6 居士(こじ)・虚海(こがい)
6 居士・虚海
此度、禍国に向かうのは、戰と真、そして時だけであるが、既に真の密命を帯びた時は禍国に入っている。
喪中は、例え皇族であろうとも、最低限の共しか連れて行くことはできない。
その為に2週間近くの間、戰と真、主従二人きりの道程とあいなった。思えば、三年以上に及ぶ主従関係の中で、純粋に二人きりで此処まで長く行動するのは、初めての事だ。
殊更にゆっくりとした旅となったのは、戰も真も、この二人きりの時間を楽しみたいという思いがあったからだった。それに要所要所で、時が配した草と呼ばれる裏社会との繋がり役との話し合いの時間を、設けねばならない。
あとは、現実問題として真の馬術が全く心許ない為、でもある。と言うよりも此れこそが、真の理由と言えるかもしれなかった。
明日はいよいよ禍国の領土に入るという地では、とうとう宿に着くなり、真は布団を求めて倒れこんだ。途端に、あっという間もなく、眠りに転げ落ちていっている。着替えどころか足湯も取らないで、ぼすっ! と勢いよく突っ伏した途端に、くうくう寝息をたて始めた真に、戰が呆れた声をあげる。
「真、本当に、あの豪勇でならした兵部尚書の息子かい?」
「はい……一応……そのようです……が、戰様」
「何だい?」
「どうも……私の身体の中に、流れる血……の、9割9部9厘以上……は、か弱くも麗しい母のもの……らしい……です、よ」
「よく、三日かからずに祭国まで行けたものだね、あれは本当に真だったのかい?」
「さあ……どうで、しょうか……? 奇跡的に……悪鬼にとり憑かれてでもして……摩訶不思議の力が湧いて……いたのかも……しれ、な、い……で……す…………」
しかも眠りにつきながら、会話を成り立たせている。
戰がますますもって呆れていると、連絡継役の草ではなく、時本人が姿を現した。戰は真の背中を揺さぶって、眠りの淵から呼び覚まそうとするが、一向に目覚める気配を見せない。
嘆息する戰の後ろから、時が渋い声で真に声をかけてきた。
「真様、お探しのお人の目星がつきましたぞ」
その一言で、がば! と真は飛び起きた。
「本当ですか?」
「はい、後はお話をどうもっていくか、ですが……なあ」
「どうしましたか? 何か、何時もの時らしくありませんね?」
珍しく歯切れ悪く答えつつ、時は器に熱い湯を注いでいく。懐から取り出した干棗を茶托に添えて、戰と真に差し出した。時は早速、口の中に棗を一つ放り込んで、頬の横で転がしながら、やれやれと腰を叩いてみせた。
「真、誰を探しているんだい?」
「戰様の、お師匠様であられた居士様ですよ」
真の言葉に、戰は複雑な表情を浮かべる。
師と仰いだ人物に会えるのは純粋に嬉しいが、さりとて、どの様な顔で会えば良いのか分からない――と物語る顔色だ。訝しむ真の横をすり抜けて、戰が時に切り出す。
「時、どうやって、居所が知れたのだ?」
「はい、皇子様。実はですな、先頃お味方になられた薬師殿の薬房に、おられたのですわ」
つるり、と皺にまみれた顔を一撫でする時の言葉に、流石に真も目を丸くする。
「またそんな、都合の良すぎるうまい話がそうそう転がっているわけが……」
呆れ声で呟きかけて、真ははっとした。
そう言えば、那谷が持ち合わせているという本は、戰に感化されて揃えた物が中心だった。自分の蔵書量は他に比べるものはないと自負している。同じようものがあってもおかしくはないが、戰と同じと言うのはおかしくはないか?
もしかせずとも、明らかな故意によるものか?
