表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

350/369

終章 新句国王・戰 その7

※ 注意 ※


真の祝詞は延喜式祝詞集などを参考にいたしました


終章 新句国王・戰 その7



「さて、真」

「はい、戰様」

「外に行きたいな、と思わないかい?」

 爽気の溢れる秋の涼か、其れ共、木漏れ日の温もりか、何方とも取れる、微笑みを浮かべながら、戰は宣言した。おやおや、と真は苦笑する。


「城の外で、と望まれておられるのですか?」

 うん、と戰は嬉しそうに、屈託無く笑う。仕方ありませんねえ、と真は態とらしく肩を竦めながら首を傾げてみせた。

「どうせ、駄目です、と申し上げても、どうにかならないかい? とお尋ねになるのは目に見えておりますし、はい、分かりました、と頷くしかないじゃないですか」

「流石だね、真。私の事を良く分かっている」

「そんな風に褒められても、何も出ませんよ」

 勉学に飽きてもきたし、学士の先生を少し困らせてやりたいから、脱走して散歩に出掛けないか、と貴族の子息が気楽に口にする戰に、しょうが無いですね今回だけの目溢しですよ? と悪乗りする士人つこうどのように真が答える。


「では、参りましょう」

「うん、行こう」

 答えるよりも早く、既に戰は歩きだしている。

 直ぐ真後ろに控えていた禍国兵部尚書・優、禍国上軍大将・杢、祭国万騎将軍・克と、皆、其々に物言いたげな視線を真に送りながら続いていく扉の隙間から差し込む陽光のように、行く先から歓声が上がるのが聞こえて来る。

