24 覇者と王道 その7
24 覇者と王道 その7
「決意は良いのだけどね――真、私は、今は剛国や露国、東燕が互いに結んだり、蒙国と繋がろうとするのではないかという動きよりも、祖国で大保・受が何を企んでいるのかの方が、正直、怖ろしいね」
「はい、私もです」
大保・受の名前に、真の頬がきゅ、と引き締まる。
「大保は此れ幸いに、と動くと思うかい?」
「はい。大保様が、見逃して下さる筈がありません」
「そうか、やはり大保は動くか……」
「嬉々として動かれる事でしょう」
「……あの大保が、欣喜するか。其れは逆に、見てみたい気がするね」
戯ける戰に、真は軽く肩を竦めながら首を左右に振った。
「一応、止めておいた方がよろしいですよ、と釘を差しておきます。が、戰様が、どうしても、と仰られるのでしたら、御随にどうぞ、止は致しません。ですが、そうなれば先行きの責任は取りませんよ? 戰様に大保様と遣り合う御覚悟があるのでしたら、構いませんが。大保様の事ですから、陛下、よくも私に此処まで我慢させましたな、此の上は大人しく私の策にはまりなさい、と言って迫って来られる事でしょう」
「……大保なら、言いかねないね」
真は座り直すと、ぴっ、と衿を伸ばして僅かに背筋を反らし、横目使いをして戰を睨んでみせた。
「陛下、貴方の頭上に似合う正しき冠を御抱き覇道を歩みなさい。私の思惑通り、此れが一番、面倒が無い、宜しいですな?」
「真、上手いなあ」
大保・受の口調を真似てみせる真に、ぷっ、と戰は吹きだした。
「確かに、大保が言いそうだね。仏頂面が目に見える様だよ」
一旦笑い出すと弾みがついて止められないのか、戰は其の儘、腹を抱えて笑い転げる。
「口真似役で蔦の一座に入れて貰えるでしょうか? ――という冗談は扠置いて、戰様、笑っている場合ではありませんよ」
全く……、と呆れながら、真は軽く唇を尖らせた。
「大保様は大言壮語は口にされません。時間の無駄を何より嫌われる御方ですからね。其の大保様が斯様に仰られる、と言う事は即ち、私たち戰様の身内や祭国の領民を人質にして、戰様には、大保様にとってのみ都合が良い皇帝となる道しか、もう残されてはいない、と云う事なのですよ?」
真に咎められた戰は、分かっているよ、と言いながら椅子に座り直す。そして、眼光を鋭くする。真も表情を引き締めた。
「死ぬか、若しくは生きて皇帝になるか、と大保は二者択一を口にしながら、実質、後者しか選びようがない状況を創り上げて来るな」
「大保様ならば、死ぬ気がないのであれば直ぐに皇帝になられよ、今まで充分、ぐずぐずされて来られたのだ、と戰様に迫られますね」
二人が口にした言葉は、図らずも内容が同工異曲であった。
しかも其の後、互いに軽く仰け反りながら眸を瞬かせる処までほぼ図ったようであった。堪らず、戰も真も吹き出したのだが、此れもまた同時だった。
「余り有り難くない、迫られ方ですねえ」
「いや、笑っている場合ではないぞ、真」
「其のお言葉、そっくり其の儘、お返し致しますよ、戰様」
互いに咎めながらも、戰と真は、声を潜めて一頻り笑い合った。
★★★
笑いすぎて、横腹に痛みを覚える位になってやっと、ごほん、と戰は態とらしく咳払いをしてきた。
「ともあれ、大保様は、戰様を皇帝の座に据えたがっておられますし、迷惑千万な事に、戰様に禍国を牛耳らせる事が出来るのであれば、どんな悪行も許されると思っておられますからね、何を仕出かされるか、注視しておかねばなりません」
戰を皇帝の座に据えようと後押ししているのだから、一見して味方のように見えるのが、大保・受の危険極まりなさだった。
而も、殆どの人々にとって、大保・受の策は容赦がない分、胸のすくものであり賛同を得やすい。
最短最速の道のりで戰が皇帝となるのであれば、逆に良いではないか、此方こそ大保を利用してやれば良い、と真の父・兵部尚書などは云うだろう。
「禍国帝室の血の総入れ替えを目論んでいる大保の事だからね、容赦など微塵もすまいよ」
