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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
四ノ戦 戦禍繚乱

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10 篭絡

10 篭絡



 禍国軍は王都を攻め落としたとはいえ、王城の城壁の外に出て天幕を張って過ごしている。

 略奪行為及び暴行などの蛮行は、一切ない。

 実に規律のとれた軍だと玖は空恐ろしくなる。

 それを命じて実行に移させているのは、皇子・戰と、傍らに添っている真とかいう目付役だとかなんとか、ひょろひょろとした印象の従者だ。

 きゅうは背後にきょうを従えて、征服者である禍国軍の主従を睨み付けていた。


 あの晩。

 以後、玖に対して『王子』に付いてのそれ以上の言及はしなかった。

 かわって、この真とかいう青年は、自分が自由に動けるようにして欲しい、と願い出た。

「真が、この句国から学びたい事があると言うのだが、良いだろうか?」

 皇子・戰が口添えるが、良いも悪いも、禍国はこの句国を征服したのだ。

 此方に一体何をどう、拒む権利があるというのか。

 呆れ顔を何とか飲み込みつつ了承すると、何と、「有難う、玖殿」と皇子・戰は屈託なく笑う。その笑みは心底嬉しげであり、裏があるのかないのか、全く掴めない。従う青年も、嬉しそうだ。

「では、早速明日から、好きにさせて頂きます」

 こうして翌日から、この青年は本当に好き勝手に動き出した。



 ★★★



 しかし、この真とかいう青年、基本、何を考えているのかさっぱり分からない。

 畑に出て農作物を確かめたり、馬用の牧草地を這いずって舐め回すように調べたり、田に出て田植えの様子を見て驚いたりと、此方が想像もしないような事に首を突っ込んでは、誰彼構わず質問攻めにしている。しかしなかなか自分の思うような答えが得られない為か、記録保管用の書庫に入り浸り、とうとう其処に机や行灯などといった用具のみならず、寝具まで持ち込んで、文字通り『住み憑いて』しまった。

 何を探ろうというのか。

 薄気味が悪くてならない。



 王都が陥落して日を置かず、句国では田植えの週を迎えたのであるが、何と、禍国の皇子・戰と真とかいう青年は、それを許した。

 通常では考えられない。

 先の祭国の戦で、刈り取った稲を全て国に返してやったそうだが、あの時とは状況が違う。まだ、本陣である父王の軍は生きているのだ。此処で田植えをさせなければ、確実に、句国は餓える。そして、禍国に米を無心せねばならなくなり、従順な下僕としての道を歩ませる事が出来るのだ。

「そんな事をしても、私には何の得にもなりはしない。寧ろ、田仕事を教えて貰った方が余程の得だ」

 笑う皇子に、青年も深く頷く。

 何がしたいのか。

 不気味で仕方がない。


 さて、実際に田植えが始まると、握飯の弁当片手に、なんと徒歩であちこちに向かう。

「此れが田植えですか、なる程、確かに手間ではありますが、確実ですね」

 苗場となった田に入り、態々伸びた稲の長さを調べ、植えられた苗と苗の間隔を測り、更に何本ずつ苗をよりとっているのか、植え込みの深さは、田おこしの具合は、水の張り具合は、と呆れるほどに悉に細かに調べ、嬉しそうに木簡に何やら認めている。どうやら、禍国や祭国では未だに直播きの稲作を行っていると知り、玖の方が驚いたのであるが、この真という青年は泥に汚れるのも構わずに、実に楽しそうに田畑を巡り歩く。

 馬を、と勧めても、「ああ、馬というのは怖くて苦手なのです。勝手に乗らないだけですので、どうぞお構いなく」と手をひらひらされた。

 馬が怖いとは、本当に武人として仕える者なのか?

 呆れて言葉が紡げない。

 全く得体が知れない。



 夕刻に皇子の元に戻ると、いちいち全てを話して聞かせる。玖としては仰天する事に、この戰という皇子も真とかいう青年の話に興味を持つと、翌日共に田畑に向かうのだ。

 残された軍備やら兵力やらを調べる事は、他人任せにして、皇子とその従者は農民と紛れて泥まみれになって、てくてくと畝を歩いている。時折、泥の塊に足を取られて、田の泥濘ぬかるみにどぼんと脚をつからせてしまい、二人して農民たちの笑いを誘っている。ぼりぼりと頭をかきつつ、踏ん張りが下手な為に腕を取って引っ張って貰い、平謝りしている。

