2 秘密
2 秘密
正式な使者はなくとも、父親である皇帝・景が崩御したとあれば、このまま行幸を続ける事は出来ない。
あの後戰は、断腸の思いで、行幸の延期を命じざるを得なかった。
女王として椿姫も、戰と意を同じくする旨を宣した。祭国としては喪に服する必要は本来ないが、こうして戰と同調する事で、宗主国への礼儀を示してみせたのだ。対外的に、今後祭国は禍国と共に歩むのだと、知らしめる事にもなる。
行幸から引き返す一行から離れ、露国への禍国皇帝崩御の報使者として発ったのは、蔦だった。
これ以上、戰と初姫との縁談を進めても無駄に終ると言葉巧みに事を進め、帰国の際には縁談反故の返事を露国王・静よりもぎ取って来たのは、流石だろう。
涼しい顔付きで、さらりと報告する蔦に、克が尊敬の念を込めた眼差しを向ける。自分には、全く想像出来ない世界だ。
「蔦殿、一体どうしたらそのような事が出来るんだ?」
本気で不思議そうな克に、蔦は袖口で口元を隠しながら、くつくつと笑った。
「いえ別に、何も特別な事などは……ただ」
「ただ?」
「人を思うた通りに躍らせる技を得知し、得意の技とするのは、真様の言葉のみにあらず……と言えば宜しいでしょうか……?」
「は?」
「その先は、どうぞ、お好きなように御想像下さりませ」
くすり……・と、目を上弦の弓のように科らせて艶然と笑う蔦に、逆に克は、い、一体、露国で、な、何をしてきたんだ!? と、ごくりと喉を鳴らしたのだった。
★★★
王城に着くと同時に禍国からは、皇室の時事をのみ扱う使者が到着した。
迎え入れた使者により、皇帝崩御の報が正式に戰に齎される。
同時に、代帝・安即位についての一報も、である。
初めて知った、皇太后・安の大胆な変節に、使者に頭を垂れる戰と、隠れて伺う真は、同時に冷や汗を額から流した。
この意味の大きさを完全に知り得るのは、戰と真、そして椿姫と、禍国に元々いた者たちだ。
「どう思う、真?」
「そうですね……。ここ、祭国から、思惑だけでは何も動けません。せめて、父から何かしら報せがあれば、と思うのですが」
悪意ある利用をされるとは言ったが、さて、この皇太后・安の欲の向く先にあるものは、何なのか?
味方に抱き込んだ皇太后・安の思いも寄らぬ変貌に、顔を顰める真であったが、此れだけ禍国と遠く離れていては何もできず、様子を見守る位しかできない。今は、父・優からの便りが唯一の頼みの綱となるが、その父からも様子を詳しく伝えるような、芳しい話はない。肝心の皇太后側が、それ以後一向に、事の出方を明らかにしてこないからだ。
相手も自分たちを見る目は同様であろうが、如何にも静かすぎた。
嵐の前の静けさとしか、言い様がない。
真も流石に、怖気に背筋を震わせる。
いつどうなるのか。
考えても仕方がないのだが、考えてしまえば、深くそれに落ち込んでしまう。
気持ちの良い仲間が増え、明るい時間を過ごす事が増えれば増えるほど、この時を長く保ちたいと思い描くようになるのは、当然だ。
その為にこその、戰と共に築く国――なのだから。
ほどなく皇帝崩御の正式な報が、各国に向けても発せられた。
これにより、露国側にも蔦の言葉が真実であると告げられた訳だ。
しかし、代帝として皇太后・安が王座を占める事実は、正式に齎されてはいない。だがお陰で、露国王側から、再び戰に初姫をとの話が来ないのは、幸いだった。これ以上、鬱陶しい話は出来るだけ減らしたい。
「どう思う、真?」
「そうですね、この1ヶ月半、何も沙汰がないところをみると、やはり百ヶ日の服喪開け後に、と思われているのでしょう」
真の言葉に、戰も力を込めて頷いた。
明らかに、椿姫を安心させる為に、二人とも態々とわかりきった事を口にしている。
素直に、はい、と答えると戰も真も、明白に顔を見合わせて安堵の吐息をつくので、流石に椿姫も苦笑いする。
けれどその二人しての心遣いが、ともすれば潰れてしまいそうな心に、今は沁みるようで、嬉しい。
でも、と椿姫は思う。
百ヶ日の喪が開けるのは、正月の後となる。
喪開けの法要に、戰は禍国に赴かねばならない。此れまでの身分であれば、幾ら郡王となったとしても、法要に他の上品の妃の皇子たちと列席する事など、考えられぬ沙汰だ。
だが、今は違う。
皇太后・安が、戰の後見として、正式に名乗りを上げたのだ。
最早、麗美人の腹出の最下層分の皇子ではない。れきとした、皇太子候補の筆頭に名乗りを挙げられる迄に、登り詰めたのだ。
だから怖い。
禍国に戻ったその折に、本当に、戰の身に、何も起こりえないのだろうか?