何よりも、那谷は言っていたではないか。
薬房にいた師匠の内の一人が、祭国行きを後押ししてくれたのだ――と。
戰も、真と同じ考えに到達したらしい。二人して、顔を見合わせる。
そうなると、真としてはどうしても、確かめねばならない。
「戰様」
「何だい、真」
「その、居士様とは何時如何なる理由で、師弟関係を解かれたのですか?」
真の問いに、戰は目を伏せた。
珍しく、悩み・悔いている表情を浮かべる戰に、真は時に視線を走らせる。これまた珍しく目を合わせようとせずに、明白に視線を泳がせる時に、何事かがあったのだと思わざるを得ない。
「私が慕っていた師匠の居士は、『虚海』という方でね」
「え?」
「十年前の河国との戦の折に、放逐された」
時の頬内で、所在無げにころころと転がっていた棗の動きが止まる。ぴたりととまった棗の動きに、真は戰の言葉が間違いではないことを悟る。
放逐――
皇子の師匠とまで仰がれた人物が、一体どのような罪を犯したというのか?
★★★
居士・虚海。
戰の話では、彼が一番、影響を受けた人物、真の師匠だという。
例の『備忘録』などの蔵書を薦めたのが、この虚海だ。居士、を名乗るくらいであるから、長らく、一箭の距離を己の世界とするをよしとして、独自の我が道行く無士官の徒であった。
それが如何なる伝手を頼ってかであるのかは、今はようとして知りえぬが、戰の師のうちの一人として請われ、王宮に上がる事となったのである。
皇子につく師は、一人で有り得ない。
帝王学を頂点として、宮廷作法論、論術、剣闘術、戦術戦略論などを一人で網羅出来るわけがないからだ。その中で、虚海が教えたのは、論術であった。要は、会話力を養う、内政・外交・戦争時における知略を得る為の師の一人である。
虚海の教えがどのようなものであったのかは、今の戰を見ていれば分かる。
考え尽くし、曇り偽りなく真実を見、そして己の至らず足らぬ欠点を理解し、補う使徒を乞う――
導き手としては、確かに最高峰と言える師匠だ。だが宮廷内の政治の黒さと臭さにおいて、考えなしで警戒しなさすぎた。
十年前に起こった、那国と河国との戦いの折、皇帝・景は皇子たちを集め、「もしも那国に加勢して河国と戦えば、如何様に戦は展開するか」と、尋ねた。皇太子・天や兄皇子・乱を筆頭に、全ての皇子が「皇帝陛下の御威光強し、河国何ほどの事がありましょう。我が国大勝利を収める事必定に御座います」と恭しく申し上げ奉ったのに対して、当時十一歳であった戰は、すらりとこう奏上した。
「我が禍国と河国は、兵力においてほぼ互角に御座います。しかしながら、遠く河国にまで遠征せねばならぬ不利を我が国は抱えております。また、我が国と違い、河国の剣は頑強です。兵の数ではどうであれ、武器の能力の差が勝敗を左右するでしょう。加えて、皇帝陛下は、遠く蒙国にて即位したばかりの皇帝を同時に討たんとされておられます。兵を二分しては、そのどちらにも勝つことは叶わないと思われます」
まだ少年の身である戰の言葉に、皇帝・景は顔を赤黒くして聞き入っていた。
そして息子の言葉が終るや否や、師匠であった虚海を王宮から放逐したのである。
虚海は、名が示す通り河国の出であった。故に、禍国が不利であると不吉な言を戰に与えたのだと、皇帝・景の怒りを買ったのだ。深く罰せられ、虚海は放逐された。
以後、完全に雲隠れの状態のまま、十年が過ぎ去った。
「実はね、三年前の祭国との戦の折に、何としても虚海師を探し出して、呼び戻そうとしたんだよ」
「……何故、なさらなかったのですか?」
戰が、嘗ての師匠を呼び戻そうとしていた。
