4 祭国王女・椿姫 その1
4 祭国王女・椿姫 その1
祖国からの使者が訪ねてきたとの知らせを受け、祭国王女・椿姫は久しぶりに胸を躍らせていた。鏡の中の自分は恥ずかしくない姿であるか、何度も確かめる。居住まいを正して、浮き立ちかける身体を何とかこらえつつ、使者の到来をまった。
ようやく扉の影から、下女が声をかけてきた。いや、下女をを通すことも、使者たちこそが、堪えられなかった。無作法を顧みる心すら忘れて、下女など殆ど押しのけるようにして、声を直接かけてしまう。
「姫様、姫様。お久しゅう御座います、お元気であられましたでしょうや?」
「お入りなさい」
声を聞きあえば、もう我慢などできない。椿姫こそ椅子から立ち上がり、姫らしからず自ら扉を開ける粗相をしてまでも、祖国の使者を迎えいる。
「よく来てくれましたね、皆、健やかでありましたか?」
「お久しぶりに御座います、姫君様。何とまあ、かように御美しくなられようとは……」
互いに差し出す手を取り合い、嬉し涙を浮かべあった。
3年ぶりに聞く、田舎臭い祖国の訛り。何処か野暮ったい、垢抜けない染の衣装。しかしどこか気良さげな顔つき。
それら全てが、暖かに今、椿姫の前にある。懐かしさに、自然と笑みと涙が零れおちた。
対する使者たちは、たったの3年であどけなさがそこはとなく残っていた少女から、麗しい嬢へと見事に脱皮を遂げた姫君に、驚きを隠せない。
もともと豊かであった黒髪は更に艶めいて、碧の黒髪と呼ぶに相応しい。白い肌は少女のものから一皮剥けた証に、頬に紅をさしたかのような輝きを与えており、睫毛が長く揺れて作る影は、黒瑪瑙にたとえられる瞳を彩っている。何よりも、起伏がわずかであった硬い蕾でしかなかった身体は、女人らしいなだらかさを得、可憐に香る正に椿の如き薫を振りまいている。『美姫』という言葉は、彼女がこの世に生まれ出でると先人が予見したからこそ産まれた言葉なのではと思えるほどだ。
「今日は一体、どのような用向きで? お父上様は、ご壮健であられますか?」
涙をふきながら、椿姫は手ずから入れた冷たい水を祖国の者に振舞った。使者たちは躊躇する。当然だ。このように純真可憐にして無垢な存在である姫君を、今度こそは本当に、人質の妃として隣国に送り込まねばならぬだ。
何ということなのだろうか。せめて、せめて国王があのような暗愚な方でなければ……。
新たな涙を流しだした使者たちに、椿姫は驚いた。そして、悟った。彼らは何かを隠している。それが何かは分からないが、恐らく、自分が祖国の為に身を捧げなければならないような事態なのだろう。
何故なら、今、彼らが流している涙は、3年前に父王・順に『禍国の皇子・戰の元にゆけ』と命じられた折りに流してくれた涙と、同じだったからだ。
「何があったのですか? 私は大丈夫です。ですから、お父上様よりのお話だけでなく、貴方たちの胸の内に秘めた話も、どうか話して下さい」
「姫様、しかし……」
「言い方が、悪かったですね。思うところを全て包み隠さず、お話しなさい。これは、姫としての命令です」
差し伸べられた椿姫の手に、使者たちはこぞってすがり、号泣しながら全てを吐露したのであった。
★★★
庭先の方から、わあ! と新たな歓声が上がった。何事だろう? と真が面上げると、商人・時が、ほうほう、と梟のように笑った。
「私めが連れてまいりました占師を、童らが離さぬのでありましょう」
「ああ、占師か。好きだよね、子供や女の子はさ、特に」
視線を本に戻しながら、真は棗菓子を口に入れて転がした。
「奥方・薔姫様に頼まれまして」
「ふうん? 椿姫の為にかい?」
「左様に御座います」
真の言葉に、商人・時は手を揉む。椿姫の元に過日、祖国・祭よりの早馬が届いてから、彼女は何処かしら元気をなくしていた。元来、明るく朗らかという性質ではなく、静かに佇んで穏やかに微笑んでいる大人しい王女であるが、それ以後、本当に元気をなくしてきた。
「運気と共に、椿姫様のお気持ちも、上向けばお宜しいですなあ」
「うん、まあそうだね」
適当に真は答える。
