2 待ち人 その1
2 待ち人 その1
「では、今日は此れで終わりですね」
舎人たちが、椿姫に向かって静かに頭を垂れた。その動作には、明らかに遠慮が含まれていた。
互いに視線を交わし合いつつ、誰が、この美しき姫君にして麗しの女王である少女に、諌める言葉をかけるか、探り合う。何としても、今日こそは聞き入れてもらわねば、という決意が汗の玉となって、彼らの額に滲み出していた。
当然だ。
彼らが主君として敬愛する女王は、今、腹に御子を宿した大事の身なのだ。
しかもその血筋は、禍国の皇子にして、共にこの祭国を統治する郡王・戰のものなのだ。
「女王陛下」
「もう下がって良いですよ、ご苦労様でした、ゆっくり休んで下さいね」
「陛下……」
今日こそは、と決意を込めて意見を述べようとした舎人たちの言葉を、優しい少女の声音は、断ち切ってしまう。
これも、もう毎日の日課のようになってきていた。
舎人たちが失意の嘆息を吐きつつ下がると、椿姫は目立ち始めた腹を庇いつつ、寝台の上に力なく横たわった。
政務の為の最低限の指示、女王の承認なしでは成し得ぬ事柄は、決して後回しにも人任せようとも、椿姫はしなかった。
そして毎日欠かさず、戰の身を気遣う便りを出すのも、忘れない。
今までと変わらぬ、愉しげな内容の文を、祐筆に頼る事なく自ら認める。
椿姫は、自身の懐妊を未だに戰に伝えてはいなかった。
戦場に居る彼がこの慶事を知ったならば、どんなに喜ぶであろうか。大きな身体を、大仰に飛び跳ねさせて、言葉を突っ返させたり裏返しにしながら、周囲を巻き込んで大騒ぎするに違いない。
が、同時に心配に、身を揉む事だろう。
何しろ、嘗て戰の父帝である景が身罷ったと同時に、自分は禍国の帝室、つまりは彼の兄弟に身を狙われた。此度のこの懐妊を知れば、相手が再び、どの様に利用しようと暗躍してくるか、知れたものではない。
たとえ戰に手紙で知らせなくとも、祭国の国政が少しでも綻びれば、宗主国である禍国が乗り出してくるだろう。そうなれば、隠し遂せるものではない。
悟らせてはならない。
何処からも漏らしてはならない。
夫である戰には勿論、禍国側には絶対に。
この戦を戰の大勝利で終え、無事に祭国に帰国してくる。
その日まで。
しかし、最低限の政務と文を認める、たったそれだけの事で、今の彼女は疲労困憊となってしまう。ぐったりと身を横たえるしかなくなっても、椿姫はやめようとしない。
出血が続くのも心配の要因の一つであるが、腹が目立つようになってきてからというもの、痛みを伴う張りを訴えるようになり、不安要素が増した。
また、まとまった睡眠をとれていないのも、気がかりの一つだ。良質の眠りが取れなくなってから、ますます、少女の躰を母体とするには負担が重くのし掛かってきているのが明瞭となった。顔色もわるくなり、ふっくらとした頬も痩せ、豊かな髪の色艶も落ちてきた。
見守る周囲の者が抱くのは、二人の初めての御子を儚くしてしまうのでは、という恐怖だけではなくなっていた。母体である椿姫自身の命とて危うくなる日が訪れるのでは、と、不吉な予感が襲い、苦しめ、焦らせる。
それなのに、夫である戰の今を大事にする故に、国を守る気遣いを、何よりも優先させる。国を安んじるよりも、ご自身と御子様の安息を、と何程勧めても、頑なに我を張り通すのである。
此れは、私にしかできぬ事です――と。
毅然と答える椿姫は、靑月の妖精の如き眩さであり、正答である。
確かに、彼女でなくては成し得ぬものだ。
だが、そうして日に日に体力をなくし、気力だけで何もかもを持たせているのが、悲しい現状だ。健康を損ない、やせ細っていく様子を見せ付けられるだけの方は、堪らない。美しさが損なわれないばかりか、かえって神々しさを増していく様子を見せ付けられ、見ている者は己の無力さに心を抉られる。
せめて、と元気付ける言葉や、休んじるようにと声をかければ、逆に相手を気遣う椿姫に、更に心が痛む。
やせ細っていく、母になったとはいえ未だ少女の顔ばせの妃を、ただ手を拱いて遠巻きするしかないとは。
