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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
七ノ戦 星火燎原

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24 覇者と王道 その5

24 覇者と王道 5



 ――戦は兵士を疲れさせる。

 国家の財産と言うべき国土、そして其れを護る人民も、しゃぶるように使い尽くすのだ、と改めて戰は思った。


「頻繁に戦を行えば、士気を下がらせ、戦力を弱めさせ、土は荒れ、国が貧しくなってしまうのは道理だ――此の、句国と備国のように」

 ふと、歩きながら言い訳ばかりを考えている自分に気が付き、戰は苦笑した。

「せねばならぬ戦だと分かってはいる……しかし、私は」

 何をどう取り繕おうとも、言葉を飾り立ててみても、自分が兄皇帝を帝位から引きずり降ろす簒奪者となる事実には揺るがない。


 自分は、兄皇子である天と乱を帝室から追い落としている。

 他人の目には輝かしい偉業と映ろうと、多くの者からの惜しみ無い称賛を浴びようと、兄に歯向かい同家門との権力争いを演じた事に変わりはない。

 ――どんなに言い訳しようと、同家門殺しの罪は罪。

 罪を重ねた身が、新たに一つの罪について躊躇した処で贖われるものではない、と言われるのが関の山だろうに。

 ――やはり、私は甘いな。……だが、そう、出来るなら。

「出来るのならば、戦は……したくないのだよ……」

 大将であり王である者が、言ってはならぬ禁忌の言葉を、戰は口に出して零していた。

 しかし幸いにも、戰の声が余りにもか細く弱いものであった為か、気が付いた者はいなかったようだった。

 駐屯地の見回りに従っている兵部尚書・優も、聞き咎めははしなかった。

 戰は心の中で安堵の息を吐きながら、厳しい顔付きを更に険しくして兵士たちに注意を払っている優を見やる。


 食事の為に休息を取らせているが、時間に猶予は無い。

 此処までも走りながら食べ、食べながら眠るような、文字通りの強行軍であったが、半時辰じしんもせぬ内に出立せねばならない。

 今、こうして休息を取らせると決定したのは、此の数ヶ月における連戦連勝の勢いと興奮の力を借りただけでは剛国軍には敵わない、と戰も優も認めているからだ。

 其れだけ、祭国軍と禍国軍の疲労の色は濃く、嘗てない程に蓄積されている。

 此の侭両軍がぶつかり合えば、一時程度は互角の戦いをするだろう。

 だが、疲労により摩耗仕切った気持ちと身体の何処かに何かの理由で傷が入れば、忽ち、其処から大きな亀裂が入る。


 ――備国軍とは意味が違うが、付け入られる隙があるのは、我々の方だ。

 時間ときこがねよりも価値の在るものであるが、兵士の生命を守るには何方を優先させるべきであるのかなど自明だった。

「兵部尚書、先に食事を摂るといい」

「――はっ。では、御言葉に甘えまして」

 優は戰に丁寧に頭を下げると、湯気の筋が幾本も立つ方へと歩いて行った。



 ★★★



 優が戰の言葉を素直に聞き入れたのは、互いに先を譲り合う時間すら惜しい、只其れだけの理由に過ぎない。普段の彼であれば、戰を差し置いて食事を摂るなど、到底考えられぬからだ。


 背中に感じていた視線が外れたと察した優は、振り返った。戰はまだ、兵士たちに話し掛けながら見回りを続けている。

 ふむ、と息を吐くと、粥を、と優は走り寄って来た家臣に命じた。素早く頭を下げると、まだ年若い家臣は炊事場の方へとすっ飛んで行く。

 苦笑しつつ優は用意された椅子に腰掛けた。すると、兵部尚書さまだ、兵部尚書さま、とぼそぼそとした声が素処彼処で上がる。

 兵士たちに向かって、優が軽く手を挙げてやると、おおっ、と歓喜の声が沸き上がる。口元に雑穀の粒を付けた兵士たちが、我先にと腕を天に向け気炎を上げる様は、見ていて気分が良いものだった。


 実際、戰が優を伴って各兵団を見て回るだけで、兵士たちの士気は格段に跳ね上がる。

 何しろ、覇王の星を抱いた初陣から負け知らずの常勝の皇子に、国一番の武勲の鬼と恐れられている無敗の兵部尚書が従っているのだ。天帝に愛され戦神の寵愛と加護を集める二人をにして、興奮せぬ方がどうかしている。

