12 征く河 その3-3
12 征く河 その3-3
遼国王・灼の名において、謁見を許す旨を得た使者が下がる。ほぼ入れ替わりに、河国丞相・秀その人が、王の間にずかずかと沓音も高く現れた。待ち構えていたに相違ない。
「此方に」
「丞相・燹殿よ、痛み入る」
燹の導きにより、秀は玉座の前に誘われる。
灼は必死だな、とでも言いたげにその響く沓音に耳を傾けつつ、微かに口角を持ち上げた。
手にした書簡を広げつつ、遼国王・灼は視線だけを上げる。書簡の向こうに光る視線は、自信に満ち溢れていた。受けて立つ秀は、苛立ち、粟立つ腹を押さえ込みつつ、形ばかりは跪く。幾ら宗主国とはいえ、彼の地位は丞相であり、遼国の再びの名乗りと灼が国王である事を赦してしまった以上は、謙らねばならないのだ。
――おのれ。
たかだか、生口の奴ばらの首魁如きが。
斯様な男なんぞを、王として名乗るを赦してしまうとは、我ながらなんたる為体か。歴代の河国の御霊廟の前に、立てぬ。
奥歯をぎりぎりと噛み締めつつ、秀は頭を垂れて灼に最礼拝を捧げる。その間に、燹は主君である灼の背後に静かに控えて立つ。
秀の礼拝を受ける灼は、深く腰掛けた玉座より、肘をついた頬づえ状態で、じ……とそんな秀を舐めるように眺めている。そして、手にした書簡を背後に従う燹に押し付けるようにして手渡した。
「何用であるかよ」
言葉遣いすら、汚い奴だ。破落戸の頭領程度でしかありえぬ男が、何を居丈高に偉ぶっておるか。
顰面になっているのにも関わらず、秀は姿勢を正した。
「先々月、禍国より皇子・戰を総大将とした一軍が、契国に向かった」
「ほう――」
「我が国の斥候が、その皇子・戰が率いる軍の前に契国が屈し、全面降伏したとの報を伝えてきた」
「――そうかよ」
笑いを堪えているかのように、応える灼の声は何処か含みがあるように震えている。其れが、秀の神経を逆なでする。小僧が、と歯噛みする。
「禍国皇子・戰を、どう見ておられる」
「さてな」
「……呑気な事だ。良かろう、教えてやる。彼の皇子が狙いは、契国のみならず。ここ遼国、並びに河国だ」
「それで?」
頬づえをついたまま、灼はのんびりと応える。此奴、と腸を沸騰させかけた秀は、ぎょ、として目を剥いた。眼前の灼の眸が、灼が宿っているかのように、煌々と赫い。いや、眸だけではない。灼の入墨を施した赤銅色の肌も、同様に燃え立つようだ。
禍国皇子に狙われておると啄かれ怒っておるのか、如何にも餓鬼だな。だが良い、その方が扱い易い。
灼の轟々たる怒りの熱波にあてられつつも、秀は胸を張る。
「禍国は今、新たな皇帝を選定するが為と称し、峻烈極まる政争の只中にある。その中で一歩抜きん出ておるのは、前年の句国との戦いにて大いに勝利を得て禍国に人物有りと知らしめた、皇子・戰だ」
「――そうかよ」
時節程度の事なぞ、心得ておけ、と叱責しかかるのを辛うじて秀は堪える。灼がこの事態に、怒髪を突いているからだ。これに乗じねば。
「その皇子がだ、契国を既に傘下に収めた」
「ほう? 如何にも早いな。先々月、といえば2月だ。今頃ようよう、契国に到達したか否かであろう。たった1日で勝敗が決しておるのであればまだしも」
「そうだ、その通り。禍国皇子は、契国を一日にて手中に収めおった――契国が、降伏したのだ」
「――は……ん、成る程・な」
くっくっく、と最初喉を鳴らして笑っていたかと思うと、灼は声を張り上げ呵呵大笑する。呆気に取られる秀の前で、笑いながら、灼は背後の燹に押し付けた書簡を奪い、ひらひらと眼前で閃かせてみせる。
「これが何か分かるか?」
「さて?」
「契国王・邦からの、凄凄切切たる思いが謂い綴られておる親書よ、即ち」
「即ち?」
「此度、禍国に攻めらるるは既に必定なり、此の上は、開戦したとて是非もなし、故に、我が国は降伏を申し出る」
灼の言葉に、秀は息を呑む。
「――が」
「――が?」
「我が国は此儘、終るつもりはない。故に、我が国より帰国の途につきし禍国を、貴国共々討たんと欲する、とした内容よ」
秀は、喜びから言葉も出ない。
何とした事だ。
事態は、いや、神は、我が国に味方してくれるというのか。契国が遼国にこのように申し出ておるとは。
成程、降伏はこの為の布石であったか。意気揚々と引き上げる者は、どうしても背後を疎かにしがちになる。契国は、気を緩めた禍国軍を背後から攻撃し、同調して遼国が正面から攻撃を仕掛ければ……。
禍国本土に残してある兵部尚書・優の本隊が出張る時期にもよるが、上手く事が噛み合えば――展望が開ける。
これで母国の窮状を、救える!
