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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
五ノ戦 紅塵万丈

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7 千切れ雲

7 千切れ雲



 此度の一周忌に向かう旅には、椿姫としょう姫も同行する。

 共に参列するだけでなく、戰と椿姫は、遂に結納を納める為であり、しょう姫はその儀に立ち会う為だ。

 祭国の女王である椿姫には、其れだけではなく、重要な意味も決意も踏まえてのものである。戰との婚儀を認め故に、祭礼雅楽の一団を貸せと代帝・安より申し入れがあったのである。

 しかししょう姫にとっては、久しぶりに、母親である蓮才人に会える機会だ。幼い身体を仔栗鼠のように跳ねさせて喜んでいる様は、ほのぼのと周囲の破顔を誘う。


 更に今回は、もくも同行する事になっている。まだ周囲には漏らしてはいないが、既に、戦は避けられぬ決定事項だ。優と時との時事案件をみるに、代帝・安は1周忌の終りと共に、戰に新たな戦に赴けと命じてくるだろう。

 その先は、句国と契国、そして恐らくは遼国と河国も関係してくる。

 そして此度の戦においては、真の父である兵部尚書・優の力添え無くして成り立たず、優が出張る以上、彼の戦場での動きをもっとも深く読み解き遅れを取らず追従出来るのは、彼をおいて世に存在しない。

 祭国の防備については、克が後を継ぐ。

 先の戦にての獅子奮迅が効いているであろうから、祭国全体には迂闊に手出しをしてくる国はあるまい。また克本人も、統率力においても合わせて7千の騎馬、しかも国柄の違う男たちを見事に束ねてみせたのだ。既に万騎を率いる大将軍を名乗ったとしても何らの不思議もない。兵の信頼も厚くなり、自然、克の表情にも彼が率いた騎馬隊にも、以て精鋭なりとの自信が満ちている。此処で一段、責任を重くして男をあげてゆくのは良い事だろう。


 しかし学にとっては真と杢という、正に文武双璧の師匠が眼前から消える事になる。しかも、姉とも慕う椿姫や、遊び仲間となった珊やしょう姫も共々に姿を消してしまうのだ。

 此方は肩を落として、見るも哀しく、しょぼくれていた。

 


 ★★★



 学との馬術の鍛錬を済ませて杢が厩に馬を率いてくると、あいを抱いているこうと会った。思わず跪きかける杢に、慌てて好は笑顔を作って諌める。立ち上がった杢も、静かな湖面のような笑みを浮かべ、好に近づいた。

「好様、如何なされました。このような処にまで出張られるとは」

「杢様……」

彼女の腕に抱かれている赤ん坊が、にこにこと涎まみれの手を伸ばしてくる。あいは産まれた時から大人や子供の中で揉まれて生活している為か、全く人見知りをせず愛想が良い。娃の愛想の良さに気持ちを押されてか、好が意を決した様相で、口を開いた。


「杢様、旦那様と我が息子を、どうかお守り下さいませ。どうか、どうか、お願い致します」

 娃の濡れた手の平が、杢の硬い頬をぺちぺちと叩く。

 叩かれながら、杢が表情を引き締めて頷くと、ほう、と好の頬が和んだ。釣られて、杢も頬を和ませる。



 昔、家族というものがあった時代。

 杢には姉が一人いた。

 幾分年の離れた姉は目立って美しいという訳ではなかったが、何時も影で密やかに自分を見守ってくれている、優しい女性だった。そしてその憂いを帯びた視線と、腰付きが男を引きせる質だった。自然、姉は何処かの貴族の側室に望まれて、家に過分な支度金を落として姿を消した。

 数年後、年老いた両親を立て続いて亡くした杢は、姉が残してくれた支度金を元手に馬を買い求めた。そして武官になる夢を抱き、姉も住まう王都に一人自らを乗り入れた。恐れるものも失うものもない杢の精進は、やがて優の目にとまるようになり、可愛がられ始める。

 兵部にて鍛錬に日々を重ね続けるうち、ある日偶然、姉の居場所が耳に入った。

 久しぶりの姉との再会に、胸を時めかせつつ尋ねて行くと、既に死んでいた。


 実は、姉は貴族の側室ではなく、妾婢として求められていたのだ。

 姉が貴族の子を身篭ったと知った正室が悋気りんきに狂い、姉に折檻を加え手足の骨を砕き、屠殺場のどぶに打ち捨てて殺したのだ。引き上げられた姉が、自由にならぬ折れた腕で、それでも腹を庇って身を屈めて沈んでいたと聞き及び、更には小さな墓すら用意しては貰えなかった、妾婢の立場の姉の死に様に、杢は泣きに泣いた。


