23 合従連衡 その10-3
23 合従連衡 10-3
王都の城門を殆ど粉砕する勢いで、剛国軍は入城した。いや、入城などと生易しい部類のものではなかった。剛国軍のやり様は、襲撃者の其れに近いものだった。
其れ故に、斬の剛国軍に統率が在ったとは言い難かった。
寧ろ、真逆と言えようか。
粗暴・残虐・無道と言える残忍非道さを見せて、剛国軍は文字通り句国の、いや今は備国の王城を蹂躙した。
城に仕える者は、僅かでも抵抗や反抗の意思を見せれば一刀のもとに斬り伏せられた。其れが幼い少年であろうとも、だ。城内は、瞬く間に阿鼻叫喚地獄と化した。
「……うぬ……」
――此れが剛国軍なのか、此の暴虐の限りを尽くしている畜生にも劣る者共が、私が率いてきた剛国軍だと言うのか。
斬は、双眸に映る景色を怒りを以て睨み付ける。
此の統制の乱れには理由があった。
斬を旗印としての入城である筈なのに、だが、彼の命令は何一つ遂行されていなかったのだ。
其処彼処で助けを乞う女たちの悲鳴が上がる。
流石に、宮女や女童たちにまで無体な行いをする者や略奪行為に及ぶ無法者は皆無であった。
――だからどうしたと言うのか。こんな事が罷り通って良いものか! 許される行いではない!
兄上の、剛国王の名を辱めるのか、奴らは。
斬は奥歯が砕けそうな程、強く歯を噛み締めた。
――此の軍は、私が兄上から賜った軍勢ではないのか。
私の旗印の元に集いし私の軍勢ではないのか。
何が大将軍だ、万の騎兵を率いる将軍だ、此れではまるで御飾りの人形宛らではないか!
幾ら歯噛みしようとも、だが、どうしようもなかった。
握り拳が、白くなるまで固められている。
よくよく見れば、斬の軍を我が物顔をして勝手に指揮を執っているのは、烈の軍勢で見掛けた顔であった。
――烈兄上は、何処までも私を若輩者と貶められるというのだ!
小童如きは信用出来ぬというのか!?
小賢しくも面憎い、尻の青い小僧だと言いたいのか!?
其れとも、祭国郡王の身内の手を借りた私を蔑んでおられるのか!?
「殿下、此方に」
沸々と滾って来る怒りを必死になって抑えながら、何だ! と斬は怒鳴りながら振り返る。
剥いた目玉が、ぎろぎろと異様な輝きを放っている。
だが此処で地団駄を踏むように、そう、まるで駄々を捏ねる餓鬼のように取り乱すなど、剛国王・闘の名を辱めるような行為に出るなど、斬には出来ない。
――私は、私は剛国王・闘の王弟である! 王弟・斬だ!
国王陛下が、自ら軍を授けられるだけの力量を備えている漢なのだ。
一人前の武人である、一騎闘千の軍の大将であるとの矜持が、斬を此の場に踏み留まらせていた。
「どうした」
しかし、だからと言って表情や声音は隠しようがない。
流石に嫌味の成分は過分に含まれている。が、其の程度の事で畏れ入るような漢は、剛国軍には居ない。
「備国王の後宮と子を発見しました」
「な、に……備国王の……後宮、だと?」
無造作な言葉使いに、斬は一瞬、何処かに逃げ出した軍馬を見付けた、と報告されたのかと思った。
だが、事実を飲み込むと顔面が強張った。
つ、と粘り気のある汗が顳かみを伝って行くのを感じながら、斬が口を開きかけた其の時、甲高い女性の悲鳴が空気を切り裂いた。
★★★
「いやぁ! 路、妾の路!」
強張った顔ばせのまま、斬はゆっくりと女の悲鳴の方へと振り返る。
其先には、血の臭気がむん、と立ち込めているのを感じ取りながら。
斬の眼前に引っ立てられてきた女は、年嵩ではあったがねっとりとした色香の漂う美しい女だった。
些か戸惑いつつも、斬は女を引っ立ててきた家臣を見やる。
「此の女は何者か?」
「は、どうも、貴姬の品位にある後宮だそうで、備国王の王子を産んでおったようですな」
まるで盛った野良犬が軒先で仔を産んでいた、と告げるかのような、蔑んだ口調だ。