あの襲撃事件を起こした輩が、戰に直接手を出して来ないと言えるだろうか?
禍国で起こる政争は、祭国などの比ではないだろう。
しかし、禍国で何事かが起こったとしても、それは当然だとして微塵も苦にしている様子がない戰が、椿姫には哀しい。
百ヶ日服喪開けの法要を無事に済ませて、ただ、戰に帰ってきて欲しい。
そんな風に心配する事が出来るまでに、椿姫は成長していた。
★★★
椿姫に関して言えば、さらに言えば、大上王・順の問題があった。
行幸を切り上げて帰城し、禍国からの使者を送り出すや否や、大上王・順を西宮へと送る旨の宣下を、椿姫は下した。
遂に、である。
宮となれば聞こえは良いが、何処の王室にもある後主となった身の王族の蟄居隠遁先、つまりは終の棲家である。
兵を率いた杢と共に、大上王・順の元に真は赴いた。
「捉えよ」
杢は短く、一言をのみ発し、命じる。
彼の言葉に、おう・と短く応じて、克が縄を手に進み出る。真は黙って、杢の命令を遂行する克と彼の部下の手際の良すぎる動きを、ただ見詰めるのみだ。
その表情は険しい。
最初からこうしておけば、自分が悪者になってでも強行しておけば良かったのだ。そうすれば、椿姫は今よりも傷つかずに済んだのだ。己の甘さに、自然と厳しい表情にならざるを得ない。
しかし、大上王・順は、真の表情をそうは取らない。遂に捉えたと心を躍らせている、悪鬼の表情として見ている。
叫び声をあげて暴れまわり、不平不満を訴え罵詈雑言を浴びせる大上王・順の前に、椿姫が静かに現れた。その背後には戰が控えているが、順は構っていられない。一刻も早く、この事態から逃れでる為に、娘である椿姫に涙・涙で訴えねばならない。
「お、おお、椿。は、早う、早う謂われなく捉えられた父を、吾を助けぬか」
腕を後ろ手に捉えられた父の姿に、椿姫の瞳から涙が溢れ、つ・と白い頬を伝っていく。娘のその姿を見て、大上王・順は心の中で深く安堵した。
そうとも。
父への敬愛の念と愛情が深い娘が、この吾を見捨てる筈がなかろうぞ。
「お父様」
「おお、椿……。此れは一体何とした事であろうぞ。何故に父が、このように囚われ人となるのであろうぞ」
「お父様」
「だが、そなたが吾を助けてくれような? 最早、父は、何の心配もしておらぬぞ。さあ椿、早う、縛を解くように命じるのだ」
「お父様」
縛についておらねば、両手を広げているであろう、父・順大上王に向けて椿姫は冷ややかに言い放った。
いや、冷ややかにと感じ取ったのは、大上王・順のみだった。
椿姫は、努めて冷静に声をかけただけだ。
「お父様、何故、お兄様のお姿を正しく見ようとなされなかったのですか?」
「な、何とな!?」
「何故、私に、お兄様のお姿を、正しく伝えては下さらなかったのですか?」
その言葉に、大上王・順はぎくり・とした。
此れまで、椿姫は、亡くなった王太子である兄王子・覺と、父と同腹弟である叔父・便の争いを、単なる身内の醜い継承争いだと思っていた。
しかし、それは実は違う姿であったのだと、苑の話から椿姫は理解した。
父・順大上王にとって、立派な志を胸に勇往邁進する兄王子・覺は、必要ではなかったのだ。父・順には、兄のように志の高い人の気持ちが理解できず、また、己の欲に忠実に生きる事を許してくれぬ子も理解できなかったのだ。
あの戦の内乱の果てに、兄・覺が叔父・便と亡くなって一番ほっとしたのは、実は父・順であったのだ。
父には、出来の良すぎる兄も懐の深い同腹弟も、到底血を分けた者とは思われなかった。
だから、必要なかった。