 句国の領民たちが、戰の姿に気が付き雀躍しているのだ。


 ――何だ、此れは。

 斬は、まるで子供のように無邪気に思うまま動く戰を前に、呆然とするしかなかった。


「斬殿下」

「は――? は、はい?」

「どうぞ、我らが陛下・・案内あないの御役目、最後まで遂行なさって下さい」

 真に丁寧に礼拝を捧げられた斬は、やっと我に返る。

 そして己の不手際が露見せずに助かったと思えば良いのか、と立つ瀬の無さに沈痛な面持ちとなった。

 しかし、不経験から来る人としての至らなさと家臣としての青さは、隠しようもない。

 口惜しさと歯痒さに、唇を噛み締める斬を前に、真は苦笑した。


 踵を返した戰の背中を眩しそうに見遣る真の隣で、斬はふと、兄王を一心に見詰める己もこんな邪気の無い無防備な表情かおをしているのであろうか、と何故か赤面する。

 斬の視線に気が付いた真が、くす、と悪戯小僧めいた笑みを浮かべて、祭国の他の家臣たちに気取られぬよう、すすっ……、と身体を寄せてきた。

 反射的に仰け反り掛けるのを堪える斬の耳元で、真は囁いた。

「殿下、お尋ねしたい……いえ、確認しておきたい事があるのですが、宜しいでしょうか」

「何だ?」

「御時間が掛かられたのは、郡王陛下の即位の儀式が調っていなかったからではありませんか? いえ、正確には……王の間に入る事を許されなかった、のではありませんか?」

 ずばり、と言い当てられて、うっ……、と斬は唇を曲げた。しかし同時に、素直に頭を下げた。

「申し訳無い。謝罪の言葉も見つからぬ」

 こうまで見事に見抜かれたのであれば、上辺だけの言葉で誤魔化すなど、此の男の前では出来無い。

 そして斬の性格から、事を隠蔽するなど、益々出来よう筈もなかった。

 真は苦笑しつつ、頭をお上げ下さい、と斬を慰める。


「殿下、他の御兄弟方から、何か御指摘・・・を受けられたのですか?」

「……は? は、いや、其れはその……」

 斬も、真が相手とはいえ言葉を濁す。

 ――幾ら真殿であろうと、愚痴をこぼす訳にはいかない。

 御指摘、と言われた事に対して、幾分腹を立ててもいた。

 八つ当たりに近い感情なのだと理解もしている。

 しかし、異腹兄あにたちに言われるのと真に言われるのとでは、腹に響く度合いが違う。

 ――此れまでも、真殿の顔など散々見尽くして来たではないか。

 なのに、どうして今日だけは真殿の顔がまともに見られない。

 口籠った斬を前に、おやおや、と真はまた、笑みを向けて来た。そして真の笑みを、やはり斬は直視出来ない。


「殿下の其の口惜しそうな素振りから察するに、陛下からは其の理由を聞かされておられなかった、もう一つ、ついでに言わせて頂ければ、他の御兄弟方からは、右往左往される殿下の為されようを揶揄されたのではありませんか?」

「真殿、それは……」

 ぐ……、と奥歯を噛み締める。

 ――此の男のと耳はどうなっているのか。

 遠くまで飛び出して、全てを見聞きする妖しの技でも身に付けているのではないか、と斬は些かぞっとする。

 単純に、凄い何故分かるのだ、と驚愕するだけで済む範疇を大きく超えている。

 が、奇妙な、泣き言を零す時に感じる脱力感を覚えながら、悟ってしまった。


 ――私は、真殿からも小馬鹿にされているのだな。

 此の一知半解の青臭い未熟者が、落ち込む事だけは一丁前なのだな、と。

 憮然とした表情になった斬に、宜しいですか、と真はまるで同じうからに向けるような優しくを見せた。

「此度だけ、特別にお教え致しましょう。斬殿下には、此れまで随分と助けて頂きましたし、何よりも共に戦った縁が御座いますから」

「……」

 何を何処まで把握しているのか、助けられた、の言葉にどれだけ複雑多岐に渡る事実が隠されているのかと、斬はどきりとした。



 ★★★



「闘陛下は試しておいでなのですよ。我が陛下に傾き掛けておられる斬殿下が、戻って来る気があるのかどうか。其れだけ、認められておられるのです。胸を張って良いのでは、と私などは思いますよ?」

「――は、あ?」

 何を言っておるのだ、と言わんばかりに斬は目を眇める。


「どういう意味だ? 陛下が何を試しておいでだと?」

 前のめりになりながら答えを求める斬に、しかし真は、笑って手を振る。

「先ずは、何故、闘陛下が儀式式典の御用意をなされておられながら、我が陛下に対して敢えて無礼を働かれたのか、闘陛下の御存念をお教えせねばなりませんね。つまりですね」

「其れはつまり?」

「我が陛下が出方を見る為です。剛国に対して、此れは如何なる事かと事を荒立てれば其こまで止まりの人物、取るに足りずと見限られる御積りだったのです」

「なに?」

「まだお分かりになられませんか?」

 言われての中に動揺の色を隠しもしない斬を、お若い、と真は微笑ましく思った。


 ――私が、戰様を出会った頃と然程変わらぬ御年齢であられると云うのに、何という素直な御方なのでしょうか。

 あの頃の自分は、思い出すと恥ずかしくてのた打ち回りたくなるくらい、物事には裏の裏の顔があるのだろう、私は何もかも知っているぞ、どうだ、と斜に構えていたものですが。

 悪事を働いていた訳では無いし、そうでなくては生き抜けなかったのだか羞耻を覚える必要も無いのだが、斬を見ていると『育ちの違い』は実際にあるのだ、と認めずにはいられない。


