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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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5 鷹と鵟 その1

今話は、差別用語、所謂『蔑称』がでてまいりますが、作者はそれを容認し増長させうる立場をとるものではありません

あくまでも、作品世界を表現するための『用語』としておりますので、ご理解賜りますようお願い申し上げます

 5 鷹とのすり その1



 真の父親である兵部尚書にして宰相である優の家門は古く由緒はあるが、実は、さほど品位は高くない。

 優を除けば、此れまで輩出してきた人物で最高品位は正五品上五位、つまり、ぎりぎりで雲上を許される品位だ。それとても退官に及んでの恩徳によって、であるから、如何に優が傑出した人物であるかが、うかがい知れるというものだ。

 しかし、低い家門に傑物が誕生すれば、それに親族全てが寄りかかるのが、常というもの。順当に出世の誉を重ねれば重ねるほど、優は、見も知らぬところか得体もしれぬ郎党まで抱える羽目になった。


 より高官への立身の為にと、一族の者に半ば脅され半ば泣きつかれ、若いうちに高位高官の名門の娘も娶った。

 それが、正室である妙だ。

 身分の違いから、輿入れ当初より妙は優と彼の一門を蔑んで見下していた。最もそれも、優が雲上を果たし、兵部に入閣した辺りから逆転する。妙の一門も、自分たちの家門の後ろ盾があればこそ、優は兵部にて頭角を現す事が出来たのだから、とその恩寵に擦り寄り、たかりに来るようになったのだ。

 しかし優は、正室の妙の家門の後押しなどなくとも、実家の定め通りに最低品位の従九品下から愚直に出仕し、己の才覚と腕っ節一本で、戦場と政治の荒波を乗り切るだけの才覚を持ち合わせていた。武人としては最高位にあたる兵部尚書にまで登り詰めたのは、優の実力あればこそだ。

 だが、誰も、優の力を正しく認めない。

 認められるのは、優が出世したが故により多く彼から絞り取らねば損だという、眼前に転がる具合の良い事実だけだ。


 実の家門からも嫁の家門からも、たかりを常習とされるようになった優が、ひっそりと佇み、安らぎだけを与えてくれる女性――

 愛しさだけを感じさせてくれるこうに傾倒していったとしても、責められまい。

 しかし、妙はそうは見ない。

 元々が名門の出であり、優などよりも血筋が確かな身分だ。

 それなのに、夫に堂々と側室を敷地内に入れられて平静でいられるわけがない。 当然のごとく、常に悋気を爆発させる妙に、好は徹底して虐め抜かれる。先に息子をもうけている分、妙の強気は加速していった。更に、そんな母親の姿を見ていた息子たちも、やがて側室の好を疎み蔑み始める。

