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5話 狭間よりいずる竜

5


 艇下層に続く通路を駆け抜ける。客室ホールに入ったとき、艇が大きく揺れた。

 壁を突き破って竜の頭が現れた。長い体をくねらせて、無理やり侵入してくる。壊れた隙間から蝶たちが入ってくる。めりめりと体を変化させて、床に立つ。

 

 逃げ遅れた乗客たちがいた。蝶が彼らに襲いかかる。腕の刃が猫の獣人の体を通り抜けた。彼は倒れ、ぴくりとも動かなくなった。魔術師らしき女性が本をだし、自らの物語を武器にして蝶に立ち向かう。

 アマネを抱えたまま、チャパーと一緒に彼女のそばを駆け抜ける。蝶が女性に飛びかかったのが見えた。その鈍色の刃が彼女の体を刺し貫いた。

 

 なんだってんだよ、ちくしょう。

 

 竜がゆっくりと回転を始めた。脚をじたばたさせながら、床に尖った頭を押しつける。血の匂いがした。懐かしさが脳裏をよぎった。


「うわわわわ、ヤバいですよー!」


 喚くチャパーとは対照的に、アマネは静かだった。おれの腕を掴み、じっとしている。

 さらに一つしたの階層に進んだ。そこはバザールのエリアだった。

 いきなり天井が崩壊した。竜が天井を貫通したのだ。おれたちの目の前に落ちてくる。いくつもの店が潰された。瓦礫と一緒に蝶がぼとぼと落ちてくる。


「うわー、通路は反対側なんですよねー。竜と蝶が邪魔ですー」


 蝶が逃げ惑う乗客を追い回す。甘い匂いがした。澄んだ上品な匂いだ。なんだよ、この匂い。懐かしい感じがする。

 心臓がどくんと跳ねる。匂いの正体がわかった。そうか、これは魂の匂いなんだ。殺され肉体を離れ冥府へと旅立つ魂の香りなんだ。いや待てよ、おれ。なんでそんなことがわかるんだよ。そのとき誰かの声が耳に入った。


〈われわれに安らかな死をください。狭間竜はわれわれの魂を食らいます。われわれの物語を助けてください〉


 祈りの言葉が耳をくすぐる。魂がおれに語りかけてきている。

いったいなんなんだよ、どうしておれに助けを求めるんだよ。なんでおれはおまえらの声が聞こえるんだ。なんでおまえらの匂いがわかるんだ。


「わんちゃん?」


 アマネが呟く。悪いな、ご主人。どうやらここにおれの物語があるらしい。

 彼女を床に降ろした。背負っていた例の折れた長剣に手を伸ばす。


〈魂を救ってください。魂に刻まれている、われわれの物語を、冥府へといざなってください。

 そこで世界の礎となり、あらゆる魂の基盤となります。

 魂は、物語は、円環する。

 死して冥府へと落ち、時がくれば新たな生を受けテンスイノ世界に咲き誇ります。

 狭間をとめてください。彼らは円環を破壊します。

 彼らを殺して……そうすれば、食われた魂が冥府へと戻ることができます、だから……〉


 いたるところから声が聞こえた。蝶に殺されてしまった乗客のものだと思う。

 なんのことかわからないが、どうやら助けを求められているのは確かだ。


「わんちゃん、どうしたの? なにか聞こえるの?」


 アマネが心配そうに言った。


「さがってくれよ、アマネ。チャパー、彼女を頼んでもいいか? 逃げるには連中をこじ開けなくちゃいけないんだろ?」


 背中から鞘ごと剣を取る。ずっしりと重く、柄が不思議と手に馴染んだ。


「わんちゃん、なにを……」


「思い出しそうなんだ。なにを思い出すのかわからないけど、おれの物語がここにある。チャパー、隙をつくるからアマネと一緒に脱出艇に向かってくれ」


「ちょっと、危ないよ⁉」


 アマネを無視して一歩踏み出す。これはなにかの兆候なんだ。失くしてしまったおれの物語が、再び浮上しようとしているだけなんだよ、きっと。誰にも邪魔はさせない。

 一匹の蝶がおれに気づいた。そいつは今しがた始末した乗客を食べていた。


〈わたしを助けて。狭間から解き放って〉


 食べられた乗客の魂が言った。鞘から剣を抜く。

 刃が鞘でこすれ、獣の唸るような金属音が鳴る。

 蝶が突っ込んでくる。

 折れた剣を構え、思い切り横なぎに振るった。

 蝶の横っ腹に刃先がめりこむ。

 歯を食い縛って剣を振り抜く。

 刃の軌道に沿って灰が飛び散った。

 剣に切られた傷を始点として蝶の体はぼろぼろと崩れ、灰の山になった。


 刃が狭間を灰にした――。


〈ありがとう、これでわたしも円環に加わることができる〉


 紫色の光が蝶から立ちのぼった。あの光は魂なのか。なんでおれは、そんなもんが見えるんだ。蝶たちの視線がおれに集まる。


「チャパー、行け!」


 叫んだ。チャパーがアマネを引っぱって走りだした。


「わんちゃん!」


「いいんだ、行け!」


 おれは怒鳴りつける。アマネは唇を噛み、チャパーの先導に身を委ねて通路へと消えた。他の乗客たちも次々に走っていく。気がつけばバザールに残ったのはおれだけとなった。


 かかってこいよ、ゴミ虫どもが。


 おれの心の挑発を読み取ったかのように、蝶が殺到してくる。


〈われらを助けてくれ。狭間から冥府へと導いてくれ〉


 言われなくても助けるよ。口を真っ赤に染めた蝶が目の前にでてくる。剣の切っ先を突きだす。折れた刃先がその腹を穿つ。その蝶は痙攣しつつ口から灰を吐き、どさりと倒れた。そいつもまた灰となっていく。


