11 立役者 その1
11 立役者 その1
句国軍を迎え討たんとする出立の日時が占われ、三日後と取り決められた。
慌ただしくしているのは、実は、真だけだ。禍国軍は何時でも出立可能なように常駐していたのだから、何を言われても困る事がない。
しかし、真は違う。
書きに書き、溜め込んだ書簡を詰め込まねばならない。
「出来れば水力の踏臼も一組、持って帰りたいところなんですけれどね」
ぽりぽりと項をかきつつ、真がもごもごと口にする。手伝っている戰が、小さく吹き出した。
二人で考案した、投石機を解体して急場凌ぎで作り上げた例の水力の踏臼だが、いたく農民の間でうけが良いのだ。
取り扱いさえ間違わねば、子供でも、見張り番と最初の籾殻を取り除く作業まで位なら、立派に出来る。労働力の確保が難しい今の句国において、此れほど助かる発明品はない。引っ張りだことなっており、設置してある邑にて厳格に、里長の指示のもと、時間制で大切に大切に使用されているらしい。
其処までしてもらえば、戰や真としても実に冥利に尽きるものであるが、何やら妙にこそばゆい気もしてきて、つい、ふざけてしまう。
「持って帰ってもいいですか? なんて尋ねようものなら、一気に一揆に雪崩込みますね」
「いいじゃないか、皆が助かって、それで意気が上がっているのなら」
戰の言葉に、そうですね、と真は答える。
玖たちは気が付いていないようであったが、実は、領民の方が、『蒙国に擦り寄った句国国王がいない間に、本国王都を攻め落とした禍国軍』という事実に、深い恐れを抱いていた。
実質的な被害を真っ先に被るのは彼らなのだから、過敏であるのは当然だろう。恐れにより心を縮こまらせ、この先を悲観して暗い表情ばかりを浮かべていた。
この祭国の戦との違いに、戰は当然、衝撃をうけた。
侵略するとは、征服するとは、こういう事なのだ。
蒙国皇帝に反駁する者が現れなかったのは、それを行える者も全て根刮ぎ打ち払ったからだ。
「この国で、祭国と同じように振舞ってはいけないだろうか?」
「良いのではないですか? 元々、私どもが承ったのは『句国王と句国軍を討て』とのお言葉ですし、それ以外の事をしてはならぬとは聞いておりませんから」
戰がそういうだろう、と見越していたのだろう。真はすぐさま、すらりと答え、戰は嬉しそうに何度も頷いた。
真としては、逆に此処で余すところなく戰の思うままに動いてもらい、その魅力に感じ入って貰い、感化して貰った方が都合が良かった事もある。
それから1ヶ月。
句国軍の反転が思いの外遅かった事もあり、まるで祭国に居るかのように、充実した日々を過ごせた。真の目論見通りに、句国の民は戰のやりようを受け入れ、そして玖王子も、戰に感銘を受けているのは確かだ。
しかし。
「玖殿からは、まだ何も言ってはこないかい?」
「はい、まだです」
そうか、と戰は伏せ目がちにしつつ答える。
簡単に口にできる答えではないが、彼が決断せねばならない答えは、もう決まっているのだ。
答えようと答えまいと、戰も、そして玖も。
勝たねばならない。
そして勝利を得る為に、この先に待ち受けているのは、酸鼻な戦いのみだ。
勝利する、覚悟を決めねばならないのだ。
いつ、それを口にしてくれるのか。
此方としては歯痒いが、待つしかない。
この戦の勝利に、玖の率いる2万の兵の協力が必要という訳ではない。
寧ろ、彼らなしで勝利を得る算段をつけている。
当然だ。
この戦には何としても勝たねばならないのだから、利用はしても、他国の助けを最初からあてになどした作戦をたてるなど、愚かにも程がある。
しかし、この先の戰の行く道に、彼は必要な人物となる。
もうひと押し、必要なのだろうか?
