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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
八ノ戦 飛竜乗雲

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2 戦地鳴動 その4-2

 2 戦地鳴動 その4-2



 睨み合いを続けている句国兵たちに俄に活気が蘇ったのは、先日の日没間際だった。

 明けて今日。

 俄に炊飯による煙がもうもうと空を目指して登り始めた、と斥候が伝えて来た。


「出る。付いて来い」

 すっくと立ち上がった烈は、命じながら先んじて走り、愛馬に飛び乗るや家臣たちが追い付くのに苦心する素晴らしい手綱捌きで小高い丘を駆け登った。頂上にて興奮する馬を宥めつつ、烈は軍とも呼べぬ句国兵たちの塊を見据える。

 斥候が、す、と傍らに控えると恭しく遙か先を指し示した。

「殿下、有れに御座います」

「おう、態々示さずとも見えておるわ」

 幾分、苦笑の成分を滲ませた口調で烈は答えた。

 眼尻が知らぬ間にきりきりと上がっている。2千騎が万騎に迫る気を発しているのが遠目にも感じられ、愛馬の背の上で烈は興奮する儘、2千騎を睨み付けた。


 ――ふん。奴らめに、どうやら救援物資が届きおったらしいな。

「……」

「殿下、どうやら句国軍めに活力が戻ったようですが」

「……」

「遂に最後を悟り残る兵站をさらえて(・・・・)腹に収め、我らに逆寄せせんと目論んでおるようですな」

 執り成す様に、背後に従っている部下の一人が烈に声を掛ける。

 が、烈はちらりとそちらに視線を流したのみで、やはり、無言である。其の代わり、背中、いや全身から、ぶわり、と闘志が漲った。其れは鍛えられた馬たちをも怯えさせる程であった。

 馬たちの嘶きが喧しい中、烈はまだ、無言である。ただ、口元をにやり、と緩めた。

「戻るぞ」

 そして一言、短く命じた烈は馬の腹に一蹴り入れた。

 鋭い嘶きを発して勢い良く駆け出す烈の馬の後を、部下たちが慌てて追う。恐慌を収めるのに躍起になりすぎて遅れを取った部下たちを肩越しに見遣りながら、烈は呵呵大笑した。

「はっははは! どうしたどうした! 遅れておるぞ! 其れで良くも剛国王弟・烈が幕臣と名乗れるな!」

「殿下、お待ちを!」

「何卒!」

「待てん! 此れより最後の布告の儀式行うのだ! 待ってなど居られぬわ!」


 機嫌良く笑う烈の馬はまるで疾風の如くに先を行く。

 馬群は冷や汗を飛ばしながら、必死に主人を追い駆けたのだった。



 ★★★



 帰陣して程無く、国王・闘自身が率いる剛国軍本隊がもう間も無く到着するとの伝令が届いた。

「おう、兄上が到着為されるのか」

 烈はを輝かせた。こういう、感情の起伏を素直に明けっ広げにする処が、激しい人物と恐れられながらも烈が最後まで憎まれない所以である。


「句国の奴らめはどうしている」

「は、奴らめの動きですが、変化は見られませぬ」

「そうか」

「……恐れ乍ら、王弟殿下」

 一歩前に進み出ながら発言の許しを請う家臣の頭上で、烈は手を横に振ってみせた。深々と頭を垂れてから、家臣は更に半歩、ずい、と進み出た。

「御許しを得、恐れ乍ら申し上げます。殿下、句国兵どもは僅か2千騎であります。而も寄せ集めに過ぎず、更に草臥れ切って腐す寸前。対して我らは平原に名を轟かせし剛国軍精鋭の2万騎に御座います。其れも、騎馬の民の王の中の王、闘陛下より一身寵愛を受けられし殿下が精鋭に御座います。此れは千載一遇の好機に御座います。我らにとっての2千と奴らにとっての2千では意味も重みも全く別物。此処であの2千騎を殲滅せしめれば句国王は己が懐刀を折られたも同然、再起は限りなく不可能となるでしょう。翻して我が国にとりませしては、平原にて覇を唱える足掛かりとなりましょう。此の後、国王陛下よりの覚えは益々深まりますでしょう。高々2千騎程度の、平原に胡座をかいておるような怠惰な輩。何卒、此の機を逃されず王弟殿下の威武を御示しに為されますよう。即ち、傲慢不遜にも句国王を名乗る輩の鼻っぱしを打擲為されますよう」

