5 絡み合う糸 その2
5 絡み合う糸 その2
「……で、本当に『行くな』とだけ?」
「え? だって、真が言ったんじゃないか、『行くな』と言って欲しいと椿……姫が、その」
「ええ、言いましたよ、言いましたとも! 言いましたけれどもですね!!」
真は頭を抱えた。
ああ、どうしてこのお方は、こと椿姫様に関する事象にのみ、どうしてこうも、愚かというか、馬鹿というか、阿呆というか、たわけというか、間抜けというか、頓珍漢というか、抜け作というか、与太郎というか、箆棒に頓馬というか。
思いつく限りの悪態を心の中でつきながら、真はぐちゃぐちゃと髪を掻き回した。そんなに癖のあるほうではないが、ここのところ引っ掻き回したくなる事態が多過ぎて、相当、鳥の巣頭になっていた。
ため息をついて、戰の背中の影に隠れるようにして腰を下ろしている椿姫とその祖国からの使者を見つめる。
使者はあからさまにオロオロとし、椿姫の肩に縋るようにしている。その様子が気に入らないのか、同じように視線を向けいる戰の眼付が鋭くなっていた。だがその主人である椿姫は、静かに、まるで呼吸すらしていないかのように、瞳を閉じて端然と姿勢を正して座っている。
もう一度溜息をつくと、真は椿姫の前に進み出た。俯き加減だった椿姫が、気配に眼蓋を微かに持ち上げる。
「椿姫様、事ここに至りましては、最早無言を貫かれるは誰の為にもなりません。お国で何が起こったのか、話しては頂けませんでしょうか」
「……はい」
僅かに逡巡した後に、椿姫は覚悟を決めたように静かに語りだした。
戰と真が、祖国・祭に現れる以前、父王・順が国王に就いてから国に起こった事柄を順序たてて、事を零すことなく詳らかに話すのは流石と言えた。
その中で、自分と出会う前に祭国王・順が隣国である剛国の王子・闘と椿姫とを娶せるべく婚約の儀式まで執り行わせていた事実に、少なからず、いや相当に戰は動揺を見せていた。
「お父上、祭国王は貴女に婚約を強いしておきながら、あの時、私の元へ行けと命じられたのか」
真は、怒りに燃える戰をちらりと横目でみた。
椿姫の告白は淡々としているため感じとりにくいが、これは重大事だ。その大事なところを、過たず理解しているかどうか、真は知りたく、戰を怒らせるままにしておくことにした。
椿姫を唯一の姫と焦がれ、大事に想う事は別段構わない。
しかし、冷静に事を分析する力を欠かれていては、こちらも助ける事は出来ない。その場合は、見限るとまでは行かなくても、その程度の役にしか立てなくなるが、それは自分の責任ではない。冷たいと言われるかもしれないが、真は自分の力の限界を、ただ知っているだけだと思っている。それに何よりも、その気持ちもないものに力を尽くしたところで、相手が迷惑なだけだろうとも思っている。
さて、戰様はどう出られるであろうか? そして椿姫様は? と真は、注意深く二人のやり取りを見守り続ける。
★★★
「父を責めないで下さい。父は父なりに、国王として、強国に挟まれた祭国を守ろうと必死なのです」
椿姫が縋るように、戰を見上げた。双眸に、涙が溜まっている。その儚げであえかな姿を見ても、戰の怒気が収まることはなかった。いや、更に加速度的に膨れ上がる。
「お父上はお父上なりに、国王として祭国を守ろうとされている? 違うな、椿姫、それは違う」
「……え?」
「お父上が守りたいのは、ご自身のみだ。祭国も、祭国に暮らす民草も、そして無論の事、娘姫である椿姫、貴女の事も。守るつもりなどない」
戰の言葉に、真の目の奥がきらりと光った。
それに気がつかぬ戰が、椿姫の背後で怯える使者たちに詰め寄った。怒気だけで、人の性根を串刺しにできるほどの凄まじさを証明するかのように、使者たちがひっ! と短く悲鳴をあげて、椿姫の背後により一層小さくなる。
なんという体たらくですか、と流石の真も呆れ果てる。国王も国王ならば、臣下も臣下、その程度でしかないのですかね?