しかし、何が足りないのだろう……。
真が、木簡を手に玖の心情を思っていると、急に戰がくすくすと小さく笑いだした。
「どうされましたか?」
「いや……あの晩の事を思い出してね」
「はい?」
戰の言う、『あの晩』とは、この書庫で玖と姜に詰め寄った夜の事だ。
くっくっく、と戰は喉を鳴らして笑っている。ああ、と得心して真もぼりぼりと後頭部を引っ掻いた。
「兵部尚書の気持ちがわかったよ」
「はあ」
「真は容赦がないんだなあ、本当に」
「何でも言う通りにやるから、と言われたのは戰様ですよ」
玖を問い詰めた晩、本当は、自分ひとりで彼らに挑むつもりだった。
しかし、虚海の言葉を思い出し、思い切って戰に持ちかけたのだ。共に、玖を説得して欲しい、と。喜び、「何でもするぞ、何をしたら良い?」と尋ねる戰に、真はかつて父・優にしたように、あれこれと言葉を伝授したのであるが……。
まだ笑っている戰に、真も笑いがこみ上げてきた。二人でしばし声をたてて笑い合っていたが、戰が、急にその笑いを収めて真顔になる。驚く真を、戰が抱きしめるてきた。
戸惑いを隠せない真に、戰の声が優しく降りかかる。
「有難う、真。私を頼ってくれて」
抱きしめられながら、ああそうか、と何故か唐突に真は理解した。
戰が、何故、皆に何でも自然に頼る事が出来るのかが、分かった。
戰は、嬉しかったのだ。
10年前、虚海を失う原因となった、父帝・景の問いかけに素直に答えたのは、嬉しかったからだ。自分に意見を尋ねられた、頼って貰えたと子供心に嬉しかったのだ。己の成長を見てもらえると、嬉しかったのだ。
なのに、父帝・景は戰の純粋な心を踏み躙り、師匠である虚海に腐刑まで与えて引き離した。そのくせ、戰の言葉が正しいとばかりに、10年前は那国と結んでの河国との戦に集中し、蒙国との戦には踏み切らなかった。
戰が皆に声をかけ、言葉をに耳を傾け続けるのは、幼い日の経験があるからだ。
幼子なりに、戰は心に誓ったのだ。
自分は、父帝・景のようにはならない。
何事にも人を信じて頼り、人に信じられ頼られる人物になるのだ、と。
此れまで、戰はその幼い日の自分を労わるように、人を頼る事を守り続けてきた。
椿姫が祭国を救う為に帰国すると決断した時に、あれほど怒る事が出来たのは、だからなのだ。
そして、正面から真面に頼られるのは、此れが初めてだ。
未だにしがみついている戰に、真は静かに答えた。
「まだまだ。此れからですよ、戰様。お覚悟を」
うん、そうだな、と抱きつたまま顔をあげようともせずに、戰が応じた。
さて、句国の農民たちの意気が上向き加減なのは実に喜ばしいが、本来ならば出立前に、禍国軍の意気こそ上げておきたい。
とは言うものの、どうしたものか。
「何かいい案があれば良いのですが」
無造作に積み上げ、縄で縛り固定させた書簡にもたれ掛かり、う~ん、と頭をばりばり引っ掻く真と、腕を組んで天井を睨む戰の元に、あわを喰った伝令が飛んできた。
「どうしましたか?」
「そ、それが、祭国から、か、克殿と申されるお方が、急ぎのお使者として、ま、参られまして!」
祭国から、克が!?
戰と真は、顔を見合わせるなり、部屋を飛び出して行った。
★★★
城の外に飛び出した戰と真を待ち構えていたのは、ざっと千騎を数える騎馬隊と、大きな荷車を幾つも引いた一団だった。
先頭を預かる騎馬から、克が降りて指示を出している。
荷車を引く御者の中には、琢と珊がおり、此方に気がついた二人が、「お~い! お~い!」と競って手を振り合っている。
「克、一体何事だ!?」
「琢、珊、何かあったのですか!?」
武人である彼が此方に来た。
ということは、時期的にもしや何処かの国が侵攻を開始する素振りでも見せ始めているのか?