「そして同時に、大保様は己の家門を此の世から潰えさせたいと願っておられます」
「其れが実は、一番厄介、かな」
戰は腕を組んだ。
戰が句国王として王座を継いだと見るや、矢張り郡王に叛意有り、他国との連携を許し禍国に弓を引く前に、一足飛びに蒙国に同盟を申し込み、郡王を・戰を討つべし、とでも皇帝・建に耳打ちするだろう。
後宮に閉じ籠もる事が政であると勘違いしているような現皇帝の心には、毒を染み込ませるに等しい一言だ。
其の後、大保・受に何を命じるかなど、判りきっている。
今の禍国には、大軍を動かすだけの金が無い。
句国への出兵を強要などすれば、国庫は即座に崩壊する。
心無き者は急速に国から脱出を図るであろうし、心ある者は窮状を嘆き悲しむと同時に、自分たちが嘗て句国や契国、那国にしてきた立場に陥ったと程無くして悟り、震え上がる事だろう。
所詮は、大保の手の平の上で都合良く踊る程度の男でしかない男が、皇帝として一瞬の判断の違えが命取りとなるような風雲の時代を乗り切れるわけがない。
加速度を増して破綻への道を突き進む大潮のような事態を招く姿は、誰の目にも明らかだ。
虎視眈眈と平原の勇としての座を狙っている他国から禍国を護りきれるのは郡王・戰しか居ない。
大乱の地と化した禍国は、祭国郡王・戰の力を以てしか、乱を治められぬ、禍国を立ち直らせられぬ――
と、禍国の臣民が自ら騒ぎ立てる切掛を、大保・受はじっと静かに待ち構えている。
今の此の時勢の流れを、戰を迎え入れんと蜂起し禅譲を求めて動き出す自然な流れを産む此の絶好の機会を、大保・受が、指を咥えてただ黙って見逃すなど有り得ない。
大保・受は国体が弱るのは寧ろ上等、とことんまで疲弊しきった禍国を建て直し、平原のみならず山脈を超えた毛烏素砂漠、そして西方の空にまで名を轟かせられげよ、天帝に愛されし一代の英傑として、世に稀なる一大帝国を築き上げるべし、と憚りもなく戰に迫っている。
政治に疏い素人判断でも、大保・受の思惑に乗った方が事は上手く運ぶのではないか、と云う錯覚に陥る。
が、大保の望みが行き着く先は、栄耀を極めた禍国の崩壊だ。だけでなく、中華平原を凄惨極まる戦乱の渦の只中に落とすものだ。
「己の策が図に乗るのであれば――私が禍国皇帝の玉座を継ぐ為であれば、多少の犠牲はやむを得ない、多くの犠牲を払ったとしても当然だ、後の世の礎になったのだと寧ろ喜べ」
大保は平然と、眉一つ動かさずに云うだろう。
其処が困るのです、と真は大きく肩を上下させて溜息を吐いた。
「大保様は、戰様が覇者として大きく飛翔される為ならば、御自身の血肉も魂も生贄として平然と差し出されます。が、あんなに利口な御方であるのに、他の方が同じ様に戰様に尽くせぬのが、同様にせぬのが、理解お出来にならない。而も、御自身の理想が戰様の目指す先と大きく乖離しており、到底相容れない事実に、大保様が戰様の思惑など知ったことかと思われているのと同様に、戰様もまた、大保様の理念を良しとされる日は未来永劫断じて来ない、とあれ程聡明な方が気が付かれない振りをして受け入れようとなされない。困った事です。いい加減で目を覚まして頂かねば」
容赦なく、真は大保・受を扱き下ろした。
「おやおや、手厳しいね。真に掛かると大保も形無しだ」
戰は腹の底から愉快そうだが、そうですか? と真はしらっとしている。
「大保様の意向はどうあれ、戰様、戰様は禍国を、どう為される御積もりですか?」
そうだなあ、と戰はのんびりと答える。
「真は私に、どうして欲しい?」
真の問いに、戰は幾分、戯けてみせた。真も、そうですね、と惚けた口調で切り返す。
「戰様が良いと思われる道を御往き下さい。戰様の行く手として、最も相応しい道となる策を考えるのが、私の役目です」
「――そうか」
「最も、私の策など大保様には、盲目的な献身を美徳だと信じている愚か者が幾ら熟考などしても所詮は愚考に過ぎぬ、無駄である、と一笑に付されるでしょうか」
