24 覇者と王道 その6
24 覇者と王道 その6
人払いをした戰の天幕に、二人で入る。
大将のみが座る事を許されている漆黒に塗られた交椅に腰掛けると、戰は変わらぬ、人懐こい笑みを真に向ける。
「真、良く帰ってきて呉れたね。待っていたよ」
「はい」
真の返答は短いものだったが、戰は満足そうだった。
しかし真は、天幕の外で消すつもりもない人の気配が塊となって蠢いているのに、やれやれ、と肩を竦める。何を、と勘繰る必要も無い。大方、いい年をしておりながら優が率先して、聞き耳を立てているのに違いない。
今後について、二人がどのような話をするつもりなのか。
いや、真がどのようにして戰の決心を促すつもりであるのかが、気に掛かって仕方無いのは分かる。
が、遣り口が余りにも稚拙と言うか大人気無いというか、些か子供染みている。
――仕様が無い方々ですね。
ぼやきながら、頭を軽く振りつつ真は早速、口を開いた。
「戰様、剛国王・闘陛下よりご伝言が御座います」
「分かった、聞こう」
戰は答えながら、早速、椅子から降りようとして身体を捩じった。
「戰様、いけません。どうか、お座りになられたまま、お話しをお続け下さい」
「うん?」
真が嗜めると、戰は解せない、と言いたげに眉尻を下げた。余りにも情けない顔に、危うく吹き出しそうになるのを何とか堪える。
「何故だい? 祭国では、頭突きを仕掛ける寸前まで額を突き合わせて話し込んだものじゃないか。何時ものように、傍で話しがしたい」
――駄々っ子ですか、と言い掛けるのを耐え抜いた真は、良いですから、腰掛けたままで、と制した。渋々、戰は真の震源を聞き入れて椅子に座り直す。やれやれ、と真は肩を竦めた。
「外で、恐らく父が聞いております。藪をつついて蛇を出す、ではありませんが、要らぬ横槍を入れられたくないのです」
「……」
戰は無言で息を吐き出す。
真の父親である兵部尚書は有能であるが、事、戰と真に対してのみ、どうにもこうにも短気が過ぎる。
仕方ないね、と呟いた戰は、不承不承、といった表情で大きな体を椅子に収め直す。戰が背筋を伸ばすと、では、と真は口を開いた。
「剛国王・闘陛下は、句国の城を諦める、と明言されました」
「闘殿が?」
戰が怪訝そうに眉を顰めるのと同時に天幕の外ので、ざわり、と空気が蠢いた。戰と真は互いの顔を見やると、微かに苦笑を浮かべ合う。誰かが聞き耳を立てているのは判りきっていたが、隠す気が此処まで皆無だと、逆に此方が妙な笑いが口の端に浮かんでしまう。
しかし優を始めとした、盗み聞きをしている者たちが色めき立つのは当然だった。
城を諦める。
つまり実質、同盟を結んだ剛国は、此度は兵馬を出した恩を被せはするが、実質手を引くから好きにするが良い、と言っているのだ。こんな話しを聞かされて、興奮せぬ方がどうかしている。
「剛国王が、斯様な申し出をするとはね」
にこ、と戰が笑うと、はい、と答えながら真は頭を下げる。
「だけどね、真」
「はい、戰様」
「剛国王が句国から手を引く、と言ったとして、此の私を前にした彼の国のニ王弟が、我が物とした句国の素直に明け渡すとは思えないのだけどね」
「はい、特に、執拗に句国王陛下の大軍旗を狙って来られた烈王弟殿下からの抵抗は、相当に強いものとなるでしょう」
★★★
軽く握った拳を口元に当てながら、だろうね、と戰は呟いた。
「そうなれば、今度は兵部尚書が収まりがつかないだろう」
「戰様は、剛国王陛下が、御自身への妄信的な敬愛から暴走する王弟烈殿下と、何としても戰様を皇帝の座に就かせたい父の間で、新たな戦端を開くもの、との期待を寄せておられると踏んでおられますか?」
「可能性は高くないかい? と、言うよりも此れ迄の王弟・烈の出方を見ている限り、どう考えても其れを狙っているとしか思われない。信じろ、と言われても、何を腹の底で狙っているのか分かったものではない、と兵部尚書でなくとも克たちは憤慨するだろうね」
