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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
四ノ戦 戦禍繚乱

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3 薬師(くすし) ・ 那谷(なた)

3 薬師くすし那谷なた




 真の一行がのんびりと城に到着すると、正門でるいが待ち構えていた。

 相変わらず子豚のようにまるまるとしており、この寒空の下にも関わらず、かいた汗で肌はつやつやと潤んでいる。

「あら、お早う、類。奥様と赤ちゃんはお元気?」

「これはしょう姫様、お早う御座います。はい、お陰様をもちまして」

 丸くでっぷりとした腹がつかえて折曲がらないが、類がふうふう言いつつ、こうべを垂れる。皆が、類を取り囲んだ。



 丁度、たくさんに猛烈に一目惚れしたすぐ後の頃の、話になる。

 るいの奥方であるとよが、真宅を訪れた。

 彼女は早々にこの祭国に馴染み、更には禍国からやって来た屯田兵の家族とも、友好関係をしっかりと結んでいた。つまり、禍国からの移入民たちと、祭国の住民との橋渡し役を、自発的に買って出ていたのである。

 こういった草の根的な交わりは、女性、特に奥方の井戸端会議の威力に勝るものはない。そしてそれを取り仕切る腕前を、豊は有していた。実は豊のお陰で、真は近所に挨拶周りをした折、「ああ、あの人のお仲間内さんか、それなら」と、琢を紹介して貰えたのだから、全く侮ってはいけないのである。


 その豊が、白菜と蕪を持って、しょう姫の元を訪れた。豊にすればしょう姫は夫である類の『お仲間の妻』でしかない。だからしょう姫への呼び掛けも、当然それに準じたものだった。

「奥様~! ねえ、いらっしゃいますか、ちょいと奥様~!」

 はーい、と家の奥から声をあげて、しょう姫はぱたぱたと勝手口に走る。すると、背中に赤ん坊を背負い、立派な白菜を両脇に抱え、青菜の部分を縄でくくって首にかぶらを引っ掛けた出で立ちで、豊がでん、と待ち構えていた。

「ご近所さんからね、いい白菜とかぶらを頂いたんですよ。折角ですから、おすそ分け」

「わあ、良いの? こんなに沢山」

「いいんですよ、うちの人がいつもお世話になっているお礼ですよ」


 お庫裡の方から、蔦の一座の者も、なんだなんだ? と出てきた。

白菜と蕪を受け取りながら、一緒になって、談笑をする。他愛もない噂話が中心なのだが、そこに、郡王として赴任してきた戰の良い評判をそれとなく差し込んで来てくれる気遣いは、しょう姫には嬉しい事だった。

「そうだ、この間ね、猪のお肉を沢山頂いたの。白菜とお鍋にすると美味しいでしょ? 良かったら……」

 盛り上がって話に花を咲かせていると、急に、豊がでっぷりとした肉付きのよい腹を抱えてしゃがみこんだ。

「ど、どうしたの!? と、豊!?」

「い、いえ、その、きゅ、急に、お、おな、おなか、が……あ、いたたたたたっ!」

 豊が、腹を抱えて悶絶し始めた。

 脂汗がぶわりと滲み出て、あっという間に息が上がり、体全体で息をし始める。

 一目で危険だと分かる状態に、しょう姫はふうを始めとした一座の者に命じて、豊を家に引き上げさせた。背負っていた赤ん坊の帯紐を解いて抱き上げ、腹帯を緩めて楽にさせ布団に寝かせる。ふうが医者を呼びに行こうと、外に飛び出しかける。

 その芙の背に、しょう姫の高い声が飛んだ。

「待って! 芙、貴方は城へいってるいを呼んできてあげて!」

 顔を見合わせる芙たちに、しょう姫が髪を束ね直しながら、凛とした声をかける。

「馬を引いてきて! お医者様は、私が呼びに行くわ!」

 慌てて、一人の男が厩に走った。



 ★★★ 



 戰が郡王を拝命して祭国に遣わされた頃と時同じくして、かなり腕のたつ青年薬師が城下に現れたていた。時期的に、禍国より一旗あげようと共に下ってきた者だろうと思われた。

 人の良さと、診察の腕の確かさと、何よりも薬の効き目は、まるで神様のようであると噂は噂を呼び、知れ渡るにつれ長蛇の列が出来るようになった。

 こうなってくると、身分の高い者が金にものを言わせて、診察順を固めて始めるようになる。庶民は診てもらいたくても、なかなか順番が回ってこなくなって行く。だがその男は、夜遅くまで診療時間を伸ばして、彼らの願いに対応した。その為、更に人気は鰻登りとなり、庶民と金持ちの間の諍いが表面化し始めていた。