しかし斬は其れには直接反応せずに、何? 後宮だと? と眉根を寄せた。
「貴姬? 王妃ではなくてか? 備国ではやはり、後宮如きに許しを与えて、王城を取り仕切らせておるのか?」
そして、女の頭の先から爪先までをぐるりと眺める。
成程、言われてみれば、王妃と言うには威厳は内容に思える。そして、乱れた姿を晒している処をみると、後宮に在る妃嬪としての品格もないように見える。
斬の場違いなおっとりとした口調に、女は過剰に反応した。振り乱した髪に覆われた血の気を失った顔ばせの中で、青紫色に冷えた唇が戦慄く。
「おだまり! 剛国如き、蛮人の分際でよくも! 妾を辱めるとは!」
だらしなく乱れた胸元から漂う強烈な女の色香に目を瞬かせながら、斬は目を眇めた。心の中では、怯み、狼狽えている。
古来より、声高に出しゃばり政治に絡もうとする後宮に碌な女は居ないものだ。
剛国の王となった闘も、彼自身がそうさせているのもあるが、彼の生母の実家の地位は即位前と変わらないし、王太后となった母親も実家に下がったまま静かに余生を終えた。
闘が王妃とした蒙国皇后・來依麗の妹、世亜羅もそうだ。
決して政治に関与しようとしないし、素振りもみせない。
そうした姿をみている事もあり、異腹兄の烈が王城からの使者に対して痛烈な嫌悪感を示してみせたのも分からなくもなかった。
そもそも、未だ戦は終結を見ておらぬと言うのに、後宮と御子と本国より連れて来るとは。
――備国王め、どれだけ戦を軽んじているのだ。
「本気で、後宮に王城を任せ、出しゃばらせていたとは……此れでは備国が潰れるのも当然だな」
何気無く斬は零した。
と同時に、ぶち、と鈍い音がした。
女の唇の端が噛み切られたのだ。つぅ、と赤い筋が顎の先を目指して伝っていく。
斬は目眩のようなものを感じながら、女の釣り上がった双眸から発せられる、射殺してやる、という意思を込めた視線をどうかわせば良いのだろうか、と竦むような思いで佇んでいた。
★★★
「其処の小僧! さっさと妾の路をお返し! 早く返しなさい、返して!」
裳裾を乱して太腿を露わにして脚を踏み鳴らし、非れもなく叫ぶ年増女の発狂ぶりに、斬は思わず知らず眉を顰めながら身を引いた。
女の泥の塊のような剥き出しの感情は、まだ少年の青臭さを残した斬には、痛烈過ぎた。
斬の背後では、異腹兄・烈の家臣たちが屯し方を揺らして備国王・弋の後宮を嘲笑している。
「其の方ら、あの女の王子とやらが何処におるのか、知っているか?」
互いに顔を見合わせあった後、にや、と口元を歪めた烈の家臣たちは、恐れ乍ら、と口先だけは丁寧だが、全く礼儀を欠いた態度で斬に礼を捧げる。
「其れは、まあ……存じております、と言えばそうなりますか」
「ならば、勿体振っておらずに返してやれ。王子とはいえ赤子なれば、世話をする者が必要となる。親の手に戻しておくのが最も手っ取り早いだろう」
斬の言葉に、やれやれ、お甘い事ですな、と家臣たちは苦い笑いを浮かべる。
ちか、と斬の中で怒りが瞬いた。
「何を笑うか」
「恐れ乍ら殿下。相手は赤子と言えど王子、そう、敵国の王子なのですぞ? 而も此の後宮が生んだ王子は、虜とした女官らの話に拠ると本国に居る王妃腹の王子を差し置いて太子に冊立する、と備国王が明言しておった王子なのですぞ?」
「だからどうだと云うのだ」
「何処にやるも、どうするも、ありませんなあ」
くっく、と喉を鳴らして笑う男たちを前に、よいから答えよ! と斬は声を荒らげる。
「折角、敵国の太子が手に入ったのですぞ? となれば、国王陛下の御為に我らが成すべき事など一つしかありますまい」
自分を立てようともしない異腹兄・烈の家臣たちを、斬は悔しげに睨む。
此れ以上、斬が食って掛かる事はないと高を括っているからだろう、殊更に惚けた態度で彼らは答えていた。
