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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
五ノ戦 紅塵万丈

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12 征く河 その1-1

12 征く河 その1-1



 その夜。

 戰と椿姫の、婚姻の儀式が執り行われた。

 母親である麗美人の御霊を宿した玉石を前に、新郎の衣装を纏い、為来り通りにおもてを面帯に隠して、戰は椿姫を待った。


「参りましょう、椿姫さま……いいえ、お義理姉上あねうえ様」

 しょう姫が差し出し促すその小さな手の平に、椿姫は頬を微かに桃色に染めて、白く細い指を添えた。

 年下の薔姫を仲人ちゅうにんとして、手を引かれながら、椿姫が面帯を垂らして回廊をゆっくりと歩く。だが纏う花嫁衣裳は、まるで、何処かの下級貴族の娘が嫁ぐかのような、良くも悪くも簡素な衣装であった。とても女王とは思えぬ花嫁衣装であるのは、急な事である以上に椿姫が嫌がったのだ。


 王族としてではなく、普通の娘のように、戰の元に嫁ぎたい――と。


 その為に、最低限の礼節を保った略式で、行われることとなったのだ。

 しかし、面帯の下に薄化粧を施し隠された愛らしい顔ばせ。

 時折ふく気まぐれな秋風の柔かな風に垣間見れば、楚々として歩む姿。

 月光を披帛ひはくとして纏う、文字通り妖精のようなあえかな美しさは、まさに姫君のものだ。

 誰しもが、知らず、息を飲む。


 じりじりと待つ戰の耳に、漸く、ちりん……ちりん……と、過ぎ行く秋に遠慮がちに鳴く鈴虫のような、優しい音が届く。

 設えらえた祭壇の前に座す戰の隣に、甘い薫りがふうわりと風にのり、届けられる。彼の義理妹いもうとに導かれた、椿姫の薫香である。

 椿姫が戰の隣に並ぶ。

 二人の姿に頬を輝かせながら、薔姫は仲人ちゅうにんの妻として、夫である真の三歩後の座に控える。


 静かな夜の静寂に月光が冴え冴えと降り注ぐ中、真が礼拝を捧げつつ、厳かに玉石の前に進み出る。一拍の間をおいて、神官衣に身を包み占星師となった蔦が、右手に戰の、左手に椿姫の宿星図を手にして、しずしずと進み出る。

「我申す、名は真、天宙におわす天帝に一族郎党をとくし、此処に申し上げ奉るもの也」

受け申す、が名は蔦、天帝より授かりし星を見、月を読み、めし者也」

「我申す、真、先帝・景陛下と正四品正四位美人・麗様の間に生を授かりし禍国皇室の皇子・戰の婚儀の行く末を心眼にて見届けたる者也」


 真の宣言に、蔦の手の内の、戰と椿姫の宿星図が、同時に、はらりと広げられた。

 蔦が、玉石に見入らせるかのように、更に進み出る。

 広げた二人の宿星図を掲げた蔦が、一息、長く深く深呼吸をした後、宣言する。


周星天意しゅうせいてんい、遍く星々を巡らせるは天帝の御意思に代わるものとする、皇子・戰。


 晴星天舞せいせいてんぶ 、晴天にも星を集わしめ天帝に舞を奉納すべしとする、祭国王女・椿姫。


 御二方の宿星図を重ねしは占す。

 其は、誠に見目麗しくも和合し、以てえにし深きものと此処に認めるもの也」


「我申す、真、此処に禍国皇室皇子・戰、祭国王女・椿姫の縁結び給いしを見届けたり。玉石に宿りし祖の御霊に依りて一族郎党を督し、天帝に告げんとするもの也。血縁となりし新たな夫婦の契りを、此処に与えんと欲するもの也」

「お慶び申し上げます」

 玉石に恭しく畏まり告げる真の言葉に、薔姫も最礼拝をもって追従する。


 真と薔姫の言葉に、椿姫が堪えきれず、白珠のような涙をはらはらと零す。最後に、先祖の廟に夫婦初の礼拝を捧げねばならないのに、感極まってできずにいると、戰がその手に己の手を合わせた。

 二人で、玉石に深く礼拝を捧げる。


 真と薔姫を見届役の仲人として、戰と椿姫は、此処に漸く、正式な夫婦となることを認められた。 

 


