終幕 王 その1
終幕 王 その1
戰に呼ばれて、一室に呼び集められたのは、時、克、通、類、吉次、蔦、珊、そして椿姫と、真と薔姫だ。部屋の奥に、学を膝を合わせて座る苑と、二人を守るように立つ杢もいる。
「集まってもらったのは、他でもない。禍国本土にて、重大事案が発生した」
戰の言葉に、事情を知らない克や通、類たちが顔を見合わせる。
「我が父、禍国皇帝・景陛下が、崩御なされた」
一同の間に、響めきが走る。
初めて、大人扱いされて真と共に一緒に居る事を許されたと喜んでいた薔姫の身体が強ばった。小さな手を、ぎゅ・と膝の上で握り締め、白くさせる。
不意に、その手の上に覆いかぶさる暖かいものを感じて、薔姫が視線を落とすと、真の手が添えられていた。慌てて横に座る真に視線を上げると、弓型にしなった、優しい双眸があった。思わず、心が緩んで、目に涙が浮かびかかるが、必死で堪えた。
「それにより、私のこの身辺は、非常に危険なものになったと言える」
「と、申されますのは?」
克の不安げな言葉に、真が答える。
「先程、忍んで苑様と学様の元を訪ねられました椿姫様が、鼠賊どもに襲われました」
再び、一同の間に、ざわめきが走る。
「恐らく、皇太子殿下か二位の君の何方の手が、伸びたものと思われます」
「し、真殿、し、しかし何故、女王様が襲われねば、な、ならっ、ないっ?」
動揺を隠しもせず、声を裏返られせながら、喉に溜まった唾を飲み込む馬鹿正直な克に、真は苦笑いしつつ答えた。
「簡単な事ですよ。彼の兄皇子方にすれば、今現在の戰様の華々しさは、毒にしかならないのです」
「ん?」
やはり馬鹿正直に、訳が分からないと顔を顰める克に、真は再び苦笑いした。
「先頃、楼国が攻め滅ぼされた折に、そちらにおられる杢殿が全責任を追って職を辞されましたが、何故だか正しく理解されておられますか、克殿」
「真殿、この私に分かる訳がないだろ」
「……威張られても困るのですが。まあ、簡単に言ってしまえばですね、戰様のお味方となりうる勢力は、此れまでどこにもなかった。しかし、郡王就任の為に動いた事で、我が父・兵部尚書が後ろ盾となると表明した訳です」
「ふんふん、それで?」
「我が父の勢力を削ぐ事は、難しい事です。何しろここ数年、父は責任を問われるような失態を犯した事がありません。そこへもってしての、楼国陥落の一報です。彼方にすれば、これを活用せぬ術はなかった」
「ん、漸く繋がってきたような?」
「はい、そこからはご存知の通りの流れです。戰様の味方となる勢力の勢いを削ぐ為にも、父の責任は深く追求され、そして父を生き残らせる為に、杢殿は自らを犠牲にされた」
無論、それだけでは終わらせなかった。あの時は各尚書の思惑を絡み合わせ、兵部尚を率いる優の背後に、皆が擦り寄るように仕向けたからだ。
「其処までは繋がったが、此処からが繋がらんよ、真殿、全く訳が分からん」
「ですから、同じ流れです。此度の皇帝陛下の御崩御を受け、皇太子殿下も二位の君も、焦っておられるのです。何しろ、戰様は郡王となられた『皇子』、つまりは、跡目争いに名乗りを挙げられる地位を有しておられるのですから」