血が流れるのは必死だ――さあ、どうするつもりだい? と言いたげな戰に、にこり、と真は笑ってみせた。
「はい、ですから、兵を引く御意思を明確に示されんと、剛国王陛下は御自ら出向かれると確約なされました」
「闘殿が、か?」
「はい」
予想外の答えに驚きを些かも隠そうともせず、戰は目を見開いた。
怒鳴り込みを掛ける寸前だったのだろう、天幕の外でも熱り立っていた空気が微妙に揺らぐ。
特に、優と共に転戦してきた禍国軍と、途中加わった句国兵たちは、剛国王弟・烈に敵意、いや殺意を抱いている。句国王の大軍旗を狙って奇襲を仕掛けられたのだ。力で捻じ伏せ、何方が上であるのかを示さずに居られない、というのが率直な気持ちだろう。
「異腹弟殿下方を句国より撤退させ、祭国郡王が句国王として玉璽と国旗を我が物とする様を見届ける御役目を担ってもよい、と」
「それは……信じても良い、と真は受け取っているのか?」
「はい」
手を離すと、ふむ、と戰は腕を組んだ。
「だけど、俄には信じ難いね。剛国にとって、今が千載一遇の機会じゃないか。戦巧者を自認する剛国王が此の期を逃すなどと、到底思われない」
「ですが、事実です」
短く、そして言葉を濁す事無く答える真を前に、戰はまた、暫く口を噤む。
真が此れだけはっきりと言い切るのだ、剛国王が手を引くと決断したのは事実なのだろう。
――つまり。
剛国王は、真を前に、剛国の負けを悟ったのか。
闘と真の間で何が起こり、どう話し合われたのかまでは分からない。
だが剛国王は、戰との対決をすべきではない、今は句国から身を引き時を待つべし、と決断を下したのだ――真の話術の前に。
「剛国王は、平原の中央に打って出る事も、毛烏素砂漠にも進出せんが為の布石として狙っていた句国を諦め、あわよくば私を格下に置かんするのも断念する、と言っている訳だね」
「はい。表面上、其れも一時の事となりますが、今は其れで良しとすべきでしょう」
「そうか……うん、そうだね」
固く結んだ口元に、戰はもう一度、手を当てた。物思いに耽る間を戰に与えるつもりはないのか、真は続ける。
「実は、私が此方に戻る直前、剛国王陛下は、王弟・烈殿下の妃であらせられる瑛姫の宮女にして契国相国・嵒殿の照御息女を、御自身の後宮になされました」
「嵒殿の御息女を?」
「はい」
「句国ではなく、契国に手を伸ばすから、構わん好きにしろ、といった処、かな?」
「……はい」
国難が続いている契国の内情を、剛国がどの程度我が物としているのかは分からないが、照を後宮に収めたという事は句国を諦めはしても契国は違う。
戰も指摘したように、平原一帯に剛国の軍旗をはためかせる足掛かりとする気だ、と断言しているに等しい。
何しろ、契国相国・嵒は先契国王の異腹弟にして現国王・碩の叔父に当たる、つまり照は宮女として瑛姫に仕えている身であろうとも歴とした契国王族の血縁者なのである。
王弟・烈の妃・瑛姫と闘の後宮となった照、何方かが子を宿せば、そして御子が王子であれば、闘は契国の正統なる血族の御子を押し立てて契国に入るだろう。そして、堂々と璽綬と大国旗を要求するだろう。
「闘殿は、句国からは渋々手を引くが、契国を我が物とする事はまだ諦めてはいない、か。此方はやるから彼方は諦めろ、と云う使者にされた訳だね」
「でなければ、剛国王陛下が、生きた私を戰様の元に送り届けられません」
抑揚のない声で答える真を、じ……と戰は見詰める。
――さて、其れはどうかな。
剛国に居た時に、真が敢えて闘殿に其の点を深く追求しなかったのは、真には、剛国を契国に入れない自信があったからに違いないが……闘殿は、どういう積りだったか。
闘が、自身の策の脅威や障害と成り得る者を見逃すとは考え難い。
――天秤に掛けたのか?
其れ共、案外、話す必要性を感じなかったのか?