「3年前のあの折、私が素直に姫君を受け取っていたら、どうなるのか考えた事はあるのか? 隣国、剛国に開戦の口実を与える一端になる可能性もあったと、お主らも分かっているのだろう?」
使者たちは、鬱蒼と顔を見合わせる。
そんな事は、その当時、とうに誰もが気がついていた。剛国王に、王子・闘をと望んでおきながら、負け戦を被ればさっさと相手を違えて娘姫を差し出すその節操のなさを、誰もが嘆いた。そしてその場その場で擦り寄る相手を違える考えなしの行動に、慄いた。真正面からぶつかる戦を回避したのは良いが、今度は禍国と剛国、その両の国から責められ国土を戦場にしかねない、と。
あの時、戰が椿姫を拒んだお陰で、辛うじて剛国側に付け入る口実を与えずに済んだだけだ。姫君の持参金替わりに、王子・闘を祭国王にという盟約を違えたという口実を。それだけの口実で剛国が負け戦の直後に、祭国に攻め入る事はないにしても、禍国との関係をじっくりと見届けてから幾らでも付け入る事は出来た。
それがなされなかったのは、単に、この禍国での椿姫の立場によるところが大きい。
もしも、戰が素直に椿姫を受け取り、側室にでもしていたら。
禍国皇帝・景が目に留めたままに、更に姫を息子である皇子・戰から取り上げて、後宮にあげでもしていたら。
それだけで、剛国は祭国に堂々と攻め入る事ができたのだ。未来の王妃を拐かし汚した罪を申し立て上げる位の口上など、その気になれば、幾らでもどれだけでもたてられる。
無論、それだけで攻め入る事は無きに等しい。
だが、王として国を統べる者として、『もしも』の事態を幾つも想定し、それぞれの事態に応じた最善の対応を常に心しておくべきなのだ。
【想定外の事態だ、このような認識などできようはずもない、何も出来なくて当然だ、このような不測の事態だ、自分は悪くない】
という言い訳は、王には出来ない。
いや、してはいけないのだ。
それをしないからこその王者であり、させない為にこその助け手となる、臣下であるべきなのだ。
「だが椿姫、私は、貴女に罪はないとは、言わない」
「私にも、罪があると、皇子様は仰られるのですか?」
「貴女も、王室の継治の御子としての自覚があるのなら、女性であるという事実に甘えずもっと学ぶべきだったのだ。お父上を助けねば思っていたのであれば、尚更だ」
戰の剣幕に、怖気を起こしながらも、遂に使者たちが割って入ってきた。椿姫を守るかのように、彼女の前に膝をついて手を広げて並ぶ。やっとですか、と真は溜息をつく。まあ、何事も行動を起こさないよりは、数段ましではありますが。
「皇子様、姫君様を責めないで下さいませ。非は我ら臣下に」
「非があるのは、お主らと自ら認めるのか?」
「はい」
「では、何故、祭国王の愚行を、身体を張ってでも止めなかった」
「……そ、それは」
「言えぬであろうよ、お主らもお主らで、椿姫を利用しておったのだからな。祭国王の犠牲になるのは、姫だけで充分。いずれ祭国王の愚かさに国が滅んだとなっても、椿姫の犠牲があれば、自分たちはそこそこに生き延びて命を繋ぐ位の事は叶うと知っているのだ、哀れみの涙くらい、幾らでも流せよう。自分たちは姫を可哀想がってさえおれば、罪の意識から逃れられる。」
「皇子様、おやめ下さい」
両手で椿姫は耳を塞いだ。
左右に首を振ると、涙がちぎれて飛び散る。
ずかずかと遠慮なく、戰は椿姫に詰め寄った。使者たちをいとも簡単に薙ぎ払うと、彼女の肩を掴んで強く揺さぶった。
「駄目だ、聞きなさい、姫」
「嫌です、聞きたくありません。私の父を悪く言うお方は、嫌いです。私の祖国の民を悪く言うお方は、嫌いです」
「嫌いで結構。私も、今の貴女は嫌いだ、大嫌いだ」
いつになく巌しい、いや強い声音に、椿姫はキッ! となって彼を睨みつけた。しかし声とは裏腹に、淋しげな戰の表情に、椿姫の身体も心も、強張ってしまう。
「貴女も同じだ。自分を可哀想がる、憐れむ暇があるのであれば、何故、頼ろうとしなかった? 何故、私を頼ってくれなかった?」
「み、皇子様……?」
「真から国を愛しく思う心があるのであれば、国をより良く導く為に、一時誰かに頼る恥など、大したことではないはずだ。それをしなかったのは、考えるのが苦しかったからだ。父上が無能であると自ら認めていると思うのが、哀しかったからだ。父上である祭国を裏切る行為になりはしないか、親不孝者と謗られるのが怖かったからだ。其れ位なら、自分が我慢に我慢を重ねて犠牲になっていさえすれば良いと、諦める方が楽だったからだ。」
