23 合従連衡 その10-1
23 合従連衡 その10-1
其れは、烈が斬と共に備国からの使者との謁見の準備を整えている最中の事だった。
「郡王陛下! 王弟殿下!」
汗と埃に顔を黒くさせた伝令が、烈との面会を求めて駆け込んできた。
「何事だ? 断りも無く我らの前に飛び込んできた無作法を無いものとするだけの報せであるのだろうな?」
ぎろり、と烈は底光りする眸でもって伝令を睨む。
其れでなくとも、此の数ヶ月、烈の機嫌は天井知らずに悪い。伝令は生命の危険を感じて怯みを見せたが、ぐ、と脚に踏ん張りを効かせた。
「はい、その……備国王・弋を、禍国と祭国の連合軍が生け捕り、王都に向け凱旋を始めております」
焦りを滲ませた伝令が齎した報せに、斬は絶句して身を固めてしまったが、烈は違った。
「何ぃっ!? もう一度言ってみろ!」
律儀にも、おどおどと繰り返す伝令を無視して烈は叫んだ。
「おのれ、許せん!」
烈は叫ぶなり、用意仕掛けていた机や椅子を蹴り倒して暴れ始めた。
「郡王・戰めが、兄上を差し置いて、凱旋、だと!」
「烈兄上……」
「えぇい! だから言ったのだ! あんな男! 障碍を得ておるような卑しく穢れた男などを信用して、剰え傍に置いたりなどするから、郡王如きに出し抜かれるのだ!」
歯噛みする烈を前に、伝令は周囲を慎重に見回すと、恐れ乍ら、と擦り寄る。
「殿下、お耳を頂戴したく……」
「何だっ!? まだ何かあるのかっ!?」
はっ、実は……、と伝令は烈に耳打ちをした。
「何ぃ……?」
烈の眼光が彼の名のように、ぎらり、と鋭く危険な輝きを放つ。
――郡王の奴が、句国王が大軍旗を手に入れている、だと!?
おのれ、郡王!! と烈は天に向かって吠えていた。
斬の執り成しが入り伝令は冷静に伝え出した。
其れによると、禍国軍と祭国軍の連合軍の元に、姜と名乗る句国きっての大将軍が句国王・玖の大軍旗を翻して現れ、数千騎ながらも祖国を救うべく立ち上がった義勇兵の集団と言うべき句国軍を指揮し、共に闘いに挑んだのだと言う。
「句国の大将軍が生きていた……? くっ……ぬかったぞ」
ちっ、と烈は舌打ちをする。
幾ら完膚無きまでに叩きのめされたとはいえ、いやだからこそ、王への忠誠心が厚い句国兵たちが雄飛の時を胸に抱いて潜伏している可能性に思い至らなかった自分の落ち度だった。
――さては、あの時。あの真と云う男の余裕を持った口ぶりは、大軍旗の存在を知っていたのだな。
共闘を申し込んだ折の真の姿を思い出した烈は、ぐっ……、と喉を鳴らした。
己の不明を、馬鹿にしつつ殴り倒したかった。
――陛下が平原中央に討って出ると知っていたからこそ、覇を唱えんとする布石として、句国を得んとしているのだと知っているからこそ、奴はけしかけたのだ。
そして最後の最後に、ただ働きをさせた陛下を嘲り笑うつもりであったのだ、あの男は。
――もしかしたら……句国の六撰の御璽を郡王の奴は手に入れているのではないか?
いや、手にしているのならば、此処まで必死にはならんか。
だが、恐らくは、目星は付けているに違いない。
大軍旗と六撰の御璽、双方を旨々と楽に我が物とする為に、奴は剛国を揺さぶったのか?
「だとしたら……いや、そうに違いない」
――真とやら……許せん!
此の上は、何としてでも王都にいち早く入る、入らねばならぬ!
そして備国の妃や王子どもを討ち取らねばならぬ!
備国討伐の立役者の第一人者たるは剛国王・闘、そう、兄上只お一人であると、天涯に知らしめる必要がある!