必要であったのは、出来の悪い自分を諦めて、何かと手助けしてくれる后・萩のような人物と、父の為であれば、迷いなく己を犠牲にして全てを聞き入れてくれる娘、そう自分のような子であったのだ。
国に尽くしてきてはいたが、優秀であるが故に父を煙たがり、いち早い権力を求め叔父と戦った末の事、たった一度の愚かさに命を落としたのだ――と、椿姫は内乱時の兄をそのように、自然と思わされていた。
完全に、違うとも言い切れぬので、より質が悪い。
そしてそのほんの僅かな思い違いにより、自分だけは兄と違い、父を手助けせねばと思い込まされてきた。
その僅かな違いが、どれほど重き罪であるのかも、思いもせずに過ごしてきた。
けれど、もう、決別せねばならない。
「大上王・順」
「な、何? つ、椿よ、何故に吾を父と呼ばぬのだ?」
「祭国郡王・戰陛下への御縁談のお話、何故、取次がれましたか?」
「ふうっ!?」
「大上王には、尊号はあれど権威はなしと、ご理解頂けているものと思っておりました」
「つ、椿……そ、それは、それはっ……!」
「私の事は、女王とお呼び下さい、大上王」
「つ、つばき!」
椿姫は、軽く目蓋を閉じ合わせ、短く息を吸い込んだ。
吐き出す息と共に、命じる。
「女王・椿として、命じます。大上王・順の尊号を剥し、後主と為します」
「な、何とな!? し、しかし椿、この吾が後主となっては、この先お前が縁を結ぶ際に、国を統べる者がおらぬぞよ!? あ、吾を、この父を捨てて何とするぞよ!?」
「どうか、ご心配をなさらないで下さい。此度の行幸の際に、お兄様が隠されておられた承衣の君と御子と出会う事が叶いました」
「な、何ぃ!? か、覺にそのような!?」
驚愕に、後主・順が腰をへなへなと折って、座り込む。
やはり、大上王は知らなかった。本当に、これだけは不幸中の幸いといえた。皆が安堵の溜息をつく中、椿姫のみが、哀しげに瞳を揺らがせていた。
「ですから、ご安心下さいますよう。この先の祭国は、お兄様の御子が跡を継ぎ、立派に統べて行く事になるでしょう。私は、それまでの間、仮初の王として暫し王座を守るだけです」
「つ、椿、椿よ、ほ、本当にその女子と子供は、か、覺の? 惑わされてはおるまいか? そ、そうじゃ、そうとも、椿、お前を謀って……」
「後主・順を西宮へ!」
椿姫が、強く命じる。
その声に、迷いはない。
ひいぃぃ! と荷車の車輪に轢かれた蛙のような叫び声をあげる大上王、いや、後主・順を、克が引き摺るように連れて行く。
すれ違い様にも、椿姫は微動だにしなかった。
けれど、握り締められた両の手が、青くなるほどに硬くなっているのを、戰が見逃す筈がなかった。戰が、椿姫の細い肩を抱く。
「御立派でした、椿姫様」
真が静かに頭を垂れる。杢も、彼に従う部下も、それに倣う。
「けれど、祭国女王・椿陛下を演じる必要は、もう御座いませんよ」
以前の椿姫であったならば、真の言葉を待っていたかのように、まだ少女の両の瞳から、涙が溢れ出た事だろう。
しかし。
「いいえ」
椿姫は首を軽く左右に振った。
「私は、確かにこの国の、女王なのですから」
そういって、戰の腕に支えられなからも、静かに微笑んだのだった。
★★★
それ以後、後主・順は杢の主導により、厳重なる監視下に置かれている。
その間、怪しい動きを起こそうとした事はない。
酒膳と宴という遊興に深く浸ることにより、取り敢えず露国王との話は頭から抜け出ているようだった。監視の目を緩める事は決して出来ないが、ひとまずの間は安心して良さそうだと、皆、気持ちを緩め始めていた。
だが、戰にはこのところ、気になっている事があった。
