだって?
チャパーのにまにま笑顔が目についた。とんでもなく腹立たしい。
「悔しかったからー、ですかー」とチャパー。
「白の魔術師さんは本音を隠す言葉が拙いですねー」
「そりゃどういうことだ」
おれは絨毯のうえで足を組み直し、あぐらをかく。
「そうですねー、白の魔術師さんが不機嫌なのは、悔しいのが理由じゃなさそうなんですよねー」
チャパーが首をふる。開けっ放しの大窓から風が吹き込んだ。カーテンが揺れる。それとともに飛行艇の唸りが響く。
「アマネさんは感情の闇鍋状態に陥ってるんですよー。白い服を着ているくせに、その中身はどろどろの真っ黒状態。今、彼女が不機嫌な理由は主に二つですねー」
チャパーが人差し指をぴんと立てた。
「一、あなたが無事でよかったという安堵の裏返しですー。苦労したんですよー。あなたが狭間とやりあって、ぼくがアマネさんを脱出艇まで導いて……彼女、あなたがくるまで乗らないって言ったんですー。仕方なしに無理やり押し込んでー。で、ガルシアに脱出後に犬っころが他の艇に乗ってるという希望を抱いて、探しまわりましてー」
じゃあなんでそれで不機嫌になるんだよ。おれが生きていた。やったー。それで終わりでいいじゃないか。不満げなおれの顔を見たチャパーが、
「感情とは魂に刻まれる物語の一節なんですー。彼女の魂はひどく不安定であって、物語に浮かんだ感情を、うまく解釈して処理することができないんだと思いますー」
訳知り顔で言うチャパーの言葉にピンとこない。
ぱたぱたと耳を動かし、
「わからんぞクソガキ」
という意思表示をしてみた。チャパーはため息を吐き、
「ぼくらの感情っていうのは、魂に刻まれる物語の文脈的揺らぎなんですー。魂が正常であれば、揺らぎを感情として解釈し、心に温度を与えまーす。ところが、アマネさんの魂はちょっと特殊なようで、そのせいで感情をうまく処理できなくてー」
つまり、魂の構造のせいで素直になれないってわけだ。
なんとなく理解できたような、できないような。
そして、チャパーが二本目の指をたてた。