終幕 催花雨(さいかう) その2
終幕 催花雨 その2
早足の芙の知らせで、禍国軍が河国軍を撃破したとの報が齎された。
遼国軍の間に、歓喜の声が新たに上がる。
しかし、焦熱地獄かと見紛う邑の惨状を見せ付けられ、芙は絶句のうちに、下がろうとした。戰に命じられ、芙は、予てより示し合わせているように、遼国軍を河国王都に乗り入れるよう、要請しにきたのだ。
この惨状を見て、だがしかし、一体誰がそんな無体な事を切り出せるであろうか? 此処は、遼国軍を守り通した勇者である仲間たちを、手厚く弔う事が先決であろう。特に彼らは、輩の霊を崇拝する。その心を尊重せねばならぬ事位は、言われずとも芙にも理解できる。静かに、後退るように下がっていく。
だが灼は、「待たんかよ」と、芙を引き止める。
振り返り様に控える芙を待たせ、灼は懐から短剣を取り出した。
すらり、と剣を抜き身とし、燃え尽きた邑の大門に近付く。未だ燻る木片に剣の刃をあて、内側に残る、じりじりとした熱を移した。
訝しむ皆の前で、灼は、手にした短剣で、両眼の真下あたりから頬の中頃あたりまで、一筋、切り込みを入れる。じゅぅ、と音をたて、熱が頬の肉が焼く。あっと息を呑む皆の前で、灼は構わず、両頬に同じ切り込みを入れた。
次いで、その短剣で墨と化した扉の粉をすくい取った。そして、それをじりじりと肉の焼ける臭いを放つ傷に、しっかりと塗りこんだ。
涙の形をした赤黒い刺青が、新たに灼の顔ばせを彩る。皆が灼に見惚れる中、彼は堂々と胸を張り、天に輝く太陽に短剣を翳して光をその鋒に集めた。
「生涯、忘れぬぞ」
まさに、血涙の誓詞である。
灼は短剣を鞘に仕舞うと、涼の胸に押し付けた。
「涼、其方に預けておく。待っておるがいい」
「はい、陛下」
行くぞ! と腕を振り上げる灼の背に、おう! と遼国軍が勇ましく呼応した。
★★★
完膚なきまでの、完全な大敗。
一敗地に塗れる、とはこの河国軍の為に存在してるのかもしれない。
敗走の憂き目に遭った河国軍は、尊厳もなにも全てを擲ち、見るも無様な状態で王都に帰り着いた。河国人であるという矜持すら、地滑り的に地に墜として、王都の城門を目指していた。
最早、人としての威厳はそこにはなく、半死半生、霊気を纏った生屍人に近いみすぼらしい姿だ。労役にて兵役についていた民は、王都にではなく故郷むかって離散してしまっている為、たどり着いた者はたとえどんな底辺の者であろうとも、誇り高き武人であるはず。であるのに、人である事を自ら放棄したかのようななりの自国の兵士たちのそのような姿をみせつけられ、王都に住まう者たちは、いよいよ心を戦慄かせた。
我先に、と、慌てて逃げ出す算段を組み始め、東奔西走する。
命を拾うためであるならば、国を見捨てるなど造作無いとばかりに彼らの決断は早い。ある意味、何とも己に素直すぎ、逞し過ぎる者ばかりが集っている国柄であったらしい。脱兎も恥入る速さで、疎開してゆく。
ものの半日もかからずに、貧しい下層級の者たちを除き、王都は空になった。更に空になった打ち捨てられた屋敷に、貧民層の逃げ延びれた者たちがこれ幸いにと押し入り、僅かばかりに残っている金目の物を根こそぎ奪っていく。
地獄絵図など、いっそ生易しい愁嘆と悲哀を振りまく現状が、そこにあった。
斯なる上は、王都を封鎖し、禍国軍の視線が王城に向いている間に、遼国に駐留してある一軍を背後より襲わせる決死の篭城戦を、と思い描いていた秀であった。
が、またしても己の国の凋落ぶりを見せ付けられる事となり、激しい眩暈を覚えずにはいられない。
事ここに至っては、家財など、どうでもよかろう。
国の存亡がかかる重大事を、己一個の損得に置き換えるなど、醜悪の極み。また其れを許し、増長させるままにするしかない無能極まる臣下たちは、言うに及ばずだ。
「斜陽とは、よくも言い表したものだ」
喘ぎながら、秀はようよう言葉を絞り出す。
この国は、国体として放つ光を、とうの昔に持ち合わせておらなんだか。
何時からだ?
