終幕 催花雨(さいかう) その3
終幕 催花雨 その3
下がりなさい。
此れより私は、新たな王の選定に入らねばなりませぬ。
伽耶の声に、秀は我を取り戻す。しかし、と反駁する秀を、伽耶は許さなかった。
「私が陛下より承った、唯一の御言葉。誰にも取り上げる事は出来ませぬ」
「妃殿下……」
「相国、其方に話す言葉は最早ない」
創を胸に抱きながら、伽耶は微笑む。静かに額を冷たくなった頬に寄せ、唇を重ねる伽耶は、そして目を閉じた創も、満ち足りた表情をしていた。
秀の心の中で、立ち込めた闇闇たる気持ちが、ぱきり、と音を立てたような気がした。
ああ、と秀は呻く。
お二人の、こんな顔を、私は知らぬ。
自分は何をしていたのだろう?
若い君主の為を思い、全ての艱難も辛困も、共に常に寄り添い尽くすつもりだった。失敗を恐れさせてはならぬ、そこから学ぶ事こそが大事と思い、経験を積ませてきたつもりだった。
だが違う。
私は先んじて、刈り取ってきたのだ。
立ち竦む陛下が、望んでおられたのは、実は言葉による真綿の庇護などではなかったのだ。私に、実際に飛び込んで味わってみよ、と手を引いて背を押して欲しかったのだ。
私の手の平でまわす世界しかご存知あらぬ陛下に妃殿下に、なんの罪があるというのか。若いお二人が、互いの本音を知る事なく永遠に頒たれた責は、己の咎として引き受けねばならないだろう。
立ち上がり、最礼拝を創と伽耶に捧げると、秀は蹌踉めきながら若い国王夫妻を残して、王妃の間を後にした。
何処をどうして歩いてきたものか、秀には全く分からない。
蹌踉めきつつ、執務室を目指していたのは、確かだ。
だが気が付けば、ぶしゃり、と何かが何かを貫き通す音が辺りに響き渡り、同時に、より強い錆色の血の臭気が飛び散っているのを感じていた。
――やった、やったぞ!
誰かが叫んでいる。
何をやったというのか。
耳朶は、ざくりざくりと、何度も何度も、執拗に突き立てられる剣が紡ぐ音を、捉えている。その度にあがる、粘りけのある血の臭いを、鼻腔から流れついた肺の奥で、感じ取っている。
余程、己の腕に覚えがないのであろう。
でなければこの様に、無様に急所を外して剣を突き立てなどすまい。
――癇に障るほど、耳につく音、鼻を刺激する臭気だ……この程度の腕しか持たぬ者が、禍国軍を迎えるというのか……。
自身が冷たい床に倒れ込む音を、霞んでいく遥かに聞きながらも、秀は必死で眸をこじ開けた。薄れていく視界は、其れでも剣をもって襲いかかる者たちが、この国の重鎮と呼ばれても良い高官であると伝えてくる。それも、一人二人ではない。
一人が口火をきったせいか、的を秀に定め、我先にと手にした剣をつきたててくる。
ああ……そうか……。
此奴らはこの私の首を禍国軍に捧げ、己の命を救けるつもりであるのか。
剣を受ける前に嗅いだ錆の臭いは、確かに血だ。
この崇高なる民の国、河国の血を正しく伝えた国王である陛下のものと同じ、己の、血。
何故、今、この時を選び、私を討つ?
王都に帰国した際に、即刻、この私を討た果たし、首を贄として差し出せばよかったものを。
さすれば、陛下の御命は救けられたものを。
何故、国を、陛下を、思わないのか?