 ★★★



 宮で働く者は端人までも一同に集めて、婚儀を祝う宴が行われた。

 当初戸惑いと、何よりも恐れ多いとばかりに平身低頭に尽きた端人たちも、主である戰の幸せそうな気持ちに触れ、それを純粋に祝いたいと思えるようになったのであろうか。

 やがて、おずおずと、そしていつしか慶びを共にと、宴に交わるようになった。

 小さな宴であるが、心から戰と椿姫の婚姻を喜ぶ者だけしかおらぬ宴の座は、徐々に盛り上がりを見せ、暖かな喧騒となった。



 夜半過ぎ。

 戰と椿姫の床入の儀となった。


 為来り通りに、戰は密かに座を外す。

 先に部屋にて待つ戰のもとに、再び鈴の音が、ゆらゆらとした灯りと共に近づいてきた。やがて、すらりと戸が開かれ、戰の隣に再び甘い芳香が佇むのも、先ほどと同じだ。

 違うのは、導き手であった薔姫と下女たちが皆、下がっていく事だ。

 しん……とした宵の澄んだ空気の中に、二人きりとなった。

 鼓動と息遣いのみが、熱い程の互いの存在感を、示す。


 声を掛け、抱きしめたい。

 抱き上げ、寝台に横たえさせたい。

 しかし、喉は声を、腕は動く事を忘れてしまったかのように、何もできない。

 月光は、ほのかな白緑びゃくろく色の輝きで、椿姫をやわやわとつつみこんでいる。

 見れば魅入らずにはいられない。だが、このままこの麗しい人は、人の世にあらぬ存在として、まさに空蝉の如く夢よ幻よとくらくなるのでは、と戰を焦らせる。


「――椿」

 と、ようよう戰が声を掛けようとする前に、芳しい香気の塊がその胸に自ら飛び込んできた。ふわり、と蝶翅の残影のように面帯が外れる。

 それを合図に、椿姫の細い躰が、翅を瞬かせた妖精せいのように軽やかに浮いた。

 抱き上げられ寝台に運ばれた椿姫が、下ろされる瞬間に、いやいや(・・・・)をする幼子のように首を左右に振りながら、離されるものかと戰にしがみついてきた。

 慌てる、と言うよりも戰は戸惑う。

 まるで、義理妹いもうとであるしょう姫のような、いやもっと幼い素振りをみせるなど、出会ってから此れまで、ただの一度もなかった。彼女のただならぬ様子に安心させようと、そっと、しかし強く、細い肩を抱きしめる。


「椿、どうした?」

「…………ないで……」

「ん?」

「……おねがい……一人にしないで……」

「椿?」

「……私をおいて……行かないで……」


 どきりとした。

 少女の、か細く震える声が、鋭く胸を抉る。


 先の戦は。

 どさくさ紛れの押し付け騒動の果てに、勢いのまま、戦った。

 あの戦において、彼女が女王として毅然とした態度をとる事が出来たのは、その場に戰がいなかったからこそだ。自分こそが、彼と手をとる者としてあらねばならないという、覚悟が沸き立ったからだ。

 戰を、見送る事も、勇気付ける事も、まして止める事も、許されなかった。

 だから、女王でいられた。


 しかし、此度は違う。

 戰は、この夜の後、戦に征くのだと、彼女は知っている。

 睦みあったその脚で、まだ熱い躰の自分をおいて弓箭兵馬きゅせんへいば率いて戦禍にに赴くと知りながら、冷静でいられる女は此の世におるまい。

 それが死地と隣合せの、兵戈へいかの地であれば尚更だ。

 今の彼女は、一途に愛する男が戦にとられていく事を嘆き哀しむ、ただの娘にすぎない。


 椿姫の唇より漏れる歔欷きょきの声が、戰の胸を濡らす。

 頬に手をあて、静かに上向かせると、椿姫の軽く閉じられた目蓋を縁取る長い睫毛には、珠露のように涙が滲んでいる。

 蜉蝣の瞬きよりも微かな震えに揺れるそれは、押され込まれた彼女の哀哭そのものだった。

 唇を重ねると、嗚咽と共に、乱れた甘い息が戰の喉の奥に吹き込まれる。

 


