23 合従連衡 その9-4
23 合従連衡 その9-4
呻きながら、弋は藻掻き続けた。
支点となる部分を尽く砕かれている為、一寸進むのに一刻以上も掛かる。
全身には、痛みにより吹き出たもの以外の汗が玉となっており、次から次へと滴り落ちていく。
湿っている癖に、がさごそ、と落ち葉が弋の腹の下で耳障りな音を奏で続けていた。弋の後ろには、蛇が這いずった後のような跡が残されている。
――何としても生きる。
生き延びる。生きて備国に帰ってみせるぞ。
「愚王め、此の糞めが。意地でもこんな処で死んではやらぬぞ。生きて帰り、貴様に思い知らせてやるからな」
死ぬような失血の多さではない事が、弋の希望の一つだった。
郡王・戰の後ろ姿が見えなくなった途端、生きは其れまでの命乞いを止めた。
――失った指は蘇らん。
だが、体力は取り戻せる。
体力さえ元に戻れば、何とかなる。
先ずは回復に務めるべきだ、と考えを切り替えた弋の決断は早かった。
毛烏素砂漠という生命に厳しい環境下で生きている騎馬の民の生存本能的なものだろう。
弋は、もぞもぞと這いずりながら落ち葉の山から移動し続けている。彼の視界の先には、倒された馬があった。
――せめて移動可能な体力を取り戻さねば、話しにならん。
其れには力だ。力を取り戻すには、喰うに限る。
馬はまだ、死んで然程時間は経っていない。
何れ、腹を空かせた狼や野犬どもが屍肉の臭いに引き寄せられてやって来て、皮も毛皮も残さずに喰らい尽くされる事だろう。
――其の前に、移動出来るだけの力を得ておかねばならん。
毛烏素砂漠では、戦場で死した馬の血を水の代わりとして啜り、肉を生のまま喰んで腹の足しにする。
砂漠の上では、喩え侵略に打ち勝とうとも、其の場で水や食料を得るなど困難な事が多い。
寧ろ、稀と言える。
馬は戦力となるだけでなく、貴重な水分補給と食料となる。而も、馬力、という言葉があるように、馬の肉は精力を旺盛にする。精は、今の弋に最も必要な品だった。
目玉が零れ落ちた穴に、鼻を突っ込むようして弋は喰い付いた。
未だ生暖かさの残して滴る血を、弋は野獣のように汚らしく喉を鳴らして飲んでいく。
顔面から腹から何から、あっと言う間に血の色に染まった。
喉がある程度潤うと、今度は犬歯を牙のようにして首筋に齧り付く。そして、弾力のある馬の肉を噛み千切った。
ぐちゃぐちゃと咀嚼する事、数回、ごくりと無理矢理飲み下して腹に収めて行く。
必死だった。
可能性がある以上は諦めて堪るかと、馬肉を生のまま、がつがつと貪り喰う。
自らの血肉となる物を腹に入れたからであろうか。
やがて、まるで餓鬼のような形相だった弋の顔に血の気が入り始め、生気が蘇ってきた。どんなに忌まれ蔑まれる行為であろうとも構わずに、弋は生にしがみ付いた。
腹が満たされて心身に充足感を覚えた弋の耳朶に、ふと、何かが滑り込んできた。
細い、途切れ途切れの其れは、獣たちの唸声や鳴声ではなく、人の声であった。
――……此方に来る、のか?
