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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
五ノ戦 紅塵万丈

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12 征く河 その4-1

12 征く河 その4-1



 宰相であるがんの撃剣を受け止めた王太子・せきの背中に守られた男が、何とか荒ぶる仲間たちを押さえ込んでくれた。

 ばつ、と名乗った男は、元々は山で木を育て材木として加工するまでを生業する邑で生活していたのだと云う。

「話し合おうったって、俺たちの話を散々っぱら蹴り飛ばしてきたのは、てめえたちの方じゃねえか」

 と言いつつも、集まった男たちの主だった面々をまとめあげて説得し、せきをはじめ、戰にも真にも対等に相対しても臆することがない様子は、一廉の人物に見える。


「宰相、実は聞きたい事がある」

「はい、殿下、何なりとお申し付け下さい」

 正面から睨む碩に、嵒は普段と変わり無く答える。

「宰相は、我が国の手から成るという、瀝青れきせいというものの存在を知っているか?」

「――は? 瀝青?」

 そうだ、と促す碩に、嵒は首を捻り眉根を寄せてみせた。

 困惑しているのだ。そもそも瀝青とは何だ、と言いたげであった。演技などでは有り得ない惑乱しきった表情に、戰と真は些か落胆失望を隠せずにいる。

「宰相殿でも、知らぬというのか?」

「郡王陛下、恐れながら……」

「では、瀝青の話は一旦横に置こう。そして改めて、問いたい。そもそもこの契国は、石炭を豊かに産出する国柄であり、更にその石炭を加工して煤黑油を作り上げているという事までは、解った。だが、石炭にどのように手を加えれば、煤黑油を得ることが出来るのだ?」

「郡王陛下。それこそは、この国の根幹たる秘術。お答えする事はご容赦を、否、口が裂けても出来ぬ相談です」

 嵒が胸を張ると、はっ! とばつが杖に凭れさせた身体を、ぎすぎすと揺すって嘲笑う。

「なら、俺たちがお答えしてやるよ、皇子様と、お目付さんによ」

「貴様らは! 黙っておれ!」

「煤黑油ってのはな、石炭を蒸し焼き(・・・・)にして出来るんだよ」

「石炭を、蒸し焼きにするのですか?」

「そうさ、炉の中に閉じ込めた石炭をまるっと蒸し焼きにする。そうすると、石炭が熱で枯れる頃にゃあ、煤黑油と柴油が出来上がるって寸法さ」

「……はあ、成程」

「お目付さんもよ、木炭の作り方くれえ知ってるだろ? あんな感じだと思ってくれりゃいい」

「はい、何となくですが解ってきました」

 言われてみれば、木炭を造る作業と似ているのかもしれない。

 木炭も、それに適した材木を高温で蒸し焼きにする。その作業工程で、木酢という物が採れると聞いた事がある。

 ならば煤黑油は、其処から発想を得たものなのかもしれない。因みに、柴油の『柴』とは所謂、山肌などに勝手に生い茂ってくる『柴』と同じ意味合いだろう。労なく手に入る油、という程の意味合いか。何方にしろ煤黑油の影に隠れて、使用していると聞いた事はないが、今はとりあえず、煤黑油だ。


 互いに得心を得た戰と真は、頷きあうとばつに更に問う。

「その後、煤黑油を採取した後の石炭は、どうなるのだ?」

「どうにもなりゃしねえよ。搾りかすになるだけさ」

「搾り屑、か」

「ああ、俺たちは骸炭がいたんって呼んでらあ」

 骸炭がいたん、とはまた端的に言い表したものだ、と戰と真は苦笑する。

 確かに、石炭から煤黑油という成分を取り出した後の残り屑なのだから、と言えるだろう。

 石炭だけでも、青銅器を作り上げる為には必要となる。

 此処、契国で産出された石炭の多くは宗主国である剛国へと送られるものであるが、骸炭、つまりは煤黑油を作り出した後のかすである骸炭は、その名が示すように、何の価値もないものとして扱われているのだろうか?