 その評判の薬師の処に、馬に乗ったしょう姫が真正面から乗り込んできたものだから、診療所は騒然となった。薬房仲間から、下働きの下男から、病人宅の使いの者から診察待ちの者から、皆して右往左往しつつ、逃げ回る。


「お医者様は何処にいるの!? 急病人なの、早く来てちょうだい!」


 馬上から叫ぶ者が実は、少女、いや童女であると知り、皆はあんぐりと口を開ける。そして、おどおどと顔を見合わせあった。

 順番を金で買おうとしていた高利貸しらしき風体の老人が、漸く、馬上のしょう姫を、肩を揺らしながら、ふふん・と鼻でせせら笑った。

「何処ぞの小娘かは知らんが、この儂が先に医者を買うたところだ。大人しゅう、後にせい、後に」

「五月蝿いわね! お医者様の腕と言うのは、お金で貸し借りも売り買いも出来ないのよ! お医者様の優先順位は、患者がどれだけそのお医者様を必要としているかよ! 分かったら、其処をどきなさい!」

 焦りのままに、怒りを爆発させたしょう姫が怒鳴る。

 その迫力に、うっ・と老人が言葉を詰まらせるが、再び、ふん! と嘲笑った。子供相手にみっともない、とは思わないらしい。


「やれやれ、何処のお嬢ちゃまやら存じ上げぬが、この儂を知らぬものならば、此度、禍国からやって来たのか? 今ここで大人しく引き下がっておった方が良いぞ、よいか、この儂はな……」

 この手の、自分自慢にうっとりする男が、しょう姫は大嫌いだ。

 禍国の王宮で、皇太子であった天を筆頭に、嫌というほど見てきている。

だから、どの様にでれば撃退できるのかも、一番良く知っている。彼らは、己よりもより地位も金も名誉も権威もある者の前では、蚊蜻蛉程の意気地も見せないのだ。

 肩を怒らせて、少女特有のきんきん声で叫ぶ。

「文句があるのなら、お兄上様と我が君に言いなさい! 同じ態度を取れるというなら、言う事を聞いて差し上げます!」


 あのわらわは、禍国郡王として赴任してきた郡王・戰陛下の義理の妹姫であり、かつまた目付として、内政に大鉈の辣腕を振るっているその人であると有名になりつつある、真とやらいう青年の、奥方様に御座います――


 老人の従者が、こそこそと耳打ちをする。その顔色は明らかに血の気が引いて、悪い。

 高利貸し風の老人も、年甲斐もなくしょう姫とやり合おうとした相手が、実は宗主国となった禍国の王女、しかも、只今を時めく郡王・戰の義理妹いもうとであり、かつ一番の側近と有名高い青年の妻であると知らされるや否や、泡を喰って逃げ出した。

 しょう姫の思惑通りに、けつまろびつ去っていく無様な老人の背中に、少女は、鼻の頭に小さな皺を幾つも作って、べえ! と舌を出す。

そしてしょう姫は、改めて、くるりと診療所内に振り返った。


「さあ、お医者様は何処!? 大変なの、お願い、早く一緒に来て!」

「は、はい、医師はわたくしに御座います」

 おどおどしつつ名乗り出た細い目をした青年薬師の腕を、ぐい! とひっこ抜かんばかりにして引き上げて、無理矢理馬にのせる。

「御免なさい! 後でちゃんと返しに来るから!」

 と、叫ぶように告げると、しょう姫は、病人の待つ家へと薬師を掻っ攫って行ったのだった。

 どきどきと胸を高鳴らせながら、そっと事の顛末を見守っていた薬師宅の見習い医師や下女たちは、はっと我に返るなり、今度は大わらわで診察道具や薬箱を用意して懐に抱え、後を追って走り出した。



 しょう姫が薬師を連れて家に帰り着くと、とよが介抱を受けつつ、横になっていた。まだ、汗をかきつつ、うんうんと唸っている。相当に具合が悪いのは、一目瞭然だ。

 薬師は馬から飛び降りると、遠慮もなく縁側から部屋にずかずかと押し入るように入っっていった。急病人と見るや、助ける事こそが我が使命となり、一気に集中するらしい。顔付きに、ぎゅ・と緊張による集中が走り、それまでも細かった目が、更に糸のように引き締まる。

 手首を取って脈診をし、首筋から耳の後ろにかけて、手を当てる。額や顳に走る血管を指でなぞり、口に耳をかざして息使いを測り、舌の色を診る。手の平や足の裏に触れて、つぼを確かめていく。