――11年前の戦の時からか?
王城にある執務室で、秀は力なく仮眠用の寝台に腰を下ろした。室外では、舎人や宦官たちの沓音が右往左往している。城に仕える者ですら、見限りだしたのか。
慙愧の念に耐えぬが、彼らを押し留めようにも、出てくるのは新たな救国済民の為の絵図ではなく、嘆息ばかりだ。
じくじくと痛む眉間あたりに、拳を当てる。
戦となってから、真面に寝ていない。寝られるものではないが、秀は睡眠でしか拭い取れぬ疲労があると、経験から知っている。無理矢理に眠る術を身に付けているというのに、其れでも眠る事ができない。
――陛下は、如何にされておられようか……。
負け戦よりの帰国後、直ちに陳弁の言葉を俎上せねばと謁見を願った秀であったが、取り下げられた。
もしかしたら、国を傾ける程の大敗を告げるのを、舎人たちが阻んだのかもしれない。禍国軍が攻めてくるという恐怖に耐え切れず、発狂するやもしれぬ、と恐れられたのかもしれないし、或いは真面にその意味を受け取れず常と変わらず後宮に篭りきりとなるかと、疎まれたのかもしれない。
どちらもあり得る、と秀は再び太い嘆息をこぼす。今更、どちらであろうとも、関係ないだろう。
言える事があるとすれば、国王である創は、王者として信用されていない、ということであろうか?
だが、今は其れが逆に有難く感じた。
国を救ける真の臣下は己の身ただ一つとばかりに意気込んで出陣しておきながら、この為体だ。帰城した勢いのままであれば、自己保身の為の強弁の言葉しか、出ては来なかったであろう。
陛下と、この国の行く末について、正しく語り合わねば。
重い身体を引きずり上げるように、秀は立ち上がった。其処へ、舎人がやって来た。恭しく、しかし何処か余所余所しく、礼拝を捧げながら秀に告げる。
「申し上げます。伽耶妃殿下より、急ぎ参れとの御命令に御座います」
「妃殿下が?」
首を捻り視線を外した秀は、妖しく光る舎人の両眼に気が付けなかった。
★★★
舎人に案内をさせながら、秀は王妃が執務を行うための『王婦の間』へ赴いた。
王妃専用の執政専用殿があるのは、河国独特の文化と云ってよいだろう。
王婦の間にて主に行われるのは、新たに入宮した後宮の女たちを妃として遇する際の序列を定め、品官の任命式を取り仕切る事に始まり、生まれた御子が王女であれば成人礼を行い、祝いの櫛を差す役目を担う。
河国においては、王妃が認めねば後宮の女は只の宮女として終わる。承恩尚宮として、名乗りも許されない。まして妃としても、王統の系譜に名を連ねる事はできない。さらに生まれた御子が女児である場合、王女としての格式を得られない。
此れは、王室に如何わしく不穏な血筋が入れぬ為であり、かつ卑しき女から血筋の誤った王女を系譜に入れぬ為の、王妃に課せられた重大な役目であった。
国母を名乗る王妃は、婦人の王として、国内の女たちの頂点として、君臨するのである。
然し乍ら。
そのような権力を持ち得ていながらも、現王妃・伽耶は全く無力な女であった。
国王である創は、気紛れに宮女たちに手を出しては手慰みにした後、気儘にその女たちに品位を与えていた。王妃から承恩を受けたという任命を受けねばならぬのに、創は伽耶を通す事なく勝手に妃を増やし続けているのである。
当然、財政を激しく圧迫する。
一体、国王陛下は、妃一人を任命しその恩給を下すのに、どれだけの宝玉が必要になるものか考えたことがあられるのか。皇室の財政を預かる宗正寺は、呪詛の言葉を吐きつつ奔走していた。
其れでも、王妃・伽耶は手出しも口出しもしない。
王宮の最奥にある居城である中殿で、日がな一日、存在せぬかのように、じっ……と逼塞しているのみだ。
そんな王妃が、この河国の没落衰亡の大事のときに、自分に話があるという。
今更、妃殿下としての自覚に目覚められたとでも云うのか?
