23 合従連衡 その5-2
23 合従連衡 その5-2
真
真の名を刺繍された軍旗が、風に舞っている。
礼拝を捧げている真を、闘は暫くの間、無視していた。
が、突然、ふっ……と短く笑う。笑った、次の瞬間には、闘は呵呵大笑していた。
笑い転げる闘を、真は只、じっと見詰める。
やがて、笑い声を収めた闘は、冷ややかな一瞥を真に向けた。視線だけで人を射殺せる鋭いものだ。
並の神経の者なら、射竦められてしまうだろう。現に、自分に向けられたものでないというのに、斬は縮み上がって震えている。
情けない奴め、と言いたげに烈はそんな斬に舌打ちをする。
だが兄王の恐ろしさをまざまざと見せ付けられ、魂と意思と身体が無残に切り離されて無様を晒さずにはいられぬ程の恐怖を味わっている斬を見て、流石は兄上だ、とも思わずにはいられない自分が居るのもまた、烈は感じている。
「成程。あれ程までに見事な証を見せ付けられては、此方は引き下がらねばならんな」
「恐れ入ります」
全く恐れ入らずに答える真に、ぎら、と烈が怒りの視線を向ける。
だが、真は何処吹く風だ。
――何故、此奴は何時も、こうなのだ。
兄上に心服せぬのだ。
闘はちら、と烈を見やる。
烈は怒りに鼻息を荒くして顔を赤らめていたが、肩を一~二度上下させると、仰々しく息を吐いて呼吸を整えた。
すっかり、とはいかないが、其れでも平然を装うのにはそこそこ成功していると言って良いだろう。
「どうだ、烈よ。其の方が言い出した事だが、眼の前にあるあの軍旗を、お前はどう受け止める?」
「……事実は事実です」
――おや、認めてなどやるものか、とひと暴れされるかと思ったのですが。
烈殿下、今日は随分と大人しい反応ですね?
真は内心で目を丸くする。
実際、真の背後で芙も意外そうな顔付きをしている。芙も、烈がこんな素直に認め、引き下がるなどと思っていなかった。
――まだ、真殿に対して、何か仕掛けるつもりなのだろうか?
だとしたら、今度は何を仕出かすつもりだ?
芙は、ちらり、と真を見る。
真も、何かを探っているような眸をしていた。
が、自分と違い、大凡掴んでいるような素振りがある。
ただ真が此の場で口にしない、という事は其れまで待て、という事だ、ならば待つか、と芙は大人しく目を伏せた。
二人の葛藤を知ってか知らずか、闘は楽しげに真に近付いてくる。
「真よ。あれ程口喧しい烈も認めたのだ。少しは嬉しそうな顔をしてみせたらどうだ?」
「……陛下の御言葉を頂かねば、安心は出来兼ねますので」
「そうか、そうだな」
ふっ、と口角を持ち上げると、闘は、皆、よく聞くがいい! と家臣たちに腕を振るう。
烈を筆頭に、剛国の家臣団は戦いを好む王の前に、一斉に跪いた。
「我が剛国は、郡王が一軍と、手を結ぶ! 異論は認めぬ! 今此の時より、出陣の準備に取り掛かれ!」
「――ははっ!」
跪いた家臣たちは、小気味よく呼応する。
「最も、眼の前に在るあの5千騎もだが、郡王の軍が使い物になる、ならないは別の話として横に置くとして、だがな」
闘将らしく、一釘刺すと、闘は豪快に笑った。
★★★
「良く引き下がられましたね、兄上」
斬が烈の背中に声を掛ける。明らかな揶揄する成分に、普段の烈ならば、小賢しい小僧の分際で、控えよ! とでも怒鳴り散らす処だろう。
しかし、烈は聞いていない。
烈が気に掛けるのは、真一人だ。
「兄上」
完全に無視された形の斬は、些か、むっとした様子を見せる。
然し其れでも烈は、克が率いて来た5千騎の元に下がっていく真を歯軋りしながら見送っている。
二人とも、いい加減にせよ、と苦笑いしつつ闘が声を掛けると、やっと烈は息を吐いた。此れまで、殆ど息を止めて真を睨んでいたらしい。
「あにう……陛下、奴は卑怯者です。私の気性の荒さを利用して、陛下を丸め込むなど。到底、許せるものではありません」
何とか引き下がりはしたものの、烈は真への怨嗟を隠そうともしない。だ
が闘は笑いながら、烈、其のくらいにしておけ、と手を振る。