「大保なら、言いそうだね」
くっく、と戰は楽しそうに喉を鳴らして笑った。
★★★
楽しそうに、戰は笑い続ける。
実際、真との会話が、戰には此の上なく心地よいものに感じられていた。はぐれた親と巡り合った仔犬のような目付きをしている戰を、真は気味悪そうに見上げる。
「戰様、何時まで笑っておられるのですか?」
「……ん、いや。久しぶりに、真と話すな、と思ってね」
はあ、と言いながら真は身体を揺すった。
「いいな、と思ってね。こうして、真と向かい合えるのが。楽しいんだ、真と話すのが。真が傍に居て呉れるのが、もう当然だと思っていたから居ないという事実に、とうとう私は慣れずに此処まで来てしまったよ」
「……」
「真でないと、駄目なのだよ、私は。兵部尚書や、克や杢、芙たちではいけない、という訳じゃない。ただ、私は、真が良いんだ」
念押しするように、戰は重ねて言う。
真にも、そうですね、私もです、と言って欲しいのだという下心が見え隠れしている。察していながら、有難う御座います、と真がはぐらかすと、途端に、戰はしょんぼりと身体を小さくした。
ああもう……そう云う姿を見せられるのが、困るのですよ……、と内心でぼやきつつ、処で、と真は切り出した。
「戰様、少し話しを変えたいのですが」
ぱっ、と表情を明るくする現金な戰に、真は思わず吹き出しそうになった。
「うん? 何だい?」
「戰様の御性格上、句国の惨状を目にされていながら、だが、王となる戦をすべきかどうか、思い悩まれ悶々とされておられたのは分かりますが……其の話題を口にしようとする者には、迂闊に近寄れぬ、剣呑な気を発しておられたのではありませんか?」
「……うっ……」
言葉を詰まらせる戰に、やはりですか、と言いながら真は肩を竦める。
「どうせそんな様な事だろう、と思っておりました」
「……流石、と言っておくべきなんだろうか……良く分かったね、真……」
「先に父上に会って此れまでの話しを粗方聞いたのですが、其れはまあ、苛立っておりましたからね」
爆発はしなかったようで何よりですが、と真は深い溜息を吐いた。
「戰様のうじうじさ加減について行けるのは、私くらいだと思っておりましたが、あの父上が、よくもまあ堪えられたものです」
答えが見付からないのか、う、うん……と、戰はしどろもどろになっている。
「……しかし、真」
「はい、何でしょう」
「その、だね、よく……分かったね」
「そりゃ分かりますよ」
胸を張って、分からいでか、と真は鼻息を荒くする。
「戰様、私たちは何年付き合って来たと思われているのですか? いえ、私が戰様のうじうじにどれだけ付き合わされたとお思いなのです? 数え上げだしたらきりが無いですが、兎に角、戰様がうじうじ期に突入されると、酷いですからねえ、ええそりゃもう」
「いや、その……うん、まあ、そう、なのか……な……」
「椿姫様との出会いから想いを通じ合う迄の間、どれだけ醜態を晒しておいでだったか、よもや自覚がないとは言わせませんよ、戰様」
「……う、うむ……」
「さて其れは、どういう意味の『うん』なのでしょうか?」
「……うん、まあその……分かったから、そう苛めないで呉れないかな、真……」
身体をとことんまで小さくして、しょんぼりと丸くなっている戰の眸の奥を、暫しの間、探るようにじっと見詰めていた真だったが、くすりと笑うと、やれやれと首を振った。
「まあ、くどくど申し上げた処で過ぎた年月は取り戻せませんし、何より埒が明きません、と言ったのは私ですからね。責めるのは、此処までに致しましょう」
明白に、戰はほっとした顔になった。が、既に真顔になっている真の視線を受けて、直ぐに表情を引き締める。
「戰様。国土を荒らす戦はしたくない、と思い迷われるのは良い事です。ですが、其の気持ちに囚われて、心の持って行く場所を迷われ、間違われてはなりません」