その事実に、真の胸の奥がちくりと痛んだ。どうにも説明のつかないざわめきに、真は途惑いつつも平静を装う。
「出来ると思うかい?」
「え?」
「父上は我が師に、腐刑を与えていたのだよ」
戰の言葉に真は、ごくり・と生唾を飲み込まずにはいられなかった。
★★★
腐刑とは、刑罰として羅刹となさしめる事を言う。
つまりは、男性器を落とす事だ。
しかし羅刹となるには、それ専門の医師と薬師がついて手当を受けるが、腐刑は違う。性器を紐で縛り上げて、腐り落ちるまで放置するのである。それだけではない。全身の皮膚が裂け肉が削げ落ちるまで、鞭打たれるのだ。大抵の者は、途中で死ぬ。仮に運良く生き延びる事が出来たとしても、宮刑により羅刹となった恥を、一生背負って生きていかねばならない。
真が睨むように時に視線を走らせると、紙縒りを作るように髭を弄っていた時も、顰のような渋面になっている。明るい時が、何時になく歯切れが悪く暗い表情であったのが理解できた。これでは、梟のように笑ってなどいられないだろう。
「三年前、総大将を父上から命じられた折にね、虚海師匠を呼び戻したかった。これは良い機会だと思ったんだ。師匠の汚名を濯ぐ事が出来る、とね。しかし、放逐された際に行われた刑を知って……」
言葉を濁して飲み込む戰に、こんな時、椿姫様が傍に居て下さったなら、と真は思った。とても見ていられない。
だが、彼女がいない今、自分が戰の意気を励ますしかない。
「お気持ちは、分かります。しかし、戰様」
「……何だい、真」
「お師匠様であらせられた居士・虚海様は、戰様が気に病む事を望んではいない、と私は思います」
「うん?」
「禍国の皇室に連なる戰様の師匠になったが故に、腐刑に処せられたのだと、厭悪唾棄されておられるのであれば、放逐されて直ぐ、那谷殿を育てようなどとは思われないでしょう」
「真、しかし……」
戰が、目を伏せる。
だが真は、勢いをつけて一気に熱く捲し立てた。
「十年です。十年も、息を潜めて仕組んでこられたのです。ご自身が戰様のお側に仕える事が叶わぬとあらば、ならば何れ戰様の懐に入り、お身内として役立つ臣を育てようと、此れまでの十年を過ごして来られたのです」
宮刑の中でも最も重い腐刑に処せられた身の上では、もしも戰がこの先、出世して呼び戻そうとしたとしても、王宮には上がる事はできない。
しかし戰と自身が、見えぬ糸で引き寄せられて師弟の縁を結べた不思議があるのだ。ならば、戰と那谷とも同じく糸が手繰り寄せられ、主従の関係を築けるかもしれない――
「全ては、何れ到来するであろう戰様の御代の為に。その思いだけで、那谷殿を育てさせたのです」
そして、師匠の怨念にも近い願いは、天帝に届いた。
戰は祭国の郡王となり、那谷は彼が支配する国元に馳せ参じると、決心したのだ。
「居士・虚海様のお心は、未だ、戰様のお師匠様のままであると、私は思います」
真の言葉に、時が、ほっほっほ、と梟のように笑いながら力強く頷いた。
★★★
漸く、遅い夕餉の時間となった。
思えば、実に久しぶりに、この三人きりだ。
祭国での戦の後、真が薔姫を娶って以後、彼が潜む書庫で何度語り、笑いあった事だろう。
「しかし、真」
「はい、何でしょうか?」
熱い大根の汁物と格闘しかかっていた真が、湯気の中で顔をあげた。
「その……」
「何でしょう?」
「我が師の心を、何故、真は読み取る事が出来たんだい?」
碗を手にしたまま、一瞬動きを止めた真であったが、ぷっ、と小さく吹き出した。戰は明らかに面白くないと全身で拗ね、ぶすったれている。膳に碗を戻しつつ、真は笑いを必死で堪えた。
真には分かる。
自分が、もしも虚海のように戰の師匠となったならば。