己の役不足に、誰もが歯噛みせずにはいられなかった。
★★★
「何とかなりませぬか、虚海殿、那谷殿」
「お師匠様……」
珍しく、焦りと怒りを含んだ、強い詰問口調で詰め寄る蔦に、那谷はたじたじとなった。上体を反らしつつ、助けを求めて視線を虚海へと泳がせる。
受けた虚海は、はーん、と唸りながら徳利の紐を捏ねくり回しつつ、簾状の傷痕の残る顔を顰めてみせた。
「お師匠様、私は人々を救うために薬師になりながら、知識は懐妊されたご婦人へのものは少なく、特に、此度の女王陛下のような様態の方への対応は、どうしたら良いのか分かりません。お師匠様、どうか愚かな弟子に、隔心なき指南を」
「そやなあ。もっとなあ、姫さんは、こう、ご自分の辛うてかなわん胸のなかをやな、素直に曝け出してまえればなあ、ええんやけどなあ」
蔦と那谷は、顔を見合わせた。
椿姫が、気を張り詰め、皆と共に歩む女王であろうとするのは、一人きりの時をおいてない。
つまりは、彼女の相愛の相手である戰が居てさえくれれば。椿姫は、ただ一人の男を心底愛するだけの少女に戻り、甘える事が出来る。
だが、それは……。
「お師匠様、しかし」
ちちち、と舌打ちしつつ、虚海は瓢箪型の徳利を傾ける。
「そらな、姫さんのこっちゃ。こんなんではあかん、皇子さんにいっぺん帰って来て貰おうな、て頼もう。そない相談を持ちかけてみいな。何でそんな言うんや、そんな事したらあかん、ゆうて怒らはるに決まっとるがな」
「は、はい。陛下を祭国に呼び戻すなど、椿姫様がお許しになる筈がありません」
だが、椿姫が、戰の為に戦うと決めてしまっているからこその、この事態なのだ。
どう打開したらいいと聞いているのに、と那谷が珍しく、虚海にむっとした様子を見せる。そんな弟子に、のほっのほっのほっ、と師匠である男は独特の笑い声をむけた。
「小無ないやっちゃな、こんだけ云うてもまんだ分からへんのか。ええか、那谷坊。やでな、黙ってやってまったらええんや」
「は、はあ!?」
「儂らが勝手に、皇子さんを呼び戻したったらええんや」
「え、ええ!? そ、そんな!?」
「ええか、那谷坊、儂ら薬師や医師の仕事ちゅうんは、なんや?」
「は? それは、その……」
「人様を健康に、健やか~にする事やろ? 違うのんか?」
「は、はい、そうです」
「そんなら、那谷坊、分かる筈やろ? 今、儂らが一番健やかにさせたらなあかんのは、誰やな? 姫さんとお腹ん中の御子さんやろ? ん?」
「はい、お師匠様」
「皇子さんの事や。姫さんが大変やゆうたら、血相変えて飛んでくる筈や。口先ひとつで、姫さんとお腹の御子さんが助けられるんやったら、儂らが悪者なる事みたい、やっすい事やあらへんか? ん? 違うか?」
師匠の言葉に、那谷は、あっ!? となる。
ぐび、と喉を鳴らして徳利の中身を飲み下した虚海の横で、蔦が木簡と硯を用意させ始めた。
それを横目にしつつ虚海は、蔦さんはええ仕事するなあ、と、のほのほのほのほと笑い声を上げた。
★★★
この国の成り立ちについては、母親である苑を師匠の座に据えて、学は学んでいた。
国を発展させてきた五穀とそれらへの祈り以外に、民を支えた蔬菜について、今日は細かく指導を受けている。税として収める穀物以外の蔬菜の育成法は、実は種の選別から育苗、苗付けから収穫に至るまで、学ぶべき事柄は実に多岐に渡る。
采女として国仕えしていた事もあり、こと、祭国の歴に関して苑の知識は、他の追従を許さないほど豊かだ。
学は、我こそは父親である覺の英明さを受け継いだ御子であると証明するかのように、知識を己がものとし、日々成長してゆく。息子である学に、父親あった覺と共に祭国を豊かにせんと共に畑を耕し、笑い過ごした証を、こうして堂々と伝える日がこようとは。
息子の学ぶ姿を見守る苑の胸は、喜びに満ちていた。
同時に、女王でありながら立場上は義理妹である、椿姫の事を思えば、その膨らんだ胸が塞ぎ、潰れる思いだ。