 母親と母親の実家の期待を背負っている分、それが一番顕著なのが長子である、ようだ。鷹は、何かというと、真を目の敵にして馬鹿にし続けた。


 父親である優は、自身の元の家門の品位から、息子たちも九品から出仕させていた。

 それなりの働きをすれば、そこそこ順当な出世は見込める、というのが、自身の経験からくる優の言葉だ。

 が、母親である妙は同然それが気に入らない。

 優は兵部尚書にして宰相なのだ。正三品上正三位上の位の男の息子が、九品から出仕をはじめるなど、恥だと思わないのかと怒り狂う。

 優にしてみれば、実力もない者に五品以上にのみ許された雲上を認め、出仕を認めるなど片腹痛い。このあたりから、優と妙のすれ違いは更に溝を深くした。

 それに決定打と共に休止符を打ったのが、五年前。

 皇子・戰の目付として、真が共に祭国に向かい、手柄をあげてからだ。

 側室の息子である真は、戸籍がない。

 家門の『所有物もの』である真は、雲上どころか王宮に踏み入る事すら、許される身分ではない。まして、正式な役職など、与えられる身ではないのだ。


 なのに。

 側妾腹の息子、と常にあげつらい、馬鹿にし続けた、真が。

 華々しい手柄をあげ、更に帝室の姫君をさいとして迎え入れた。

 更に祭国郡王となった皇子・戰に請われ目付の地位のまま、共に領国に向かった。

 郡王に出世を果たした皇子・戰の傍らで、法要の際にはとうとう雲上どころか王の間に踏み入るまでをゆるされた。

 代帝・安の命令により、郡王・戰と共に戦場に赴けば、軍功の一端を担うに至る。

 更には代帝・安より、直々の御言葉までも下された。


 たかが『所有物もの』風情が。

 『星知らず』の非人(・・)如きが。

 正室・妙とその息子たちの怒りは、沸点を軽々と越えていた。



  ★★★



 各国の間に設けられた関所は、言うなれば隠れた軍事施設だ。

 どの様な災禍が紛れ込むかもれない、それを水際で押しとどめる役目を担っているのである。各国の使節団を受け入れる場合、国家機密を盗まれてはいないかなど、身体や荷物の検査などを密かに行う場合も多い。


 しかし此れまでの間、禍国と祭国の間では形骸化している。

 何しろ、中華平原で今や禍国以上の強国は存在しない。

 祭国は、その歴史ゆえに飼い殺されているようなものだ。そもそも、平原の片隅に存在を許された、鄙の土地柄だ。国としての体裁を果たして保っていられるのか、と嘲笑う者も多い。

 禍国兵部尚書にして宰相の長子である鷹も、その一人だ。

 視線だけがやけにきつい印象与える鷹が、宿の格子窓から夏の暗闇を睨んでいた。

 関所に隣接して建てられた使節団専用の宿で、ようは目前に控えた祭国入りに、はらわたを煮えくり返らせていた。

 此れまでの通例であれば、ようたち一行は、何も問題なく通過出来た。

 しかし此度は、関を訪れる度にいちいち身分を証だてせねばならない。平伏して自分たちを受け入れぬばかりか、防国を盾に自分たちの我意を押し通そうとする祭国側に、鷹は脳が焼けるかのような怒りに囚われていた。

 面倒臭くなった鷹は、関にあたる度に、上官である大令・兆の威光をちらつかせては、無理矢理押し通ってきた。今宵、この宿に逗留しているのは、時間的に次に向かう事が困難であるからという現実から来ているに過ぎない。


 ――祭国の防人を任ぜられた者どもは、頭の固い融通の効かぬ阿呆な奴ばかりだ。


 祭国の王城に入れば、禍国の役人として郡王である戰に先ず謁見を行わねばならない。

 郡王の傍らに、側妾腹の異腹弟おとうとである真がどの様な顔で佇んでいるのか。そもそも此度、自分が被っている迷惑にも異腹弟・真が一枚噛んで(・・・)いるのか、と思うだけで、反吐が出そうになる。

 ――何が『目付』だ。父上の『所有物もの』でしかない貴様がのうのう(・・・・)とのさばるなど、笑止千万、片腹痛いわ。


 この2年間の間に郡王・戰があげた華々しい戦果に、異腹弟・真が見え隠れする。

 此れまで、側妾腹であるとして蔑み哀れんでさえいた真が、武功を挙げている。


 その事実に父親である優が、直接自分たちには言葉にはしないが、何と思っているのか、鷹たちは知っている。何故なら、凱旋帰国を果たして直ぐに、先祖の霊廟に篭った優が、誇らしげに戦場での異腹弟の姿を祖先に報告していたからだ。

 己の武功を誇るよりも先ず、側妾腹の息子の戦果を告げていた。

 戸籍がない為、一族に含まれる事のない立場の真は、何程、誇らし偉業を成し遂げたとしても、霊廟に入り先祖に伝える事を許されない。だから父親である優が、息子になり代わり祖霊に報告したのだ。しかも己の功績よりも先んじて。一族郎党と認められぬ側妾腹の子になど、祖先の英霊は何の恩恵も与えはしないというのに。


 優の所業を知った正室である母親・妙の狂乱ぶりは、凄まじかった。

 父の武功を無事を祝う為の宴に用意された供物を全て粉砕してまわったのだ。妙の発狂に、しかし優は冷ややかな一瞥を呉れただけだった。出入り商人であるときに命じて、王都随一と評判の高い妓館を丸ごと借り上げ、通例通りに三日三晩通しての宴を催した。

