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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
五ノ戦 紅塵万丈

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12 征く河 その6―2

12 征く河 その6―2



 自分はもう若くない。

 いや正直に言えば、はっきりと老いた。


 河国宰相・ほうは悟らざるを得なかった。天幕の中で、ほのかな明かりに照らされるのも、苛立ちを覚える程に疲れて果てていた。

 以前であったなら、そう、11年前、禍国軍と相見え、彼の国の兵部尚書である優と撃剣を幾合も交わしあったあの頃は、こんなふうではなかった。尋常ならざる負けは、11年前も何度も味わった。しかし、直ぐに性根を入れ替え、奮起する事が出来た。逃げると見せかけの馬蹄を響かせて、そのまま敵陣に奇襲を仕掛け、行き掛けの駄賃とばかりに大将首の一つを叩き落とした事など、幾度もある。

 だが、今の自分には、到底無理な話だ。

 何処をどうして、心を身体を動かしていた?

 あの頃の気概が、何処をどう押せばでてきたものなのか思い出せない。まして、自分自身であるとも思われない。


 遠く、風に乗って禍国軍の鼓舞の音が聞こえてくる、と密かに天幕に入った斥候たちが伝える。

 禍国軍は既に、陣を布陣する為の場所を選び出したらしい。一両日中には、禍国の兵部尚書・優自らが鍛え上げたという騎馬隊と完全に合流を果たして、戦を挑んで来るのに違いない。

 此の侭、座したまま、ぼう(・・)と眺めているままであるなら、更なる負けは必定だ。

 分かっている。

 自分の背後では、部下たちが縮こまりつつ、指示を待っている。不安なのだろう。道筋を示すべき大将が途方に暮れているなど、軍を放棄していると暗に言っているようなものではないか。安堵させる為にも、そう、自分が指示を出さねば。この河国軍は、瓦解したままとなってしまう。

 分かっている、頭では分かっている。

 しかし身体が、何よりも精神がついていかない。

 軍を再編成する指示を出すのも、億劫でならない。何故、自分程度の人間が、国の全てを背負うような局面にたっているのだ? そもそも、其処からしておかしい。

 この国は、一体何時、何処でどのように間違ったのであろうか?


 いや、こんな事でどうする。

 秀は、泥濘に沈んでいくような気鬱さを必死で振り払い、意気を奮い立たせる。

「水軍を再編成しなおし、密集歩兵と戦車隊と合流させ、迫る禍国騎馬軍団との戦いに備えさせる。まずは、生き残った兵士将校の数を正確に把握せよ」

 無理に力を込めたものであるというのに、秀の声音に生気が戻った事に安心感を得たのか、ほっと安堵の吐息を落としつつ礼拝し、部屋を後にした。



 戻ってきた舎人たちの報告を聞きながら、秀は首を捻った。

 予想していたよりも、被害者の数が大幅に少ないのだ。

 行方不明者の殆どは、逃散者として、各関所にて捉えられ始めているという。その総数と照らし合わせると、実際に業火に焼かれた兵士たちは、1割にも満たないのだ。将校の中ですら、禍国軍がまがねの剣を手にしているという情報を得て尻込みし、船をぶつける前に金を片手に逃げ出している者もいたという。


 ――例の、金塊一粒がかように効いて(・・・)いようとは。

 腕組みしつつ呻こうとして、はっとした。

 まさか……。

 奴らのまことの目的は、禍国軍の目的とは、此方を惑乱する事ではなかったのか!?

 兵士たちを逃がす事に、生き延びさせる事にあったのか!?


 船を降りれば金塊一粒。


 奴らは卑しい言葉で兵を釣った。

 がが、何故、船を降りねばならない? 我が軍の総力を疲弊させるつもりなのであれば、別に『降りよ』と指示など出さずとも良かったのだ。河国軍を裏切り金塊を受け取りに来い、とだけ伝えればよいのだ。

 逃散者として逃げ出して目を付けられれば、下手をすれば故郷の家族すらも、命が危うくなるのだ。何食わぬ顔で戻り、しらを切り通せばよいではないか。それを、兵士たちは金塊を受け取るや否や、皆、判で押したかのように一目散に故郷くにを目指して逃げ出しているのは、何故だ?

 其れに、何よりも実しやかに広まりをみせた、まがねの剣の噂話だ。

 それこそ、何故この話をこそ、広めねばならなかったというのか? 黙っておれば良かったものを。続く陸戦にて、要らぬ警戒心を抱かせるだけではないか。

 なのに何故だ!?