此れまでは、城に足を踏み入れる事はどうしても躊躇われていたのであるが、椿姫の懐妊が発覚して以後は、学と共に一棟に住まうようになった。せめて、息子の学びの一端と、そして宮女たちの躾や教育の一環を担い、義理妹の背負う荷を軽くしてやりたいとの願ったのだ。
己の心持ちの変わりように、苑自身、驚いていた。が、遠慮しつつも義理姉と慕ってくれる椿姫を、何とか励ましたいとの気持ちは、偽りないものだ。
だがこの先は、彼女の為に、一体どうしたら良いというのだろうか?
一番は、この事態を夫である郡王陛下に知らせる事……椿姫様も、心の奥では望んでおられる筈。せめて、禍国におわす、陛下のお味方であらせられる兵部尚書様や、杢様にお知らせ出来れば。
けれど、どうしたら?
国を守りつつ、どうしたらお知らせ出来るというのでしょう?
こんな時、王太子の地位にあった覺から承衣を受けた身ながら、国政というものに全く携わる機会を得なかったが故に、なんの知恵も働かない愚かな自分が恨めしくてならない。
深く嘆きの嘆息を落とす苑の前で、礼簡に向かって何やら一心に筆を走らせていた学が、不意に、ことり、と硯の傍にそれらを置いた。
「母様」
「何ですか、学」
「母様、少しの間、この勉学の時間から離れても宜しいでしょうか?」
「――え?」
訝しむ苑の前で、学が礼簡を差し出した。
躍る文字をみて、息を呑む。
「学、此れは?」
「いざと云う時、急ぎ知らせねばならぬ事あらば、兵部尚書様と言われる御方と杢殿に確実に知らせる方法として、郡王様より授かったものです」
苑は、居住まいを正し、息子に向かい直した。
「学」
「はい、母様」
「其れを貴方が使うという事は、如何なる事であるか、理解しておりますね」
はい、と学は力強く答える。
「母様が許して下されるのでしたら、私は」
息子の言葉を、苑は胸に抱きしめて遮った。
必ず立派な王になって迎えに来る。
でも、信じて待っていた人は、現れてはくれなかった。
約束の残して去っていった愛おしい男性は、言葉を守ることなく世を去った。
虚しくはなかったが、哀しかった。
彼が目指す国つくりを、寄り添って、手を携えて、見守りたかった、いや、歩んでいきたかったのだ、と気付かされた。
けれど今、愛を交わした男性が残して呉れた子が、その道を、自ら選び歩み出してくれた。
そして、教えてもくれた。
愛した人の妹に、そして彼女が愛する人に。
自分と同じ思いをさせてはならない、決して。
「学」
「はい、母様」
「直ぐにそれを、蔦様に授けて参りなさい」
はい! と元気よく答える間も惜しんで、学は勢いよく飛び出していく。
我が子の成長した後ろ姿を喜びの涙に霞ませながら見送りつつ、苑はひとり、別の決意を新たにしていた。
★★★
馬を走らせる、という事で、克とその配下の人員の手も借りねばならず、こそこそとしつつも、明らかに目立つ大所帯での移動となった。
長い列をつくり、厩に向かいかけた一同の背後から、かなり高い音域の声がかけられる。
まだ、声変わり前の少年のものだった。
「蔦様、克様、お師様、那谷様も。皆様、何処へ行かれるのですか?」
虚海を背負った那谷が、背筋をびくっ! と震わせ、明白に飛び上がる。
克は部下と共に、うおっ!? と叫んで、ばたばたと挙動不審に陥る。
その横で、蔦は落ち着き払って、平素とかわりない。流石、様々な修羅場を掻い潜ってきた、強か者の面目躍如といったところだろうか。
「此れは、学様。この様な所に何用で御座いまするか? 今はまだ、母君にこの国の成り立ちについて学んでおられるお時間の筈に御座いましょう?」
「ええ、その通りです。ですが、母様が少々気分が悪いと横になられましたので、こうして皆様方を探していたのです」
心の中で、ん? と蔦は眉を顰めた。学の母親である苑は、元々は采女だ。薬草の類にもまた鍼灸にも、深い知識を持ち合わせている。軽い風邪の症状程度であれば、学を始め、椿姫すら診察を任される事がある程の腕であるのに。
何故、態々、学様を寄越されたのでしょうな?