「では骸炭は、その、後にはどのように使用されているのですか?」

「どうって……石炭様の成れの果ての屑だぜ? 何の価値もありゃしねえから、俺たち虫螻が有り難~く使わせて頂いてんだよ」

 ばつの言い様に、へっ! と唾を吐き出さんばかりに、男たちは揃って肩を揺すった。その敵意溢れる様子に、照が、ひっと息を飲んだ。その彼女を庇うように戰が間に割って入るようにすると、照は赤く染めた頬を戰の背中に投げかけた。

「有り難く使う? という事は、骸炭はまだ利用できるもの、なのですね?」

「まあな。ま、火付きが滅多やたらと悪いがよ、一旦火がつきゃ長く良く燃えてくれる代物だしなあ。捨てるのも勿体無えってんで、昔からむらを解く時に皆貰って帰ってくんだが……」

「伐、もう一度言ってくれないか!? な、何だって!?」

「伐殿、い、今、何と言いましたか!? もう一度言って下さい!」


 戰と真は、喰いつかんばかりに、ばつに掴みかかった。



 ★★★


 

 てるくだんの骸炭という物を持って来てくれた。

 成程、石炭の輝きがこうも薄れているとなれば、『骸炭』と呼び表したくもなるだろう。

 だが、僅かなばつの言葉からではあるが、遼国王・灼が言っていた瀝青の特徴に余りにも似過ぎてはいまいか? いや、よくよく考えてみれば、木炭を作り上げる工程と似ていると、先にも感じたではないか。

 で、あれば。

 石炭に、木炭を作り上げるかのように施しをかけたのであれば、それは薪より木炭の方が強い火力を有するのと同様に、骸炭が強い火力を発しても可笑しくはないのではないか――?

 ともあれ、当事者ではない自分たちが、勝手迂闊に判断してはならないだろう。持ち帰り、しゃくのびに意見を仰ぐのが一番だ。

「この骸炭を一塊、頂戴しても宜しいでしょうか?」

 訝しみながらも、碩と嵒は頷く。そのような無価値なものに、目を輝かせている戰と真の二人が全く解せぬと言いたげだ。


「では伐殿、もう一つ聞きたい事があるのですが」

「おう何だ、お目付さんよ」

「煤黑油が出来る迄は、良く解りました。しかし、この作業をする為に雑徭ざつようの期間なのですが、実は、毎年僅かにばらつきがあるのです。それは何故だか、分かりますか?」

雑徭ざつようの期間だあ?」

 ばつが顔を顰めた。それはそうだ。聞きたくもない話題であろう。

「はい、火入れの為の9月朔日の儀式を開始日として定められてはおります。が、雑徭ざつようとして定めたる期間は、一定ではなく凡そ約70日から85日、となっているのです。伐殿、その期間を定めるのは、一体どのようにしてであるのか、ご存知ありませんか?」

「いやあ……悪いが、流石に其れを決めるのは俺たちじゃねえからよ」

 ちらり、と伐は宰相である嵒の方に、冷ややかな視線を向けた。男たちも、彼に習う。

 むう、と頬を膨らませるようにして唸る嵒を、碩が真直ぐに睨む。此の期に及んで何を隠し立てするのか、とその眼光が叔父であり宰相である男を責めている。


「……百舌鳥もずです」

「百舌鳥?」

「照! 女子供が出しゃばるでない!」

 戰の背中から少女の震える声がか細く響き、彼女の声をかき消そうとするかのように、父親の喚き声が轟く。

 だが振り返った戰に、照は、強い決意を込めた表情で見上げていた。

「国王陛下が行幸みゆきを行われるむらが有する窯の傍には、百舌鳥を数羽、飼う事を定められております」

「そうか、百舌鳥か……」

 百舌鳥は秋天の高鳴きで有名であるが、此れは縄張り争いの鳴き声だ。

 彼らの鳴き声が止むと同時に初霜を迎え、いよいよ冬の到来となる。此処、中華平原ではよく親しまれている故事であるが、其れを活用していたのであれば、確かにその年々でばらつきがあるのも納得できる。


 が、しかし。

 百舌鳥はまた、早贄の習性を持つが故に『屠殺鳥』との異名を持っている、凶鳥だ。

 そのような鳥を、国王が行幸みゆきを行う窯の傍で飼育するというのか?