うぬ、と弋は焦りを見せて眉を顰めた。聞き取り難い声だったが、備国の言葉の訛りがある。
――首尾良く、あの包囲網から逃れられたとは考え難い。
やがて、僅かに遅れて、馬蹄の音が即かず離れず追ってきているのも耳に届いた。
つまり、運良く逃れて来られたのではない。
――此れは罠だ。
祭国軍が備国兵を態と逃したのだ。
自分たちを見捨てた王を発見した民が、どのような行動に走るかなど、容易に想像できる。
備国兵たち、国の民は、己の生命を助ける為に躊躇逡巡する事なく弋を生贄として祭国軍や句国軍に差し出すだろう。
そして自らの立場を鮮明にせんと、条件を提示される前に此の身に危害を加える事にも躊躇わぬだろう。
折角血の気を取り戻した顔面が、一気に蒼白になる。
「……下賤の輩の、手になど……掛かって、堪るか、ど畜生めがっ……!」
ぐ、う、うぐ、ぐふ、と悶え苦しみながら弋は再び這いずり始めた。
今度は、少しでも此の場を離れる為に。
しかし、喚声は徐々に近づいて来る。そしてとうとう、わあ! という叫び声と共に、10人そこそこの自国の敗走兵が谷間を駆け降りて来た。
★★★
「う、うおああぁっ!」
「うひゃ、ひいぃっ!」
弋の前に現れたのは、予想通り、決死の脱出を試みた自国の兵たちだった。
山肌を駆け降りる、と言うよりは滑り落ちて、いや転がり落ちる、という方が表現的には正しいだろう。
彼らの甲冑は、もうどこかに吹き飛んでおり、ほぼ着の身着のままの霊鬼のような状態だ。
声は掠れ、形相は其れこそ鬼のようであり、そんな彼らの額や頬、顎の先から滴り落ちる汗のせいで、顔面には落ち葉や泥が大量にこびり着いている。
こびり着いているといえば、全身を隈無く覆っている血糊だ。全身を覆うような勢いの其れは、黒く凝固し始めている。当然の事ながら、対峙した祭国軍や禍国軍、句国軍を斬り伏せた折に出来たものではなく、自分たちが敵軍の矢面に立たされた時に負ったものだ。
斬り刻まれたと形容するに相応しい傷を幾つも負いながらも、彼らは、此処まで自力で落ち延びてきたのだ。其の胆力も生命力も何もかもが褒め称えられるべきであろう――本来ならば。
そして、王として、正しい性根をもっている者であるのならば。
寧ろ、彼らの胆力は褒められて然る可きであろうが、無様過ぎる其の姿を平素の弋であれば許さない。
だが、今の弋にはそんな余裕は無かった。
斜面を滑り落ちて団子状態になりながら息をつまらせた備国兵たちは、最初、弋の存在に気がつく余裕など無かった。
ぜぃぜぃと喉を鳴らして、少しでも多くの空気を肺腑に収めようとしていた彼らの内の一人が、やっと弋に気が付いた。
「うおっ!? へ、陛下っ!?」
「ぬおっ!? な、何故!?」
「陛下!? 陛下が、どうしてこんな処に!?」
ぎょっ、と目を剥いて後退りしながら、驚愕の叫び声の後に彼らの間に漂ったのは、遁走したという事実を王の前で露呈してしまったと言う、底知れぬ恐怖感だった。
兵士たちの膝が、がくがくと笑う。言い逃れが出来ない失態を犯してしまった、と顔面を蒼白にさせている。
そして、互いの心の中で渦を巻く怖気を打ち消そうとしてか、おずおずと寄り添い始めた。
たかが一兵卒程度で、弋の眼力に敵う筈がない。
だが弋だけでなく、兵士たちとて、通常の立場ではないと言えた。
逃れてきた全員の内側に、顔面を馬の血で真っ赤に染め上げて、まるで屍肉に集る虫のように地面に倒れ伏す漢が国王・弋であると認めた途端、凶暴な力が漲った。
「――……きさまのっ……!」
「貴様の、せいで……!」
「仲間が、どんな目にあったか……分かっているのかっ!?」
「そうだ、そうとも、貴様が、貴様なんかが王であったせいで!」
「お前が、お前が腑甲斐無いせいで、俺たちは、祖国に帰れなくなったんだぞ!」
ぶわ、と男たちの両眼に涙が貯まる。
「おい!? 聞いてんのかよ!?」
「何とか言ったらどうなんだ! おいいっ! 王様よぉっ!」
じり、じり、じり、と脚元の土を踏み締めながら男たちは腹の底に溜まっていた鬱憤をぶちまける。