それとも既に戦端が開かれているのか?
焦る戰の前に、進み出て武人らしく礼を捧げる克は、手にした武器を何も言わずに差し出してきた。
不思議そうに首を捻りながらも、素直に受け取った戰は、まじまじと武器を見つめる。
一見して、農具の打穀具である、殻竿に似ている。
長い竿の先に、短い棒がついて振り回せる形となっているまでは非常に似通っているが、その棒が青銅製であり、更に先端が簓状になっていた。
暫く無言で、手の内の棒に静かに見入っていたが、不意に、玉のように縛ってある飼葉用の麦藁の傍に歩み寄った。
そして、短い気合と共に、棒を振るう。脱穀する時、殻竿は稲や麦、大豆を短い方の棒で叩いてそれを行う。しかし、克が差し出したこの棒は、違った。
勢い良く振られ、遠心力により更に力を増した簓の先端を持つ短い棒が回転し、ブン! と唸り声を上げる。ザバッ! と鋭い音を立てて、麦藁の玉は粉々に粉砕された。
これが、人の頭部であったなら。
ごくり、と真は生唾を飲み込んだ。
「虚海師匠が、か」
ふっ、と短く息を吐き出しながら戰が問うと、克は短く、はい、とのみ答えた。
克が率いてきた騎馬は、やはり百騎十組とした、千騎。
彼らは皆、腕に同じ棒を抱いている。つまり、この殻竿から発想を得た武器の修練を積んだ者たちなのだろう。真が、句国王・番率いる戦車部隊に戈を、と考えていると知り、虚海が考案したのだ。
確かにこれならば戈と違い、戦車部隊の騎手も弩の打ち手も、一気に打殺出来る。
しかも、確実に。
戰の傍に真も歩み寄り、新たな武器に手に触れる。
彼処までの威力の武器を、よもやこの短時間に考案したものだとは。
いや、もしかしたら、虚海はいつかこのような日が来ると予見して、長らく胸にあたため続けてきたに違いない。きっとそうだ。
戦車部隊との切り離しが、この作戦の胆だ。
相手も、戈による攻撃に出られると踏んで、ある程度は予防策を講じてくる筈。
だが、この武器はそれをも吹き飛ばす事だろう。
「真」
「有難いです」
露国や燕国がどのように出るか分からぬ、この時期に、少しでも国防に勤しまねばならぬこの時期に、千騎もの騎馬隊を送り出してくれるとは。
祭国として、どれほど身を切る行為である事か。
だからこそ。
彼らを送り出してくれた椿姫を始め、祭国で待つ人々の気持ちを思えばこそ、負けられない。
高揚する意気に、珍しく興奮気味に答える真は、おずおずと立ち竦む珊の視線に、やっと気がついた。
「珊、其方の荷車の荷物は?」
「もう、聞くのが遅いよぅ」
ぷう・と頬を膨らませ、つんけんした態度で荷台に歩み寄ると、被せてあった筵を琢と一緒に取り払った。そこには、米俵大の麻袋が幾つも積んであった。
中に、一つ、ぽつんと黒塗りの壺がある。
一抱え程もあるそれは、中身が漏れないようにする為にか、目張りがしてあった。
「開けてみてよ?」
ニヤニヤしている珊に促されるままに、戰と二人で、先ずは麻袋を開けてみる。
――中には、黒いような、それでいて銀色かかっているような、涙型の粒がぎっしりと詰まっていた。
「これは……」
驚く二人に、けけけ、と琢が蛙のような声をあげて、肩を揺すって笑う。
「そう、蕎麦だよ」
代わって答える珊に、「どうして!? どうやって!?」と真が詰め寄ると、暴れ馬をいなすように、肩をぽんぽんと叩かれた。
しかし、落ち着いていられるはずがない。
この時期に収穫されたということは、春蒔きの種類だ。
しかしそれは、祭国では不可能であった筈だ。
なのに、何故!?