「つまりですね」

「つまり?」

 何時の間にか、斬は爛々とを輝かせながら、期待に身を乗り出している。

 ――おやおや、反発されておられたというのに。

 こういう素直な可愛げは誰からも好かれますが、同時に同数……いえ、其れ以上の敵も作ります。

 そう、戰様のように。

 お知りになった上で、如何に動くか動けるか動けるようになるのか。

 其れで、今後の斬殿下と云う人物の価値が決まる事になりますが……。


「郡王陛下が剛国に頼りきりになって句国王に即位する気であるのならば」

「其の気であるなら?」

「素直に呼ばれるまで待っているような腰抜けの玉無し(・・・)の漢が作り上げる国など利用価値など皆無。即座に侵攻して奪い盗る」

「な、にぃっ!?」

「若しくは、剛国の風下に立つ気などはないのだと殊更に噛み付く気であるのならば」

「そ、其のような気構えならば?」

「何時まで待たせる気なのかと怒りに任せて剛国の否を責める郡王を諌める力を持たぬ家臣しか持たぬ漢など、やはり先々活用法など無きに等しい。即刻、放伐するに限る」

「なっ、なっ、なっ……!」

 斬は言葉を無くし、干上がった沼の底に横たわる鯉のように口をぱくぱくとさせるのが精一杯だった。


「幕僚の方々も他の御異腹兄弟(きょうだい)の方々も、闘陛下の御存念を是とされておられるのです。ですから、斬殿下の為されようは、実に情けなくも家臣として名を連ねるに値せぬものと捉えられても致し方の無い事でしょう」

「で、では……では、真殿」

「はい、何でしょうか」

「郡王……陛下は、な、ぜ……その、外に出よう、などと……」

「其れは勿論」

「其れは、勿論?」

 ぐっ、と斬は真に迫る。

 一瞬、目を丸くして斬を見詰めた真だったが、ふっ、とを和ませる。


「此の即位が簒奪では無いと、そしてさきの句国王・玖陛下から正式に禅譲を受けての践祚であるのだと、領民の心を安んじる為です。郡王陛下にとって、祖国である禍国や剛国、そして虎視眈々と祭国と句国を狙っている露国や東燕など、どうでも良いのですよ」

 斬は眉根を寄せた。

 真が言わんとする処が全く分からない。

 どういう事ですか、と詰め寄ろうとする斬に、真は静かに手を挙げると、此処までに致しましょう、と諌めた。


「な、何故?」

 此処まで来て! と思わず叫ぶ斬に、真は諭す。

「斬殿下。最初に申し上げた通り、斬殿下には御役目を果たして頂かねばなりません。どうか、剛国の方々に我が陛下が城の外に出られる御積りであらせられるのだとお伝え下さい」

「其れは……」

 伝えるのはやぶさかでは無い。だが、此処まで来て真意を聞かずに去るなど出来ようか。

「私は殿下に多くの、いえ、多すぎる手掛かりをお教え致しました。此れ以上の言葉を剛国の王弟であらせられる殿下に差し上げるのは、些か、私のを超えております。何卒、御理解下さい」

「ぬ、う……」

 要は、戰様の御心の内を殿下に種明かし(・・・・)するのは簡単な事であるが、其れでは殿下の心身の成長は望めなくなる、而も、鸚鵡返しに闘陛下に伝える訳にはいかぬは殿下御自身が誰よりも分かっておいでなくてはならぬ筈、と暗に云っているのであるが、最もな言い分だった。

 斬は其れでもまだ、逡巡していた。

 が、やげて大きな溜息と共に、あい分かった、済まぬ、と素直に引き下がった。


「陛下に早急に伝えに参るのが、私の役目か」

「正しい御判断です――殿下」

「何だ、真殿」

「先程、闘陛下が傾き掛けている斬殿下を試しておいでなのだ、と申し上げました、其の答えですが」

 おう、それだ、と斬は膝を打つ。

「どう云う意味なのか、其れは教えて呉れるのだな?」

 有難い、と斬はからりと明るい顔色になる。

 あまりに裏のない素直さに、まだ、お分かりになられないのですか? 仕方の無い御方ですねえ、と流石の真ですら、揶揄する口調が出ない程だった。


「剛国と闘陛下を中華平原の王として輝かく偉業を見届けるは我が身無くして有り得ぬ、と他の御異腹兄弟ごきょうだいや御家臣方のように一点の曇り無く瞻仰せんぎょうされておられれば、今、態々、私に食って掛かって答えを求めてなどおられませんよ、と云う事です」