真を得たい、と闘殿が思ったのであれば、不必要な話題だ。
戰が心の底で微かに葛藤しているのに気付いているのかいないのか、真は1~2度、静かに瞬きをして姿勢を変えると、静かな口調で続ける。
「ですが、剛国が契国を手に入れるのでは、と怖れられる必要はありません。戰様が禍国に対する出方お一つで、闘陛下は苦い思いをされながらも契国も手放される事でしょう。契国を手にする旨味が損益の分岐点を少しでも下回れば、剛国はあっさりと手を引きます。要は、毛烏素砂漠を超えて平原に侵攻してくる蒙国に対して、自国の領土を広大させて迎え討つか、若しくは、同盟国を得て対峙すべきか、何方が剛国にとって利益があるか、そして負担が少ないか、言ってしまえば人的被害と国土の荒涼を少しでも減らせる方を剛国王陛下は選び取られる気ですから、戰様は何も臆する事なく、我は天涯の主の定めたる星の命に下がうと平原に意をお示し下されば良いのです」
「……真」
「はい、戰様」
「剛国王の申し出を、其処まで読んでくれている真が帰って来て呉れて、嬉しく、そして頼もしいと思う。実際に、禍国を敵に回して立つと成れば、露国と東燕は露骨に動くであろうからね。剛国も、日和るのは当然だが、少しでも私に近付いた方が己の利に繋がると思わせて呉れた事は有り難い」
はい、と真は頭を垂れる。
「戰様の此処までの戦況と状況は、父から聞いております。ですから、余計な言葉は口に致しません。単刀直入に申し上げます」
「うん? 何をだい?」
「戰様、どうか王としてお立ち下さい」
其れはまた、直截な物言いだね、と戰は半笑いの表情で零した。天幕に入る前に、王になれ、と真は言い切った。
――何かが違う。
此れまでとは根底から違う、真の中で変化が起きている――と戰は感じていた。
★★★
「句国の王座を手に入れるには、先ず、私はどうすべきであると真は考えている? 何か策はあるかい?」
「何も策を弄する必要はありません。姜殿が陸に託した句国王の玉璽を、躊躇わず戰様のものとなされて下さい」
「契国はどうする? 真は先程、恐れるに足らずとは言ったが、剛国王が帰国すると見せ掛けて契国に入る可能性も残されている」
「句国を今は諦めた剛国ですが、其れは戰様が句国王となる方が、より、自国にとって有益性が高いからに他なりません。が、戰様が僅かでも因循苟且に囚われていると見るや、言を翻されます。そういう、気質の御方です。ですから、間髪を容れず、契国も我が物とされる御意志を御見せ下さい」
「……」
「句国と契国に手を出させぬ為にも、逡巡されている暇はありません。恐れ乍ら、契国王陛下は御命を救われたとは言え、此の先、何時まで保たれて居られるか危ういものである、と父より聞き及んでおります。時間はありません」
「……分かった」
「戰様は契国王陛下御自ら願われた禅譲を退けられたとの事ですが」
兵部尚書からどの様に聞いたのか、とは戰は問わなかった。ただ、何処か居心地が悪そうに軽く目を伏せてみせる。しかし、真は構わずに続ける。
「真はどう思う? 私はあの時、禅譲を受けるべきだったか否か」
「今更、過ぎた日をどうこう言い合っていても詮無き事です。見定めねばならないのは、今、此の時と此の先々です。遠き契国より、なけなしの男手を率いて参戦して呉れた伐殿の心意気、そして恩義に、報いねば漢として申し訳がたたない、と戰様が心の底から思し召しなのであれば、碩陛下の御決断を受け入れられるべきでしょう。寧ろ、彼らは碩陛下の身代わりとなり、己が眸の代わりとなり戰様が決断される瞬間を瞳の奥に焼き付けんが為、此の場に留まり続けているのではないかと私は思っております」
「……」
戰は答えられない。
言い逃がれようとする先を次々に潰して来る真の抜け目の無い遣り口に、戦場で此れまで、多くの敵が味わって来た気分とはこういうものだったか、と戰は感じていた。
「戰様」
「……何だい、真」
「戰様は、王になりたい、と決意を口にされました」
戰は、……そうだね、と答えるのが精一杯だった。