であれば喜ばしい事であるが……。
勧められるままに、開かれた扉より王婦の間に入る。殿上を伝える為に、宦官が小走りに走っていく。暫しの間をおいて、宦官が戻ってきた。
此方へ、と仕来り通りに明かりもともされていない、狭い通路に通される。中殿は、国母である王妃の懐という考えのもと、その中央を歩むことが出来るのは国王のみと定められている為だ。
沓音を立てぬよう摺足気味で歩く宦官の背を追いながら、ふと、鼻を掠める錆び付いた異臭に、秀は眉を寄せ、目耳を欹てる。
此処より先は一人にてとの御命令です、と宦官が下がる。秀は早速、胸に迫る不快極まる圧迫感、異臭のもとを探った。
「……血?」
訝しみながら、鼻の下に握り拳をあてがう。周囲を探る為、視線を慎重に巡らせた。
そして、ある一点に視線が集中した。
同時に秀は、知らぬうちに喉を裂いて絶叫していた。
血の海が広がる床に這い蹲るように転がっていたのは、この河国の国王である人物。
創、その人であった。
★★★
「――へ、陛下! 陛下、創陛下!」
倒けつ転びつしつつ、何とか創の元に駆け寄る。
裳裾が汚れるのも厭わずに血の海に飛び込み、創を抱き上げた。
胸を深々と刺し貫かれた上に、喉笛を深々と破られている。血を喪い過ぎている為か、半目状態の瞳は既に輝きが失せいる。
「……陛下……おお、創陛下……! どうか……どうか目を、お開けに……どうか……陛下!」
眸から流れる涙が、感情の昂ぶりをもあふれさせる。子供のようにみっともなくも鼻水まで垂らしながら、其れでも秀は奇跡を信じ一縷の望みに賭け、創の身体を揺さぶり続けた。
青白く冷たくなりつつなる肌が、命の灯火を消して過ぎ行こうとしているのだと、其れは無駄な行為であると、秀に伝えてくる。其れでも、秀は繰り返し繰り返し、敬愛する青年王をこの世に止めようと、必死で呼び続けた。
「相国や」
滑稽なまでに、愚直に創の名を呼び続ける秀の背中に、正妃である伽耶の声が降り注がれた。はっとなり振り返ると、いつの間に寄っていたのであろうか? ただ一人で佇む王妃・伽耶の姿が、暗闇に同化しつつ、ひっそりとそこにあった。
「ひ、妃殿下……」
「陛下は、とうの昔に身罷られておられます。陛下自らが、臨んで死への旅路を選ばれたと申しますのに、相国ともあろう者が、何をそのように不敬なる行いをなされるのです」
伽耶の言葉に、秀は、カッと脳天に熱い血が滾るのを覚えた。
この年若い王妃の言葉には、国王・創が自ら死を選ぶ事を知り、尚且つその場に立ち会った者としての音が含まれているのを、鋭敏に感じ取ったからだ。
「妃殿下」
「何です? 何故この私が、王妃であるこの私が、相国に、何故そのような咎めだてるような声音で、呼ばれねばならぬのでしょう?」
良人である国王が斯様な死様を迎えているというのに、何処か、晴れやかな表情すらみせながら詰る王妃・伽耶に、秀は背筋が冷たくなるものを感じた。
いつもの、諦め、冷めた、ぼうとした視線の、王妃ではない。
其のくせ、怒りも、諦めも、喜びも、見せない。
近づいてくる伽耶を怯えに似た慄きをもって見上げている秀に、年若い王妃は、にぃ~……と、口角を持ち上げてみせた。
これもまた、いつもの面飾りのような笑みではない。
全く笑みとしての表情が無いくせに、満足気に勝ち誇っている。恍惚としているのならばまだ真面であろうが、この臓腑を凍てらせるものはなんなのか? 般若の方が、いっそ微笑ましい。
沓を履いていないのかと思われるほど静かに、王妃・伽耶はしずしずと創をかき抱く秀の傍に寄り、そして腰をおろした。
視線を落とし、乱れたままに血糊でべったりと張り付いている創の前髪を、その白く細い指先で静かに横に払う。次いで、短剣を握っている創の右手を、抱くようにして、取る。既に死後の硬直が始まり出している。固く絞まった指を一本一本、開き、解しし、短剣を奪う。
宝物を取り返したか女童のように、短剣を胸にかき抱く伽耶の顔ばせは、やはり、深い満足感に満ちている。
「妃殿下……陛下は、何故、この様な最後を選ばれたのですか」
「……」
「妃殿下!」
重ねて問う秀に、ゆっくりと視線のみをあげた。
ぞくり、と秀の背中に戦慄が走る。
伽耶の視線には、秀を深く侮蔑する光が燦燦と宿っていたからだ。
「誠に、お解りになられないのですか、相国や」
「何ですと?」
「相国、何故、貴方は、陛下を王都になど連れてまいったのですか?」
「――は?」
「陛下は……陛下に相応しからぬ御身である事を、どんなに嘆き悲しんでおられたか……どうして、気が付いて差し上げなかったのですか?」
訳が分からない秀の前で、伽耶が創に腕を伸ばしてきた。
★★★
其れを創が知ったのは、4年前の戦の時だ。
誰の口からのものかは、今となっては杳として知れない。だが、そんな事はどうでも良い。
勝ちとも負けとも呼べぬ、小手調べにもならぬ小競り合いを終えて天幕に戻り、次なる戦に備えようとしていた創は、部下に勧められて意気を上げる為の奉納舞の席を設けた。美しく舞う遊女達を、やがて兵士たちは酒に溺れ切った欲望に塗れた眸で追いかけ始める。
やがて、遂に一人が舞台の上にあがり、下卑た誘い文句を吐きつつ遊女の腕を取る。黄色く甘い嬌声があがった。それを契機に、次々と兵士たちは同様に舞台を目指した。
「止めぬか、この痴れ者どもが、恥を知れ!」
戦勝を天に求める為の舞の席で、猥褻な行いを、それも人目憚らず行うとは!
