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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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終章 新句国王・戰 その3

 終章 新句国王・戰 その3



 対峙している闘と烈の間に、には見えないが、而も途方も無く深い亀裂が走っているかのように、居合わせたの者たちは思われてならなかった。

 まるで稲光が走るかのように、其れは激しく、そして修復しようのない凄絶さがある。

 斬を始めとした家臣たちは、知らぬ内に何度も息を呑んでいた。

 何方かが決定的な一言を発してしまえば、此の兄王と異腹弟の関係は修復不可となるだろう、そして互いに、互いを失えば本来の力を発揮出来なくなり、遂には剛国を傾けるまでになるであろう事は、誰の目にも明らかであった。

 だが、誰一人として二人の間に割って入る事は不可能だ。

 斬は何度も生唾を飲み下していた。

 飲み込める唾がなくなっても、からからに乾ききり、ひりひりと痛む喉を上下させ続ける。

 鼓動は早鐘のように打ち続けており、鼓膜を破りそうな勢いで耳に届いていた。余りの激しさに心の臓はそのうち、胸の骨を突き破って飛び出て来るのではないかと思われた。


 ――沈黙が、まるで鋭利な剣の鋒のようだ。

 そして此の剣は、部屋にいる全ての者の喉元に等しく突き付けられている。

 我慢の限界に達した烈が動いた。

 其の時。

 外が、急激に騒がしくなった。

 騒然とした空気が、泥のように重苦しい空気を破った事に、素処彼処で小さな溜息が吐かれる。

「何事だぁ!」

 烈が姦しい空気に、忌々しそうに激情をぶつけた。

 明らかにとばっちりであるが、自分たちに向けられるよりは数万倍もまし・・であるし、何よりも、家臣たちの身体を強張らせていた呪縛が緊急事態を告げる喧騒により解けた。


 じろり、と闘も眼球を動かす。

 騒ぎの元を早急に知らせよ、と命じられる前に動かねば、無能者として烈にどんな誹りを受けるか知れない。

 家臣たちは、巣の入り口を附近を突かれた蟻の如きに動き始めた。

 怒りが沸点を上回っている烈には、何を言っても逆鱗に触れる行為となる。側杖を喰らうのは御免被るとばかりに、誰も烈に答えないし目も合わせようとしない。

「恐れ乍ら、陛下、申し上げます」

 何とも言えぬ淀んだ空気を破って飛び込んできた伝令の勇気に、幾人かが褒め称えるかのような視線を向けた。

 家臣たちの狼狽を目を細めて見遣っていた闘は、煩わしげに手を振り先を続ける許しを与えた。

 飛び込んで来た勢いで跪いた伝令は、荒い息を整えぬ無作法を犯している自分に気が付かぬまま、はっ、と頭を下げた。

「南方より、禍国と祭国の連合軍が王都に迫ってきております」

「……ほう? 郡王め……もう此処までやって来た、というのか……」

「而もです。郡王め、句国王の大軍旗を先頭に立たせて、此方に向かっておる、との事です」


 郡王、と闘が口にすると同時に、ざわり、と空気が危うい色に蠢いた。

 そう、殺気と云う色に一気に染まったのだ。

 無論、率先しているのは烈だ。だがしかし闘は、一触即発を是とするかのような烈たちを前に、実に愉し気に笑っている。

「……馬が苦手だとか申しておった癖に……真の奴め、存外に早く郡王を王都まで引っ張って来たではないか。やりおる、と褒めてやるべきか」

「陛下、笑い事では御座いませぬ」

 顔を赤黒くして郡王・戰が剛国に対して犯した非礼に対して怒りを顕にしている伝令を無視して、闘は面白そうに零す。

 仕舞いには、くっく、と喉を鳴らして笑い出した。

 楽しげな闘の横顔を見せ付けられた烈の頬が、ひくひくと引き攣り始める。

 真、という名を耳聡く聞きつけたからだ。


 ――兄上……!