 答えは一つだ!

 金塊を受け取った時に、火計を使う旨を禍国軍より知らされていたのだ!


 圧倒的な兵力差。

 新たなる武器。

 負けは必定、死も必定。

 死にたくなければ、この金塊を地獄への渡賃代わりとして手に握り締め、逃げ切れ――と。


 そう思えば、全てに合点が行く。

 だが、思い至った禍国軍側の思惑に、秀は顔ばせを憤怒の色に染め上げた。

 最初の噂話で腰を上げぬ者を導く為に、重要機密である鉄の剣の秘密ですら暴露をした。

 そこまでの事して、手の内を曝け出してまで敵を助けた、だと!?

 ――……おのれ。

 おのれ、おのれ、おのれ!

「馬鹿にしおって!」

 秀は、全身に、魂に、活力が漲るのを覚えた。

 何処までも我が主である創陛下を、嘲り、嬲るつもりか。

 ならば、見ておれ、小僧どもめが!

 この情けが己らの首を絞めるものであると、肺腑に刻んで国に泣き帰らざるをえぬ程にしてくれる!

 

 秀は、手にしていた戦扇の両端を握り締め、力を込めた。

 ばきり、と骨を折られた哀れな戦扇は、そのまま床に打ち捨てられ見捨てられる。ひぃ! と舎人たちが短く叫び怯えた表情を見せたが、秀は構わず、更に扇を脚で踏み躙り、ばらばらに砕いた。


 まるで、たかが一度の負け戦にて心を折った恥ずべき己に、制裁を加えるかの如くに。



  ★★★



 河国宰相・ほうの名において命ず。

 我ら河国は、鶴翼之囲にて禍国軍を迎え撃つ。

 第3陣を担う栄誉を賜る、故に、両日中に2万の軍を率いて出陣されたし。


 遼国王・灼の元に、伝が伝えられた。

 遼国の王城内が、気色ばむ。

 ざわり! と、王の間の空気の色が、一気に怒りのそれに染め上げられて行くのが、はっきりと見て取れそうな程だ。たかだか伝令風情が、一国の王を前にして跪き畏まる事なく、居丈高に振舞うなどと何処まで奢りたかぶるか! 聊爾りょうじなる慮外者めが、言語道断!

 怒りのやけほのおが、ぶんぶんと音を立てて、王の間を満たす。

 が、河国の伝令は、ふん、とぞんざいに鼻でせせら笑いつつ、礼拝もなしに灼の元を下がっていった。


 我ら河国――だと!? 

 栄誉を賜るとは何事だ!?

 われらは既に、堂々を遼国を名乗りて地に足をたてていると知りながら!

 認めず、未だ生口のうからとして見下げ、蔑むというのか!

 何処まで、この遼国を貶れば気が済むのだ!


「何という無礼な……!」

 灼の背後に控えた遼国丞相であるのびが、握り拳を怒りのままに震わせる。薄くを眇めたままの灼もまた、肩が強ばっていた。その肩越しに、灼が目配せをしてきた。心得た燹は、灼の傍に額を寄せる。果たして、聞こえるかどうかという小声で、ぼそぼそと灼が話しかける。

「相国よ」

「は、陛下」

「郡王からの使いは、来おったかよ?」

「は、芙と申す男が控えております」

 分かった行くぞ、と言うなり遼国王は、両眼にやけほのおを燃やしながら、玉座を蹴立てて立ち上がった。



 伝令が遼国軍を率いて戻ってきたとの報を舎人より聞くと、秀は腕を振って彼らを下がらせた。

 今現在、遼国は青銅製の武具の量産体制に入らせている為、軍に割ける人員はその国力からして至極限られている。よく見積もったとして、3万弱程度のものだろう。2万の軍を寄越せとは、国をほぼにして河国に忠誠を尽くしていると身体で示せ、と命じているのに等しい。

 そして、遼国はそれに逆らえない。

 鶴翼の陣は宰相・秀の不敗の陣、つまり河国軍の必勝法を繰り出すという事だ。命に背けば、まずは布陣先を遼国と定め、蹴散らしてくれる。禍国軍と相対するのは、その後で充分である、と恫喝しているのだ。

