2 戦地鳴動 その3-2
2 戦地鳴動 その3-2
本国に帰国するや否や、国王・闘から備国へ向けての宣戦布告、と当時に全国民に大侵攻を行う大詔渙発が為された。
剛国中が歓喜に沸きに沸き、全土が熱く燃えに燃え上がったと言ってよいだろう。
其程、崑山脈を超えての西征は剛国の民の悲願であったのだ。
最も願が此処まで具現化出来ると民が実感出来るようになったのは国王が闘になったからである。
「備国を我が剛国の膝の前に屈させしめ、崑山脈以西に我が剛国の威を示す時が遂に来たのだ。者ども、我が剛国王・闘が旗のもとに集え! そして戦え!」
闘の言葉に家臣たちは鵜片を口にしたかのように酔いしれずにいられなかった。
猛勇で知られる剛国であるが連戦の最中とあっても誰一人疲れを口にしないのは、無論、絶対の存在として君臨する国王・闘の存在が大きい。
が、もう一つある。
備国を倒し併呑し騎馬の民の頂点に立つ――此れが合言葉となっているからだ。
直ちに軍の再編成が為された。まずは遠征の軍とそして守禦の軍とに分けねばならない。
此処で一つめの難事が起こった。誰しもが闘と共に山脈越えに挑みたいとの希望を抱いている。
自然、侵攻軍への希望が殺到したのだ。当然である。
建国以来随一の英雄豪傑である闘の遠征に加わらずして何が剛国の猛者と言えようか。がしかし、国の衛戍を担う者こそ疎かには出来ない。闘は苦笑しつつも、留守居の軍に対してこそ、力を入れるよう指示を与えた。
「特に此度、露国に対して気が抜けぬ」
闘は密かにそう思っている。
露国王・静は即位後、一度も戦場に立った事が無い。
脆弱な王だと揶揄する声は特に烈を中心に高く大きいが、闘はそうは見ていない。
非凡な才の持ち主であると認めている。
だが、怖れている訳でも無い。
時勢という言葉ある。
詰まり、『時』とは勢いがある方により有利に働き、流れ、転がるものなのだ。常に鎮座の姿勢を崩さない露国に対して天帝は果たして光明を与えるであろうか?
「否、よ」
闘はにやり、と笑った。
★★★
闘の前に家臣団が集結を終えた。
実に壮観であった。
直ぐ様、備国討伐軍の編成が発表された。
大将として全軍を指揮するのは、無論、国王・闘である。此れには大歓声が上がった。地鳴りのように鳴り止まぬ歓声を、闘は片手を上げて征すると発布を続けるように促した。
続いて、討伐軍を実質的に率いる大将軍として烈が指名された。
まだ、数ある王子の一人として怒りを燻らせながらの潜伏期間から闘を支え続けてきた此の王弟は既に郡王の地位にある。
加えて、此度の句国新王・戰と盟を組んでの備国の戦において、国王の信認の厚さが更に広く知られるようになった。何よりも勇猛果敢を美徳とする剛国の気風の中にあって特に無比なる働きが、元々、深く認知されている。
此の、烈への指名は当然のものとして受け取られ、矢張り歓声を以て受け容れられた。
「郡王にして大将軍である烈には、此度、特別に征虜将軍の名を与えるものとする」
「あ、兄上……!」
顔を興奮に上気させながら、烈が最礼拝を闘に捧げて拝命する。
深い感激に震える烈の背中に、一瞬の間を置いて再び地面を轟かせる歓声が打ち付けられた。
今や烈が闘の右腕であるのは誰の目にも疑いようが無い。彼の立身揚名は当然のものであり、且つ、彼の功労に最大限報いるもの、そして未来における己の姿として漢たちの眸には映っていた。
続いて、留守軍の編成が下された。
「王弟・斬を輔国大将軍に任命し、此れに我が国土の安寧秩序を委ねる事とする」
三度、地が割れんばかりの歓声が轟いた。感激に心身を縛られた斬は呻き声すら発する余裕もなかった。
「斬、聞こえておるか」
「……はっ……謹んで……謹んで、拝命、致します……!」
感極まり突っ伏して号泣する、その腹違いの弟の出世を、烈は余裕の在る態度で眺めていた。
――兄上は、最も傍に私を置かれたのだ。他の誰でもない。此の私を頼りにしていると、表明して降されたのだ!