「烈、お前の怒りは最もだ。が、此方も此れで大手を振って句国を、いや、備国を奪えるのだ。一先ず堪えよ」
烈が身動ぎするのに、一瞬の間を必要とした。しかし、闘の言葉の意味を理解すると、一気に顔ばせに闘志が漲る。
「平原を狙っているのは、備国王だけではない。此の私も然り、だ」
「陛下……? で、では、其れでは、陛下……!!」
「利用できるものは何でも使う。手駒となるものは須らく動かす。俺はそう云う類の男だと、烈、お前は俺の最も近い位置で見てきた筈だろうが。よもや、忘れていた、とは言わせぬぞ、烈」
恐る恐る、といった体で、陛下、と斬が進み出る。
何だ? と闘が面白そうに許しを与える。
「手駒にもならぬ、烏合の衆、ならば……陛下は、如何にされる御積りであらせられるのですか?」
「知れた事、蹴散らすまでだ」
闘に代わり、烈が答える。
途端に、斬は烈の方を猛然と睨む。
だが、烈は構わない。真が消えた先を見詰めている闘の横顔に夢中になっている。
やがて、烈と斬の視線に気が付いた闘は、ふっ……、と短く笑い掛けると、踵を返し様に腕を突き上げた。
「軍議を開く! 皆、付いて来い! そして心せよ! 狙うは、備国――そして其先に、禍国を見据えるのだ、よいな!」
★★★
皆の元に戻ると、真はあっと言う間に取り囲まれて揉みくちゃにされた。
笑っているような困っているような、何か言葉にならぬものを抱えている中途半端な表情で、真は頭や身体を容赦無く弄られている。
頭が茫々になり衣服も乱れまくった真の前に、戦袍を持った陸と軍旗を手にした姜が現れた。
「真さん、ほい! 姫奥様からの、大事な預かり物!」
にかっ、と白い歯を見せながら屈託の無い笑顔を見せる陸を前に、矢張り真は煮え切らない。
戸惑った表情で、有難う御座います、と呟き戦袍と軍旗を受け取る。
「出立の時に預かった品が、こんな風に役に立つとは」
「姫奥様は流石、出来た奥方様ですよ。なあ?」
「だよな、全く、真殿には過ぎた嫁さんだよ、姫奥様は」
「良人の為ならば、有りと有らゆる先を見越して、ってな。お前らも、嫁さん貰うなら、ああいう御方を貰えよ?」
「ならよ、先ず最初に竹兄ぃが手本見せなくっちゃいけねえぜ?」
「そりゃ、違ぇねえや」
どっとその場が底抜けに明るい笑い声に包まれた。
竹が5千騎を率いて祭国を発った時、追いかけてきた薔姫から預かった品を、真が改めた瞬間を、此の場に居る全員が忘れられずにいる。
他人事だが、芙も竹も皆、我が事のように嬉しそうだ。
しかし、当の本人である真だけがまだ、はっきりとしない愚図愚図とした態度を取り続けている。
「真殿?」
当初、ぎこちないのは照れているのだろう、と思っていた竹や芙たちだったが、真は暗い表情のままで煮え切らない。
流石におかしい、と思ったのか、覗き込むようにして真を見る。
「どうした?」
「……いえ、その……少々、考えたい事があるので、克殿、少しの間でよいので、私を一人にして下さいますか?」
「あ? あ、あぁ、そりゃ……」
克の返答を待たずに、有難う御座います、と短く礼を述べた真は、其のまま、自身の天幕に引っ込んでしまった。
★★★
呆気に取られて、ぽかん、と真を見送った竹と陸は、顔を見合わせあうと、はあ、何だありゃあ? と顔を顰めた。
「何だ何だ? 姫奥様が心を込められた御品の御披露目でもあるんだぜ? もう少し喜ばれるかと思ったのにな?」
「そうだよ、姫奥様、あんな必死になって追っかけて来たんだぜ? そんな大切な品なのによう」
剛国までの道程、薔姫から託された戦袍と軍旗を真に届けた竹は首を捻る。
「其れにさ、荷物解いて軍旗を手にした時の真さん、兄ぃたちも見たろ? 凄え嬉しそうだったじゃねえかよ?」
確かに、広げた軍旗を前に真は感動して、姫が……? と一言零すのがやっとで、後は金縛りにあったかのように身動ぎ一つせず、ただただ、絶句していた。やっと、動きが取れるようになったと思うと、眸の端に涙を貯めているのを見られないように、と背中を丸めて包ごと抱きかかえて天幕に隠れてしまったものだ。