 連合軍の中では近頃、戰が笑みを浮かべて歩み寄り労いの言葉を掛けてやると、戸板に乗せられている負傷兵の折れ曲がった脚すら伸びる、と言う噂話が、実しやかに陣内で流れていた。

 悪しき噂は敵を倒すべき策の一つであるが、良き噂は味方を鼓舞するものであるから、此の噂を耳にした時、優は、またぞろ息子の真が草である芙を使って噂を流したのかと勘ぐったのであるが、どうも自然発生のようだった。

 戰は祭国と禍国、何方の兵にも愛されているのだから、敵兵に肝心要の処で弱腰になるへきがある彼を力付ける為にも良い、と優は判断し、積極的に兵士たちの労をねぎらう戰を敢えて止めなかった。

 噂など流れなくとも、只の兵卒の前に、同じ目線になるまで膝をついて腰を下ろし、時には手を取り合い負傷した箇所を自ら手の平を汚してまで手当する皇子の姿に、感動を覚えぬ者はいない。

 兵糧の心配は薄れたとは言え、長く国元を離れての連戦の最中、精神が疲弊し戦意が鈍って来るのは人間として当然だが、そんな彼らにとって戰から与えられる直々の励ましと労いの言葉は、優の読み通りに最高の滋養となっていた。



 ★★★



 優もであるが、特に戰は兵士たちに押し込み・・・・等の暴行行為を固く禁じて戒めている。

 此の時代、兵站を略奪に依るものとして戦略を練るのは当然の行為だった。

 栄達を夢見ての異常興奮と死への恐怖が交互に襲い来る戦場に長く居ると、躁鬱状態に陥り易くなる。精神を病み掛けた兵士たちを正常に戻す為、そして息抜き・・・と鋭気を養う為、そして戦への高揚感を得る為であるとして、略奪行為と乱暴狼藉は黙認されていた。いや、必要悪とすら認識されていなかったかもしれない。

 だから暴行等を固く禁じた若き日の優は、かなり手酷い反発にあい続けた。末端の兵士にとって、正攻法で大っぴらに行える悪行は最高の恩賞であったからだ。

 優は此の点に関しては、実に地道に、そして粘り強く働き掛けた。もしかすると、敵を倒す策を練るよりも根気強くあったかもしれない。こうなるまでに実に十数年を要したが、優の諦めの悪さの成果が実を結び、兵士たちの意識は変わって呉れた。


 ――だが、城で踏ん反り返るしか能が無い皇子どものせいで元の木阿弥になりかけたのだがな。

 唯一、優の遣り方を無条件で受け入れて呉れたのは、戰のみだ。優が戰を『持ち上げる』理由は、実は、此の点も大きい。

 しかし優も、戰の遣り方に不満を持っていない訳ではない。

 戰は、内政に関しては他者を寄せ付けぬ傑物、戦果を見れば偉大な英雄としか言い様がない、天帝に愛されし高潔のおとこと認められるというのに、肉親関係に対してのみ、全く煮え切らぬ、優柔寡断ゆうじゅうかだんさを見せるからだ。

 真を死の淵間際にまで追い詰めたのは、偏に、戰の兄皇子たちとの対決姿勢にある。

 まつりごとに関しては多才な家臣たちの弁を受け入れて民福の為にと挑む戰であるが、事、己の血筋問題には薄志である――此の一点が、人を惹き付ける最大の魅力である同時に、味方ですら苛立たしい思いに腸が千切れそうになる戰の欠点と言える。


 ――旋乾転坤せんけんてんこんせんが為、禍国帝室を己が物とすると誓われた、次の瞬間にはもう、此れで良いのか本当に、と悩まれる方であるからな。

 陛下らしいと言えば言えるが、些か遠慮が過ぎると言うものだ。

「此処まで来て、右顧左眄うこさべんしておる場合ではない。郡王陛下が目指して下さらねば、何の為に多くの兵士たちが死んでいったのか。犠牲になった者たちは浮かばれぬ。現皇帝の後を憂いてやる必要など無い。天皇太子と二位の君・乱殿下の騒ぎの時を、よもや忘れたと、は陛下には言わせぬぞ、あれが無ければ真の……――」