 兄上は一体何時まで、あの男の事を、真という男を、求められるのですか!?

 何故、私では駄目なのですか!?

 何故!!

 怒りに任せて、地団駄踏む童子のように怒鳴り散らしかけた烈だったが、伝令のほうが気忙しさでは勝っていた。ずい、と減り込ませるように闘と烈の間に身体を進めて先んじられた。

「陛下、重ねて申し上げますが、笑い事では御座いませぬ。禍国と祭国、共々、如何に為さいますか」

 伝令の口調は、烈が抱いているものは別種ではあるが、郡王・戰に対する怒りに満ちていた。

 此の同盟は郡王側から持ち掛けて来たものである以上、相手は風下に立つのが道理である。備国を倒した後の句国が誰の手に渡るべきであるのかなど、盟約に記する必要も無いのだ。


 何処からどう見ても、剛国王・闘の名において句国を併呑するのが正しい。


 此れが、剛国軍の共通の認識だった。

 句国全土を喰らいつくした備国を、追い払う処か討ち果たすまでに至れたのは、偏に闘が深い懐を見せ、同盟を許し立ち上がったからだ。

 郡王・戰は感謝して平身低頭すべきであり、多くを望むなど道理に悖る、以ての外である、という見識の剛国軍にとって、郡王・戰が句国王・きゅうの軍旗を押し立てて王都を目指すなど許されざる行為であった。