 一人になど、させない、させるものか。

 証を彼女の躰に刻みたい。

 必ず帰ってくるのだと。



 静かに寝台に二人の身体が沈み込む。

 椿姫は白い肢体をほのかに桜色に染め上げ、しっとりと汗ばませた。

 噎ぶ寸前まで、貪るように想いあうままに、心も躰も、重ね合わせる。

 躰を揺さぶられる苦しみは既になく、蕾から蜜の溢れる花へと開かされた悦びに、ただ、啼いた。

 彼が、自分に残そうとしているものを、全身全霊で受け止めとめようと。


 ……いかないで…………。


 その言葉を、椿姫はこの夜、何度も何度も、涙と共にこぼしたのだった。



 ★★★



 兄である戰と椿姫が正式に夫婦となり、椿姫が自分の義理姉になる。

 この事実に異様に興奮しているのだろうか。この夜のしょう姫は、いつになく饒舌だった。

 椿姫様は天女様のように素敵だったとか、此れまでの姫様の中で一等お綺麗だったとか、蔦と珊の舞はこれまでで一番格好良かっただとか、真に返答を返す隙すら与えず、ひたすらに喋りつめだ。

 寝台の上で、ころころと寝返りをうちつつ更に口も動かし続け、寝付こうという素振りすらみせない。

 最初のうちは、今日は特別な日ですからね、と甘い顔をして頷いて聞いていた真であったが、夜半を過ぎた知らせの鐘の音を聞くに及んで、流石に表情を厳しいものにした。


「はい、姫、其処までにしておきましょう。明日は早いのですから、もう寝なくてはいけません」

「だって……」

 初夜の後、戰と椿姫とが朝餉を取った後、椿姫としょう姫は蔦に守られながら帰国の途につく手筈となっている。

 為来りであれば、新婚と共に若夫婦が新天地に旅立つ場合は、仲人ちゅうにんは、新母屋まで誘わねばならない。真が祭国に下がる事が叶わぬ以上、その役目を担うのは、当然の事、薔姫の役目だ。そうでなかったとしても、1周忌を終えた後、蜻蛉返りして祭国に帰国するのだと当初から決められていた。

 どちらにしろ早起きになるのだから、早く眠らねば体調に触る。


 だが頭では理解してはいても、薔姫は異様な気持ちの昂ぶりを、抑えられない。

 それは、椿姫と同じ気持ちからきている。

 自分が禍国を去れば、真と義理兄(戰)は再び戦場に赴くのだ。

 また、長く会えなくなる。

 話もできなくなる。

 少しでも真と一緒の刻を増やしたい、と薔姫は粘りに粘っていたのだ。

 

「ねえ、我が君」

「はい、何ですか?」

「椿姫様、本当にお綺麗だったわね」

「そうですね、とてもお綺麗でした」

 宥め賺されて布団を深く被せられ、それでもまだじたばたと脚をばたつかせている薔姫に呆れ、真は笑った。

 此れで、何度目の促しになるのか。

 さあ早く寝ましょう、と真が静かに、しかし毅然として告げる。めっ(・・)とでも言いだしそうな目付きをする真に、薔姫は、布団を引っ張り上げて頬のあたりまで顔を隠してみせた。


「はぁい……ねえ、我が君」

「はい?」

「これを聞いたら、ちゃんと寝るから、教えて?」

「良いですよ、何ですか?」

「……私が、我が君の処にきた時は、どうだったのかしら?」

「え?」

「我が君は、どう思ったの?」

 大きな黒い瞳が、返答を求めてじっと真っ直ぐに真を見詰めている。ふ・と短く微笑んで、薔姫の額にかかる髪をくしゃくしゃとかき混ぜながら、真は答えた。

「可愛い花嫁様だと思いましたよ」

「本当?」

 嬉しげでありながら、真が嘗ての彼女を『可愛い』と評した事に、薔姫は落胆の色を隠さない。

 不満なのだ。

 椿姫のように、素敵だと綺麗だと言って欲しい、と上目遣いをしながら、期待している。望む言葉を強請ねだる幼い妻に、真は内心でおやおや、と苦笑しながらも、真剣な表情をつくった。