「やけに素直に云う事を聞き入れるが、国として正しい有り様を奴らもようよう、悟りおったか?」


 思うに任せるように策が流れ出し、幾分、機嫌を取り戻した秀が、戦扇の先で机上に広げられた地図の一部を、一撫でした。鶴翼の陣を布くに、適した地だ。

 水上戦の被害が少なかった分、此度、鶴翼の一翼を一部担わせる程度には陣が整う。水上戦の残存部隊を編成し直した騎馬隊、密集部隊、戦車部隊、合わせて6万強の大軍が此方にはある。無論、正常に機能するとは言い難いが、それでも数は力だ。

 が、禍国軍も水軍は無傷だ。

 推定4万の歩兵が密集部隊となるとし、禍国兵部尚書が率いてきた約3万の騎馬隊と合わせ、合計7万。

 確実に勝利を得る為に河国軍は、遼国の兵士がどうしても必要なのだった。

「いや……奴らの国なぞを『一國』としてなど、認めぬわ」

 生口如きの集が、何をいっぱしの『人』を気取るのか。此れを機会に、我が国の、陛下の御恩に報いる為、命果てるまで役立つ為のみ、生ある事を許された人外の存在であると叩き込まねば。

 奴らは人ではなく、卑賤なるもの(・・)、賤しい人頭なのだ。

 

 天幕の外から再び舎人の声が掛かる。許しを与えると、腰を低くして入幕してきた。

「どうしたのだ?」

 と聞くまでもない。

 禍国軍が鼓舞を終え、布陣を開始しする為の亀卜きぼくを始めたのだろう。

 此処からは、時間との勝負になる。

 一刻も早く、布陣を終えたものが場を制する、つまりは、勝利をえる。

 だが禍国軍は愚かにも、鼓舞に時間を割いたが故にその好機を逃した。


「若さが馬鹿さになったな、禍国皇子・戰よ。詰めが甘いわ」

 此度は此方が勝たせて貰うぞ、皇子・戰よ。

 そしてその勝利を、我が創陛下に!


「馬を引け! 此方も出陣するぞ!」

 猛々しく、秀は命じた。



  ★★★



 新たな天幕に到着早々、禍国軍が亀卜きぼくを行い布陣しだした、という知らせが斥候より齎された。

「して、布陣は如何に?」

「は……そ、それが、その」

 ぎろりと睨みをきかされ、言いよどみつつも斥候がおずおずと答える。

 敵は大きく3軍に分たれた、鶴翼之囲を展開している――と。

 眼玉が転げ落ちそうなほどに、ぎょろりと眼球を剥いた秀に、斥候がもしや手打ちにされるのではと恐れ慄き、思わず後退る。しかし、続いたのは、呵呵大笑であった。

「はっ! 鶴翼を布くだと!?」

 小僧どもめが! と敵を嗤う。おべんちゃらのように追従し、うすら笑いを斥候や舎人たちが浮いた薄ら寒いを口角に刻むと、再び秀は眸を剥いた。

「遼国の奴ばらは?」

「は、はい」

「集うておるのか、どうなのだ?」

「は、は、す、既に……」

 縮こまる斥候をひと睨みすると、秀は戦扇を振るった。ばさり、と鷹の翼を模した扇がしなる。

「では、此方も陣を布くぞ! 予てよりの計画通りだ! だがしかし、よいか、禍国より半日は早く陣を整えるのだ、よいな!」

 秀の気概溢れる堂々たる鋭い命令に、その場にいた全ての人間が知らず、平伏せずにはいられなかった。


 河国軍が、鶴翼の陣を展開しだした。

 紅河こうがの河岸の広々とした野には、遠目には蟻の群れのように人馬が密集し、黒々とした点描を描いていた。


 布陣と同時に、河国軍もうらないを行う。

 元々は、遼国の式に則ったものだ。金山を開き、海を渡り、命を賭ける彼らは命路をうらなう。その独特の様式は、祭国のものとも剛国などの騎馬民族のそれともまた一線を画するものだ。

 呪師たちが散楽を収めるあたりは、似ているといえば似ていなくもない。

 が、内容が酸鼻を極める。

 先ずは野犬を仕留め、その血で地を高ぶらせる。納される散楽の独楽回しは野犬の頭骨が使われ、手玉に使われるのもまた、野犬の手足だ。野犬は、則ち山の神の御使いの仮の姿である。此等の行いで、山野の地神を怒らせのたうち回らせ、その呪を敵にかけるのである。つまりは、生贄として敵を捧げる故に鎮まれとせんとする、儀式なのだ。