「失礼」

 一言短く告げると、着物の衿をはだけて、胸元を顕にし、脇を探り汗をかいているかどうかを調べ、胸の中心に掌を当て脈に乱れがないかを確かめる。そして、痛がる腹をゆっくりと撫でさすりながら、痼がないか、張りがないかを触診していく。

 すると途中で薬師は、ん!? と、顔色を変えた。


「こ、これはっ!?」

「な、何? どうしたの?」

「奥方様、これはわたくしでは手に負えません」

「ええ!? そ、そんな、そ、そんなに悪いの!?」

「い、いえその、そういう訳ではなく、畑違いという話に御座いまして」

「え?」

「懐妊されておられます。しかも、どうやら産み月であられるようでして……」

「ええっ!? ちょ、ちょっと待って! そ、それって!?」

「は、はい、出来れば、一刻も早く、お産婆様をっ!」

 しょう姫は髪を結直して、再び馬に飛び乗る。残る一座の者は、薬師の後をついてやってきた診療所の者の手を借りて、出産の準備に右往左往し始める事になった。



 ふうの知らせを受けて、真の下手くそな手綱さばきで共に馬に揺られたるいが、漸く真宅に到着すると、家は全てが引っくりかえらんばかりの大騒ぎとなっていた。

「と、とよ、豊、どうした!?」

 泡を喰って部屋に駆け込もうとしたるいは、集まった見知らぬ婆様たちに「ええい、邪魔だよ! お産に男は不要だよ!」と怒鳴られ、放り出された。

「お、お産!?」

「みたいですねえ、どうやら……」

 顎が外れんばかりに大口を開けて衝撃を受けている類の隣で、はあ……、と真は項をかきあげる。

 腹痛で倒れたと聞いて飛んできたが、まさか、陣痛によるものであったとは!

 思いもよらなかった二人は、阿呆面を晒して呆然とするしかなかった。


 こうして。

 皆に見守られながら、豊は無事に、九人目の赤子を産み落としたのであった。

 類と豊に良く似た、まるまるとした元気な女の子だった。



 ★★★



 女の子は、その見た目のまま『まる』と名付けられた。

 九人目となると、子供が元気に丈夫に産まれて来てくれたのは素直に嬉しいが、名前を考えるのは正直しんどく面倒臭いのだという、良い見本のような名付け具合である。


 しかし、既に8人もの子供を儲けていながら、どうして妊娠に気がつかなかったのか、と手を握って労わりながら類が問いかけると、からからと豊が笑った。

「そんなもん、こんなに肉がついてちゃ、赤子が腹のなかで動いてても、気が付けやしないよ」

「と、豊……」

「それにねえ、あんた、どうしようね? まだ2~3人は入ってそうな位、腹が膨らんでるよ」

 からからと陽気に笑う豊に、類が馬鹿者が、と涙に濡れつつ抱きつく。

 何処まで本気かは知れないが、今、丸が産まれたという事は、懐妊が判明する頃、類はあらぬ難癖を付けられて職を失った時分だ。身体の変調に、構っている余裕など、豊もなかったのだろう。尻を叩いて、早く新しい職にありつけと発破をかけてくれていた日々を思い出し、類は無事に生まれて来てくれた赤子が、愛おしくてならなくなり、ますます涙が止まらない。

 皆に誂われながらも、幸せそうな類と豊の間で、丸が元気に泣き声をあげた。



 自覚もない、急な出産であったのだから、産養いの七日目頃までは母子共に動かない方が良いと薬師が助言したので、その間、豊と丸と8人目の子であるだいは、真の家で過ごした。


 赤子のまるとよの身体と、だいが慣れぬ家で寂しがってはいないかと様子を心配し、朝晩、類は真の家に顔を見にやってきた。そうして、蕩けそうな身体を本気で溶かす勢いで、赤ん坊を可愛る。

 戰や椿姫も、こっそりと様子を見に来て、代わる代わる抱き上げては、丸と大を泣かしてしまい、笑い声があがる。

 出産を請け負ってくれた産婆たちも、事の次第を知った井戸端会議仲間の奥方たちも、何くれとなく気にして様子を見に来てくれた。乳の出が良くなるようにと団子を持ってきたり、豆を炊いてきたり、孫や子供が着なくなった産着や襁褓まで、持ち込まれて山となった。

 琢が組み立ててくれた物干し竿は、早速大いに役立ってくれた。白い襁褓が、赤ん坊の元気な泣き声と共に、はたはたと風にはためく姿は幸せそのものだ。

 豊と丸と大が居る間、真宅は、朝から晩まで騒々しくも明るく、余りにも楽しい日々だったので、三人が類宅に帰る為に、琢の用意した荷車に乗った時、しょう姫は真の袖に縋り、大声をあげて、わんわん泣いたものだった。