 同じ頃、優が仕切る身内のみの宴に、初めて呼ばれた。

 緊張に身を竦めていると、喉が乾いて仕方なく井戸を探して広い屋敷をうろうろするうちに、厨に出た。水をと所望すると、年の頃が姉と大差ない、一人の女が白湯を満たした椀を盆に乗せて差し出してきた。ゆったり飲んで心を落ち着かせようとする女なりの配慮であろうと悟り、その細やかな心遣いに感謝を伝えると、ひっそりと女は微笑んだ。

 姉よりも美貌を誇ってはいるが、雰囲気が、姉を彷彿とさせる女である。

 それが、好であった。

 尊敬する優が側室を娶っている事実に、憤怒に近い衝撃を受けた杢であったが、やがてそれが間違いであったと知る。優は好の事を本心から好いており、彼女の尊厳を守る為であるならば、時に口出しを許されぬ奥向きの時事で正室と言い争い、決して引く事はなかった。

 全てにおいて、岩盤のような一徹者である優が、好に対してだけは草地の如き柔らかさで愛おしんでいる。やがて、優と好の間には男児が一人いるが、揶揄嘲弄される程、武術に疎いと知った。


 そこで杢は理解した。

 兵部尚書が、何故自分に目をかけてくれたのか。

 つまり、好との間の息子の代わりなのだ。


 愛おしい女の腹からは、己の望むような豪胆無比な息子は儲けられなかった。何れ正室から、息子が槍玉上がる事だろう。その時に、息子の代わりになど幾らでおる、と胸を張れる存在として、自分は目を掛けられたのだ。

 ならばと杢は、奮起した。

 己が立身処世栄達する事が、あのなよやかでひっそりとした側室を守る事に繋がるのであれば、幾らでも精進してやる。実の姉一人、守ってやる事ができなかったのだ。同じ立場に身を置く女を、代えて守って悪かろう話はあるまい。

 こうして、杢は密かに好を目に留めて気持ちを寄せるようになった。

 勿論、男女のそれではなく、あくまでも好を姉のように慕ってのことだ。

 彼女が幸せそうにしていると、姉が幸せに包まれているような錯覚を覚え、此方まで心が暖まる。加えて尊敬する兵部尚書も、己の精進と出世を我が子の事ように讃えてくれる。天涯孤独となった自分を、家門の者と代わりなき程に引き立ててくれる。

 なんという過分な、お二人の幸せこそ我が幸せだ、と杢は胸に思いを刻み直す。


 だがこうした心持ちは、他人に話した処で理解してはもらえぬであろうと、杢は誰にも話した事はない。

 その、密かに姉と想い慕う好が、今こうして、幸せの塊である赤子の娃をかいなに抱きつつ、夫と息子の身を案じて自分にこうべを垂れに来てくれた。

 まるで、姉に一人前と認められ、頼られているかのようだ。


「好様、どうぞ御心配なく。この私が、兵部尚書様と真殿をお守り申し上げます故」

 杢は、狂おしい喜びに、叫びだしたい程であった。



 ★★★



 此度の禍国行きには、蔦の一座もついていく。

 椿姫から、女王として正式に一座に仕事を頼まれているからであるが、珊は、椿姫の護衛役として共に行く事になっているので、那谷なたの施薬院を手伝いながら仕度に余念がない。


 るいの娘であるふくと別れ、忙しなく施薬院から城に戻るさんの背中に、声をかけて呼び止める者があった。

 声をかけてきたのは、かつだった。

「珊、今、帰りか?」

「あ、うん。どうしたの? ああ、なんか薬が欲しいんなら、直ぐ戻ってとってきてあげるよ?」

 真剣勝負の鍛錬は、常に怪我と背中合わせだ。その為、克と彼が率いる騎馬隊の仲間は施薬院の常連客であるし、さんふくと一緒に、那谷なたの処方の薬を携えて何度も武芸場に出入りしている。

