10 遼国王・灼(しゃく) その2
10 遼国王・灼 その2
「其れで、灼殿におかれては、万年と続くこの河国からの非道から脱するべく臨む為、私に力を貸せ、と申されるのか」
「そういう事だ」
「河国と対峙決別するとして、その策はおありなのですか?」
真の問いかけに、灼が狩りに出た野獣のような、ぎろぎろとした眼を向けてきた。
自分と違い、のんびりとした様相を崩さない真が、灼は面白くもありまた気に入らぬようだった。何処がどうだとはっきりとせぬが、何となく奇妙に気になるがどうにも何かがいけ好かない、というやつだろう。
「そんなものがあれば明確に、とうの昔に独歩しておる、とでも仰りたげですね」
灼の背後に佇む燹は、逆に全く表情を変えない。多少の事では動じないのは、流石に優と並ぶ歴戦の猛者といえたが、主君である灼がこのように直ぐに気色を表に出す質では仕方の無いことといえる。
仕方ないですね、こういう手段は好きではないのですが……。
「丞相・燹様」
「何!? 貴様、今、何と言うたかよ?」
灼の赤銅色の顔ばせが、怒りに黒く底光る。
「丞相・燹様におかれましては、斯様に申されたのではありませんか? 即ち、先の人頭狩りを許したが故に、遼国は禍国こそを盟友国と認めたと河国は捉え、憤慨の意を示してきた。河国は遼国に服従の意を求めて攻め入るべく、兵馬を整え示威行動を見せ始めている。この自体を招いたは、禍国が遼国に入ったが為。今、遼国という盾を失えば河国は一気に、此処禍国の喉元にまで攻め駆け上り、11年前の戦の怨みを晴らさんとするであろう。そう、河国が禍国を攻めるは必定。故に、共闘せよ」
「貴様! 吾が相国を何と呼ばわったと聞いておる!」
「それ程の怒りに触れたとなれば、成程、私が只今陛下に申し上げました言をそのままに禍国側に詰め寄られたのですか? しかし、私程度の者に看破されているようでは、さて……河国では既に、丞相・燹様のお言葉を良い様に利用しようと画策している最中でありましょう」
「貴様! 話を聞かんか!」
遼国の丞相である燹の事を『ぜん』と呼び習わすは、河国の習わしだ。河国は、遼国の人物を貶め卑しめる為に、文字はそのままに呼び名を勝手に改める。幼稚な手段ではあるが、だからこそ人の神経を確実に抉る術として廃れる事はない。
此処まで手酷く煽ったのには、訳がある。
真としては、もう少し話の主導権を握りたかった。その為には、燹も引っ張り出したかったのである。
ではどうするかといえば、多少手荒くとも、真実を引きずり出すには怒りの炎を突くのが最も有効だ。が、先に椿姫を相手にした事を思えば、並大抵の事では怒りに震えることはあるまい。だとすれば、思わぬ角度から支配の暗雲を思い出させるのが一番手っ取り早かろう。
果たして真のてにうまうまとのせられた燹が、怒りに眉をはね上げ、ずい、と一歩踏み出してきた。
視線が、顔付きが、纏う気色が、違う。
頬に走る波型の刺青が、怒りの荒波にうねったようにみえた。
――さあ、此れからどの様にでられますか?