 さてその間、勿論の事、薬師も毎日、様子を見に通ってきた。

 ぼつぼつと話し込むうち、薬師は、戰と真が持つ蔵書と同じような本を持ち合わせている事が判明した。話が弾み出し、三人は直ぐに意気投合した。

 那谷なた、と名乗った薬師とは、これが縁となったのである。


 那谷なたは、長く、癖のある髪を引っ詰めるようにし、うなじあたりで無造作に太い組紐で一結びにしており、きんで髷を結っていない。衣服は深衣でも、袖も衿もほつれ放題なのに、全く気にせず身に纏っているので、妙に年寄り臭い。不思議な出で立ちと言わざるを得ないが、聞けば戰より2歳年上と同世代だった。要は、真以上に格好に構わない質なのだろう。

 真よりも小柄な身体つきで、それでなくとも細い目が、集中すると更に糸のようになる。細面の癖に地が浅黒い肌からして、南方系の出自である事は伺われた。それに、何よりも名前だ。

「失礼ですが、ご出身は那国なこく河国かこくでしょうか?」

 真の問い掛けに、那谷は深く頷いた。

「はい、母が那国の出でして、幼い頃まで育ちました。父は、禍国の薬草取りに御座います」

 長く禍国に仕える那国との交わりは、既に庶民の間でも広まっている。那谷はその内の一人なのだろう。


 よく聞けば、幼年期迄は母の祖国で育ったのであるが、10年前のあの戦の後に家族で父の国である禍国に引っ越してきたのだという。

 そこで父親のつてを頼りに、薬房に雇い入れてもらった。惜しみなく励む質とまた一途な性格から頭角を表し、近々は、この若さで師匠たちの右腕として認められる程になったというから、余程の腕前なのだろう。

 同時に那谷は、独立を思い描くようになった。

 薬房での仕事は楽しく、師匠たちに教えを乞うのは未だに知識欲を刺激される。しかし、腕を確かにし始めると、この術を市井の人々の為に役立てたいとも思い始めるのは人の常というものだ。


 その頃、噂に厳しい王都の都雀たちの口にも、良い話題を振りまく皇子・戰が、なんと祭国郡王を拝命し、屯田兵を率いて行くのだと聞き及んだ。

 屯田兵を率いる、という事は新たにむら起こしが始まるという事だ。

 それぞれの野心を持ち、自主的について行く農民も当然多くいる。それらの民は責任を持つ範疇にはないが、皇子・戰の人気からして赴任後にどんどん増えていくことは明白だろう。

 民が増えれば、手に職を持つ選民の出番も増える。

 これは、と思っていたところ、薬房にいた師匠の内の一人が、郡王・戰が向かう祭国で、腕試しにやってみたらどうかと奨めてくれた。また那谷の胸の内にも、どうせ独立するのならば、師匠たちの薬房の手助けの及ばぬ新天地での心機を図りたいという、男としての見栄も欲もあった。


 そんな訳で、那谷は一旗上げるべく、縁もゆかりもない祭国に飛び込んできたのだった。

 運良く借家を見つけて、早速、診療所を開いた。

 按摩や鍼灸などを交えての治療の確かさは、瞬く間に評判となった。診療所は全くの勢いばかりで始めた為に、あっという間に手狭になってしまう程の盛況をみせる。

 やりがいはあった。

 一緒に祭国に来てくれた薬房仲間たちも、新たに祭国で雇い入れた下男たちも、やる気に満ち溢れ、楽しいばかりの日々を過ごす。

 しかし、診察の腕は確かでも、経営はずぶの素人だった。

 購入した薬草やもぐさや鍼の代金に、目玉が転げ落ち、口から心の臓が飛び出すかと思われる程に仰天した。これは、彼を金儲けの駒にしようと目論んだ輩が、技と謂れ無い高値を吹っかけたのであるが、世事に疎い那谷には知れようはずもない。


 四方八方身動き取れぬ状態で、弱りきっているのだという話を聞いた真は、戰と椿姫、そしてときと、城勤めを熱望する琢に相談を持ちかけたのである。


 そしてその結果、女王・椿の名のもとに、新しく、国指導の施薬院を造る事が決定した。

 国が大きくなるほどに、疫病対策は必須となってくる。

 おまけに、その芽を育てるのには手間も金も時間もかかる。早めに着手するにこしたことはない。考えてはいたが、丁度良い切っ掛けを与えてくれた那谷なたに、真は感謝しきりだった。