「――あ、あぁっ……!!」

 ――試しておいでなのだ、と言ったのは……そう云う事か。

 私は……知らぬ間に、兄上ではなく郡王の立場に立って物事を見、考え、我が国を動かそうとしていたのか……。

 そう思えば、此処に至るまでの異腹兄きょうだいたちや家臣たちのあの・・の色の意味が分かる。

 ――嫉妬や悋気などではなかったのだ。

 本気で私の未熟さに呆れ果て、私のような者など、祭国に走ってしまえば良い厄介払いになるだろう、と其の程度に思われてしまっていたのだ。

 斬は絶句し、わなわなと震え出した。

 どうすれば失態を拭えるのか。そもそも、拭いきれるような不始末なのか、と視線を彼方此方に彷徨かせている斬の哀れな姿に耐えられなくなったのか、ふっ……、と真は笑みを零した。


「斬殿下、其処まで思い詰める必要はありません。御自身の志が那辺にあるのか、其れにのみ、素直になられれば御宜しいのです。即ち、我が陛下と共に在ろうと――」

「其れはない! 私は、身も心も魂も、いや、来世までも、我が兄王陛下と共に在るのだ!」

 真の言葉を皆まで言わせず、斬は断言する。

 まるで雨に打たれた仔猫のようであった姿など、一瞬で消し飛とんでいた。剛国と国王・闘を敬拝する、一人の武人としての王弟・斬となっていた。


「殿下は御自身の足りぬ部分を率直に認められ、気付きと共に改めようと真直ぐに動かれる。此れは殿下の美点であらせられます。どうか、大切になさって下さい」

 言葉だけを捉えれば褒められているのかもしれないが、要は、気持ちだけが御立派で前のめりな童だった御方がよくぞ脱皮なされました、と言われているようなものだ。

 だが斬は、まだ少年の面差しを残している面に、晴れ晴れと爽やかな笑顔を浮かべた。



 ★★★



 大門をくぐり再び城外に出た戰は、迷いなく歩いていく。

 その背後に掲げられている句国王の大国旗が、風を受けて空に舞っていた。まるで、己の主の姿に見惚れているかのように。


「陛下!」

 誰かが叫ぶと、わっ! と歓喜の声が方方で波打つように上がり、領民が一気に押し寄せる。

 興奮して我を忘れた領民たちが、戰の行く手を阻むかと思われたが、戰が笑みを湛えながら僅かに手を振ると、もう一度、わぁっ! と歓声が大きく畝った。そして、人々はまるで潮が引くように粛々と下がった。


「万歳!」

「陛下万歳!」

 しかし、隠しきれぬ歓びは再び爆発し、戰を包み込む。

 威風凜然、堂々たる姿を惜しまず曝け出す戰に、句国の領民たちは大喝采を贈り続けた。

 純粋な歓びは至極、単純で明快な弾けるような笑顔となって現れた。

 だが一方で、万歳を叫び諸手を挙げつつも、笑うに笑えぬ微妙な表情で互いの顔を見遣る者たちが少なからず居た。


 ――陛下は一体何処に往こうとされておられるのか?

 ――一体全体、陛下は何故、城外に御出座しになられようなどと思われたのだ?

 ――既に即位の儀を恙無く執り行われたのであれば、戦場から駆け付けたままの御姿なのは、どう云う意味なのだろう?

 月暈のような朧な不安から芽吹いた、まだ種の殻を被った芽のような小さなものであるが、彼らの中ではある疑義が育っていた。


 ――まさか、我々を見捨ててしまわれるのではないのか?

 ――陛下は此の儘、句国の城を離れて祭国に御帰国されてしまわれるのではないのか――と。

 漠然とした、そして密かであるが凍みるように心を捉えて離さぬ疑念だ。

 が、領民たちの心の奥で時折首を擡げて来る。


 ――祭国に一度は帰国されればならぬ御立場であらせられるが、陛下は果たして、句国王が証を保持される御積りなのであろうか?

 ――そもそも、郡王は紛う事無き禍国の皇子であらせられるのだ。

 ――よもや、禍国皇帝に国譲りをされるのではないのか?

 ――其処までゆかなくとも、共に戦った剛国王に脅されれば、祭国を護る為に句国の国土を割譲してしまうのではないのか――?


