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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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3 のぞみ その1

3 のぞみ その1



 河国をも取り込んで、新生した遼国。

 然し乍ら、これから先暫くは、禍国を盟主として仰がねばならない。

 禍国軍総大将である皇子・戰に恭順の意を示しただけでは、禍国本土は、逆に疑いのまなこでもって遼国を見、改めて攻め入らんとする事であろう。 

 今の遼国の国力を思えば、得策であるはずがない。

 これも方便だ。

 禍国への絶対服従の意思表示の一つとして、遼国王・灼は河国城の重要部の開放を行った。禍国としては、技術立国である河国の実情は喉から手が出るほど欲しいものだ。それを惜しげもなく広める事により、追従の態度としたのだ。

 真が率先して各部署に入り浸りとなったのは、そういう意味あいもあった。

 勿論、真には、純粋なる興味索然の方が優ってはいたのだが。



 ★★★



 禍国軍及び遼国軍が河国王都に攻め入って、既に十数日が過ぎた。

 しかし侵冦といえば思い浮かぶ、悪虐な略奪、非道な殺人、極悪な暴行などは行われていない。

 禍国軍の幕僚は優が掌握している為、恐ろしいまでに規律統制がなされている。

 また、遼国軍も、過去に自分たちが被った悪逆無道な行いをなぞり、同じ卑しき道に堕ちるものかという気韻や威信を持ち合わせている。

 故に、蛮行、愚挙に走る短慮なやからはいない。

 丞相・ほう暗殺の咎を負わせての大粛清の嵐、そして後宮の女たちの盗賊に等しき行いの重なりの方が、道に背いていると言えるだろう。

 品位の低い宦官や宮女、官奴下男端女の方が、余程、混乱している。逆に、遼国・禍国の両軍が彼らを助けて動く有様となっている。


 禍国本土では、僅かな隙を啄いてやろうと、爪の先を研ぎ澄まして狙っているのだ。だが、態々彼らの前に餌を放ってやる必要はない。事は滞りなく円滑に進むが、良いに決まっている。

 真が得た情報を分析し、戰と灼とが協議する。そのうえで、禍国の代表者として戰が命じ、兵部尚書・優が実行者として動く。

 先ずは、王都と王城の整備から進められた。

 遼国としては、出来るうる限り、自国の金をこんな事に費やしたくはないし、禍国としては、己が国の強大さを見せ付ける、よい示威行為となる。互いに、願ったり叶ったり、であった。

