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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
五ノ戦 紅塵万丈

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9 蜀(むし) その1

9 むし その1



 戰が、真だけでなく、椿姫としょう姫、そして蔦の一座を伴い禍国に向け出立したのは、秋が深まりをみせる10月も末近くの事である。


 その間に、祭国では稲の収穫期を迎えた。

 収穫祭に間に合うように、真が琢に頼み込んで作らせた脱穀扱櫛は払いを済ませ、禰宜ねぎによって広められた。

 収穫された米は、はぜ掛けや穂仁王ほにおによって約一ヶ月の間、天日干しされる。やがて脱穀の時期を迎えれば、いよいよ本格的に使われることだろう。


 今、祭国では椿姫の命を受けて、新たに絹織物を主産業の軸の一つとすべく、動き出していた。

 元来、雪深くなる時期において、祭国では絹織物が稼ぎ頭の一つとして重宝されていた。しかし、機織の担い手は基本的に女性だ。が、稲刈りは兎も角、脱穀時期には1ヶ月近くもはたから離れねばならなくなる。其処から開放するには、彼女たちが抜けた分の労働力を補間して余りある農具の開発が、必要不可欠だったのである。

 全くの偶然から産まれた農具であるが、担い手が少ない寒村であったとしても、この脱穀用櫛の発明が何れ程の救いとなり、想像以上の成果をあげたとは、真は相当後に知ることとなる。




 例によって喪中であるが為に出立の為の別れの盃もないままの別れになる処を、椿姫の采配により、戰と学との別れの水盃の席を設けた。戰だけでなく、椿姫も国元を離れる以上、そしてこの後、学が父であった王太子・覺の御子として認められ、継次の王子として椿姫に定めらる為には、学がこの荒波を乗り越える術を、自ら見付け出さねばならない。

 既に、戰の次を担う世代を見据えての世の中を考え、動かねばならないのだ。

戰という、一代の傑物による治世で終わらせるのでは、結局は血縁関係と戦のみの繋がりで事を保とうとする、此れまでの世の中と何ら変わりがなくなってしまう。

戰や彼に従う皆の志を理解し、尚且つ己がものとして昇華出来る人物が、更に此の世を広め、深めていく事になる。

 その考えを理解して貰うには、幼き頃より触れて感じて、此の世こそをば、自ら目指すものと望んで貰わねばならなない。

 学は、その先鋒、第一人者と言える。

 椿姫の手が、揺蕩う水面の如き流麗さで盃に清水を満たした。


「学、私と椿が帰国する迄の間、祭国を束ねる役目を担うのは、君だ」

「はい、郡王様」

「だが、決して君一人ではない」

「はい、郡王様」

「手を携え、歩みを同じくする人々がいるのだと、忘れないで欲しい」

「はい」

 

 お任せ下さい、郡王様。


 戰と堂々と向かい合い、短く別れの言葉を紡ぐ息子の姿を、誇らしげに苑は見詰める。

 盃を交わしあいながら表情を引き締める少年は、既に少年ではなくなっていた。

 志を共々とする、同士だった。



 ★★★



 旅路は、先の百ヶ日の法要と違い、それなりの大所帯となった為、またそれなりに華やかになった。何よりも、椿姫としょう姫の存在が大きい。祭国の女王の白椿の妖精せいの如き美しさと麗しさは、既に禍国の隅々にまで有名として広まっている。馬車を見送る人々の熱い視線を披帛ひはくのように棚引かせながら、一行は禍国に向かった。



 禍国の王都正門に到着すると、出迎えは、兵部尚書である優と商人・ときのみであった。今や皇太子の座を伺う第一人者としての皇子としては、実に侘しさの漂う帰国であったが、其処には当然、二位の君である皇子・乱の思惑が働いていたのは言うまでもない。だが逆に、華美な事が苦手でな戰と椿姫にとっては、有難い事だった。 

 としても、禍国の王都の賑わいのそれは、祭国と比べるべきものではない。

 喧騒と艷冶やさとが綯交ぜになったというおうか。

 独特の空気がある。

 しかし、戰には、祭国の静謐さと純朴さとの方が愛おしく感じた。

 それは、今回、伴ってきている少女と無関係ではない、と思っている。



 とても二王のものとも思えぬ少ない荷を入れ終わるのは、簡単過ぎる作業だった。

 取り敢えず、椿姫と薔姫は待ち構えていたときと蔦の采配により、旅の疲れを癒すよう、部屋で寛がせる事を優先させた。二人とも異論を挟みかけたが、此処が祭国ではなく禍国であるのだと思い直し、渋々引き下がる。大人しくなった少女たちを前に、蔦はころころと鈴音のような笑い声をたてた。




 今更、このように宮が活躍する日が来ようとは。

 