確かめねばと、真が菜園に皆を呼び出した日に、思い切って皆を先に行かせて、椿姫と二人きりになる時間を作った。
仕方がない事ではあるのだが、正直この1ヶ月半の間、『郡王・戰』と『女王・椿』としてしか、向き合えていなかったのだ。
すると彼女の方こそ、この時間を待ちわびていたかのように、椿姫の方から口火を切ってきた。
「戰様……あの、聞いて欲しい事が……相談にのって欲しい事が、あるのです」
うん、と頷き返す戰に、しかし、椿姫はその先の言葉を紡げない。
躊躇し、下唇を噛んでいる。このところ、ずっとそうだった。何かを言いかけては逡巡し、結局、言葉を飲み込んでしまう。この時ばかりは、以前の、祭国に勝手に戻ると決めてしまった時分の彼女に、戻ってしまったかのように思われた。
「何を、そんなに気にしている?」
「え?」
戰に切り出され、虚を突かれた椿姫は、表情を強張らせた。
「露国の初姫との話以後、時々、様子がおかしい」
「それは……」
真と二人で行幸の道程を見直している最中、珊が何かしら手招きというか身振り手振りをしているのに、気が付いた。不思議に思い、真に視線を走らせると、彼も気が付いたようだ。
珊が必死になって指差す先には、青白い顔色で、まるで幽のように存在感を無くしている椿姫が佇んでいた。普段の、春の日差しのような彼女の表情からは、想像も出来なかった。
以来、一人でいる折に見せる、同じ、表情をなくした幽のような存在感をなくして沈んでいる彼女の姿を気にしてきた。
戰が、彼女を妃に迎えたいと告白した日以後も、それは密かに続いていた。
いやむしろ、それ以後隠れて『元の椿姫』に戻った時の哀しみようは、深いように思えた。
何とか機会得て確かめたいと戰は思い、真と蔦に相談し、この時間を作ったのだ。
「何を隠している? まだ、一人気に病む事があるのか? 私では、椿の支えになれないか?」
「そんな事……」
強く問い詰めても、椿姫は歯切れが悪い。ここ最近の、凛然とした態度は何処かになくしてしまったようだ。
「椿」
腕を掴むと、びくりと身体を震わせた。
「責めているのではないよ、ただ、話して少しでも気持ちが楽になるのなら、話して欲しい」
戰の真心のこもった言葉にも、椿姫は途惑いを見せる。何を、そんなに恐れているのだろうか?
「椿」
何度目かの戰の言葉に、固く閉ざしてきた唇を、漸く開いた。
「私の……宿星図が」
「宿星図? それがどうしたというんだ?」
「……消えて……しまったのです……」
戰の顔ばせに、緊張のみが浮かんだ。
★★★
禍国から帰国して直ぐに、自身の宿星図を王室の祭壇に戻そうとした時。
香箱から取り出そうと蓋を開けると、其処は空だった。
宿星図とは、どこの国の皇子や王子、皇女や王女が誕生して直ぐに星見や月読たち占師に占わせた結果を収めた図だ。養子縁組や婚姻の際には此れをもって、相手方の王室に入る事になる。
もっと言えば、この宿星図がなければ王室の者は、縁を結びあう事が出来ない。
相手方の先祖を祭る廟に収め、不幸が起きぬよう、占師に互いの相性を見立てさせるからだ。
自身の一生の縮図と言える、宿星図。
此れが忽然と姿を消した。
この恐怖は、珊や琢など、庶人には決して理解できないだろう。
王室に生まれ付いた者にとっては、まさに己の分身、いや己自身だ。
それを手にするという事は、その宿星図の主の、正しく命そのものを握っているに等しい。
女王として即位戴冠を済ませた時までは、確かにあった。
それが、禍国から祭国に戻って数日の内に、消えた。
誰を疑えというのか?