 思わず声に出して、しかもだんだんと声が大きくなっていた、と気付いた優は、慌てて言葉を飲み込んだ。

 政に私情を挟んではならない。

 他者にあれ程強く戒めておきながら、己の息子の事に付いては判断が甘くなり過ぎる。

 ――判断を一気に下すことが出来ず、優柔不断と思える程、深く思い悩まれてこそ、陛下ではないか。

 真の奴は、その『人臭さ』こそが陛下の魅力であり武器ですから、とでも言いそうだな。


 ふと、息子の名前を思い出した優は、むう、と大きく息を吐いた。

「魅力ではあるが、此度は此の魅力は発揮して貰ってはならん」

 ――私が進言しても、受け入れては下さらんからな、早く帰って来い、馬鹿息子め。

 ぼーっとした眠たそうな表情で項辺りを引っ掻きながら、目の端に涙を浮かべて欠伸をする息子の姿を思い出す。そして、……むう、と口をへの字に曲げた。

 ――あんな息子が果たして物の役に立つのか、と8年前は大いに不安になったものを、今となっては杞憂どころか、自分ですら率先して頼り切っている有様、だと……?

 穴の中で唸っている熊のような形相で、優は粥が入っている碗を傾け、一気に中身を喉の奥に流し込むと、手の甲を使って顎を伝う雫を、ぐ、と拭い取った。そして今度は、渋柿を口中に入れるだけ入れたような思い切り渋面を作り、苦々しい声音で優は呟く。