 有り得ない話しではない。

 先々代の国王・番との戦いの折、当時、まだ禍国の皇子であった郡王・戰は、句国の王室と歴史に対してもであったが、何よりも祖国への敬意と礼儀を決して失わなかった。

 だからこそ信じられるのであるが、故に、一抹の不安が拭えないのだ。

 披帛に落とされた一点の墨のように、不安感は徐々に領民たちの間に伝播していった。

 やがて、あれだけの熱狂に包まれていたとは俄には信じがたい程、しん……、と水を打ったように場が静まり返った。

 辺りに響き渡るのは、ただ、郡王・戰を先頭として行軍する祭国と禍国の連合軍の靴音のみ。

 固唾を呑んで見守っていた句国の領民たちは、やがて熱病に冒されたように、ふらふらと連合軍の後に続きだしていた。


 遂に、戰が足を止めた。

 其処は、句国王・玖と王妃・縫が非業の最期を遂げた場所であった。



 ★★★



 戰の背後で、深い森の奥の木々の枝葉のさざめきのような声が上がりだした。

「もしかして……もしかして、此処は、此処は……」

「そうだ、こ、此処は……」

「玖陛下と縫妃殿下が身罷られた場所だ」


 やがて、集った句国の領民たちの間から、啜り泣きと咽び泣きが漏れ始めた。

 極悪非道の備国王・弋人外の所業は深く彼らの心と魂に刻まれている。

 止まぬ氷雨の如き嗚咽の中、すっ……、と影が進み出る。真だ。

 礼拝を捧げながらゆっくりと歩を進めた真は、戰と軍勢の丁度中間付近で立ち止まった。

 戰に対して、深く腰を折り最礼拝を捧げると、其の侭の姿勢で踵を返す。

 連合軍の正面まで戻った真は、一呼吸を置いた後、バッ、と背筋を伸ばし、同時に右腕を高々と天に突き上げた。


「軍旗を掲げよ!」

「おおっ!」

 全軍が呼応する。

 郡王の軍旗が、禍国兵部尚書の軍旗が、上軍大将の軍旗が、万騎将軍の軍旗が――そして、『真』の文字が縫われた軍旗が、一段高く、突き上げられる。

 天涯の白海か、はたまた虹の架け橋のように並び輝く軍旗の中央で、句国王の大軍旗が一際高く掲げらた。

 旗がはためく際に生じるどよめきの中、跪いていた芙が両手を頭よりも高くし、六撰の御璽を真に差し出した。

 璽綬に最礼拝を捧げた真は、厳かに、其れを受け取る。

 そして面を伏せつつ、頭上より高く璽綬を掲げながら元の位置に戻った。


 天弓のように並ぶ軍旗の下、真は足を止める。

 そして、戰に向かって厳かに六撰の御璽を掲げた。

 其れまで姿勢を正して立っていた戰だったが、泣きさざめく句国の領民たちの前で六撰の御璽に礼拝を捧げた後、不意に、城壁に向かって平伏膝行をする。

 玖への心喪の意と敬意を民の前で明らかにする戰の姿に息を呑む人々の前で、戰は静かに宣言した。


「先王の諒闇りょうあんに服する句国の民よ。我、吾が国が先王さきのおうが身罷りし彼の地をこそ賢所大前の儀を行うに相応しきものとする」

 平伏する戰に続き、真は六撰の御璽を掲げながら厳かに口を開いた。


つの神璽の渡御とごの儀を以て句国王が践祚の儀とするもの也」

 真の言葉と共に戰は立ち上がった。

 同時に、句国王の大軍旗と戰の軍旗に対して全ての旗持ちは、一糸乱れぬ動きで一段下がると、片膝を付いて柄の角度を斜して構えると、真が寿詞よごとを編み奉るのを待つ。


「……」

 だが真は、寿詞を続けられないでいた。

 全身が小刻みに震えている。

 こんな事は、初めてだった。武者震い、と云うより、感動の為だ。