「……愚か、ものめらが……」
ごとり、と秀の首が床に傾く。
びちゃり、と彼の身体から溢れた血の海に横たわりながら、その鋭かった両眼は、輝きをなくしていく。
秀の口から最後に吐き出された息は、憂いと嘆きを帯びていた。
★★★
戰を総大将として、禍国そして遼国の連合軍が河国の王都に入った。
正大門から入城し、軍旗を高々と掲げての堂々たる行軍であった。
当然、河国からの抵抗があるものと構えていた両軍だったが、何と、王城は自ら南に位置する朱雀門の貫木を外してしまった。
禍国皇子・戰。
そして、遼国王・灼。
河国の民は自ら率先して、彼ら二人を、万歳でもって迎え入れた。
「何だ此れは? 此奴らは、どういうつもりであるのかよ?」
灼は目を眇めながら、怒気を隠そうともせず吐き捨てる。
王城の主人である国王と王妃を守護すべく、剣や槍や弓をその手に携えるのが、王城に仕える者の正しきあるべき姿であろう。断固として、禍国を、ましてこの遼国を受け入れぬと、城門を閉ざすべきではないか。
であるのに、彼らはみな両手をあげつつ、禍国皇子万歳、遼国王万歳を叫んでいる。媚び諂う下卑た笑いを、だらしなく口角に刻みながら。
公奴婢や下人、端女あたりまでならば許しもしよう。彼らは元来、この河国の出ではないのかもしれぬ存在だ。だが、宦官を始め雲上人である筈の高品位の官僚たちこそが、我先にと軍を押し包むようにして、覚えを良くしようともがいているのだ。
散々、遼国を人外のものとして扱っておきながら、此れは何だ!?
「国を売る行いをする輩が、人間とでも云うのかよ?」
反吐が出る、と灼は馬上で苛々と身体を揺すった。
★★★
大殿にある『王の間』を目指し、戰と灼とが並んで河国王城に脚を踏み入れた。
二人の若き王者、それぞれの背後には大将として従う兵部尚書・優と丞相・燹が、そして優の右隣には真が並ぶ。
続き、それぞれの大国旗と総大将旗が、御旗持により掲げられた。
そして、御印の大国旗と総大将旗が「えいえい・おう!」との号令をかけると同時に、両国の全ての将軍旗が掲げられる。将軍、万騎長、千騎長が、己の御印と共に、主君に従う。
禍国軍と遼国軍は、整然と粛々と、河国王城を蹂躙していった。
王城の最奥に位置する大殿に、遂に出た。
正面の巨大な丸柱が朱色に塗り上げられ、真壁作りに映えている。大殿は、通常、大極殿とも称される。王は、国の極天、即ち天涯の星なりという意味だ。
歴史を感じさせる殿楼の威厳を持った大殿内に入ると、中央最上段の玉座を頂点として、最礼服である袞冕と裳を身に纏った高品位の官人たちが左右に均等割付され、ずらりと居並んでいる。
国に攻め入った戰と灼に対し、バッと裳裾をさばく音をたて、一斉に最礼拝を施してきた。
――そんな彼らに一瞥すら呉れず、玉座、即ち王の座の隣に並ぶ王妃の座を、戰と灼は目指した。
大殿の王の間にたどり着くと、其処に、宝冠と翟衣により、美しく身を包み飾り立てられた、一人の美貌の女性が待ち構えていた。
身なりから、王妃であろうと推察した戰と灼に、果たしてその女性は殿上から声をかけてきた。
「ようまいられました。禍国皇子・戰殿下、そして、遼国王・灼殿」
殿上から先に声を掛け、灼を「殿」と呼び捨てたが、河国の最後の抵抗か、それとも意地か、矜持なのか。しかし座してではなく立ちながら、王妃・伽耶は彼らを迎え入れている。其処に、明白な降伏追従の意図が見えていて、片腹痛い。
片手落ちの誇りなんぞ、何の役にたつかよ、と灼はこれ見よがしに吐き捨てる。
が、王妃らしき女は一向に構う素振りをみせない。まるで感情が弛緩してるかのようで、心というものが何も表に出てこない、掴み取れない女だ。
「私が、この国の中殿を守りし国母、伽耶と申します」
ゆるゆると、二人に対して伽耶は腰を折り、礼を捧げた。優雅な動きは、彼女の美貌を一層引き立てる。が、能面のように表情を失った顔ばせが、魂のない操人形を思い起こさせた。戰と灼の後に続く優と燹、歴戦の強者二人の背筋を、ぞわり、と粟立たせ、冷たくさせる程に。
それ以上に、この王座に対して、不穏な空気を抱かずにはいられない。
そう。
玉座と、背後を守るべき重鎮である人物の姿が、ない。
国王である創、そして紅河にても陸においても、河国軍を率いていた 丞相・秀の存在が、不明であるのだ。
父である優と共に戰の背中から、河国の雲上人たちと王妃の様子をそれと悟られぬよう、静かに眼を回して探っていたが、どうにも行方が知れない。
――おかしいですね。国王である創陛下までもが、姿を現されないとは。
此れまで、散々っぱら遼国を人頭畜鳴の族として扱ってきたのだ。だからこそ逆に、敗戦国の王として、驕慢放縦の罰を受ける者として、自尊を逞しくするものではないのか?