「いや、薬じゃなくてな、その、珊、お前にちょっと、用があってな、道場の方に来て欲しいんだ」

「なに? 何かあるの?」

 うん、まあな、と何処か歯切れ悪く答える。ふ~ん? と首を捻る珊に克は、待っているから出来るだけ早くな、と言葉を残して去っていった。


 さんかつに呼ばれた武芸場へと出向くと、先の戦で共に句国に向かった千騎の仲間が、ずらりと雁首を揃って待ち構えていた。

「うわっ!? な、何? どうかしたの?」

 流石に男臭さに珊が尻込みすると、おおよく来て呉れたな、と克が笑顔で出迎えた。厳い武辺者なのに、克は笑うと頬の頂辺あたりに大きな笑い笑窪が溝をつくる。それが妙に愛らしいというか、子供じみていて可笑しみを誘い、よく仲間内でも揶揄いの種になっている。本人は、そうか? と何が可笑しいのか分かっておらず、ぽかんとしつつも申し訳なさそうに小さくなるので、それがますます笑いを生むのだ。

「ねえ、何? 何の用?」

「いや、ちょっと、な。いいから、こっちに来てくれんか?」

 相変わらず歯切れの悪い克の言い様に、ふ~ん? と珊が首を捻る。

何時も克とは、琢とは別の意味で、遠慮なく言いたい事を言い合っている。気心が知れているというか、気楽な仲だ。と言うよりも、句国への旅の途中で、珊は、彼が率いていた千騎の騎馬軍団に属していた男たち皆と、そんな間柄になっていた。

 その克も皆も、何か様子がおかしいというか、何処か探るようにしている。珊まで、気が漫ろになって落ち着かなかくなってきた。


 手招きされるままに、克の背中を追う。

 その歩みが突然止められて、珊は克の背中に強か鼻先をぶつけてしまった。

「いったい! 急に止まんないでよう!」

「あ、ああ、すまん、そんなつもりなかったんだ」

 すまん、此れを見て欲しかったんだ、と克が小さくなりながら身体をずらす。

すると。

 克の身体に被さって隠れていたものが、珊のに飛び込んできた。


 其処には、遊女用の衣装が衣紋掛にかけられて飾られていた。

 赤と橙と黄色を基調とした明るい雰囲気の衣装は、誰の為に何の目的で仕立てられたものか、一目瞭然であった。

 悲鳴に近い喜びの声をあげて珊が衣装に飛びつき、胸にかき抱く。身体に衣装をあてがいながら、くるくるとまわった。

「これ、これ、あたいに!?」

「ああ、この間の戦の時に、珊が踊ってくれた奉納舞の、返しがまだだろう? 其れで、折角だから綺麗な衣装で踊って貰おうと思って、皆で金を出し合って、な」

 照れながら、後からぞろぞろとついて来た仲間に言葉をふると、男たちも身を捩ったり、肘で互いをつつきあったりしつつ、赤ら顔でごそごそと頷いている。


「正直、自分たちは無骨一徹な奴ばかりだから、どうにも女の趣味というか好みというのが、さっぱり分からなくてなあ。ばらしちまうと、蔦殿に見立てて頂いたんだが、どうだろう? 気に入って呉れたか?」

「克ぅ……!」

 衣装を抱いたまま、珊は克に突進した。

 ふっくらとした桃色の頬を克の無精髭の残る其処に押し付け、凸凹のはっきりとした身体ごと、惜しげもなくぶつけるように抱きつく。

「うおわあああ!?」

「嬉しい! あたい嬉しいよ、克、みんな、本当に嬉しい! ありがとう、ありがとう! あたい、一生懸命踊るよぅ!」

 ぎゅ、と抱きつかれ、お、おおぅ、と明白あからさまにどぎまぎしつつ、克が全身を上気させながら、こくこくと何度も頷く。


「ああ! 隊長ずるいぞ! 役得が過ぎるぞ! こら代われ! とっとと代わらねえと、後で酷い目に合わせるぞ!」

 仲間内から、本気の殺気のこもった野次がガンガン飛んだ。



 ★★★



 拙いが明るい手拍子と楽曲が風に流れて機を織る椿姫の部屋にまで届いてきた。

 手を休め、視線をあげると、微笑んでいる蔦と視線があった。

 椿姫と蔦は、二人で静かに笑い合う。

「どうやら、私の弟子には殊の他、喜び深き様です」

「そうみたいね。良かったわ」

 蔦の言葉に、椿姫は休めていた機織りの手を続けながら、答えた。


 純朴そうなかつが、ある日、蔦の前に赤ら顔で寄ってきた。

 舞師である蔦が羅刹であるとしりつつも、その美貌を前にするとかちこちに固くなるのは、変わらないようだ。

「仲間たちと共に、先の勝ち戦の礼をだな、是非とも珊にしてやりたいのだ。ついては何が良いか、相談にのっては呉れぬものだろうか」

 この通りだ済まぬ、と克はこうべを垂れる。

 自分が千騎を率いられたのも、更には禍国の6千騎をも率いられたのも、また騎兵たちの誰もが戦って勝ち抜けられたのも、彼女の舞のお陰だと、克も仲間たちも信じきっていた。その感謝の真心を、どうにかして伝えたいと皆で話し合ったのだという。

