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桃次郎

 昔々、ある所に。鬼を退治し、村に平和をもたらした桃太郎という青年がいた。これはその数年後の物語。


 桃太郎が鬼を退治したあとも、おじいさんとおばあさんの日常は変わりません。おじいさんは山へ芝刈りに。おばあさんは川へ洗濯に。桃太郎は今、村の娘と結婚して幸せに暮らしています。家を出る時に桃太郎が贈ってくれた最新のドラム型洗濯機は、おばあさんには少し操作が難しかったのです。だからおばあさんは、今でも川で洗濯をしているのです。

 おばあさんがいつものように洗濯をしていると、川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。まるで数年前の再現です。おばあさんは思わず涙を流してしまいました。流れる桃を見ていると、桃太郎の事が思い出されるのです。育ててきた子供が巣立つのは嬉しい事。しかしやはり寂しい事でもあったのです。

 おばあさんはすぐに桃を家に持ち帰ると、おじいさんの帰りを待ちました。空が赤く焼け、もうすぐ日が沈むかと思われた頃、おじいさんは山から帰って来ました。おじいさんは桃を見るなり早く割ろう、とすぐに桃を割りました。おじいさんもやっぱり、桃太郎がいなくて寂しかったのです。

 桃の中からは二人が期待した通り、小さな男の子が入っていました。おじいさんはこの子に、桃次郎と名付け、大切に育てあげました。


 桃次郎はすっかり大きく育ちました。桃太郎の英雄譚を何度も聞いて育った桃次郎は、いつかは兄のように、悪者を退治したいと思うようになりました。しかし桃太郎が鬼を退治して、平和そのもの。桃太郎も今はただの農家です。桃次郎が倒すような悪者はいなくなりました。

「昔、お前の兄さんはね……」

 今日もまたおばあさんは桃太郎の話です。桃次郎は物心ついた頃から毎日聞かされました。いや、産まれてからかもしれません。もう空で話せる程覚えています。

「もう兄さんの話はたくさんだ! そんなに話したってもう鬼はいないんだよ!」

 桃次郎は家を飛び出しました。おばあさんが話して聞かせた桃太郎の英雄譚は、いつの日からか桃次郎に重くプレッシャーとしてのしかかっていたのです。兄のようにならなければ。兄のように悪者を退治しくては。そんな風に思ったのかもしれません。うしろからおばあさんの声が聞こえますが、桃次郎は耳に蓋をして聞こえないようにしました。

 走って走って走り続けると、いつの間にかおじいさんが芝を刈っている山に辿り着きました。見ると、おじいさんが汗を流しながら必死に芝を刈っています。いつもなら手伝うのでしょうが、今はそんな気分になれませんでした。桃次郎はおじいさんに背を向けて駆けだしました。


 気付くと、知らない場所に立っていました。一つ山を越えたように思います。今ならまで帰れます。しかし桃次郎はそうしませんでした。しばらく歩いていると、遠くの方からガサガサと草をかき分け、なにかがたくさんやって来ます。それは白い狼達でした。桃次郎は恐怖でピクリとも動けませんでした。桃次郎がなにもしないと見るや、狼の内一匹が、桃次郎の足を咥えて走り出しました。桃次郎の声は喉にぴったり張り付いたように出ません。

 しばらくすると桃次郎は放されました。見るととっても大きな狼が横たわっています。その体は桃次郎の三倍近くもあり、毛は針のよう。覗く牙は鋭く桃次郎程度なら一瞬の内に噛み千切れそうです。なぜすぐに食べられなかったのか疑問でしたが、なるほどこのためだったのか。桃次郎はすぐに合点しました。

「ママ、山に人間がいたよ。久しぶりのごちそうだ」

 桃次郎をここに連れて来た狼が言うと、周りから狼の鳴き声がいくつも木霊しました。いつの間にか何頭もの狼達が桃次郎の周りを囲んでいたのです。

「ふむ。お主、桃太郎と同じにおいがするぞ」

 その声は桃次郎の体の芯に響いてくるようでした。桃次郎は指の先まで痺れて動けません。

「懐かしいにおいよ。お主が桃太郎とどういう関係か教えてもらおうか」

 桃次郎は話しました。家族の事を。自分がここにいる訳を。そして兄との関係を。全部を話すと、狼は大きく笑いました。

「そうかそうか、お主桃太郎の弟か。やつには世話になった。それにしても……小さい事で悩んでいるな」

 母狼は一吠えすると、一匹の狼が桃次郎のそばに寄って来ました。さっきとは違って食べようとしているわけではないようです。

「そいつに乗って行け。私はその悩みに答えられないが、もっと頼りになる奴の元へ案内してやる」

 言われた通りに桃次郎が狼に乗ると、風よりも早く狼は駆けだしました。しっかりと掴まっていないと振り落とされそうです。チクチクとしたこの毛の感触は、忘れられそうにありませんでした。


 しばらく走ると狼は、洞窟の前で止まりました。まるでここで降りろと言っているようです。桃次郎が降りるとすぐに、狼は去りました。目の前の洞窟はずっと奥まで続いていそうです。桃次郎を飲み込もうと風が洞窟へと吸い込まれていきます。背中を押されたように桃次郎は洞窟の中へと足を踏み出しました。

 洞窟の中をしばらく進んで行くと、暗闇の中からポツポツと蝋燭が現れだしました。お陰で暗かった洞窟も明るく進めます。段々と蝋燭の数が多くなり、辺りが外と変わらない位明るくなった場所に巨大な狒々がいました。狒々の目は白く濁っており見えていないようです。