 笑いの中で農民たちに直接、しかも皇子までもがあれこれと質問攻めにし、意気投合までしている。こんな姿の彼らを国の民は、よもや禍国軍の総大将とその一番の従者にして目付などとは、思うまい。

 何を企んでいるのか。

 さっぱり分からず、更に不気味さは弥増す。

 玖と姜はこの頃になると、寄ると触ると禍国の主従の正体を暴こうとこそこそ後を付いて歩いては、ああでもないこうでもないと話し合っていた。



 しかし、ある時、真という青年が投石機を全て見せて欲しいと言って来た。

 とうとう来たか、ときゅうきょうは身構える。敗戦国が、武器を取り上げられたり、あるいは巨大兵器を破壊されたりするのは当然の処置だ。

 だが今更、隠しだても出来ない。

 玖ときょうが渋々案内すると、それらを手にした木簡と見比べつつ、調べるだけ調べる。そして、徐ろに、大工を呼んでくれと言った。何故、そこで大工が出てくるのかと訝しみながらも、断ることが出来ない玖は宮大工を呼び出した。

「いえ、普通の大工の方を数人お貸し願えれば、良いのですが」

 すると顔を顰めつつ、髪を伸びてきた前髪をくしゃくしゃとかき上げながら、真とかいう青年は言う。


 大工が集うと、投石機を前にてきぱきと小気味よく指示をだした。投石機を戦車の荷台に乗せて、比較的勾配のある坂の大水路に向かうと、青年は大工たちに指示通りに、と命じた。すると、投石機はあっという間に解体された。

「一度、試してみたかったのです。丁度、条件が良いですし」

 取り上げた武器を解体して、何をどう試すと言うのか。

 大工と何やら真剣に話し込む皇子と青年の企んでいる内容が、知りたくて堪らない。

 玖と姜も、いつの間にか作業場に姿を見せるようになっていた。



 数日後。

 突貫ではあるが水路を跨ぐように小屋が三棟連続して建てられ、解体された投石機が少々形を変えて中に据え付けられた。

 てこ(・・)の原理を利用した、極一般的な投石機は、石を置く窪みに落差で流れ落ちる水を受け取り、貯まると下がるように工夫され、設置されたのだ。

 すると、持ち上がった先にくくられた巨大な杵が持ち上がる。

 窪みの水が一気に溢れ落ちると、杵は落下し、その先に待ち構える臼をつく。

 こうして、水力の簡易踏臼が完成した。

 一つ目で籾摺りを行い、二つ目で精米を行い、三つ目で小麦の場合は製粉させるという仕組みだ。

 5万の兵士、と言えば5万の働き盛りの男たちが兵士として取られ、人的活力が失われているという証拠だ。今、句国は男手に、盛りの働き手に飢えている。此れがあれば、確かに残された者は確実に楽になる。


