12 征く河 その2―2
12 征く河 その2―2
時は四月の終り。
禍国軍4万を、総大将として率いる戰が契国に到着してより、既に10日余りを数える。
その間、戰と真は、契国王太子・碩の協力の元に、瀝青の在り処を探ろうと試みていた。
しかし、此れまでの日々は物の見事に、徒労に終わっていた。
★★★
契国を訪れた当初。
真は先ず礼部尚と鴻臚寺及び大府寺、そして大常寺と戸部尚の管轄下の書庫に入った。
礼部尚は外交を司る。
つまりは、他国へ朝貢等を行う際にも、物品は此処で改め定められる。瀝青が、過去に朝貢品として扱われてはいないか、建国処ろか先代王国を数代遡ってまで調べてみたのである。
が、これは徒労に終わった。
続いて鴻臚寺と大府寺及び戸部尚である。
鴻臚寺も、外交を司る。
だが鴻臚寺は主に、他国からの使節団受け入れを担当する。使節団への返礼品の中に、瀝青の存在がないかを遡って調べた。大府寺は、国の交易品の管理をするものであり、商人たちは己の取引品を此処に申し出て許しを得ねばならない。国が管理しているものでなく、商人の手に寄る交易品であるかとも踏んだのだ。
が、どちらも思う成果は得られなかった。
大常寺とは神祇官を管轄する部署であるが、その中には流行病を祓い鎮める行いも含まれており、実際には医術者を派遣して救済に当たらせるものだ。戸部は戸籍を管轄する尚書であるのは言うまでもない。
最後の可能性として、古く石炭を採掘した際に同時に瀝青が採掘されていたとする。しかし当時の契国において、たまたま事故が続いたとする。瀝青はその価値を見出される事なく、事故を起こす悪気宿りしものとされたのであれば。鎮祀の為の祭壇なりもうけられていたであろう、そうなれば戸籍も動いたに違いないと思ったのだ。
しかし此処でも、芳しい成果は得られなかった。
だが、戰と真は、瀝青とは別に、気になる記述を発見した。
例の、流行病についてだ。
「真、此れはおかしいとは思わないか?」
「はい、私も何か妙なものを感じます」
大常寺が保管していた使役に駆り出された人足たちの常を記した書簡によれば、石炭発掘に際しての事故による鎮魂の祭祀を行い霊祠に祀る行事は、何年かおきに行われている。
其れは当然と言える。
石炭は、馬、そして煤黑油と並んで、契国を支える大切な輸出品の一つだ。採掘には、賦役として庸にかり出された農民たちが、主として携わっている。基本的に契国において石炭の採掘は露天掘りではなく、山間を掘り進まねばならない。その為に、落盤事故は頻繁に起こる。大規模な事故が起これば、鎮魂の為の祭祀霊祠は行われなければならない。
だが、それ以外でも大規模な鎮魂儀礼が行われている。
戸部にある賦役黄冊の記録と照らし合わせれば、それは例の流行病の年に行われている。
此れもまた、当然といえる。
が、大常寺が、大規模な霊祠を建てた際の病の記述がおかしい。
煤黑油を作る作業場からしか、その流行病は発症していないのである。
記述に寄れば、煤黑油を得る為の作業は通常、稲の刈り入れの後から厳冬期に入るまでの間に雑徭として集められた農民が、邨を作り、行われる。此れもまた石炭の採掘と同じく、契国においては成人男性に課せられた、賦役のひとつだ。
この流行病は、煤黑油を生成する際において突発的に、そして一気爆発的に発症する。
決して、他の場所では発症しない。またこの作業場から一度離れれば、蔓延する事はない。あくまでも、煤黑油を得る為の作業中にしか発症しない、賦役に準じた成人男性のみが羅患する病だ。
流行病であるのならば、隔離した邨で世話に奔走した薬師や医師たちにも伝染する可能性は当然ある。
しかし、その記述はない。
医療の施術者には、感染者は皆無だ。
碩も言っていた――この病は、邨から出て伝染することは決してない、と。
裏付けをとってみれば、ますますもって奇妙である言いようがない。この何十年、まるで起こりえないなど、あり得るだろうか?