「椿姫様のおかげだよ、皇子様」
「椿の?」
「そ! あと、苑さんと坊ちゃんのおかげ!」
珊は両手を頭の上で、ぱちん!と鳴らした。
「皇子様と真が戦に行かなくちゃいけないって、聞いても、椿姫様は泣かなかったよ」
「椿が?」
「うん、逆に、皇子様と真がいないからって恥ずかしい事してちゃいけないって」
もう1年近く前になる、祭国に戻ると勝手に決めて沈んで泣いていた頃の彼女からすれば、考えられない。
「姫様がね、皇子様と真が居なくても、大丈夫な処を見せてあげようって。二人の為にさ、皆、力を貸してって」
椿が、と何度も小さく呟く戰に、珊は、うん、そうだよ! と、にこにこ笑う。
「強すぎる寒さに弱いなら、菰を被せて芽を守ればいいって姫様が、地面が凍りそうなら、夜通し焚火を焚いて遅霜に備えればいいって苑さんが、それならうまく育つ、四月の春蒔きでもちゃんと育てられるって、坊ちゃんが言ってくれんだよ」
蔦の命令をうけて、早足の芙が禍国に蕎麦の種籾を買い入れに走った。
「通も類もね、一緒に犂を使って耕したんだよ? それがね結構ね、杢が扱い上手いんだよ。畝が真っ直ぐに揃ってる処なんか、くっそ真面目な性格出ててさ。琢なんか、いい加減でぐったぐたなのに」
そして四月の出立の日に合わせて、城の菜園に全員揃って種蒔きを行い、育ててきたのだという。
「薔姫様とあたいもね、豊さん教えてもらって、一緒に筵を編んだんだよ。皆で順番に、焚火の見張りもしたよ」
俺も俺も! と、琢も大きく腕を振る。その琢のみぞおちに、珊は肘鉄を喰らわせて、悶絶させて黙らせる。
「皇子様と真が、言った通りにしたよ」
「珊……」
「皆で考えて、皆で頑張ったよ」
もう、感極まって言葉が出ない戰と真の前で、腹を抑えつつ琢が壺の目張りを外した。甘い芳香が漂う。
「蜂蜜ですか?」
「そ! こんなにとれたよ、すごいでしょ?」
でも、蕎麦の花ってのが、可愛い癖ににおいがたまんなく臭くってねえ、と珊は小鼻をつまんでおどけてみせた。明るい笑い声が、一同を包む。
「有難うございます、珊」
戰と二人、肩を抱き合いながら涙で潤んだ声で礼を言う真に、うん、と珊は明るく答える。
「戰様、皆にこの蕎麦を振舞って、戦の前の景気つけと致しましょう」
「ああ、無論だ」
禍国において、蕎麦は皇族ですら真面に口に出来るものではない、幻の食材だ。それが振舞われるのだ。これ以上、兵士たちを鼓舞させるものはないだろう。
「早速、水力の踏臼で粉にしましょう。琢」
「おうよ、大将」
「一緒に来て頂けますか? 丁度良い機会ですので、見て欲しい物があるのです」
ほ! と声を上げると、琢は、ばん! と真の背中を叩いた。
「なんか知らねえが、任せとけ、大将!」
げほげほと咳き込みつつ背中をさすり、今度は珊に向き直る。
「それと、珊」
「ん?」
「貴女に、それで是非にと頼みたい事があるのですが」
「言いたい事、わかるよ、まっかせといてよ! その為に主様に無理言って来たんだから!」
珊が飛び跳ねながら、明るく答えた。
少し離れて、禍国、いや祭国の仲間と触れ合う戰と真を、玖は黙って、じっと見詰め続けていた。背後に伴う姜が、王子の背中を見守っている。
長い長い沈黙の後、「羨ましい……」と、玖は呟いた。
「姜よ」
「はい、殿下」
「私は、『陛下』と呼ばれる未来を、望んでもよいか?」
「――は?」
「彼らにように、なりたいのだ、お前と。この、句国の為に」
はい、と姜は力強く答えた。
★★★
出立前のその夜。
禍国軍の陣幕内は、大いに盛り上がっていた。
