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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
四ノ戦 戦禍繚乱

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9 陥落

9 陥落



 春。

 陰陽、即ち星見と月読による占術師により四月吉日が選定されると、折からせつ国王・ほうより救国の要請を受けていた禍国かこくは、祭国郡王にして皇子・戰を総大将として擁し、一軍を率いさせ送り出した。


 騎馬歩兵総数凡そ3万6千。

 万騎将軍3名を抱える軍であるが、内一騎は戰自身だ。祭国を攻めた折に率いた軍が凡そ2万5千、自身を含めた万騎将軍2名であった事を考えれば、その規模の貧弱さが知れようというものである。

 祭国は石高にして100万をやっと越えようかという弱小国家だ。石高で比例すれば、攻め入るに充分に足る兵数だ。

 しかし、此度の戦は違う。国の軍備総数は平素で凡そ7万に近い。万騎将軍は実に6名を揃えており、せつ国遠征には実に5万の軍、4名の万騎将軍を引き連れて、句国王・ばんは攻めている。

 契国自体は本来、句国と遜色のない6万強の兵を揃えられるが、疫病が流行った翌年の為、真面に動けるのは3万5千程。弱った気質のところへもってしての強襲と兵力の差と、一度負け癖が付いたところに禍国へ救援を求めて気を許したのか、いよいよもって負けが入り、既に戦端が開いてより6度も大敗している。


 嘗て、一兵卒も失うことなく祭国を陥落せしめた皇子は、此度は如何にして、この圧倒され尽くした滅亡寸前の契国を救うのか?


 人々の好奇の視線をものともせず、戰は禍国総大将旗を背後に負い、巨躯を誇る愛馬・千段せんだんに跨っていた。



 ★★★



 夜営地にて張られた天幕に、戰と真とが向かい合っている。間に広げられた綿布の地図を互いに覗き込みながら、あの日の事を思い出してい、つい笑みが溢れた。




「さて、真」

「はい、戰様」

「5万対3万5千。どう考えても不利だが、真はどうする?」

 戰が、軽く握った拳を口元にあてて、笑いをかみ殺している。

真も同様だ。それを虚海こがいが、それを舐めるように眺めつつ、瓢箪型の徳利を傾けた。もう一度広げられた綿布の地図は、先ほどと同じものの筈であるのに、まるで異国の仕立て布のように見える。


 王宮からの使者がもたらした、皇太后、いや代帝・安の有難い御言葉が、その場にいた4名を『これはもう笑うしかないだろう』という心境にさせていた。

 

 契国救命の為に句国軍の駆逐撃退軍を率いる戰へ、正式な直宣が下されたのだ。


 即ち。

 精鋭の万騎将軍を二名付ける。軍3万5千余を率いて契国を脅かし我が領土をも犯す句国くこく王・ばんを討て――と。


 このような形での直宣など有り得ないのだが、最早あの(・・)代帝・安相手であれば、なんでも有り(・・)で当たり前だ・と達観できるようになってきているから、不思議だ。

 しかし、たった3万5千、実際には3万6千近くにはなるだろうが、この兵力で5万の句国軍を討て、とは。

「戦を知らへんばばあの考えつきそうな事や。なまじ、先の祭国の戦いで皇子さんと真さんが考えられへん勝ち方してまったせいで、あんたさんらやったら、どんな無茶苦茶云うても勝ってくるやろ思うとるんや。いや、戦ちゅうもんは、行けば勝てるとでも思うとるんやろな。あの糞婆くそばばめ、胸糞のわるなる奴やで」

 吐き捨てるように、虚海こがいは言う。確かに、戰だけでなく、戰の母親である麗美人と皇帝・景の出会いの以前より、禍国は戦で負けなしである。

 戦のなんたるかを知らぬ安が、安直にそう思っても仕方の無き事かもしれないが、こちらとしてはたまったものではない。戦場に連れて行く兵馬数まで勝手に指定されるとは! この勢いでは、万騎将や千騎長まで勝手に任命してくるだろう。その前に、兵部尚書である優に手を回して貰わねばなるまい。