しかし、この深い喜びの只中で、秀の此れまでの経験からくる洞察力が、重く語りかけてくる。
――事が上手く運びすぎてはいまいか?
思えば、秀の喜びは一瞬で疑念へと様変わりする。
いや。
だが、待て。
喜びから、知らず盲目的になりかけたがおかしくはないか?
上手く事が、噛み合い過ぎている。
何故この状況下で、契国は遼国を選んだ?
遼国などではなく、宗主国たる剛国を頼れば良いものを。何故、遼国なのだ?
――この遼国と禍国こそが、手を結んでいるとは考えられぬか?
斥候はそれを伝えてきた事はない。当然だ。秀が此れまで、遼国の動向など歯牙にもかけずにいたからだ。
何れにしろ、事の小、多少に関わらず、疑わしきは疑わしきを正しきと思わねば。そう、遼国と禍国、そして契国は既に手を組んでおると考えられぬか?
ならばこそ、まずこの遼国を、完全に足下に収めねばならん。
その為には、この遼国をどのように従えたが最も効果的であるのか?
最も効果的かつ、効率的な方法など、ただ一つだ。
密かな決意に顔色を険しく変えた秀に、灼は一瞥をくれた。再び燹に書簡を押し付ける。
「河国丞相・秀よ」
灼の言葉が、秀の心を鋭く貫く。顳には太い血管が浮き上がり、眉間には深い縦皺が走る。ぶるぶると全身を怒気に染め上げながらも、必死で堪える秀の様子に、灼は目を眇めた。
灼は各国の礼儀に則っただけだ。
名を同じくする場合、御位の高貴なり人物にそれを譲るのは当然の事だ。
契国国王・邦。
河国丞相・秀。
並び立てば、何方が名を譲らねばならぬのか、童子でも分かる。
それ故に、秀の腸が煮え滾るのは当然と言えた。散々、この遼国の丞相である燹を、『ぜん』と呼び蔑んできたものを、己が同じ立場に貶められたのだ。
自尊、矜持、威信、気韻。
己の此れまでの全てが穢された、と秀は感じた。国を背負うとは如何程のものであるか、そもそも、何の、国とも呼び得ぬ奴婢奴の集団の長程度の男が、この私を見下げるとは!