更に詳しく記述を追い、調べ上げる。
と、真が珍しく上擦った声を上げた。
「戰様!」
「どうした、真?」
「此れをご覧下さい」
真が広げた黄冊を覗き込む。
真がなぞりあげる文面を追う戰の視線が、鋭くなった。
ある邨において従事する賦役者のみ、過去に一度も流行病を発症した事がない。幾世代と続く歴史の中で、此れはただの偶然で済ませられるものではない。
その邨は、何らかの対処方法を心得ているのだ。
そして、その邨とは。
代々の国王が行幸を行う邨であった。
「国王を守護する為の、何か特別な法があるに違いない」
「ですね。ですが此度、国王・邦陛下は、この流行病に感染されておられます」
「そうだ、其処がおかしい。……何か作為を感じるが」
「はい、私もそう思います」
「ともあれ、何かしら回避法があるのだ。だとすれば、それさえ解ければ最早、病に怯えて賦役に就かなくてもよくなる」
「はい。しかし、そもそもこの煤黑油の生成方法が分からなければ、何ともなりません」
真の言葉に戰は、そうだ其処だ、と頷く。
この上は、契国の秘技中の秘技である、煤黑油の生成方法を知らねばならない。
「碩殿を説得しよう」
「はい」
「が、先ずは、邨の実情をこの眸で確かめたい。共に来てくれるか、真」
「はい、戰様」
戰の言葉に、今度は真が頷いた。
★★★
「どうしたものでしょうか」
船大工たちの威勢の良い掛け声を聞きつつ、真は組み上がりを待つばかりとなった船の材料の山を眺めつつ呟いた。目の前では、契国の王太子である碩と同腹妹姫である王女・瑛が、戰と並んで立ち、船が造り上がる様子を見上げている。
「こんな処で何をしておるか」
不意に背後から声をかけられて真が振り向くと、契国の王子にして宰相である嵒が苦々しい面持ちで睨み付けてきている。彼の背に隠れるようにして、王女・瑛付きの宮女である照が小さくなっている。
真が礼拝を捧げようとすると、益々苦々しさ深くして嵒が手を振って押しとどめた。仮にも盟約の輩と王太子である碩が慕っている禍国の皇子が抱える目付に其のような事をさせでもしようものなら、後々どの様な難癖を付けられるものか分かったものではない、と言う処だろう。
「王太子殿下には、御許可は頂いております。御国の造船の手腕を、見学させて頂いております」
「盗みに来ておる、の間違いであろう」
「其のようなつもりは毛頭御座いませんが、お目障りとうつりましたならば、此方の手落ちです。申し訳ありません」
「ああ、目障り極まりない」
やれやれ、と真は内心で肩を竦めた。
確かにその通りだ。
到着してから契国内にて、戰の軍は兵馬を休めている。
特に馬は、放牧地において長旅の疲れを癒すかのように伸び伸びと振舞っていた。句国王・玖と同じく、碩も快く馬の飼育方法を細かに教えてくれる。面白い事に、句国で使われる牧草は紫馬肥草と言ったが、契国では馬肥草といい、品種から違う。紫馬肥は立ち性の文字通りに小さな紫の花を咲かせる草だが、馬肥は丸い三枚の葉が愛らしい匍匐性の草で、春に白い雪洞のような花を咲かせる、そう、今が盛りだ。この馬肥草を、馬は実によく好んで喰み、見る間に力を付けていくのが有り有りと分かる。
禍国軍としては実に有難い話であるが、契国としては、盟主として抱くのは未だに剛国であるのだ。此れを剛国王・闘に迂闊に知られれば、討伐の口実を与える事にも成りかねない。
有り体に言ってしまえば、契国宰相として、嵒はこの禍国の皇子が我が物顔で王国をのし歩くのを、はっきりと快く思っていないのだ。その為か、この宰相・嵒は事ある毎に、行く先々に現れて戰と真の動向に目を光らせている。お陰で、瀝青を探る手を伸ばしきれていない、というのが現状だった。
「其のようなつもりは毛頭御座いませんが、含みがあると思われるのは心外に御座います」
「では、要らぬ腹を探られたくなければ、早々に部屋に戻られ出立までの間、大人くしておられよ」
ふん、と鼻息も荒く嵒は踵を返した。
一礼をもって見送りながら、もう一度、真はやれやれと嘆息する。
申し訳御座いません、と照という宮女が恐縮しつつ頭を下げてきた。
「いえ宜しいのですよ。私どもは確かに、此方の国の重鎮の方々には苦い存在でしかありませんから」
「いいえ……その、宰相様が苛立っておいでなのは、実は瑛姫様が郡王陛下にあまりにも御近付きあそばされているのを、ご心配されておられるからなのです」
「瑛姫様を?」
はい、と小さくなりながら遠慮がちに照が頷く。そんな素振りは、何処か祭国に居る実の母の好を思わせる。