が、不意に後宮の女が其の内の一人に野良猫のように、きいぃっ! と奇っ怪な叫び声を上げて飛び掛かってきた。
「お前! いま、今、何と言ったの!? どういう意味なの!? ええい、お答え! お答えなさい!」
ふん、と小馬鹿にした顔付きで家臣は続ける。
「備国王が死んだとなれば、次代を継ぐべきは太子となった王子。其の王子を眼の前にして、見逃す訳が無かろうが」
家臣が皆まで言う前に、ひぃぃぃっ! と衣を裂くような悲鳴が後宮の喉から上がる。
「お前ぇっ! お前たちっ! 剛国の野蛮人風情が、妾の路に何をしたの!」
だが後宮は、家臣にではなく斬に飛び掛かった。
年若くとも指揮を執る将軍であるからだろうか、其れとも、斬であればあわよくば自分でも相手になると踏んだのだろうか、何方にしても軽挙妄動とも言える女の後先考えぬ行動に斬も驚きに目を見開いた。
「妾の路は何処! 何処なの!? 何処にやったの!」
「……」
「路はどうなったの!? 早くお云いったら!」
喚きながら斬を叩く後宮の衣は益々乱れていく。
「小僧! 黙っていないで路を返すように命令おしっ!」
しどけない姿となった後宮を前に、まだ女に慣れぬ斬は受身の姿勢になるしかなく為すがまま、という為体だった。
家臣の一人が、青臭い反応をしている斬に対して深く息を吐き出し肩を竦める。
むっとした顔付きをする斬に無視を決めこみつつ、家臣は後宮の背後に歩み寄った。
そして、木の枝から蝸牛を引き剥がすようなぞんざいさで引き剥がす。
きいぃっ! と、また後宮は耳を劈く高い声で叫んだ。
遂に衿が開けて豊満な胸が顕わになり、谷間から甘く熟した桃のような濃密な香りが色香と共に周囲に漂う。
白い餅の様な胸に桜桃の実を乗せたような乳首を庇う事なく迫り来る後宮は、斬には悪夢のようにしか思えず、どんどんと後退る。
「此処まで言えば、お前の息子がどうなったか位、想像出来ようが。言わねば分からぬとは、何と言う愚かな女だ。備国王は、閨事にだけ長けておって物事に暗い女が好みだったのだな。確かに能無しの方が扱いやすくはあるが……ふん、阿呆な王の後宮は馬鹿な年増女、ときたか」
「おだまり、おだまり、おだまりっ! この無礼者め!」
血の筋が青く走っているのが見える白い女の腕が、柳の木の枝のようにしなった。
思いの外小さな手の平を頬で受け止めながら、自分は一体、何をしてるのだろうか、王城を攻めに来たのではなかったのか、と斬は場違いな程、ぼんやりと考えていた。
★★★
克と杢の元から陸が戻って来ると、句国兵たちは既に姜と句国王・玖の大軍旗の元に隊を整え終える処だった。
「おっちゃん! もう少ししたら、克兄ぃと杢さんが助っ人に来っから! 大丈夫だからな!」
闇夜の中で大きく手を振る陸に、うむ、とも、ああ、とも姜は答えない。まるで、拾った当時に戻ったかのように無表情に戻ってしまっている。
「芙兄ぃは真さんの父ちゃんと一緒に、陛下と王都に向かうって。なぁに、大丈夫だよ、おっちゃん。陛下が行くんだ。剛国軍の奴らに、句国のお城に下手な事させねえよ!」
「陸よ」
「おう、おっちゃん! 何でも言って呉れよ! 何だってやんぜ! おいらも克兄ぃの部隊の一員だからな! 役に立つぜ!」
頬を紅潮させて胸を張り、やる気を漲らせている陸に、いや、と姜は頭を振る。
「陸よ、お前は戦に加わるな」
「――へっ……?」
何を頼まれるのか、と腕捲りをせんばかりの勢いで前のめりになっていた陸は、姜の硬く抑揚のない声音に、えっ……? と眉根を寄せた。
「お、おっちゃん、何を言い出すんだよぅ、俺、嫌だぜ、逃げ出すなんてよ」
馬から滑り落ちるようにして、地べたに降りた陸は、腕を組んで座り込んだ。
梃子でも動かない、という悪童らしい意思表示をしてみせる陸に、姜はやっと、そうではない、と苦笑しつつ陸の両肩に手を伸ばした。