 本来であれば、祝賀に訪れた人々を持て成す立場の先頭にたち、大いに輝きを発する事ができる妻の晴れの舞台であるというのに、妙は、ぽつんと一人、冷え冷えとした屋敷に取り残された。

 その母の怒りに狂ったぐるぐるとまわる眼光を、鷹は自分のものとして胸に仕舞っている。

 いつか、必ず思い知らせてやるのだ――と。

 そしてその時は、思いの外早々と巡ってきたのだ。

 大令・じょうに見出された鷹は正四品下従四位下、右丞の役職を得た。堂々と雲上を果たし、執務室すら与えられる身分だ。此れで、郡王の威光を借り物として、我が物顔を続ける不逞の輩である異腹弟・真と、対峙出来る。


 ――何が、『真』だ。所有物ものの癖に、大層な名前を名乗りおって。


 幼かった日に、父・優が側室である好に産屋まで与え、産まれた子に名付けの栄誉までを許したときの、好の呪詛の言葉が鷹の耳に蘇る。


「側妾腹の子が、何を大仰に。良いですか、鷹。其方こそがお父上の跡目を正しく引く、正統なる血筋。其方の名は、『父子鷹』といずれ誉を得る人物になるように、とこの母と母の実家の家門が授けた名です。胸を張りなさい。あのような、のすり風情の子が『真』なぞと大仰な名乗りを許されるなんて。今に見てらっしゃい。ええそうですとも、鷹、お前が私のこの怒りを晴らしておくれ」


 のすり、という言葉を思い出した鷹は、蔑みの笑いが込み上げるままに、肩を揺らした。

 ――そうとも。

 どんなに郡王の傍で信頼を勝ち得ていようとも、異腹弟は品位も官位も職位も得られないままだ。真実揺ぎ無き栄光を手にした自分を、奴はどんな羨みの視線でみるのかと想像するだけで、鬱々とした心が晴れてくる。

 ふと、夜中だというのに、ぴぃ! という、高い鳥の鳴き声が空気を裂いた。

とびに似ている。

 が、鷹はその鳴き声の主である鳥の名を思い出し、更に愉快そうに身体を揺すった。


 ――そうだとも。貴様など、あの鳥と同じだ。のすりで充分だ。


 声に出して笑い転げる鷹の耳に、高い鳥の鳴き声は、もう聞こえてはこなかった。



 ★★★



 小さな頭がひょっこりと覗いてきたので、おや、と那谷は目を細めた。

「お早う、那谷、今、大丈夫? 手は空いてる?」

「お早う御座います、姫様。ええ、大丈夫ですよ。真殿のお薬湯をとりに来られたのですか?」

「うん、そうなの。用意できる?」

「ええ、向こうにありますから、少々お待ち下さい」

 那谷が座を立つと、奥で横になっていた虚海がむくりと上体を起こした。

「姫さん、ご苦労さんやなあ」

「ううん」


 腰掛けて待っとりぃな、と虚海が声をかけると、うん、と素直に頷いて薔姫は腰を下ろした。

 城の奥から、祝詞が聞こえてきた。

 昨日行われた、学の即位戴冠の儀式が恙無く行われた事を王城にある霊廟にて報告が済んだ事のだろう。此れから、学は南郊に位置する王墓に向う。眠る祖霊と天帝に即位を告げる為に、燎柴祭天を行うのだ。此れは郊祀こうしとも、王墓は円丘をもって象られる事から、円丘祭えんきゅうさいとも称される。

 南郊に向う行列の先頭には、月毛の馬に乗った学が見える。

 続いて、国王の御旗を掲げた克が鹿毛の馬に乗り、親衛隊を率いていた。ここんとこ、堂々とすることに慣れてきたよね、なかなか格好がついてきたよ、と珊が笑っていたのを思い出して、薔姫は思わず、うふ、と小さく肩を窄めた。