 其れに、急遽ではあるが、西宮に下がった王太后・伽耶の意向により、国王・灼の正妃がりょうという娘に定まった。

 その即位の儀式を、禍国式にする事で追従の意思を示すまでの見届け人として立ち会う、という大きな意義もできた。

 大国の使節団を迎え入れるという名目を掲げれば、王都の整備は当然と言えた。

 ……使節団側自らが整備するのもどうなのか、という話は横に置くとして。


 だが、此れでは河国に不当に踏み躙られるままであった今までの遼国と変わらぬ、と主張する者も、当然現れる。

 彼らを冷静に抑えたのは、相国であるのびではなく、此れまであれば真っ先に癇癪玉と化していた、遼国王・灼だ。

 此処で、周辺諸国の同盟関係を無視して、独自に生き急いでは、産声をあげたばかりの新生遼国は、何れかの国に踏み潰されてしまう、と冷静に説く。


「慌てるな。遠からず、わしらの国を皆が仰ぐ事になる」


 堂々たる王者としての風格を漂わせはじめた若き猛き王に、従う臣下たちは、思わず跪き、「御意」と一斉に叫んでいた。



 ★★★



 斯様な理由の一端として、河国の王城の一角は戰を筆頭とした禍国の幕僚の棟として、遼国王・しゃくの名で、景気よく差し出されていた。

 どうせ、この城は河国のものだ。

 切り取り強盗さながらに、後宮たちにも財産を奪われてもいる。

 今更、どう扱おうが痛む腹もない、というのが灼や燹の偽らざる存念だろう。

「好き勝手に使ってくれ、此方は一向構わん」

 灼は、豪放に言い放った。



 禍国軍の千騎隊長以上の地位の者は、それぞれに棟を与えられて、直属の部下を伴い休む事を許されている。

 上軍大将として活躍し、瀕死に近い重症を負った杢にも、当然、一棟が与えられている。

 漸く、体調が安定しだした杢の元に医師の許しをえて見舞っていると、そこへ、祭国の蔦からの書簡が届いた。


「申し上げます。祭国の女王陛下よりの書簡を……」

「分かった、ご苦労、見せてくれ」

 戰は、皆まで言わせない。届けたかつの部下に、労いの言葉もそこそこに書簡に手を伸ばす。ほとんど奪い去るようにして、戰はがつがつと読み耽る。

 夢中になるあまりにまるまった背中を、真とふう、そして優ももくも、固唾を飲んで見守る。読み終えた戰が、顔をあげた。顔ばせが、安堵に崩れている。

「戰様、椿様は」

「うん、ありがとう、真。皆も、心配かけたね」

「陛下、では」

「ああ、芙、大丈夫だ」

 祭国での椿姫の状態は、常に安定している、もう心配ない、と告げると、その場にいた全員が、ほ~……という深い嘆息と共に脱力し、その場にへたりこんだ。

「陛下、お慶び申し上げます」

 優の言葉には、うん、と戰は曖昧な表情で頷く。

 彼は前年に、真の同腹妹いもうとにあたる娃を授かっている。

 父親のような優と、同年代の子を持つ親なのか、と思うと何とも奇妙な照れを感じるのだった。


「処で、杢、体調は良いですか? 出来ましたら少し話をしたいのですが、宜しいでしょうか」

 芙が用意させてきた苦薬湯を真が差し出すと、思いの外しっかりとした顔色で頷いた。

「ええ、今でしたら」

 気が利かぬ奴め、と真を責めるような眼付で睨む優を、へらっと無視し、真は杢の傍に椅子を引き摺ってきて腰掛けた。

「禍国での、様子なのですが」

「はい、御免状が兵部尚書様のお手元に届いた折の事を、気にされておいでなのですね」

 上体を起こせるまでに回復した杢は、受け取った薬湯を嫌な顔もせずに飲み干しつつ、頷く。

「真殿に言われておりましたが、皇女様がおむずがり(・・・・・)の時期でありましたし、契国での戦勝にも湧いている折も折でしたので、蓮才人様を頼らせて頂きました」

 そうですか、と真は頷く。

 まだ長くは話せまいと、優が、改めて禍国における政治情勢を、順序だてながら明快に説明してみせた。

 皇女・染姫に先んじて、とある開国県公の元に嫁下輿入れする王女がいる。

 母親の身分が正六品の御女である為、問題なく恙無く、事は進んでいる。それに王女の母親の身分が低すぎるとして、輿入れまでの後ろ盾として、蓮才人がたてられてもいた。輿入れの為に動く蓮才人は、実に如才無い。

 感謝しきりの御女の君と王女を、皇女・染姫は、常に苦々しく睨めつけていたのだ。何事か事をおこせとばかりに。

 

 杢は、蔦が残してくれた一座の者の手を借りて、その蓮才人に連絡を取り付けた。

 話を受けた蓮才人は、直様動いた。

 此れまで染姫の耳に入れぬように抑えてきた、御女に仕える宮女たちが垂れ流す下品な厭味を、敢えて広めたのだった。

 郡王・戰の養母として四品下の御位でありながらも、より品位の低い妃たちから人望を集めて一大派閥を形成しつつある蓮才人。仕える主が、その蓮才人を後ろ盾とするが故に、気持ちを大きくしだす宮女が現れたとて、何ら不思議はない。

 御女の君に仕える宮女たちが、皇女・染姫をいい気味だとあげつらう言葉は、普段であれば染姫の耳まで届かずにいた。蓮才人が、御女の君と輿入れする王女に要らぬ嫌疑をかけられぬよう、気を配っていた為だ。

 だが、身分知らずの粗忽者は、遠からず主である王女を追い詰める。

 嫉妬に狂った皇女が苛立ち紛れに、何を仕出かすか分からない。

 そんな簡単な事も理解できぬ、この迂闊な宮女たちを王宮から追い出すよい切掛きっかけ、とばかりに蓮才人は彼女たちを見放したのである。


 果たして、蓮才人の後ろにある郡王・戰の威光を己のものと勘違いした、図に乗った宮女たちは野に放たれ、好き放題し始める。


 ――あのような、大年増の皇女様なぞ、もう役立たずの石女なのではないのかしら?

 ――もしも、運良くご懐妊なれたとしても、あんなに醜く肥えておられては、いきみ(・・・)もならないのではありません事?

 ――そもそも、厄年に嫁しては、恥かき子を親子で産み落とすになるのですわよね?

 ――そうねえ、御身分が婚期の邪魔をするだなんて、お可哀相な事ですわ……ねえ?

 ――あら、御身分がどうであろうとも、あのご容姿では、ねえ?

 ――まず、『姫』と呼ばれるのもどうかという御年でしょう、お恥かしくはないのかしら?