 ふと真は、予てから不安に思っていた事を、まだ鼻息を荒くしている虚海にぶつけてみた。此処で、この不安を潰しておかねば、先々が立ち行かなくなる。

「虚海様」

「何や、真さん」

「虚海様のお話ぶりでは、代帝・安陛下が如何様な為人ひととなりであるか、相当詳しく知っておられるようですので、お伺いしたいのです」

「真さんが聞きたい言うのは、皇后の後ろに誰ぞおらへんか、言う事やろ?」

 虚海の言葉に驚きつつも、真は頷いた。戰も、意外そうな視線を師匠に向ける。嘗て教えを乞うていた頃の虚海は、王宮内の権力闘争などには終ぞ興味を持たせず、戰にはひたすら、知識を蓄えさせたからだ。


「大丈夫や、あれは只の糞婆くそばばや。何や知らんうちに、うまい事最高の権力を握ってまって、その味に酔って浮かれとる阿呆たれや。今はほっとけ。目の前の戦に集中しい。皇子さんを戦に勝たせたる事だけ、考えとき」

「はい」

「真さんこそ、この戦をどう展開してったらええと思うとるんやな?」

「作戦的には、先に考えていた策と変わりないです。と言うより、変えようがなくなりましたね」

 真が、うなじあたりの長い後れ毛をくしゃくしゃとかきあげた。

「予想よりも、動かせる軍が少ないので、其処だけは少し変更と言うよりも、工夫が必要となるでしょうが、逆に相手の意表を付けるかもしれませんし、それに」

「それに、何や?」

「いえ、お相手の方にもよりますが……祭国の、いえ戰様のお味方が出来るのでは、と思いまして」


 戰も、真の言わんとするところが、わかっているのだろう。

 何も言わずにただ微笑んで、地図に視線を落とす。

 その視線の先には、句国の王都の印が縫いつけてある。ちらり、と視線を戻した戰は、じ・と自分を見ていた真が眸の光を穏やかにさせた事で、己の考えが彼と同じ考えだと悟った。

「真はどうするつもりだい?」

「先ずは、句国を討ちます。そして、句国王が反転した処を」

「うん、そうだな。私もそれが良いと思う」

 満足そうに頷く戰に、はい、と答えつつ真は少し不思議に思った。

 思えばこれまで、戰は真に「どうしたらよい?」と尋ね、あれこれと真に案を出させるが、決める時は「それが良し」と即決だ。それはつまり、彼の中ではある程度、真と同じ考えが固まっているという事だ。


 しかし何故、そのような事をするのだろう?

 虚海が言っていた。

 自分の考えている事を、戰が気が付いていない筈がない、と。


 確かに普段は天然ぼけの破壊力により、全身脱力を起こさせてくれる程に抜けていたりもするが、こと・まつりごとに関しては、違う。自分と知識において種類が違うというだけで量において、類を見ぬ知識量と判断力を備えている。

 それなのに、何故だろう? 

 真は、いつか確かめてみたい欲求に、密かに駆られていた。



 話のつまみにと、ときが差し入れた栗の甘煮を頬張りながら、真は地図の上に視線を泳がせる。

とき、鉄製の剣と同時に、青銅製でも構わいませんから、戈も導入したいのです。今から間に合いますか?」

「分かりました、やってみましょう」

「真さん、戈を使うんか?」

「はい。句国はその事情から、未だに最終決戦においては戦車部隊で押す、一気撃破の作戦を採用しています。特に、この契国戦においては、3戦中3戦ともが、それによって勝敗を決しています。剣のみならず、戈も必要となるでしょう」

 真の答えに、虚海は満足気に頷く。

「後はまあ、色々と小細工したいと思っています。時、よろしくお願いします」

「はいはい」

 時が、揉み手をしつつ頷いた。此度の戦の軍備費用は、全て禍国持ちなのは、実に有難い事だ。正直、祭国に投げ打った財は莫大であり、差し引きを考えれば『アシ』が出る分、此処までははっきりと大損である。しかし、此処でそれをひっくり返してやろうではないか。時は、思う様に商品を仕入れまくり、禍国の国庫から金を搾り取り、胸がすくまで儲けにしてやるつもりだった。