其の事実が、斬の出世に目くじらを立てさせないでいた。全ての叙位が終わると、矢張り中で目を引いたのは斬の昇叙である。
「斬が力を付けてきたのは認める。だが、未だ若年の斬に、国の大事を護るという荷を背負わせてよいのか」
密やかに、不平不満の言が飛び交う。
だが言われなくとも斬自身が最も感じていた。感激が一旦落ち着くと、己の立場が見えてくる。経験が少ない者を抜擢するとは聞こえが良いが、其れは後の世に成功と言う形で報いられたからこそ残される言葉だ。一枚岩である剛国軍に敗北という名の亀裂が入る可能性が在るとすれば、留守を預かる斬の若さからくる未熟さである。此の人事を知った露国王・静は認識するであろうし、其れは正しいと斬も思っている。
然し乍ら、戦知らずの露国王如きに侮られるものか、という激情が幕臣たちの負の感情を容易く上回っていた。
――やる。必ず、やってやる。遣り遂げてみせる。何人たりとて剛国が土を踏ませはせぬ。
若さとは馬鹿さである、とはよく言ったものであるが、今の斬は、怖いもの知らずの盲目的という点に置いて、烈と同列の馬鹿さが出てきていた。
そして其れを、闘は深く求めていたのであるが、戦場において斬が其れを知るのは暫し後の事となる。
★★★
備国への出陣の準備は慌ただしく進められた。
最も祭国郡王・戰と同盟を結んで以後、落ち着いて腰を下ろした日が如何ほどあった事かと烈などは怒り心頭でふるえている。
実際、備国王との直接対決の『美味しい場面』は祭国郡王・戰に攫われた形で集結してしまった。
剛国としてはいい面の皮である。
しかし今の烈は怒りを顕にしながらも、最終的に備国の土地を蹂躙するのが闘率いる剛国軍であれば良いのである、と割り切れるまでになっていてた。
出世が大きく、良い方向に動こうとしている。
天帝の意志が大きく時代に作用しているのだと、認める事により烈に漢としての余裕が漸く生まれてきたのだった。
此れは驚きを持って特筆すべき事象であろう。青年期特有の漢が持つべきは後の人生を左右する深み、詰まりは『人物』として称えられるべき性質なのであるが、烈のような直情径行の者は根の正直さを愛される故に持ち難い。
なのに、どうだ。
此れには本人よりも寧ろ、周囲の幕臣たちがしみじみ噛み締めていた。
何しろ、無駄に当たられて時間を浪費しない。特に此の数ヶ月は祭国郡王の家臣を目の敵にする余りのとばっちりが酷すぎていた。
「決して変わらんと思っていた奴程、変われば変わる」
揶揄半分、感慨無量が半分といった溜息混じりの兄弟と幕僚たちの言葉を烈の耳は確かに捉えていたのであるが、笑って無視出来るようになったのも、彼の成長の一部分と言えよう。
「準備を抜かりなく滞り無く行わねばならん」
闘の命令を受けて烈が先ず用意させたのは兵站――の内の、干し肉である。
剛国の極寒の長い冬を乗り切るだけの栄養豊富な干し肉であるが、主に山羊の肉を使う。
完全に乾燥させた肉は容量が三分の一以下になる。完成した干し肉は更に砕いて牛の膀胱などの袋を使って携帯させる。湯に入れれば羹となるし、齧れば噛み締め続ける為、飢えを和らげる作用も期待できる。
もう一つは乾酪だ。
山羊の乳を強発酵させると、黄色っぽい油成分ともろもろとした白い塊に分離する。白い塊の方を脱水して乾燥させたものが乾酪である。やはり体積が半分以下になり携帯に向く。
後は炒麦を用意させた。
此れは麦のふすまを焦がしたものである。此の炒麦に胡麻や稗や粟も加え、乾酪を作った際に浮いて出た黄油でもって硬め練り上げ、やはり乾燥させるのである。
三品とも栄養豊富であり、何よりも剛国の民にとって赤子の頃から慣れ親しんでいる心と魂の糧といえる食料だ。