そして同じように、腐刑に処せられる屈辱を受けたとしても。
己に代わる人物を育て上げようとするだろう。
戰の為だけではない。
何よりも――自分の為に。
「さあ、何故でしょうか?」
意地悪く答えつつ、真は、心の内が暗く濁るのを抑えられない。
戰と那谷は、同じ師匠に師事した兄弟弟子になる。出会って直ぐに、意気投合したのは、その師匠の導き手があったのかと思うと、その和に選ばれなかった自分の身が痛ましく、哀れに思えるのだ。厚かましい慮外者だと思いつつも、この気持ちはとめられない。
自嘲気味に唇の端に笑みを浮かべると、更に戰がむっとした声をあげる。
「狡いな」
「え?」
「このところ、真ばかりが新しい仲間と出会い、自分の世界を広げている。私は置いていかれっぱなしだ、まるで」
「は?」
「その、つまり私よりも、那谷や琢たちと居た方が面白いと、真が思っているようで……その」
「はい」
「つらないというか、気に入らないというか……何と言おうか、その、寂しいというか……」
真は、戰に何を言われているのか、一瞬理解できなかった。
次の瞬間、弾けたように笑い出す。
「こ、こら、真、私は真面目に話しているんだぞ?」
「はいはい、充分に、分かっておりますよ、戰様」
「分かっていないだろう、その言い方は」
いじけた声をあげる戰に、ますます笑えてくる。
しかし、真は笑いに紛れながら、涙を必死で堪えていた。
自分が、戰と居士・虚海と那谷との一本の繋がりに言い様のない疎外感を持ってしまったように、戰もまた、自分が見つけ出してきた仲間との縁に、嫉妬を抱いてくれていたのだ。
「仕方がありません。こればかりは、実践に生きる人の特性を知らねば、私も彼らを戰様に紹介して差し上げられませんから」
「うん……それは、そうだが」
まだ、もやもやした表情で顔を口をへの字に曲げている戰に、時も笑い出す。時と肩と額を寄せ合って誂いつつ笑い転げあうと、戰は今度は眉を下げてきた。
それがますます可笑しく笑っていると、戰もとうとう笑いだす。
笑い合いながら、戰が自分と同じように思ってくれていた幸せを噛みしめる。
――有難うございます、戰様。
真は、顔で笑い、心の中で泣いた。
★★★
とうとう、禍国の王都に入る。
巨大な城門を見上げると、祭国との差をまざまざと思い知らされる。
だが、いずれ。
そう、いずれこの禍国に匹敵するまでに、祭国を育て上げるのだ。
戰と真は言葉なく、城門をくぐり抜けた。
そのまま二人は、那谷が勤めていたという薬房、即ち戰の師匠である居士・虚海の住居に赴いた。
玄関で声をかけると、時が手配しておいてくれた為、取り次いだ下男は気持ちよく迎え入れてくれた。三和土にて足湯を貰い、泥を落としてから廊下に上がる。長い廊下を渡り、一番奥まった位置にひっそりと沈む部屋に、案内された。心得ていえる下男は、何も言わずに下がっていく。
見送ってから、真が声をかけるように、促す視線を巡らせた。しかし戰は此処に至ってもまだ、躊躇し、迷いに目を伏せている。
「戰様」
「済まない、真、やはり私は入れないよ」
立派ななりをしながら、身体を小さくして身を揉むようにしている戰は、はっきりと情けない。短く嘆息すると真は了承の頷きをし、戰に代わって戸口に立った。
「虚海様は、いらっしゃいますか?」
「おう、おるで。用があるんやったら、勝手に入りいな」
では、失礼致します、と真は重い引き戸を引いた。
「誰や、と言いたい所やが、こないだ来た爺さんが言うとった奴やな」
「はい」
こないだ来た爺さん、とは時を指すのであろうが、御自身もご老体の年齢でしょう、と真は呆れた。