訝しむ蔦の前に臆することなく、学は真直ぐに立つ。
「其れで、皆様方は、何処へゆかれるのですか?」
「はい、学様。我々は、ある重篤な患者様を救うために、禍国に薬を求めようと馬を出しに行く処に御座います」
「そうですか。その患者様とは、椿姫様の事ですね」
「学様……!?」
「でしたら、此れをお持ち下さい」
背の高い蔦を見上げながら、学は懐に手を入れてごそごそと探る。まだ、小さな手の平に握られていたのは、札簡であった。
「学様、其れは?」
何も言わず、学は蔦に札簡を差し出す。
虚海を背負ったまま、那谷が札を覗き込んできた。こら那谷坊、首横にしたらんと見えんがな、と後頭部を突きながら、那谷の肩越しに虚海も覗き込み、克も上から被さるようにして文字を見ようと躍起になっている。
蔦が手渡された札簡には、たった三文字が書かれているのみだ。
『御免状』
大人たちが一瞬言葉を失い、顔を見合わせる中、一人、少年だけが誇らしげに眸を和らげる。
「ぼ、坊ちゃんが自分で思いついて、書からはったんか?」
流石の虚海も、息を飲む。
はい、と学は頬を輝かせて頷いた。
「でも、元々は、郡王様に頼まれていたのです。何か事あらば、禍国へ使いを出すがいい、その時には御免状を作れば、関を押し通っても許される、怪しまれる事もなく兵部尚書様と言われる方の元にお知らせ出来る、と」
再び、懐に手を入れると、今度は布切れを取り出した。
得意気に、少年は広げて見せる。彼の両腕を一杯に伸ばしてもまだ足りぬ程長い御旗は、同じく王族由来の緊急用に使われる御旗であった。
「どうか、お急ぎを。そして一刻も早く、椿姫様と何よりもお腹の御子様の為に、郡王様をお連れして下さい」
御旗を蔦に押し付けるようにすると、学はそのままくるりと背を向けて、母親である苑が待つ城の方へと駆けていく。
蔦が、小さな、しかし大きな学の背中に向けて礼簡を掲げつつ最礼拝を捧げる。
克も、那谷も、虚海も。
その場にいた者は皆、新たなる祭国の王者に敬意と感謝の意を、惜しみなく表した。
★★★
蔦が認めた書簡は、克の配下の一流の乗馬技術を持つ手練によって、禍国に向かった。
火急にて御免の罷り通りである! と、御免状を振りかざし、叫びながら駆けに駆ける。本来であれば関所ごと要所ごとに、身分を改められる処だ。が、御免状と御旗を掲げての早馬に、皆すすんで道を譲る。
真が嘗て、克に手綱さばきにて2日半程で禍国から祭国に到着したものだ。しかし早馬は2、日係らずに禍国の兵部尚書・優の元に書簡を手渡す事に成功した。流石、克が鍛え抜いた馬と騎手の面目躍如である。
ちょうど、契国での骸炭発見の報を受けとり、更に紅河を下るとの連絡も同時に受けていた優は、早馬に一瞬、連続しての良き知らせを期待した。
遼国へむけて兵を旗上げる処であった優は、だが書簡を受け取り書面に踊る文字を拾い進めると、ぐぅ、と唸りっぱなしとなった。
訝しみながらも、杢は静かに待ち続ける。
書簡を押し付けられた杢は、文面に視線を落とすと、敬愛する上官に対して静かな沈黙でしか答えられないと思った。この様な、切羽詰まった事態に面しておられたとは。御子を懐妊された妃として、堂々と傅かれて過ごされておられれば良いものを。