 頬が、高揚した戦意の為に赤く上気している家臣の言葉は、熱いうねりを以て幕臣たちの心を揺さぶる。戦への渇望は、陶酔に姿を変えていた。

「ふっはっははは! どうした? 矢鱈と饒舌ではないか?」

 烈は一瞬、息を呑むようにして背筋を反らせた。そして、一斉に跪いて哀訴し始めた家臣たちの頭上に、哄笑を響かせる。


「まあ――良いわ、聞いてやろう、其れは即ち?」

「奴らを徹底的に撲滅せしめよ、との詔命を我らに御与え下さいますよう」

「ふっふふふ、其の方ら、郡王が身内に馴染んだせいか、多弁おべっか(・・・・)が上手くなりおったではないか」

 機嫌良く、烈は再び手を横に振った。

 恭しく一礼した後、家臣は仲間と同じ位置まで静かに下がる。幕臣たちが息を呑みながら、烈の次の一言、詰まり、句国2千騎を掃滅せと、との命令一下を待った。

 しかし、幾ら待てども声が掛からない。

 微かなざわめきが男たちの間に流れると其処で漸く、聞け! と烈が声を張り上げた。びりびりと空気が戦慄く。家臣たちは烈の発する威に、我知らず怯え、一斉に額を地面に打ち付けた。


「此れより全軍で以て打って出る! 句国兵どもを包囲し、殲滅する!」

「――おお!」

「殿下、遂に!」

「此れを以て備国への最後の布告とし、剛国王を勝利にて迎え入れるのだ!」

 待ちに待ちわびた勅諚が等々降された。家臣たち一同は顔を興奮に赤く染め上げながら、拳を天に突き上げていた。



 ★★★



「太尉様、剛国軍に動きが見られました」

「おう、そうか」

 粥を勢い良く腹に収めながら、優は肩を竦めてみせた。

「飯を摂っている真っ最中だというのに、剛国の王弟は存外に気が利かぬな」

 冗談めかしながら口の端に付いた飯の汁の跡を手の甲で拭った優は、其の儘、愛馬へと歩み寄る。

 ぶる、と武者震いのように、馬は嘶きを発した。目を細めながら優は首を撫で、愛馬の先走る戦意を宥めてやる。馬の方も、優の顎先に鼻面を押し付けて甘えるような素振りを見せた。

 暫し、微笑ましい主従の仲を見守っていた漢たちだったが、不意に優が愛馬の背中に飛び乗るや、皆一斉に気を引き締める。そして指揮官に習い、其々、己の愛馬の首を一撫でしてから背に乗った。

 優の明るさに引っ張られてか、杢にも、そして2千の漢たちの内、誰一人として悲壮感を微塵も漂わせていない。皆、清々しく爽快なまでの気を発している。とても追い詰められている漢のものではない。

 部下たちの心意気を感じ取った優は、晴朗な笑みを浮かべた。


「ようし! 皆、腹はくちた(・・・)か!?」

「おお!」

 ぐるり、と部下たちを見回す優に、闘魂を剥き出しにした2千の猛者たちが唱和する。満足そうに優は力を込めて頷いた。萃が翡翠の如くに身軽さで、優と杢との前に姿を現した。