「句国王の遺品、其れも禅譲に必要な王の大軍旗を手に入れたのであれば、直ちに剛国に進貢しんこうすべきであったのだ」

「然様、然様」

「さすれば、回賜かいしとして郡王を祭国王として認めてやらんでもないものを」

「如何にも。分不相応という言葉を知らぬ故とはいえ、無礼極まる」

 家臣たちの視線は、彼らの腹の中で煮え繰り返っている言葉よりも雄弁だった。忌々しさと腹立たしさが、綯い交ぜとなって眼光に滲んでいる。


 そして其れ以上に、全軍を以て郡王を迎え、此れを討つ、直ちに軍備を整えよ、と闘が命令を下すのを、今か今かと期待して待ちわびる、燃えるような熱を帯びている。

 不敗を誇る猛き英雄。

 歴戦の勇士である剛国王・闘は、拠守を好まない。

 防戦と言う言葉を知らない。

 怒涛の如き攻めで撫で斬りにするのが、剛国王・闘。

 そうでなくては成らぬ漢だ。

 であると言うのに、今、目の前に居る闘は不機嫌そうに目を細めるだけで、何時ものように命令を下そうとしない。

 とうとう我慢の限界を超えた烈が、兄上、出陣の御命令を! と叫ぼうとした時、闘が手を振った。


「何か言いたげだな、斬よ」

 含みのある闘の声音に、斬は僅かに恐れを見せて上体を仰け反らせたが、直ぐに持ち直し、はい、と素直に答えて頭を下げた。

「此の場に在る者は主戦派しか居らぬと思っていたが」

「……は、はい、陛下……」

「斬、其の方の存念は、どうも違うようだな?」

「……そ、その……」

「其の方は戦いを好まぬか」

「……し、しかし……」

「兄上! 斬如き、戦の経験の薄い者の言など耳に入れられる必要は御座いません!」

 しどろもどろになっている斬を、烈は憤怒の表情で睨みながら横槍を入れた。

 再三に渡り貶められた斬の口元が、む、と曲がった。

 ふっ、と笑いながら二人の弟の遣り取りを見遣っていた闘は、手を挙げ身を乗り出し被せるように言い募り掛けた烈を止めた。

「許す。斬よ、話すがいい」



 ★★★



 闘が手を挙げると同時に、烈も斬も、家臣たちも反射的に跪いて頭を下げる。

「陛下が御炯眼を以てすれば、私如きの胸の内などうに見抜かれておられるでしょう」

「御託は良い」

 緊張から声を上ずらせる斬に、闘は手を振って先を促した。

 斬は逡巡してみせたが、其れも僅かだった。小さく息を吸い込み、そして吐く動作を数回繰り返すと、しゃん、と背筋を張る。

 青年らしい決意の光が瞬いている異腹弟の両眼を、兄王は面白そうに見詰め、異腹兄は忌々し気に睨む。


「御許しを得ました故、恐れ乍ら申し上げます。陛下、郡王・戰と戦ってはなりません。此の句国に地において、郡王はさきの句国王・きゅうと同等、いえ、最早、其れ以上にと言っても過言ではないでしょう――ともあれ、句国の民どもより敬慕されております。戦ってはなりません」

「だからどうした! いや、だからこそだ! 力で捻じ伏せ、何方が相応しいのかを思い知らせる必要がある! 斬、此の未熟者め! 貴様は何度言えば……」

 斬を馬鹿にし掛かる烈を、ぎろりとした眼光一つで抑え込むと、闘は先を促す。

「陛下。烈兄上の言われる通りです」

 斬の殊勝な言葉に、……ぬ? と烈は眉を顰める。

「私は未だ戦場いくさばに出る御許しを得て日が浅い、未熟者に御座います。陛下の幕僚に加えて頂いた者の中で、最も戦慣れしておりません。なればこそ、戦とは、力と力のぶつかり合い、全てを制した者のみが須く手にするのが善であるとするとは、別の見方が出来るのです」

 微かに目を細めた闘に、斬は頭を垂れながら続ける。

「私にとって、陛下の戦の記憶と言えば、5年前の先々代句国王の戦にまで遡ります」

 まだ、元服前ゆえ幕下に加われぬ己が身を呪っていた幼き日を思い出しているのだろう、斬が軽く唇を噛んだ。

「あの戦の後、変わったの句国だけではありませんでした。我が剛国も大きく変わりました。良き方にと、悪き方に。良き方に――というのは、陛下が句国より持ち帰られた蔬菜そさいの種の御蔭で、飢える民が格段に減りました。此の句国に入って初めて知ったのですが、あの蕪という蔬菜、あれを広めるよう句国王に奨励したのは他ならぬ、郡王だったのですね」


 烈が怒りに任せて斬を誅さぬよう周辺を固めていた家臣たちの方が、色めきたった。

 仮にも、王弟が吐く言葉か、と耳を疑うと同時にある者は顔を赤黒くし、ある者は青褪めた。

 先の句国戦。

 確かに動員した兵馬こそ少ないし戦の規模こそ大きくはなかっただろう。

 だが、備国を平伏せしめ禍国に恩を売り、平原に剛国王・闘の名を更に広く知らしめんが為の、剛国にとって需要な転換点となる戦だった。

 其れを何だ。

 まるで、しみったれた吝嗇家の寡婦のように蔬菜の種を拾って戻って来たとでも言うのか、と一斉に熱り立つ。

 止めに入るべき者たちの方が冷静さを欠いたのでは、どうしようもない。

 其れに、烈が家臣たちの隙を見逃す筈もない。

 最も多く、国王・闘と共に戦場を駆け抜けてきた歴戦の勇士の名に恥じぬ見事な身のこなしで、烈は斬の眼の前に飛び出すと胸倉を掴んだ。

 首を捩じ切らんばかりに締め上げられた斬は苦しげに眉を寄せたが、逆に烈を激しく睨み返してきた。恐れ入らぬ異腹弟おとうとの態度に、烈は眼尻を裂いて叫んだ。

「ハッ! 食い物一つで恩着せがましくする王と、蔬菜一つで感涙に咽んで足首に縋り付く物乞いのような領民どもとはな! 確かに似合いの主従となろう! だがな、斬! 其の程度の奴らに、何故、我らが引かねばならんのだ!」