 だが一体何が良い? となると、はた、とそこで考えが止まってしまい既に数日潰してしまっているという。禍国に旅立ってしまう前に、どうしても彼女に礼をしたいのだと、克たちは焦っていた。


「それでは珊に、新たな衣装を贈ってあげたらどうかしら?」

 話を聞いた椿姫の提案に、蔦も頷いた。

 しかし、克は情けなさそうに眉根を寄せる。女性に贈物をした事など終ぞない男臭い人生を歩んできたものであるから、喜ばれる衣装を、などと言われてみても、全く皆目見当も付かないのだ。

「舞の為の衣装なれば、見立ては私が致しましょう。克殿は、その費用を捻出して下されますれば宜しいかと」

 蔦の助け船に、克は呻くように全身脱力しつつ、安堵の吐息を吐き出したのだった。


 克の仲間たちの奏でる音楽は、お世辞にも上手いとは言えない。

 が、真心が込められた、温もりを感じさせる。


 ――よろしゅうあらしゃりましたな、珊。

 椿姫が織るはたの音色と重なり合う其れは、蔦の心を湿らせるに充分だった。




「蔦」

「はい、姫様」

 不意に呼びかけられて、蔦がはっと我を取り戻して振り返ると、椿姫は機を織りながら静かに告げた。

「禍国に趣いたら、偲具を纏っての御霊祭が行われるけれど」

「はい」

 蔦の一座は、その御霊祭を行う祭国の代表として共に同行する。


わたくしも、共に舞います」


 椿姫の言葉に、其れまで涙に潤んでいた蔦の視線が、つ・と鋭くなった。然し、機織りの音色は変わらず澱みない。機織る主の心を示しているかのようだ。

「姫様、其れが如何様な御事おこととなるや、まこと、ご理解ならしゃった上での、お言葉にあらしゃりますろうか?」

 蔦の言葉を肯定するかのように、はたの音が一際高く、鳴る。

そして、椿姫の手が止まった。


「はい」

 強い意思を含んだ短い言葉に、蔦のは益々鋭くなる。

警蹕けいひつを行うとは、如何なる事か、分かっています。だからこそ、私は舞いたいのです」


 警蹕けいひつ

 所謂、かしこみを知らせる御先払いの事だ。

 神霊を祀る行いをする際に、良からぬやからが寄って入り込まぬように、脚を踏み鳴らしつつ、低い独特の唱和を行いつつ警戒を促す。続いて、浄め鎮めの舞をして陵墓に眠る主の魂が正しく黄泉路へと誘われ旅立つまで見守る、其れが警蹕だ。


 この際、御霊祭の際に指す良からぬ輩とは、魂を狙う悪鬼悪霊を指す。

 そう。

 此度は、共にこうされた生口せいこうたちが祟らぬように、舞うのだ。

 陵墓で。

 顧みられる事どころか、人扱いされぬまま屠られた、哀れな生口らの前で。


「姫様、軽うお考えあらしゃるのなれば、おやめに……」

「蔦。失われてしまった人々の魂は、取り戻せるものではありません。でも、いいえ、だからこそ、私は彼らの鎮魂の為に心を尽くしたいのです」

 遇の音もでぬ強き語気に、珍しく蔦が言葉を失う。

 屍人の頭上で踊るとは、如何様な穢を引きずるかもしれぬのだ。それ故に、蔦が率いる一座のような存在が此の世に在ると云うのに。

今はようにとってかわった世の中とはいえ、己たちを『穢』を率いる者として蔑みのでみる他国の王侯将相たちを数知れず見てきた。


 然し、この少女は違う。


 なんという事か。

 この少女は、だが己の赤心せきしんを込めて、屍人とされた人々を救う舞を自ら挑みたいという。


 其れが如何なる意味を持つのか。

 代帝・安の愚挙に、真っ向から対峙する姿勢をみせる事に、他ならない。


 其れが何を招くのか。

 最早、理解できぬ幼さではあるまいに、いや熟知してなお敢えて選び、我が道とするというのか。


 人頭狩りを以てよしとした安の言葉の裏には、異論を挟む者は出よ、という意味が有る。つまりは、遼国にも、そして嘗て遼国を抱えていた河国に対しても。同盟諸国に対しても、異を唱えれば国ごとこうしてくれると明言しているのだ。