 商魂逞しく、既に脳内で儲けの計算をし始めている時の横顔は、実に楽しげだ。


 苦笑いしつつ、戰が真に向き直る。

「真」

「はい、戰様」

「勝てるかい?」

 まるで、近所の悪餓鬼との喧嘩合戦ごっこに勝てるか? と聞いているかのような、戰の口ぶりに、真が微笑む。


「いえ」

「ん?」

「勝てるか? ではありません。勝つ・です、戰様」

 いつにない強気な口調の真に、戰が何処か困ったように眉を下げる。虚海と時が、二人の若者を眺めつつ、独特の笑い声をあげた。




 戰の宮で行われた策の投じあいを思い出しながら、戰と真は笑いあう。


「さて、真」

「はい、戰様」

「勝つぞ」

「はい」


 戰が椅子から立ち上がり、天幕の帳を開く。後に、真が続いた。

 仰ぎ見る満天の星は、春の輝きを放っていた。



  ★★★



「突撃!」

 戰の号令が掛かるや否や、待ちきれぬ思いでいたのだとばかりに、彼が跨る愛馬・千段は鋭く嘶きを発した。蹄の音を高らかに鳴らす。吼える獅子かと見紛う戦意を剥き出しにし、撒き散らしつつ、千段は勇ましく疾駆する。

 千段の戦意は波濤如し、瞬く間に全騎馬に乗り移った。まるで山津波となり、騎馬は駆ける。騎馬に引きずられるかのように、歩兵の密集部隊も勢い付いて続く。


 戰に率いられた禍国軍は、句国の防衛壁に詰める防人兵を一気に破り、句国領土内を侵していく。


 それはまるで、風神雷神をも率いる事を許される、天帝秘蔵の武神そのものような武者ぶりであった。




 その騎馬軍団は突如として現れた。

 其れが何を意味しているのか、王都の守護を父王・番より申し付けれられていた、きゅうには分かった。素早く指示を出し、首都を守るべく王城の全ての城門を閉ざさせると、国防の為に残された二万にも満たぬ貧弱な兵を率いて、侵攻してきた禍国軍の前に立ちはだかるべく、馬を急がせる。


 しかし、全てが遅すぎたのだと、きゅうは悟った。

 遥かにはためく軍旗が示すそれが禍国のものであり、持ち主があの、祭国郡王にして代帝・安の後見を得た、皇子・戰であると告げていたからだ。

 地平の向こうに姿を現したそれは、横一直線に長く伸びている。

 その軍勢が、己が率いる守護軍の倍とは言わずとも、それに近しい兵を有している証の長さ。しかもその主戦力が、騎馬なのだ。


 怒号と罵声が飛び交い、金属音が悲鳴を上げ続ける只中で、玖は天を仰いで喉を喘がせた。


 ――駄目だ、負ける。

 

 とても太刀打ち出来るものではない。

 この句国の王都は、陥落する。

 だから、あれ程言ったのだ。例え禍国の皇帝が身罷ろうとも、その帝国という箱の中には未だに傑物たる人物で溢れかえっている。今、討って出る事はない。いずれ遠からず、皇室内で権力闘争が起きる。自滅するまで静かに待てば、自然と益を得られる、故に焦る事などない・と。

 だが、父王であるばんと、弟王子にして王太子であるみちはせせら笑い、玖を腰抜けの臆病者と罵り倒して出陣していった。

 15年前にもこの国は、禍国の騎馬軍団には徹底的に痛めつけられた。苦敗の果てに、忠誠の証として、軍備における騎馬軍団の保有数を指定されるという屈辱を得ていた。だから今、玖が率いる軍には騎馬が極端に少ない。父王と兄王太子が、契国討伐に向けほぼ全軍を投入してしまったからだ。


 既に戦術的に、戦車による攻撃は古きものとなり、騎馬の時代になっている。しかし、此処に残るは、その戦車部隊すらも僅かときている。15年前の敗戦の悪夢が、今、繰り返されようとしているのだと、玖は諦めの境地に既に没入していた。