「なのによう。何なんだよ、今日の真さんはよぅ。本当、訳分っかんねぇや」
芙たちも、口にはしていないが竹の意見に同意だった。
いや、此処に集う仲間たちは全員、戰がとうとう、真を家臣の一人として正式に遇したのだ、という事実に深い喜びを感じていた。
――とうとう、真殿が表舞台に立つ日が来た。
特に芙たちは感慨もひとしお、だった。
祭国に入ってから同じ屋敷で暮らしているせいもあるが、彼らは克や杢たちが真に寄せる心情のそれとはまた意味合いが大きく違う。
蔦の一座の者、珊や芙たちの身分も、真と大差無い。
根幹が無い。
身分を定かにする寄る辺を持たない。
自分を明らかに出来ない、という不確かさから来る未来への不安感。
己の行く末に対する言い知れぬ孤独感。
誰にも理解してもらえない訳の分からぬ絶望感。
此等が綯い交ぜとなって伸し掛り、魂を押し潰して来る、此の言い表しようのない壮絶な恐怖は、どんなに苦しくとも家族を得て人並の生活を送っている者には、なかなか理解されない。
だがだからと言って、真も芙たちも、謂われなく格差を押し付けられた! 此の怨念をどうしてくれる! と毒を吐くつもりもない。
所詮、人間は与えられた立場の中で全力を尽くして、出来得る限り最良の生を送るしか無い。
誰にだって、出来れば打ち捨てたいしがらみはある。
どんな立場の者であろうと、其々の確執と妄念が絡み合った諍いからは逃れられない。
己の身を嘆かずいられない苦悩や、失意と煮え湯を飲ませられたと煩悶せずにいられる者など、皆無だろう。
生きている限り、生のある者は皆、何かを背負う。
いや、重みに耐え、尚且つへこたれぬ、と前を向くのが、生きるという事の一部であるのかも知れない。
無論、其れが嫌だ理不尽だ、お前が背負え償え! と無駄に足掻き喚き散らす阿呆が多いからこそ、戰も真も、要らぬ苦労しているし、苦悩している。
その姿を間近で見ているからこそ、戰と真の二人には、身分も宿星も何もかもを超えた、そう、天帝の定めをも超越して、共に生きて欲しい。
生き抜く処を見せて欲しい、と皆は願わずにはいられない。
真も当然、同じ気持ちだと思っていた芙たちは、裏切られた、と言うよりは肩透かしを喰らった気分だった。
★★★
訳が分からねぇよう、とまだ唇を尖らせる陸の頭を、ぽんぽんと叩きながら、まあ、そう言うなよ、と克がとりなすような、宥める口調で割って入った。
「俺には何となく分かるなあ」
間延びした克の言葉に、ん? と振り返った薙と萃の視線が鋭い。
「何がだ?」
「ん、いやその……俺はさ、何となくだが、陛下と真殿の気持ちが分かるような気がするんだよ」
ああ、だからって、皆の気持ちと違う、って訳じゃ無いからな? と克は手を上げると、どう云えば良いんだかなあ、と呟いた。
「うん、そりゃな、陛下だってもっと早く真殿を認めたかったに違いないさ。だが、其れにはどうしたって真殿の身分が邪魔してくるだろ?」
「そりゃ……まあなあ」
「俺たちは今、祭国で身分がどうこう、ってのをぶち壊そうとしている最中だ。だが、3年前、真殿があんな目にあわされた、だろ?」
あの場に居合わせ、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた真と戰を見守るしかなかった芙は、流石に直ぐに言葉を続けられない。
「……だが、あれがあったからこそ、陛下は真殿の為にも皇帝の地位を望まれるようになられたんだ。真殿に新たな身分を与えられる、今の祭国では成し得ない、新しい禍国を作る為に」
「うん、まあ、そうなんだが……」
珍しく、熱っぽく語る芙の気持ちは克にも分かる。
妻にした珊も、元は身分のない根無し草の遊女だった。
珊のような者も、堂々と幸せになっていい国に祭国はなりつつある。
其れを禍国にまで広める為には、戰は、郡王の身分で満足していてはいけない。
皇帝にならなければならない。