「だからこそです、兄上、何故ならば――」

「ええぃ、煩い、黙れえぅっ!」

 カッ! と目を赤くした烈が腕を回転させ、斬を床に叩き伏せた。

 受け身を取る間も与えられず、背中から強かに打ち付けられた斬は、かはっ……! と肺を空にする勢いで息を吐き出した。一瞬、は泳いだのは痛みと急激に揺さぶられた為だろう。

「貴様のような不甲斐無い小胆者に、兄と呼ばれたくはない!」

「……どうか……私の言葉を……御聞き下さい、兄上……」

 斬が譫言のように呟く。だが烈は許さぬ、とばかりに斬に跨って衿を掴み上げた。


「止めよ、烈」

 抑揚のない冷ややかな口調で闘に止められた烈は、はっ……と身を固くした。

 些かうんざりした面持ちの闘に、烈は其れでも振り返りながら、しかし兄上、と反駁しかけた。

 が、一瞬の躊躇の後、珍しく掴んでいた衿から手を離した。

 ……ずど、と間抜けおとが周辺に響き、斬は強かに後頭部を床に打ち付けた。

 婦女子のように非難の悲鳴は上げはしなかったが、ぶるぶる震えながら、ゆっくりと上半身を起こした斬に、続けろ、と闘は命じる。

「斬よ。だからこそ、何故、なのだ? 先を続けよ」

「はい、陛下。……其処です。郡王、奴は既に――句国の王であるからです」

「……ほう?」

 

 室内が大きくどよめいた。

 だが、斬は意に介さない。

「5年前の戦、郡王は禍国の皇子として戦いはしましたが、同時置かれた状況下では、祖国を裏切り自らが句国王を名乗っても良かった。なのに郡王は、当時、廃王太子であった玖を助け、此れを王に据え国難を乗り越える手助けこそすれ、何一つ奪いはしなかった。愚かな女帝が下した底の浅い命であったとしても、さきの王・番が、宗主国である禍国に楯突き弓引いたのですから、どうとでも布告できる筈。なのにしなかった」

「恩を売っただけではないか」

 鼻でせせら笑う烈に、残は叫び返す。

「恩ではありません!」

「では何だと言うのだ! 言ってみろ!」

「郡王が句国王に齎したのは友愛です!」

「――ハッ!? 友愛、だと!?」

 気を呑まれて木偶の坊のように立ち尽くすしかない家臣たちの前で、烈は仰け反り、斬を指差しながら哄笑した。

「友愛、そうか、友愛か、はっははは、成程なぁっ! 姑息な友愛ごっこの果てに地虫のような領民どもの腹を満たしてやっただけで、国が統べられると言うのか貴様は! 力を示さぬ者を領民が認めるとでも思っているのか!? そんなものは支配と呼べぬ! 力だ! 力こそが全て!! 甘い戯言で王たらんと宣言するなど、笑止千万!」