漸く、あっ! と克が目を見開いた。通と類も顔を見合わせる。
「そうです、此度椿姫様が狙われたのは、二王体制の一角を担われている女王陛下であられるから、戰様の最大の後見勢力であるからです。恐らくは、椿姫様を拐い人質とし、その上で軍を差し向けて戰様を討たれる腹つもりであられたのでしょう」
「それは……!そんな事を本気で、皇太子殿下とあろう御方が!?」
「身分が高貴な御方が、皆こぞって立派な人格を有しておられるわけではありませんよ」
寧ろ、その逆である方が、絶対的大多数だろう。
戰や椿姫のような存在の方が稀、いや、奇跡的と言える。ぬぅ・と克が言葉につまる。
「兄皇子方にすれば、戰様は最も早く屠りさりたい政敵です。皇帝陛下が身罷られたという正式な報は、王都からは来ておりません。我が父からの早馬が伝えた来たものです。王都側では、戰様に皇帝陛下御崩御の報を、戰様にお知らせするつもりはないでしょう。寧ろ、郡王が禍国に叛意の意思ありと、王宮にて騒ぎたてられている頃合でしょうか?」
「どうするつもりだ、真殿、そ、それは一大事ではないか」
「まあ、そうですね」
片手は薔姫の手を握り締めながら、空いた手で真は項あたりをぼりぼりとかきあげる。
「先程、戰様の味方となりうる勢力がなかったと申しましたが、何と言いますか、実は戰様ほど強大な後ろ盾を得ておられる御方は、禍国においてはいないのですよ」
「は、はぁ?」
「お陰で、先頃の楼国の問題も片付いた訳でして。誰も気が付いておられないようですが」
と言うよりも、真も、先の楼国陥落まで気が付かずにいた。もしもそのままでいたらならば、今、このようにのんびりと構えてはいられないだろう。
何もせずに、負けの苦杯を飲み干すしかなかった筈だ。
だが今、勝つまでとはいかずとも、負ける事なく此処にこうしていられるのは、確かにその後ろ盾のお陰なのだ。
「真殿、そ、その、郡王陛下の後ろ盾というのは、兵部尚書様ではなく……?」
「勿論です。我が父など、足元にも到底及びませんよ。さて、この話題は一旦、横に置くとしましょう」
真は、戰に真っ直ぐな視線を送る。戰は、それを暖かく受け止めた。
「戰様」
「何だい、真」
「戰様に、どうしてもお聞きして、確かめねばならない事があります。答えて頂けますか?」
「何だろう」
「戰様は、偶然と言うより、椿姫様と祭国を救う為に、何か得体の知れない流れに乗るようにして、郡王の地位を得られましたが」
「うん、そうだね」
「此れまで、私は戰様にお聞きする暇がありませんでしたので、是非とも、知りたいのです、戰様」
「何だい?」
「戰様は、どのような国を望まれ、どのような王を目指さしたいとお思いですか?」
「正直、私も悩んでいる」
真の言葉に即答しつつ、戰はにこりと微笑んだ。
「国の為に何をどうしてゆけば良いのか。王者として何処をどう目指して良いのか」
★★★
戰の言葉に、珊が大きな瞳をくるくるとさせた。隣で静かに座る蔦を、下からそっと覗き込むようにして伺うと、彼は穏やかに微笑んでいた。
主様は、何かわかってるのかなあ? 喜んでるみたい?
そう思うと、何故か安心した。
主様が喜ぶような事なら、悪い事なんかないや、きっと大丈夫だよね?