 しかし、どのような状況であれ、大将たる者がそのように諦め悟っては、最早、戦は成り立たない。指示を仰ぐ万騎将軍に、玖は力なく笑った。

「あのような大軍を目の前にして、一体、我々に何程の事が成せるというのか?」

「しかし!」

「最早、私には何の策も思いつかぬ」

「そのように気弱になられてはなりませぬ! この私がおります!」

「降伏する。禍国へ使者を送れ」

「ご命令さえ下されば、如何様にもこの身を投げ出します、どうか思い留まりを!」

「駄目だ、許さぬ。きょうよ、さあ早馬を出せ。私は最早一人とて、我が国の兵を失いたくはないのだ」

 きゅうの言葉に、きょうと呼ばれた万騎将軍も、唇を噛んで空を仰ぎ、呻いた。

 確かに、最早、勝敗は決した。

 このまま悪戯に抵抗を続ければ続けるほど、味方の死者の山が高くなるだけだ。姜の唇の端から、赤い筋が、つ……と流れ出た。



 戦意喪失した句国軍は、戰が率いる戦意高揚たる禍国軍の勢いに押されに押される。一草一木の存在すら許さぬと言わぬばかりの禍国の苛烈なる攻撃の前に、句国軍は為すすべもなく陣形を崩し、遂には崩壊した。

 そして等々、禍国軍の前に句国軍からの伝令の早馬が届けられた。

その背に、敗北を受け入れた白旗をはためかせつつ、真っ直ぐ戦場を突き抜けて禍国の本陣を目指す伝令の姿を目にした禍国軍からは、天地を揺らす程の勝鬨の声が上がった。同時に、句国の兵士たちは、がくりと膝を折り地に這いずる。


 二万に満たぬ歩兵中心の句国守護軍に対して、禍国軍は3万6千の騎馬軍団を全面に押し出す形で構成される軍全兵力を、一気に注ぎ込んだのだ。

勝利は、当然の結果であった。


 ――完全なる勝利を得たいのであれば、絶対的な兵力差による圧倒に勝るものなし。


 真が、物心ついて、初めて覚えた事。

 父・優の勝利から、学んだ事だった。



 ★★★



 一歩踏み出す度に、甲冑が勇ましく鳴る。

 城内を歩く姿は、正に威風堂々。

 6尺3寸の大柄な身体に、潔く黒一色の鎧を纏っている。纏う外套が揺らぐ様も、彼の意の高さを示すかのように、華麗に舞っている。

 背後に従うのは、彼の胸ほどの背の高さのひょろりとした印象の青年だ。しかもこの青年、見てくれだけでもとても将軍と思えない風貌であるうえに、なんと鎧を身に纏っていない。流石に腰に剣は帯びているが、歩兵が付ける程度の簡素な胴巻きや篭手や脛当程度だ。

 同盟主国にして征服者となった禍国の皇子に、明らかに予想外の登場の仕方をされ、句国の城内は異様な空気に包まれ始めていた。




 兜を脇に抱えた姿で句国王宮の王の間に現れた戰は、玉座を明け渡す形で礼の姿勢をとり控えるきゅうに、視線を向けた。

きゅうの端整な顔立ちが、青ざめている。年の頃は、自分や真と変わらないだろう。玖の背後で控える万騎将軍が、ぎろりと怨みの篭った顰面しかみづらで睨んできた。

 思わず表情を和らげた戰だったが、それを侮辱と捉えたのか、句国の万騎将軍が鼻息を荒くして腰に帯びた剣に手をかけた。

 そのまま、ズラッ! と鞘から剣を引き抜き、戰に向かって突進する。


「やめよ、きょう!」

 きゅうの悲鳴が上がる。

 巌のような姿をしておりながら女性的な名前をしているのは、何だか父上と似ていますね、と真はのんびりと思った。

 思いつつ、戰の背後から、すすすと前に出る。真も束を握り締め、剣を引き抜いた。きょうのから戰を守るべく、前に立ちはだかる。そして、向かってくる句国の万騎将軍――姜が振り下ろしてくる剣を受け止める形に構えた。その程度の構えで待ち構える位は、真でも出来る。無論、ズブの素人の見よう見まねに毛が生えた程度のものであるが。


 真の構えを見て、姜がにやりと口角を持ち上げた。

 何だ、郡王とやらを名乗る皇子の癖に、警護の武人はあのような武辺の『武』の心得が何たるかを知らぬ素人か。


 ――勝てる。

 このまま剣を振り下ろせば、勝てる!