 まだ笑い転げる烈に、とうとう斬は叫び返した。


「兄上! 私が言いたいのは其処です! 何時から! 我が剛国は戦のみが全ての国となったのですか!?」




 ★★★



「何ぃ……?」

 よもや、侮っていた斬からこんな反撃のされ方をするとは露程も思わなかったのだろう、烈が鼻白みながら肩越しに異腹弟を凝視する。

 此れまで頭ごなしに抑えつけるばかりであった兄の気勢を殺ぐのに成功した斬は、機を逃すに被せるように反駁の言葉を浴びせ掛けるべきであった。

 だが、出来なかった。此れ以上、どう言えば良いのか、伝わるのか、斬本人も分からなくなっていたのだ。

「……うぅっ……ぐぅ……ふっ……くふぅっ……」

 全く以て、予想外、想定外だった。

 静寂の中、突然起こった間の抜けた嗚咽が、烈たちの前を流れて行く。

 善意の行動を悪戯だと決め付けられて頭ごなしに叱られた童のように、斬が顔を真っ赤にさせ、目を見開き歯を食いしばりながら、ぼろぼろと涙を流している。


ずるい・・・! 烈兄上は、ずるい・・・!」

 地団駄を踏む餓鬼のように喚く斬に、烈は益々、困惑した。

「ず、ずるい……だとぉ……?」

「陛下が王位を得んが為の蜂起の時からお傍に居られた栄誉を勝ち誇って声高に叫ばれるとは!」

「お、おい、斬、貴様……」

「陛下の当初の理想を歪めておられながら、最大の信を与えられし身内であるとし誇った態度をとられるとは!」

「……斬、一体何を言いたいのだ……?」

「私のような、年齢や条件の為に当初からお仕え出来なかった者たちを貶め辱めるとは! 差別し、意見を聞く間すら与えようとしないとは!」

 上擦った斬の声音には少年期に有り勝ちな、曲がった事を許さぬ真っ直ぐな嫌悪感が含まれていた。

 威嚇する猫のように丸まった斬の背中には、ぴりぴりとした空気がまるで棘のようになって見えるようだった。

 普段の斬からは考えられない、子供のような明けっ広げな、剥き出しにした怒りに任せての咆哮に家臣たちは呆気に取られて言葉も出ない。

 烈でさえ、毒気を抜かれて、阿呆のように立ち尽くして見守るしかなくなっている。

 澱んだ沼地のような静けさを破ったのは、晴れ晴れとした闘の笑い声だった。


「斬、よくぞ言った」

 敬愛する兄の声に我を取り戻した烈が、はっ、硬直する。自分より弟を良し、とされて引っ込んでいられる訳がなかった。

「陛下、斬の戯言になど耳を傾けられぬよう」

「だが烈よ。お前が戯言と切り捨てた言葉通りだ」

「――兄上!」

「烈。そしてお前たちも、聞くがよい」

 興奮冷めやらず、まだぶるぶると震えている斬をちらりと盗み見ながら、烈は聞えよがしに舌打ちをすると、闘の前に跪く。家臣たちも烈に倣うと、闘は自分に一途な忠誠を誓う彼らに満足そうに目を細めた。


「烈」

「――は、はい、兄上」

 猛獣の王である虎の唸り声のような低い声音に、烈は身を竦めた。

 文字通り、獲物として定められた哀れな仔兎のように、烈は身震いを抑えられない。どっ、と一気に溢れた冷汗が全身を濡すが、烈は其の気分の悪さに気が付けぬ程の恐怖を味わっていた。

「俺が王位を奪わんと挙兵する時から傍に仕えていた、烈、お前なら覚えていよう」

「……兄上……」

 自失している烈を無視して、闘はまるで独り言のように話しを続ける。

「私が、戦で定めた雌雄のみで全てを決するような男ではない、とな」

「……」

 何と答えれば良いのか、と烈と家臣たちが互いに目配せをしあい出した。流石にこう言われれば、闘の言わんとする処が奈辺に在るのか、彼らにも分かる。

「兄上……」

 ――確かにそうだ……。

 私が兄上を崇拝したのは、長幼の礼節を悪戯に重んじ、戦巧者のみを盲目的に評価し、かと思えば他者の功績を奪い、其れ等の不満や異存を君臣の義で封じ込めようとする、父と他の兄どもの遣り様が気に入らぬからではなかったか。

