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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
五ノ戦 紅塵万丈

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12 征く河 その6―1

12 征く河 その6―1



 河国軍の船が、次々と炎上していく。

 時折、雷が落ちたような轟音を鳴り響かせて、炎柱が上がるのは、用意していた柴油に引火したのか、もしくは河国軍が自ら積んでいた物に着火したものか。どちらにしても、酸鼻極まる状況に変わりはない。炎が運ぶ熱風だけでなく、それにのり漂うえも言われぬ臭気が、鼻をもげおとしそうだった。

 左腕で、蒼白となった顔面を庇いながら、真はを逸らさず、その光景を挑むように見据え続けた。

 初めて、自分が立案した作戦を、自らの手で執行した。

 此れまでは、考えるのみで、真実の実行者ではなかった。

 だからこそ此度、目を反らす事は、許されない。

 自分は、最後まで見届けなければならない。

 託されたのだから、戻るまでのこの7日間の全てを。

 戰に成り代わり、引き受ける、と。


 ごう、という火災による旋風が巻き起こす強風は、豪雨などものともせずに、真と芙の身体を、甚振いたぶりにかかる。煽られ、ふらつきかける所を、両脚を踏ん張る事で必死でこらえ、立ち続ける。

 芙が、此れで何度目か、心配げな視線で真を盗み見るようにしてきた。案じてくれているのは分かる。分かっているが、今は無視した。

 やがて、大河の流れがまた一つ変貌を遂げた。

 上流からの流れと下流からの流れがぶつかりせめぎ合いを見せたかと思うと、一気に巨大な渦をなる。渦は、炭化した哀れな河国の軍船を粉々に噛み砕いて飲み込んでいく。龍が、髭で嬲りって黒焦げとし、そして牙を立てて口を開け獲物を呑み込んで行くかのようだ。

 戦況が此処までこれば、河国軍の大将をのえきを担っている宰相・ほうも、自分が何を目論んでいたのか、知る至り、そして呪詛の言葉と罵倒の言葉を織り交ぜながら、吠えている頃に違いない。


 駄目押しをするなら、今、この刻をおいてないでしょう。

「軍旗を掲げて下さい」

「は? しかし、未だ郡王陛下はお戻りに……」

「お願いします」

 渦の動きに視線を定め、沈んでいく河国軍の船の姿を出来うる限り、に目蓋に焼き付けようとしてる真の姿に、芙の視線が、はらはらとした痛ましいものに変わった。と感じていたが、真は相変わらず無視し続ける。


 戰様は、この光景を、己のものとして受け入れておられたのですね。

 此れを当然のものとするよう定められている、など。


 ――…………わたしには……無理……です…………。


 芙の命令により、軍旗が用意された。

 その時、高らかな馬蹄の音を聞いたような気がした。

 振り返ると、まるで天帝の手による弩弓から放たれた星矢のように駆け寄る、巨大な黒い塊を認めた。

 びょうびょうと野犬が吠えたてるような風の音を纏いながら、黒い塊は時に跳躍し、時に身体を沈めながら、稲妻の輝きで此方を探りながら駆けて来る。

「大将旗を、掲げて下さい」

 静かな真の命令に、頬を紅潮させた芙が頷き、配下の男たちも同調しつつ命令を遂行していく。


 バッ! と棚引く音が響く。

 暴風雨をものともせず、巨大な軍旗が、戰の御印である大将旗が大きく掲げられた。

 