 戰と真の不信を感じたのか、照が続けた。

「百舌鳥たちが縄張り争いの高鳴きをやめたとなれば、全ての釜の火は落とされます。例えそれが、どんなに早くても」

「其れはつまり、百舌鳥たちの死を以てしても、と云う意味でよいのかな?」

 戰の問いに、照は短く、はい、と答えた。

「百舌鳥が死を以て告げた終焉を告げたときこそは、直様に火を落とさねばなりません。何故? と問われましても、残念ながらお答えする事は、私には出来ません。ですが、長き年月の間に定められた古例、習し事なのです」

「そうですか……成程、それなら……」

「――待て、其れはおかしい」

 照の言葉に、碩が色めき立った。

「父上が最後の行幸を行われた時、つまりは病に倒れられた時、鳥の声音の話など、聞き及んでおらん」

 碩の言葉に、皆が一斉に嵒の方を振り向く。赤黒い顔色で、脂汗を浮かせて聞き入っていた宰相たる男は、ぐう、と呻くと力なく崩折れた。

「私は止めたのだ、陛下をお止めしたのだ」

「叔父上……?」

「そうだ、国王陛下が行幸を行う邨では百舌鳥を飼う。百舌鳥が鳴き止むまでが雑徭ざつようの期間と定められており、高鳴きのある鳥が飼われている窯にのみ、陛下は足をお向けになられる。それが定めだ。だが、あの年は、早々に百舌鳥は死に絶え、鳴き声は途絶えた」


 1年前。

 嵒は迷った。

 余りにも早い、たった数週間での雑徭ざつようの終焉。今年の煤黑油の産出量は僅かばかり、此れでは儲けにもならぬ。

 しかし、定めは定めだ。

 だが、此れでは国は潤わない。

 朝貢を約定とした他国への面目も立たぬ。

 ――どうする?

 迷う嵒は冷や汗を共に、国王・ほうに指示を仰いだ。

 兄王であるほうは作業を続けさせるように命を下した。

 昨年と同日まで作業を続けさせよ、自身の行幸も、例年通りに行う――と。

 そして、国王・邦は行幸途中、病を得た。

 病は深くなるばかりであり、既に邦の意識は正常な時間を保っている事が殆どない状態とまでなっている。


「お目付殿、お尋ねしたいのだが」

「何でしょうか、私にお答え出来る事柄であるなら」

 呻きつつ、一気に憔悴した面持ちで嵒は縋るように真を見上げた。

「どうやら貴殿らは、たった此れだけの話の中で、此の病の正体は何であるのか、防ぐ手立ては何であるのかを悟られたようだ。もし、もしもそうであるのならば、どうか教えては呉れまいか? この病の正体を、そして感染を止める法を」

 真は、珍しく躊躇した。

 まだ、事を判断するには状況証拠も物的証拠も、少な過ぎる。

「真、判った事だけでもいい。話してくれないか?」

「分かりました、戰様」

 まだ推察の域を出ませんが、と真は前置いた。


 石炭は言うに及ばず、木炭を使用する際、禍国でなくとも換気には充分気をつけねばならないと、童子でも知っている。目には見えぬが、有害な『気』が充満し、それを知らずに吸い込めば身体を壊す、病を得る、と遠い先祖たちが積み重ねた経験からの知恵だ。

 で、あるならば。

 煤黑油を造る過程が、木炭を造る際に得られる木酢と似ている事から考えうるのは、石炭を高温で蒸し焼きにする、という事実をよく見なければならない。

 煤黑油を得る為に、石炭を蒸し焼きにするという。

 その製造過程の最中、骸炭となった石炭が更に加熱燃焼されていたとするならば。

 木炭が発するという、目に見えぬ有害な『気』と同じくする『気』が、其処には発生しては――いないか?