だが、どんなに罵られようとも、剣を抜いて手打ちにする処か、立ち上がろうとすらしない弋を訝しんだ。訝しみながらも、徐々に弋との間合いを詰めて近寄っていく。
どうせ死ぬのは判りきって居る。
動かしようのない、迫り来る事実を前に抑圧された鬱積した感情を吐き出しておかねば、遣り切れないではないか。
弋の間近にまで近寄った彼らは、自分たちの王の情け無い現状を把握した。彼らの王は、地面に這いつくばらざるを得ぬ身体と為っていたのだ、と。
一瞬、男たちの動きが止まった。
次の瞬間、男たちは腹を抱えて笑い出した。
何故、どんな意味がある笑いなのか、当の彼らにも分かっていない。
自分たちを見捨てた王の醜態に、様を見ろという気持ちであるのか。
其れとも、獣共のに襲われるのを待つばかりであるという恐れと哀しみが心を揺るがしているからか。
其れとも、此れで国元に帰る手立てが潰えたのだという絶望感がそうさせているのか。
分からない。
誰一人として、理解していない。
ただ、込み上げてくるままに笑い続ける。
分かるのは、最早、生きる希望は何処にも無い、と言う事だった。
無情なる現実を突き付けられた自分たち残されたのは、虚無しかない。
名状し難い、寂寥感が人型と為れるのであれば其れは自分たちとなるであろう、という何とも情け無い現状だけだ。
「貴様ら、控えろ……! 一体、誰に向かって物を言っておるつもであるかっ……!」
だがこの期に及んでも、弋は眸を眇める。
下賤の者の蔑みを受けるなど許せぬ、という弋の矜持はまだ生き残っていた。
弋の鋭い眼光に、兵士たちがぐっ、と息を呑みつつ怯む。
顔を見合わせあい、虚勢を張ろうとするのだが、肺腑を射抜く眼力が其れを許さない。
途端に勢いを失い、じりじりと下がりだした兵士たちと、驕慢とも言える誇りに縋る弋の耳に、威勢の良い掛け声と馬蹄の音が届いた。
「――ひいっ……!?」
「あ、あれ、あれは……祭国……の?」
「いや、禍国……いや、其れとも……」
句国の、という言葉を、居合わせた男たちは一斉に飲み込んだ。口にすれば、現実のものとして眼の前に現れるのではないか、という恐怖心がそうさせた。
「お、おい! 行くぞ! 行こう! 少しでも此処から離れるんだ!」
「お、おう……だが、こいつはどうするんだ?」
「放っておけ! 寧ろ、置いていけばいい!」
「そうだとも、俺たちが逃げ切れる間合いを稼いで貰おうじゃないか」
「そうか……そうだな、仮にも王様なんだ。最後くらい、俺たち領民の役に立って貰おうじゃねえか」
「全く、良い事を言うもんだぜ。よし、行こうぜ」
「おう、行っちまおう」
男たちは転がる弋に精一杯の侮蔑を込めた視線を投げ付けると、互いに助け合いながら、そそくさと此の場を離れて行く。
弋はぐるぐると野獣のように呻きながら、迫り来る馬蹄の音と離れて行く靴音に、ただ、聴き入るしかなかった。
★★★
ぐんぐんと、馬蹄の音は躊躇する事なく真っ直ぐに弋の方へと近づいて来る。
正に怒涛と言うべき猛烈さは、此の平原に侵攻してから味わった豪雨と言う物の音に酷似していた。
以前ならば、砂漠の砂嵐に似ている、と弋の耳は捕らえただろう。
だが己が身体も魂も、既に平原に囚われている、と悟らざるを得ない。
――我が身には骨の髄まで、平原の豊かな暮らしが染み入っておるのか。
そう、呪詛の文字の如くに身に上書きされたのだ。
此処での生活は、まるで縛鎖のようであったと言うべきなのか。
其れとも、文字通り心が虜となっていたと表現すべきなのか。
自重の笑みを浮かべつつも、だが、一つはっきりと弋は自覚した。
――我が身は此の平原にこそ在るべきだ。
平原にて布武を必ず行うべき星を持っておる私を気鬱にさせた奴らの国は、必ずや瓦解せしめ、鬱憤を呉れる。
見ておれ、必ず目に物言わせてやる。
平原の侵攻を高らかに宣し平伏させるのは、蒙国の皇帝・雷などではない。
初めて、平原諸国の心胆を寒からしめた、此の、備国王・弋であると思い知らせてやる!
再び、ふつふつと湧き上がってきた闘志により、弋の胸が熱い生命力で満たされる。
――やってやる!
臭国の糞どもなど、何程の事があるものか!