「分かっちゃいるのさ、陛下は特に。けどなあ、解っているからこそ、何ていうのか、陛下は躊躇うというか、踏み切れないでいるんだと思う」
「……何故?」
「元々、真殿は、危うい御立場の母君を守ろうと表に出ようとはされていなかっただろ? ……まあ、性格による部分もあるだろうが」
「どちらかと言えば、性格の方が大きいだろう」
「まあ、其れはそうとして、陛下だって出来れば真殿の身分を引き上げて身近に置いて、御自身の一番の部下だとお示しになられたいの山々だろうさ。……けどなあ、真殿があんな目にあわされてるからな、怖がっておられるんだと思う」
「俺たちがいる。もう、あんな事は二度と起こさせん」
「そうだよ、克兄ぃ! 俺らが居るじゃねえかよう! なんでえ、なんでえ、俺らの事は無視なんかよう!」
芙が珍しく怒りを露わにすると、陸も負けじと膨れっ面になってみせる。まあまて落ち着けって、と克は慌てて手を上げて、熱り立つ二人を諌めた。
「陛下はさ、皆がそう想って呉れてるって知っておられるさ。俺も、杢殿も、竹も皆も、陛下がやって下さるんだって信じている、ってな。期待に答えたいとも思って下さっているよ、きっと。……だけどなあ、頭で分かってるのと身体が動くのとは違う、って事だよ」
「でもよう、だからって、よう」
「其れに、さ。陛下はもう、薔姫様を泣かせたくない、と一番に思われているんだよ」
うっ……、と陸が押し黙った。薔姫の名前を出されては、黙るしか無い。
「お二人の目指される道は、誰も傷付かずにいられない道だ。現に、志を共にと思ってくださっていた句国王陛下もそうだからな……確かに、此処で薔姫様の御名前を出されては……」
「たぶん、な、俺が思うに、だけど、って話だよ……う~、こういう時、馬鹿過ぎる頭が恨めしいな、上手い具合に言い表す言葉が見つからないな、まあ、忘れてくれよ」
申し訳無さそうに、克が背中を丸めて小さくなる。
だが、克が言いたい事は、竹にも陸にも、そして芙たちにも、薄っすらとであるが伝わった。
戰は真を身近に置ける身分にしてやりたい。
然し、過去の出来事があり、躊躇している。
真の生命が狙われはしないか、と。
最も大切にしている人が自由になれるように、と翼を持たせたが故に弓の的となる位ならば、薔姫を泣かせる位ならば、今のままの方が良いのではないか、と。
真は戰の為にもっと自由に動ける身分になりたい。
然し、過去の怪我があり、逡巡している。
何かあり、もしも今度こそ自分を失くしたなら、戰が正気を失い、道を誤るのではないか、と。
他人から見れば、何を喜憂に過ぎぬ事に囚われているのか、と呆れ果てるしか無いのだが、本人たちは大真面目なのだ。
「……其れと後な、今の真殿の不機嫌さはな、まあ何だ、もっと単純明快な話だよ」
ぼりぼりと頬にできる笑窪を掻きながら、克は曖昧な笑みを浮かべた。
「あん?」
「大切な、薔姫様のお心の篭った品だからこそ、策の為に用いたりなんかしたくなかったのさ、真殿は」
「……成程」
「今頃、戦袍と軍旗を、大事に仕舞っているだろうさ」
克の解説に、男たちは大いに納得して頷いた。腕を伸ばして頭の後ろで組んだ陸だけが、うへ、と頓狂な声を上げる。
「なんでえ、難しい話を散々っぱらしといて、あれ、お惚気だったんかよ?」
「ま、平たく言や、そう言うこったな」
竹が陸の頭を小突くと、やっと、男たちの笑い声が辺りに響き渡る。
「笑う処じゃないぞ。お前らも所帯を持てば分かるさ。離れてるとな、こう、感覚が研ぎ澄まされてな、どんな小せえ物にでも上さんを感じられるようになるんだよ」
「なんでえ、何時の間に、克兄ぃの自慢話になっちまってるんだよ」
「いいぞぉ、嫁さんを貰うってのは、うん」
「そんなもんですかね?」
「人の話、聞けよ、此の惚気虫兄ぃ」
疑わしげにもう一度肩を竦めた竹と胡乱げな眸で見上げる陸の背中を、克は笑いながら勢い良く叩いたのだった。
★★★
騒ぎから、其のまま戦支度へと雪崩込んだ克たちから、芙だけがそっと離れて、真の天幕へと向かった。