このひょろひょろとした青年を剣ごと切り捨て、その返り血を浴びたまま禍国皇子・戰に迫り、切先を向け、討つ!


 野獣のような咆吼を喉からあげ、気力を満たして剣を振り下ろしたきょうは、しかし、目の前の光景は信じられなかった。自身が持つ剣が、まるで大根か何かを包丁の刃に落とした時のように、ズッ、と何の抵抗もなく沈んだからだ。

 金属音が跳ね返り、そのまま、姜の剣が真っ二つに割れて飛んだ。鋒が弧を描いてあらぬ方向へと旅立っていく。

火花が散り、己の剣撃の重さと鋭さに、青年の手からこそ剣が吹き飛ぶと思っていた。


 ――何だ、これは!? どうしたら、剣がこのような姿になるのだ!?


 姜は、手元に残された、無様に半分のみの姿となった剣を手に、何が起こったのかますます理解できず、目を剥いて巨体を震わせる。

 はあ、という溜息が姜の耳を打つ。はっとなって慌てて主君であるきゅうを振り返ると、乗り込んできた禍国の総大将にてい皇子の方が、巨躯を小さくさせて畏まっている。


「申し訳ない、何か、私に落ち度があったであろうか? どうも私はこの身体つきから、人に恐れを抱かせてしまうようで……」

 冷や汗をかきそうな勢いで、きゅうに平謝りしている。

「三年前の祭国の時もそうだった。突然、趣向を凝らした宴席を設けられ、機嫌をとられ、相手方の王は話をしようとすると酒で誤魔化し、有耶無耶にしようとしてきた。此度はそのようにされて、話をする間を汚されたくないと思い、互いに従者一人きりを連れての会見をと思ったのだが……」

「戰様、勘違いをなされてはなりません」

「ん?」

「私どもは、ここ句国においては、征服者なのですよ? 緊張も恐れも、ましてや国を乗っ取られた怒りもなしに、平静でおられる筈がないでしょう」

「いやしかし、真……」


 そんな話をしている場合ではありません、と叱る真と呼ばれた青年に、まだ禍国の皇子が物言いたげにしている。

 きゅうきょうの主従は、征服者らしからぬ禍国の主従に、呆気に取られ、ぽかんと口を開いていた。



 ★★★



 王の間から離れ、玖の自室へと場を移した。

 薦められた椅子に深く腰掛ける戰の姿に、茶器を用意し給しに来た宮女の間から、ほぅ……と、艶かしい甘い溜息が漏れた。ぎろりときょうに睨まれて、鼠のように走り去る宮女の背を苦笑いと共に見送りながら、真は戰の隣の位置に腰を下ろす。


 皇族の端くれであれば金箔や銀箔で鎧を整え飾るところであるが、そのようなお飾りの鎧兜などに用はない為、至って実用性のみを追求した結果、戰の鎧はこのようになったのだが、逆にそれが戰の堂々たる体躯をより鮮明に知らしめる事となっている。そして何よりも、武神もかくやと言わぬばかりに、美しい。

 亡き母・麗美人の遠い祖先からの血故にか、戰の髪の色は何処か鼈甲を思わせる艶を含んで明るく、肌は大理石のように乳白色に肌理細やかに整い、瞳の色は碧石が入っているかと思わせる深い輝きがある。

 この句国の王室随一の美男であると、宮女たちに隠れて持て囃され、騒がれていると知っており、多少、美形であるのでは、と自惚れもあったきゅうであったが、戰を目の前にそんな自意識は過剰な自惚れであったと、木っ端の如くに吹き飛んでいく。