辛うじて秀が耐えたのは、この灼の挑発の裏に確信を得たからだ。
この男は禍国と契国、この両国と通じている。だからこそ、此れ程までに腹を据えていられるのだ。
「河国丞相・秀よ。それで其の方は、何用で我が国に来たものかよ」
「――は。実は」
「実は?」
「我が国の斥候が申すには、禍国本土には、彼の国の兵部尚書が居残っておるとの事。その事実より推察するに、禍国皇子・戰は契国より帰国したその足にてこの遼国を強襲する腹積り」
「前年の、人頭狩りを全土に、と言いたいのかよ」
「御意」
「だが、禍国皇子・戰とやらは、我が国を喰らい尽くした後に、貴様が国をも呑み込もうとしている。現国王の力だけでは、相対する事が適わぬ。故に我が国と共闘したい、と言いたいのか」
「……」
秀は面を伏せた。
事実である。
例え禍国と遼国が結んでいようといまいと、これは事実であるが故に、答えられない。答える事は即ち国王・創を自ら貶める事に他ならない。しかし、答えねば河国だけでは最早立ち行かない。自国の情けないまでの斜陽ぶりに、今更ながらに心の臓を抉られる。
「違うと申すのかよ、河国丞相・秀よ、答えい」
「……遼国王陛下のご明察の通りに御座います、どうか、御一考を……」
「よかろう」
どうにか、気力を奮って声を振り絞る秀に、見下した笑い声を隠そうともせずに、灼が答えた。
「我が国とて、一国にての力で禍国を撃退出来うるなどと自惚れてはおらんわ。出来るものであれば、まずもって禍国による忌まわしき人頭狩りなど、許しておらん」
笑い声を収めた灼が、立ち上がる。ぞくり、と秀の肌が粟立った。硬くなった灼の声音は、王者のそれであると骨身が率直に感じ取ったのだ。
「禍国を共に討つ、よかろう。後に、吾が相国である燹と、話を詰めて行くが良い」
そのまま、灼は秀を残して立ち去る。
灼に三歩遅れて従う燹の背を、秀は憎々しい思いで見詰めていた。
★★★
王の間を退出した灼の背中が揺れている事に気が付いた燹は、目蓋を軽く閉じてやれやれと嘆息した。
「陛下、愉しんでおられましたな」
「おう、悪いかよ?」
何度も秀の事を『ひで』と呼ばわったのは、此れまで散々ばら燹の事を『ぜん』と呼び慣わしてきた事への、報復だ。幼いやり様であるが、だからこそ人の神経を逆なで抉るものであるのは、自分たちが骨の髄まで味わっている。
今の河国の国力のみでは、禍国を迎え撃ち撃退せしめる事は不可能だ。
だからこそ、恥を忍んでこの遼国に、丞相・秀は自ら赴いてきた。
此れまで人間扱いすらせず、馬鹿にし、足下に踏みつけにし、思う様嬲りものにしてきた。
その自分たちの元に!
奴らが助けを乞いに来たのだ!
味わえばよい。
自分たちが、此れまで何程、奥歯を欠けさせ唇を切って耐えた事であるか、あの一言で思い知るがいいのだ!
「溜飲が下がったぞ」
顎を跳ね上げ、赤銅色の肌を波打たせて大笑する若き王に、人生の師匠である丞相は嘆息する。
「笑ってはなりません。此のような姑息な手段にて、相手に一撃喰らわせたと喜ばれていてはなりません」
「分かっておるわ、もう、せぬ」
笑い声を収めた灼は、王の間に視線を移す。
「気が付いたと思うか?」
「彼処まで、明白に煽っておれば」
ふむ、と灼は鼻を鳴らすように頷く。
「陛下、真殿が仰られたように、此れから奴が求めくる要求は、厳しいものとなりましょう。それで本当に宜しいのですか?」
燹の言葉に、灼は答えない。
無言こそが、彼の決意を如実に表していた。暫し、互いに睨めつけあうかのように対峙していたが、燹の方が折れた。肩を上下させ嘆息する。
「済まぬな、相国。しかしな、吾の国の為に身を切って尽力してくれる輩に応えるに、己が国のみを安穏とせんと守るなぞ、してはおられまいがよ」
「解り申した。此の上は、全心全意を以て挑みましょうぞ」