 ――戰様、よく、この刻にこそ、お戻りになられました。

 礼拝を捧げながら、真は、炎に背を向けた。



 ★★★



 軽やかな跳躍と共に、と見えたものだが、着地した巨躯を誇る黒馬の四肢は、ずん! という重々しい地響きをたてた。

「皆、御苦労だった! よくやってくれた、礼を言う!」

 千段の背から、手綱を引き絞りつつ戰が声をかける。

 同時に、歓声が上がった。

 其処彼処で、男たちが思い思いに拳を天に向かって突き上げ、或いは振り回し、飛び上がりつつ歓びの声を上げ続ける。


 歩調を緩めた千段が、真っ直ぐに真の元に歩み寄った。

「真、ありがとう。今、戻ったよ」

「はい、戰様」

 微笑を湛えながらの穏やかな戰の口調に、真とそして芙は、戰が間に合った事を、そして椿姫が最悪の事態を見事に乗り越えた事を知った。


 ――良かった、本当に、良かった。


 自然と、涙が湧き上がる。

 安堵によるものなのか、歓びによるものなのか、分からない。

 そもそもその安堵と歓びとは、戰がこのように、変わらずいつもの戰として帰ってきて呉れた事から分かる、椿姫と御子が助かったという事実からくるものなのか。

 それとも。

 もう、この恐ろしい現実を、眼前にて繰り広げられている悍しい戦場を、一人、背負わずに済むという事実からくるものなのか。

 真には分からなかった。

 分からなかったが、今は、ただ、戰が、優しい顔で帰ってきてくれたという目の前の事実だけを見続けよう――そう、思った。


「――……あれっ…………?」

 思った瞬間、前のめりに倒れている自分に向かって、千段から飛び降りざま慌てて駆け寄ってくる戰と芙の姿が、うっすらと視界の端に見て取れた。



 戰と芙に肩を担がれて天幕に担ぎ込まれた真の元に、軍医が呼ばれた。

 医師と薬師が来る前に、父親である兵部尚書・優が、雨の水分を弾いているとはいえ重くなった幕を蹴るようにして、飛び込んできた。

 心配の為ではなく、怒りの為だ。

 その証拠に、全身を雨水に浸してずぶ濡れになっているが、纏った甲冑から、じゅうじゅうと音が聞こえそうな程、勢いよく真白い蒸気が上がっている。

「真! この阿呆めが!」

 軟弱だ虚弱だ柔弱だ脆弱だと、事あるごとに武門の出らしからぬ息子の事を謗りに謗ってきた。

 が、まさか此処まで極まって羸弱るいじゃくであるとは、流石に思ってもみなかった。たかが半時、雨に打たれた程度で熱を出して昏倒するとは! 此れが栄誉ある我が家門の血を、武人の血を高らかに引く者か!? 

「ええい、何という不甲斐なさだ! 何を呑気に寝ておる! 起きよ! 起きんか! この馬鹿息子めが!」

 襟首を掴んで、息子を引きずり起こそうとする優の腕を、横から止めに入る者があった。勿論、戰である。


「其処までにしておくのだね、兵部尚書。病人にする事ではないよ」

「――は、しかし陛下、余りにも不甲斐ないこの為体は……最早、役立たずの盆暗であると自ら語っておるようなもの、早々に、お傍から下がらせます」

「真はよくやってくれたよ。いや」

 薬師に持ってこさせた薬湯を受け取りながら、戰が微笑んだ。

「よく、耐えて呉れたと思っている」

「は、あ? 何ですと?」

 何の事やらさっぱりだと言いたげな優に笑いかけると、戰は、もう一度微笑んだ。

「真の容態を聞いたら、直ぐにでも河国軍の元にく。兵部尚書は、準備をしておいて呉れないか?」

 はっ、と短く小気味よく答え、居住いを正して直様行動に出るのは流石だ。

 しかし、しつつも優は、未だに横になったまま起きる気配のない真に対して、不満げに眉を「逆の八」の字に歪めて見せている。

 いいから、と苦笑しながら、殆ど追い出すように優の背中を押す。不満とやるせなさを隠すかのように、どかどかと脚音も高く優は去って行く。怒鳴り散らすように、命じる声が聞こえてくる。受ける者がもくでなければ、肝を縮み上がらせてしまい、命令遂行どころではなくなっているだろう。


 苦笑いを消すこともできないまま、戰は人払いをした。舎人たちが心得たように去るのと見届けると、薬湯の乗った盆を手にし、真が横になっている寝台の横に改めて腰を落ち着けた。

 気配を感じているのかいないのか。

 真は目蓋を閉じたまま、右手側を下にして横臥の姿勢をとり、左腕を抱え込むようにして、眠っている。芙によると、左腕を怪我をしてから、無意識の癖のようになっているらしい。天候が悪くなる前は、左腕が重怠く痺れ、じくじくと痛むようだと、那谷なたから聞いている。寝ている時にこの様な姿勢をとるのは、知らないうちに、痛みを堪え、抑えようと庇うようになったのだろう。


「真」

 呼びかけても、応えない。

 目蓋から伸びる、男にしては長い睫毛が微かに引き攣れるように揺れはしたが、目を開ける様子はない。


 誰の為に、そんなに我慢しているんだい……?