 酩酊しているかのように、自分の足元が定まらずにいるのが分かる。


 ――酩酊……そうか、そうだ。

 私は酔っている。

 立っている。

 人として立てる、己の『』に酔っている。

 隠しきれぬ喜びが、溢れて止まらない。


 ――此れが。

 此れが『生きる』と云う事なのか。



 ★★★



「真」

「……は」

 促す戰に、答える真の声は揺れていた。

 不意に、璽綬の向こうに居る戰の姿がぼやけだした。薄く滲んでいく戰を、だが真は、此れ迄の長き年月の中で最も身近に感じていた。


 ――戰様が……戰様も、私と同じく、想って下さっている。

 自分たちの間には、『きっと』『恐らく』『多分』という推測の言葉はない。


「真」

「……はい、戰様」

 優しく微笑みながらもう一度促す戰に、真は、感動のままに震えていた。

 が――ぎゅ、と唇を噛み締めると、礼節を守りながら璽綬を戰に差し出した。

 そして高くもなく低くもない、独特の抑揚を聞かせた声で、しかし抃舞べんぶ寸前の喜躍を涙に変えて堪えながら、真は寿詞を紡ぎ始めた。

 ただ、戰の為に。


 天穹に御名を所知しろしめし 天帝が御前みまえ

 寿詞よごと讃え奉らくと申す

 由庭ゆにわいなほまかせし吾が児

 天地あめつち日月星辰のいんを結び

 照らしあからし 御座おはしまさせよ

 荒御魂あらみたま 幸御魂さきみたま 和御魂にぎみたま 奇御魂くしみたま言祝ことほぎを受け

 今日こんにち生日いくひを以て 元年はじめのとしとせん

 平らに安けく国護り統べ あま統べし 日嗣の和子とならん

 八雲やくも押し分け あまかけり くに駆けり

 天下あめのしたを見廻り うまし御代を造らしむ

 諸臣もろのみたち 百官もものつかさ 百姓おほみたから

 御霊みたま宿せし 諸諸もろもろ

 天下あめのしたに 集い給え 睦み給え 

 すめら朝廷みかどに 仕え給え 侍り給え

 栄え奉らん寿事ほきごとを 見給え 聞き給え

 神賀かむほぎ吉事よごとを 尊み給え 歓び給え

 大御心おおみこころしるし 所聞きこし

 かしこみ かしこみも 申し給わくと申す


 真から璽綬を受け取った戰は、徐ろに剣を抜き放つ、地に突き立てた。

 柄の上に璽綬を示すと、目を凝らせば未だ紅き傷痕の残る城壁に語り掛ける。


 我が盟友にして我が国が先王よ

 幾久しく御魂を安んじ給え

 吾が国の朝陽照り至り夕陽届きし

 遍く由庭の瑞穂を見守り給え

 吾こそ

 御祝みほぎ受けし神宝かむたからを受継ぎし――


 淀み無く宣呪言のりとごとり聞かせてきた戰だったが、突然、固く口を噤んだ。

 戰が、玖や自分たちに対して、一体、何を告げようとしているのか。

 領民たちは固唾を飲み、待った。



 ★★★



「王としての体面も体裁も取り繕えぬ、酷い有様だ。こんな為体ていたらくで、誰が王と名乗れるものか、他国に認められるものか、と言われてしまうだろうね。だが、私は、今の私を、どうしても皆に見て欲しかったのだ」


 言葉だけを拾えば自嘲以外の何物でもないというのに、戰の笑みは何と透明感に溢れているのだろうか。

 誰もが、全身が胸の鼓動に支配されているのではないかという錯覚に陥りながら、戰が次に発するであろう、決意の一言を聞き逃すまい、と待ち続ける。


冕冠べんかんも無ければ十二章が描かれた袞衣こんえも無い。大国旗の穢を祓う事すらせず、璽綬に至っては正統性を認められてすらいない。だが、良く見て欲しい。此れが精一杯の私なのだ」