「では、改めてお話をお許し願えれば、と思います。句国王子・きゅう殿下」

 真の言葉に、明白あからさまに玖は顔を不快さに顰めた。しかし、背後に控えるきゅうは違う。何処か嬉しげに目を輝かせている。

「私は、王子ではない。言葉を改められよ、従者殿」

 憎々しげに答える玖に、真は微笑んだ。


「しかし、正王妃様よりお産まれになられし殿下が太子どころか、王子でないとなれば、それは可笑しな話です」

 真の言葉に激しく相槌を打つ姜に、玖は舌打ちをしつつ嗜めの視線を投げつけた。

「私は王子でも、ましてや王太子でもない。左昭儀さしょうぎ殿より産まれしみちが、王太子だ」


 句国王・ばんは、玖の母である正王妃・ふみを愛さなかった。変わって愛したのが、15年前の敗戦の後に深く情を交わし始めた、左昭儀さしょうぎみつである。手が付いた当時は、只のに過ぎなかった。しかし、句国王・番の子を懐妊してより以後、一気に彼女の運気は花開いた。の身分からしょうへと格上げとなった。それを皮切りに、内人となり尚宮となり、やがて夫人、貴人、椒房そうぼうと順当に位があがり続け、王子出産と共に、とうとう昭儀しょうぎに任ぜられた。敢えて左昭儀さしょうぎと呼ばれるようになったのは、既に紹儀しょうぎに任命された側室がおり、その寵愛の差を示すが為に『左昭儀さしょうぎ』と知らぬうちに呼ばれるようになり、それが罷り通るようになったのだ。

 正王妃より生まれた玖は、元服を迎える年には既に英明な王子として周囲に期待をかけられていた。しかし、左昭儀さしょうぎの腹より弟王子が誕生すると、父王である番はあろうことか、産養いの七日の祝いの席で弟王子を王太子として据える事を宣したのだ。驚愕した正王妃・ふみが半狂乱になって取消しを訴えると、番は即刻、玖の王族位をも剥奪し、只の一族に連なる卿へと身分を堕としたのである。


 その弟王子・みちは、今、父王・番と共に契国に攻め入っている。

 王太子である弟王子に戦果を上げさせ、兄王子であり正当な王位継承権を持つ自身を押す派閥を押さえ込む為に。

 ただそれだけの為に、父王は、自身が奏上した言葉を振り切り、同盟主国である禍国を裏切って蒙国と手を結び、契国に攻め入った。何という愚かさか。弟王子・享が持つ王位継承権など私は望まぬと、誓詞を奏上すれば良かったのか。

 しかし、それでは嘘をつくことになる。


 玖は居心地が悪くて、堪らなかった。

 このひょろひょろとした印象の、まるで迫力のない真とかいう青年を前に、しかし自身の内面を全て暴かれているような、異様な圧迫感を感じる。誤魔化す為に、即、否定したが、あろうことか姜の方が、禍国の皇子・戰の従者の言葉に深く頷いた。


「全くその通りにござる、従者殿。我が王子・玖殿下より太子に相応しい御方はおられんのです」

 胸を張って、巌で出来た凶器のような顔面を嬉しげに紅潮させている姜は大迫力であるが、どこか可笑しみを誘う。苦笑しつつ、玖が叱る。


「やめよ、お前が出しゃばる処ではない、控えよ、姜」

「しかし、殿下」

「殿下ではない」

「王子・玖殿下」

「王子ではない」


 禍国の皇子の背後から、真とかいう青年の鋭い言葉が飛んだ。思わず、同じ口調で言い返して、はっとなる。皇子・戰が、静かに、だが全ての心の動きを逃さぬと言いたげに、じっと玖の視線を探っていたのだ。


 思わず、玖が視線を外すと、再び真とかいう青年の言葉の刃が飛ぶ。



「目を逸らされますな、王子・玖殿下」


 真の言葉に、玖が黒曜石の破片ような鋭い視線を、投げつけた。



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