 戰も、腕組みをしながら面白そうに、水力踏臼の動きに見入っている。

「人力の踏臼と比べてどうだい?」

「とても及第点とは言えませんね。力が入り過ぎます。麦は製粉するので良いですが、米は割れてしまいます。しかし、これは疲れたと文句は言いませんから」

 加減がまだ難しいのです、と嘆息しつつ答える真に、戰が笑う。

「なに、元は投石機だったのだ。最初から上手くはいかない。これでも上出来だよ、真」

「……だとよろしいのですが。たくがいてくれたら、少しは違うのでしょうが、今は此れで我慢して頂くしかないでしょう」

「しかし、灌漑の為の用水を利用しているのだろう? これからの時期は水利で揉めないか?」

「そこです。流石にまだ読めませんので。まあいざ邪魔となったら、撤去して下さって構いません、と伝えてありますから」

「使い続けるにしても、水利権の所在ははっきりしておかないと、後々禍根を残す。禍国でもそれで一揆が何度か起きているからね」

「新たな整備が必要となります、宜しくお願い致します、玖殿下」

「わかりました。姜、判官たちを至急集めよ」

「御意に御座います、殿下」



 ……いつの間にか。

 この、風変わりも極まる禍国の主従と、玖と姜は、行動を共にするようになっていた。



 ★★★



 句国王・番が率いる句国軍が、遂に契国より反転したとの報が戰の元に届いた。

「禍国、そして剛国が動きを見せてくれるまで一ヶ月。契国も良くもってくれました」

 伝える真の言葉に龍笛を奏でながら耳を傾けていた戰だったが、真が唇を閉ざすと同時に自らも笛の音をとめた。

「そうだね。ところで、真」

「はい」

「兄上は、どちらが出て来る?」

「天殿下のようです」

「動きはどうだい?」

ときの放った草の連絡によれば、順調のようです。『代帝・安に認められし皇子・戰』をより劇的に救い出して見栄えがするように、とお考えなのでしょう」

 真の辛辣な口調に、戰が肩を揺らして、相変わらずきつい言い方だね、と笑う。

「兄上は、何時くらいに目的地に到達すると思う?」

「通常で考えて7月の頭過ぎあたり、でしょうか? 6月の終りには、此処を出立致しませんと」

「6月の終り頃……というと」

「はい?」

「真の弟か妹が生まれる頃、だね?」

「はい、有難うございます」

「よい子だといいな、真」

「はい、絶対に何があっても必ず母上に似て産まれてくれるようにと、此処から毎日、真心を込め一心に宙天におわす天帝に念を送っておりますので、恐らくは大丈夫でしょう」

「……呪いに近いね」

苦笑する戰の傍らに真が歩み寄ると、再び戰は龍笛を唇にのせた。哀愁のある音色が、夜空を彩る星々の輝きを誘う。


 その二人に、ずっと見入る者も、また二人連れであった。

 きょうを従えた、句国王子・きゅうである。



 不思議な皇子だ。

 きゅうは思わずにはいられない。

 夜になると、この皇子・戰は龍笛を手に楼閣に登る。そして、天上の星に向かって寛雅かんがにして典麗なる音色を惜しげもなく披露した。

 禍国軍に負傷兵はあれど、死者はない。

 これはつまり、命を散らした句国の兵士に贈るものなのだ。

 当初、詭弁や欺瞞といった言葉が、怒りと共に玖の身の内を席捲した。しかし、真摯な態度で笛を手にする様子は、何の裏も作為も感じられない。ただひたすらに、風が強き日も雨が降る日も、休まず笛を奏で続けている。

 衷情ちゅうじょうを込められた音を生み出す龍笛の主人あるじは、今や、玖だけでなく句国の王城に住まう者全ての心を奪っている。



 禍国皇子・戰が、真とかいう目付を伴って征服者として王城に入ってより、1ヶ月が経とうとしている。

 この間に二人が行った事といえば、それは征服者としてでも侵略者としての行いなどではなかった。

 畝を歩いて作物を調べ、泥に塗れて田植えを学び、そこで人手が足りぬと悟れば水路に水力の踏臼を設置する。


 こんな征服者がいるものか。

 征服者とは、奪うものだ。全てを、欲するがままに手に入れる者だ。

 だが、この二人は奪い取るどころか、与えてばかりだ。


 知らなかったが、一部では禍国軍の兵士に、麦の刈り入れや田の代掻きや田植えを手伝わせていたのだという。それでなくとも、田植えを許す事自体が、信じられぬというのに。

 このような姿をとる王や王子を、玖は知らない。

 見た事も聞いた事も、学んだ事もない――

 と言うよりも、己が師事した師匠の誰も、教えてはくれなかった。

 当然だ。これは、為政者としてのそれでもない。


 1ヶ月。

 その間に訪れた心境の変化を、どのように処理すれば良いのか、玖には分からない。あろう事かこの二人は僅かなこの期間に、徐々に徐々に、しかし確実に、自分の心を引き寄せ、いや侵略してくるのだ。

 玖は、自分の内に溜まりつつある、もやもやした気持ちを追い払おうと、強くかぶりを振った。

 考えられない事だ。いや違う、考えてはならない。

 降伏し、初めて顔を合わせた折に、真という青年に言われた言葉が、鎌首をもたげていたのだ。玖の心の内に、徐々に徐々に、音を高くしつつ、反響し続けているのだ。



 ――目を逸らされますな、王子・玖殿下。



 何から目を逸らしてはならないと言うのか。

 いや。

 今、私は、何者として、何を見ていたいのか。

 緩やかになりつつある初夏の夜気に舞う、叙情感煽れる笛の音はまた、玖の心に染み入り離さない。まるで、激しく揺れる心を慰めつつも、誘うかのように。




 ★★★



 翌日。

 今や真の私室と化した書庫に、玖は呼び出された。姜を伴って訪れるを告げさせると、「どうぞ」とどこか眠そうな、のんびりとした、既に『ぬし』と化した青年の声が返ってきた。