何よりも。
あの誇り高き丞相・秀が、国王に最後の虚栄をと迫らずにいるとは、到底思われない。
隣に居る兵部尚書である父・優も同じ思いなのだろう。何しろ、言葉以上に重いものを、10年以上前から交わし、打ち合い、一歩も引くことなく互いを見てきたのだ。禍国軍内においては、誰よりも秀という漢を熟知している・という自負が、優にはあった。
同じ武に生き、国に仕える漢として、誰より深く。
が、こうして出迎えているのは、王妃・伽耶ただ一人のみ、だ。
しかも、彼女は自らを『王妃」でも『正妃』なく、『国母』と名乗った。王妃が国母を名乗るのは、国内で大礼斎を行う時である。
――つまり。
「……まさか…………」
冷や汗を一筋流しながら、真が思わず漏らした微かな呟きに、優はぎろりとしたひと睨みをくれた。冗談でも口にするな、と言外に息子を責めている。戰と灼も、僅かに振り向いた。灼の背後を守る燹も、視線を巡らせてくる。
言霊、という言葉がある。
悪しき連想をさせる言葉は発してはならぬ。
言葉にとり憑き、その唇から体内へと蠢く悪鬼悪霊が寄ってくる。
所謂、戦勝祈願の際に『苦・害・退・失・落・傷・遺・死・喪・陥』等、敗北負戦を連想させる言葉を発してはならないという観念は、其処から来ている。
故に悪しき言葉は禁忌にせねばならぬ――
真は、なんとか言葉を飲み込む。
しかし、「まさか」の先の言葉は、現実のものとなった。
★★★
「初にお目にかかる。私が禍国軍総大将、禍国皇子にして祭国郡王である、戰だ」
「遼国軍総大将、遼国国王、灼だ」
この場にて口を開くのも汚らわしいとばかりに、短く名乗る灼の長外套を、燹が軽く引っ張った。
燹に抗うように、ぎろぎろとした好戦的な視線を、王妃に対して灼は射掛ける。
しかし、河国の臣下たちは己の国の王妃がそのような目にあっているというのに、激昂するでも嘆くでもない。薄ら寒い嘲笑を浮かべ、隠そうともしない。
だが、臣下たちに目もくれないのは、伽耶とても同様であった。
くい、と手をあげると、手首を彩る腕輪がシャラリ、と鈴のような衣擦れのような音を奏でた。何を、と視線を交わしあう戰と灼の前で、大殿に新たな人影がそくそくと入殿してきた。
河国の後宮に住まわっている、創の側室たちである。10人や20人どころの騒ぎではない。一体何人いるのだ、とギョッとして腰を引く優と燹を、幼子と手をつなぎつつ現れた女たちは、ほろほろと媚びを顕に笑う。
品位通りに王妃を頂点として女たちが並び終えると、佇む伽耶の傍らに、宦官が高杯に冕冠をのせて現れた。
「禍国皇子にして祭国郡王戰陛下」
「何か」
「お察し下さって頂いております通りに、我が良人にして河国の玉体であらせられました国王・創は、崩御致しました」
無言でもって答える戰に、伽耶は相変わず魂のこもらぬ声音で伝えてくる。
「本来の為来りに則るのであらば、国王崩御の勅を発し喪に服するべきで御座います。なれど今は緊急のとき。斯様な折りに、国王不在のままでは立ち行きませぬ。故に、新たな国王を定めたく思い、郡王陛下には見届けて頂きたいのです」
語り終えてもいない伽耶を押しのけるように、別の宦官たちが、白木作りの、ひと目でそれとわかる結桶式の座棺を担ぎ上げて現れた。
王妃の威厳に対して尊崇の意思を見せぬとは、有り得えない。
宦官が大殿に入る栄誉を得ておきながら、何という許されぬ行為をするのか。
彼らの態度で、王妃がここ河国で如何に扱われどの様な立場であるのかが、伺い知れる。男でもない女でもない存在でありながら、宦官のなよなよとした所作が、怒りに潰していた喉を活性化させたのか、噛み付くように、灼が咎めた。
「それなるに入りしは、誰か!?」