普段は軽業舞を見せる事が多い珊だが、遊女が本来の彼女の生業だ。ぐっと時代が下がると、遊女はただ単に春を鬻ぐ女性の事を指すようになるが、元を立たせば巫女に成り代わり舞を奉納する役目を負った、聖なる職業なのだ。
様々な踊りがあるが、基本的に遊女の踊りは、神を喜ばせ愉しませ、後少し、というところで取止める。続きを楽しみたければ、願いを叶えてくれという訳だ。だから、遊女の舞は男神に捧げられるものが中心で、官能的なものが殆どである。
無論、願いが叶えられた暁には、更に艶かしい舞が待っている。それを胸に焦がれつつ、楽しむのもまた一興・という訳だ。
「神様だって助平なんだから、人間の男が助平でも仕方ないかあ」
腰に手を当てて、嘆息しつつ大袈裟に珊が言う。視線の先には、際どい衣装に身を包んだ彼女を、わくわくした面持ちで覗き見ている琢がいる。珊はつかつかと琢に歩み寄った。
ほい!? と驚く琢に、ふん、と珊は鼻息も荒く腕を振り上げた。独鈷のような形をした鈴の楽器で、がん! と琢の脳天は叩かれた。
いってえ~! と叫び、頭を抱え込んで琢は転げ回る。
「痛え、痛え、痛えよお、珊! 何すんだ、お前!」
「あんたなんかにお前呼ばわりされたくないよ、この助平」
ひでえ! お前が可愛く見えるように、張り切って作った舞台なのに! と叫ぶ琢をその場に置き去りにして、珊は急場に仕立て上げられた舞台に上がった。
鳴らす鈴の音と共に、珊の舞が生み出す熱気が夜空に駆け上る。はち切れんばかりの健康美を誇る珊が、天女の薄衣のような衣装で舞うのだ。その場は一気に興奮の坩堝と化す。
しかし、いやらしさは微塵も感じない。それは、珊の朗らかさの成せる技だろう。この句国への旅程の間に、珊は克が率いる荒くれ者たちの間で、大層な人気者となっていた。
明るく愉しい時間が生み出すざわめきが、夜の静寂を破り続けていた。
兵士たちが手にする碗には、臼で挽かれた蕎麦粉でできた麺が、出し汁に浸っている。
これが蕎麦か!? と驚きつつすすり、その旨さに皆が沸き立つ。
薄焼きの皮状にしたものには、蜂蜜を惜しげもなくかけた。
蜂蜜も、滅多に口にできない甘露だ。歴戦の猛者や大の男たちが、蕩けそうな顔つきで夢中で頬張っている。
甘い踊りを披露しながら、ちらりと珊が真に視線を走らせると、彼は戰と何かを話し終え、此方を真っ直ぐに見詰めてくれていた。
目の端が赤く、鼻の下をこすっているが、満面の笑みだ。
良かった。真、喜んでくれてるよぅ。
そして、ちくりと傷んだ胸を踊りに紛れてそっと撫でた。
御免ね、姫様。
あたいだけが、喜んでる真の笑顔、独り占めして。
だけど、今日だけ、ううん、今だけ。
今だけでいいから、あたいだけの、真にさせて。
珊は、大好きな男に捧げる為に、真心を込め、一世一代の舞を披露した。
★★★
舞が激しくそして興奮のままに終焉を迎えると、座の盛り上がりもまた最高潮となり、兵士たちの意気は大いに上がった。
しかし戰も真も、皆で共に口にしている折角の蕎麦の味が、実は良く分からなかった。
味が分からなくなる程、興奮し感動していた。
祭国で、自分たちがいない処で、残された皆がこんなにまでしてくれたのだ。
勝たずに帰る事できるものか。
蕎麦の麺をすすっているのか、垂れそうなはなをすすっているのか。
いやもう、どちらでもいいと思いつつ、真は蕎麦を口に運んでいた。
すると、背後からつんつんと袖を引かれた。ん? となって振り返ると、其処には珊がもじもじしつつ、立っている。
「どうかしましたか?」