栄誉ある河国軍には、必要なし!
戒める為、少年王・は、抜刀して舞台に上がった。躊躇なく、剣を一閃させて、兵士たちの身体を容赦なく切り刻み、処罰を喰らわせる。腕を落とされ、血飛沫を上げて転がる兵士が、ぎろりと睨みつつ、怨毒を込めて吐き捨てた。
「何を格好をつけていやがる。王だと!? ハッ、笑わせらあ! いいか、貴様の母親はなぁ――」
酒膳の席で、県令が戯れに手を出した、婢女の腹から生まれたんだ!
そうとも、遼国の、あの穢らわしい生口たちの腹からな!
貴様こそ、穢の塊だろうに!
嘲り笑う兵士たちの声が、毒の渦となって創の耳朶を叩き、そして耳より入った言葉は、彼の心を一気に貫き通す。
遼国――生口――婢女――穢らわしい――穢の塊
言われてみれば、県令の娘として生まれ貴人の御位を賜りながら、何故、王宮を出されたのか?
母親が身罷ったとて、母に与えれらた居棟を己が住まいとする王子は居る。自国は言うに及ばず、禍国の皇子・戰もそうだ。
其れが当然であるというのに、何故、自分は――?
其れは、我が母親が遼国の、あの汚れた国の汚水の如き血を引いているからではなかったのか?
血筋を知った王が怒り、己を蔑み、遠く王都より離れた県へと送りつけたのではなかったのか?
だから私は、相国が迎えに来るまで、己の出自を正しく知る事はなかったのか!?
ぐるぐると、創の身体の中で渦を巻く讒謗中傷の嵐。
気が付けば、創が嵐と化していた。
酔ったように創が自国の兵士たちを斬り刻んでいる、その最中。
敵の急襲を受けたのだ。
創が率いた河国軍は総崩れとなり、一敗地に塗れたのだった。
★★★
伽耶の告白に、茫然自失となった秀の腕が緩む。
彼女は、そんな秀の腕から創をゆっくりと奪い取った。膝の上に、半白目を剥いたまま、苦しみもがきながら息絶えた良人の頭をのせる。
「愚かな……」
漸く、秀は呻く。
陛下の玉体に、遼国の血――が、だと?
……そんな訳が無かろう、ある訳がないではないか、なぜそのような讒言を正しいものとして受け取られたのだ!
後宮に入り、妃の一員となる女には、厳しい審査が行われる。特に血筋は徹底して調べ抜かれる。輝かしい河国の王朝に、たとえ微塵でも遼国の血を入れてはならぬ、血縁を結んではならぬというのは、至上の命令だからだ。
創の母親もまた、血筋の正統性は、8代まで遡って調べ上げられている。確かに、この河国の麗しき血を誠実に引く女性であった。でなくては、正二品上の貴人にまで上り詰めはしない。
なのに。
なにを、そのように思い違いをされ、思い詰められたのだ?