 遼国軍が連れてきた呪師たちが行ううらないを、しかし、河国軍は醒めたで見る。贄を捧げる行為を美徳とみなす意が濃いのは河国だけでなく、この中華平原に広くある共通の意識だ。其れを、のろいにかえるのだ。蔑みの目を向けられるのは当然だろう。

 遼国を、独特の文化がある国柄として一歩引きながらも、それ以上に卑賤なる異族うからであると卑しめるのは、此処にもある。

 其れ以上なお、河国軍が遼国を重宝する所以は、咒を恐れているからだ。

 祓いは、罷り間違えたとて、其の儘の咒いを返されるだけだ。しかし、咒は違う。呪わば穴二つ、の戒めどころの話ではない。神の嚇怒を買うのだ。倍増などと生易しいものでなく、末代まで呪いをかけられる。

 そんな咒を被り、滅びの路へと背を突き飛ばされるのは御免だ。

 奴らは元々、人頭畜鳴の賤しくよこしまな卑属の生口、奴らだけが滅びればよい、勝利の美酒と栄華は河国のものだ。

 奴らは骨の髄、魂までもが、我ら河国の礎として利用されるべくして有るもの(・・)だ。


 秀も同じくを眇めながら、呪師の筮いを悍しいものとして眺めている。

 彼より半歩遅れた位置に、国王でありながらも遼国王・灼の席は用意されている。

 灼の両眼は、溶岩を滾らせる火口よりも熱く、ふつふつと煮え滾っていた。



 ★★★



 禍国軍の、鼓舞が興奮の只中で終りを迎えた。

 直ちに、新たに卜占師が集められ、行軍をまじなわれる。

 路を選ぶ亀卜きぼくが行われるのだ。

 禍国では古来より、勝利を得るより善き路を選び、且つ対峙する敵を同時に呪うのだ。この路を味方が通れば意気揚々となり勝利を得、対して敵が通れば脚が身体がのろい沈み腐り落ちる、と信じられていた。

 紅河こうが流域の土地は、細かな黄色の粉のような地だ。雨が降ると、べたべたとした粘土質になるが、乾けば風にのり幾千里をも風塵として舞い上がる。遥かに河国軍の兵馬が起こす蜃気楼の如き砂塵が、もうもうと上がるのが見て取れた。

 敵が、河国軍が攻めてくる。

 しかし、禍国軍の兵士は恐れを抱かない。

 あの砂塵が揺らめくのは、河国軍の命運の儚さだとばかりに鼻息を荒くしていた。此方の神が放つまじないを受けて奴らが倒される前に、己が剣で弓で戈で倒してみせようと、皆、奮い立っている。


 先の鼓舞の勢いのままに、まじないをかけつつ地に広がる陣形は、場違いな華やかさで整いを見せていた。

 何よりも、総大将として軍を率いる皇子・戰は、祭事まつりごとまつりごとであった古き御代の古式を今に伝える祭国の郡王でもあり、彼の国の女王を妃としている。

 兵士の士気はこの上もなく上がっている。

 天帝に愛された宿星を持つ皇子が統べる地が、神託を遣わす国として尊ばれている血を今に伝える地柄である、という事実は、事実以上に、人の心を強く後押ししていた。

 でなくては、地異をも利用した紅河こうがにおける河国軍の猛攻を、こうも見事に退ける事など叶うまい!


 禍国軍は勝利を求め、一丸となっていた。



 まだやんわりとした湯気の立つ薬湯を、ゆっくりとすすりながら地図を眺めていた真は、後頭部に殺気を感じた。思わず反射的に身を沈めると、父・優の鉄拳が、確実に自分の頭部があった場所を射抜くように貫いていた。

「おわっ!?」

 風圧ですら痛みを感じそうな程の、鋭い鉄拳だ。

 であるのに真は、うなじあたりをぼりぼりとかきあげながら、のんびりとしたものだった。しかも、溢れた薬湯が汚した図面を、あ~あ、と情けなさそうな声を上げて、袖を使って拭いている。それがまた、優の神経を逆なでする。