「皇子様、それは……」
「たとえ相手が父であろうとも国王であろうとも、いやだからこそ、過ちの道を正してこその娘姫だろう。祭国は、貴女の父王、ただ一人の為にのみ存在しているのではない。国を愛する者の為に、その懐を広げて存在している筈だ」
「皇子様……」
「それが分からぬ、貴女ではない筈。分かっていながら責任を放り出して、ただ、父上を満足させる為に国を滅ぼしても構わないとするような人は、私は嫌いだ。国に何事か重大事が起きた時、父上のせいにできる逃げ道を用意して、自分を可哀想がる事で誤魔化すような人は、ああ大嫌いだとも」
「……皇子、様」
「祖国を真から愛しているのならば、姫、貴女は自身がとらねばならぬ事が何であるのか、分かる筈だ。お願いだ、姫、私は貴女を嫌いなままで別れたくない。どうか、私の知る聡明な姫に戻って欲しい。苦しくとも辛くとも、行かないで欲しい、このまま祭国に行かないでくれ」
「皇子様」
「姫、3年前の戦が、私一人でなし得たとでも、思っておられるのか? だとしたら、大いなる間違いだ。決して、私一人の力などではない。寧ろ私は何もしていない。あの戦において、作戦を考えてくれたのはここにいる真、過たず実行してくれたのは宰相の優が見立ててくれた武人たち、そして細かな仕儀を整えてくれたのは商人の時、その他にも沢山の者が私を助けてくれた。私は、皆が最も動き良いようにと、許しを与えただけだ。他に何もしていない。皆が私を、勝たせてくれただけだ」
戰の言葉に、真は誰にも気取らぬように、短く微笑んだ。
よくお立場をわかっていらっしゃる。
しかし、一番肝心なことをわかっていらっしゃない。
と、おかしくなって、ついらしくもなく真は表情に出して笑ってしまった。
皆が勝たせてくれた。確かにそうだ。
だが、その皆をまとめあげるという事が、如何に大切でかつ重要で、また余人には成し得ぬ事柄であるのかを、全く理解しておられないとは。戰様らしい、と真は心をほのかに暖めながら思った。
本当に戰様、貴方らしい考え方ですね。
他に何もしていない? 他に何もしない、それ一つを見事に貫徹させるのが、如何に困難であるのかを、ご理解しておられないとは。
皆に勝たせて貰える人物――そんな御方は、おそらく貴方だけですよ、戰様。
ともあれ、私が答えて欲しいと思っていた事柄に、戰様は全て答えて下さいました。この上は、本当に微力ながら、望まれれば手をお貸し致しましょう。
何しろ私はまだ、『目付』の任を解かれてはおりませんからね。
後は、椿姫様のお覚悟の程にかかっておりますが……。さて、果たして、姫君様におかれては、何処までのお覚悟をなされているものでしょうか?
「姫、国を背負うという事は大変なことだ。だが、その大変さを一人で全て担おうとする事はない。誰だって、一人では何程の事も成し得ぬもの。助けて欲しいならば、素直に頼ってくれないか。貴女を助けたいと思っている人間は、きっと、貴女が思うより沢山いる」
真が見守る中、戰に肩を掴まれながらも、椿姫が手の甲で涙を拭き取った。そして、嬋媛窈窕たる様で微笑んだ。
「禍国皇子、戰皇子様」
「何か、祭国王女、椿姫」
静かに、戰の手を離させると、椿姫は顔前で両の袖を合わせて礼の姿勢をとり、目を伏した。
「禍国皇子、戰皇子様。私の祖国、祭国は今、受難の只中にあります。私は王室の一員として、また時代を担うただ一人の王女として、何としても、祖国・祭の国を助けたいのです。どうか、宗主国として輩である私どもの国を助けるべく手をお貸し下さりますよう、伏して願いたてまつります」
力強く戰が頷くと、それを待ち望んでいたかのように、椿姫はわっ! と縋りついてきた。声を上げて、童女のように泣きじゃくり、戰にぶら下がるように抱きついて離れない。
「つ、椿……姫っ!?」
「お願いです、皇子様、私の国を助けて下さい」
両の腕をばたばたとみっともなく上下左右に動かしながら、戰が真に「ど、どうしよう!? どうしたいい!?」と、目で訴えかけてきていた。
真は、ぐちゃぐちゃと頭を引っ掻き回して、態と戰の耳に届くように呟いた。
「……そこまでは、面倒見きれませんよ、本当にもう……。どうぞお好きなようになさって下さい」
真! 真! そんな殺生な事を言わないで、助けてくれ!
と、目で訴えかける戰をうっちゃって、真は椿姫の使者たちへと「確かめたい事が御座います、宜しいでしょうか?」と歩み寄った。