 シィッと息を吐き、次の蝶に切りかかる。

 

 視界の端で蝶の刃が煌めいた。体を捻り紙一重で躱した。切られた髪がパラパラと舞う。剣を振るうたびに灰が飛び散る。おれは魂の言葉に応援されながら、灰を全身に浴びて立ちまわる。

 

 また艇が揺れた。床に突き刺さっている狭間竜が、ゆっくりと回転を始めた。


〈われわれを解き放ってくれ。この空域にて殺された、すべての魂が、この竜に集まっているのだ。魂を、物語を円環に戻せ。それが、おまえの宿命であるはずだ〉


 灰を蹴とばして竜を睨む。竜の脚がわらわらと伸びた。すべての先端に刃がついていた。無数の刃が襲いかかってくる。こいつはマズい。剣一本じゃ防げない。


 右から刃が一閃。

 体を引き切り落とす。

 今度は左から刃。

 ゾリゾリと床を削りつつ、おれの喉を狙ってうねる。

 

 そのとき、四角い鉄の塊が通路から転げこんできた。そいつはおれと竜の間に割って入り、その刃を弾いてくれた。そいつは機械人だった。正方形状の体から針金のような手足が伸びている。また別の機械人が一体乱入してくる。彼は鉄板のような盾でおれをかばってくれた。


「あなたは何者なのですか?」


 盾の機械人が問うてくる。その声には聞き覚えがあった。この艇の操縦者のユリシーズだ。機械を介して質問してきているのか。


「誰でもない、ただのゼンジだ。手伝え。あの竜を仕留める」


「なぜです?」


「魂に助けを求められてるんだよ。なんでこうなったかわからないが、それがおれの物語らしい」


「物語、ですか。わたしにもなんのことかわかりませんが、竜を狙うなら、目を。その剣を突き立ててやってください」


 四角と盾の機械人がジリジリと前進を開始した。こいつらを盾にして近づけってか。

 回転する竜の脚はまるで鞭のようにしなり、何度も刃を振るう。金属音と火花が絶え間なく散り、削られた機械人の装甲がおれの体にこびりつく。


 竜の体が傾いた。回転のし過ぎで床が崩れたのだ。脚の動きがわずかに鈍り――。


「今です、中央から切り込んで切っ先を」


 二体の機械人が左右に動く。おれは剣を構えて竜の巨大な黒い目に突っ込んだ。

 切っ先を突き立てる。ずぶり、と柔らかい手応えがした。折れた刃先が目に沈んでいく。体重で剣を押し込む。ぬめぬめした液体が噴きだし、おれの体を濡らした。


 悲鳴のような音が竜から轟いた。次の瞬間にその巨躯が逆回転を始めた。振り回されながらも、体重でさらに剣を押し込んでやった。体がふわりと浮かんだ。気がつくと、おれは青い空に放りだされていた。竜が艇から勢いよく体を引き抜いたのだ。


 竜が回転の速度をあげる。

 ちくしょう――。

 うなりながら剣にしがみついた。


「この野郎!」


 最後の力を振り絞って、剣を押した。硬いものを貫く感触がした。回転がガクンと遅くなった。間もなく竜は完全に静止した。空中を漂う島のようになった彼の体のうえで、おれは一息ついた。


〈こっちだ、こっちだ〉

〈われわれは、ここにいる〉


 なんだよ、どこだよ。


 剣を目から引き抜き、声を辿る。竜の首あたりに妙なふくらみがあった。なにかが鼓動している。どくんどくんと鈍い音が耳をくすぐる。


〈わたしたちを円環に。次の世代へと、物語を継がせてくれ〉


「なんでおれにおまえらの声が聞こえるんだよ」


〈それがあなたの物語だからだ。

 魂に刻まれた物語があなたを形作っている。

 あなたの耳はわたしたちの声を捉えるために作られている。

 あなたの体はわたしたちを救済するために存在している。

 あなたの剣は狭間を切り裂くために砥がれている〉


「よくわからん。おれは記憶がないんだぞ」


〈記憶がなくともあなたの魂はあなたのものであり、宿命は物語として刻まれている。いまはなにもかもを忘れていても、あなたの魂が、物語が、記憶を復活させるだろう。さあ早くわたしたちを解放してくれ〉


 やっぱりよくわからない。どうやらおれの物語は少しばかり難解らしい。

 とにかく、やるか。剣の切っ先を突きおろした。とん、と手応えがした。切れたところから紫色の光がほとばしった。


〈このときを待っていた。われわれは狭間から救われ、冥府へと落ちていく。円環に加わりまた世界の物語となれる〉


 魂の光が溶けるように消えた。円環、世界の物語……夢見心地で空を仰ぐ。


「おおう⁉」


 いきなり体が傾いた。危うく竜から落ちそうになった。心臓が半分口から飛びだしたかもしれない。足元を見て絶望した。竜の体が灰となりさらさらと崩れていた。


「嘘だろ」


 呟いたその瞬間に足元が抜け落ちる。おれは灰の塊と一緒に真っ逆さまに落ちていく。思わず目をつぶった。

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