真が話題を変えた事に、戰は心底、ほっとした顔付きになって、分かっているよ、と答えた。
「私が戦ってはならないのは、禍国内で、だ。此処は戦うべき場所であり、勝たねばならない場所だ。此の句国では私は勝利し、其れにより得た力を以て、禍国に乱を起こさせず、権力の交代を行わなければならない」
「はい」
戰の声には、緊張感と、そして其れ以上に句国内での戦いに勝利せんと意気込む張りがある。
「戰様、今の禍国帝室は正しく河魚腹疾と言うべき状態です。不正と不公が蔓延しており、誰も彼もが私利私欲に走っている様子は、池の中に腐肉の臭気が充満して稚魚までが死に至っているのと同様と言えます」
大帝国である故に、揺らぎ出す迄には長い時間を要する。
が、一旦、腐敗が進み傾きを見せ始めれば、後は石が山肌を転がるように、いや岩が木々を薙ぎ倒すしていくかのような、怒涛の負の連鎖が起こる。
「兵部尚書がまともに戦仕度が行えなかった位なのだからね。貧民層を救う処ではないだろう」
「今年はまだ、生活に其処まで逼迫した息苦しさを感じてはいないでしょう。ですが、冷夏が今年限りで済まなかった場合、事態は一気に急変するのは目に見えております」
「……そうだね、私もそう思うよ」
「帝室への不信感と不満感は巨大なうねり、そう巨大な渦潮となって襲い来る日は近いのです、戰様」
一区切り付けるように、生きる為に、と間を置いて、真は静かに言う。
真の言葉を余さず聞き漏らすまいとしているのか、戰は静かに目を伏せながら身動ぎ一つせず、じっと聴き入っている。
「そうなった時、経世済民を行えるのは、戰様、戰様をおいて他、誰にも為し得ません」
「うん」
「禍国をどうなさるお積もりであるのか、です」
「そうだね……どうすべきかな」
「憂いている振りをして禍国が終わるのを見ているだけか。影となって救う振りをして乗っ取るのか。誰も彼もを容赦無く蹴散らして己が手の内のものとされるのか。全ては戰様、戰様の御心次第。何度も言っておりますが、御心のままを叶える為にならば私は幾らでも策を捻り出します」
「うん」
呟いた戰は、其処でやっと、ふっ……と短く笑った。
★★★
「今の真の言い方は、まるで私達の、初陣の時のようだね」
「――は?」
戰に言われて、真は戸惑った表情をしながら表を上げた。
「最も、あの時と違い、選択肢は物騒極まりないものしかないけれどね。そうは思わないかい?」
笑みを浮かべて言われた真は、自嘲気味な笑みを浮かべる。
「戰様、8年も前の話しを持ち出して来られるのは、勘弁して頂きたいです。戰様は兎も角として、私は世間知らずの癖に態度ばかりがでかい、頭でっかちな癖に尻つぼみな、斜に構えて格好つけるのだけが上等な、糞生意気で嫌味たらたらの厭らしい子供でした。正直、今、目の前に当時の私が立っておりましたら、何を小僧が粋がって小賢しい、と横っ面を張り倒してやりたくなります」
「そうかい? 私は良く覚えているが、では、真の為に、忘れた方が良いのかな?」
戰は愉快そうに笑う。参りましたね、とは項に手をやって背中を丸めた。
「だけどね、真。あの場で、戦の全ては私の心一つだと言い切った、真、君だからこそ、私は見初めたんだよ。いや、見初めたと言うのは語弊があるかもしれないかな。真。私の心と魂も、全ては彼処から動き出したんだ。――真、君はどうだい?」
「はい、戰様。私もです。只の『所有物』でしかなかった私が、逼塞した生活しか知らなかった私が、蒼穹とは如何なるものかを知りました。天涯――此の言葉の正しさを我が目で確かめられた瞬間でした」
うん、と戰は満足気に微笑んだ。
「それならね、真」
「はい、戰様」
「真、私が句国を得る話も、禍国に対する牽制をどう行うべきかという話も、一旦、横に置こうか」
「……戰様?」
不思議そうに目を細める真に、戰は手を広げてみせる。
「私たちが今、すべき事は、話さねばならぬ事は、違う。君も、本当は、そう思っているのだろう、真」