眼前の男は、肘を付いて頭を支えながら、背中を向けて横になっている。白髪な上に薄毛で、しかも木乃伊のように痩せ細っている。枯れ木と見紛う矮躯の男が、戰の師匠である虚海――その人であるらしい。
不意に、ごろりと寝返りをうった男が、上体を僅かに起こした。手にしている瓢箪をくり抜いて作られた徳利に、直に口をつけて顎を上げる。喉仏が数回、上下して、中身を飲み下しているのを伝えている。
ぷはっ、と酒精に塗れた息を、豪快に吐き出す。口元に涎のように溢れた中身を、垢じみた袖口でぐい、と拭いとった。
「すまんな、古傷の痛みを忘れるにゃ、これが一番なんや」
こちらを向いた男の顔を見れば、大概の者は喉を裂いて叫びつつ逃げ出すだろう。男の顔面には、鞭打たれ為に簾のようになった傷跡が、無数に残されていた。しかし真は構わずに、男の真正面に膝を揃えて座した。ぎらり、と一瞬、男の目の端が光を孕む。
「何の用や」
「実は先頃、貴方様の嘗ての弟子であらせられる、禍国皇子・戰皇子様が祭国郡王に任命されました」
は~ん、と男――虚海は、ぞんざいに喉を鳴らす。
「そんで?」
「ご承知の通りに、戰皇子様はしかし此度の百ヶ日の法要を無事に乗り越えられるものか、定かではありません。事によれば、祭国を開けて戦地に赴かねばならなくなります」
「は~ん、そんで?」
「虚海様、是非とも貴方に、祭国にて国守役に就いて頂きたいのです」
「お断りやな」
寝転びながら、虚海は鼻糞をほじりだした。
★★★
人差し指を鼻の穴に突っ込んで指を捻る虚海を前に、そうですか、と真は膝を崩した。
「分かりました、それでは此れにて失礼致します」
真は立ち上がり、くるりと戸口に向かう。鼻の穴に指をつっこんだまま、ぽかんと口を開けて見送りかけた虚海は、慌てて泡を喰いつつ、真の背中に声をかける。
「ちょ、ちょっと待ったらんかな、おい」
「はい?」
「なんや、もうお仕舞いなんか?」
「何がですか?」
「もうちょっと、こう、そこを何とか云うて、とり縋るとかな」
「はあ」
「言う事きけ云うて暴れたるとかな」
「なる程」
「梃子でも動かんくなって『だだ』捏ねて粘るとかな、まあ、色々とあるやろ?」
「ああ、そうすれば、言う事を聞いて貰えるのですか?」
どれがお望みでしょう?
と、にこにこして答える真に、簾のような傷痕をうねらせながら、虚海が呻いた。
「あんたさん、性格悪いなあ」
「幼気な若者を小狡く試そうなどとするご老人の方が、余程性格がひん曲がって悪いと思いますよ?」
こっちに来いな、と嘆息しつつ虚海は真を招いた。
「皇子さんは、何をしとるんや? 一緒に来とるんやろ?」
「戰様でしたら、どうして良いのか分からずに、外でもじもじしていらっしゃいますが?」
のほっのほっのほっ、と独特な笑い声を虚海はあげた。
「小無ないお人やな、誰も皇子さんの事、怒っとらへんのに。そこら辺は、変わっとらへんのやなあ」
「多分、何処まで行かれても変わらないと思いますよ?」
「そやな」
瓢箪に再び口をつけて、一口中身を口に含む。
「すまんなあ。ちゃんと話したいんやが、鞭打ちされた時に尻の肉までこ削がれて、膿んでまったもんでな。座りたくても、座れへんのや」
いいえ、と真は膝を揃えて虚海の前に座り直す。
「で、皇子さんは、儂に何をして欲しいんや?」
「先程も申し上げましたが、郡王として派遣された祭国にて、女王となられた椿姫様に知恵のお力添えを願いたいのです」
祭国における椿姫と後主・順の確執などを、簡単に掻い摘んで説明した。は~ん、と虚海は鼻を鳴らしつつ聞き入る。確かに、重祚を仄めかされて一旦は引いた順が、何故、力業に近い形で露国と結ぼうとしたのか。それを鑑みれば、彼女を一人置いておくのは危険であると理解したらしい。