「桃太郎の弟が家を飛び出したと聞いておったが、よもや儂の元へ来ようとは、狗もお節介よ」

 見えていないはずなのに桃次郎がやって来た事がわかるようでした。さっきの狼程の大きさはないにしても、桃次郎よりは遙かに大きい狒々は申し訳なさそうな顔をしました。

「すまないが、儂もお主の悩みには答えてやれなんだ。ほかの奴の元に案内しよう」

 どうしてこの狒々は話してもないのに桃次郎の悩みがわかったのでしょうか。

「こういう場所に引っ込んでいるとな、風が色々教えてくれるんだよ。この洞窟を出たら目の前に山に行きなさい。そうすればわかるだろう」

 不思議な狒々でした。見えないはずの目に全てを見透かされていたようで桃次郎は、あまり心地よくありませんでした。


 狒々に言われた通りに桃次郎は山を登っていきます。道という道はなく、あるのは全て獣道ばかり。馴れない山歩きで桃次郎はもうクタクタです。本当にこの山にいるのでしょうか。桃次郎は少しだけ休む事にしました。木陰に座って休んでいると、空が急に暗くなりました。いいえ、暗くなったのではなく、巨大な鳥が太陽を遮って降りて来たのです。その鳥はきれいな羽をたたむと桃次郎に言いました。

「話は聞いています。良い所へ案内しましょう」

 鳥は桃次郎の肩を掴むと、勢いよく飛び立ちました。飛んでいる間、鳥は桃次郎に色々な話を聞かせてくれました。自分達がかつてした旅の話等を。鳥の話に出て来る少年は、今の桃次郎に似てたくさん悩んだようでした。

「今は焦る必要はないですよ。悩み続けていればいずれ自分の進む道は開けます。それにしても……懐かしいですね」

 鳥は、ある里の入り口に桃次郎を下ろしました。

「この中にいる方達に会ってみるといいでしょう。きっとあなたの悩みのヒントをくれるでしょう」

 そう言うとすぐに鳥は飛び立ちました。

 里の中は一見すると家の近くの村と変わらないように見えます。しかし畑で働いているのは紛れもない、鬼達です。桃次郎は驚きました。鬼は全て兄が退治したはずです。

「なんでこんな所に人間のガキがいるんだぁ?」

 振り返ると巨大な鬼が桃次郎の顔を覗き込んでいました。ここは鬼の里だったのです。

「オラ、人間のガキを見んのは始めてだ。長老様の所さ連れてくべ」

 そう言うと鬼は、桃次郎を担いで歩き出しました。やっぱり桃次郎の声は喉にぴったりと張り付いていました。

 連れていかれたのはこの里で一番大きな家です。今にドスンと落とされました。

「長老様。人間のガキが里ん中さいただ。どうすっぺ。オラこんな事初めてだぁ」

「よい。主は仕事に戻りなさい」

 鬼はすぐに家を出て行き、長老鬼と桃次郎だけになりました。長老鬼は鬼だと言うのにそれ程恐怖を感じませんでした。クセッ毛だらけの白髭を丁寧に撫でつけています。

「ふむ。たしかに雰囲気がそっくりじゃ。あの憎んでも憎みきれない桃太郎にな」

 桃次郎は身構えました。長老鬼の雰囲気がガラリと変わったからです。閉じられていた目は開かれ、桃次郎をピタリと放しません。おじいさんに習っていた剣術が役に立ちました。

「そう構えるでない。今はもう反省しとる。桃太郎が我らが島を荒らしてったのはいつの事だったかのう。次はその弟か……」

 長老鬼がまた優しい顔に戻ったので、桃次郎は座りました。今度は正座です。

「さて話は鳥達から聞いておった。ふむ、難しい問題じゃ。じゃが、ここまでやって来たお主ならもう答えをわかっているのではないか?」

 正直言うと桃次郎にはなにもわかっていませんでした。たしかに、今日一日で色々な動物と出会い、初めての経験をたくさんしたのはたしかです。

「わからないようじゃのう。それもまた若さじゃ。一つ話をしよう。簡単な話じゃ。昔我らは好き勝手しておった。そこを桃太郎が現れたのじゃ。その頃は儂はまだ若かった。生き残った者達は島を離れ、こうして里を作って暮らしておる。久しく人間なぞは見ておらん」

 なんでこの話が聞かされたのか、桃次郎にはよくわかりません。

「儂らはかつて恐れられていたしそれもわかっておった。じゃが儂らはそれを気にしておらんかったよ。自分でまいた種じゃから仕方ないのじゃが……お主も、まぁ、気にするなということじゃ。兄は兄。お主はお主じゃ」

 言っている事は理解できましたが、それで桃次郎は納得できませんでした。自分がどう思っても他の人から期待されているのではそれに応えなくてはいけません。

「あとは自分で考えなさい。あくまでこれは一般論じゃからの」

 促されて外に出ると、この里に送ってくれた鳥が待っていました。

「呼んでおいた。早く家に帰らんと心配しとるじゃろ」

 鳥は桃次郎の肩を掴んで大空へと飛び立ちました。日が傾いて夕日が赤く輝いています。

「なにかは得られましたか?」

 鳥は聞きます。なにかが得られたと言えば得られましたが、それは長老鬼の言った通り一般論です。

「長老さんも言っていたでしょう。一般論だと。自分は自分。一般論なんかで満足せず、自分の答えを見つけなさいと言いたかったのではないですか?」

 やっと桃次郎は理解しました。とにかく家に帰ったら、おじいさんとおばあさんに謝ろうと思いました。

「もしかしたら、あなたが思っている程、あなたに期待しているわけではないのかもしれませんよ? もちろん悪い意味でなくてですよ」

 自分なりの答えはゆっくり探す事にしました。長老鬼の言っている通り、ここまでの経験をした桃次郎なら答えをすぐに見つけるかもしれません。

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