「おう、萃か。どうだ?」

「はい、太尉様の読み通り、剛国軍が包囲陣を完成しかけております」

「そうか、包囲陣を敷きよるか」

 包囲する、と云う事は即ち、2万の軍勢を分割すると云うことだ。

 真正面から2万騎にあたられれば勝ち目は到底無きに等しい。

 力とは何を行うにしても正義であるが、今の場合の正義とは力とは数を以ておどし、攻撃は果てる事がないと錯覚させ、戦意を圧し折り精神的に撫で斬りにする事だ。

 だが、包囲するとなれば話は別である。

 四方から攻める、とは即ち、2万の軍勢を4分割するということであり、詰まり、対面する軍勢は最悪でも最大2倍程度に収まる。

 ――倍で有れば、何とか成るかもしれん。

 此の場合、何とか成し得る為には、速度が必須となる。だが速さで劣り、況してや負けるなどとは、優は思っていない。


「ようし。では、剛国王が率いる本隊との距離は?」

「15里ほどかと」

 15里か、と優は呟いた。顎に拳を当てる。

 ――ちと、厳しい。

 剛国王の神速はつとに有名である。

 15里程度の距離など全く感じさせる事無く、怒涛の如きに詰め寄るだろう。

 戦闘が長引けば烈の先鞭隊から逃れられたとしても、闘王が直々に指揮するの精鋭軍とも一戦交えねば為らなくなる。其れだけは何としても避けねばならない。

 ――我らの馬と、剛国王の其れと、果たして何方が早いか。

「……出来るのか……」

 背筋に寒いものが走る。

 思わず独り言ちながら身体を強張らせた優の横に、ぴたり、と杢が馬を寄せて来た。そしておもむろに剣を抜き放つと、高々と天に切っ先を掲げ、優に代わって声を張り上げた。

「10倍もの兵力差など我らには関係無きと、今日こそは剛国の奴ばらの血肉と魂に刻み、思い知らせてやろう!」

「おおっ!!」

 寡黙で、常に一歩も二歩も下がった態度を崩さぬ杢がしゃしゃり出た事に驚き、目を剥いた優だったが、……にっ、と口角を持ち上げると自らも握り拳を振り、大きく翳した。

「杢、良くぞ申した! 者共、此処が正念場と心得よ! 陛下の御許に参じるのだ!」

 優の言葉に杢が先頭に立って、おおっ! と応じる。2千騎の戦意はうなぎ昇りとなり、遂には最高潮になった。


「一人で3人を射抜け! 鉾にて3人を串刺しにせよ! によって3人の首を掻け! 剣で3人を斬り伏せよ! されば釣り(・・)が来る! 其れでも物足りずば愛馬の蹄にて奴らの頭骨を蹴り割ってやれ! 一人も欠ける事無く、皆揃って、陛下の御前にて我こそはと武勇を誇ろう!」

「はっ!」

「往くぞ!!」

「――おおっ!」

 2千騎は、大地を這う突風と化した。



 ★★★



 烈が率いる剛国軍が動いた。

 命令は粛々と敢行され、剛国軍はまるで、夏の大空にもうもう(・・・・)と絶え間無く生じる入道雲のようであった。重厚にして俊敏なる動きである。騎馬の民を根幹とする誇り、と常々口にする彼らの面目躍如といった処だ。


「殿下、包囲陣が間も無く完成致します」

「おう」

 満足そうに馬上の人なっている烈に、更に部下は付け加える。

「奴ら、我々の布陣の速さに付いて来られぬのでありましょう。呆然と固まっておるばかりに御座います」

「なぁに、まともな騎馬の運営など観た事が奴らなのだ。恐怖で竦み上がっておるのではないか?」

「言えておるな」

 追従する家臣たちの言葉に、烈は緩く頷いて見せた。然し乍ら、眼光はきりりと鋭くなっている。

「油断するな」

 烈の一言に、家臣たちは驚き、息を呑み、そして互いの顔を見遣った。此れ迄の烈であれば、胸を反らして、其の通りであると居丈高に振る舞ったであろうに、此の様変わりは一体どうした事であろうか。