 烈は唖然とする。

 ――どうして忘れていたのだ。

 あの日々を。

 あの、何も無かったが、何もかもが燦然と輝いていた、あの日々を。

 弟であると言うだけで斬の全てを頭ごなしに否定し、一語発する度に横槍を入れて悦に浸っているとは。

 今の私は、嘗て、散々に罵倒し、侮蔑した兄たちと何ら変わる処がないではないか。


 ――兄上とて、此の私を配下に収めて勝利を収められたのだ。

 前例の無い引き立てを嘲笑したのは、兄王子たちだけでなく父王もだった。

 児戯に等しいであろうに、己の進言に耳を傾けて呉れたあの眼差しと、励めと言いながら肩を叩かれた時の興奮。

 あの時の兄上を知る私が、置かれた状況は違えども、斬を罵倒出来るのか。

 して良いのか。

 いけ好かぬ他国の男の策を利用したとはいえ、たった200騎で見事、西燕を討った残を。


 大軍に驕り高ぶる長兄たちを、僅かな手勢で追い落とした闘の頭脳の閃きを誇らしく、そして羨望ので見上げた過ぎた日々が、烈の胸を深く抉る。

 じっと自分を見上げる斬の熱い視線を受け、烈は目を逸らした。

 烈だけでなく、彼に同調していた家臣たちも言葉を飲み込みつつ項垂れている。

 ――そうだ、俺は忘れていたのではない。

 忘れて、いたかったのだ。

 斬が俺を追い掛け、並び、遂には追い越し、俺の前で兄上に跪き声を掛けられる姿を見ぬようにする為には、全てを認める訳にはいかなかったのだ。

 此れ以上――痛感したくなかったから、見ぬ様にしていたのだ。

 俺では、あの、真という男に成り代われぬのだと。

 俺が斬にしてきた事は、ただの――ただの、八つ当たり・・・・・だと。


 誰も何も発しない。

 長い沈黙の後、闘はふっ……、と短く笑った。

「どうした、烈。今だ此の俺を兄と呼ぶならば、答えよ」

「……」

「寡言を以て返答の代えとするか、烈」



 ★★★



 未だ肩を上下させつつ嗚咽している幕閣の末席に座る異腹弟を、闘は横目で見遣った後、ふっ……と目尻を和ませた。

「斬」

「――……はっ……? は、は、はは、はいっ! へ、陛下!」

 我に返った斬が頓狂な声を上げながら、顳かみに青筋を立てんばかりの勢いで背筋を伸ばした。硬くなるな、と苦笑いに笑みを変えつつ闘は手を軽く振る。

「一つ、問おう。何故、句国王の妃とその子を殺さなかった」

「……其れは……」

 視線を彷徨わせながら、斬は迷いを見せた。またぞろ烈たちから邪魔をされたのでは、話しがまともに進まない、と危ぶんだのだろう。

 苦笑交じりに、闘が烈を睨む。

 敬愛する兄に気勢を制せられては、烈は大人しく引き下がるしか無い。

 其れでも未だ、烈に対して物言いを入れたげにしていたが、闘に好い加減にせよ、と顎を軽く刳るようにされた斬は、ぼそぼそと先を続けだした。

「恐れ乍ら、申し上げる。……陛下と……郡王とが、その……比較されるのでは……と感じたからです」

「ほう?」

 純粋な興味を示した闘に安堵したのだろう、斬は俯いていた面をぱっと上げてみせ、其れからは意気込んで話しはじめた。


「句国の先王との戦いの折、郡王は王城の最下層の者に至るまで手厚い庇護を見せたと申します。先王の後宮にさえ手を出さず国王玖の母后と妃、子らを保護したばかりでなく、兄上が持ち帰られた蔬菜などもそうですが、多くの因習と専横とにより疲弊感が漂っていた句国を立て直す機会を与えたばかりか、戦後処理の後、廃嫡されていた玖を王位に就ける為にも手を貸したと聞き及んでおります。つまり……」

 頷いて促された斬は、ちらり、と烈を横目にしながらも、滑らかになってきた舌を動かし続ける。

「陛下が最も信頼を寄せる家臣であると知れ渡っている烈兄上が、備国の後宮に手を下し王子を害した場合、句国の民はどう見るでしょうか? 喩え、彼らにとって敵である備国王の妃と王子であったとしても、恐れ乍ら、句国の民は事ある毎に陛下と郡王とを比べるでしょう。此の場合、備国本土で郡王がどう思われるかどうかなど問題ではありません。此の句国の地において、陛下は須く郡王より格下の存在であり、その根拠を見出そうと奴らは躍起になり、些細な事でも首級をあげたかのように言い立て続ける、という事実を受け入れねばならぬのです」