其処へ、父・順大上王が、露国の初姫との話を持ち込んできたと、真から話が入った。
椿姫にしてみれば、父親である順が、己の権威回復の為に行ったとしか思えなかった。
戰を引き離せば、露国王・静と自分との婚姻を持ち込むだろう。その時に抵抗してみせたとしても、宿星図がなければ、父の言うなりになるしかない。
けれども、それを直接問い質す事も出来ない。
父親の手引きの果てに盗まれたのかなどと、口が裂けても言葉にできる事ではなかった。
西宮に送り出しても、とうとう此処までの間、父に問う事は出来なかった。
縋る瞳の愛おしい少女を、戰は抱きしめる。
宿星図がなければ、縁は結べない。
しかも、その図を盗み隠した者が、欲に狂った実の父親かもしれないのだ。
椿姫が、ずっと隠れて哀しみの淵に沈んでいた意味が漸く分かった。
「よく、今まで一人で耐えてきたね、椿」
話してくれて有難う、と呟く戰の胸のなかで、嗚咽が漏れ始めた。
女王・椿ではない、冬の空の下に咲く、あえかな花弁の白椿の花の妖精のような少女に戻っていた。
「どうすれば、いいの……?」
「どうもしなくてもいい」
嗚咽の中で、必死に言葉を絞り出す椿姫に、戰は事も無げに答えた。
えっ!? と顔を上げた椿姫は、驚愕にその大きな瞳を取りこぼしそうな程、見開いていた。
「宿星図がなんだ。そのようなものと、私は結ばれたいのではない。私が欲しいのは、椿自身だ」
「せ、戰、でも……」
「宿星図がなんだというんだ。それがなければ結ばれないなどと、誰が決めた? 皆、そのようなものが無くとも、縁を結んでいる。何故、王室にある者だけが許されない?」
「戰……」
「言っただろう? 私は、此れまでの王とは違う王になると。そんなものを、気にはしない」
……そんな軽い問題ではないのだが。
しかし、何故か不思議と、どうにかなると思えてしまう。
祭国に戻ろうとした時もそうだった。
どうにもならない重い事柄であると、一人思い悩んでいたのに、戰に話した途端、道が開けてゆくように思えてしまった。
勿論、決して平坦な道のりではないのだが、彼が隣で手を引いてくれるのだと思えば、乗り越えて行けると信じられてしまう。
いやそんな事より、何よりも。
真のように言葉巧みでない戰が、懸命に言葉を尽くしてくれる姿の方が、椿姫には涙に溺れそうな程、嬉しかった。
「大丈夫だ、椿。何があっても、椿は離さない」
「……はい」
「何れ、折を見つけて真と相談する」
「……はい」
蟠りを吐露しつくして、文字通り身も心も軽くなったのだろう。
椿姫の身体が、戰の胸に更に寄りかかってきた。
長い豊かな黒髪を、戰は櫛ですくように、大きな手で何度も何度も撫で上げたのだった。
★★★
外が騒がしくなってきた。
抱きしめる戰の腕が緩んだので、椿姫は窓辺に寄った。
城内で子供の声が聞こえる、という事は、薔姫と学がやってきたという事だろう。
暗い考えに沈み溺れていたが、やっと重荷を外して明るくなった少女の背に、屈託のない戰の声がかけられた。
「真たちが来たようだね」
「はい」
椿姫は、朗らかな声で短く答える。
視線は、格子窓の外に落ちたままだ。真たちの姿を、目に留めたらしい。戰が近寄ってきて、一緒にその陽気な一団をみて笑い合う。
しかし、その一団の中には、学の姿はあっても、苑の姿は見られなかった。
見つけ出した兄王子の承衣の君である苑と、その御子である学は、王都に出て来てくれはしたものの、しかしまだ、城で生活する事をよしとしてはくれない。
行幸を取り止めて帰城してより父親である大上王・順を、遂に後主とした後も、それは変わらなかった。
心に受けた傷痕は、そう容易く消えるものではない。
学と話している間は気丈に笑ってはいるが、ふとした拍子に、無意識に顔色を悪くしている。気付かれまいとしながらも、身体を縮こまらせている苑を見れば、知らなかったで済ませられない罪の大きさと重さを、思い知らされるばかりだ。
だから、苑が、自分から心を開ききってくれるまで、何も言わずに待つのだと、椿姫は決めていた。
親子や縁者の間での辛い出来事が立て続いてあった為、椿姫の面立ちは以前より痩せて、よりか弱く見える。
しかし、此れまでのように、戰に守られているという印象もない。
まだ小さく脆いながらも、凛としたものが、彼女の内に育ちつつある証拠だった。その凛としたものとは、自分こそが、この祭国の女王なのだという誇りを持とうとする、決意だった。
だからこそであろうか?
戰と椿姫は、より一層、二人でいる姿が自然なものとなっていた。
「行こうか」
「はい」
戰が、椿姫に手を差し延べる。
その掌の上に、椿姫は白く細い指を重ねた。
後主
本来は、諡号(死後に送られる偉業を讃える為の尊号)を贈られる事がなかったり、王位を剥奪されて臣下などに身分を落とされた君主をさします。(有名どころでは、三国志の劉備の息子など)
あるいは、世嗣の意味もあります。
覇王では、「くび」を切られて追い出された、王位を剥奪された王様を差す言葉として使用させて頂いております