「……愚か?」
秀の言葉を聞き咎めた伽耶が、まあ、ほほほ……と笑い声をあげた。この女の笑い声など、聞いた事がなかった。それを、この様な場にて耳にしようとは。
「河国丞相・秀ともあろう御方が、珍しく蒙昧な事を仰るのですね」
膝の上の創の髪を幾度も指先で櫛けずるようになでながら、伽耶は笑う。
「何ですと……?」
「兵士らの言葉が正しいか、正しくないかなど、陛下にはどうでも良い事だったのです」
「……は?」
「陛下には、相国の期待と愛情が、重荷だったのです」
「――なっ!?」
侘びしく寂れた県令の元から、華やかな王城へと連れてこられた当初は、自身に突如として降りかかった栄光に、創も少年らしく酔いしれた。
しかし、秀の教育と愛情を受け、物事を知るにつけ恐ろしさが募り出す。
全体、自分は、秀の忠誠心と愛国心を受けるほどの、人物なのか?
10歳までを鄙びた片田舎で暮らしてきたのだ。王者としての才能が無い事など、とうに露見しているであろうに。
どうして失望しないのか?
どうして落胆しないのか?
どうして見捨てないのか?
疑念ばかりが深まるが、唯一知り得るのは、自身に流れる河国帝王の血が、この優秀な男を傍に留めおいてくれている、という事だけだ。
では、この血が誤っていたとしたら?
私が、河国の王に相応しい血を引いていないとしたら?
相国が、其れを知ってしまったら、どうなる?
私に失望し、見捨てるのか?
あの愛情を、他の誰かに注ぐのか?
一度沸いた恐怖からの疑心は、少年の心に染みのようにこびり着いて離れない。
――嫌だ! そんな事は許さない!
離したくない、認めさせねばと、秀を繋ぎ留めたい一心で、必死になって打って出た初陣だった。
だが其処で創は、己の疑念を正しいものとする言葉を、遂に耳にしてしまった。
大敗して帰国した創は、荒れ狂った。狂乱した。
手当たり次第に女たちに手を付けたのは、躰に溺れ、精を放つ折に得る高揚感が、己の恐怖を消してくれると知ったからだ。たとえ一瞬であったとしても。
伽耶には、帰国して直ぐに涙ながらに告白した。
自分は汚れきっている。
其方を抱けない、抱く事は許されない。
正しい血筋の其方と血を結んでしまえば、いよいよ私は相国に見下げられてしまう。
それだけはどうしても耐えられない。
相国が私を見限り、新たな国王となる人材を見出した時には、王太后として、その者を任命してやってほしい。
相国の良いように、してやって欲しいのだ。
「頼む、妃よ」
まだ実質的な夫婦となっていない良人からの突然の告白に、伽耶は微笑みをもって頷いた。
「妃殿下……」
「愚かな御方です、本当に、貴方は、貴方がたは……」
創の目蓋を、伽耶はそっと閉じさせた。
貴方の瞳は、決して私を映さなかった。
最後まで。
相国に愛される事だけを、望んでいたその瞳には、誰も入り込む事を許されなかった。
禍国軍に紅河の水上戦においても続く地上戦においても、肝脳塗地に塗れた惨敗を得たと知った創は、伽耶の元にやって来た。
遂に、相国は私を見限り、新王を即位させる事で人心を掌握しようとするであろう。
いや、最早、秀がこの国の王となるが正しいであろう。
どちらにしても、自分は秀の為に死ぬ大義を得た。
この機を逃したくはない、早く鬼籍に入りたい。
しかし、家臣が王を討つは、天帝が定めたる法に背く大罪。
私は、相国に汚名を着せたくはない。
故に、相国の為にこの命を自ら断つ。
妃よ、其方は私の息が止まるまでを、王妃として見届けてくれ。
そして相国が導くこの国の有り様を、私に成り代わり、見届けてくれ。
切り出すやいなや、作法に基づき、自らの短剣で先ず胸を突き、続いて確実に死を得るために、喉笛を斬った。伽耶に、止める間も与えずに。
でも何故?
其処まで、相国を敬愛していたのであれば、気付かれても良いものであったでしょうに。
貴方様の考えなど、何処までも勝手で矛盾に満ちた妄想であられましたのに。
愚か者を演じる事などなかったのに。
見捨てられままいかと怖気に震えて確かめつつも、これで見捨ててくれればと期待を込めて女を抱くような愚挙に走らずとも、よろしかったのに。
相国に向けるその美心を、私にも零してくだされれば、お味方になりましたのに。
ただ、真心を込めて愛してくだされれば。
私を愛して下されれば、それだけでよろしかったのに。
「本当に、なんて愚かなのでしょう、陛下も、わたしも、其方も、誰も彼もが、みな……」
「妃殿下……」
でも、これでやっと、貴方は私だけのものです……。
血に塗れつつも悦び悶える伽耶の声は、創の流した血の海に吸い取られていった。