此れまでの一座の生活で、珊は素直に自然にそう思えるのだ。
戰の言葉をうけて、真も微笑んでいる。
「それでは、このような国や王者を目指してみますか?即ち」
「即ち?」
「己を激しく誇示し、民を酔わせ惑わすように従わせ、ひたすら強国とは何かを目指し邁進するのか。
生まれながらにしての王者として、民草の労や疲弊など顧みず、権威を小賢しく振りかざすか。
または他国の顔色を伺いながら、大河の流れに沿うようにのらりくらりとやり過ごし、己ばかりか自国の民の心をも騙し、ただ生きる為だけに生きゆくのか。
自国さえ富めば良いと他国を侵略しつくし、その富を我が物として栄えんとするのか。
或いは、己さえ良ければそれで良いと、権威を部下に投げやり自堕落に過ごされるのか。
それとも」
「それとも?」
「それとも、悪を善と成すほどの絶対的な力でもって絶対不可侵の強王となり、生あるもの全ての頂点に君臨し、この平原を制圧せんとするのか」
「どれも嫌だ」
真の提案に、戰は答える。
にこやかで和やかな、柔和な表情のままに、しかし、その双眸の光は鋭いものへと変貌を遂げていた。その双眸の光のみで、人の肺腑のみならず心の臓を射抜ける程、鋭いものに。
「そして、どれも違う」
「左様に御座いますか。それでは戰様、このような国作りを目指す王は如何でしょうか。即ち」
「即ち?」
「皆で知恵を絞りあい力を合わせる国。民の頂点に登られるのでは決してなく、共に歩み生きていく王者ならぬ王」
「うん、いいね」
戰の双眸から厳しい鋭さが消え、爽やかな喜びが浮かび上がる。
「それだよ、私が求めていたものは」
その言葉に、真は、戰も自分と同じ考えを持っていてくれていたのだと、感じ取り、胸が潤む。
改めて、熱を込めて戰を見詰め直す。
机の下で、薔姫の手を握り締めている手に、自然と力が入っている事にも気が付かずに。
★★★
「ちょ、ちょっと待ってよ」
珊が、大きく手を振った。
「あたい、良く分からないよぅ」
珊の大袈裟な身振りに、一様に気を張り詰めて真の言葉に聞き入っていた一同は、ほ~っと大きく息をついだ。
「何が良く分からないのですか、珊」
「全部だよぅ。何言ってるのか、全然分かんないや。真の話してる事、どっか別の国の言葉に聞こえちゃうよ」
上手い例え方ですね、と真は笑った。
「でも、実は一番良く知っているのは、珊だと思いますよ」
「え?」
「私に、此処までの言葉を引き出して下さったのは、珊ですから」
「ええ、あたいがぁっ!?」
人差し指を顎にあて、驚愕に大きな目をくるりと回しておどける珊に、やっと笑い声があがる。
「いつだったか、私に、話して下さったではありませんか。様々な国を巡り歩いたけれど、何処の国でも結局は一緒だ、国の為、民の為と王がどのような政治を行おうとも、民の暮らしに変わりない、と」
「あ~うん、言った……かな?」
「はい。そしてこうも言いました。王がいなくても、自分達は生きている、どうして王が必要になるのかと」
「えっ!? い、言った・の? あたい、そんな事!?」
「ええ、言いましたよ。けれど、珊、最初に貴女は、こう言って下さったのですよ。『皇子様や姫様の国に住みたい、一緒に自分も一緒に頑張りたい、祭国の民に、なれるものならなりたい』と」
真の言葉に、それ! と、珊は大きく手を振った。
「それ! そこは覚えてる!」
「珊、それを目指したいと言っているのです。皆に、珊のように思って貰える国を作りたい」
「え?」
「珊、先程の言葉に戻りますが、何故、何処の国の民の暮らしも、同じなのだと思いますか?」
ぷるぷると激しく首を左右に振る珊を見て、椿姫が微笑んだ。
「あの……私、少し解るような気がします」
「椿?」
「私が以前、祭国に戻ろうとした折に、戰様が仰られました。自分を可哀想がっていれば楽だから、と」
椿姫の言葉に、戰がちらりと彼女に視線を走らせた。気が付いたのか、彼を見上げて椿姫が笑った。