 気だるそうな息が熱によるせいか、乱れがちだ。

 全身を拭いて乾いた衣服を着せた筈なのに、じっとりと汗ばんできていた。頬だけでなく、全身が赤くなっている所をみると、もう、熱は上がりきったのかもしれない。ともあれ、熱が出れば体力は奪われる。身体を苛む熱は早めにさまして落ち着けてやり、栄養を取れるまでにしなければ、身が持たないだろう。

 まだ戦は、続くのだ。

 後々に堪えてくる。

 そう思えば、無理矢理起こしてでも、薬湯を飲ませてやるのが真の為になる。そう、分かりきっている。なのに、戰は出来ない。


「真、済まない」

 聞こえているのか、其れともただの偶然か。

恐らくは後者であろうが、返答をするように、真が熱い呼気を吐き出した。寝苦しいのだろう、眉根が寄っている。


 辛い思いをさせたね、真、本当に済まない。


 自分は、幼い頃より皇子としての教育を受けた。

 簡単に言えば、上に立つ者としての心構えとして、眼前で、敵が味方が、死地に赴こうとも戦であれば当然と心得、動じぬようにと教え込まれている。

正しいとは、無論、戰も、思ってはいない。虚海こがいの教えが効いている。育まれた皇子らしからぬ気質は、其れを『否』と声高に唱えている。

 しかし、気構えとして持っている者とそうでない者は、必然的に違ってくる。

 真は、宰相の血を引く息子でありながら、側妾腹であるが故に、武人として当然のものとして身につけねばならぬものが、決定的に欠落している。

 それは、敵に対して情けを持ち、生命を奪う事を躊躇逡巡し、後悔し、その手段を恥として己を責めぬ――という事だ。

 武人はそれが当前、いや、やり遂げてこそ本懐、誉とせねばならない。


 だが、真は、それが出来ない。

 己一人で書庫でひっそりと生きてきた彼には。

 小さな世界ながらも、自ら導き出した答えのみを全てとして生きてきた真には。

 其れは当然の事ではなく、恥ずべき事なのだ。


 今まで、真が其れを感じずにいられたのは、自分の影だったからだ。

 しかし此度、椿姫と腹の中の子供を助ける為に、本来、影の人であるべき彼を日向の人にした。

 真は快く受けて呉れた。

 仲間なのだから当然だ、などとは自惚れてはいない。

 真は、自分が表舞台に立つのを、極端に嫌う。面倒くさい、という言葉にくるんだ深意は、表舞台、つまり雲上での政治に些少であっても関わりを持つ事を、本能的に、穢れたものとして嫌厭してるからだろう。

 その節を曲げてくれたのは、自分と、椿姫とそして彼女の腹に宿った子を大事思えばこそだ。この後、自分にどんな事態が降りかかろうとも、我が物として懐深く飲み込む覚悟で、引き受けてくれたのだ。


 よく、耐えてくれたと思う。

 けれど、此れが何時までも続くものだとは、戰には思われなかった。

 熱を出して倒れた真を見て、自分のうっすらと感じていた思いが、確信に変わったような気がした。

 真が、一番嫌っている事。

 其れは戦だ。

 泣きながら、戦が嫌いだと怒っていた、あの日の真を、戰は忘れられない。

 其のくせ、真ほど、その策謀に長けた人物を、戰は知らない。直接的な武により役に立てぬとあらば、真は、自分を追い込み続けて壊してもなお、自分の傍らに寄り添い、戦に勝つ為に策を練り続ける事だろう。



 だが何れ。

 何れ、真は、自分の傍に居続ける事が、辛くなる日が来るに違いない。

 今は、まだ良い。

 主である『戰様』の為だと、思えている今は。

 だが、この先、国や主である『戰様』の為であるとしても、耐えられなくなる日が、必ず来る。

 其れは、人の為と言いながら、人を傷つけていく重みに耐え切れなくなる日だ。

 

 その時に、私は、笑って赦してやれるのだろうか?

 真が離れていく事に、耐えられるのだろうか?