「可愛いくて綺麗な花嫁様が私の処に来てくれた、こんな素敵な花嫁様を得られてとても嬉しい、と思いましたよ」

「本当? 我が君、本当?」

「はい、私は相当にいい加減な態度の人間で、其のくせよく人をからかったりもしますけど、姫に嘘は言いませんよ」

 掛布団の下でしょう姫は、良かった、と嬉しそうに笑い、うふ、と肩を窄めた。

「さあ姫、約束ですから、もう寝て下さい」

「はぁい……お休みなさい、我が君」

「お休みなさい、姫」

 布団の中で手足を縮こめて小さくなった薔姫は、満足したのかを閉じた途端に、すとん・と眠りについた。


 薔姫は、くうくうと小さな寝息をたてて寝入っている。

 幼い妻の仔猫のように丸まった背中を、真が撫であやしていると、すらりと格子戸が音もなく開けられた。気配を殺して入ってきたのは、早足のふうだ。跪き、すす、と音も気配もなく傍に寄ろうとするふうに、真は頭を振ってとめた。

 ふうが、軽く目を瞬かせる。調べたい事があるから、しょう姫が寝付いたら入れ替わりに部屋に来てくれと頼んでいたのは、真の方であったからだ。

「今夜は、仕事はやめておきます」

 しょう姫の背中あたりを、やはりぽんぽんと軽く拍子をとってあやす真に、ふうは表情を和ませて頷いた。それがよろしいです、と短く答え、跪いた姿勢のまま、すぅ、と訪れた時と同じく、音も気配もなく部屋を出て行った。


 ふうが姿を消すと、真はもう一度、くすりと声をたてて笑った。

 4年前も前の話だというのに、真にははっきりとあの時の薔姫の姿を思い出せる。

 緊張に唇を固くして、介添えである椿姫に握られた小さな手は、真っ白なくせに汗ばんでいた。まだ5歳だというのに、怖くない、怖くない、と一生懸命に自分に言い聞かせている姿は、健気以外のなにものでもなかった。

 そんな、いじらしいばかりの幼い彼女に、思わず笑顔を向けた瞬間、泣きそうな心がほっとしたのであろうか。ぱあっと明るい日差しのような笑顔を見せてくれた事は、一生忘れられないだろう。


「姫は可愛いですよ」

 もう一度、真は眠っている薔姫に答える。

 寝息をたてながら、うふ、と薔姫が笑った。夢の中でも、遊んでいるのだろうか。

 相手は誰でしょうか?

 学様でしょうか、それともあいでしょうか、いや、たくかもしれませんね。

 真に背中を撫でられつつ、眠る薔姫が再び無邪気に笑う。

 こんな姿を見せつけられたら、守ってあげなくてはいけない、と自分でなくとも、思うだろう。

 あの時の、泣きべそをかきそうであった童女は、そう、皆に、見守られ愛されている。日々を笑顔で過ごしているからこそ、今の、この彼女があるのだ。

 胸を張って良いことだ、と思える。

 そう思えば、何となくであるが、蓮才人が10歳しか年の離れていない戰を養子として迎え入れ、我が子として愛している気持ちが、解るような気がしてきた。

 身を守る為とはいえ、5歳で母親と別離せねばならなかった薔姫。

 肉親がいない故の寂しさを感じて欲しくないと、同じく母親と引き離されて育った自分は、殊更に力が入っていたかもしれない。

 言うなれば、自分が薔姫に抱いている気持ちというのは、庇護欲というか保護者の保護欲求のそれに近いものなのだろう。


 ――そうか、言ってみれば、父親のようなものなのかもしれませんね。

 そう思った途端に、真は、父・優を思い出した。


 優はここ数日の間、妹のあいの為に、流行りの着物だの娘用の玩具だのを、間断なく金にいとめを付けずに買い漁っているのだ。調子にのったときも、此処ぞとばかりに父・優を煽て上げるものだから、調度品や家具など、何処の国の王女の嫁入道具かと見紛う揃えようだ。

 荷車を前に、腕組みをしながら破顔しきりの父・優の姿が、真の脳裏にぽこりと浮かんだ。


「……といっても、私は父上のような馬鹿ではありませんからね、姫、間違っても同じだなんて言わないで下さいよ」


 真は顰め面をしつつ深く嘆息し、ぼりぼりと後頭部をかきあげた。



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