幸いにも出血は本物であるし、俯せになったまま身動きせねば死体に見えなくもない。
最悪、息があると見破られても重傷を負った身だ。
備国本土に逃れて援軍を求める敗走兵を追う事の方が重要だ、と放置される可能性の方が高い筈だ。
「王である私を討つ事に囚われ、躍起になっている。他が目に入らぬ盲となっておる今であればこそ、私は生き延びる!」
だが、上手く敵を欺くには、兎も角、僅かでも身じろぎしてはならない。
弋は呼吸音を吸収させようと、顎を使って木の葉を寄せ集めると、間に鼻を押し付けた。
こうしておけば、俯せになっていても空気の道は確保されるし、表情も馬上からは此方の表情は伺えまい、と考えたのだ。
「皆、止まれっ! 止まれえっ!」
やがて、湿った土と木の葉を抉るように周囲に散らしながら、鬼の形相の騎馬隊が現れた。
人数と、そして身に付けた甲冑の粗末さと比して不釣り合いな、巨大な軍旗を掲げている。
慎重に、視線を合わせぬようにして軍旗の印を確かめた弋は、我が目を疑い、次に驚愕に呼吸が止まった。
――何っ!? 馬鹿なっ!?
だが、あれは……あれは!
句国の大軍旗! 確かに、奴の大軍旗だ!
句国王の大軍旗が、そんな、何故、此処に!?
馬鹿な、そんな馬鹿な! と、弋は目玉が溢れんばかりに見開いてまじまじと軍旗を凝視する。
だがしかし、幾ら見直そうとも、見誤りなどではなかった。
曇天の重い空気の最中であっても、堂々と天に向けて掲げられている軍旗は、句国王のみが持つ事を許される国旗で間違いない。
「……句国の軍旗を手にして居たのか……愚王め……奴の余裕ぶりは、句国の奴らを従わせる品を手中に収めていたからこそのものだったのか……!」
――おのれ! 何処までも面憎い奴だ!
ぐう、と弋は再び呻く。
当初、死んだふりをしてやり過ごすつもりであったが、思わず知らず生唾を飲み下した音を聞き取られる。
「おい!? 彼奴、生きているぞ!」
ちっ、と弋は腹の底で舌打ちをした。
此の上は、其処らの兵士から無理矢理奪った甲冑で、相手が勘違いして見逃して呉れる事を祈るばかりだ。
句国王の軍旗を翻した騎馬隊は、地面に転がる馬と弋を認めると、俄には信じ難かったのか、ぐ、と息を呑むようにして動きを止めた。
「備国の敗走兵たちが、怪我人は足手纏いだと、此処に打ち捨てていったのではありませんか?」
「むう……」
兵の一人が、備国へと続く谷間の奥を指差した。
湿り気のある枯れ葉は、多くの足跡で乱されている。
這いずった後と馬の屍を見れば、確かに諍いが起こり、何かの理由で此の男は捨て置かれた。そう見えなくもない。
兵を率いていると覚しき傷だらけの中年男が、突然、馬を降りて弋の方へと歩み寄った。
ぎくり、と身を竦めた弋の脇の下に、ぶわり、と嫌な臭いの汗が吹き出た。
「此の男……」
「どうかされましたか、姜将軍」
「此の男、気に掛かる」
「――は? な、何が、で御座いますか?」
姜将軍、と新愛を込めて呼ばれている男は、周囲に群がる兵士たちの困惑も意に介さず、ざくざくと木の葉を踏み砕いて弋の傍に歩み寄る。
「……此の男……」
ぼそり、と弋は呟きながら片膝を付くと、弋の前髪を引っ掴んで、ぐい、と頭を持ち上げ、顔を覗き込んだ。
思わず反射的に、ぎろり、と弋は姜を睨み返す。
暫し、弋と姜は睨み合っていたが、突如を、姜は弋の襟首を掴み直した。
次の瞬間には、馬の背に、放り投げるようにして弋を乗せる。
「しょ、将軍!? な、何を!?」
「此の男の面体を改める。連れて行いくぞ――此奴」
「此奴……が、何か、姜将軍?」
「恐らく此奴、我らが怨敵、備国王・弋だ」
「何ですと、此奴が!?」
姜と呼ばれた将軍以外の兵士たちの間に、衝撃が走った。
★★★
優、克、杢たちは、単騎にて山中に消えた戰が戻ってきた意味を悟った。
勝ち戦に湧く喧騒の最中にあって、戰だけが一人、黙したまま用意された天幕に引き篭もる。
押し付けるようにして任された千段の手綱を握りながら、杢と克は何方からともなく、顔を見合わせ促し合った。そして、消沈して姿を消した戰の天幕に近付きかける。
と、嘗ての二人の上司が、止めんか馬鹿ども、とまるで悪餓鬼を諭すように止めに入った。
