21話 悪意に乞う狭間
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金切り声のうたが空にひびいている。
おれは要塞都市ベルガモットの発着場に立ち、空を睨んだ。
【緑の生命】、その広大な草原に、数多の軍勢が展開を開始した。
ハルモニアの機械兵および空艇師団、ダブリンと周辺国家の陸艇師団。
それと【永遠の機械】より派遣された、獣の姿をした自律型魔導兵器たちだ。
空艇師団が空に揃い、草原を埋め尽くしていく陸艇と機械の獣たち……張り詰めた空気がひしひしと伝わってくる。
要塞都市に住む住人たちはみんな避難した。ここが対アスフェルの最初で最後の防衛線となるからだ。
「苦労しましたよー、くそったれのお猿さんどもめー」
いきなりチャパーが現れたので、おれは「うおう」と声をだしてしまう。
「一億の猿の人間国家の緊急会合ー。連中の罵り合いときたらまるでクソの投げ合いでー。何人か前歯へし折っちゃいましたよー」
チャパーがおれに手を掲げる。その拳は真っ赤に腫れていた。
「でも会合の結果、ハルモニアが兵をだすことになったんだろ?」
「はーい。それとダブリンと諸々の人間国家も兵をだしてくれましたー。それと、メリッサの要請で永遠の機械から機械獣が送られてきてー」
「どうにかなると思うか?」
草原に広がっていくあらゆる種族の軍勢を見つめる。チャパーは肩をすくめた。
「さあ、やってみないとわかりませんー。ある程度の作戦はあるみたいなんでー」
作戦? と訊き返す。
「緑の生命に、アスフェルを叩き落として、集中攻撃するっていうー、単純かつ成功しそうな感じの作戦でー」
ひびく金切り声のうたをかき消し、飛行艇のうなりが落ちてくる。ユリシーズの管制する超級飛行艇だ。高高度で静止する。
「おー、きましたねー。いきましょー」
チャパーが指を鳴らした。ふわりと浮かぶ感覚に襲われる。そして次の瞬間に、おれとチャパーは超級艇の管制室に立っていた。
管制室の中央、魔導映像機構がアスフェルの姿を拡大表示していた。
朽ちた艇とその先端に座すアマネ=アスフェル。アマネは口を広げ、金切り声のうたをうたいつづけている。心臓が潰れそうになる。
ご主人、そんなうたをうたうなよ。
「ああ、どうも、おふたりとも」
どこからともなくユリシーズがやってきた。艇の駆動機構のうなりがひびく。
「ハルモニアの空艇師団からの伝令が入りました。攻撃を開始するとのこと。この艇も行動を開始します」
ユリシーズが言った。超級艇が駆動を開始した。
空の彼方に浮かぶアマネ=アスフェルへ目がけ、空艇師団が突撃を始める。魔導映像機構ごしに見る空艇師団は銀色魚の群れのようだ。
そのときだった。
アマネ=アスフェルが動いた。裂けたような口がさらに大きく開く。うたわれたのは不気味なうた、鉄と鉄を擦りあわせたような、そんなうたが緑の生命の草原をかきむしる。
「うわー! きょーれつですねー!」
チャパーが耳をふさぐ。まだアマネ=アスフェルとは距離がある。それなのに、こんなにもはっきりと聞こえるだなんて――。
「あれは、そんな……!」
ユリシーズが慌てふためく。アマネ=アスフェルの映像が拡大された。彼女をのせる艇の形がゆっくりと変化していく。機体をおおっていた灰色の植物が絡まりあい、ぶくぶくと肥大化していく。
「嘘ですよネー、あれー」
チャパーが口をあんぐりと開けた。
アマネ=アスフェルを乗せた艇は――巨竜へと変貌した。絹のように透き通った翼、長い首、切り裂かれたような口……伸びる四肢は禍々しくゆがんでいる。巨竜が裂けた口を開きうたいだす。
アスフェルの切り裂くようなうたに重なったのは、世界の終わりを思わせるような、重厚な低音の塊だった。
そのうたで空がゆがんだ。ひびが入って穴が開く。その穴から狭間蝶が水のように噴だす。さらに穴を広げながら、狭間竜が顔をだす。空の破片がぱらぱらと落ちていく。
無数の狭間蝶と二十体の狭間竜が現れ、空艇師団に襲いかかった。空艇部隊が慌てて散る。蝶が次々に空艇へ飛びつき、べりべりと装甲を剥がしていく。狭間竜がハルモニアの飛行戦艦に襲いかかる。槍のような竜が艦を串刺しにする。煙、炎、轟音――緑の生命が震える。
「なんで狭間がいるんだよ!」
おれはわめいた。連中は世界の隙間を司る。いうなればテンスイノ世界の一部だ。どうしてそれが世界破壊者となった、アマネ=アスフェルを援護するようなまねを――。
「アスフェルの悪意のうたに聞き惚れたんでしょーね。まあ、簡単に言えば魂のおこぼれにあずかるためでしょうねー。アスフェルの援護をすれば、たくさんの魂をぱくぱく食べられるー」
訳知り顔でチャパーが言った。空艇部隊はパニックになっていた。連携も布陣もめちゃくちゃだ。地上に展開する陸艇が対空攻撃を開始した。アマネ=アスフェルは未だ無傷だ。ゆがんだうたをうたいつづけている。
「ヤバいですねー。狭間は永遠を司るー。灰色のあいつら、底なしなんですよー。このままじゃ、狭間で世界が転覆しちゃいますー」
「わかっていますとも、チャパーさん」とユリシーズ。「……おや、草原に亀裂が入りましたね」
映像を見つめる。真っ黒なひび割れが、草原を引き裂いたのがわかった。
大地の切れ目から狭間蝶たちがあふれる。彼らは大きな渦となり、地上に展開する部隊に襲いかかった。蝶に混じって異形の狭間が姿を見せていた。
なんだよ、あれ。
おれは息を呑む。その姿は獣でもなければ蟲でもない。六本の脚に、なめらかな皮膚を持ち、三本の尻尾をぱたつかせていて――。
「狭間獣ですねー。蝶、竜に続く狭間の第三形態ですー」
「対地対空の攻撃をしながら、空域を旋回します。狭間竜に注意してください」
ユリシーズの言葉とともに、超級艇が動きだす。機体がかたむき、魔導兵器が地上へ光の雨を落とす。連続する轟音、超級艇の介入で空と地上が落ち着きを取り戻したが、それでも狭間の量は一向に減らない。
「これはマズいですねー。せめて、狭間竜だけでも片付けられればー」
「……チャパー、おれを落とせ」
剣の柄を握って告げる。チャパーは目を丸くしたが、訳知り顔になりうなずく。
狭間を殺すのはおれの物語なんだよ、チャパー。
ご主人がそこにいる。だったらおれのやることはただひとつだ。
連中を一匹残らず虚無へ叩き返してやる。
「あなたは冥府の狼、狭間を切り裂き魂を守護するのが、その使命であるー。狭間を屠り、アスフェルの悪意の翼を噛み破れー。……なんだか、領域の主っぽいこと言いましたねー、ぼくー」
満足そうにうなずく。それからチャパーは、ぱちんと指を鳴らした。