「兄上、如何なされましたか?」
急に押し黙り、口内でぶつぶつと何事かを唱えだした烈を、斬は心配そうに覗き込んだ。
直情的な烈が、こうして身を揉むようにして煩悶懊悩している姿は怪異を見るよりも恐ろしい。
「斬よ」
「は、はい、兄上」
「例の、祭国からの使者、貴様に勝利を持たせた真とかいう男が、今どうしているか、お前は知っているか?」
「は――? はい、あの真殿は、兄う……いえ、陛下の元に……」
最近は堂々とした姿と我が物としていた斬だが、烈に睨まれると自覚のないままにおどおどとした口調が蘇った。
成長したと思っていても反射的に烈の風下に立ってしまう悔しさから、ぐ、と拳を固めた斬を、だが烈は無視して腕を組む。烈にとって、斬の未熟さを悟った口惜しさと若輩者であるという自覚からくる焦りなど、気に掛けるだけの意味も価値も無いものだからだ。
「兄上の処に……か」
己の呟きに、烈ははっとなった。
此の世に二人として存在し得ぬ、文字通り尊貴なる王である兄が、真とかいう男程度の蒙昧で浅はかな策と動きを見抜けぬ訳がない。
――もしかして、兄上がやたらとあの男を構われ、傍に置きたがるのは……奴を質とする御積りなのか? そうなのか?
真と云う男にやたらと執着を見せて、彼の扱いだけは蒙昧なばかりで自分たち兄弟を苛立たせている兄だが、そう考えれば合点が行く。
確かに此処まで郡王は勝っている。
勝ち続けている。
しかし喩えどんなに祭国郡王が戦果を上げて、句国を取り戻す為に尽力しようが、最終的に軍旗と璽綬を手に入れている方が勝利するのが、平原の仕来りだ。
奴らは此処まで、勝手に自軍を疲弊させて来ている。
叩くなら、仕掛けるのならば、今が千載一遇の機会に違いない。
気に入らぬ、卑怯者と謗って来たならば、あのむさ苦しい障碍持ちのあの男を盾にすれば、郡王だけでなく、奴に群がる家臣共も黙る筈だ。
――実際、此の剛国に逗留してからというもの、そうした姿を散々に見せられておるからな。
5千騎だけしか率いていなかったが、祭国の万騎将軍を名乗る男ですら、真という男に気を遣っている素振りを見せていた。
況や、奴らの主君である郡王ならば、尚更だろう。
「甘ちゃんと噂高き男であるからな、郡王は」
顔を見上げてくる斬に向かって、にやり、と烈は笑ってみせた。
見咎めた烈が、怪訝そうに語尾を上げて尋ねる。
「……烈、あに……う、え……? い、一体、何をお考えなのです……か?」
「斬よ! 陛下の為に動くぞ! ついて来い!」
烈と視線を合わせた瞬間、句国、いや備国と言うべきか。
兎も角、王城からの使者たちは呪詛の言葉を吐く間も与えられず、死者となった。
ごろり、と床に転がる使者の首は、苦悶の表情を浮かべていない。恐らく、胴体から離れた瞬間すら自認しておらず、苦しみや痛みなど皆無であったのだろう。自分が死んだのだ、という意識もないままに、使者は冥府へと旅立ったに違いない。
自ら剣を振るい、使者たちを一気に斬り捨てた烈は、ふん、と烈はせせら笑う。
「和睦など! 笑止千万!」
そして、闘に与えられた1万騎の精鋭を率いて北大門の城から打って出る。
「ついて来い! 仮にも騎馬の民の末裔を名乗るのであれば! 力で全てを決るのが道理!」
放たれた矢の如く、烈は北城門を護る城から飛び出した。愛馬に容赦無く鞭を入れて疾駆する烈の姿は瞬く間に小さくなる。
「烈兄上に遅れを取ってはならぬ! 往くぞ!」
斬も愛馬に跨るやいなや、腕を天に突き上げて1万騎を率いて駆けていった。
★★★
轟音を立てて二万の兵が動いた、と芙から知らされた真は、そうですか、とうとう……、と呟いた。
「真殿、あの二人の出方は些かおかしい。何か良からぬ動きをするのではないのか?」
「流石に鋭いですね、芙。ですが、ないのか、ではなく、する気満々、といった処だと思いますよ?」
のんびりと答えながらも、真は油断なく周囲に注意を払っている。
普段は見せない視線の動きに、芙は、此処が肝心要なのだ、と悟り、無言のまま張り付くように真の傍に立つ。
「あの、直情に過ぎる情熱家の烈殿下ですからね。まあ、私たちからすれば、大概な事しかなされないですよ?」
「大概な事?」