「その通りです、椿姫様。国が自分達の暮らしが立ち行かぬのは楽にならぬのは、全て王様が悪いのだ、自分達は何と不幸で哀れで惨めなのだろう、こんな王様が治める国に生まれついた事を呪うしかないと、諦めていれば楽だからです」
「え~!? でもちょっとそれはさあ、仕方ないんじゃないの? 自分達の気持ちなんて分かって貰えっこないんだし、ましてや王様や生まれつく国を選べやしないんだからさあ」
「でも、珊、貴女は言ってくれたではありませんか。戰様や椿姫様と共に頑張りたい、祭国の民になりたいと」
「えっ……あ、うん、そうだけど、さぁ」
「共に何かを成し遂げると言うのは、楽な事ばかりではありませんよ? 寧ろ、何も無い所から出発するのですから、苦痛しかないと言えます。それなのに、お二人と共に居たいと、何故思って下さったのですか?」
「え? だってそれは、二人が一生懸命にしてるのが素敵だなあって思ったからでさ」
「ですから、それですよ。皆に、そんな風に思って貰いたい国を作りたい、この国でこそ自分は生きていきたいと思って貰える国を、作りたいのですよ」
真の言葉に、戰が頷いた。
「皆に紹介しておきたい」
戰が立ち上がり、学を手招いた。許しを請うように振り返った息子に、苑は静かに頷いて、その背中を、そっと押して促した。椿姫が両手を広げて、小走りに駆け寄る学を胸に抱きとめる。
「祭国の今は亡き王子・覺殿の御子、学殿だ。長らくその存在が不明なままの不幸を過ごしてきたが、此度、相見える事が叶えられた」
「珊、この小さな学でさえも、貴女と同じように言ってくれました。共に国の役にたちたい、と」
椿姫の胸の中で、学が小さな胸をはり、そして次いで丁寧な礼の姿勢をとった。
「只今、ご紹介に預かりました。私はこの祭国の亡き王太子・覺の一人息子、学と申します。此度、女王様により、亡き父・覺の本懐でありました、祭国を救おうと、新たな実りを作り上げんとする志を継ぐ御子として、認めて頂きました」
「え? じゃあ、その子が例の御子様? 本当にいたんだね!」
良かったよぅ、と珊が飛び上がって喜ぶ。開けっぴろげな、心を偽らない珊の喜び方に、皆も引き摺られるようにして、笑顔になる。
「真」
「はい、戰様」
「この祭国の為にと思い、此れまで迷いながらも、君と共に、様々に手を尽くしてきたつもりだ。そして一人、また一人と仲間が増えるにつれ、解決出来る事柄も増え、また大きくなっていったが」
「はい」
「だが今、私は思える。3年前の、祭国での戦いが、全ての初まりなのだと」
「はい」
「あの時、真、君と出会えたからこそ、戦い抜く事ができ、勝利をおさめる事ができた。真、君が私を、勝たせてくれた。今まで、それを忘れずにいたつもりだ」
「はい」
「だから、これからも、同じようにしていきたい」
「はい」
「私が目指したい国は王は、君が言ってくれた思いと同じだ」
「はい」
戰は、改めて真っ直ぐに立ち直した。
「皆で考えれば、国の為に何をすれば良いのか考え尽くせば、必ず何とかなる。そう思って短い期間であったが、此れまできたつもりだ。それを続けて行きたい。そしてこの国の為にと、誰しもが思える国を目指したい。珊や学のような人々を、一人でも増やしたい」
「はい」
部屋に居る、全ての瞳の一つ一つの光と光を、合わせていく。
「皆と共に生きたい。皆と同じ位置に立ち、共に考え、悩み、物を見聞きし、心同じくして歩みたい。そう、私は」
戰が、言葉を切った。
「私は、これまでの如何なる王とも異なる王を、王者ならぬ王を目指したい」
「王の為に国があるのではない
国の為に民があるのではない
民の為にこそ国は存在し
王は民に選ばれてこそ、王となるのです」
淀みのない真の言葉が、静かな水面のように一つとなった一同の心に、煌きながら染み渡っていく。
「御立派です、戰様」