恐怖に、ひぃっ! と女性めいた叫び声をあげた宦官は、桶の淵から手を離した。すると、鬱屈を申し立てるかのような盛大な音をたてて、結桶はがらがらと崩壊し、中に収まっていた主人が、ごろりと無造作に現れた。
「どうか、禍国軍総大将戰郡王陛下、並びに遼国王灼陛下におかれましては、そのもの身にて、国母伽耶殿下の俎上を受け入れて頂きたく……」
ひれ伏す宦官に、大令と思しき男が最礼拝を施しつつ、恭しく申し出る。男の言葉に追従して、臣下たちが、後宮の女たちが、一斉に頭を垂れつつ、戰たちに礼拝を捧げる。
しかし、禍国の者も遼国の者も、河国の申し出なぞ、耳に入ってはいなかった。
戰が息をのむ。
灼が吠え暴れる。
燹が自失しつつも灼を取り押さえる。
優が頭にのぼった怒りに任せ抜刀しかかる。
その父を真が必死に止める。
禍国と遼国の両方から嚇怒と怨嗟が噴出し、互いに互いの憤懣遣る方無さを必死に押し留めあう。
転がり出たのは――
青年王・創に相国の尊称で愛くしまれた、河国丞相・秀その人であった。
★★★
憤怒痙攣を起こすのではないかと周囲が危ぶむ程、灼が怒りに身体を震わせている。赤銅色の肌に汗が噴き出し、頬の刺青が一層濃くなっていた。
確かに、この宰相である秀には、戦場でだけなく、外交上なんど煮え湯を飲まされた事か。河国への滾る忿怒は、大方がこの秀に向かっていたと云いきって良いだろう。
幾度、彼を斬り、討ち取ってやりたいと思であろうか、最早、数え切れない。
河国側の臣下たちは、其処に目を付けたのだ。
丞相・秀を贄と捧げる。
故に、次代の王とこの国の守人である臣下である我らの命を拾え――
彼らは言外に申し出ているのだ。
当然、禍国からも遼国からも、諸手を挙げて受け入れられると彼らは踏んでいた。だが、彼らの国に乗り込んできた二人の若き王者が率いる連合軍は、等しく怒りに身を染めている。真意が測れず、河国側から微妙な空気が流れ始めた。
真の政治に関わる事のなかった彼らは、知らなかったのだ。
確かに、両軍、特に遼国は秀を激しく憎んでいる。
だが同時に、宰相として総大将として、常に全面に出て事にあたってきた秀に対し、恭敬の念も抱いていたのだ。
河国へ。
河国王へ。
私心を捨て、ただ一筋一心に、愛国と尊崇の意思を表すのみの秀の態度は、敵ではあっても一つ筋が通っていたからだ。
必死になって互いを留めあいする禍国と遼国の面々を前にして、王妃・伽耶が紅い唇を開いた。
「では、王妃として、国母として最後の。そして、王太后として初の。私の努めを果たします」
差し出された冕冠に、手を伸ばす。
「吾国の王太后として、新たな王を、正帝を此処に定んと欲す」
シャラリ、と再び腕輪が踊った。
伽耶の手に収まっていた、河国の王者の象徴である前後12本づつの旒を流す冕冠が、差し出されたのだ。
そう――遼国王・灼に向かって。
★★★
響めきが、王の間を席捲した。
その中で、流石の灼が、言葉をなくしている。
臣下にそして次いで後宮の女たち、そして宦官に、それぞれに向かい、伽耶はにこりと微笑んでみせた。
「我が良人にして河国国王である創陛下が、その玉体に遼国の血を宿せし御方であると、此処に居る者どもで、知らぬ者はおらぬでしょう」
臣下たちも、後宮の華である女たちも、互いに顔を見合わせる。確かに、そのような噂話を元手に、身分が低いながらも愛情のみで貴人の御位にまで登りつめた創の母親を貶めてきた。だが、秀と同様に、彼らとてそれが噂に過ぎぬと知っている。知っていて、暗愚の王が都合よしと煽りこそすれ、鎮静の為になど面倒で動きはしなかっただけだ。
伽耶とても、王室の一員であろう。
何を今更、無駄に蒸し返す?