「うん……その、あのさ、真」
「はい?」
「これ、姫様から預かってきたんだ」
「え?」
差し出された小さな赤い包の中には、押し花にされた小さな白い花があった。
「これは……」
「そう、蕎麦の花。姫様が、真にあげてって」
そうですか、と箸を休めて真は包の中の小さな花に鼻を押し付けた。途端に、ぶほっ! と噎せ返って碗を取り落とし、盛大に中身を足にぶちまけて引きかぶった。
「おわっ!?」
「や、ちょっと嫌だもう、真、何やってんの!?」
「いや、珊が臭いと言っていたので、どんなものかと試してみたくなって、つい……」
面目ないです、と頭をかきつつ小さくなっている。ぷっ、と吹き出しながら、馬鹿だねえ、と珊が笑う。ですね、と真も一緒になって笑いながら、濡れた足を振っている。
「凄いですね、こんな小さな花から、あんなにも蜂蜜がとるのですから」
「それ言うなら、こんなくっさい花が、でしょ?」
それは言わないで下さい、と真が苦笑する。
実際に、可憐な花の割になんと言うべきか、そう発酵肥料のような、なかなか凄みのある、臭気に近い臭いがするのだ。
ちょっとこれ、反則な臭さだよねぇ、と笑う珊に、真は激しく頷き返す。二人で笑い合いながら、薄皮の上に蜂蜜を垂らしてかじり合った。
「ねえ、真」
「はい、何ですか?」
「お母さん、元気だよ?」
そうですか、と遠慮がちに真が答えた。
顔を見るなり捕まえて問い質すように安否を確かめたかったが、琢も母親を亡くしているし、珊に至っては孤児だ。とても口には出来ないかった。そんな真の気遣いを、からからと珊は笑い飛ばす。
「嫌だよぅ、真。聞いてあげなくちゃ、お母さんと赤ちゃんに悪いよ?」
「はい……どうですか、母は?」
「うん、祭国に来てから那谷の作るお薬が効いたのかな? 凄く元気になってさ、あたいたちが祭国でる頃には、いつ生まれても大丈夫・って、那谷も太鼓判押してた。きっと今頃、元気な赤ちゃん生まれてるよ。それからね、真」
「はい?」
「お母さんがね、言った事、忘れちゃ駄目だってさ」
そうですか、と鼻を鳴らしながら真が返事をする。
一転、表情を引き締めて大事そうに、薔姫からの贈り物を懐に仕舞う真を、じ・と見詰めてから、珊は思い切って口を開いた。
「姫様にさぁ、何か言っておいてあげたい事ってさ、ある?」
「え?」
「ちゃんと伝えるからさ、ね、言ってよ?」
真は懐に手を入れたまま、暫く押し黙り――にっこり笑った。
「それでは、珊」
「うん、何?」
「お蕎麦、美味しかったです、有難うございます、と」
「うんうん」
「でも、帰ったら、姫の握飯がたら腹食べたいです、と伝えて頂けますか?」
もう、と珊は吹き出しつつ、呆れた。
此処、句国の米は、禍国や祭国のものとは品種が違う。余程、祭国の白飯が恋しいらしい。
「それと」
「それと、何?」
「珊のゆで卵も、是非」
「うん、任せておいてよ!」
ぱん! と飛び上がりつつ手を打つ珊に、あ、ちょっと待って下さい、と真は手を振った。
「で、後、最後にもう一言」
「ふえ?」
「笑顔でいて下さい」
え? と珊は大きな瞳をくりくりとさせた。
宜しくお願いします、と珊の肩をぽん、と軽くたたくと、真は戰の元へと去っていった。
戰の傍には、珊の見知らぬ身成のよい男が二人、何やら話があると歩み寄ってきたところだった。
★★★
一夜明け、快晴となった、6月の末。
禍国軍は、句国の王都を出立していった。
その総数は、5万6千余。
総大将は、二人。
一人は、禍国皇子・戰。
そして、句国王子・玖。