剛国の国土は平原の北辺、と云うよりも北の極限に位置している。寒さと乾燥は平原の中央にある禍国の比ではない。
凍てつく大地と風を乗り切る策は豊富である。しかし知り尽くしているがゆえに、冬にかけての遠征に臨むのは恐怖と死との背中合わせであるとも理解している。
「死の恐慌を遠ざけるのは、食料だ」
口惜しく感じながらも烈が郡王・戰と真から学んだと認めているのは、兵糧を決して軽く扱わなかった点だ。
飢えを覚えた兵は腹を満たす以外の事が考えられなくなり統率以前になってしまう。最悪、国を捨て、国を売る。契国の領民たちは己の国王を見捨てて郡王・戰に走ったではないか。
切羽詰まった契国の民が選んだのは自分たちの尊厳を守ってくれると信じた、飢えさせないで呉れると信じた郡王・戰なのだ。
「兄上が率いる剛国軍に、あんな醜態を晒させるわけにはいかぬ」
悔しいが、郡王・戰の兵は常に強く指揮系統に乱れは一切無かった。忠誠心が生きるのは、生かせるだけ腹を満たしてやっていたらかである。
馬は人間の5倍喰らうのであるから、何万騎を率いるとなれば当然其れだけの荷が必要となる。馬を存分に駆けさせてやるには彼らの飼葉も充分過ぎる程用意せねばならない。
である以上、人間の食糧は出来るだけ嵩を抑えねばならない。が、真冬の崑山脈越えを強行するのであるから彼らの口から不平煩悶を出させてもならない。
両立し得ない此の難問を、烈は闘の命令を忠実に遂行し、見事に解決してみせたのだった。
★★★
寝台から上体を起こした王妃の滑らかな黒髪を、露国王・静手櫛で解いている。
時折、豊かな滝の流れのような髪の隙間から垣間見える白い柔肌を堪能していた静は、此方をちらりと振り返った妃が、くすり、と短な笑い声を零したのを見逃さなかった。
「どうした? 何を笑う?」
「何やら、臭う御座いませぬか?」
「……ふっ、臭う、とは、また……」
腕を伸ばして、黒髪を一房、掌に取る。まるで朝露のような輝きを放つ髪を口元に運びながら、今度は静が、笑う番だった。
「其の方の髪は、欲深い女の匂いがきついが――さて、何がどう、臭う?」
「血と呻き声と、欲望と――戦の臭いに御座います」
「其れは、また」
奪われた髪の束は其の儘に、静に向き直った王妃・梔が、にんまりと笑う。
「随分と、鼻が利くな」
「啓蟄には、時期が随分と外れておりますのに。可笑しな事ですわ」
「面白いか?」
「はい、とても」
長い髪が垂れて裸体が隠れ、見えそうでありながら見えない。
だが逆に其れが実に蠱惑的であり、欲情を煽る。良人が己の裸身に見惚れているのに気が付いておりながら、殊更に焦らしている。そしてそんな児戯を仕掛けてくる王妃を、静は気に入っていた。
「何処も彼処も動きだしている」
静の引き締まった胸板に、はい、と答えながら梔はしなだれ掛かった。
「西も東も南も。滑稽な程ですわ――処で」
「む?」
「何方の御相手をなされる御積りですか?」
さて、と目を細めながら、后の美しい顔半分を隠していた髪を静はかきあげてやった。
「何方にすべきであるか」
つつ……、と筋と筋の間に指先を滑らせつつ、梔はまた、笑う。
「其のお顔。もう既に、御心を定めておいでの癖に」
「王妃には敵わぬな」
「あら、勝つ御積りもなき癖に」
「ほうれ、其れよ」
目を半月の形に歪めて不気味に笑う妃に負けじとしているのか、静もまた、唇だけで薄く笑った。
静の心の中では、漸く出兵の意志が固まっている。しかし其れも、いま少し静観せねばならない。
――此処まで動かずに居ったのだ。趨勢を見極めるのに暫しの間待つ事など苦にはならぬ。
討つとすれば最も可能性が高いのは、祭国だ。