 ――ふふふ、嫁に行き損ねですわよねえ?

 ――まあ、そんなにあけっぴろげに笑っては失礼ですわよ?

 ――そうそう、せめて口元をお隠しなさいな……?


 宮女たちの冷笑は、風に乗るように易々と、染姫の耳に届く。

 耳にするや否や、染姫は烈火の如きに怒り狂った。

 何よりも染姫を苛立たせていたのは、この王女がそれなりに美しく、芳紀20歳という娘盛りの妙齢にて輿入れするという事実だ。

 歯噛みしつつも、だが己の容姿、年齢ばかりはどうしようもない。

 皇女に仕える宮女たちも、何でもない様子を装いつつも、当然腸を煮えくり返らせる。

 女たちの妬みや嫉みが、左僕射・兆を動かす事になったのだ。

 兆の立場で、此方に鉄槌を喰らわせつつ二位の君である皇子・乱の総評を押し上げる事が出来る事など、一つしかない。

 今頃は、代帝・安に対しての根回しに奔走周旋している事であろう。


 芙が、真に苦薬湯を差し出してきた。

 無論、今度は自身の分である。礼の為に頷きつつ受け取り、まだ温かい薬湯に口を近づけ、立ち上る披帛ひはくのような白い湯気のひだを、真は息でふぅっ……とはらう。

 ――それにしても、しつこい御方ですね。

 未だに、戰様への粘着を解こうとされないとは。

 だが、このしつこさに此度は救われたに等しいのだ。

 以前、たて続いて此方に絡む様相を見せた左僕射・兆が再び動く素振りをみせた、という事は、彼の立場上、この先に起こりうる事はほぼ確定できる。

 しかし、激昂したのであればともかく、水面下で動くことを常々心得ている左僕射殿が、動いた・と誰にでも分かる行動に出るとは、解せない。


 ――何方かに、のせられた(・・・・・)のでしょうか?


 ずずっ、と音をたてる割には、ちびちびと薬をのむ息子の甲斐性のなさに、優は眉根を寄せる。

「それでそのどさくさに紛れて、御免状にまで、誰も目を光らせる余裕はなかったのですね?」

「いえ、一概にそうとも言い切れないと思われます」

「と、いうと?」

 戰が、優に鋭い視線を走らせると、彼は部下の言葉を肯定する為に力強く頷いた。

「事が露見せずに済みましたのは、左僕射さぼくや殿をけしかけた方がおられたからなのです」

「お陰で、左僕射殿の視界が一点集中したのだ」

「誰だ、其れは?」

「父上、何方なのですか?」

「大保・受殿だ」


 優の短い答えに耳を傾けながら、戰と真は視線を絡ませる。

 大保・受の存在は知っている。

 だが、皇女・染姫を娶ると定められたその日より、権力を失墜したも同然の男が、しかも、仕える主である皇太子・天を裏切るような行動を?

 何故、今、彼は起こしたのか?


「一族の為に、左僕射殿を生き残らせようという魂胆なのでしょうか?」

 探るような杢の言葉に、ふぅむ、と優が顔を顰める。

 既に死に体の皇太子ではなく、まだしも、先の人頭狩りで代帝・安の覚えのある乱を押したてる方が、家門繁栄の為にはよいだろう。染姫の我儘ぶりに翻弄されている同腹弟を諌めつつ、権力外にある彼は、せめて道筋を示したのかもしれない。

 だが、どうにも納得できぬというか、腑に落ちない。

「どちらにしても、郡王陛下の御心が定められている以上は、やるべき事は変わらん。大保殿を気に病んでも仕方があるまい」


 確かにそうだ。

 が。

 本当にそうなのか?

 また、それだけなのか?

 まだ、何かあるのではないのか?


 受は、元々が吃である事を理由に、大保という地位にありながら、政界の表に出る事を極端に控え続けていた。為人ひととなりが掴めぬ以上、次の一手が打たれるまで此方は後手にまわるしかない。

 