赤銅色の肌を決意に張り詰めた燹の肩を、灼は、力を込めて叩いた。
「それでこそだ」
顰め面をしつつ、燹は苦笑いする。敬愛する相国の、悪戯小僧のような表情に、灼も鯨面を揺らして大笑する。
「さて……帰路、秀の奴は何を見るかな?」
真とやらは本当に面白い奴だ、と今度は不敵な笑みを口角に宿す。
燹はやれやれと首を左右に振りつつ、静かに目を伏せた。
★★★
河国と遼国の間で、正確には互いの国の丞相の間で、約条は締結された。
一つ、河国と遼国は共に禍国という驚異に立ち向かうものとする。
一つ、戦いの総大将として指揮するもの、河国国王・創を以てとする。
一つ、遼国は急ぎ剣の量産体制をより一層励ますものとする。
言葉面の丁寧さは兎も角、有り体に言ってしまえば、禍国と戦う為に遼国は武器を調達し、其れを以て河国に尽くせ――とこう云う事だ。
文書に印璽を交わし、約条を決すると秀は椅子を蹴立てるようにして立ち上がった。
「早速であるが、剣を作る為の炉を見せよ」
「解りました、此方に」
燹の中では、やはりな、という思いしかない。禍国の皇子に仕える真という男も指摘した事であったが、河国としては遼国が従うものとしての証だてとして、青銅製の武具の確保は必須だ。そしてその邑ごと、質となそうとするだろう。
だが、其れに必死に囚われている間、一瞬、禍国から目が離れる。
その一瞬があれば良い。
さすれば、勝機は此方に転がり込む。
ぎろぎろとした眼で案内を急かし、背中に喰いつかんばかりにしてくる視線を感じて、燹はちらりと秀を振り返る。
――所詮は己一人で全てを背負い込まねばならぬ河国の人物のなさが、負けを引き寄せるのだ、河国丞相・秀よ。
警蹕を行い、浄めと祓いを受けた新たな炉に焔が入る。
轟々と音をたてて燃え盛る炉の熱に支配され、汗が一気に吹き出てくる。顔を赤くさせて顰める秀の背後で、燹は慣れた様子で静かに控えている。炉の赤さに負けぬ赤銅色の肌に汗を滲ませてはいるが、この程度、とでも言いたげだ。忌々しさに、秀は足を揺すった。普段のように彷徨き回ることが出来ぬ為だ。
これ以上、構いだてしても無駄に苛つくだけだと、視線を炉に戻す。
河国産、即ち遼国の技術にて打たれる剣は、既に陽国産青銅剣と同じく、一本造となっている。大量生産に向く石製の鋳型を用い、刃から柄まで一体化する事に成功している。
禍国が契国に向かったとの一報を受け、直様、武具の増産体制を整えたが、此処、遼国を取り込む以上、其れだけでは到底足りない。いや、そもそも、決戦時期が1ヶ月も早まるなど、想像の範疇外の自体だった。内心の狼狽ぶりを悟られぬ為と武器確保の一石二鳥となるとは云え、綱渡りの現状に、秀は冷や汗をかきとおしだった。
幾つかの炉を見て回り、最も大きな邑に目を付けた秀は、伴った軍を其処に常駐させた。昼夜を問わず炉を燃し、剣を産する能力を持つ遼国の技術者たちは、本来であれば河国本土に公奴婢として仕入れ、働かせるのが筋だ。
だが、今はその移動の為の、手間すら惜しい。河国に連れて去り質と出来ぬのであれば、邑ごと質として拘束しまえばよい。武具を造り出す手を、如何なる驚異からも守る為の見張りといえば、遼国側から否やは言えぬ。いや、元々が、遼国自体が、そのような立場にはない。
実際、禍国から押し寄せる軍は何万に膨れ上がるのか。
想像するだに恐ろしい。
更に逃れえぬ切実なる問題として、禍国は鉄剣を戦に導入し始めている――という事実だ。何処までの規模のものであるのか。陽国産であるというが、よもや全軍を満たす程ではあるまい。が、それにしても主力部隊には行き渡ってはいるだろう。
質で劣るのであれば、数を頼みに圧倒するしかない。
しかし、此れ程の炉を昼夜問わず稼働させ続けるとなれば、可能となろう。
秀は漸く満足し、心を安堵させ目を細めた。