何と痛ましさ、そして気高さであろうか。
感動に胸をうたれつつも、杢は、悲痛な面持ちで身重の椿姫を案じる。その横で、優は渋い顔を作っている。
――椿妃殿下のこの行いなくしては、郡王陛下は契国にてあの様に活躍される事は叶わなかった。
また妃殿下も、郡王陛下の血を受け継がれている御子も、ご無事でいられなかっただろう。
だが、この知らせを受けた以上は、お伝えせぬわけにはいかぬ。
そして事を知らば郡王陛下は必ず、椿妃殿下の安寧を得に祭国に向かおう。
しかしそれには、息子である真が、紅河水上戦において、全面的な責任を背負う事になる。
頭だけしか頼りにならぬ息子であるが、そのような重大事を担うなど、荷が勝ち過ぎないか?
「杢よ」
「は」
「陛下とお会いする折に、伝えるべきであろうか?」
「はい」
「杢よ」
「は」
「あの馬鹿息子は、陛下の御為に耐え切れると思うか?」
「大丈夫です。真殿は誰よりも、陛下の御為に報いておられます。今までも、そしてこれからも。それは揺るぎなき事実、変わりなき真実です」
杢は躊躇なく、きっぱりと答える。
重々しく、しかし何処か照れたように、うむ、と優は頷いた。
「しかし……私如きが、陛下に上手くお伝えできるものであるか……」
「兵部尚書様におかれましては、事態を伝える為の口火を切るのが難しいとお考えなのでありましょうが、大丈夫です。真殿は誰よりも先んじて、兵部尚書様のご様子の変化に気がつかれる筈です。必ず助け舟を出されます、ご心配なさらずに」
杢の逡巡のない言葉に、優は、複雑そうな顔付きで、う・うむ、と頷いた。
御免状にての早馬は、祭国郡王のみが知り得る極秘事項だ。
だが何れ、政敵である皇太子・天や、二位の君である乱に、御免状の存在自体は知れる事になるだろう。
その時に、どう対処すべきか?
厳つい顎に拳をあてがい、唸りかけた兵部尚書に、杢が静かに声をかけた。
「大丈夫です、兵部尚書様。真殿より、この様な時に備えて、幾つか対処方法を授かっております。私が何とか致します」
ふむ? と目尻と語尾を上げて、優は杢を見やる。
信頼を寄せる部下は、自分の言葉のみを随意とするばかりの男だった。
その分、融通が効かない所があり、危ぶみもしていた。しかし、祭国で過ごした僅か2年余りの間に、自分以外の誰かと、このような信頼関係を築くに至るとは。
一礼して、杢が部屋を下がると、優は不思議な愉快さがこみ上げるままに、笑い声をたてていた。
世間的に考えれば、若さ故の気心の通りやすさもあるだろうと思える。
だが、友垣を作るまでに至るなど、杢も、そして誰より息子には、相当な難事であると優は知っている。
「馬鹿息子めが、少しは成長していたか」
息子に、このような仲間が増えている事を知ることが出来たのは、父として悪くない、と優は思った。
そして。
遼国の領土内での密会の場にて、優は、ものの見事に息子である真に、悩みを抱えた腹の中を看破された。癪に触りながらも感謝を隠し、戰に、祭国での椿姫の切羽詰まった現状を、細大漏らさずに伝えられたのだった。
千段を疾駆させた戰が、椿姫の元に駆けつけたのは、この密会より2日半の後の事となる。