「おられながら、血族同士の対立関係を、姿形も見えぬ未来の評者からの咎め立てを怖れて右顧左眄して逃れてようとされています。なのに、他の強国に、句国や契国が侵攻される姿を見るのは忍びない、と言われるのですか? 戰様、其れは戯言です、都合の良い妄言です」
戰は答えない。
ただ、真の語る姿に、じっと見入っている。
――真でなくとも、兵部尚書や大保も、同様に云うだろう。
いや、言われて来たではないか。
だが、どうしてだろうか。
他の者に言われても心に響かなった言葉が、一度、真の口から発せられると、ずしりと重く、そして深く刻まれる。
「句国と契国は、剛国か露国か東燕か、若しくは蒙国か――何れかの国の放伐を受けるのは最早、必定です。何方か、民を真実に思いやり、そして敬慕される御方。何よりも強烈な魅力で人を惹き付け、他を圧倒する強力な指導力で率いる力を持つ御方が新たな王が立って率いねば、他国にとことんまで食い物にされる未来しか残されてはおりません」
「……他国の侵攻を食い止められる王となるのは、私だ、と真は云うのかい?」
「戰様を置いて他、誰が成り得ると言われるのですか。御自覚がない、と言われるのでしたら、今、此の場に父を呼んで鉄拳にて脳天に叩き込んで差し上げましょう」
……其れは勘弁して欲しいな、と戰は苦笑する。
が、真は、巫山戯て口にした訳ではないのは、双眸の奥に仄暗いもの含んでを放たれている輝きを見れば、瞭然だった。
「戰様は郡王として、祭国を守らねばならぬ、と思われておられます。同じ重さのお気持ちで、句国と契国は守られねばならぬ、と願われておられる。でしたら、他人に任されるなど以ての外。最も適した力を振るって実行できる最も相応しい立場を得られ、両国の行く末に対して責任を取られるべきでしょう」
「……責任、か……」
「此処まで私が申し上げて、未だ、見えぬ世間を相手の評価を怖れてと大いなる責任に怖気付いて、尻尾を巻いて逃げ出される構えを解かれないのですか? 句国と契国の民が心配だ、だが私は王となるべきではないと思う、などと世迷い言を申されるのですか?」
「私が、そうだ、まだ怖気が邪魔をする、と言ったら……真、君はどうする?」
「戰様、嘗て祖国の父王陛下に対して悩んでおられた椿姫に対して、戰様は何と仰られたでしょうか? そして、皆と共に歩みたいと仰られた日をお忘れなのですか? 戰様は、御一人ではないのですよ? よもや忘れたとは言わせません。もしも忘れてしまわれたのでしたら、若き日の御自身に、大嫌いだ、と怒りを顕に叱責されるがお宜しいでしょう」
真の口真似から、戰は嘗て、不甲斐無い父王の為に思い悩み、一人で何もかもを抱え込んで八方塞がりに陥った椿姫を叱責した日を思い出して苦笑した。
――そんな日もあったな。
互いに顔を見合わせると、同時に噴き出す。
「其れは嫌だな」
「お嫌ですか、良かったです。私も戰様の口から、別に気にしない、と言われるのを聞くのは嫌です」
今度は穏やかに、戰は笑う。
「真」
「はい、戰様」
「正直、散々迷って、寄り道をし過ぎてしまったと思う。私は、まだ、間に合うだろうか、勝てるだろうか」
「当然です」
間髪を容れず答えながら、真は、力を込めて頷いた。
「迷わない戰様など、戰様ではありません。其れが戰様の魅力の一つですから、存分に、しつこい程悩まれて、堂々と空回りを演じ、文句を言われながらも遠回りなされれば宜しいのです」
明け透けに言われ放題だが、戰は苦笑するに留まった。
――全くだね、真。
私ほど、うじうじとよく悩む男はそうそう居るまいよ。
「道を見失い、行く手を誤ってはいないだろうか」
「其のような時の為にこそ、私がおります。眸となり、そして手を携えて共に往く為に、私が居ります」
暫し、静かな時間が流れる。空気の静謐さは、互いに信じ合う者同士だからこそ、生まれるものだった。
「真」
「はい、戰様」
「では、勝ちに行くとしよう」
「……何に、ですか?」
「全てに」
真は戰の前に、静かに平伏した。
「其の御言葉を、戰様が仰って下さる日を――戰様、私は、一日千秋の思いで、待っておりました」