 しかし烈は、訝しむ家臣たちなど意に介さず、着々と仕上がりを見せる包囲陣を見詰め続けている。


 ――気に入らん。

 顳かみ辺りが、きりきりと痛む。

 戦の本能が、烈に、何かを訴えているのだ。

 其れは焦燥感でもあり、危機感でもあり、警戒感であった。

 ――だが何故、此の私がそんな恐れを抱かねばならん。

 烈には分からない。負ける要素は何一つ無いと云うのに、本能が訴えているのだとしたら、尚更である。

 ――我ら騎馬の民に勝る騎手は居らぬ。

 言い聞かせるように、烈は腹の底で唸る。

 だからこそ圧倒的な兵力差、いや烏滸がましくて兵力差とも言えまい。

 少人数の句国兵たちが剛国軍に包囲されていると知った今、一人でも多くの兵を道連れに相打ちして果てる覚悟をしたもの、と幕臣たちは信じて疑っていない。

 ――だが、其れは正しいのか。

 家臣たちの顔付きも態度が、まるで嘗ての自分を見ているようである、と烈は感じた。途端、言い表し様のない、もどかしさと気の尖りを同時に覚えた。


「……此れで良いのか、本当に……」

 遂に、言葉に出して零した烈は、を細めて句国軍の軍旗を上目遣いに睨む。

 その、軍旗が、不意に、ゆらり……、と雷雨を齎す黒雲の如きに不気味に蠢いた。

 同時に、烈は悟った。剣を抜き放つと怒鳴り散らす。

「構えよ!」

「で、殿下!?」

 面食らいつつも、反射的、いや本能的に烈に従った家臣たちに目も呉れず、烈は続けて叫んだ。

「奴ら、合拳あいけんを当てて来る気だ! 気を抜くな!」


 度肝を抜かれた家臣たちは、を向いたまま、言葉も反応も無く、ただただ、固まっている。

 基本的に合拳とは、一手目に同じ型を繰り出してから試合に望む手法を言い表す。故に戦に於いての合拳を当てるとは、正面突破を指す。

 何を馬鹿な、と烈の背後に居る家臣たちは目眩を覚えた。此の兵力差でぐるりと囲まれて、其処から突破を仕掛けるなど正気の沙汰では無い。

 だが、まるで烈の言葉を待って居たかのように、句国軍が峻烈極まる動きを見せた。

 まるで弩から解き放たれた弓のように、真っ直ぐ、一丸となって此方に突き進んで来るではないか。

 いや。

 突き進むなとど言う生易しいものでは無い。

 其れは虎狼の牙であり爪であり咆哮であり、即ち生きるものの魂を粉砕する激震であった。


「ぬおっ!?」

「お、おおおっ!?」

「な、何と!」

 家臣たちが間抜けた声を上げて呆けている間に、烈は衝突する勢いでもって相手にひびを入れんとするかのように突撃を始めていた。駆けて往く烈の背中を見るや我を取り戻した家臣たちの顔には、きりきりとした重厚な戦意が満ちた。

「弓を構えよ、剣を抜き放てぇっ!」

「者共、殿下に続けっ! 続けぇっ!」

 

 烈の背を追い、剛国軍が動いた。

 大津波の如きの人馬の動きに、大地は喧喧囂囂となった。



 ★★★



 句国軍の背後に回った剛国軍は、殆ど舌舐めずりをせんばかりであった。彼らの動きは重厚である。宛ら、城の大門を固く閉ざして何人たりとて入るを許さぬ役目を担う貫木のようだった。後は、総大将である烈からの指示と共に四方からの攻撃を開始し、句国軍を壊滅するのみである。

 今か今かと待ち構えていた剛国軍の眼の前で、だがしかし、命令が下るよりも早く、信じられない事態が発生した。

 なんと、此の強固な包囲網が完成すると当時に、凄まじい速度で句国軍が直進し始めたのである。

 目撃した剛国兵たちは、皆、一様に度肝を抜かれた。

 其れはそうだろう。もう後は帥将である烈の指示を待って、ゆっくりと狩りを楽しむ狼のように句国軍を追い詰めて行くだけであったというのに、其の相手が目にも留まらぬ速さで消え失せたのである。驚かぬ方がどうかしている。