 

「何ですと……?」

「そう考えると、説明がつくのです。煤黑油と同時に発生するのですから、仮に……そうですね、煤気ばいきとでもしておきましょう」

 煤黑油の製造中、窯の不完全さから、この煤気が漏れ出たとする。

 其れを吸い込めば、当然、病を得る。むらごと患者が、しかも一気に感染するのはその為だ。

 しかしこの病は、煤気を吸い込んだ時のみ羅患するものであるから、当然、伝染はしない。そして木炭の『気』を吸い込んで病を完治させた者はいないという事実から、この煤気を吸い込んだ者もまた、死を得る迄苦しみ続ける。

「行幸が行われる邨の窯には、百舌鳥が飼われている。という事実から考えられるのは、冬の到来までを雑徭ざつようの期間にすべしという取り決めだけではなく、縄張り意識の高いこの鳥が、高鳴きをしなくなった時こそ、その煤気が漏れ出ており危険であるとの知らせと心得よ、という事なのでしょう」

 聞こえるか聞こえぬかの微かな声で、そんな…………、と零した嵒は、呆然としたまま動かなくなった。



 ★★★



 どのようにして、王宮に帰り着いたのか、嵒には記憶がない。

 気が付けば、兄王である契国王・ほうが身体を休める居室の前に佇んでいた。深夜の嵒の来訪に気が付いた殿侍が、深々とこうべを垂れて扉を開けた。こうした見舞いは、常の事である為、彼らも自然と嵒を通したのだ。


 部屋の最奥に設えた、天蓋付きの寝台の上に、邦は横たわっていた。

 既に病は脳をも侵しきっていた。受け答えも真面に出来ぬ迄となり、まるで老人のように呆けた様子でいる。

「国王陛下」

 声をかけても、半目状態であった黒目が動く事はない。ぜいぜいと、喘息様の喘音を喉に絡ませて苦しげな呼吸を続けるのみの姿は、颯爽とした勇姿で国を仕切っていた頃の彼からは、想像もつかない。


「陛下……」

 身分の低い母親から産まれた自分に目をかけてくれた。

 自分を守る為に、あえて王族の籍を剥奪して臣下に落とし、その上で重用してくれた。宰相の地位にまで登り詰めたのは、偏に兄王である邦が自分を信頼してくれたからだ。

 期待に応えようと、全てを捧げた。そう、家族ですら。男児を得られなかったが、妻は王女の乳母とし、一人娘は宮女としてその王女・えいに仕えさせた。

 全てを捧げて、尽くして来たのだ、と思っていた。

 国に、王に、兄に。

 なのに。

 この為体ていたらくを見よ!

 国を王を、敬愛する実の兄を――死地へと送り出しておき、何をのうのうとしておったのだ!

 己こそ、亡国に尽力した承恩勲一等の大馬鹿者ではないか!


「兄上……!」

 止めねばならなかった!

 国王たる兄の不興を買い死を賜ろうとも、其れが何だと命を賭けて止めねばならなかったのだ!


「兄上、どうかこの愚か者の異腹弟おとうとを、赦したりなどなさらず! どうか、どうか極刑に処して下さりますよう、伏して、伏して……ね、ねがい……!」


 後は、言葉にならない。

 寝台に寝そべる、最早言葉どころか感情すら失った兄王に取り縋り、嵒は大声を張り上げ、哭く。


 己を呪い殺す為の呪詛のような、低くうねり響いてくる嵒の慟哭を、扉の前で碩と照が、涙しながら聞いていた。




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