「ほんでもな、儂みたいな胡散臭い爺がおるより、若いもんだけでおった方が、気楽でええんと違うんか?」
「いいえ、それは違います。戰様のお身内は、皆真っ直ぐに素直に若くていっそ清々しい程であるのですが、それ故に突発的な横槍に弱すぎるのです。妖怪の首魁かと見紛う程の膿んだ粘りのある老獪さが、逆に必要なのです」
「……褒めとるんか、貶しとるんか、よう分からん言い草やな、そら」
てかり気味の額を撫でながら、虚海が試すように真を覗き込んでくる。ぺち・と自分の頬を叩く。
「そんでもなあ、儂のこの面見て卒倒せえへん娘さんは、おらへんで?」
ああ、と真は朗らかに笑った。
「ご心配なさらずに。顔付きのがどうとかで、人を判断なされるようなお人を、戰様が選ばれるわけがありませんから」
「は~ん?」
「ですから、戰様と椿姫様は、理無い仲であらせられるのですよ」
ほっほ~う、と唸るように笑うと、虚海はぺちぺちとてかり気味の額を叩いた。
「ほうかほうか、皇子さんの、ええお人やったんか。ほんなら、考えたらんとあかんわな」
ぐびり、ともう一度瓢箪の中身を口に含む。その口元が喜ばしさに歪んでいる。
「祭国のお姫さんは、別嬪さんかな?」
「はい、それはもう」
ほうかほうか、と虚海は嬉しげにもう一度瓢箪を傾ける。そう言えば、と真はふと、長らく気にかけていた謎を虚海に問いたくなった。
「虚海様」
「なんや?」
「何故、戰様の閨の組手指導と言いますか、房事術のご指導を何故なさらなかったのですか?」
がた! と戸口の外で何かがずり落ちる音が聞こえてきた。
真は構わずに、虚海に注視し続ける。のほっのほっのほっ、と虚海が笑う。
皇子は、5~8歳の間に元服を済ませるが、同時にそれは大人の男性として扱われ始める事をも意味する。元服と同時に、閨における男女の道を教え始めるのであるが、これはやたらと宮女などに興味を持たれて、手を出されては困る為でもある。基本、宮女は皇帝の『所有物』であるからだ。
戰も皇子の端くれであるし、元服当時はこのように虚海をはじめとした多くの師匠を皇帝・景より贈られたのだ。それであるのに、全く男女の道を知らなかったというのは、真の長らくの謎だった。
のっほっほ、と虚海は大口を開けて笑い続けている。実に楽しそうだ。
「なんや、皇子さん、あんたさんらを困らせたんか?」
「はい、大いに迷惑を被りまして。正直、げんなりいたしております」
「そら、すまへんかったな。大体、皇子さんが何やらかしたんか、分かるで? 大変やったやろな、そら大変やったわな、察したるわ」
「はい……」
笑いながら、虚海はぐびぐびと徳利の中身をあおる。
「ほんでもそういうのはな、自然の流れに任せて睦み合うのが一番なんや。あれこれ、小手先の技でお姫さんの腰を満足させて、何が長続きするかいな」
「……」
「あんたさん、それになあ、男女の仲ちゅうのは、この世の一番の神秘やで? そんなもん、儂みたいなのが教えられへんわ」
「……」
「ま、皇子さんの場合は、自然ちゅうよりも、天然やろうがなあ」
のほっのほっのほっ、と虚海は酒臭い息を吐きながら、腹を抱えて笑い転げる。戸口の向こう側では、何かがずるずると這いずる音が聞こえてきた。
真は構わずに、肺腑が全て空になれと、深い溜息をつく。
何が自然に任せておくのが一番なものですか。お陰で、我々がどれほど苦労を被った事か……。
これはあれですね、虚海様も、戰様の『其方の教育』が面倒臭くて、放置されただけの話ですね……全く。
真は眉間を抑えて、痛む頭を堪えたのだった。