 馬鹿丸出しで句国軍の背中を見送る形になっていた剛国軍は、大地を殴り付けるような大歓声に、漸く、はっとなった。


「い、いかん! 奴らを此の侭、好き勝手にさせてどうする!」

「其れこそ、剛国軍の名折れ!」

「追え! 追うのだ!」

 軍旗を高々と掲げ直した剛国軍は、雄叫びを放ちながら、間合いを詰めんと馬を駆った。

 が、しかし――

 本来であれば、疾うに句国軍の最後尾に到達している筈であるのに、出来ない。

 いや、句国軍がさせないのだ。神速を身上としている剛国軍に影すら踏ませぬ恐るべき速度で、句国軍は駆けているのである。

 此の実に気が付いた剛国軍は、青褪めた。同時に激しく、赫怒した。

 こんな事はあっては為らない。

 騎馬の民の頂点に立つべき剛国の騎馬軍団が、平原産の馬如きに後塵を頭から被るなど、度し難く許し難い。

「おのれ!」

「騎馬の民を愚弄する者の末路を身を以て知るがよい!」

 雄叫びは憎しみと怒りを糧に、益々以て猛々しさを増して行く。しかし、彼らの赫怒とは裏腹に、剛国軍と句国軍の距離はぐんぐんと離れて行く。

 詰まり、剛国より句国の方が速さで勝っている、と云う事だ。

 だがそんな事実を認める訳にはいかない。認められるものでは無い。逆に言えば、認めたが最後、彼らの矜持と誇りの拠り所が音を立てて粉々に粉砕されてしまう、という事に他ならない。


「追え! 追え!」

「奴らをのさばらせるな!」

 叫びつつ、剛国軍は句国軍の馬の尻を求めて駆ける。一言発する間にも、両軍の距離は、ぐん、と勢いを付けて離れて行く。

「矢を構えよ!」

 号令一下、兵たちは己の愛用している弓を構えた。平原で、愉しむように狩りを行っていた騎馬軍団の末裔たちだ。馬群を保ちながら弓を射るなど赤子をあやす(・・・)より容易い事である。

 片目をつむり(・・・)、弦を引き絞り、的を定めた。其処で、また全員が唖然とする。

「糞っ、止め、止めい!」

「矢を射っては為らぬ!」

 対岸に当る自軍に突っ込んで行く禍国軍は、余りにも猛烈な速度、正しく驀進ばくしんであった。既に、先頭は斬り結び始めており、生臭い血飛沫が土煙と共に上がっている。

 そう、彼らの脚を止めようと矢を射かけると下手をすると、仲間をも的として射抜いてしまう羽目になってしまうのである。自軍を壊乱破滅させて何とするのか。


「おのれ、小癪な!」

 奥歯が砕かれる勢いで歯軋りをしても、どうしようも無い。斯くなる上は、彼らの後尾に食らい付くしか手立ては無い。

「走れぇっ!」

 愛馬の尻に無理矢理に鞭を入れ、狂気の如くに疾駆する。

 だが、既に真正面で酸鼻な血煙が立ち昇らせている句国軍の尾を掴んだとして、其処までの乱戦の最中に飛び込んだとしても、矢張り、同士討ちにしか為らぬのではないか?