 自分で呼び出しておきながら、と呆れつつ入室し、ぎょっとなった。

 この書庫の存在は知っていたが、この1ヶ月の間に、やたらと書簡が増えている。彼自身の書付が殆どであるが、それにしても凄まじい。此処で寝泊りまでしているのだと聞き及んでいるが、寝ている間に地震が起きて木簡の雪崩でも起きた日には、埋没して発見できまい。

 当の本人は、くしゃくしゃとうなじあたりの後れ毛をかきあげつつ、書簡から視線をあげたところだった。彼の向こうでは皇子・戰も何やら書簡に目を通していたが、玖の姿に爽やかな笑顔を向けてきた。そして、丁寧に膝を揃えて座り直した。


「何か、御用でしょうか」

 玖も、礼を崩さず膝を揃える。

 当初の頃からすれば随分と身構える事はなくなったが、それでも、国を預かっている王子――正確には王子ではないが――として、警戒心を解くことはない。

 そんな玖に、真が、膝を使って身体ごと一歩分、ずい・と間を詰めてきた。


「ご存知であられられましょうが、お父上であられる句国王・番陛下が、契国攻略より一気反転を行い、此方に攻めてまいります」

「そのようだな」

「我々は、禍国代帝・安陛下より、句国軍と句国王の征討を命じられております」

「……」

「故に我が禍国軍も、全軍をもって迎え討ちます」

「負けるぞ」

 思わず、句国の王子としての口調がでた。しまった、と焦るがもう遅い。しかし、戰も真も、僅かに視線を交わし頼みで、何も先程の言葉について言及しない。ほっと安堵しつつも、何に安心してるのか、と玖は自問する。


 そう。

 父王・番が率いた軍は、5万以上。

 皇子・戰が率いている軍は3万6千余。


 この句国本土を守護する為に残された2万の兵では遠く及ばなかったが、逆に、本陣を率いる父王との兵力差は圧倒的だ。

 圧倒的な兵力差に勝るものはないと、1ヶ月前の戦いで、自ら、大いに思い知ったところだ。しかも、父王は契国で未だに負けなしだという。その火勢の如き勢いのまま反転してくるのであれば、到底、かなう訳がない。

 どうやって、勝てるなどという妄想が浮かぶのだ。

 しかし、真はにこりと口の端に笑みを浮かべると、脇に置きっぱなしにしていた己の剣を差し出してきた。

 ぎょっとして、玖は目を向きつつ、真と剣を、探るように交互に見比べる。此れまでも到底、考えつかぬ事ばかりを為出かしている青年であるが、剣など与えては、丸腰になる。斬り殺せと言わんばかりではないか。


「どうぞ」

 しかし、真はにこにこと促してくる。完全に、此方を信頼しきっている。

 皇子・戰も、真の行いを咎めようとはしない。いい加減、この主従の常識外れには慣れたつもりであったが、今日は極まれりといったところだ。

 背後に控えるきょうを振り返ると、彼は受け取らせて下さい、と目配せをしてきた。あの夜、彼らが城に乗り込んできた夜の出来事を、姜とても忘れてはいない。何よりも、武人として、この剣の正体を知りたいという欲求を純粋にそそられる。

 姜に許しを与えて、真から剣を受け取らせる。

 すらり、と鞘から抜き放たれた剣は、室内の淡い行灯の灯火にすら、美しさを誇って光り輝いている。改めて手にし、目の当たりにし、ごくり、と喉仏を深く上下させながら、姜は生唾を飲み込んだ。武人として、この剣の正体を瞬時に見抜いたのだ。


「此れは……まさか!?」

「姜? どうしたというのだ? その剣が、何か特別なものだとでも?」

「おっ……おそ、らく、ま、まがね、これは鉄の剣です」

まがね!?」

 震え声で答える姜に、玖は叫んだ。


 鉄の剣の話は、聞いた事がある。遠く海というものに阻まれた東の最果てにあるようという国が、此れまでは、まるで役立たずであった筈の鉄で、新たな剣を作り出したと。

 それが、この剣なのか!?