 悠々と王都の中央道を行く国王の一行を、薔姫と虚海が静かに見送っていると、高い夏空に鳥影が見えた。

 大きな翼影は、青空に堂々と、一直線の影を描いている。

 どうやら猛禽類の一種のようだった。国王が行幸を行っているのに、鷹匠が飼い鳥を放つわけがないので、恐らくは野生のものだろう。

「ねえ、虚海様」

「何やな、姫さん」

「あの鳥、何か分かる?」

 は~ん、と鼻を鳴らしつつ虚海は空を見上げつつ、瓢箪型の徳利を傾けた。ぐびり、と喉が鳴る。

「鷹やな」

「……そう」

 答えを聞いた途端に、聞くんじゃなかったわ、と言うと薔姫はぷくっ、と頬を膨らませた。明白にむっとした様子を見せる薔姫を、はんはん、と犬のように鼻を鳴らしつつ虚海は伺う。


「どないしたんやな?」

「鷹、嫌いなの」

「は~ん?」

「鷹だけじゃなくて、鷲も隼も嫌い」

 頬をぷくぷくに膨らませたまま、薔姫は呟く。

 鷹、と聞くと、禍国で、兵部尚書・優の屋敷内の片隅にある離れ住まいをしていた頃を思い出してしまうのだ。

「何で嫌いなんやな?」

「我が君の、ご兄弟の事を思い出すから」

「はん?」

 

 優は正室・たえとの間に3人の息子を儲けており、上から順に、ようじうすうと名付けられている。妙が、名家である実家の力をかりて霊力新たかと評判の占師を呼び寄せてまでして名付けたのだ、と自慢げに話しているのを、薔姫は何度も耳にしている。

 その兄たちは、真の事をいつも蔑んだで見る。

 そのくせ何か事あらば、王女であった自分の身分と血筋の威を、ずる賢くも利用しようとするのだ。だが夫である真は、別に構う様子を見せない。

 小さな身体いっぱいに不満を表してみても、もとより私は、面倒くさい事は御免ですから構わないですよ、といってのけ、本当に別に何とも思ってないような素振りをみせる。当初は、優しいのだと思っていたのだが、最近は不甲斐ないと思いだしている。

 ――我が君は、もっと怒ればいいのよ、あんな失礼な人たち。

 まだ頬をぷくぷくさせたまま、ぷんぷんしいる薔姫に、は~ん、と虚海は鼻を鳴らし、再び、ぐびり、と徳利を傾けた。


「姫さん、前になんか、やらかしたんか?」

 流石に虚海は鋭い。ぴく、と肩を引きつらせた薔姫は、膨らませた頬をしぼませると、うん……、と小さく身を捩り、ばつが悪そうな顔色になった。

「あのね、今度此方に、禍国からの御使者がいらっしゃるでしょう?」

「は~ん」

 真さんにしたら長兄あにさんにあたるお人やな、と徳利を傾けながら虚海が相槌をうつ。

「その、我が君のお兄上様にあたる、よう様なんだけど……」

 薔姫は、おずおずと語りだした。



 ★★★



 祭国に向かう、1年ほど前の頃の事だ。

 長兄である鷹が出仕5年目にして、従7品下従7位下に昇進した。

 祝いの宴の席が設けられる事になったのだが、薔姫は呼ばれても真は呼ばれなかった。理由は明瞭である。側妾腹の子である真は、母屋に入る事が許されない身分であるのに対して、妻である薔姫は、籍を抜いたとはいえ禍国の帝室の姫であるからだ。

 何かと言うと、側妾腹だと真の事を蔑んでいるくせに、と腹をたてた薔姫は一計を案じたのだった。時に命じて、王都にある慶事品を扱うたなの品という品を、買い占めさせたのである。

 宴の席に、祖霊に捧げる為に用意せねばならない品々が手に入らない、と顔を青ざめさせて右往左往している正室の妙を横目でみて、ふ~んだ、と薔姫は小鼻に皺を寄せつつ、あっかんべと舌を出していた。


「いい気味よ、う~んと、思い知ればいいんだわ」

 そのうちに、出入りの商人から買い占めた先が知れるに違いない。

「我が君に頭を下げて御免さない、って謝ったら、許してあげてもいいかな」

 くすくすと笑って母屋の様子を伺っていた薔姫は、突然、真に呼び出された。褒めてくれるのかと思い、彼の部屋に赴いた薔姫は、小さな身体を竦ませた。嫁いできてから初めて見る厳しく顔付きの真が、正座して待っていたのだ。