 苦薬湯を舐めるようにしながら、ちびちびと口に含みつつ、真は考えに没頭し始めた。

 まるで飲む気のなさそうな息子のまるまった背中に、優は呆れ半分の長い嘆息をこぼした。



 ★★★



 流石にこれ以上は、と医師と薬師が揃って諌めにきた。

 数日後に、遼国王の正妃入宮の儀式を控えている。杢は同席する事は出来ないが、それでもその儀式の最中、礼を尽くさないわけにはいかない。

 言われるままに、杢が寝台の上に身体を横たえる。それ機会にして、戰たちは長居しすぎた杢の居室を退室する事にした。

 すると、立ち上がった真の背中に、杢の声が飛んだ。


「真殿、少し宜しいですか」

 脈診しながら明白に眉を顰めて咎める医師に、今少しだけ、と杢は食い下がる。

 皆が部屋を出るのを待ってから、真は杢の傍に座り直した。

「どうされましたか、何か、相談ごとでも?」

 はい、と杢は脈診を受けつつ頷く。


「実は」

「はい」

「郡王陛下と共に、このまま私を祭国に連れ帰って欲しいのです」

 流石に真の表情が強張る。

 手首に指を当てたままの医師に目配せすると、彼は厳しい表情で首を左右に振った。とても許しを与えられる状態では無い、ご意志は無視して下さい、と眼光が訴えている。医師たちに言われなくとも、素人目にも杢はこのまま療養を続けた方が良いに決まっていた。

 珍しく改まって、真は杢を諭す。

「杢殿。以前、骨折する憂き目に遭ってしまった経験者の私ですから言えますが、完治するまで、此処で灼陛下の御厚意に甘えさせて頂いた方がよろしいのでは」

「いいえ」

 真の言葉を、杢は力強く遮った。

「私の脚は最早、どの様な高等な治療、高価な薬を得られたとしても、元の通りにはなりません。己が身は、己が最もよく知っております。真殿、だからこそ私は、祭国に行きたい」

「何故ですか。杢殿、このまま此処にいた方が、貴方の為になる」

「ええ。このまま此処で療養させて頂き、完治せずとも、それなりに健康を取り戻したとします。さすれば、兵部尚書様は此度の軍功を奏上し、私を再び禍国の雲上叶う身分にあげようとなされるでしょう」

「解っておられるのでしたら、杢殿」

 いいえ、と杢は再び真の言葉を遮る。


「真殿」

「はい」

「私は、今まで、自身の命の行き先を自ら決した事がありません。家族がおらぬ私は、せめて、慕うに値する御方の為に生きたいと、願い定めていました。だからこそ、兵部尚書様のお言葉に従って武功をあげ、また郡王陛下の元にも参じる事にも応じました」

「……」

「ですが、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた時、脳裏に浮かんだのは、此処まで育てて頂いた兵部尚書様の御恩に報いる事が出来なくなる、というおそれではありませんでした。私も郡王陛下の勝利のお役にたてたのだという自尊自恃の気持ち、そして祭国にいる皆と、陛下に尽くせなくなるのでは、という恐怖と悲歎でした」

「しかし、杢殿。父上には、貴方が……」

「いいえ、私がおらずとも、兵部尚書様には多くの人物がおられます――真殿」

「……はい」


「私は兵部尚書殿を、我が師として敬愛しております。我が上官としても、尊敬しております。ですが、敬慕の念をもってお仕えしたいと願うのは、既に郡王陛下なのです」

 杢が、真に手を伸ばしてきた。


「陛下の為に、真殿と国の有り様の先々を考え、克殿と兵馬を共に逞しくし心身を鍛え、学様に武芸を御指南させて頂く日々に、私は、もう一度、かえりたい」

「杢殿」

「この様な、不具障碍ふぐしょうげの者を、仲間とみなして健康を取り戻すまで待って下さるなら……」

 伸ばされた杢の手を、真が握り返す。


「祭国に、共に帰りましょう、杢殿」

「許されるのでしょうか、私は……待って頂けるのでしょうか……?」

「当然です。いくらでも待ちますよ。其れに祭国には、那谷もいます、虚海様もおられます。こんな処で野巫医者やぶいしゃにかかっているより確実に、貴方の身体を治してくれます」

 典医の位にある医師や薬師を目の前にして、野巫やぶとはまた非道い言い様である。

 苦笑いも出来ぬ彼らを尻目に、しかし、真と杢は、傷を庇いあいながら、声を出して笑いあった。



 戸口の影で、息子と、唯一と頼む部下の笑い声を聞きながら、優は、がしがしと前髪を引っ掻いた。

 ふと、視線を上げると、鍼の用意をしてやってきた下男が、もじもじとしている。彼の道を塞いでいた事に気付いて、やれやれ、と肩を上下させて道を譲ってやった。下男は、そそくさと部屋の中に消えた。

 やがて、何かをからかい合うような、楽しげな声が流れてきた。

 どうやら、苦薬湯が苦手な真と、鍼治療が苦手な杢を、互いにはやしたてているらしい。


「全く……。あれほど手塩にかけてやったというのに……杢の奴め。あんな馬鹿息子に感化されおって……」


 鼻を啜りながら、優は戰と芙の後をおって、暗い回廊の先に姿を消した。



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