 丸窓を飾る螺鈿の縁を指でなぞる戰の呟きに、真が視線を上げた。気が付いた戰が、苦笑する。

「禍国の皇子でいた頃は、存在すら忘れて、まるで寄り付きもしなかったというのに。可笑しなものだと思ってね」

「言われてみれば、そうですね」

 母親である麗美人の為に、先代皇帝・景が用意させた離宮は、彼女の死により遺産として息子である戰に引き継がれた。皇子はやがて皆、王宮の外に居を構えるものであるし、此れは当然と言えたのであるが、戰は結局、祭国郡王として旅立つまで、王宮にある部屋住まいのままで過ごした。母親の麗美人の分廟があったからだ。その為、ずっと主人知らずの閑散とした寂しげな宮であったのだが、この1年で俄かに戰の所有する宮の空気は、活気付いてきていた。


「皇子様、少々、宜しゅう御座いますかな?」

 時の声が、戸口のむこうから掛かる。

 どうぞ、と頷くと時自らが取手に手をかけて、すらりと格子戸を引いた。

 後ろから兵部尚書・優が、ずい、と立派に鍛え上げられた身体を乗り入れてくる。鍛錬を怠らぬ優が纏う充実した気迫は、とても壮年の域に手を伸ばしかけているとは思われない。


「最早敵地とも言える此処禍国で、此れまでただ一人での奮戦、ご苦労だったね、兵部尚書」

「陛下、そのような」

 戰の言葉に、無骨一徹の優がまるで少年のように興奮し頬を上気させて、声を上ずらせている。すると、戰の影のように寄り添う息子の存在に気が付き、む・と口をへの字に曲げて表情を改めた。笑い出したくなるのを必死でこらえつつ、真が二人に椅子を勧めると、更に背後に控えていたもくが礼をとりつつ、優の前に進み出る。


「ご無沙汰しておりました、兵部尚書様。恙無く、息災にお過ごしあられましたる事、何よりに存じ上げます」

 杢の言葉に、漸く優は表情を和ませた。

「祭国においての其の方の活躍は、ときより聞き及んでおる。郡王陛下の御為、よくやっておる。何より」

「そのような。勿体無きお言葉に御座います」

 優の言葉に偽りはない。

 事実、祭国における杢の立場は、大将軍とも言えるものであり、兵部尚書である優としての地位におけるそれと言えた。先の戦において、たとえ千騎といえども、あのような鋭気溢れる気勢と熱誠の満ちた活躍を見せるまでに鍛え上げ直した手腕は、もってもくかつとに帰するものだろう。

 

とき、どうですか? 上手く事は運んでおりますか?」

「はいはい、ほぼ真様が思い描かれたように運んでおりますか」

 鰻の触覚のような髭を、紙縒のように弄りながらの時の返答に、珍しく真が目を細めて喜んだ。

「父上、父上にお任せ致しましたる事は、如何様になっておりますでしょうか?」

「お前の姑息な思い付きの通りにいっておるわ」

 此方は、腕組をして憮然と答える。先に時に問い掛けたのが気に入らないのだ。身悶えして笑い出したくなるのを必死で堪えつつ、真は有難うございます、と礼を言う。


 此度の戦にて、皇太子・天が失った兵士が残した家族は、実に数万にのぼる。

 その救済措置として、真は時を動かして寡婦を中心に雇入れて綿織物を織らせていたのだった。

 綿花は、祭国を仲介して一大産地として有名になりつつある燕国より仕入れている。元々、禍国においては、成人女性の家内内職工業として織物は盛んであったのだが、それを職業人として雇い入れたのだ。

 男用の綿布一反を織り上げるのに、手の早いものであれば1ヶ月掛からない。胡服の、しっかりとした布地は楮入りの麻布の比でない締めがあり、何よりも頑丈だ。その織り上がった綿布は胡服として仕立て上げられ、其処までを一貫して行えるように、時に手配させていたのだ。


 此れまでの禍国では、いや禍国のみならず何処の国おいても同様ではあるが、一家の主が戦死した場合においての救済措置は無かった。それ故に、余程、財産に恵まれた家門の者でなければ、残された家族はほぼ間違いなく路頭に迷った。離散、逃散し国元を離れるのは言うに及ばずである。真が、戦を起したが負けであると言い表した真実の姿が、此処にある。ただ、兵士を失うだけでなく、その背後に控える人力の流出をも招く。それがこの時代の戦の事後の姿であった。

 その人的能力の流出を最小限に留めおくには、やはり金だ。

 人間は、食わねば生きては行けず、食うためには働かねばならず、働き口がよければ良いほど奮起する。時期的に、禍国における寡婦の大多数は、稲刈り後の仕事口を求めて農村に流れる処を、此れで留め置く事ができた。今はまだ、幼子である子らも、数年経れば兵として立志を起こす年齢となる。一つの目論見が上手く時流に乗りそうだと知り、真は安堵した。