 此れ迄、粛々とした態度で見守って来た人々が、ざわめいた。


「性急に御位を求めず剛国に後ろ盾を求めさえすれば、備国に荒らされた国の偉容を整えるな如何様にも可能な事だろう。けれど、私はそんな王になりたくなかった。喩え、王としての体面取り繕えぬ酷い有様だと嘲笑されようとも、嘘偽りのない、私を、私の真心を見て欲しかった。私が認められたいのは諸国の王などではない。今、私の眼の前に居てくれる、皆に、私こそが句国王であると認めて欲しいのだ」

 当の戰は、と言えば、集う旗の下で期待に双眸を輝かせている、苦労を共にして来た部下と軍勢を見、新たな領民となる句国の民を見、と言葉と共に全ての者に投げ掛けている。


「句国は多くのものを失った。今、此処にこうして居てくれる皆が失くしたものは――敬愛されていた偉大な王、慈愛の象徴であった王妃、忠誠心を以て働く武官文官、我が児らの未来を求めていた両親、明日在るを信じていた恋人たち、倖せと愛情しか与えられていなかった幼子、そんな彼らを豊かなに内包して呉れていた、暖かな大地。そして私は――私も、心を開いて語り合い切磋琢磨する喜びを教えてくれた盟友を失った。誰も彼も皆、私も、多くの、掛け替えの無い大切なものを失った」

 そして最後に、生まれて初めての出陣から今日まで最も長く仕えてきて呉れた臣にして友である真を見詰める。

 戰からの視線を受け取った真はといえば、目頭を抑えたくなるのを堪えるのに必死だった。


「だから、明日を見ようにも、遣る瀬無く、辛すぎる者もあるだろう。前進しようにも、切なく、心が痛む者もあるだろう。新たに何かを成そうとするにも、心に空白が生まれ、無力感に苛まされる者もあるだろう。どうしようもない孤独感に、身動き取れぬ者もあるだろう。当たり前だ。大切な、魂を寄り添わせるに相応しい人を亡くせば、そうなって当然だ」

 剣を大地に突き立てたまま、戰は両手を広げた。


「私は生命を得る瞬間に母を亡くし、私の生命を守る為に師父と長く生き別れ、そして私の生命が続くせいで兄弟たちと争わねばならなかった。其の上、唯一の心の拠り所であった、生母との繋がりである楼国は我が父により討たれたと言う事実、而も5年前、蒙国により地上より消し去られた。辛く暗い虚無の嵐の道を、私は歩まねばならなかった」

 双眸に光るものを湛えた真に、戰は静かに手を伸ばす。


「其れでも、私は今、此処に立っている。何故なら、亡くした母の代わりに私を慈しんで呉れた義母はは異腹妹いもうと、私を愛して呉れた妃との間に儲けた我が子、私の力量も欠点も全て認めて呉れた仲間、そして何よりも――我が星の輝きを共に喜んで呉れる友を得られたからだ。こう言えば、自分は私のように恵まれていない、結局は、禍国の帝室に生まれ育るという立場故の恵みを受けただけだ、自分たちには愛してくれる者は去り、立っていられない、誰も居ないと云う時は前を向いてくれ。私が見えるだろう。そうだ、私が此処に居る。一人では決してないのだ」

 波濤が万里を駆けるが如きの歓声が、戰の言葉に応える。


「禍国帝室の皇子としての権威も身分も何もかもを捨て去った、一人の人間となった私が居る。皆の唯一無二となる為に、私が此処に居る。涙で私の姿が見えぬと言うのであれば、手を取ろう。苦しくて立ち上がれぬと言うのであれば、私が傍まで駆け寄ろう。痛みに声が聞こえぬ答えられぬと言うのであれば耳と口の代わりとなろう。私が、皆の親となり、仲間となろう! ――私は盟友句国王が眠る此の地に誓おう! 私は、私こそが、私の友のように、皆の友――真のようにとなると、誓おう!」

 真も戰も、そして二人を見詰める全ての者の頬を、熱い涙が濡らしている。


「我が宿星を宿す魂に懸けて!

 そして我が魂の輝きの半身、我が友、真の名に懸けて――

 今一度、誓おう!