静かに見据える真の前で、燹の声が喉の奥で怒りに曇る。
しかし深く呼吸を整える事で、燹は意識を切り替えようと己を律している。
――流石ですね。
しかし、逆に全くのせられたままの人物がしゃしゃり出てきた。
「ならばどうだと云うか! もう一度申してみよ!」
陛下、と燹は苦々しげに首を振って灼を戒め、口を開きかけた言葉を遮る。
歯軋りして呻く灼の眸の色は、ぎらぎらと燃え盛っている。
しかし落ち着いた声を駆ける燹も、灼の背後で同様の光りを眸に宿していた。
★★★
「吾が相国が禍国代帝に突き付けた共闘せよとの言葉は、河国に筒抜けであるというかよ?」
「はい。ですがそのような事は、陛下は大事となされてはおられないのでは?」
「ほう、と言うと?」
「陛下におかれましては、引き摺り込んだ禍国の軍を率いるは何処の誰であるのか、その人物を取り込む事こそが、急務にして大事であられましょう」
「そう、そう思うか?」
「はい。そして今現在、禍国軍全容を指揮するは宰相にして兵部尚書である優であり、代帝・安陛下より、かの兵部尚書を得ているのはこの私である、とお知りになられているのでは?」
「ほう、そうであるのか? では、更に言葉を詰めれば、貴様の主である郡王こそが禍国軍部の全指揮権力を握っておると言ってよいかよ?」
「そうなります」
「そうか、では、共闘せよとの言葉は貴様の主たる郡王に向けねばなるまいな」
「既に密書にて、頂戴しておりますね」
「そうであったよな」
しれ、と答える真に、灼が漸く、にやり、と笑う。先に密書にて命じたという事実による為か、余裕が生まれたようだ。
「で、貴様は、その返答はどうよこすつもりだ?」
「その前に、陛下、お聞きしても宜しいでしょうか?」
「何だ?」
「共闘、となれば、私どもは、立場的に対等でなくてはなりません」
「うむ?」
「と、言うことは、陛下の言葉に我々が旨々とのせられて共に戦ったとして、我々に得るものは果たして何であると申されますか?」
「何だと?」
癖のある漆黒の髪が、炎の影のように揺らめく。灼が、早くも笑みの仮面を一気に脱ぎ棄て、身動いだのだ。
「恐れ乍ら陛下、幾ら考えてみた処で我々祭国には、国力と国領をすり減らす実害以上の何の利益もあがりません。つまり禍国には言うに及ばず、祭国にては尚更、遼国と付和雷同し河国を相手取って戦う意味がないのです」
「貴様、恩賞を寄越せと云うか!」
「恩賞など必要ありません」
「何ぃ!?」
「我々祭国は、遼国の属となった覚えはありませんので」
「貴様!」
灼を撒き散らす勢いで怒鳴る灼に、真は逆に氷の錐のような鋭さで斬って返す。
「そもそも、恩義を感じられねばならぬのは、遼国の方ではありませんか? 11年前、兵部尚書である我が父が河国に大勝せねば、貴方がたは再び遼国を名乗る機会を得られなかったのですから」
何!? と灼が目をむいた。
ぐるり、と身体ごと優と杢とに向き直り、そしてせわしなく真を見、また優と杢を見、そして再び真に視線を定めた。
「き、貴様!? 貴様が、かの戦の総大将を務め上げた、禍国に此れある勇猛無比な兵部尚書の息子だというのかよ!?」
「は? はい、そうですが?」
「貴様、吾を謀り嬲るか! それ、そこに共に控えておる、その男が息子であろうがよ!?」
灼が云う『その男』とは、無論の事、指差している杢のことだ。
此れまで話の流れを折る灼の頓狂な声に、真は苦笑する。
そう思われても仕方が無い。
あの戦にて、杢は父である優に見出されて平民の出ながらも栄達の道を歩みだした程、敵味方に深く禍国に彼人有りと印象付ける粉骨砕身の活躍をみせたのだから。戦となれば獅子奮迅で駆け抜け、禍国軍兵部尚書此処にありとばかりに吠えたてる父に常に寄り添い、勇往邁進する我を見よとばかりに血煙で知らしめれば、誰がどう考えたとて杢こそが優の愛児と覚えるだろう。
「本当か、宰相殿よ?」
「であれば何程良いかと、何度天帝を呪ったか知れぬわ」
信じ難いと呻きつつ短く問う燹に、父・優は巌の相貌で憮然として答え、真は再び苦笑した。
★★★
思わぬ場の和みに、ふん、と灼も自嘲気味に鼻先に笑みを含む。
灼にしては、どうにも己の調子を掴めぬ弁足らずさが歯痒く、知らず、零れたものだ。
――この宰相が息子とやら、扱い難いが面白い奴だ。
国王である自身に対して、決して無闇に遜る事はしない。
まして、己が主君である筈の郡王・戰にも、遠慮会釈なく対等に接しているようだ。
自分が、相国と燹を慕うのとは違うのであろうが、あながち否とも比ずとも言い切れぬような、そう、離れる事など夢にも思わぬ間柄なのだろう、と灼は唐突に悟った。
然しこの交渉の場においては、必要のない事柄だ。