 思わず、玖も剣に寄って、まじまじと見入る。

「此度、全兵士、にとは流石にまいりませんが、騎馬の更に主力部隊は、全てこの剣を配します」

 真の言葉に、はっ、と玖がおもてを上げた。戰と真の視線が、待ち構えている。 


「勝ちます」


 真の宣言に、玖は呻いた。



 ★★★



 真の言葉に、玖は呻きつつも、姜から剣を受け取った。改めて、自ら手にする鉄の剣は、青銅製の剣と比べ、余りにも軽い。それでいて、程よい厚みの頑強さと、衝撃を受け止め逃がす靭やかさという、相反する二面性を併せ持つ事は、先の姜の打ち込みを真が受け止めた時に、証明済みだ。

 だが。


「幾ら武装において抜きん出て秀でようと、数には勝てまい」

「勝てる数にしてしまえば、済むだけの話です」


 間髪入れず、真は答える。

 一本芯の通った真の声音に、始めて、玖は背筋に冷水を浴びせられたかのような怖気を覚えた。姜も同じだったらしい。実際に隠しだてもできず、姜ほどの歴戦の武者を、震悚しんしょうせしめている。

 真の声音には、成し遂げるという絶対の意思の強みが、そして疑いもしていない確信が込めれられている。

 それは何を意味するのか。

 そう、玖は知っている。


「御家騒動を抱えているのは、我が禍国のみならず、ここ句国でも同様でしょう」

 ずきり、と音をたてて内心が抉られた。

 痛い処を突かれるとはこの事だ。真の指摘通りだ。待っていれば、勝手に瓦解するのは、寧ろこの句国こそだ。


「玖殿下」

「何だ」

「目を、逸らされますな」


 鉄の刃の如き真の言葉の後ろで、戰が真っ直ぐに此方を見ている。

 反らしたくても反らせない。玖は息を止めて、戰の眼光に耐え抜いた。



 ★★★



 そう、玖は、王位を欲していた。

 このまま、父の望むままに政治を行わせ、弟王子・享がその道をなぞっては何れ遠からぬうちに、この句国は滅ぶ。

 いや、王室が滅んでも仕方がない。愚か者の末路として語り継がれれば良い。


 しかし、それに巻き込まれる民草はどうなるのか? 

 己が優れているなどと自惚れてはいない。

 が、父王・番や弟王子・享が、この国の何を、何程知り得ており、民草の為に何を施さねばならぬのかなどと、考えた事があるのか。

 禍国軍が攻め入ってくるまで、玖は、己の不遇を何時か必ずや晴らしてみせると、心密かに誓っていた。

 だからと言って、無論、父王に楯突こうなどとは思っていない。

 あくまでも、戦うのは弟王子・みちとの王位継承権だ、そう思っていた。

 だが、この1ヶ月、領土を己の脚で歩き己の目で見つめ、己の心で感じて、思い知ったのだ。

 自分がどのように戦わねばならぬのか、を。

 この心変わりを、この一見朴人風の青年に見透かされてしまっていた、いや、予見されていたのだ。

 最初の出会い、あの時にもう。


 しかし。

 例え王族の御位を剥奪されているとはいえ、自分は王子だ。この国を統べる者である父王を裏切る事など、背叛の意を見せ謀反むへん謀叛むほんの徒の首魁になど、なれようはずがない。

 諦めの溜息をつく玖に、戰の両眼が鋭く光る。


「私には、何もできる事はない」

「では、この国に生きる全ての領民の見捨てるというのだな、玖殿は?」

「何ですと?」

「よもや、父上である句国王が、我が禍国を裏切り、蒙国へと擦り寄ったと知らぬとは言わせん」

「それは……」


 ぐうの音も出せず、玖は押し黙る。

 15年前の戦に負けたのは後ろ盾がなかったからだと、父は蒙国に擦り寄った。馬鹿な事だとあれほど止めたが、父王は聞き入れなかった。

 この戦に勝利を得たところで、禍国からは恨みを買い、蒙国からは所詮は同盟主を裏切り、媚を売る程度の国と見なされる。その果てに、禍国と蒙国が手を結び、この句国に攻め入らぬと誰が言い切れるのか? 