「よけるな馬鹿者が」

「よけなければ、まともに痛い目にあうではないですか。全く、病み上がりの者に、何をなさるのですか」

「お前程度の者など、おらぬが陛下の御為だ。潔く殴られて痛い目をみておれ、阿呆めが」

「また、父上のお得意の技が、久方ぶりに出ましたね」

「ぬ? 得意技だと?」

「人の事を馬鹿だの阿呆だのと……息子を何だと思っておいでなのですか?」

「喧しいわ、このたわけが。お前のような頓馬、何処ぞでのびて(・・・)おった方が余程、まし(・・)だ」

「其れは困るな、兵部尚書。今、真に居なくなられては、私は大いに弱ってしまうよ」


 天幕を払いながら、戰が声に笑いの成分を多分に含ませて、現れた。背後から、芙が静かに従ってくる。纏っている衣服は、禰宜のそれと同等の誉れあるものだが、何処か居心地の悪そうな様子で、もぞもぞしている。どうやら芙も真と同じく、畏まった格好は尻の定まらぬ猫のようになるらしかった。

「どうでしたか、芙」

「はい、真殿の読み通りに、敵は鶴翼の陣を布いてくるようです」

「そうですか……場所は?」

「予想していた地よりも、半里程、丘陵地よりになっておりますが、ほぼずれはないようです」

 そうですか、と答えつつ真が視線を図面に落とすと、皆が一斉にそれに倣う。両手に椀をもって、ふう・と湯気をはらいつつ、冷ましながらちびちびと飲むのは童子わらしのようだ。

「芙、丘陵よりであるのならば、伏せ兵があるのではないか?」

「いえ陛下、其れは見受けられませんでした」

「ふむ、流石に河国宰相・秀だな。腹に逸物持つおとこだ。此方が鶴翼で来ると知った上でなお、真っ向勝負でくるとはな」

「はい、河国宰相秀殿におかれては、我々が鶴翼で来ると知ったからこそ、尚の事、鶴翼の陣で押さねば勝目はありませんので」


 ずず、と音をたてて薬湯をすする息子を、優は鬱陶しげに睨むが真はどこ吹く風だ。苦笑いしつつ、戰が地図の上に、大きな掌を広げて置いた。

「兎も角、敵は此方の図に乗ってくれている。この上は、協力してくれた遼国王と遼国を助ける為にも、一瞬でも半瞬でも早く戦を終決させねばならない」

「はい、陛下」

「兵部尚書」

「は」

「兵部尚書には、第2軍の指揮を任せる。そして、杢」

「――は? は、はい陛下」

「上軍大将軍に任命する。第3軍を、率いてくれないか」

「――は……、ははっ」

 優と杢が、同時に跪いて深くこうべを垂れて戰に礼拝を捧げる。

 杢は、此度初めて指揮権を持っての戦に臨む。しかも、万騎将軍を飛び越えて、一気に上軍大将軍として、大将として軍を率いるのだ。冷静沈着な彼が、緊張と、それを上回る高揚感と感動に、頬を赤くして身体を震わせている。


「第1軍の指揮は、私がとる」

「はっ!」

「皆、力を合わせ、勝とう」

「ははっ!」

 戰の宣言に、その場に居合わせた者全員が拳を天に突き上げ、歓声をもって応えた。



  ★★★



 皆が出払い、戰と真の二人きりとなる。

 まだ、両手で包み込むようにして、薬湯の入った椀を口に当てて傾けている真を、戰がおずおずと伺うようにしてきた。


「真……」

「はい?」

「大丈夫かい?」

「はい、熱はとっくに下がりましたし……もう平気ですよ?」

 今更何を聞いてくるのかと目を瞬かせる真に、うん、と戰は頷いた。

 聞きたかった『大丈夫か』は、その『大丈夫』ではなかったのだが、真がいつもの真に戻ってくれているのだ、其れでよしと思おう、と戰は微笑んだ。

 そんな戰に、真も、くすりと小さく笑い声をたてた。

「戰様こそ、大丈夫ですか?」

「うん?」

「椿姫様とお腹の御子様のお傍に、まだ、おいでになられたかったのではないのですか?」

 誂うような口調に、戰が肩をすくめつつも顔を赤らめた。

 椿姫は、戰が祭国に帰国した時には相当に危険な状態であったらしいが、彼の顔を一目みて安堵したのだろう。危機を脱し、快方にむかいだしたという。

 那谷なた虚海こがいの「もう安心です」の一言を、彼女と腹の中の御子の代わりに胸に抱いて、千段を駆けさせ戻ってきたのだった。


「すぐに、二人の元に帰れば良いだけの話だよ、違うかい?」

「はい……そうですね」

「真」

「はい、戰様」

「勝とう」

「はい」


 残っていた薬湯を、真は一息に飲み干した。




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