「私の口から……という事は内密にして頂きたいので御座いますが、実は、瑛姫様は近々、剛国へと輿入れされるので御座います」
「瑛姫様が? 剛国へ?」
はい、と声をか細くさせて照が答える。
視線を上げると、兄である王太子・碩の後ろで瑛姫は、頬を赤くし熱に浮かされたかのような、艶のある視線を戰に向けて甘い吐息を吐いていた。
成る程、と真は内心で頭をかく。
ふと、話していた照の視線が動いた気配を感じて彼女を見れば、己の主である瑛姫が熱視線を送る相手である戰を、照も頬を薄桃色に染めながら見詰めていた。
成る程……、と真は己の不明に呆れるしかない。
正直、戰に見慣れているというべきか。以て世の奇跡と思われる程、戰が稀代の美丈夫であるという事実に慣れすぎており、且つ想い合う椿姫と晴れて夫婦となったばかりであるという現状にも慣れすぎていた。
自分が知る限り、戰以上の美形の皇子の存在を、真は知らない。
奥まった王宮で蝶よ花よと育て上げられた世間知らずの姫君が、救国の英雄であると聞かされていた皇子に勝手に妄想を逞しくさせていたとしても、それは咎められまい。そして現実に現れた当の本人が、想像以上の美形であったならば、ころりと心を恋情に傾けて身を焦がしたとて、それは仕方が無い事だろう。
だが、王太子共々に国元を預かる宰相・嵒としては、剛国へ嫁ぐと決定した身の上の姫君に醜聞があってはならないのは、解る。
相手は剛国だ。
間に何かあったのでは、と勘ぐらせてもいけないのだ。
其処まで考えて、真は、気が付いた。
「瑛姫様のお輿入れ先は、剛国王・闘陛下の御元にでは、ないのですか?」
剛国へ、という表現が気になった。
瑛姫は仮にも、契国の正王妃の腹から生まれた姫であり、次代の王・碩の妹姫だ。
確かに、蒙国より妃を迎え入れると決断はしたが、さりとてだからといって他国の姫を迎え入れぬという理由にはならない。いや、彼の国程の強国であるならば、逆に品位が下がろうとも、国王にこそ嫁すものであろう。
だが剛国王の元へ、とは照は言わなかった。
あっ……と顔色をなくして焦る少女に、真は全てを理解した。
瑛姫には、剛国へ嫁ぐと伝えてあるのだろう。姫に対して剛国へと話が下されれば、当然、国王の元に嫁すと思うであろう。だが、実際は違い、剛国王・闘の弟たちの何れかの王子の元に遣わされるのだ。
剛国王は現在、自身の有能な異腹弟たちを積極的に登用している。古くからの臣下は、先代父王と兄王子たちの手垢が滲みている。従順に従ったふりをし、闘を未だ正式な国王と認めず、虎視眈々とその王座を狙いすましているのだ。
闘自身は、己の母親の身分がさして高くない事など、既にどうとも思ってはいない。だが己の地盤固めの為には、同じ境遇の異腹弟たちを味方に付ける他はなく、彼らに力を与えるには他国の姫をその妃にすえるのが最も手っ取り早い。その為に、同盟という名の恭順の証だてとして、姫をよこせと恫喝してきたとて、不思議はない。しかし契国側としても、剛国王の申し出を断る訳にはいかない。今此処で、剛国と事を荒立て、備国のように踏付けにされては、契国はいよいよ滅ぶしか道はなくなる。
瑛姫は、両国の思惑の生贄という訳だ。
真は顔を顰めた。
この手合いの話が、真が正直腹の底から気に入らない。
理由などない。
本能的に虫唾が走るのだ。
「あの、お目付様、誤解なさらないで下さいませ。瑛姫様のお輿入れのお話は、もう何年も前からの、ものなのです」
「そう……なのですか」
真の顔色が変わったのを受け、照が慌てたように申し開きを入れる。
流石に、罪もない少女に怒りをぶつけても仕方が無い事だと、真も表情を軟化させると、照は明白にほっと吐息をついた。
だが此度、火が蘇ったかのようにこの婚儀が忙しく巡っているのは、剛国王・闘と蒙国皇帝妃が妹姫・世亜羅姫との婚姻とも、無関係ではあるまい。
契国は、焦っているのだ。
このまま、剛国王と縁が切れる事を。
剛国側に押されるままに、今、この婚儀を受け入れざるを得なかったのだろう。
しかし、初めて対峙した折、誉を呉れてやると堂々と口にした剛国王・闘が。
即位戴冠の際の問題勃発時に、面白いと呵呵大笑しつつ計画にのった、あの剛毅果断な剛国王・闘が。
此のような駆け引きに出るであろうか? ……いや、既に、蒙国の王女を王妃に迎えると決したではないか。
人は変わるという。
先達の言葉のまま、剛国王・闘も変わったのだろうか?