そして有難う御座います、と、涙声で小さく呟く真の声を、薔姫だけが聞いていた。
★★★
「ねえねえ、それでさあ。御立派はいいんだけどさあ。さっきの話はさ、大丈夫なの?」
やはり珊が、頭の上でぶんぶんと大きく手を振る。自分もさして変わらない頭の血の巡り悪さの癖に、克が目を眇め、下唇を突き出し気味にして、呆れかえっている。
「ええ、そうですね。話を戻しませんと」
真が項と首筋の境目の辺りをぺちぺちと叩きながら、のんびりと答える。
「皇位継承権の話から始めたいですが、禍国においては、当然第一位の継承権を持っておられるのは皇太子であらせられる天殿下、次いで二位の君と名の高し乱皇子様、そして各お妃様方のご身分に合わせて順当に下がっていきます。そこから数えれば本来、戰様は下から数えた方が早い程です」
「へえ? そうなのぉ?」
「そうですよ。戰様のお母上は、正四品正四位に当たられる、美人の御位の御方。ですから戰様は、『皇子』を名乗ることの出来る、最下級の正三品従三位に当たられます」
「ふ~ん?」
「禍国の法の定めるところにより、この『皇』を抱くことの出来る皇子様のみが、皇位継承権を有します。此度身罷られた三代皇帝・景陛下までは、皇后陛下の御腹からよりお出ましになられた皇子が皇太子となられ、そして百ヶ日の服喪の後、新たなる皇帝として至尊の冠を抱き、即位なされておられます」
この百日の服喪の間に、皇太子にとっての大抵の政敵は『不慮の事故死』や『突然暴かれた不始末による断罪』により、ほぼ全員が屠りされるのが常だ。
皇帝・景が即位した数十年前もそうだった。己の政治基盤を磐石にする為に、兄弟と文字通り死闘を繰り広げたのだ。
此度、戰を追い落とす為に椿姫が狙われたのは、この百ヶ日の間にけりをつけねばならぬ為、相手側が相当に焦っている証拠ともいえる。
珊は肩を竦めている。
またもや『真の言葉が別の国の言葉に聞こてえいる』ようだ。珊の正直な反応に、真は笑う。
「しかし、此度、陛下が身罷られたお陰で、一つだけ問題を回避する事ができました」
「ふぬ、問題?」
「真殿、それは何でしょう?」
問題と聞くと、自然と耳と身体が反応を示すようになったらしい。通と類が、同時に身を乗り出した。
「先頃、露国王・静陛下より、妹姫であらせられる初姫様との御成婚のお話が持ち込まれたのは、皆さんご承知の通りですが、そのお話は自然消滅するものと思われます」
えっ……? となった椿姫が、戰を振り返った。彼女の恋人である青年は、何とも言えない顰のような面体をしていた。
世の中、貴賎を問わず均等に人の死というものは訪れる。
絶対に避けられない事柄であるが、当主が身罷った場合、跡目相続をする長子は通常、三回忌まで喪に服し続けねばならない。禍国皇族の場合は全ての皇子・王子が、同様に喪に服さねばならないが、これは他国においてもほぼ同様の仕来りと言えた。
喪に服するとは本来は、人々との交わりを一切絶ち、当主の墓守をしつつ故人を忍んで生きる事なのであるが、現実問題として到底無理な話だ。であるので、冠婚葬祭法要時以外の付き合いを一切断り、仕事以外の外出を全くせずにいる事で意思表示をする事になる。
しかし、家に篭るばかりとなれば、人間やる事は、本能に照らし合わせて一つだけ。
喪中の家には大抵、赤子の元気な鳴き声が響き渡る事になる。だが、この喪中に誕生した子供というのは不吉で不浄な穢を背負って生まれたと見做される為、基本的に父親の家系に組み入れられる事はなく、母親の家系に組み込まれる事になる。
つまり、王族同士の場合においては、折角継承権を持つ皇子を生んだとしても、母方の国の王族の家系図に組み込まれてしまう事になる。喪が開けてから男御子が産まれれば良いが、そうでなかった場合、全くの無駄骨の徒労に終わる。
そもそも、政変に巻き込まれて、婚姻話が上がっている皇子が消されてしまう可能性の方が高いのだ。それが故に、婚姻話が持ち上がっている間に喪に見舞われた場合、王族同士の話は女性側から話を引き、無かった事としてしまうのだ常だ。