 ただ皇帝への恨みを晴らすべし、と勢いにて代帝へと成った1年前の安では、既にない。その権力が齎す絶大にして絶対の威力に酔いはじめ、そして周囲にむけ放つ魅力に取り憑かれはじめていた。

 此れは、その示威行為のうちの一つだ。

 宗主国の総意とは、即ち代帝・安そのものであると知り受け入れよ、と。

 そう、まさしくこれは、禍国の代帝・安が、祭国女王たる椿姫に仕掛けた戦であった。


 此れに対して、こうされた哀れな魂の救済の舞を舞うとは。

 仕掛けられた戦を、椿姫は真っ向から受けて立つ事を意味する。

 それでも舞うと、この少女は宣言する。


 安を許さぬ。

 故に舞う、と。

 まだ、齢17の少女の身で、何という決意であるのか。


「その時の為に、こうして機を織らせて頂いているの」

「姫様、真様や、虚海様には……」

「真様にも虚海様にも、相談した上の事です」

「然し、郡王陛下は……」

「戰も、同意して呉れました」

 椿姫は、答える。再び、優しい機織りの音が、部屋に満ち始めた。

「策を練り、馬に跨り、剣を振るい、弓を引くのみが、戦いではありません、蔦」

「はい……はい、姫様」

「此れが、私の戦い方なのです、私にしか出来ない、私の戦いなのです」

「おお、姫様……!」


 ――姫様、姫様貴女様こそ、此の世に讃えられるべき、最も尊き御方、聖なる女王陛下です。


 蔦は、椿姫の前に突き動かされる衝動のままに平伏したのだった。

 



 ★★★



 包帯を解く手捌きは、流石慣れたもので淀みない。

 那谷なたに添え木を外して貰い、真は開放感から、全身を使って大きな吐息をつき、次いでぐるぐると腕を回してみせた。子供のように正直過ぎる真の反応に、那谷なたが笑い声をあげる。巻き取った包帯をふくに手渡しながら、那谷なたは真の腕をとって触診し始める。


「うん、綺麗についています。まだ暫くの間は、痺れや疼きは残るでしょうが、どうか動かす事を恐れずに。使わずにいると筋が固まり、長い目で見ればより不具合を生じますので」

「それが結構、難しそうですが」

「皆様、そう仰られますよ」

 白い歯をみせて、福が笑う。薬を用意させてきます、と下がる彼女のふくよかな背中を、那谷なたは、細い目を更に細めて見送る。おや? と真は一瞬目を丸くしたが、何も言わなかった。口にしては、長らく不安に思っていた事を尋ねた。


「那谷、ひとつ尋ねても宜しいでしょうか?」

「何でしょう? 何か心配事でも?」

「ええ、何と言いましょうか、その、疼きなのですが」

「はい」

「雨が降る前や天候が悪くなる前などに、酷くなる傾向が強いのですが」

 真の問いかけに、ああ、と那谷は頷いた。

「よくお聞きしますね。身体の表面では見えぬ芯部では、まだ何処かが断裂したままなのでしょう。そこに空気の湿気が入り込み、痛みにや疼きになるのだと思われます」

「そうなのですか……私だけの事では、ないのですね?」

「ご心配なく。この先、数年は掛かるかもしれませんが、ゆっくりと頻度は下がっていきますよ」


 数年、ですか、と今度は肩を深く上下させつつ嘆息する。

 夢中の行いであったとはいえ、己の身体の脆弱さをこういう時は恨めしく思われる。鍛えておれば良かったというものではありません、と那谷に慰められても、矢張り、頼り無さは自覚せざるを得ない。

 父・優の言う様に、無様を晒して傍に控えていて良いものなかのか。

 誇るものが頭脳のみの己の身の上が、悩ましく思われ、表情が強張る。

 那谷はそんな真の心情を慮ってか、何も言わずに処置を進めていった。

 