占いを深く求める人間が、実はそれ程占いの結果など欲してない事を、真は知っている。
彼らは皆、それぞれに深く深刻な悩みを抱えていて、真剣に占いにすがりはしてはいるが、その実、もう真っ当な答えを見つけている事が圧倒的に多い。ただ、自分を正当化したり、迷いを払拭したり、認めて貰いたいがために、心の拠り所として、占師の一言が欲しいのだ。
貴方の悩みは解決されます、大丈夫ですよ――と。
それを悪い事とは、真は別段思っていない。
自分は、そういう面倒な悩み事が生じる前に逃げ出しているから、必要なかっただけのことだ。つまりは卑怯者なのだ。そして卑怯者に徹する事が出来るのは、側妾腹であるという事実があればこそ、皆がせせら笑って許してくれているのだという事も。
それを恥と受け取るか否かは、また個人的な見解の差異によるものであり、いいじゃないか別に楽したって、面倒くさいのは御免ですよ、と真は思っている。
「ところで、占いに夢中なのは、椿姫様のみに在らずで御座いました」
「へえ、薔姫も何か占って貰っていたのかい?」
「真様の運気の御為にと、お思いなので御座いましょうなあ。真様にとって、相性のお良ろしい名に改めたいとおっしゃって、調べさせておられましたようで」
「ふうん?」
薔姫が、名を改めたいとは。しかも、自分の為に?
真は項のあたりに手を当てて、ぐしゃぐしゃと髪をかきあげた。
「時」
「はい、はい、何で御座いましょう?」
「ちょっと、欲しい物があるのだけど、調べて手に入れてくれるかな?」
「ほっ! この私に手に入れられぬ物は、金で買えぬものばかりなりで御座いますよ」
「じゃあ、大丈夫だね、ひとつ頼むよ」
鯰の触覚のような髭をちりちりと弄びながら、商人・時は梟のように声を上げて笑った。
★★★
普段はのんべんだらりと日を無駄に過ごしているくせに、彼の姫君――椿姫の事となると、俄然腰を上げて立ち回りを演じてみせるもの者が、一名。
その人物は、書庫の扉をからりと開けるなり、声を弾ませている。
「真、真、居るかい?」
「居ません、とご返答をしたら、いかがなさるおつもりなのです?」
「居るじゃないか、嫌だなあ。真、今日はちょっと、良い事を考えついてね、協力して欲しいんだ」
「何をです? 面倒なことは御免ですよ」
「うん、それじゃあ大丈夫だね、椿……姫の事なのだけど、最近、元気がないだろう?」
「そうですね、薔姫も随分と心配しておられました。占師を呼んだそうですよ」
「うん、そこで会ったよ。でも、まだ何か心に引っかかるものがあるのか、どこか侘しそうにしていてね」
「そうですか」
「うん、だからさ、我ながら良いことを考えついたのだけど、協力して欲しいんだけれど、良いかな?」
「私に否定権はないのでしょう?」
溜息混じりの真の言葉に、嬉しげに力一杯頷いているのは、無論のこと、皇子・戰だ。大きな身体を四つん這いにして、じりじりと真ににじり寄ってくる。真に対して、椿姫方面でなにか頼みごとのある時にとる、戰の『癖』だ。
可憐な姫を禍国に連れてきて3年。
いい加減で戰も、想いを正直に吐露すれば良いものを、彼女を前にするとその大きな身体を窄めて、借りてきた猫のようにもじもじと大人しくなってしまう。
椿姫の方も椿姫で、戰の事を憎からず思っていることはだだ漏れ以外の何なのかという様子であるのに、いざ戰がやって来ると、そのあしらい様は余りにも無体というべきか。
ぶっちゃけて言ってしまえば、奥手で朴念仁で唐変木な青年と、更に輪をかけて初心で鈍感で罪作りな程に天衣無縫な美少女とが、互いの気持ちに互いに気がつけず、空回りばかりを演じてこの3年を過ごしてきていた。
最初は面白がっていた真であったが、最近は呆れて放置している。構うだけ、無駄に気力体力精神力を無駄に損なわれます、というのが真の言い分だ。
しかし今回ばかりは、背けた背中を正さねばならないだろう。真の幼妻・薔姫も、自身の介添えである椿姫の様子を、気に病んでいるからだ。ぐっと時代が下がると、介添えとは閨において互いに慣れぬ若い二人を導く年増女の事を指すようになるが、この時代の介添えとは、純粋に嫁いだ姫君の教育係の事をいう。