「わ、我が君……」

「して良いことと悪いことの別がつかないのですか、私のさいとなられた姫君は」

「わ、私、悪い事なんてしてないもん! 悪いのは、ご正室の方だもん!」

「姫は、母君様の蓮才人様が、貴女の節目を祝えないと泣いていらっしゃったとしたら、何と思いますか?」

「だ、だって……だって……」

「何が悪いのか、何故悪いのか、よくお考えになり、謝りに参りなさい」

 言い訳の言葉が見つからず固まっている薔姫に、真は恐い声で言い放ち冷たい一瞥をくれると、くるり、と背を向けた。


 なで肩の肩を更におとして、とぼとぼと真の部屋を出た薔姫は、その足で時を呼びつけた。

 数刻後。

 薔姫が母親の蓮才人から預かったという名目で、買い占めていた慶事品は全て、正室・妙の元に贈り届けられた。薔姫も自ら母屋に足を運び、嫁の立場として平伏し、妙に祝辞を述べた。

「ご正室様、どうぞご笑納下さいませ」

どうしても謝事の言葉は口には出来なかった薔姫を、一度は妙は睨めつけた。

「……まあ、宜しいでしょう。品は受け取って差し上げます故、此度の祝いの席は遠慮なされませ」

 犯人が薔姫であると知りつつも、正式な使いの名に帝室が出た事に、妙は地に足がつかぬ程あられもなく喜び、許しを与えたのだった。


 日が経ち、宴の席が始まると、意を決して薔姫は真の元を訪れた。

あの日から宴のある今日まで、真に意図的に避けられていた。声を掛けるどころか、顔も合わせて貰えていなかった。

 ――許して、くれるかな……。

「我が君、あのね……」

 どきどきと波打つ胸の音が邪魔をして、緊張でかすれ気味の自分の声すらよく聞こえない。目の前で、書庫の扉が開く音がからり、と鳴った。

「ああ、姫、丁度よい処に来てくれましたね。一緒におやつにしませんか?」

 驚いて目を瞬かせていると、手を握られて引っ張って行かれた。庭にある、大きな木の元にまで来ると、真は片目を閉じてみせた。

 二人で一緒に木によじ登り、大きな枝に腰掛けると、真が懐に手を突っ込んでごそごそと探り出した。懐から出された手がひらかれると、小さな包があり、それを更に開くと、中かた真の好物の干棗が出てきた。

「我が君、これどうしたの?」

「さて、どうしたのでしょうかね?」

 木の枝はかなりの高い位置にあるため、宴が催されている大広間の奥にある厩が見えた。出世したからと、新しい馬を購入したのだろう。見慣れない馬が、手入れされている。

 母親の蓮才人から、昔、母国・楼国ろうこくで伝統的に行われている娘比べの乗馬部門に、毎年出場しては優勝した、と聞いた事がある。城にいた頃、それなら自分だってやってみたいとねだったが、幼いから無理ですよ、お諦めなさい、と誰も真面にとりあってはくれなかった。真の元に来てからは、彼の身分からして、ますますそんな希望を口に出せる立場ではなくなってしまっていた。

 だが、やはり、筋肉の張りを誇りつつ嘶いている美しい馬の姿を見ていると、乗ってみたい、という気持ちがむくむくと頭をもたげてくる。

「いいなあ、私も馬に乗ってみたい」

 棗を摘み上げながら呟くと、おや、と真が答えた。

「では、乗ってみますか?」

「えっ……? い、いいの?」

「はい、父上から頂いた馬がありますけど、どうせ私には乗りこなせませんし。今度、私が鍛錬する日に一緒に行って、挑戦してみますか?」

「うん!」

 足をぶらぶらさせながら、二人して頬を干棗の形に膨らませていると、下から泡を食った下男の叫び声が聞こえてくる。

「お、お、お二人とも、お早くお降りに! 落ちて怪我でもなされましたら、わ、私は、旦那様にどう言い訳をしたら宜しいので!?」

 顔を見合わせながら笑い転げ、わざと暫く木に座り続けて下男を困らせたのだった。

 