謀叛の旗を翻し剰え句国王を名乗った祭国郡王・戰に対して、既に禍国は大軍を差し向けている。大将は大保・受であると言うが、此の際、禍国軍の将軍が誰であろうと関係無い。
――大甘な郡王は必ず大反転を行い、祭国に救いの軍勢を自ら率いて来る。
此れは郡王・戰を多少なりとも知る者であれば、予感ではなく予見できる。
此の時、背後の注意が散漫になるのはさて何方であるかと言えば、追い詰められている郡王・戰の方だろう。
そもそもが、祭国と句国の両方を抱えきれるだけの軍勢を有していないのだ。何方かが手薄になるのは必然である。
句国を狙うか。
其れ共。
祭国を攻めるか。
より、郡王・戰の精神に揺さぶりを掛けられる方を選ぶべきである。となると、賽の目は禍国との戦が始まった直後に祭国を下すべしと出る。
だが、剛国の出方により其れもまた二転三転する。
剛国王・闘が再び大遠征の準備を行っているという。往き先は備国だ。此れから厳寒期を迎える崑山脈を越えるなど正気の沙汰では無い。然し乍ら剛国王・闘はやってのけるだろう。
となると、果たして干城 と為らんと名乗りを上げる者は如何ほど居るか。
――剛国の民の基質からして、醜の御楯に為らんとする者は少なかろう。
となれば、祭国よりもより強大な国土を有する剛国に攻め入る方が露国にとって利は大きい。
もう一つ。
禍国と祭国が戦うとなれば、漁夫の利を求めて東燕が動き出す可能性もある。
国力差が歴然である祭国主導で雄河の治水工事に着手しているからこそ、主導権を奪う為にも祭国との関係性を何方に振るのかが重要となる。友好か其れ共、離反か。
――東燕は、郡王・戰が居らぬ間を突いて雄河が齎す利益を我が物とせんと動くだろう。
しかし此の雄河の源流は露国に在る。
となれば、早晩、雄河の利権の全てを手中に収めんと東燕は露国に侵攻してくるのは必死である。
そうなる前に、未だ母の影に隠れて王権を確率していない葵燕を討つべきである。東燕さえ手に入れれば、隣接する西燕を手中に収めるのはたやすい。そうなれば雄河の流れを一手に出来る。
――雄河を厄介者扱いしか出来なかった、其れが、東燕の阿婆擦れの限界、所詮は女と侮られる所以よ。
雄河を利用して南下し、那国、いや今は河国に攻め入って鉄製品の秘法を己が支配下に置ける。のみらなず、海洋覇権を奪えると何故気が付かぬのか。
――そして最後に、禍国である。
中華平原に燦然と輝く超大国であり、他の追従を決して許さない帝国であり、対抗馬と成り得るのは崑山脈以西に覇を唱えている皇帝・雷率いる蒙国であろう。
だがしかし如何に斜陽とはいえ、二国間の国力差は未だ歴然としている。
巨大な牙を持つ猪に対して兎の群れが勝てるのか? と問われればほぼ即座に否、と答えるであろう。
可能であるとすれば、其れは禍国が何れかの国に対して大敗塗地した後、其の隙を突いて、という事になる。
剛国を得れば国土と国力の一挙増幅が見込め、禍国の現状を鑑みれば実質、平原一の大国に名乗りを上げられる。
祭国を掠めれが平原中央への道が一気に開け、禍国を押し破る足掛かりを得られる。
東燕を奪えば平原と些かも違わぬ広大な海洋権と、郡王・戰の勝利を支えた鉄製品を抑えられる。
そして禍国を乗っ取れば――
静は平原の次なる帝王として君臨出来る。
――其々三竦み、なかなかに魅力的な美女の誘いであるな。
此の三国を如何に攻め、如何に転がすか。露国が平原に打って出るには最終的には禍国を破り、平原に覇を唱えねばならないのであるが、差し当たってどの国を下さねばならないのか。
「見極めねばならぬ」
「……そして其れが可能なのは、陛下のみ――に、御座いますわ」