 そして父である優の方の案件であるが。

 ときにより、大量に仕込また綿布から作り出された胡服であるが、此れを禍国の全軍に支給分配するように、としたのだ。

 先ずは禍国軍の騎馬軍団の服装を、胡服に全て替える。

 機動力を一段上げるには、此れしかない。

 禍国の兵が身につけている衣服は、戦闘には全く不向きな直裾袍を身に付け、千騎長あたりにまで出世すると、玄端げんたん紛いの戎衣じゅういを纏っている。あの様に、手脚に絡みつく裳裾を着ていては、動きが妨げられて仕方が無い。

 誇りも糞もへったくれもない。

 死ぬ訳にはいかないのだ。

 勝つ為には敵であろうが何であろうが、倣えるものは取り入れる柔軟性がなければ、この天変地変に等しい激動の時代を生き抜いてはいけない。


 祭国にてもくかつとが、共々命じ鍛え上げた騎馬軍団のそれは、剛国こうこく蒙国もうこくといった、平原を一日で駆け抜けるとされる騎馬のそれを元に訓練をなされていた。

 実際に、かつが率いた6千の騎馬軍団は、祭国の騎馬軍団の動きを見ていた。彼らをうまく取り込み、流れを手繰り寄せ、全軍の総意としたいと思ったいたのだが、此れは一言命じるのみで通じるような、生半な事ではない。


 意識を根底から覆す、改革。

 優には、それを頼み込んでいた。

 此方の方は、一筋縄ではいかないと踏んでいたのだが、なんと、ほぼ事を終えているという。

 元々、胡服の『胡』には、夷狄蛮族の民という侮蔑を込めた意味合いがある。

 其れはこん山脈以西に広がる毛烏素むうす砂漠に種の根幹を持つ騎馬民族を指し、多くは蒙国を宗主国に抱く国々の民を云う。

 中華平原を取り仕切るとして男たちは、天涯までを支配するという意味合いで天の川を指すとして、『おとこ』と名乗っていた。つまり胡服とは蛮族の衣装であり、そのような身なりをするなど『漢』である自身たちが出来るものかという気概がある。

 その盲目的な一民族至尊観をどう取り除くかに、全てはかかっていると言っても過言ではなかった。


 容易い事ではない。

 連綿と培われた意識の改革などが、どだい一瞬で成し得るはずもない。

 だが成しえねば、この先の勝利は危うい。


 既に先の戦において、騎馬の重要性をまざまざと見せつけたのは、この禍国であるのだ。最早何処の国であろうとも、臨む以上は騎馬をもってする。その時に、今のままでは負けぬまでも勝てる道理はない。だが敵が動き出すまでに、何とか完成をみたいと真は大いに焦っていた。

 何しろ、王太子・天が失った1万超の兵馬を思えば、時間は惜しむべきで、無駄に使うことは許されない。それには少々、手荒な事もしなくてはならないだろう。そこは豪胆者で知られている父・優に任せるしかなかったのだが、さて果たして如何様にして、無頼漢に近しい者たちを従わしめると云うのか。

 此れは宰相として兵部尚書として、部下に如何に信頼を得ているか否かという問題ではないが故に、一筋縄で行かぬであろう、寸分も惜しいが相当な時間が掛かろう、と真も諦め、腹を括っていた。

 だから、思うように事が進んでいると聞き及び、改めて父親の偉大さを真は垣間見た気がした。しかも、己こそが随一の漢であると自負する父をして、率先垂範しての此度の仕儀だ。

 心中は如何許りであるか。


「次の戦には、間に合わせる」

 顰面しかみつらで憮然と答える父・優に、真は内心で感謝の涙に暮れながら、深く礼をもって答えた。



 ★★★



「ところで、だな」

「はい、父上」

「うむ、そのだな」


 優の声音がもぞもぞとしたものに変わった。ああ、と気が付いたが、真はあえて無視をする。

「如何されましたか?」

 意地悪く重ねて聞くと、ぎろりと黒目のみを蠢かして、優が睨んできた。おっと、これ以上はまずいですね、鉄拳が飛んできますか、と真は引き下がった。

「妹の名前の事ですが、文でもお伝えしたように、母上と相談の上で決めさせて頂きましたが、何かご不満でも?」

「うむ……いや、その」

「首の座らぬ赤子のうちから、整った顔立ちの娘です。長ずれば、母上に似て美しさの中にも嫋かさと花車な様を兼ね備えた、美しい娘に育つと思われます」

「そ、そうか? それ程までに、こうに似ておるか?」

 椅子から腰を浮かせる優に、もくが応じる。


「はい、其れはもう。名は体を表すと申しまするが、本当に、好様譲りの顔ばせをされたお美しいお子様に御座います」

 そうか、そうか、流石に私とこうの娘だ、末は姫か妃であるか、と破顔して喜ぶ優は、娘に甘い馬鹿な父親丸出しである。


 真は、父親の阿呆さ加減に、呆れて首を振った。




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