「真よ、さっさと帰って来んか。お前が居らねば陛下はとことん盆暗ぼんくらだ――最も、真。お前は屁鉾へっぽこだ」

 余りの形相に及び腰になる兵士に碗を返そうとする優の耳に、がやがやとした騒ぎ声が届いて来た。

「どうした、何事だ」

 喧騒の方へと大股で歩み寄ると、小さな山状態となっていた人垣が、不意に割れた。

 出来た隙間のお陰で、人垣の中央に居た人物は優の姿を認めたのだろう、青い顔色で嘔吐きながらよろよろと手を挙げるて、笑みを浮かべて見せた。


「全く……相変わらず、息子に対して酷い言い様ですね」



 ★★★



 出来上がったばかりの熱い粥は、殆ど凶器に近い。だが、兵士たちは皆、恐れ知らずに喉の奥に流し込んでいる。どの顔も、凜々とした生気とそして活気に満ち溢れている。


 ――皆、信じて呉れているのだ。

 常勝の皇子である自分が、剛国王・闘にも当然勝つものである、と。

 そして疑っていない。

 此度の戦で勝ちを得れば、今度こそ私が王を名乗り、覇王の宿星を持つ皇子・戰が、遂に、此の平原の血に降り立つのだ――と。


「句国王として……、か」

 ぼそりと呟く。

 が、声に出してみても、戰には実感がまるで無い。

 ――分かっては、いるのだ。

 千載一遇の此の絶好の機会を逃してはならない。

 句国王として此の地を得、本国である禍国から独立を果たし、更には現皇帝・建から帝位を禅譲する言葉を捥ぎ取る足掛かりとせねばならない。

 分かっている、頭では、分かっている。

「……分かって、いるんだ……」

 分かっている、んだ。


 だが、良いのだろうか、という意識が戰はどうしても拭えないでいた。

 覇王の宿星と占われた通りに人生を歩む、平原に星を示す、と言えば聞こえは良いかもしれない。

 だが、結局は簒奪に依らねば成し得ない。

 自分が簒奪者となるのに恐れを抱いているのではないか? と問われれば、完全に否とは言えない。

 が、戰が心に一向に晴れぬ霧を抱えて悶々としているのは、怖れからではない。

 足を引っ張ろうとする昏い気持ちを振り払おうと、戰は頭を激しく左右に振った。


 ――誓ったではないか。

 3年前のあの日。

 真が実の兄であるようの手に掛かって重傷を負わされ生死の境を何日も彷徨い歩き続けたあの日に。

 血の繋がりではなく、自分を無妄の境地で信じて呉れている人々の為にも、自分の生命を燃やそうと決めたではないか。

 もっと言えば――真の為に、生きようと決めた。


 ――決めた筈ではないか。

 臣一主二しんいしゅにと云う言葉があるにも関わらず、真は、偶然仕える事になったに過ぎない私を選び続けて呉れている。

 其れでも、戰には自信が無い。

 兼ねてから真は、家臣の中の一人を特別扱いするな、と言い続けていた。

 鷹に鬼畜の所業を受けた直後であろうと、混濁し掛けた意識の中のですら、言い切ったのだ。

 なのに、自分は究極の処、真への愛情のみで動いていると言っても過言では無い。

 兵部尚書も、分かっていながら気付かぬ振り・・をしており、そして自分は其れに甘えている。


 ――剛国に居る真が、今の此の私の姿を見たら、どう思うだろうか。

「真……」

 君は、何と言って呉れるだろうか?

 戰様、此の世の時流を怖れても良いですが尻込みしてはなりません、と叱咤するだろうか。

 其れとも、甘い汁を吸う兄たちに好き勝手させて良しとなされるのですか、と督責とくせきするだろか。

 其れとも――

「……どうすれば――よいのだろうね……」

 尋ねれば、はい、と答えて呉れる人物が、長く傍に居ない。

 答えを返して呉れるべき人が居ない。真から得られる情愛は、家族である妃の椿姫や我が子であるしゅんりんが与えて呉れる愛情とはまた違うのだった。


「……真」

 もう一度、戰は呟いた。

 真が生きるべき国を作りたいが為に、私は王となる、なりたいのだ、と口にしたら……。

 真。

 君は、何と言うだろう?

 どう、思うだろう?

 怒るだろうか。

 呆れるだろうか。

 其れとも。

 見放すだろうか。


「……でもね、誰にも話せずにいた、此の真への正直な気持ちを手放してしまったら――……」

 私は、一体、何者になれるというのだろう。



 ★★★



「……駄目だな、どうにも答えの出ない袋小路に嵌まり込んでしまう」

 気持ちが萎えるのは、自分に自信が無いせいもあるが、真が長く不在であるせいだ、と戰は頬を叩いてき合を入れ直した。

 ――真が帰って来て呉れさえすれば、変わる。

「萎れまい」

 大きく肩を上下させて深呼吸して気持ちを入れ替えようとした、其の時だ。急に、駐屯地の一角が波打つようにざわめいた。


「どうした?」

 不審に思いながら駆け寄ろうとすると、中央が分かたれた。分かたれたと言うよりは、中に居た何かが自ら飛び出して来た。

「陛下っ!」

「陸!?」

 全身、汗と泥と埃に塗れており、顔は薄汚れ髪は固まってごわついており、全身から異臭が放たれている酷い有様に戰は戸惑った。此処に到着するまで、飲まず食わずの寝ずの走りをしてやって来たのに相違ない。

「陛下、陛下ぁぁっ!」

 手を伸ばして駆け寄って来る陸を支えようとした戰の胸の内に、陸はまるで投げ付けられた胡桃の実のようにすっ飛んで来た。そして、戰の胸倉を鷲掴みにすると、がんがんと揺さぶって来る。