 ★★★



 話終えた薔姫は、ふぅ、と一度肩を上下させた。

「禍国にいた頃にね」

「うんにゃ?」

「我が君、何度も何度も言われてるのだけど……虚海様なら、分かるかしら?」

「はんはん、何やな? 言うてみぃな?」

「……のすり(・・・)、って何か、虚海様は知っている?」

 膝の上で、手を、きゅ・と固く握ると、意を決したように聞いてくる薔姫に、虚海は一瞬眼光を鋭くした。

「誰が言わはったんやな、そら? 今度来るっちゅう、真さんの長兄あにさんの鷹いうお人がか?」

「うん、ご正室様や、お義理兄上あにうえ様方が」

 こくん、と頷く薔姫に、虚海はよっこらさ、と言いつつ身体を起こしてじりじりとにじり寄った。


 徳利を手にしたまま、鳥を指し示した。

 からりとした高く澄んだ夏の空に、ぴぃー! という甲高い鳴き声が響き渡り、弧を描いて飛んでいる鳥影が見えた。

「あそこに飛んどる鳥、姫さんには見えるか?」

「うん、見えるわ。さっきのとは、違う鳥、よね? 小さいから、とび、かしら?」

「いんや」

 ぐび、と喉を鳴らして、虚海は徳利の中身を流し込む。

「あの鳥がな、のすりなんや」

 言われて目を丸くしつつ虚海に視線をおとした薔姫は、鳴き声が聞こえると、釣られるように再び青空を仰いだ。


「あの鳥が、のすり(・・・)なの? 鳶の仲間なのかしら?」

「いんや」

 もう一度、ぐびり、と喉を鳴らして虚海は酒を飲み下す。表情に、苦々しさが走っていた。

「のすりはな、なり(・・)は小さいが、れっきとした鷹の仲間なんや」

「……えっ?」

「鷹の仲間やのに、鳶によう似とるやろ?」

「う、うん……」

「鷹はな、自分より小さい鳥やら兎やら捕まえよる。やでな、狩りの供になるんや。せやけど、のすりはそれが出来へん」

「……身体が小さい、から?」

「それもあるがな、そんだけとちゃうのや。のすりはな、鳥も兎も、よう捕まえへんのや。捕まえるのは、鼠とか蛇とか虫とかなんや。そんなん、幾ら鷹の仲間ゆうても狩りに使えへん役立たずや、われてなあ」


 言葉を吐き出すのが苦しいのか、虚海は何度も何度も酒をあおる。

 溢れた酒で濡れた指先で、縁側の床に、のすり(・・・)という鳥の漢字を書き記した。


 ――狂い鳥。

 と書いて、のすり。

 薔姫は、息を呑んだ。


のすりはな、別の名前でも糞鳶・・いうてな、狩りするもんの間では馬鹿にされとるんや。鷹の仲間やのに鷹にしてもらえへん。名前すら貶められて、認めても褒めても貰えへんのや」


 青空では、変わらずのすりが弧を描いて甲高い鳴き声を響かせている。

 鼻の頭を赤くして、ぐず、啜り上げている薔姫に、泣かしてまって、すまんなあ姫さん、と虚海は懐に手を突っ込んだ。

 よれよれに皺のよった、しかも黄ばんだ晒を差し出されて、薔姫は一瞬きょとんとし続いて、うふふ、と小さく笑い声をあげて受け取った。


「おや、薔姫様、お師匠様がまた何か冗談でも?」

 那谷が包を抱えて戻ってきた。うん、と元気よく頷く薔姫に、那谷が「うんと苦くなるように処方しておきましたよ」と笑いながら伝える。

 すっかり、いつもの薔姫らしい笑顔を取り戻した小さな奥方に、虚海は、鵟のもう一つの名の意味を伝える事ができなかった。



 鵟は。

 よだか、とも読むのだと。

 それは、よる夜中の闇に紛れて辻辻に立ち、男たちの袖をひいて春を鬻ぐ商売をする女たちの事をさすのだと。




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