「我が君!」

 そんな中、しょう姫が息せき切って駆け込んできた。

 笑顔で手を振りながら、縁側で腰掛けながら処置を受けている真の元に寄ってくる。思わず、真も那谷も、表情を和ませた。

「我が君、どう?」

「はい、たった今、那谷に添え木を外してもらった処ですよ」

 姫様、もう大丈夫ですよご安心下さい、と言いつつ、那谷は下男に痛み止めの塗布薬の処方を命じる。


 ちょこちょこと真の真正面に寄ったしょう姫は、ずくん、と身体ごと大きく跳ねるように、心の臓が体内で木霊する音を聞いた。

家で処置している時は、ふうたちにばかりさせて見せてくれなかったので、知らなかったのだ。

 着物はだけて、上半身の諸肌を晒している真の両の腕の太さが、まるで違う。

 しかも、肩から肘にかけて肌の色が悪い。血色がないというか、血の気が感じられないのだ。とても生きているもののそれとは思われない。

 正に身を削る痛みであったのだと、真の腕の衰えが無言のうちに責めてくる。

 思わず、口をへの字にしかけるが、ぎゅ、と裳裾を掴んで、何とか耐えた。

「姫?」

 様子が変だと気が付いたのだろう。真が、語尾をあげて、伺うようにしょう姫の顔を覗き込んできた。

 すると、しょう姫は真の左隣にやってきて薬を用意し始めた下男を押しのけると、彼の左腕をとった。


「姫?」

「わ、私が我が君の妻なのですから、我が君のお世話は、わ、私が致します」


 涙を堪えているせいで、小さな鼻の頭が真っ赤になっている事に気がつかないしょう姫が、下男から刷毛を借り受けて腕に薬を塗っていく。

 那谷と顔を見合わせあった真は、くすりと短く笑うと、しょう姫の額にかかる陽の光をうけて柔らかくなった前髪を、くしゃくしゃと引っ掻き回した。

「では、私の身体の一切合切は、さいにお任せ致しますよ」

 るいの長女であるふくが用意してきた小分けにした薬を手に、戻ってきた。

「良いですねえ、真殿は。頼りになるご家族様が直ぐ傍にいらっしゃって」

更に大きな麻袋に、一つ一つ中身が処方通りかを確かめてから仕舞いつつ、那谷が明るく朗らかに言う。家族と遠く離れている彼は、しょう姫だけでなく、母親と妹にも恵まれている真の現在の環境が、故郷を思い出させて素直に羨ましいらしい。


 そんな那谷の肩を、あはは、と明るく笑いながら、福がぽんぽんと叩いた。

「あら先生、そんなに大家族が羨ましいんなら、遠慮しなくっても、うちにいらっしゃれば良いのに」

「え、ええ?」

 勿論、福は、だいまるに会いに家に遊びに来い、という意味で裏表なく言ったのであるが、那谷は頬を赤らめて上擦った声をあげる。

 那谷の様子に、真としょう姫がそろって誂いの声をあげた。



 陽が傾き出した。

 夕焼け空が逆に明るく栄えるのは秋が直ぐ其処までやって来ている証拠だ。

 しょう姫の手を借りながら、衣服を整えると右手に那谷の用意してくれた麻袋を抱えて、真はさて、と立ち上がる。


「帰りましょうか、姫」

「うん、我が君」

 そう言って、しょう姫に向かって、早速自由になった左手を差し出す。 大きく頷いて、しょう姫はその手を握った。


 那谷と福の見送りを背に、手を繋いで、のんびりと歩きながら、家路につく。

 空を見上げ、真はうーんと背を反らせた。

 此れまで、添え木のせいで身体を思うように動かす事ができなかった分の自由を取り戻してみせるかのように、爪先立って背伸びをする。すると、手を繋いでいるしょう姫が引っ張られるようになった。さほど体格のよい方でない真でも、大の男だ。年齢の割に小柄なしょう姫など、持ち上げられてしまう。ひゃん! と小さく叫んで不満を表す幼い妻に、真は笑った。

 態と、もう大丈夫だと言う代わりに自分の身体を振り回してみせた真に、しょう姫はぷう、とむくれてみせた。


「もう、我が君ったら。そんな事して。後でうんと苦い薬湯を入れて差し上げるから、覚悟しておいてね」

「えっ、それは可笑しいですよ」

「何が?」

「だって姫は、領国一の優しい奥方様と評判で、良人おっとを甘やかす事に関しては実に長けているともっぱらの噂なんですよ。そんな良い奥方様は殺生な事はしません。苦薬湯を飲まなくても、笑って許してくれますよ」

「そんな風に褒めたって、駄目よ。苦薬湯はちゃんと飲み干すまで見張っているわよ、我が君」


 真の言葉に、しょう姫は笑いながら、彼の左腕に抱きついてぶら下がる。

 参りました、と全く参ってない様子で、しょう姫をぶらさげつつ真も笑う。



 茜色の空には、秋を告げる千切れ雲が流れ始めていた。



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