ぽつりと零した静に、すっ、と梔は酒杯を差し出した。
甘い酒香が、女の体温に反応して、ゆらゆらと立ち上っている。
……にっ、と唇の端を持ち上げた静は梔から酒杯を受け取った。
そして、彼女が手にしている其れに、軽く打ち合わせたのだった。
★★★
刻一刻と変わる情勢を正確に把握する為、露国王・静は彼の地の住民と変わらぬ暮らしをさせつつ諜報活動を行わせる者たちを家族単位で送り込んでいた。
此れを彼は便衣兵、若しくは便衣隊と呼んでいた。
便衣とは、当地での農民服や平服といった意味である。時節柄、どの国も諜報活動を行う斥候、草たちの動きを封じようと躍起になっている。国から国を移動する行商人への変装が一般的だが、そんなものはお互い様であり、直ぐ様露見してしまうだろう。
だが、家族ごと、下手をすると小さな邑の殆どが密偵であるとは思いもしない。
剛国、禍国、祭国、東燕、露国、の五国の中で最も情報長者であるのは、実の処、露国であった。
剛国や東燕にての偵諜を行っていた便衣隊から続々と齎され積み上げられていく情報を前に、露国王・静は珍しく厳しい顔付きとなっていた。
――……さて……。
句国王として即位した郡王・戰は既に祭国に向かって大返しを行っている最中だという。
留守の句国を守る兵は大凡1万。
約二千騎を契国国境に差し向けて自身が総大将となり祭国を救う為に一直線に駆けに駆けている。
今や郡王・戰が祭国軍の迅速さ、否、最早神速の域に達している速さは平原に轟いている。加えて、戦巧者でも知られている。禍国軍が気を緩めた瞬間を逃さず攻勢に打って出るだろう。
対して句国に侵攻していた備国を共闘して倒した剛国であるが、無謀とも言える厳寒期の山脈越えを行う気である。
備国王・弋を失ったと本国に知らせが届いた直後の混乱に乗じて国境を突き破り、積年累月の恨み辛みを晴らす積りなのだろう。
問題は、両国の留守居役だ。
攻め入るのであれば距離的に剛国の方が入り易い。然し乍ら露国の兵は剛国と比べて脆弱なのは認めなくてはならない。
歴然たる此の差を埋め得るだけの策を用いるとしても、敵将が重要であるのには変わりが無い。
東燕の王太后・璃燕は息子である葵燕王の初陣を飾らせる積りであるようだ。
が、王室内が少々生臭い動きを見せているようである。其の筆頭たる者が、誰あろう、葵燕王自身だ。母親の璃燕に小僧扱いされたのがよほど腹に据えかねたのだろう、同族である業燕と朱燕を密かに味方に付けて母親に己の力量を見せ付けんと画策しているという。
静にとって禍国軍を率いる総大将、大保・受が四国の中で最も読めない男だった。
――何しろ、情報が少なすぎる。
現皇帝・建の即位と共に俄に頭角を現してきた人物であるが、魑魅魍魎が跋扈する館である王城内で逼塞し、生き延びて来られただけでも特筆すべきだろう。大将としての力量は不鮮明であるが、財政難に喘ぐ禍国軍を祭国国境まで不備なく率いてきた処を見ると、一廉の人物であるのは確実であり、侮るなど以ての外だろう。
双眸を閉じて長考する静のもとに、新たな情報が齎された。
「剛国王・闘が王弟・斬に征虜将軍の地位を与えた……か」
詰まり、留守を守るのはまだ尻に抜けきらぬ産毛を乗せている雛、という事だ。
――同じ王弟でも、烈が相手であれば剛国に対して手を出そうなどと思いもしない。だが、斬相手であれば、静としても欲と云う色気が出る。
各国から露国に情報が齎される迄の間に、また状況は変わる。
しかし悩み過ぎても時期を逃す。驚天駭地に巻き込まれて国が終るだけになってしまっては元も子も無い。
――今、此処が決断の時か。
「兵を集めよ」
静は静かな口調で命じた。
「剛国を、攻める」