 少年の、此の細い腕の何処から、と驚愕に目を見張り激しさに言葉を失っている戰の腕の中で、陸少年はおうおうと野獣の様に全身を使って声を張り上げて泣き始めた。

 陸の背後から、克と杢が歩み寄って来た。信頼を万騎将軍二人の顔を交互に見、そして腕の中にいる陸少年に改めて視線を落とす。


 ――克と杢に護られて此処まで走り詰めに走ってきたのか、其れにしても、よくぞ……。

 逸材の片鱗を垣間見せているが、所詮は、初陣の少年の身だ。己を叱咤激励するにしても限度があるだろう、其れを、と戰は驚愕に目を見張る。

 と、陸がおこりに罹ったかのようにぶるぶると震え出した。

「……陸、落ち着きなさい、大丈夫だ」

「陛下、お、俺、おれ……へ、陛下、俺、俺よぉっ、持ってきた、持って来たんだよ、陛下、陛下、あ、あ、ああぁぁぁっ……!」

「落ち着くんだ、陸、ゆっくり、何があったのか話してみなさい」

 肩に手を置き優しく諭す戰を、だが不意に顔を上げた陸は、ぎっ、と睨んだ。自分の子供であっても可笑しくない年齢の少年だと言うのに、戰は一瞬、本能的に身を引いた。

 その戰の鼻先に、陸少年は握り拳を突き出した。

 手に何かが握り締められている、と気付いた戰が、そ、と手を差し伸べると、陸少年は、今度は両手で戰の手を強く強く握った。

 思わず顔を顰めずには居られぬ怪力に、戰は言葉を失ったままだ。そして陸はまるで頭突きを喰らわせるように、戰の胸に突進する。


「死んだんだ!」

 何事か、と集まってきた周囲の者も、見を揉む様にして叫んだ陸を前に凍り付く。

 戰も、自分が息を止めていると自覚する迄に数瞬を要した。

 頭の中が真っ白になる。

 誰が――何時、何処で、どうして――と、誰も問い正せない。

「……陸?」

「おっちゃんが死んだ! 此れ、こいつを陛下に、って言って、俺に行けって、言って、俺を逃して、死んじまった!」


 おいおいと声を張り上げて泣き出した陸の背中を擦りながら、戰は克と杢を交互に見る。二人共、沈痛な面持ちで目を伏せ、唇を噛んでいる。

 殴り掛かる積りなのでは、と優や杢が焦る勢いで、ぐい、と握り拳を更に突き出して来る陸を、戰は殆ど羽交い締め状態で抱き締める。

「死んだ! 死んだんだよ、陛下! おっちゃん、死んじまったんだよ!」

「陸、もう止めなさい」

「何でだ! 何でおっちゃんが、死ななきゃなんねえんだよ! 何でだよ、何でなんだよお!」

 背中を反らせて夜泣きしている赤子の様に、だが陸は取り付く島も無く只管喚いて泣き続けている。

 歯を食いしばって、陸は戰の胸を叩き続ける。まだ弱く薄い少年の手の皮膚は、甲冑に当たり続けて真っ赤になり、皮膚が裂けて血が滲み出始めている。

 構わず叩き続ける陸少年の手首を取って、いい加減にしなさい、と戰は珍しく強い口調で諌める。


「陸、姜殿の身に不幸があったのは分かる。だが、落ち着くんだ。戦はまだ終わっていない。勝つ為に、皆、此処に居るのだ、だから……」

「だからだよ!」

 陸は唾と涙を撒き散らしながら叫んだ。

「だから陛下、おっちゃんの最後の頼みを聞いてやって呉れよ! お願いだよ!」

「……陸?」


 訝しみながら、戰は何時の間にか自分の手の平に押し込まれていた布切れを開いた。

 血と泥と汗で汚れており、描かれている文字や図はかなり滲んで、途切れ途切れになっている。

 其れらを苦心しながら繋ぎ合わせて読み進めていた戰は、はっ、となった。



 ★★★



 書かれていた内容の重大さに、戰ほどのおとこが目を見開いている。

 何が書かれているのか、と優が杢と克に目配せするが、彼らは揃って、首を左右に振った。こんな時でも律儀に姜と陸の友情を優先させる嘗ての部下たちの男気を誇らしく思いながらも、融通の利かなさは陛下に似てきておるわ、と優は内心で苦笑した。

「陛下、失礼致します。姜殿は何を書いて寄越して来られたのですか?」

「句国の……六撰の御璽の在処……」

 戰の呟きは、質問に答えている自覚が全くない。

 だが放心状態の戰の背後では、おおっ!? 何ぃ!? と、どよめきが周囲に走る。興奮から立ち上がっていたと戰が気付いたのは、ぐっ、と強く陸が袖を引いたからだった。


「陸?」

「陛下以外に、見せるんじゃねえ、って。おっちゃんが、必ず陛下に渡せ、って。絶対、陛下に王様になって欲しいって」

「……姜殿が……」

「なあ、頼むよ、陛下。おいら、馬鹿だから分かんねえけど、其れがあったら、陛下は句国の王様になれるんだろ!? だったらなって呉れよ! 陛下、本当の陛下になって呉れよ! おっちゃんの最後の頼み、聞いてやって呉れよ!」