だが剛国王・闘にも契国王太子・碩にも、そして王女である瑛姫にも。
自分は意見する力を、持ってはいない。
再び視線を感じて其方を向くと、宮女の照が再び心配そうに見上げていた。
自分の不注意な一言が、国に何事か起こしはしないかと案じられ、責任を負わされるはしないかと恐ろしくて仕方がないのだろう。
少女を安心させる為に笑いつつ、真は項に垂れる後れ毛に手を当てた。
「申し訳ありません。照殿、貴女が気に病む事はありませんよ。悪いのは私の方ですから」
真が穏やかなそれでいて何処かおどけた調子で告げると、驚いたのか、照は目を一回り大きくさせた。
彼女にとっては、真もまた、契国救国の勇者の一人、雲上人の一人だ。そんな人物から、宮女風情にこのように謙った物言いをされるとは。照には、思ってもみない事だった。
「真」
其処に、戰が駆け寄ってきた。
思わず照が礼儀に倣い顔を伏せようとすると、ああ構わないでいいよ、と戰は笑うと、照は顔ばせだけでなく全身を真っ赤に染め上げた。少女はもう、驚きに胸が潰れて言葉も出ない。高貴な身分の、しかも郡王である気高い人物に、このように声をかけられるなど、夢ではないだろうか? と照の惚けた顔に書いてある。
「真。少し、いいか?」
「はい、戰様」
「碩殿と、例の話をする事ができる」
「分かりました」
余りの事に呆然と立ち尽くす照に、真は軽く会釈して、戰と共にその場を足早に立ち去った。
★★★
夜半過ぎ。
漸く、王太子・碩と直接話を交わす事が叶えられた。
殆ど密会に等しい。
「自国の、しかも己が王宮で密会の段取りを、自らせねばならぬとは」
碩が腕組をしつつ、憮然として呟く。
密会の部屋まで戰と真を誘ったのは、宮女である照だった。密会場所は、工部尚管轄の書庫である。……ので、密会と言えるかどうかも怪しいものだが、いざという時に言い訳のたつ状態にしておかねばならないとなると、此処以外、思い浮かばなかった。
工部尚、つまりは土木関係を扱う部署だ。
契国で採掘される、宝玉のみならず石炭の採掘量、採掘場等は全て管理している。
何とかこうして王太子・碩との密会の場を設ける事が出来たのは、碩自身が、この国の秘術よりも民の安寧を、と心に定めたからに他ならない。
「歴代の国王が慰問に訪れる邨にのみ、病が発症した記録がない……?」
真の言葉に、碩が眉根を寄せる。
思ってもいない言葉であった。自身の父王である邦が病に伏した為、考えから外れていた。調べ上げられた賦役黄冊の抜き出しの羅列を突き付けられ、腕を組んで唸る。
「碩殿、教えては貰えまいか。そもそも、煤黑油はどの様な過程を経て生成されるものであるのか」
ぬう、と碩は呻く。
父王を始め、病に怯える国の為民の為、病の元凶は、正体は、一体何ものであるのか。
確かに突き止めたい、時期国王として、当然と言える。
しかし、その為に国を支える根幹の事業である秘術を、明かして良いのか?
そもそも国政を司るだけの力を持たぬ父王に成り代わり、烏滸がましくも代王を名乗ってはいるが、自分は未だ国王ではなく、王太子なのだ。
専横が、過ぎはしまいか。
父王が回復されたあかつきに、何と言われるか……。
握り拳を固くし、碩は悩む。その姿に、戰は怒りを隠さない。
「碩殿、貴殿は己の栄誉尊厳と民の苦しみを天秤にかけ、己を重くされるのか」
「な、何!?」
「己への非難を恐れ、嘆く民を見捨てるのか」
「な、何だと?」
「貴殿は、自らの脚で、病に呻く民の姿を見たのか? その上で其のような態度をとられるというのか?」
「自らの……脚?」
そうだ、と戰は語気を強める。
「私は、其処に居る真と共に見てきた。彼らがどの様な苦渋の底に沈み、もがいているのかを」
碩は驚愕に目を剥いた。
態々、病に苦しむ邨の民を見舞ったというのか?
禍国の皇子ともあろうものが、自ら出向いて?
他国の領民の為に、何を其処まで尽くすというのか?
「来るがいい、碩殿」
立ち上がりざま、踵を返して戸口に向かう戰の後を、碩は慌てて追った。