 斬は、不意に口を噤んだ。此の先を続けて良いものかどうか、躊躇しているかのようだった。

 むっとしたまま聞き入っていた烈が、此れ幸いに突っ掛かる前に、闘は高く笑い声を上げる。

「よくぞ気付いた。そして良くぞ言った。斬、其の通りだ」

 哄笑を続ける闘と、そして燃えるで睨んで来る烈とを交互に見やる斬は、俯いた。

 褒められはしても、良い気分ではないらしい。しかし高笑いを収めた闘は、二人とも、よく聞け、と烈と斬の肩に片手を置いた。


「何も句国の民どもを喜ばせてやる必要は無い。面倒臭い輩どもの面倒を見る気苦労など、自ら買いたいという奇特な郡王に呉れてやれば良い」

 闘の高らかな笑い声が響いた。

「よいか、此の俺に認められて句国の王と成ったあれば、郡王以下、やつの配下の者は浮かれ肝心な事に目が向かなくなる」

 斬が明白にほっと胸を撫で下ろすのに対して、烈は其れでもまだ不満を隠そうとしない

「好きにさせておけば良い。放って置け。何れ程無く、蒙国が備国本土を併呑し崑山脈を越え平原に攻め入るだろう。その時、愚かな句国の奴等は思い知るだろう。覇王の宿星とやらは俺と郡王、何方がより相応しいのか」

「……兄上、兄上、私は……」

「愛妾を耽溺し荒淫に耽るが如くに、祭国の奴らは句国に対して力を尽くすだろう。其れに対して、我々が力に任せて出るれば沈湎冒色と取られ、剛国は馬だけでなく放埒者しか居らぬかとの誹りを免れまい」

「……兄上、しかし……」

「今は郡王に、せいぜい恩を高く売り付けてやれば良い。我が剛国の後ろ盾無くして王たり得ぬのであれば、山脈以西に生きる奴等は、句国は剛国の朝貢国として歩み出してと捉える」

 漸く、烈は、はっ……と息を呑んで身を竦めた。そして、口角を持ち上げて、にやり、と笑う闘の前に深く頭を下げる。


「そうだ烈。新句国王は祭国郡王にして禍国の皇子。つまりは、そういう事だ」

「……ですが、ですが、兄上っ……!」

「戦により全てを分け雌雄を決する。烈、たしかに其れは誰にとっても明瞭だ。しかし全てに置いて優れているとは限らない。俺が謙るのをお前は好まぬだろう。だが、俺の名声は此の程度で傷が付くような浅い物ではない」

「……兄、上……」

「烈。戦とは剣を交え屋を引き絞り騎馬を駆けさせるのみが戦ではないのだと、好い加減で心に刻むのだ。耐える事を知り、忍ぶ事を我が物とせよ。俺が平原の中央に立つ姿を見るのであれば尚更だ。戦場を咆哮し疾駆する以外のお前を、此の俺に見せてみよ」


 胸の内で怒涛のように渦巻く感情を処理しきれ無いのだろう、ガクリと膝を落とした烈は、両肩を震わせながら号泣し始める。

 仕方の無い奴だ、と闘は苦笑する。

「先程は斬であったかと思えば、今度はお前か、烈。我が弟たちは、どうにこうにも、血潮が熱い者ばかりが揃っておってかなわぬな」

 闘は烈の腕を取って立たせてやりながら、斬に向かっては鋭く命じる。


「郡王を――いや、新句国王を王城に迎え入れる準備の指揮を、斬、お前が執れ。よいな?」

 斬は膝頭を割らんばかり勢いで片膝をつくと、兄王に礼拝を捧げた。



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