此度、この話は露国側から持ち込まれたものとはいえ、早々に取り下げられるのは目に見えている。更に、戰を追い落とす為に椿姫が狙われた事実を露国王・静に『出処知らずとはいえ確かに』伝えておけば、完全と言えるだろう。
素直に『よろしかった』と手放しで喜ぶなどは不謹慎極まりない為、できはしない。それでも、望まぬ婚儀を進めずに済むのだ。此処は喜ばずとも、せめて安堵するくらいは許されるだろう。
「しかし、其方の問題は片付いたとはいえ、もう一方、大切な問題が御座いまするな」
この様な場において、蔦が言葉を発するのは珍しい。
はっと息を飲むような、えも言われぬ穏やかな口調は、ともすれば話題が走りすぎる場を逆に引き締めてくれた。
「はい、この百ヶ日を如何に乗り切るかです」
既に、椿姫が狙われている。そして、それは失敗に終わったのだ。禍国にいる兄皇子たちが、逆上し前後を無くして一気に攻めて来る事も視野に入れねばならない。
兵を管理する兵部尚書である父がいるとはいえ、代が変わるのだ。この皇太子・天より、忠義の証だてとして、謀反の意思此れ有りとの祭国郡王・戰を討ち果たせと命令が下されれば、拒否する事は出来ない。
「しかし、心配されるような事は、この先、起こり得ませんからご安心下さい」
「それは、『もう恐らくは』という希望的余地の、に御座いまするか?」
「いいえ。確実に、です」
しかしの重大事の切羽詰まった事態に、真は「戰様には、父なぞ及びも付かぬ後ろ盾を有しておられますので、どうぞご安心下さい」とのんびりと構えている。
本来であれば、一番に緊張を強くする筈の真が、このように穏やかでいられるとは?
一体どれほど強大な後ろ盾だというのか?
「真、分からないな、一体誰が、この私の後ろ盾だと言うんだい?」
戰の苦笑いの成分に染まった言葉に、皆が何故か一斉に喉を鳴らして、真が続ける言葉の先に期待する。
一体、何処の誰が、戰の後ろ盾だと言うのか?
「おや、戰様、先程ご自身で仰られたと言うのに。てっきり私は、ご承知のうえの事と思っておりましたが」
まさか・と肩を上下させる戰に、真が笑った。
いや真だけでなく、その場にいた全ての人間が、この様な時だというのに和やかに笑い合う。
「教えてくれないか、私の後ろ盾とは、誰だ?」
「戰様、何時から何処からが全ての初まりだと思っていると、仰られましたか?」
「ん? あ、ああ、3年前の、ここ祭国での戦いが全ての初まりだと」
「はい、まさしく、其処から全てが初まりました。戰様の後ろ盾となられた御方は、その全ての初まりを取り仕切られた御方なのです」
「何? と、言うことは、それはつまり……」
「はい、そうです」
思いもしなかった人物にたどり着き、驚愕の色に顔色をかえた戰に、真がもう一度笑いかける。
「皇后陛下、いえ、今は皇太后・安陛下こそが、戰様の後ろ盾なのです」
一同の間に、雷鳴のような響めきが走った。
★★★
この禍国においては、百ヶ日の服喪の後に皇太后の手により、冕冠・十二章を施した初代皇帝伝来の袞冕・玉壁・印璽・御太刀等と共に、新たなる皇帝の誕生を告げる宣旨を下す。
それは、皇帝と同等の地位と権威を有する者は、皇后及び皇太后より他に、存在しないからだ。
そして皇帝・景が崩御した事により、皇后・安は皇太后の地位へ登った。
今や唯一玉座に昇ることが許されている皇太后たる彼女が、新皇帝として皇太子・天を認め、至尊の冠を此れに譲り渡すもの也、と告げれば。
全てが決するのである。
この百ヶ日の服喪の最中、皇太后・安の名のもとに、皇位継承の権利を有する全ての『皇子』が一同に集められた。
そして、御言葉が下された。
――次代の皇帝、皇太子に非ず。我、未だ帝位を決せず――と
皇太后・安の宣言は、激震となって禍国皇室を襲った。