「剛国軍の動きを見て、やっと決心が付いたのだ。陸よ、お前に頼みたい事があるのだ」
「俺に?」
陸は盛大に眉根を寄せると、小首を傾げて何やら考え込んだ。そして何やら思い付いたらしく、ぷう! と頬を膨らませる。
「何だよ、おっちゃん、でもよ、生き延びろ、とかっていう巫山戯た話しなら、俺、聞かないぜ?」
姜への不信感と怒りを露わにして、噛みつかんばかりの眼差しで一端の口をきく陸に、やはり苦笑いをしつつ姜は少年の肩を撫でてやる。
一瞬、ぽかん、と気の抜けた顔つきになった陸に、まあ、見よ、と言いながら姜は懐に手を入れた。
ごそごそと音を立てて何かを探った後、目的の物を握った姜は陸の前に腕を差し出した。
眼前に突き出された姜の握り拳を、陸は寄り目になりながらまじまじと見詰める。その陸の掌に、姜は小さな布切れを落とした。
随分と汚れている。
広げようと摘み上げ掛けた陸に、広げてはならぬ、と姜は渋い声で命じた。
「……おっちゃん? な……何でえ、そんな恐い顔して。なあ、此れってば、何なんだよ?」
「郡王陛下にのみ、御見せするのだ。陸よ、此れを郡王陛下にお渡しすべく、後を追え」
「陛下にだけ? 後を追え? なあ、ちょっと待って呉れよ、おっちゃん。此れ、何なんだよ? ちゃんと話して呉れよ」
「……」
口籠った姜の態度を、躊躇とみなしたのだろう、陸は不満を爆発させた。
地団駄を踏む勢いで姜に掴み掛かって怒鳴り散らす。
「何でえ何でえ! おっちゃん、やっぱり、そうなんだろ!? 嘘んこついて、俺を陛下への使いっ走りにして、俺を此処から追ん出そうって積もりなんだろ、そうなんだろ!?」
目玉を剥く陸に、いや違う、と姜は真面目くさって答える。
再び、肩に手を置いた姜は其れを大事に胸に仕舞っておくのだ、と陸に命じた。
「おっちゃん! 答えになってねえよ!」
「其れはな、陸、其れにはな、我が句国の六撰の御璽が隠されている場所を記してあるのだ」
「……えっ……ええっ!?」
拳を、まだ薄い陸の胸に、トン、と当てた姜は身を屈めると、身体を強張らせた陸に上目遣いをする。そして、自嘲を込めて、ふっ……と短く笑った。
「我が句国の六撰の御璽、郡王陛下に、陸よ、お前が其れを確かにお渡しするのだ」
「お、俺、が?」
「そうだ。我が王・玖陛下は、盟友であらせられる郡王陛下に此の句国の命運を懸けて妃殿下を託そうとなされた。私が腑甲斐無いばかりに、成し得なかっ」
「……おっちゃん」
「此の句国を備国王より取り戻した後、誰が王位を継がれようと、陛下が愛されし此の句国を保っていけるとは到底思えぬのだ。そう、郡王陛を覗いて、誰が句国を王座を我が物としてもだ」
「おっちゃん……」
「陸よ、私は決めたのだ。我にとって、主君は句国王・玖陛下御一人。その玖陛下が唯一御心を開かれた方にこそ、此の句国は愛されるべきだと、やっと決心が付いたのだ」
姜から手渡された物を握り締める陸の手首を、姜は取った。
「句国の民も兵も、其れを望んでいる筈だ、郡王陛下に此の地を統べて欲しい、と」
句国は此の後、禍国か剛国の何れかに喰われるだろう。そうなった時、陛下が愛された此の国は消えてしまう。
此のまま、剛国軍が王城に攻め入り備国王より彼の地を開放し勝利を収めしは剛国王であると、領土を我が物とする宣言をさせる訳にはいかない。
剛国軍に王城入りを許したとしても、句国の大地を手にする権利は祭国郡王・戰に在ると立証し彼らを屈服させなければならない。
「陸、やってくれるな?」
「分かった、おっちゃん」
ぐ、と力を入れて来る姜を見上げながら、陸は首を縦にした。
「俺、陛下の処に此れ持ってくよ! 任せとけって!」
其の時だった。
「剛国軍が攻めて来たぞ!」
緊張感に裏返った、句国兵の叫び声が夜の静寂を切り裂いた。