 私は、皆と共に生き、皆と共に在ろう、皆と共に歩み、皆と共に往くと!

 我が名は戰!

 新たなる句国の王だ!」


「新国王万歳!」

「戰陛下万歳!」

 新国王陛戰下万歳! の歓呼の中、遂に真は膝を頽れさせ、号泣し始めた。


 万歳が爆発する中、真に視線が集中する。

 真も、皆と同じように、戰陛下万歳! と叫びたかった。

 だが、出来なかった。


 ――……言葉が、出ない……!

 運命など信じはしないと嘯きながらも、其の実、『星知らず』の我が身を哀れんで拗ねて・・・いただけだった此れまでと、見るもの、聞くもの、感じる取れるもの、全てが違う。

 ――戰様! ああ、戰様!

 今、貴方の御言葉が、こんなにも、私の魂を捉えて離さない!

 此の喜びを、倖せを、貴方に伝えたい!


 戰はそんな真の手を取った。

 ゆっくりと、真は頭を上げた。


「真」

「……はい……はい、戰様」


「道程は、長く険しい。其れでも、私に力を貸して呉れるかい?」

「はい、勿論です」


「では――往こう、共に」

「はい、戰様」


「何処までも、だ」

「はい、何時までも」


 双眸に映るお互いの、幾度、口にしたかもう記憶にもない其の名を何度も呼び合いながら、二人は熱い抱擁を交わす。


 再び、天地を揺るがす大歓声が渦巻き、戰と真を包み込んだ。



 ★★★



句国と備国の戦争、そして句国の敗戦と句国王・玖の死を発端とした平原を巻き込んだ大戦は、郡王・戰が率いる祭国と禍国の連合軍の連勝、そして新句国に郡王・戰一応の終結を見た


しかし、此の即位には、第四代禍国皇帝・建に正式に認められたものでも、新たなる冊封国の王として擁立されたものでもない


そう


遂に戰は、自らの宿星の定める処により、一国の王となったのだ



未だ平原の巨星の地位にある禍国

暁天のとならんと野心を燃やし始めた剛国

虎視眈々と列国のひびを見詰める東燕

不気味な静寂を守る露国

そして毛烏素むうす砂漠よりの熱き疾風かぜに乗り崑山脈を越えんと馬蹄を轟かせている蒙国が

産毛も揃わぬ雛の如き新生句国を狙うだろう


燎原に広がる炎の星を前にして


祭国の、そして句国の命運や如何に


戰は句国の王として終わるのか

其れ共

禍国の皇帝として立つのか


 ――いぬではなく、人として生き、戦うと誓った真の真実まこといくさが、今、此れより、はじまる――




覇王の走狗 七ノ戦 星火燎原  了  






350話の区切りで、ようやく、長いなが~い七ノ戦が終わりました

実に2年も書き続けていたわけですね、そりゃ長いわ!


ですが、この七ノ戦の執筆中に第五回ネット小説大賞に入賞し、宝島社さまより一冊の本として世に送り出すことができました

読んで下さった皆さま、そして応援して下さった皆さまのおかげです

本当にありがとうございます


さていかにも 『 俺たちの明日はコレカラだ(大盛り上がり!) 』的な終りを迎えました七ノ戦

ここで最終回と思いきや、実は、まだ次の八ノ戦に続くのでした


この八ノ戦で覇王の走狗の物語は終わるので、なんとかラストまで書き上げたいと思っております

最終部、第八章


 【   第三部  八ノ戦 飛竜乗雲ひりょうじょううん  】


物語は、七ノ戦 星火燎原の直後より始まります

誰のどのシーンから始まるかは、始まってみてのお楽しみ、ということで・・


さて、やっとラストも(遥か遠くに点粒としてw)見えてきて、書く気は満々・・


なのですが


実は、ココ最近の更新状況から察して頂いていると思いますが体調が芳しくありません


以前のように長時間、PCの前でヘチヘチ文章を書くのが難しい状態が続いています


ボチボチ更新になりますが、応援してくださるとうれしいです



KEY = 喜多村やすは 拝



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