「真殿、入ります。そろそろ薬湯の時間ですが……」
声を掛けたが、返事が無い。
気配は在るので起きているのだろうが、気になった。分厚い幕を手折るようにして引き上げ、するりと中に入ると、背中を丸めている真の後ろ姿がある。
「どうかしたのですか?」
と、声を掛けようとして、芙は止めた。代わって、腰に手を当てて盛大に息を吐く。
――珍しく、克殿の予想が当たったな。
無言のまま、真が、何度も何度も軍旗の刺繍を撫でている姿に、芙は肩を竦める。
やっと、芙の方をちらりと覗き見たかと思うと、いえ、と答えながら真の視線はまた、軍旗に戻ってしまった。やれやれ、と芙が苦笑いと共に零すと、もう一度、真はちら、と視線を上げた。
「……気が付けなかったのですよね、私は……」
「何がですか?」
「……姫が、こんなにまでして呉れていたのに」
「……其れは」
真殿だけじゃありません、家に仕えている仲間たちも、珊も、お母上殿も、娃殿も、皆気が付いていなかったのです、陛下ですら、気が付かれなかったのです、と言おうとした。
が、何故か、口が動かなかった。
――其れでも、自分だけは気が付くべきだったと思われているんだ、真殿は。
兄である戰と良人である真二人が目指す世が、一日でも早く訪れるように、と願いを込めて作っていた軍旗の存在に、其の日を迎えた瞬間、真が此れ以上傷ついていないように、と真心を込めて縫い上げた戦袍に。
「姫が、小さな胸を密かに痛め、そして其れ以上の期待に膨らませていた願いに、気が付くべきだったんです」
甘ちゃんで、夢想家で、理想主義で。
底抜けの御人好しで、無駄に悩んで、だからこそ人間臭く表情豊かで。
何に対しても全心全意で立ち向かう。
そんな戰が好きだ。
理由などない。
いや、理由を述べれば嘘臭くなる。
ただ、人として何時までも何処までも、ついていきたい。
共に生き、共に在りたい。
だが自分は、何れ離れる覚悟を決めたではないか、と二の足を踏んでいた。
誓ったではないか、そう、祭国に居座る剛国王・闘と初めて対峙した時に。
戰の為に、諦めるべきだ。
偽ろうとしている、自分の本心を、薔姫はとっくに見抜いていたのだ。
だから、諦めなくてもよい、と彼女なりの方法で、後押ししようとしてくれていたのだ――そんな健気な彼女の気持ちに、自分こそが、気が付くべきだった。
「我が君、お兄様のお傍にいたいのなら、いればいいじゃない、どうして我慢なんてする必要があるの? ――お兄様が、駄目だって言ったって、構わないじゃない。我が君がしたいのなら、すればいいの。どうして、我が君だけが、自分の気持ちに素直に生きてはいけないの?」
薔姫が縫ってくれた軍旗は、そっと優しく囁いてくる。
――……ああ、全く、本当に姫には敵いませんね……。
真は、ぐ、と軍旗の端を握り締めた。
――格好を付けて、其れで離れて、後悔する位なら、どんなに心も身体もずたずたにされようが、戰の為に精一杯生き抜いた、と満足して最後の息を吐き出して倒れた方がましですよ。
そうですよね、姫。
「では、姫様のお気持ちを、どうするお積もりなのですか、真殿は」
「さて、差し当たっては」
「ては?」
「姫のご期待に添えるように、苦いお薬湯を頂くとします」
芙は短く笑うと、分かりました、と出口に向かう。すると、険しく焦りを含んだ表情で天幕に飛び込んで来た克とぶつかった。
「うおっ!? っと、芙殿、済まん。真殿、俺だ、克だ、いいか、入るぞ? 今しがた、剛国王陛下の使者が来た」
「軍議に共に参加し策を披露せよ、とでも?」
真は振り返りもせずに間髪を容れず答える。
虚を衝かれ、あ、ああ、と零すのがやっとの克を前にして、真は何時ものように、ぽりぽりと項辺りを引っ掻いた。
「やれやれ、闘陛下は、また何を目論んでいらっしゃるのやら……怖い御方ですねえ」
面倒臭そうに呟くと、真はのんびり立ち上がった。
「芙、申し訳ありませんが、薬湯は帰ってきてから頂きます」