己の息子が、そしてその母親である後宮の女が、更にはその女を利用せんとする臣下や宦官たちが、色めきたつ。
初めて愉しげに、伽耶が声をたてて笑ってみせた。
年相応の明るい笑顔は、場違いであるのに、嫌になるほど美しく目を引く。
「王の血筋は、正しく引き継がれねばなりませぬ。故に、遼国の血を最も麗しく引き継いでおられる遼国王、貴方こそが、次代の正帝となるべきでしょう」
伽耶が、笑いながら、灼に向かって更に腕を差し出した。
漸く、呪縛の解けた灼が、進み出た。
殿上への階段を一歩一歩、確かめるように登る。
灼が、玉座に頭を垂れ、跪く。
伽耶が手にした冕冠を灼の頭上に乗せ、纓を結び付けた。
「此処に私は宣言致します。王太后として、新たな王を遼国王・灼を任じ、私は西宮へと下がります」
伽耶の言葉が終わると共に、灼が立ち上がった。
「吾こそは、河国の新たなる正帝である!」
「新たに河国国王として、至尊の冠を抱かれる遼国王灼陛下である! 皆の者、控えよ!」
燹の宣言が、王の間を斬るように広がっていく。
灼が王の座に腰を据える。
同時に、絶望感から、ひっ! と息をのむ声が、河国側の其処彼処で上がった。
助けを求めて王妃の姿を探す視線は、既に彼女がこの場を去っていた事を知らせるのみ。彼らを、より深い絶望の淵におとしめるだけであった。
「河国国王として、初の言葉を其方らに呉れてやろう」
脚を組んだ灼が、怒りに満ちた声を絞り出した。
「河国王として命じる! 河国の重鎮にして最も尊い貴臣であった、丞相・秀の命を直接奪った者! また其れに加担した者! また其れを知りつつも思い止まらせなかった者! また其れを知りつつも王太后に知らせなかった者! 全てに罪を問うものとする!」
灼の号令を待っていたと言わんばかりに、遼国軍が雪崩を打って河国側に飛びかかる。
禍国軍は、秀の遺体を守り、そして運び出した。
怒号と悲鳴が上がり、王の間は修羅の場と化した。
灼の云う、罪問われし者とは、この場に居合わせる者、全てを指す。
他国の王が至尊の冠を頭上に抱いて王座を固め、臣下が全て姿を消す。
此処に、河国は滅亡した。
★★★
喧騒から逃れるように、真は中庭に出た。
空を彩る満天の星が、目に染み入る。
何処かで高い悲鳴と共に松明が爆ぜる音が、風にのって流れてきた。未だに、河国家臣たちへの断罪は続いているのだ。憎しみに駆られての懲罰でないが、受け取る側にしてみれば、ただましであるというだけだろう。
空を見上げつつ、知らぬうちに左腕をさすっていると、背後から声をかけられた。
「まだ痛むのか、脆弱者めが」
振り返ると、父である優がいた。
「申し訳ありません、貧相な身体で。ですが、お気遣いなく。もう、癖のようなものですので、痛みはありません」
ふん、と優は鼻を鳴らし、真の横に勝手に並んできた。
「父上」
「何だ」
「杢殿の容態は?」
聞きにくい事柄ではあるが、確かめねばならぬ事だ。そして、父が態々と自分が一人の時を狙いすまして会いに来たという事は、良いか悪いかのその両極の言葉しか出てこないのであろう。
「相当、血を失いはしたが、命は拾ったようだ。骨は……まだわからんが、塩梅よく行けば、杖を使って歩けるようにはなるとの事だ」
肺腑を空にする程深い嘆息と共に、優が答えた。
命は取り留めた。
しかし、杖に頼る生活をこの先強いられるのであれば、最早武人としての立志は儚い。
「……そうですか……」
あの時。
河国宰相である秀が、杢ではなく自分に狙いを定めていたらどうなっていたのだろうか?