「蒙国皇帝・雷が、楼国に致した事を、仮にも王子の身で知らぬ・と?」

「それは……それは」

 玖も、戰の母・麗美人の祖国である楼国がどのような末路をたどったか、無論知っている。蒙国皇帝・雷の怒りを買えば、この句国とて、どうなるか。

「玖殿が心を定めねば、この句国はどうなる?」

 戰が更に玖を責めたてる。

「玖殿が、この句国を滅亡させるのだ」

 流石に、かっと血の気がのぼり、玖は剣の柄に手をかけた。

 だが、その腕を掴んで止める者がいた。無論、姜である。


「殿下、お願いです。ご本心をお明かし下さい」

「姜、離せ!」

「殿下!」

「何だ、姜、事と次第によっては、お前の方から先に……!」

「私は、真殿が羨ましいのです!」


 玖の瞳に動揺が走る。

 そうだ、自分も羨ましかった。

 皇子・戰と真という青年の関係が羨ましかった。


 目を逸らせなくなったのは、視線が追いかけるようになったのは、自分こそが、この句国第一に考えて、動きたいと思ったからだ。

 彼らのようになりたいと、思ったからだ。

 だがその為には、父王・ばんと弟王子・みちと、討ち取らねばならない。


 勝てる数にしてしまえば済むだけの話、と真は言った。

 そう、この自分が一言、加勢すると言えば済むだけの事だ。

 父王と弟を裏切ると、言えばよい。

 禍国軍3万6千余と我が軍の2万弱を足せば、兵力差はほぼ無きに等しくなる。

 そして、あの鉄の剣を帯びた騎馬軍団が、皇子・戰の導きの元に駆け抜ければどうなるか。

 勝敗は目に見えている。


 それにどちらにせよ、情けなくも降伏し、王都を解放させられた自分は、皇子・戰が負ければその足で討たれる。自分だけでなく、従った者は誰ひとりとして許される事はないだろう。もしかしたら、それを楽しみに、父王は今、この地にとって返しているかもしれない。

 皇子・戰と共に戦えばよいのだ。

 いや寧ろ、それしか自分にはもう道は残されてはいない。


 しかし、だが、だからと言って……。

 討てるのか!? 

 戦えるのか!? 

 実の父と弟と、骨肉の争いをしろと!?


「玖殿」

 戰が、静かに口を開いた。

「私も、貴方と同じだ。国元にいれば、半分だけとはいえ血の通った兄弟たちと争わねばならない」


 玖は答えない。

 実情の複雑さと怪奇さと測れば、禍国のそれに勝る国はないだろう。

 皇子・戰。

 彼もまた、骨肉の争いの果て故に、今、この句国にいるのだから。

 自分が句国の頂点を望んでいるように、戰もこの戦に勝たねば、代帝・安から認めてもらえず、皇帝への道程を歩めない。

 実はなりふり構ってなどいられないのは、彼の方であるのだ。


 すると、玖の考えている事を察してか、にこりと戰は微笑んだ。

 穏やかな、それでいて透き通る湧水のように澄んだ笑みだ。


「貴方の考えている事柄と、少し違うな、玖殿」

「は?」

「今、私は祭国郡王として彼の地に赴き、治めている」

 そんな事位は知っている。何を今更……と玖は困惑する。


「だが私は、郡王で終るつもりはない」


 だからそれは、禍国の皇帝になるのだという、明確な意思表示に他ならないではないか。その為に、この句国に攻め入り、そしてこれよりは父王と弟王子を討つ為に、私を反逆者に仕立て上げようとしているのではないか。


「しかし私は、禍国の至尊の冠を与えられるままにとは、望んでいない」


 続く言葉に、姜は掴んでいた玖の腕を緩ませ、玖は掴んでいた剣の柄から手を緩ませる。


「望む至尊の冠は、自ら引き寄せる」


 なんだ……と!?

 今、何と言った?

 郡王で終わるつもりはない?

 しかし、皇位を与えられるまま、譲り受けるつもりもない?

 至尊の冠、皇帝の証であるそれを、自ら引き寄せる?


 ということは、それは、つまり……っ!?


 恐るべき事実を告げられ、玖と姜の主従の間に戦慄が走った。

 息をすることも心の臓を動かすことをも忘れ、ただ、ガタガタと告げられた言葉に震える。


「玖殿」

 戰が静かに、言葉を続ける。

「貴殿の父上である句国王を迎え討つ為に、此れより私たちは準備が整い次第、出立する」

 戰が立ち上がるが、句国の王子と万騎将軍は、完全に固まっている。


「句国王子・玖」

 見下ろす戰の迫力に、射竦められままの二人に、戰がこれが最後と語気を強める。


「目を逸らすな」


「お答えは、出立までお待ち致します」と告げる真の言葉が、玖の耳の奥で、がんがんと鳴り響いていた。



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