「遼国丞相、の――……燹よ」
「は」
ちらりと背後に控える燹に視線を走らせた。
薄気味悪い奴だ。
刺している波型の入墨の青さが、赤銅色の肌に異様に浮いているせいもある。が、鯨面を厳つくさせた男は此処まで、毛一筋程も表情を変えずに案内している。逆に、憑かれているかのような錯覚を覚えてしまう己が口惜しく、つい、秀は燹を蔑んで呼んだというのに、彼はやはり強いままの顔色を変えようとはしない。
此奴ほどの男でも禍国との戦ともなれば、緊張するのか。
秀は内心に可笑しみを覚えた。
「私は明日、帰国する。お主は戦の支度を整えよ」
「は」
御意、とは言わぬが、せめてもの奴の矜持と言う処か。秀は妙に満足し、燹を残して炉の前から立ち去った。残された燹が、焔を呑み込み、心の臓に移さんとするかのように、炉を見上げているのにも気付きもせずに。
五月下旬。
精鋭ではあるが僅かな手勢のみで、秀は遼国を出立し、帰国の途についた。
遼国は河国と違い、紅河より一段奥に入った丘陵地帯に位置している。帰国の旅程は、少人数と云う事もあり入国時よりも早く、数日で事足りる。
時期的に魚の稚魚が大量に混じってうねる河筋が見える丘で、一晩を過ごす事となった。紅河の名の由来ともなっているが、それ程、この紅河は恵みが深い。雪解け水が一気に集結しだすこの時期、水量は最も豊かだ。この水の恩恵を受けているからこそ、彼の国は河国を名乗っている。
逆に遠回りとなるこの丘を野営地に選んだのには、もう一つ重要な意味があった。
禍国側が、このさらに数里先にて、軍馬の育成を行っているという情報を斥候が掴んできたのである。出来れば、その様子、規模を直にこの眼で確かめたかったのである。手勢の人数を極力減らしたのも、怪しまれぬ為にだ。
天幕を張り、軽い夜食のような食事を一気に腹に流し込むと、用意された床に秀は身体を横たえさせた。目蓋を閉じれば、もう2~3日も馬を励ませば見えてくる筈の、河国の王宮が浮かぶ。
思いの他、遼国にての滞在が伸びてしまっていたな。
炉の確保もさることながら、仕上がった剣の状態をも一々この眼で確かめて回っていたからだ。何もこの様な瑣末な事まで、と思うのであるが、全て己が眸で確かめねば安心を得られない。つまり、自分自身以外に頼む者も頼る者もおらぬ、という河国の人材の無さが浮き彫りとなっている。
正直なところ、疲労の度合いは深く激しい。
だが、国王である創を守る為にも、此度の戦にこそは絶対に負けられぬ。
帰国と共に探らせている禍国の現状を聞き、更に人馬を早急に鍛え上げねば。
――陛下の御為にも、勝たねば。
それが、彼を、創を玉座に据えた者の、責のとりようであろう。
とろとろとした微睡みから、いつしか秀は深い眠りの淵へと沈んでいた。
翌朝。
雲かと見紛う、もうもうと立ち込める深い霧の中。
部下たちの、悲鳴に近い声で秀は飛び起きた。半瞬おかずに意識を覚醒させ、最低限の武具を身に整える。天幕の帳を払い、外に飛び出ると、果たして部下たちが騒いでいる。
腰を抜かして座り込む部下。
及び腰になる部下。
だらしなく口を開け放ったまま土塊のように固まる部下。
どの部下もだが、上流に向け、恐怖に震え引き攣りつつ指を指している。
「馬鹿な……!」
彼らの指差す先に見えるものに、秀も、ただ呆然と立ち尽くしかなかった。
紅河は、別名、『龍の髭』と呼ばれている。
その一跳ねですら天変地異を引き起こす龍の髭、と力河と共に称されている。
その、龍の髭たる赤々とした濁流が、滾滾とうねりを見せつける。
大量の雪解け水の支流をまとめ上げた、この河口付近附近独特の変わらぬ雄大にして偉大なる紅河の姿。
では、なかった。
彼らの目前に、広がる光景。
紅河を、龍の鱗の如きに黒々と彩り埋め尽くしている、一大船団の姿がそこにあった。