 焦りは兵士たちの戦意を潰乱せしめ、其れは瞬く間に恐怖と慄きとなり、人馬に異様な汗を滴らせた。


 句国軍から異様なが立ち昇っているのが、分かる。

 もう逃れられぬと悲観し、手に遺されたのは死のみであると絶望し、自棄糞に一矢報いんとしてるの者の其れでは無い。

 彼らは生きる気力に満ちている。

 戦っている彼らは自分たちが死ぬなどと露程も思って居ない。

 生きて再び句国王に拝謁するもと信じ切っている。

 其れは宛ら、自分たちが剛国王の勝利を毛一筋程も疑って居ないのと同等である、と気が付いた彼らは、赫怒すると同時に戦慄した。

 此れまで、剛国の無敵の騎馬軍団という認識は普遍不易であった。だが、自ら其れに追従を許し、剰え、認めたのである。

 此の侭、捨て置けば、寧ろ自分たちの大敗北である。

 一敗塗血に塗れるよりも度し難く、許し難い。騎馬の民の矜持を掲げ続ける為にも、断じて、一兵たりとて、此の場から生きて逃してはならない。


「おのれ、奴らを叩き潰すのだ!」

「壊滅せしめよ!」

 雄叫び上げながら、剛国軍は2千騎の句国軍に追い縋った。



 ★★★



 眼前の血煙を睨んで立つ烈は信じられぬ思いだった。

 屈強を誇る剛国兵が、一人、また一人と屠られて行く様は、正しく、ばたばたと倒れる、という無味乾燥な表現が似合っているではないか。句国軍が自軍を倒壊させてゆく様子は、其程、呆気無く、且つ容易に見えるのである。

 ――おのれ!

 顳かみから、滾りに滾った怒りが呪いと共に吹き出そうだった。


「殿下、どうか御下がりくださ――ぐふぅっ!」

 烈を守ろうと盾になった兵の腹に、深々と矢が突き立った。呻き声を発っした家臣は、強風に煽られた案山子の様にゆらゆらと揺らいだかと思うや、突然、どぅっ、と地面に転がり落ちた。

 白目を剥いた目には、既に光の力は無い。

「突破されるぞ!」

「左右と背後に回った兵は何をしておる! 間合いを詰めて奴らに圧を掛けんか!」

 家臣たちが此れ程までに慌てふためき、狼狽える様を、烈は見た事が無い。

 無敗で来たからだ。

 勝利しか知らなかったからだ。

 だから今、仲間たちが此の、王弟・烈に不遜なる振舞いを、詰まり、『玉』に傷を付けては為らぬと攻撃を躊躇って居るのだと気が付けないのだ。

 だとしても、其れを責める気には、烈は為らなかった。寧ろ逆に、句国軍の指揮を執っている将への憎しみが倍増している。


「我が率いし一軍は兄上から賜った大切な兵馬であるぞ! 其れを、よくもやって呉れたな!」

「殿下、何卒御下がりを!」

 烈の手綱を取って無理矢理下がらせようとした家臣を、かっ! とを剥いて睨み、烈は大いに吠えた。

「喧しい!」

 言うなり烈は家臣を殴り倒すして手綱を分捕り返すと、愛馬の腹に蹴りを入れた。主人の気合が乗り移ったのであろう、嘶きと共に、馬は駆け出した。

 爛々と赤い闘志を燃やす烈の視線の先に在るのは、句国軍の帥将であろう壮年の兵である。

 若い騎馬軍団の中にあって、其の一騎のみが年嵩であり、他よりも数段見目の良い甲冑を纏っている漢を倒せ、と烈の本能がぎんぎんと音を立てて命じていた。

 不意に、壮年の漢が己が名を冠した軍旗と共に――そう、句国王・戰より太尉たいいの御位を授かった優――が烈の方に身体を巡らせた。


 ――あの軍旗は!

 烈の額から顳かみに駆けて、びしり、と野太い血管が幾筋も浮き出た。軍旗から、相手があの(・・)真の父親であり禍国兵部尚書の優であるものと知り、烈は激憤の度数を更に高めていた。

 優と烈、二人の視線が、がちり、と絡んみ、煌々とした火花が散る。

 視線のみで数合を打ち合わせた恐るべき二人の気に、周囲は飲まれ、仰け反った。だが、視線の刃で斬り結んでも決着は当然つかない。おのれ! と優は全身の毛を逆立たせ、糞め! と烈はを血走らせる。

「其処の小僧!」

「おい老いぼれ!」

 二人は同時に怒鳴り、そして互いに向かって突進を開始していた。

「殿下っ!」

「太尉様!」

 互いの背後で焦りを含んだ声が後を追う。が、間には誰も入れず、そして何者も追い付けない。

 烈が矢を構えると、優も同じく、矢を番えた。既に烈と優は、眼前の敵しか見えておらず、其々の息遣いと戦意と敵意、そして息の根を止めてくれんという渇望しか感じていない。