 真の左腕に、戰は掌を置いた。



 ★★★



 鼓舞。

 という言葉が古来よりある。

 元々は、戦の前に戦場となるべき土地の祓いの為の行いの事を指していた。つまりは、戦勝祈願というよりは、警蹕のひとつに近い。此れよりこの場は戦場となると定めた地にて、間断なく鼓を打ち鳴らし笛を吹きからし悪鬼悪霊を祓うの為の行いなのである。


 その鼓吹の音が、まるで自分のうすのろさ(・・・・・)を咎め、小馬鹿にしてるかのように、悠々と風にのり流れていく。

 仕方が無いですかね、何しろ、あんなに芙に気を遣ってもらったというのに、熱を出して横になっているのですから。

 同じように雨に当たっていたというのに、芙も皆も、嚔の一つも落とすでなく、鼻をすすりあげるでもなく、変わらぬ態度で忙しなくしているとうのに、自分はどうだろう?

 父である兵部尚書・優が、またぞろ大騒ぎをして拳を振り上げていたが、戰に宥められて渋々引き下がっていった。

 でなくては、このように、呑気に横になどなってはいられまい。


「……全く、大層な御身分ですね……」

 陽光の眩しさに目を細めながら、真は、前髪をくしゃくしゃと掻き回しつつ、目蓋を閉じた。

 熱で潤んだ息を、はぁ、とゆっくりと吐き出す。

 鼓舞を続ける芙を筆頭とした一座の者たちが流す楽曲に、見詰めるように聴き入る。鼓舞の音にのりながら布陣をしくのは、古式懐しい倣いではあるが、敵に時間的な余裕を与えているだけだとも言える。

 当然、父である優は反対した。一気呵成に攻め入るべきであると、唾を飛ばして喚いた。敵に時間を与える必要などはない、此処は怒涛の攻めの勢いを消してはならぬ、意気地を折っているこの好機を逃してはならぬと、口を酸っぱめて諄い程に主張した。


 父・優の言う事は、至極全うで、正しい。

 今頃、河国軍では、味方の被害者の総数のからくり(・・・・)に気が付いた頃合であろう。其処に気が付いた秀は、怒髪天にかられるに違いない。

 そして、何が何でも遼国王灼しゃくを、使わずにはいられなくなる。数の絶対を頼む以上に、既に遼国側が、『禍国』ではなくこの『禍国皇子・戰』と盟約を結ぶともがらの間柄であったなら、と思い至る筈だ。

 遼国王灼が禍国を裏切ったと思わせ、精神的な打撃を与える為に利用せんと動く筈だ。

 そうなれば、遼国側とここ禍国軍とが、正面衝突せずにはおられぬ陣形を取るに違いない。


 ――そう、最も効果的に復讐を遂げ、且つ、絶対不動の勝利を得られる陣形を。

 真には、その陣形が見えていた。

 鶴翼の陣で挑んで来るに違いない。

 秀が取るであろう策を、真は、そう読んでいる。


 此れまでの戦にて、秀が河国軍を率いた戦で、鶴翼を布いて負けを得た事がない。

 まさに必勝中の必勝法だ。

 迎え撃つ側として、地の利もある以上、総数が絶対に上回るのであれば、必ず鶴翼で仕掛けてくる。


 其れを、此方も鶴翼で受け止めるのだ。

 既に、鼓舞により、此方がどのような布陣をしくものであるか、斥候使いを常とする秀の事だ、掴んでいる筈だろう。


 であれば、尚更の事、秀は鶴翼に対して鶴翼をぶつける。

 堂々たる真っ向勝負。

 そして、その勝負の中に、遼国の忠義を改めて問い責める法を織り込んでくるに違いない。


 ――そこが図に乗れば、戰様が、勝利を得られます。


 勝ちは見えている筈なのに、だが、真は奇妙な疲弊感に恐れていた。

 熱のせいなどではない。

 言いようも、例えようもなかった。

 勝ち戦で、高揚している筈なのに、何処かで、心の一部が、氷のように冷えていくそうな、そう、寂寥感を感じてならない。


 先の戦いの時には、感じなかった。

 何時から、こんな風に思うようになったのだろう……?


 …………会いたい……な……。


 落ちかかる目蓋の裏に、笑顔がみえた。思わず、口元が緩む。

 いつの間にか、真の薄く開いた口から、吐息ではなく寝息が漏れ始めていた。




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