其れがどうして使者を斬り捨てる行動に繋がるのか、芙には分からない。芙の表情から、疑問符を読み取った真は、ですよね、と苦笑した。
「烈殿下にしてみれば、おのれ郡王めが、兄上を惑わす真とやら共々、思い知らせてやるぞ、といった処なのでしょうね」
真に誘導された芙は、ん? と顔を顰めて考え込んだ。
が、其れも一瞬だった。何とも言い表し難い真の表情に、まさか……、と思い当たったのだ。
「まさか……とは思うが、あの馬鹿弟殿下、気が付いた、のか?」
「ええ、其のまさかですよ。烈殿下は、句国王陛下の大軍旗の存在をお知りになられたのだと思います」
眸を眇めつつ、ちっ、と芙は舌打ちすると、手甲の締め具合を確かめながら、真が自分に命じるのを待ち侘びている。
真は、短く嘆息すると、芙の耳元で囁いた。
「芙、烈殿下はほぼ確実に、姜殿を襲って玖陛下の大軍旗を奪うお積もりです。御自身が句国兵を襲撃する間、同時に、斬殿下に弋陛下が王城に残された後宮のお妃方を捕えるように、と命じておられる筈です」
「句国の大軍旗と、備国の璽綬に相当する何かを手に入れようとしている、か」
「句国を攻め滅ぼして数ヶ月。本国を移す気配は見せておられましたが、璽綬を此方に持って来させてはいないでしょう。ですが」
「此度の使者は、備国王に代わり、と後宮如きが出しゃばっているからな……成程、寵愛一身の妃に、備国王が新たな地で王妃と同等の権限を与えていたならば、其の証となる存在があるだろう」
「そう考えるのが至極妥当ですからね。烈殿下が、其れを手に入れようとなされるのも、御性格からしてまた、順当過ぎる行動ですよ」
「陛下を出し抜き、剛国王に花を持たせるにはそうするか無い、か……」
力押ししか知らぬ武辺一辺倒の体力馬鹿かと思って油断していたら、意外や、烈が策を巡らせて来た事に芙は驚きを隠そうともしない。
「私という質がある内に、戰様より優位に立たねばと必死なのですよ――全ては、闘陛下の御為。信心の力は、かくも素晴らしき底力の種となるのですねえ」
「しかしな」
こんな切迫した事態でも呑気な真に、芙は咎めるように呆れて肩を揺らした。すると、真は苦笑してみせた。
「そもそも、何処から何処まで共闘する、と確約してはおりませんからね。烈殿下の行動を非難出来ません。其れに何よりも、剛国軍には句国領の北方を抑えて頂き揺さぶりを懸け、南方から攻め入る祭国と禍国の連合軍の動きを助けて頂ければそれで良し、と申し出たのは私ですし」
「まあ……確かに、そうだが……」
ぎゅ、と手甲を締め直しながら芙は眉根を寄せて渋く苦い顔をする。
「真殿は、馬鹿弟殿下が動くと見込んでいたのか?」
「烈殿下は私の事がお嫌いですからね。とは言え、闘陛下への御忠義心は、崑山脈よりも高い御方ですから。半分半分、と見ていたのです」
「……真殿憎し、の方が勝ったと言う訳か」
「ですねえ」
のんびりしている場合か、と芙は盛大に息を吐き出した。
「ともあれ、後宮のお妃だけでなく、継治の御子が王城に居られるのであれば、璽綬の代わりとして闘陛下に譲国させると宣言させれば一先ず戰様に対して先手は打てます」
「……其処に加えて、大国旗を手に入れれば揺ぎ無い、と少し考えれば誰でも思い至る、喩えあの馬鹿弟殿下であろうとも、か」
「しかし、こうした動きを闘陛下は最も嫌われます。闘陛下の中では、戰様とは真向勝負で決着を付けねばならない御相手ですからね」
手甲の締まり具合を確かめた芙は、首に巻いていた黒い帛を持ち上げて覆面とする。と、鋭利な刃物のような眼光が、より一層の鋭さを増した。
「何方を止める」
覆面をし終えた芙は、抹額を額に巻いた。
「其れは無論、烈殿下を。あの御方は、闘陛下の為ならば、という免罪符に頼り過ぎておられますが、其れ以上に、今、戰様も姜殿も、備国王との決着が付いて気が抜けておいででしょう。……戰様には父上が傍に居ますが、姜殿はお一人です」
「万が一の事態を、考えたくはないからこそ、考えるべき、か」
「そういう事です。私が闘陛下の手元に居る今の内にこそ、と烈殿下は無茶苦茶な成さりようをされると思います。芙も、決して油断しないで下さい」
「分かった」
宜しくお願いします、と真が小さく頭を下げると、既に芙は気配だけでなく存在自体も其の場から消していた。