そういう意味では、椿姫は実に優秀至極、妙々たる介添えと言わねばなるまい。出生時の占いで、どのような男性の元に嫁いでもその運気を尽く食いつぶす『男殺し』の宿星をもって産まれたとされた薔姫。
それ故に、母・蓮才人が幾ら戒めても、彼女に王女としての教育を施さねばならぬ者も、憐憫の情からついつい甘くなってしまっていた。気づけば、嫁いできた5歳の歳でも、まだ琴で一曲も奏できれぬ、得意の舞踊も舞えぬ、刺繍の一つの針も刺せぬという、散々たる体たらくであった。
天真爛漫が許される辛うじての年齢だったから良かったものの、もう3~4歳、年齢を重ねていたら、ただの礼儀知らずとしてより一層の失笑を買うところだった事だろう。
優しく穏やかに、それでいて手を抜かず厳しく、まるで姉そのもののように。椿姫が介添えとなってから、薔姫は、その導き手の優秀さを示すかのように、姫として身に付けねばならぬ、ありとあらゆる相応しい事柄を次々に我が物としていった。
それの一番の恩恵に与っているのは、実は真だ。夫に対して妻たるものの努めとして、宴の席においての菓子作りがあるが、椿姫はこの道においても天才的な才能の持ち主のようで、彼女の創り出す四季に合わせた折々の菓子は実に美味い。
大の甘党である真は、「我が君、椿姫に習ったの、ご試食をどうぞ」といって、幼妻・薔姫がまだ湯気のたつ菓子を抱えて書庫にやって来るのが、最近の密かな楽しみにとなっていた。
★★★
「戰様お一人で、椿姫様の為に、なんでもご自由になさってあげたらおよろしいではないですか。きっと喜ばれますよ」
「そう、つれない事を言わないで。それでさ、真、その、椿……姫の為に、宴でも開こうかと思っているのだが」
「どうぞ勝手になさって下さい」
構わず、ずんずん話しかけてくる戰に、真はにべもない。この3年間で、一体どれだけ橋渡しをして差し上げたと思っているんですか、全く。
未だに時は、戰と椿姫の一向に進展しそうもない恋の行方を面白がっているが、真はとうの昔に匙を投げている。幾ら奥手だ鈍感だといっても、程度ってものがあるでしょう。
何ともならないのであれば、それは縁がなかっただけのことですよ。
と、一度、真っ向から戰に言い渡したら、実に情けない顔で半日、もじもじ・くどくどと書庫の中を彷徨きまわられ、鬱陶しい事この上なかった。以後、黙ってはいるが、正直、今回の事だって張り切ってみてもさしたる効果が得られるとは、真は全く思えない。
「そう言わないで、月見の席なんか、どうだろう?」
「今夜は下弦の弓張月ですよ、月見には不向きです」
下弦の弓張月とは、いわゆる下に丸い半月の事だ。つまり、夜半近くからしか宴の席を設けられない。
「うん、だけど、今から用意をさせていたら、夜中から始める位で調度良くないかな?」
「……今夜、なさるおつもりなのですか?」
「それ以外にどう聞こえた?」
しかし、にこにこしている皇子・戰には、全くもって悪びれたところがない。真は、はあと短く返答を返すと、ぼりぼりと頭をかいた。こんなに開けっぴろげにされていたのでは、苛々する方が馬鹿をみる。仕方ないですね、と真は相槌をうち、自身と幼妻・薔姫との住まいである離れを貸す事を認めた。
「まあ、宴を開けば、口実に、蓮才人をお呼びできますしね。最近、薔姫とお会いする機会を持てずにいましたから、良いでしょう」
「うん、そうだろう、薔姫も喜ぶし、我ながら良い考えだと思うんだ」
「またそうやって、後出しで取ってつけたように」
「いや、薔姫はおまけなんかじゃないぞ? ちゃんと私は義理妹の事も考えてだね」
「どうとでも仰っていて下さい」
やれやれと腰を真は腰を上げた。
離れを貸す以上は、父・優とその正室である妙夫人に許可を得ねばならない。父・優は兎も角として、正室・妙夫人に会うのは気が重い。だが、幼いながら側妾腹の自分の妻として、名前を改めようとまで、健気に立ち振舞っている薔姫の為と思えば仕方がない。
「私は、戰様と椿姫様の為に動くのではないですよ、あくまでも、姫の為ですから。それをお忘れなく」
嬉々として、戰は頷いた。