「此の、馬鹿どもめが! 其れでもお前たちは陛下の左右を護る将軍か!」
「……兵部尚書様、ですが……」
「其の方らが、陛下の言葉にならぬ心情を察して差し上げねばならんだろうが」
「いやしかし、こんな時こそ、そう、斯様な時こそなのでは」
「斯様な時だからこそ放っておいて差し上げんか! 馬鹿の上に鼻たれの尻の青い雛どもめが!」
殆ど力任せに諭されたが、杢と克はまだ不満がありそうだった。
しかし結局、二人とも優の言葉に従った。戰にどうやって接すれば良いのか、どんな言葉を掛ければ良いのかが、分からない。
優は口にはしなかったが、結局こんな時、傍に在るべき人物とは真を置いておらず、彼の代わりとなる者は居ないのだ。
己自身の不甲斐無さと煩悶を飲み込みつつ、気遣いの気持ちを込めて、克と杢は戰が引き篭もる天幕を見やると、静かに下がっていった。
巨大な黒馬が意気阻喪した主人に活を入れるかのように、高く鋭く嘶いたが、左右から首筋と背中を撫でて諌められると、不満たらたらに長く艷やかな尾を左右に振りつつ、厩へと導かれて行った。
若い主従に、其々、視線を投げ掛けていた優は、やれやれ、と嘆息する。
肉体的な疲労などよりも、精神的な疲弊の方が重い枷のように、ずしり、と肩に来ていた。
――陛下の御苦悩は分かる。
だが、此れを長所と見るべきか。
其れとも短所と捉えるべきか。
「危うい処だ」
優は独り言ちる。
もしも、盟友である句国王・玖の仇を取ったと捉えるのであれば、長所となる。
句国のみならず禍国の領民も感動し、民心は大いに陛下に傾倒するだろう。
が、其れは表裏一体と言える。長所は、其のまま短所に直結する。
――一時、利害の一致から手を結んだだけの間柄であろうとも、陛下は身命を賭して窮地に駆け付けるような御方だ。
どんなに不利な状況であったとしても、陛下は一度開襟の友となった人物を見捨てられぬ、となれば、其処に付け入るのは戦を常とする者にとって常套の策だ。
――騙し討にしてくれと言い触らして回っているようなものだ。
「つまり、陛下はとことんお甘い」
備国王・弋と対決し、勝利した筈であるのに、陛下は其れを誇られぬ。
備国王の首を掲げて王都に入り、我が物顔で句国領を搾取しよった備国軍を追い落とし、禍国本国に郡王・戰此処にあり、と見せ付けるべきであるのに、そうしない。
句国の大将軍・姜が未だに戻らない処を見れば、句国王が不倶戴天の敵である備国王・弋のとどめを刺す役目を彼らに譲る以外には思い至らない。
句国の領民たちの心情は、優にも痛い程分かる。
「だが、其れは其れ、此れは此れ、だ」
他所の国の諸事情にいちいち気を使ってなどいては、戰の方こそが足元を救われ、命を落としてしまう。
――禍国の玉座は、皇子・戰にこそ相応しきものである! と今こそ平原に、天下に、知らしめる千載一遇の機会だ。
「逃してはならぬ。陛下も御理解しておられよう。だというのに……だが、陛下にはお出来になられぬ」
此の詰めの甘さこそが、大保・受に付け入られる隙であると理解なされておられても、改めきれない。
そんな優柔不断とも言える姿に、自分のような漢たちは魅力を感じ心酔する。
のであるが、そうでない部類の人物にとっては、ただ片腹痛く生温い夢想家であり、自らの欠点をさらけ出して尚且つ、その急所を護る部下を持たずにいる暗愚で無様な君主気取りでしか無い。
遠くから、句国兵たちの歓声が聞こえてきた。
鬨の声こそ上げてはいないが、備国王・弋を虜としたと誇っているのだ。
優は肺の腑が空になるほど、深く溜息を吐いた。
何れは、と腹積もりをするまえに、こんなに早く憂慮していた事案が現実として突き付けられようとは、思いも寄らなかった。
図らずも、以前、愛弟子である杢に語った憂慮が、本格的に眼の前で起ころうとしている。
「どうしたものか……」
どうしたもこうしたも、出来得る事はただ一つだ。
「いや……違うか。陛下のお心を動かし得るとすれば、只、一人」
真しかおらん。
「馬鹿息子めが。剛国なんぞで、のんびり管を巻いておらんで、早く陛下のお傍に戻ってこんか」
優は腕を組んで呻いた。