まるで、突風のように空気を舞わせて。
★★★
「烈と斬が城からの和議の使者を斬り捨てた上に兵を率いて城から出た、だと……?」
報告を受けた闘の顔ばせからは、其れまでの機嫌の良さが消えた。
手にしていた馬乳酒の酒杯を傍らの机に叩きつけるようにして置くと、報告した家臣は、びくり、と背中を波打たせた。
「二人は何処へ向かったか、把握しているか」
「は……斬殿下は……その、王城へと向かっておられます」
「烈はどうしている」
「……は、はい……」
国王を前に口籠る家臣の様子から、闘は烈の行き先を察した。
普段の闘であれば、家臣を許してやっただろう。だが、闘は口に出して答えさせる事に拘った。
「答えよ、此れは命令だ」
其れが……、とまだ躊躇する家臣に、闘は目元を光らせながら腕を振った。
強く促された家臣は、恐れ乍ら、と深く頭を垂れる。
「どうやら、城以南へと向かわれた御様子にて」
「南に」
今度こそ、闘の目が不機嫌の色に染まった。
家臣は慌てて礼を捧げると闘の前からそそくさと下がっていく。とばっちりは御免だ、と言いたげだ。
「……南」
ぼそり、と闘は零しながら、酒杯を手に取り直す。
口元に運び掛けたが、闘は目蓋を閉じて腕を下げた。
其のまま、手の内で杯を弄び始める。
闘の頭の中では、凄まじい勢いで句国の領土図が広がり出していた。
今、自分たちが接収した北城門から王城。
其処から飛び出して烈が進んでいるのは南方への道だ。
更に其の先に見えてくるのは、斥候たちから手に入れた情報を繋ぎ合わせて大凡目星を付けている――
「祭国と禍国の連合軍の駐屯地……」
――やはり、堪えられなかったか、烈の奴め。
祭国郡王・戰と禍国兵部尚書・優が率いている一軍に強襲を仕掛けよう、という腹積りだろう。
異腹弟の烈の性格は、自分が一番良く知っている。
――烈が此程までに苛烈な動きを見せる。
と言う事は、郡王と真が隠しておる何かを掴んだな?
だが何をだ?
其れが何で或ろうとも、今此処で郡王側に仕掛けても意味はない。
幾ら考えるより先に身体が動く烈だとて、此の私と一番長く戦場に在ったのだ。
理解出来ぬ筈があるまい。
「分かっていながら、なお、動かずに居られぬ――か」
――何ががあるのだ、烈。
「……踊らされているのでなければ良いが……」
呟くと、闘はやっと酒杯を口元に運んで傾けた。
酸味のある白い馬乳酒を一気に呑み干した闘は、杯を投げ捨てて立ち上がる。
「誰か居らぬか! 真を呼べ!」
★★★
何時ものように芙の気配が突然消えて暫くすると、闘からの遣いとして武官の一人が真の元にやって来た。
「やれやれ、流石に闘陛下、と云うべきなのでしょうか」
仕度を整えて参ります、と当たり障りの無い返答を返した真に、身支度など無用、と武官は鰾膠も無い。
項あたりを引っ掻きながら、はあ、と惚けた声を零した真は、此れは闘陛下にばれましたかね? と内心で舌を出した。
「分かりました」
元々、作法もへったくれもない男が何を格好に気を遣うふりなどしてみせるか、と言いたげな顔付きの武官は、早くついて来い、と背中をむけてしまう。
「さて、どうしますか」
真は、ふう、と軽く伸びをすると、武官の後ろからゆっくりと付いて歩き出した。
――烈殿下が、闘陛下を真実に敬愛しておられるのであれば、玖陛下の大軍旗の存在を真っ先に闘陛下に報せる筈です。
ですが、烈殿下はそうされなかった。
其れは、烈殿下が闘陛下が求めておられるものを理解されておられなかった、と言う事に他なりません。
そして闘陛下は烈殿下に教えられなかった。
つまり、闘陛下は君主として、烈殿下は家臣としてお身内として、互いに全く足りておられなかった。
――謂わば、自業自得という事です。
私たちには疚しい処など一点も無いのですから、何ら呵責を負う必要などありません。
先を往く武官の背中を見ながら、真はこそり、と呟いた。
「ですから、戰様。堂々と、此の句国の地を、戰様の『所有物』と致しましょう」
覇王を名乗る為に。
※ 抹額 ※
忍者とかが額に巻いてる鉢巻みたいなヤツです
(NARUT◯とかに出てきますね、試験に合格して貰ったヤツ。巻いているじゃないですか、あんなようなのだと思ってくださればOKです)