 それに何と言っても、しつこい位に「大将、俺っちに城での仕事をくれ!」と喚き散らすたくの喧しさから、これで当分の間は逃れる事が出来る。

 正直、真は那谷に多くの感謝を捧げ、平伏したい位だった。



 ★★★



 『施薬』を目的とするのであれば、院は城内にあっては庶民は入りにくいだろうという話にまとまり、建物は城壁に寄り添うようにして建てられる事になった。

 そしてこの一ヶ月半近くの間に、診療を行う為の建物の為の地鎮祭は、無事に済ませる事ができた。

 喪中の為に戰は地鎮祭に同席するのは無理であったが、椿姫が女王として取り仕切った。この施薬院が国の事業であると、大いに周囲に知らしめると、診療所に薬を卸していた問屋たちが一斉に態度をころりと変えてきたのには、皆で失笑しきりだった。


 それはさておき、施薬院を開く案を受け入れてくれた那谷も、仕事を請け負った琢も、新しい事業に参加するという事実に、昂奮を覚えているのは、確かだ。

「素晴らしい方々であらせられます。民の為に何をなすべきであるのか、何が重大事であるのかを、知っておられる」

 那谷の言葉に、真は頷いた。

 話すうち、那谷も真に近い考えの持ち主だと知った。その知識の深さから、疫病を未然に防ぐ為の院の重要性を知りつつも、庶民の立場では意見は通るまいと諦めていた那谷は、思わぬ方向から願いが叶うとなり、意気が上がっている。


 徐々に熱を帯びていく那谷の注文に、琢の引く図面も、何度も何度も書き直されていく。

「よ、大将! 大将の無理な本棚の注文を受けといて、良かったぜ」

 ばん! と勢いよく真の背中を叩いて、琢が、けっけけけけ、と蛙のように笑う。大量の医術書やや薬草を、きちんと分別仕分けして仕舞わねばならないが、それに困っている那谷に、真の家の改築の時の仕事を思い出した琢が、自ら提案したのだ。

「面白いものを見せていただけました。これならば確かに、場所をとらず多くの本が仕舞えます」

 実物を見学に真宅に来た那谷が楽しそうにしていると、痛む背中をさすりつつも、真も何やらこそばゆくも嬉しく感じられた。


 真と那谷は、その日、やたらと蔵書と本棚談義で盛り上がったのだった。

 勿論、しょう姫には、深く深く、呆れられた。



 ★★★



 そうこうするうちに、図面が完成をみた。

 今は、柱が一本、また一本と仕上がり始めている。大黒柱を上げ屋根を葺く建前も、間近となった。禍国にて行われる百ヶ日の法要に列席せねばならぬ為、戰と真は建前には参加できないが、この分ならば、積雪の度合いにもよるが春の終わり頃には完成をみそうだという。

 現場の様子をるいから興味深く聞きながら、真は、琢を棟梁としての、大工たちの働きの速さと確かさに、驚かずにはいられない。

 これも、琢の独特の仕事への姿勢からくるものなのだろうか?


 馬の上から、しょう姫が身を乗り出した。

「ねえ、類、今度お家にお邪魔させて貰ってもいい? だいまるに会いたいの」

「ええ、勿論です。子供が多くて掃除が行き届かず汚い家ですが、それでも宜しければ」

 あれこれと納品覚書を作成せねばなりませんので、と大きな腹を揺すって笑い、るいは施薬院へのある方角へと歩いて行く。

「時間までには、菜園に来て下さいね」

 皆で手を振って、その肉のついた丸い背中を見送ると、ふうふう言いながら類は手を振り返してきた。



 それにしても、と思う。

 郡王・戰の後を勝手に追って、何の縁もゆかりもない祭国に、己を試す為に飛び込んできたのだという、那谷と見ていると真でも心が浮き立ってくる。

 彼のような人物が、どんどん集まってくれれば、と願わずにいられない。


 その為にも、評判をあげねばならない。

 禍国内の王室での争いも心配の種ではあるが、目の前の実質的な世界の広がりをこそ、先ずはより確かなものにしなくてはならない。

 それには自分以上に、対外的に目を光らせる事が出来る人物を、なんとしても味方にしたい。



 自分を始め、皆、若い。

 その事は別に良い。

 古臭い考えに囚われる事なく、新しい事に挑戦してゆけると思えば良い。


 しかし、だからと言って、因習に暗くては古狸の勢力に負けるだろう。

 大上王・順の騒ぎを見てもそうだ。

 そしてそれを見抜く力が、自分にも周囲の仲間にも、極端に無さ過ぎる。


 どうにかしたい。

 真は焦りを抱えていた。


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