倒れたのが、杢ではなく。
自分であったなら?
暗い考えに沈みかけた真の顳に、ごつん、と優の拳があたった。
「痛いですよ、父上。いい加減で、面白半分に息子を小突くのはやめて下さい」
「喧しいわ。お前を殴るのは、腹立たし紛れだ」
顳を撫でようとする真に、優が更に腕を出してきた。おっと、と身を捩りかけた息子に、馬鹿者が、と優が肩を回転させた。
父の手から、胸元に、ぽんと放り出されたのは、痛み止めの薬草の包だった。
「飲め」
云うなり、くるりと背中を見せて、優は去りかける。あ……、と真が声を掛けようとすると、その歩みがぴたりと止まった。
「私は禍国の宰相にして兵部尚書だ。国体の利を随一のものとして、そして総大将の尊意を随意として働かねばならん」
「はい、存じ上げております」
「故に、私と共に在り、国の為に役立つ者を、愛しておる」
「……はい、存じ上げております」
「だがな」
「――はい?」
「私も、人だ。私を父と呼ばわる者へ想いは、言葉にできん」
「……」
「あの時、よく、私を止めてくれた。まだ私は、お前に父と呼ばれていたい」
言いおいて、優は去っていく。
その背中を滲む視界で見送っていると、入れ替わるように、戰がやって来た。
薬の包を手にして、左腕守るようにしている真に、戰が心配げに目を細めた。
「どうした、真、痛むのかい?」
「……はい、戰様。とても――痛い……です」
愚図る鼻の下を激しく擦ると、真は慌てたように空を見上げた。
うん、そうか、と戰も優の去った先を見詰めた後、真に習う。
満天の星が輝いているというのに、いや、だからか。
星の欠片のような催花雨が、二人の頬を静かに撫でだした。
「真」
「はい、戰様」
「……帰りたいな、祭国に」
「……はい」
催花雨は、二人の言葉を包み込む。
慈愛を込めて、舞い上がる紅い塵を、共に鎮めんと。
覇王の走狗 五ノ戦 紅塵万丈 了
此れにて、覇王の走狗・五ノ戦 紅塵万丈 は終幕と相成ります。
ラストはなかなかの欝展開でした……皆様にどのように受け入れていただけるものか、少々気になるところです……
読んで頂ければ分かることですが、この五の戦はこれまでと違い、かなり長いです。正直、二つの章に分けるべきか相当悩んだのですが、悩んでばかりいたらかけないなるので、そのまま書き続けました(オイこら☆彡
自身の都合上、なかなか書き上げられなかった五の戦ですが、それゆえに思い入れも深くなりました。
さて次章は、再び禍国での動きが中心、そう、いよいよ戰が皇帝選抜レースに本格的に乗り出します!
六の戦章題は 【 落花流水 】となります。
意味は……どうか皆様で四文字熟語辞典を紐解いてみて下さいませ……
2015年5月14日 作者拝