 本当の陛下、という陸の言葉に、あれだけざわついていた場が、しん……と水を打ったよう静まり返った。

「……陸」

「頼むよ! 頼むよ! 陛下が聞いてくんなかったら、其れ、後生大事に守り続けて来たのに、何の意味があるんだよ! おっちゃん、何の為に死んだんだよ! 死に損じゃねえかよお! なあ、お願いだよ陛下! 頼むよ、聞いてやって呉れよぉぉっ!」

 戰の脚元に突っ伏すと、陸は背中を丸めて号泣した。


「……陸」

 しゃくり上げる陸の背中に、戰は優しく手を伸ばした。だが、掛けてやれる言葉が見付からない。

 たった今まで、戦うべきなのかと迷っていた自分が、何と答えてやれるというのだ、と自責の念に駆られる。

 押し黙る戰の横手から、ざっ、と地面を踏み締める音が聞こえてきた。

「……兵部尚書かい……?」

 声を掛けても、現れた相手は何も答えない。

 しかし戰は、構わずに続ける。


「情けない話だね。私は、こうまで陸に言わせておきながら、望む答えを与えてやれないんだ。王になるから安心しろ、と、言ってやれないんだ……」

 力無く哀な声に、相手は答えない。

 憫然たる様の自分を、いっそ呆れて見放したか、と顔を上げて其方そちらを向いた戰は、息を飲んで固まった。


「……し、ん――」

眼の前に立つ男の名を、どうして、と言いつつ戰は知らぬ内に呼んでいた。名を呼ばれた男は、戰に向かって最礼拝を捧げると、静かに口を開いた。

「お久しぶりです、戰様」



 ★★★



「真さん!」

 身体を起こした陸は目にも留まらぬ風のような身のこなしで、戰の手元から離れると真の胸に飛び付いた。

「遅え、遅えよ、真さん! 何処ぶらぶらほっつき歩いてたんだよ! 真さんが遅かったから、おっちゃんが死んじまったじゃねえかよぉ!」

 そして再び、声を張り上げてわんわんと泣きじゃくる。

「済みませんでした、陸。姜殿が亡くなられたのは、誰のせいでもない。私の見通しの甘さから来る、策の落ち度です」

「真、そんな……」

 素直に、そして真摯な態度で真は少年に頭を下げると背中を抱き寄せると、身動ぎ一つせずに何とも言えぬ表情で何も言えない戰に視線を向けた。

 見つめられた戰は、たった其れだけの真の動きに、どきりとし、身体の強張りを感じた。

 咎められているような、詰問されているかのような、心の奥底が絞られるように魂ごと身の置き場を無くすまで追い詰められて行くかのような、そんな気がした。


「……真……」

「戰様」

 陸を優しく抱きながら、真は湧き出る清水のように静かな声を掛けてきた。

「戰様、お願いが御座います」

「何だい、真」

「戰様――私と二人きりで、話しが出来る場を、設けて下さいますか?」

 二人きりで、と言う真の申し出に、杢と克が顔を見合わせた。

 いつの間にか駆け寄って来た優が、真の剥がすようにして真の腕の中に居た陸を引っ張り出す。

 泣き腫らして真っ赤に膨れ上がった目蓋と濡れに濡れた光る頬を、キッ、と上げて陸が真と戰に向かって叫ぶ。


「真さん! 陛下に言ってやって呉れよ! うだうだしてねえで王様になっちまえ、って! なあ、真さん! 俺らじゃ駄目なんだ! 俺らが幾ら言っても駄目なんだ! 真さんじゃないと駄目なんだ! 頼むよ! 陛下のケツぶっ叩いて気合い入れて呉れよ!」

「止めんか馬鹿者が。何という無礼な口を叩いておる」

「お止め下さい、父上」

 声を荒げて陸の頭に拳骨を落とし掛ける優の前に、真は立ちはだかって手首を掴んだ。

 息子の思わぬ鋭い双眸の光に、ぬ? と怯みを見せた優の腕の中で藻掻く陸に、真は力強く答えたのだった。


「勿論です、陸。此処から先は、私に任せて下さい。さあ戰様、参りましょう」

「真……」

「時間がありません。早速、策を練り上げねば。此度の戦こそ、必ず、勝利で終えねばなりません――戰様が、王となる為に」



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