今は少しでも吾が遼国の為になる方向に、言葉で導かねばならない。
祭国を率いる郡王・戰というこの男を懐に手繰り寄せねば、河国と戦う事など夢のまた夢であるのだ。
「其の方らが、何を探っておったのか知らぬとでも思うているのか?」
灼の言葉に、戰の視線が真へと向かう。それを受けた真が、ちらりと戰を見遣ったが、直ぐに灼へと戻す。
「私たちが、何を探っていたと仰られるのですか?」
「其の方ら、陽国に探りを入れておったであろうが」
「陽国で探っているのであれば、遼国は関係のない事ではありませんか?」
「いや、ある。鉄の剣の秘密を得ようと、探りを入れておったであろうが」
ずばりと確信を突く。
どうだといわぬばかりに、ずいと迫る。
手持ちの駒を隠し立てしても、こうも先の予測の付かぬ相手ではいかんともし難し、としたのだろう。
この場の主導権を握らんとした対応だ。
灼の対応の切替の素早さに、やはり一廉の人物であったかと思いつつも既に灼の扱い方を心得だしている真は、のんびりとした様子を崩さない。
「当然に御座います」
「ぬう?」
「禍国は今現在、陽国より鉄器武具の輸入に頼った軍備をしております。そしてその兵力の強大さ故に、陽国一国が用立て可能な分量では既に事足りぬまでに迫られておりますので」
灼が眉を顰めて、眸の端をちかり、と光らせた。
会話の主権を握り、己の得手に引きずり込もうとしているのに、この真という男は何をどうしても引きずり込めない。
どうすれば、思うに任せられるのか。
「其れだけはあるまい」
「と、申されますと?」
「其の方ら祭国も、何れ宗主国である禍国より出でんとするが為に、鉄の剣を欲しておるのであろうが」
「さて、其れはどうでしょうか」
ぬ!? と目尻を裂いて、灼は唸る。
独立独歩を目指さぬという気概を持たぬのか、という怒気を隠そうともしない。
それにしても、感情のままに表情をよく動かす人物である。
表に出すぎている、と燹が目配せしているのにも、気が付いていない。
「我々祭国と禍国の関係は、遼国と河国と、似て大いに非なるものですから」
「ほお、そうであるのかよ?」
「しかし河国が、嘗て以てこの禍国と対等にと迫るる程の大国で有り得たのは、ただ単純に遼国を得ていたという領土の広さと人民の数に依るものではありません。その青銅器の制作能力の確かさを誇る職人集団である、遼国民を抱えていたからです」
「そうだとも」
灼が嬉しげに誇らしげに胸を張る。
そう。
嘗ての河国が一大国として目される迄に成長を遂げたのは、その青銅器の強さに依るものだ。しかし、陽国産のそれを携えた禍国との戦い惨敗を喫してより以後11年、国力を保つのすら、ようやっとという為体だ。
何故ならば、遼国の国民を搾取して金山で働かせてこその、青銅器制作能力であったからだ。
いや、青銅器だけではない。
山家、海部の能力に頼る生産の下支えの部分を、隷属する遼国からの補填により賄ってきた。つまりは、あの高い技術基準は、生口として、ただの『もの』として大量消費されてきた、遼国の民あればこそであったのだ。
戰が、椿姫を抱きつつ灼に向き迫る。
「私どもが鉄の秘密を知りたがっておるとして」
「おう」
「灼殿は、何とされるおつもりであると申すのか?」
「うぬ?」
「我々に、その秘術を伝授するとでも?」
「――そうだと云うたら、郡王はどうするかよ?」
「俄かには信じられぬ」
「ぬう?」
当然です、と真も相槌をうつ。
「今ここで、その秘密の片鱗を見せて頂けねば。我々とても、鉄器を己がものとするのは既に悲願です。その意を、中途半端に利用される訳には参りません」
戰の身内には、吉次という陽国出身の鉄師・吉次がいる。
吉次も、愚かではない。
今の戰の立場と、其れ故に深く鉄器を欲している事態は、彼とても理解している。然しその上で沈黙を守っているのは、ただ単に、祖国の主である陽国王・來世への忠心のみではない。祭国で暮らした上で、戰が求める鉄の生産量は、陽国と同じ製法では追いつかぬと、結論付けているからであろうと真は見ている。そして、其れに代わる製造方法を、彼も示せないでいるが為、無言を貫き通しているのだ。
遼国が、其れ程の技術を有しているのか。
また手にしていたとして、開示してくるのか。
と、暗に迫る戰と真に対して、良かろう、と灼は上体を反らした。
「先ずは、陽国の鉄の生産の秘法を教えてやろう。その秘術とはな、蹈鞴方式というものだ」
「蹈鞴方式?」
蹈鞴方式、という言葉は初めて耳にする。真は深くその言葉を脳裏に焼き付けた。
「そうだ。その詳しい術式は、奴らの秘伝とされておってな、だがまあ、有り体に言え言えば、我々の知る技術とは真逆のものだ」
燹が灼の肩を掴んだが、若い王は父親の代からの忠臣の手を振り払った。