「喰らえ小僧!」

「くたばれ老いぼれ!」

 駆け抜け、すれ違いざまに引き絞った弓の弦がら、鷹が謳うような音が鳴った。夜空を裂いて一際麗しく瞬く流星の如きに矢は弧を描き、敵を屠らんと飛ぶ。


「ぬぅっ!?」

「ぐあっ!!」

 大乱戦の最中、句国と剛国、其々の指揮官の口から野獣のような唸り声が発せられた。



 ★★★



 優の右目には、烈が放った矢が深々と突き刺さり、そして右腕からは血が豪雨の際の雨垂れのように滴り落ちていた。とっさに右腕の手甲にて庇い、軌道と勢いが削がれたのである。全身を青褪めさせた杢が追い付き、優に馬を寄せた。


「太尉様!」

「案ずるな、鏃は脳まで達してはおらん」

「しかしっ……!」

「ふっ、何が騎馬の民だ。脳を貫通出来ぬ程度の腕でほざきよるから、こんな恥を掻くのだ」

 呻きながら優は、ぐっ、と沓巻辺りを掴んだ。

「ぬん!」

 気合を発し、残された左目が、ぐわっ、と見開かれるや、ぶしゃり、と右目から血が噴出した。ずるり……、と優の眼球ごと鏃を刳り出されたのである。普段冷静沈着な杢が、我を忘れて悲痛な叫び声を上げた。

「太尉様!」

「杢、五月蝿いぞ」

「しかし太尉様!」

 優を守る為に矢を射かけ続けながら眉を顰める杢を、情けない、と優は舌打ちする。


「私はお前を、そんな腰抜けに育て上げた記憶は無いぞ、杢よ」

「た、太尉様……」

「此の程度で狼狽え、みっともなく喚くな戯け者!」

 木洞のような眼窩からは、ぼたぼたと雨滴のように血が溢れ落ち続けている。此れまでの斬り合いによる傷からも相当多くの血を失っていると云うのに、だが優の顔ばせからは戦意はまるで失われておらず、頬は爛々と赫い。流石に息遣いは荒いが、其れとても野獣の如き生気に満ち溢れているとしか思われない。

 己の上官の気迫に気圧された杢が茫然自失する中、優は背中に負った矢筒をちらりと見遣った。烈に向けて放った矢が、最後の一本であり、詰まり、優の矢筒は今、空である。

 血みどろの手の内に在る剛国軍の矢を、じ……、と感慨深げに優は眺めている。矢の先には、己の眼球が尾を引いた状態で刺さっていた。


「……ふっ、……ふふっ、……ふふふふふふふ……」

「た、たい、い、さま……?」

「……此れが私の右目か、此れが……」

「……」

「55年もの間、無茶ばかりしおる阿呆な主人を見捨てず、よくぞ此処まで働き抜いて呉れた。礼を言うぞ」

 労りが込められた優の声に、杢は茫然とする。

「……太尉様……」

 優は血塗られた目玉を嬰児を愛おしむように、優しく一撫でした。そして正面に居る剛国王弟・烈を見遣る。王弟・烈の周辺にも人集りが出来ていた。

 ほう? と優の片眉が跳ね上がった。

「喧然としておるではないか。私の目玉のように、陰嚢ふぐりから金玉でも転げ落ちたか」

 口の端に、にやり、と不敵な笑みを優は浮かべた。そして次の瞬間、くわっ、と片目を見開く。

「ぬぅん!」

 気合と共に、優は自身の身体から離れ出た目玉に齧りついた。熟れ過ぎた柿のように、ぐしゃり、と目玉は潰れ、優の口から血飛沫が飛んだ。

 口からぼたぼたと血を垂らしながら、すっくと優は馬上に立ち上がる。


「矢が貴様の元に帰りたいそうだ! 受け取れ小僧!!」

 叫ぶや、優は矢を番え、そして烈に向かって矢を放った。



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