彼らとは、腹を割らねは立ち行かぬと思い定めたようだ。
何よりも。
主導権を握れぬこの会話を生み出す主従、戰と真という二人に強く引き寄せられていた。
鉄というものは、高温にて鋳鉄して漸く、使い物になる。
然して、その高温を保つ炉を我々は長らく失っておった。
もっと突き詰めて云うのであれば、高温を保つに、炉で燃る炎を安定させるものが失せてしまったのだ。
だが、陽国は逆転の発想にてそれを克服した。
即ち、低温にてじっくりと時間をかけて鉄と不純物とをより分ける方法を得たのだ。
鉄は砂鉄を元とし、蹈鞴にて使用される熱源は木、そう木炭だ。
それにより生み出された鉄を、陽国では和鉄と呼んでおる。
その和鉄で鍛えられたものが、今、禍国の軍備として中心をなす剣だ。
この蹈鞴方式という術にて産出される鉄とそれから産み出される鉄の剣の出来の素晴らしさは、今や中華全土に知れ渡りつつある、という訳だ。
「だが、この国全土を賄う程の量産には、全く不向きな方法であるな。言うなれば、全てにおいて陽国という職人国にてこそ繰り出されるからこその、鉄と剣よ。お前たちが血眼になり、得ようとしている知識ではない」
やはりか、と真は心の奥底で嘆息した。
吉次の技が生かせれば良いがと思っていたが、その望みが潰えたと突きつけられるのは、やはり胸が痛む事実であった。
「では、陛下におかれましては、それ以外の術を――つまりは、量産に耐えうる法式をお持ちであられると?」
そうだ、と灼は力強く頷く。
「吾が遼国は、河国の青銅器造りの下支えをした職人集団であるが、その大元の技術は、吾が根幹の地である羅紗埡にある。彼の地において製鉄の技術を振るっていたのが、吾らが遼国を切り開いた祖先だ」
「羅紗埡? 南方の大国の、ですか?」
「そうよ。羅紗埡にて、太古、以て神に捧げ奉る神秘が鉄であったのだ。だが、ある時代において其れが失われた。何故だか分かるか? そう、我々の祖先がその技を持ち彼の国を出奔したからよ」
今は失われた技法であるが、と灼は前置いて話し続ける。
遼国の祖先となる民は、南方においても政争に敗れた。
然し、ただで負けはしなかった。
その製鉄の技術を封印し、更には闇に葬るべく全てを破壊し尽して羅紗埡から出奔したのだ。流れ流れて河国の元となる国に庇護されたが、当然それは彼らの技術力を欲しての事だった。
然し、遼国の祖先はその秘術を証す事はなかった。
河国においては現実問題として、決定的に足りぬものがあり、実現できなかったのである。
やがて、記憶は風化してゆき、高度な技術は過去に去っていった。
残ったのは、河国により搾取され続けるという現実だけであった。
が、記憶の根底に息づく技術集団としての自己尊重、灼の矜持は失わなかった。
「その古き記憶を吾らが復活させたとしたら、何とするかよ」
勝ち誇って胸を張る灼に、陛下、と真は静かに応じる。
「陛下、お間違えあられませぬよう。此れは対等の国と国との交わり、外交に御座います」
「ぬう?」
「今の陛下のお話であれば、何故、私どもを必要とされますか? その技術をもってすれば、如何なる国をもお味方につけられましょうものを」
「――う」
「此処に来て、私どもを従えようとなされまするな、陛下」
「何?」
眉根を跳ね上げる灼に、然し戰は穏やかに答える。
「灼殿。確かに私たちは、鉄を欲している。例え陽国と幾段落ちる質であろうとも、量産可能な鉄の武器を切望していると言ってよいだろう」
「そうだろう、そうだろうともよ」
「しかし」
「しかし?」
「我々は、国を愛するが故に鉄を欲しているが、国を愛するが故に出来るのであれば、戦など起こしたくはないのだ」
そうです、と真も静かに同調する。
いや、真だけでない。
戰の腕の中の椿姫も、背後に控える優も杢も、そして蔦も。
戰と共にあるものは、皆、彼の言葉を己の言葉として頷いた。
「ただ巻き込まれるだけならば、灼殿、我が祭国は遼国とは距離を置かせていただく」
「何?」
ぎろぎろと、灼は戰と真を睨みつける。
「私は、国の為に人を動かす事を我が主である戰様が望まれても、許しません。私が人を動かす策を描くのは、戰様が人の為を思い、自ら動くと決意された時にのみ、です」
再び、燹に肩を叩かれて、灼は、はっ……と我に返った。
其れは、もう良いよくやったと、褒めるような座を渡すよう促すような、師匠の如きものだった。
「御主君、御主君がお相手なされては話の道筋が幾重にも折れ曲がり、要領を得ません。僭越ながら、不肖、この私・燹めが話を進めさせていただきましょう」
敬愛する相国・燹の言葉に不承不承ながら灼は頷き、真も苦笑を堪えつつ、お願い申し上げます、と頭を垂れた。




